竹中インカムは、「国民総奴隷・家畜化計画」である

 

竹中インカムは、「国民総奴隷・家畜化計画」である。
ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕
(以下の見解は「実現を探る会」の総意ではなく、あくまでも白崎の個人的意見です)
経済学者・竹中平蔵氏の「ベーシックインカム」論が注目の的だ。
9月23日にBS-TBS『報道1930』に出演した竹中氏が語った内容として伝えられるものは、「国民全員に毎月七万円の給付を行う」「高額所得者には給付後返納させる所得制限付き」「年金・生活保護などの福祉政策はほぼ全廃」というもので、これは、以前から経済雑誌「エコノミスト」などでも「月5万円給付」「生活保護・年金必要なし」という形で小出しにしてきた論の繰り返しでもあった。
この論理は、目新しいものではない。橋下徹氏が大阪市長時代に大阪維新の会の選挙公約集「維新八策」として提案した関連政策提言でも竹中案に近いベーシックインカム案が提出された。そして、現小池百合子東京都知事がたちあげた「希望の党」結党時の政策案の中にも、類似のベーシックインカム案があった。
これらは、すべて「新自由主義」が背景にあるが、いまの段階では、これらを一括して「竹中インカム」とよんでもいいだろう。
「竹中インカム」の狙いは、何か?それは、ずばり福祉国家の完全なリストラと超低所得で生かさず殺さず、否、限りなく殺すに近い「生存」だけさせるための「国民総奴隷・家畜化計画」である。
「家畜化」とは何か。日本においては動物学者の小原秀雄氏が人類進化生態学の概念として提出したもので、人類とは、生態学的・生態的地位としてみれば、自らを家畜と同様な生態的地位におくように進化してきたというものである。そして、人類進化を、自らを家畜化する生物種という意味で「自己家畜化」(self-domestication)と概念化した。この「家畜化」に「奴隷化」の意味合いはまったく含まれていない。あくまでも、人工的に食物連鎖の頂点にありながら、その「食物摂取」の在り方を自らコントロールする存在という意味である。
あえて、ここで、その「自己家畜化」という概念を持ち出してきた理由は、「竹中インカム」は、超少数派の富裕層支配階級が、その他99%以上の人類の「食い方・生存の仕方」を完全コントロールする世界=家畜化世界を目指していると考えたからだ。そういう意味で、「竹中インカム」は、社会派ダーウィニズムと同様の人類生態学概念「自己家畜化論」の低級なすり替えだと思う。
しかし、このような論の出現を許してきた責任の大きな一端は、我々、ベーシックインカム推進派にもある。それは、ベーシックインカムを福祉政策の延長のように考えてきている欠陥だ。それは、ベーシックインカムを「究極のセーフティネット」とよぶことによくあらわれている。もちろん、ベーシックインカムや広義の所得保障の議論の歴史をたどりなおしてみれば、ベーシックインカムの源流の一つに福祉的政策があることは間違いないだろう。また、現在でも福祉補完政策的ベーシックインカム論議が主流であることも事実である。これらの議論では、財源論も「増税か減税か。あるいは税の組み替えか」という議論にとどまっている。あとで再度言及するが、「竹中インカム」もまさに、この福祉政策の一種として提案され、その結果、現在の社会保障政策(年金や生活保護)と「交換する」という形になってしまうわけだ。
(ベーシックインカムの国際NGO「BIEN」の決議にあるように、「ベーシックインカムの導入に際し、社会保障の一部が置換されるとしても、個人の権利・尊厳・福祉水準の後退をおこなさないことが前提」ということは理念としては、その通りなのだが、この論理だと必ず「では、その財源の裏付けは?」と切り返されてしまうのではないだろうか)
だが、ベーシックインカムが「貨幣供給」にかかわる政策である限りは、マクロ政治経済政策として議論するのが本筋であって、福祉政策は、そのマクロ経済政策の波及効果として議論するべきではないか、というのが本論の主題である。(ただし、私は、「マクロ経済【学的】」とは必ずしも考えていない。それは、マクロ経済学批判をしていかないとどうしようもない課題があるように考えているからである)
貨幣論の本質分析までふみこんだマクロ経済的ベーシックインカム論は、思想史家の関曠野氏が再評価した経済思想家クリフォード・H・ダグラスの仕事に立ち戻らなければならない。その全体像は、私の所属するベーシックインカム・実現を探る会HPに掲載されている講演録「生きるための経済――なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か」http://bijp.net/transcript/article/27
を読んでいただきたい。
ダグラスの主張するベーシックインカムとは福祉政策ではない。銀行信用創造によってつくられる貨幣システムを、民主的な政府が発行する「公共通貨」におきかえ、その公共通貨の流通をバランスよくおこなうために、購買力不足になりがちな個人単位の所得保証として「配当」するものである。したがって、それはベーシック「インカム」ではなく「国民配当」とよばれる。(米国大統領候補戦をベーシックインカム政策で闘ったアンドリューヤンとオランダの気鋭の哲学・歴史学者のルドガー・ブレグマンの対話(早川健治訳)でも、ふたりは「配当」とよぶべきだと主張している。→https://kenjihayakawa.wordpress.com/2020/06/26/andrew-yang-rutger-bregman/?fbclid=IwAR17lhnF0JeUtA2jZ9TPaaW3go5yLgZnnnpGJn1QQg-59vpTnnZRNhTwQfo)
「国民配当」は、公共通貨の通貨供給量の調整にも使われ、その供給量はインフレ率などを勘案しながら調整されることとなる。定額のベーシックインカムの利点を保持するために、経済学者の井上智洋氏が主張するように「固定BI」部分と「変動BI」部分の二階建てにする「国民配当」案も考えられてもよいだろう。ただ、再度、強調するが、ベーシックインカムは、福祉政策ではない、「公共通貨」+「国民配当」のマクロ経済政策である。したがって、社会保障の制度化は、別途、「国民配当」とは別に構想されなければならない。その部分については、先に述べた「希望の党」ベーシックインカム案を批判した文章を以下に再度はりつけておく。
「みなさんご存知の通り衆議院選挙にむけて各政党の公約が次々と発表されました。
注目は、やはり、小池さんの記者会見でも発言のあった「希望の党」のベーシックインカムへの言及でしょう。⇒https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000007-wordleaf-pol
しかし、私は、この小池さんの発言を警戒しています。お話の中で例に出されたフィンランドにしてもオランダにしても「福祉削減」にむかおうとしている、生活保護、年金制度など現金給付の不合理なものを統合していくのは良いことですが、福祉政策で残して発展させていかないといけないものはたくさんあります。 
たとえば、ベーシックインカム支給金額で議論される月額ひとりあたり8万円という金額の根拠は、これを算出した小沢修司さん(京都府立大学)によれば「月額8万円の根拠としたのは生活保護のうち生活扶助部分であり、教育扶助や住宅扶助、医療扶助などは除いている。それは、教育、住宅、医療など社会サービスの充実はベーシックインカム実現とは別途図らなければならない~~」(「日本の科学者」2010年5月号)と発言しています。ここにあるように住宅などの社会サービスは、ベーシックインカムと両輪のように必要だということですね。また、重度重複障害者の電動車椅子のなかには、300万円するものもあります。これらの支給がベーシックインカムと置き換えられてしまったら、とても購入することはできません。また、年金制度を廃止してベーシックインカムに置き換えるにしても、それだけでは、生活が不安という場合に、関曠野さんがご提案なさっているように、国民通貨(公共通貨)を財源に「負の所得税方式」で補填するプランなども参考になります⇒http://bijp.net/mailnews/article/426
このあたりのことが、小池さんのご発言からはよく見えてこないところがあります。
上記のことと強く関連しますが、ベーシックインカム実現に欠かせない議論である「財源」のことも明確ではありません。たとえば「財源」としては、次のようなプランがあります。
アベノミクスは、年間80兆円もの大量の資金を国債を買うことで市場に供給しました。でも、2%のインフレにも何にもならなかったのです。それで、このお金はどこへいったのか?それは、日銀にある一般の銀行(市中銀行)がもっている「当座預金」というところへどんどんたまっていき、一部は、土地バブルといわれる資金や株式投機にながれています。2017年7月12日現在で日銀当座預金は、359兆円もあるのです(アベノミクス前の2013年2月は43兆円)。この359兆円は、金融用語で「ブタ積み」という役に立たないお金となっていますから、こんなものは日銀が国債を直接引き受けて国民通貨(公共通貨)へ転換し国民に直接配った方が合理的です。
こんなことを考えてくると、そろそろ、ベーシックインカムという言葉はやめて「国民配当」という言葉にしたほうがよさそうです。というよりもベーシックインカムではなくて、この「実現を探る会」で関曠野さんが解説しているC・H・ダグラスが提案した社会信用論の「国民通貨(公共通貨)」と「国民配当」こそが、これからの経済財政政策の基本にすえられるべきだということです。」
上記の文章にもあるように、生活保護制度だけをみても、複数の補助政策が重層化されており、他の福祉政策との関連では、現金給付のみならず現物給付もからむ。したがって、これらと「国民配当」との適切な合体化が必要とされる。生活保護は、その捕捉率が2割程度しかないともいわれ、運用面での底上げも必要になってくる。
「国民配当」の給付水準は、思いつきのように「7万円」というものではなくて、上記の社会保障政策との総合的な構想と労働市場からの自由度を高めるというベーシックインカム元来の理念を生かしたものとすべきであろう。現在の平均的な消費支出を個人単位に再計算して約15万円(月単位)前後を基準に考える方法もあると個人的には考えている。
これらの財源は、繰り返しになるが、当然のことながら「税財源」ではまかなえない。そもそも通貨発行権を保有する国家が通貨は供給できるのだから、インフレ率を勘案するのが基本で「財政規律」などに配慮する必要もないわけだ。
この「公共通貨」+「国民配当」の政策実現は、コロナ禍の悪影響もあり、急を要する。そして、超特権階級の竹中インカム推進勢力に徹底抗戦していかなければならない。
この政策実現が遅れれば遅れるほど、我々の奴隷・家畜化計画が進行されてしまう。
まずは、「ベーシックインカムから国民配当へ」を合言葉に、公共通貨+国民配当の通貨改革を実現する政治勢力をわが日本で結集していく努力が求められるだろう。
まずは、そこからだ!!

 

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