関曠野さん講演録「ポスト3.11日本の将来を考える」第2部

関 曠野 講演録

3.11以後

― 原発事故をくぐった日本の将来を考える ―

2011年9月24日(土)東京都内にて開催

講演者:関 曠野

※ 本講演録は、当日の記録に関さんの加筆訂正を加えてあります。特に「経済問題」を扱った第二部は、現在の社会状況にあわせて全面的に書き直していただいたものです。

第二部:ポスト・ドル基軸通貨時代の日本社会を問う INDEX

  1. ポストフクシマで問われる日本の政治経済システム
  2. 戦後日本における美学から経済学への文明原理の転換
  3. 伝統とは新しい境地を切り開くこと
  4. 嘘で動いている現代社会
  5. 自由貿易論の由来
  6. アメリカの覇権を正当化する嘘としての自由貿易
  7. 特権的地位を得たドル紙幣
  8. ドル基軸通貨体制を防衛するための「自由貿易」
  9. 主人と奴隷の弁証法
  10. 必要なくなる自由貿易による正当化
  11. 日本にのみ通用する「自由貿易」
  12. アメリカの本音では迷惑な日本のTPP参加
  13. 19世紀と20世紀で違う貿易の意義
  14. 過剰生産を貿易で解決したアメリカ
  15. 消え去るしかない世界貿易
  16. アメリカ型浪費型経済の終わり
  17. 現代経済は市場経済というのはデマ
  18. 現代は銀行独占経済
  19. 公益事業としての通貨発行を独占している銀行
  20. インフラ通貨から金融商品通貨への変容
  21. マルクスの資本主義論の間違い
  22. 議会制と政党政治化では党派マネーになる政府通貨の問題
  23. 民間需要に社会信用論はどう対処するか
  24. イスラム銀行に学ぶ
  25. 公共通貨とベーシックインカムの相互関係
  26. 第一部:「国土風土に根ざした思想を再考する」へ戻る

ポストフクシマで問われる日本の政治経済システム

反原発派は、普通の事故と違って、原発事故は一度起きてしまったら取り返しがつかないとして、原発に反対してきました。福島の事故は今なお進行中ですが、その取り返しのつかないことがすでに起きてしまったのです。この事故の全貌が健康被害を含めて明らかになるには、あと何十年もかかるでしょう。事故の傷跡が一応癒えるには、1世紀ぐらいはかかるでしょう。

冷戦の時期には、どこかの邪悪な国が日本を核攻撃して領土を奪う危険があるとされていました。ところが今、我々は自国の政府と電力会社によって核攻撃され、国土の一部を立ち入り禁止の形で奪われてしまいました。この日本の政治経済システムこそ、真に我々の敵であります。してみればこのポスト・フクシマの状況で、我々がまず問わねばならないのは、「なんでこんなシステムができてしまったのか」という問いでありましょう。

戦後日本における美学から経済学への文明原理の転換

そこで今日は、その部分的なヒントになりそうなことを申し上げました。

その第一は、戦後日本の見境なしのアメリカナイズという問題です。そのせいで、国土、国柄、それが育んできた文化について深く考えなくなってしまったことです。第二に、戦後からさらに明治維新にまで歴史を遡れば、京都から東京への首都の遷都はたんなる行政的措置ではなく、日本人の価値観や生き方の転換や変質を意味していました。しかしこの事実も軽視されてきました。私の見るところでは、これは美学から経済学への文明の原理の転換、ビューティフルからビッグへの価値の転換にほかなりません。

伝統とは新しい境地を切り開くこと

それゆえに、維新と遷都で一度は死にかけた京都の再生の歴史は、ポスト・フクシマの状況に放り出されて迷い悩む日本の草の根の人々には、進路を照らす指針やヒントになるのではないでしょうか。そこでとりわけ大事なのは、京都の永年の地域自治の伝統です。番組小学校の運営費も琵琶湖疎水の建設費も、京都市民は政府をあてにせず特別税などで自ら拠出しました。これもしっかりした自治の伝統があればこそです。英語で伝統を意味するTRADITIONの語源をラテン語に遡ると、これは「譲り渡すこと」を意味しています。伝統とは、価値あるものを世代から世代に譲り渡していくことである。そして京都の場合、市民の地域自治がその価値あるものでした。この伝統ゆえに京都は雅であるとともにタフな都市でもあった訳です。そして伝統とは古臭い物事にしがみついていることではなくて、それ自体絶えず脱皮しながら人々が新しい境地を切り開くことを可能にしてくれるものなのです。

嘘で動いている現代社会

原発は実はウランで動いているのではありません。原発は嘘で動いています。「原発は安全」という嘘で国民を騙せていなければ、電力会社も政府も原発を建設したり稼動させることはできません。しかし嘘で動いているのは、原発だけではありません。実は、現代社会全体が嘘、ふたつの嘘によって動いています。それを以下の表にしました。

 真実
「自由貿易」アメリカ資本の利益になるように作られているドル基軸の世界貿易システム
「市場経済」銀行の独占経済

自由貿易論の由来

まず自由貿易ですが、これは十九世紀半ばの英国で生まれた言葉です。当時の産業革命のさなかの英国では、新興のブルジョア企業家層と貴族の地主層が対立していました。そして、産業資本家層は農産物の輸入を自由化すれば、労働者の賃金の切り下げが容易になると考え、高い関税による農業の保護を主張する地主層と対立しました。その際、前者の要求を正当化するために出てきたのが自由貿易論でした。これは要するに、各国がその得意とする有利な産業分野に専念して、商品を障害なしに国際的に自由に取引できるようにすれば、結果的に世界全体が豊かになるという議論です。アダム・スミスの「見えざる手」の説を国際経済に適用した議論と言えます。ですから自由貿易論は農産物の輸入に関する英国の国内的議論にすぎなかったのです。しかも現実には、産業革命で先頭を切っていた当時の英国でも、50%の保護関税が普通でした。

アメリカの覇権を正当化する嘘としての自由貿易

そして、この自由貿易という言葉は今でも使われているだけでなく、世界経済の理想、あるいは原則や基準とされ、各国の政財界やマスコミが掲げる錦の御旗みたいになっています。ところがこの錦の御旗の「自由貿易」は、まったくの嘘なのです。この言葉は本来の自由貿易論とはまったく関係がない、政治的現実を正当化するために意図的に誤用されています。では、それで何が正当化されているかというと、アメリカの覇権、アメリカ資本の特権的利益のために存在しているドル基軸経済システムをもっともらしく正当化するために、世論を煙に巻く煙幕として使われているのです。ただし目下、アメリカは覇権国家としては経済的軍事的に急速に没落しつつあります。だが、アメリカが行き詰っているがゆえになおさら、自由貿易が奇跡を起こす魔法の呪文として、騒々しく至るところで唱えられているのが現状です。

特権的地位を得たドル紙幣

では、この嘘はいつから蔓延するようになったのでしょうか。そのきっかけはおそらく、アメリカがドルと金の交換を停止した、1971年のニクソン声明です。それまでアメリカは各国に、貿易で稼いだドルを随時アメリカが保有する金と交換しますと約束していた。この約束がドルの価値を裏づけ、ドルが信認される根拠になっていました。たが、ニクソン声明でドルは、連邦準備銀行が発行するただの紙切れになってしまった。いずれリーマン・ショックと世界恐慌に行き着くアメリカの没落が始まったのです。しかしこれは長期的な問題で、当座は、アメリカはタダで労せずしてぼろ儲けをするトリックを見つけました。アメリカが第二次大戦で勝ち、比類ない超大国になって以来、ドルは世界貿易の準備・決済通貨でした。ドルの力ゆえに旧ソ連にさえドルで高級品が買えるドル・ショップがあったほどです。それだけに、ドルで回る世界貿易は自由貿易どころか会員制クラブみたいなもので、ドル準備がない国はそれに参加できませんでした。だから南の国では、民衆が飢えてもドルを稼げるコーヒーやカカオを栽培するといったことも行われました。

ところが、ニクソンがドルと金の交換という国際公約を破棄したので、これ以後アメリカは、自国が保有する金の量に制約されずにドル紙幣を発行できるようになった。そして各国から輸入した商品に対しては、ドルを刷って払えばいいことになった。ニクソン声明以前のアメリカは世界でトップの先進工業国でしたが、その圧倒的な経済力軍事力以外に特権をもっていた訳ではありません。しかし、ドルを梃子に世界の銀行になるという特権を手に入れたのです。

ドル基軸通貨体制を防衛するための「自由貿易」

我々が資金を銀行から借りようとすると、銀行は「信用の私的創造」ということで、コンピューターのキーボードを叩いて、その資金を労せずして無から作り出して我々に貸します。しかし負債の返済期限が来たら、汗水たらして必死で稼いだピカピカの現金を銀行にもって行かねばならない。商品と引き換えにドルを刷ればいいアメリカの立場は、この銀行と同じものです。こうしてアメリカは、真面目に働かなくても豊かさを享受できる特権的な国になりました。これが1970年代以降に成立したドル基軸の世界経済システムです。アメリカが「自由貿易」を錦の御旗にして守ろうとしているのは、このシステムなのです。自由貿易の建前は、商品の障壁のない自由な交換による互恵であり国際的な共存共栄です。

しかし実際は、アメリカはそんなことには関心がありません。ただ、例えば日本車の輸入が増えすぎて経常収支の赤字が深刻になると、ドル自体の信認が揺らぎかねない ―― そういう場合にドルを防衛するために「自由貿易」をがなり立てるのです。そして、「日本は農業を高関税で保護するなど、フェアでない」と主張します。日本車のせいでアメリカの労働者が失業しても平気で、大統領選の際に一応騒ぐだけです。

主人と奴隷の弁証法

輸入商品の代価にはドルを刷ればいいアメリカは、結構なご身分に見えるかもしれません。しかしその後起きたことは、哲学者のヘーゲルが「主人と奴隷の弁証法」として論じたことに重なります。ヘーゲルによると、主人は奴隷を働かせて自分は安楽に暮らしている。だが、そのうち、主人は奴隷に依存しなければ生活していけないことが明らかになり、主人と奴隷の立場は逆転してしまう。アメリカが主人なら、さしづめこの奴隷は日本や中国でしょう。アメリカは勤勉な日本に貢がせた。しかしアメリカの産業は衰退し、アメリカ人は日本の車や電化製品なしでは暮らせなくなってしまった。そして日本は対米輸出で稼いだドルでアメリカの国債などをどんどん買い、アメリカの債権者になっていった。アメリカはドルをキーボードで無から作れても、日本の債権になったドルに対しては現金で払わなければならない。実際アメリカはその国債の利子だけでも日本に毎年八兆円も払っています。

必要なくなる自由貿易による正当化

アメリカは1970年代以降、とりわけレーガン政権以降、工業国からいわば金融国になったために、利子つき負債という銀行マネーの宿命的矛盾から2008年のリーマン・ショックに行き着き、目下の世界恐慌の震源地になりました。今のアメリカは、メガバンクも家計も、企業も国家や自治体も、みんな莫大な負債に押し潰されています。そのためにドルの世界貿易の準備・決済通貨としての地位も大きく低下し、ドルに対する世界の信認は揺らいでいます。ドルに代わって、世界の主要通貨のバスケット方式で貿易を決済することも、議論され始めています。

この状況では、もうアメリカには、ドル防衛のために自由貿易をがなり立てる余裕はなくなっているように見えます。アメリカが梃子入れして、世界貿易の完全な自由化を意図して、1995年に設立された世界貿易機関(WTO)での協議も、自国の零細農民を保護せざるをえない中国やインドの抵抗で、暗礁に乗り上げたままです。とにかく今のアメリカには、かつてドル防衛の費用を日本に一方的に負担させたプラザ合意の当時のような勢いはなく、自分の家に火がついています。そしてその国内でも、国民生活の安寧と経済の再生のためには、自由貿易ではなく保護主義が必要という声が高まってきています。アメリカの覇権がこれほど弱体化すれば、ドル基軸経済システムを自由貿易という偽りの決まり文句で正当化する理由がなくなります。

日本にのみ通用する「自由貿易」

しかしアメリカがあまりこの言葉を使わなくなったのに、世界中、とりわけ日本では、「自由貿易」がまるで神のお告げのような言葉としてまかり通っています。なぜなのか。それはドル基軸システムのおかげで高度な経済成長を実現できたと思っている国々が、アメリカの凋落にもかかわらず、何とかこのシステムを建て直し存続させようとしているからです。アメリカの衰退、ドルの地位の低下という歴史の現実を無視したこの動きは、ほとんどカルトに堕した、経済成長信仰および過剰消費社会アメリカの生活様式を世界が真似るべき模範とする価値観と一体になっています。そして、この点でとくに悪あがきが目立つのが日本です。

この国の政財官界のエリートは、戦後日本は、アメリカのドルと核の傘の体制にうまく適応してきたおかげで、経済が高度に成長し、経済大国になれたと信じています。しかしその後、金融国家に変容したアメリカは、その貿易赤字とドルの揺らぎは日本の輸出攻勢が主な原因だとして1985年のプラザ合意で日本にドル防衛の費用を押し付け、その結果生じた日本の金余り現象はバブルの発生と破綻を惹き起こし、90年代以降の長期的デフレをもたらしました。それでもこの国のエリートは懲りていない。彼らは60年代の甘い生活がいまだに忘れられないのです。だから、60年代に出来上がった日本の政策から大きく方向転換し、アメリカとドルから自立することは、考えもしないのです。

アメリカの本音では迷惑な日本のTPP参加

目下、日本は、環太平洋経済提携協定(TPP)の交渉に参加するかしないかの問題で、大きく揺れています。日本では、TPPは日本の市場と資産を狙っているアメリカの圧力という見方が広まっていますが、私はこれは少し違うと思います。TPPは深刻化している失業の問題に積極的に取り組んでいる振りをする必要があるオバマの、来年の大統領選に向けた選挙対策です。経済的にはあまり意味がない政治的アトラクションです。ところがその国際交渉に日本が入ってくると大変なことになる。

TPPが実現すれば日本は関税自主権を失うだけでなく、健保など国民生活の枠組みになっている制度がTPP基準で改変されて、日本は別の国になってしまうでしょう。しかもそれでデフレ、震災、原発事故の三重苦に喘ぐ経済が立ち直る可能性はゼロです。だがアメリカにとっても関税がゼロになれば、実力は世界一の日本の製造業の高品質な部品や資本財がなだれ込んでくる。アメリカの衰退した製造業はTPPで日本に止めを刺される恐れがある。日米は相討ちで共倒れになります。

ですから本音では、アメリカにとって日本のTPP参加は迷惑なはずです。ただのアトラクションには入ってこないでほしい。ところがTPPをごり押ししている外務省や経済産業省の官僚は、60年代そのままの発想で、オバマの顔を立てて、アメリカにゴマをすっているつもりなのです。滑稽というしかありません。

国連やIMFなど戦後の国際秩序は大戦で勝利した超大国アメリカがつくりました。だがベトナム戦争やニクソン声明後、アメリカの影響力は衰えつづけ、今はアメリカはもう、国際世界の主役どころか急速に没落している国です。しかし日本の官僚は浦島太郎なので、その頭の中ではアメリカ中心時代がいまだに続いている。とんでもないことです。

19世紀と20世紀で違う貿易の意義

以上述べましたように、「自由貿易」は、アメリカ資本(大企業と大銀行)の巨大な利権になっているドル基軸経済システムを正当化する煙幕として使われてきた言葉です。だから「自由貿易が日本と世界に繁栄をもたらす」といった主張をする人は、アメリカ狸に化かされているのです。それでは、このシステムが崩れてきている中で、世界の貿易は今後どうなっていくのでしょうか。だがその前に、19世紀と20世紀では貿易の意義が違ってきたという問題を考える必要があります。

かつては貿易はいわば必要悪で、どの国も高い関税で自国の産業を保護育成することが普通でした。ところが、英国では産業革命のおかげで、有り余る商品を生産できるようになり、それを海外にも売りさばく必要から、自由貿易の名で「貿易はいいことだ」という議論が登場したのです。しかし、その英国でさえ、産業革命のエネルギー源の石炭は国内で自給していました。こうして貿易は、長らく国民経済の自給を補完する二次的なものにすぎませんでした。自由貿易の論理を徹底すれば、世界中の自動車と電子技術製品は日本が作り、例えばフランスはワインと香水だけ作っていればいいということになりますが、そんなことは現実にならなかった。

過剰生産を貿易で解決したアメリカ

ところが20世紀に入ると貿易は別の意義をもつようになりました。ダグラス少佐が社会信用論で分析したように、資本主義の工業経済には勤労者の所得不足=購買力低下とそれに伴う企業の販売不振=過剰生産の問題が付き纏います。この問題は富の再分配によって解決するしかありません。しかし大恐慌を経たアメリカは、この問題を分配ではなく、貿易によって解決しようとした。過剰生産の商品は海外に輸出すればいい、という戦略です。そこで戦後のアメリカは、ドルを基軸通貨とする世界貿易のシステムを作り上げた。こうして貿易は、アメリカの体制的矛盾を解決するという、政治的意味をもつものになりました。しかしその後アメリカは、厖大な商品と資本を輸入して生きのびる金融立国の国になってしまい、ドル防衛策もあれこれ講じたけれども、結局、ウォール街の金融も破産してしまった。

消え去るしかない世界貿易

世界貿易の胴元だったアメリカが最終的に破産し、中国などの貿易立国を可能にしてきたローンやクレジットに支えられたアメリカの巨大な消費市場も消滅してしまったのですから、戦後の「世界貿易」のシステムというものも今後は消え去るしかないのです。事実、リーマン・ショック以来、世界の貿易はどんどん縮小し続けています。市場の消滅、ドルやユーロの揺らぎに加え原油価格の高騰が海運業を苦しめており、恐慌は銀行の信用状を介した貿易の決済にも悪影響を与えます。目下はどこの国も輸出による恐慌の打開に空しい期待をかけていますが、売りたい国ばかりで買いたい国がありません。とにかくどこの国のエリートも、世界貿易の時代はあらゆる点から見てもう終わったという、明らかな現実を直視しようとしないのです。

アメリカ型浪費型経済の終わり

交易は人類とともに古く未開社会にも存在しました。しかし「世界貿易」はアメリカの世紀と言われる20世紀においてだけ、アメリカとそのドルの比類ないグローバルな影響力と、豊富で水のように安い原油を条件として成立した、歴史的に特殊な現象です。そしてこうした条件は消え去りつつあります。アメリカとドルが凋落すれば、それに代わる基軸通貨やエネルギー資源などない以上、世界貿易というゲームは終了するしかない。

これは「経済成長」というアメリカ的な幻想が消滅したことの必然的な帰結です。では貿易そのものはどうなるのか。例えば日本は、もうカレー粉の原料をインドから輸入することさえできず、カレーライスは食べられなくなるのか。いや、そんなことはありません。世界はたんに、ニクソン声明以前の、ある意味ではまっとうな状態に戻るだけです。

そこでは経済は国家主権の下にある国民経済になり、貿易は国家的自給を補完する二次的なもの、つまり本来の常識的な貿易に回帰することになる。この過程を、レーガン政権以来のアメリカ主導の世界経済の、いわゆるグローバリゼーションに対して、ローカリゼーションと呼んでもいいでしょう。これによってアメリカの世紀は完全に終わります。それと共に世界貿易を前提に貿易立国でやってきた中国や韓国のような国は破綻するでしょう。

その点日本は、GDPの輸出依存度がせいぜい10%台の内需経済の国なので、相対的に恵まれています。各国の御用マスコミは、世界経済がグローバル化すれば南の貧しい国も奇跡のように豊かになると宣伝してきましたが、今後のアメリカはインドのような貧しく荒廃した国になるでしょう。現にアメリカ国民の貧富の差はエジプトやイエメンより大きいのです。そして言うまでもなく、アメリカの世紀の終わりは、アメリカ的な資源浪費型生活様式の終わりでもあります。

現代経済は市場経済というのはデマ

次は、「現代の経済は市場経済」というのはデマだという問題です。旧ソ連が崩壊したとき、西側のエリートは「これは、国家に統制された指令経済に対する市場経済の勝利だ」と喧伝しました。ところが現在、市場原理の模範とされたアメリカを震源地として世界恐慌が発生しています。だから市場原理というものに問題があるのでは、と考える人たちが増えています。しかし旧ソ連の崩壊を見てきた以上、指令経済を肯定する気にもなれない。そのために経済の自由で公正な在り方ということをどう考えたらいいのか、途方に暮れている人が多い。しかし実は、指令経済か市場経済かというのは、偽のジレンマであり存在しない問題なのです。というのも現代の経済は全然市場経済ではないからです。

現代は銀行独占経済

世界の現状を見てみれば、市場経済などどこにも存在していないことは小学生でも分かるはずです。バブル破裂当時の日本でも、今のアメリカやヨーロッパでも、政府は無茶なギャンブルをやって破産した大銀行を納税者の公金で助けています。経済をギャンブルで破綻させて、世間にとんでもない迷惑をかけた張本人の大銀行が、その被害者に助けてもらうとは、前代未聞のスキャンダルです。そして市場経済なら、事業に失敗した企業は、法的に清算されて消滅するのがルールなのではありませんか。だから、倒産という厳しく苦い現実があるのではありませんか。ところが大銀行にかぎって、悪事をはたらいて破産しても、政府がかばってくれて、破産のツケを一般の人々に回せるのです。こんな市場経済がどこにありますか。

現代経済は、市場経済ではなくて、銀行による独占経済なのです。市場経済に不可欠な潤滑油である通貨の発行権を、銀行が独占している経済なのです。銀行マネーはどういうものでどんな問題があるかは、すでにインターネットで公開されている私の講演「生きるための経済」で説明してあるので、ここでは繰り返しません。

公益事業としての通貨発行を独占している銀行

通貨が過不足なく出回っていて、商品とサービスの交換が円滑に行われることなしには、市場経済は成立しません。その意味では、通貨の流通は市場経済にとって空気や水のように不可欠な、一種のインフラだといえるでしょう。してみれば銀行が通貨の発行権を独占している経済は、私企業が空気や水を独占的に販売していて、貧乏人は空気も吸えず水も飲めないで死んでしまう経済のようなものです。本来、経済のインフラとして、公益事業としてあるべき通貨の発行を、私企業にすぎない銀行がやっていて、その経営がおかしくなると誰にもカネを貸さなくなり経済は餓死する、ないし潤滑油がなくなってエンストする。それが現在の世界恐慌の原因なのです。

インフラ通貨から金融商品通貨への変容

通貨は市場経済のインフラということの実例は、第二次大戦後の世界経済です。この戦争に無傷のまま勝利し、比類ない超大国になったアメリカは、安定した世界市場を作り出すことを意図してブレトン=ウッズ体制を構築しました。この体制の下では金の価格は1オンス35ドルと定められ、例えば日本にとって1ドルは360円というように西側諸国の為替相場は、このアメリカが保有する金に裏付けられたドルの価値を尺度にして固定されました。

この場合、アメリカはドルを、商品の交換が円滑に行われる世界市場を成立させるための、一種のインフラ的通貨にしたわけです。もちろんこの体制は、貿易によるアメリカ企業の繁栄を狙って構築されたものではありましたが、通貨はあくまで交換のための手段でした。

ところが先述のニクソン声明によって、ドルは金の裏づけを失い、ドルをはじめとする各国の通貨は資本市場の信認によってその価値が決まり、それが絶えず上下する変動相場制に移行しました。通貨はたんなる交換手段ではなくなり、それ自体が商品に変わった訳です。こうして為替相場とか円高といった言葉が生まれました。そしてこれをきっかけに世界経済は金融化・虚業化しはじめ、その長期的な結果として今の世界恐慌が発生しました。

いわゆるグローバリゼーションなるものが意味しているのは、世界貿易の発展などではなく、経済の金融化・銀行化なのです。それは、産業が衰退したアメリカが、残された唯一の競争力のある商品であるドルを梃子に生きのびようとする戦略から生じたものです。そして、目下、そのドルの地位がどんどん下落しているのです。

マルクスの資本主義論の間違い

この戦後の世界経済の歴史を振り返ると、マルクスの資本主義論が間違っていることがよく分かります。マルクスにとって資本主義の要は、生産手段の私的所有と労働力の商品化です。しかし、私有財産とそれに基づく社会契約は特殊に資本主義的なものではなく、むしろ普遍的な文明化の原理というべきものです。

マルクスの議論を鵜呑みにして、そこらの食堂や商店まで国営にしてしまった共産圏の実情がどんなものであったかは、今更、説明する必要はないでしょう。そして、資本主義の根本的不条理は労働力の商品化ではなく、資本の商品化 ―― 利子が付くことで貨幣が商品になり、それによって経済が動いていることなのです。そして、この資本の商品化は銀行が独占しているビジネスであり、国家が公認している銀行券以外の通貨をつくる者は偽札を製造した罪で厳重に処罰されます。

しかし、交換手段としての通貨はいわば社会資本なのであって、商品化されてはならないのです。通貨は市場経済のインフラなのだから、国民経済の規模に見合った通貨を過不足なく流通させることは、国の公益事業であるべきなのです。これは自治体の水道局が公益事業として家庭や企業に水を供給していることと同じです。ですから、恐慌や激しい景気変動のない、安定した自由で公正な経済を実現するためには、銀行券を国が管理する公共通貨ないし政府通貨に置き換える必要があります。もちろん、通貨の発行=信用の社会化は、企業間の規律ある競争を排除するものではありません。

議会制と政党政治化では党派マネーになる政府通貨の問題

ところがここで、二つの問題が出てきます。

まず第一に、現在の議会制と政党政治という国政の枠組みの下では、政府通貨は選挙に勝って与党になった政党の党派マネーになってしまうでしょう。それはその党の票田を優遇する徹底的な利権バラマキ政治の道具になり、ひどいインフレが発生するでしょう。ゆえに議会制民主主義と称している体制が存続するかぎり、公共通貨の発行は不可能です。

ただ、私の見るところでは、世界に唯一その気になれば政府通貨を発行できる国があります。それはスイス連邦です。スイス人はたとえ議会にでも権力が集中することを警戒します。そのためスイスでは、様々な形で議会の権力は相対化され、抑制されています。

例えば政府の構成では、選挙結果がどうであれ、すべての主要政党が入閣することになっていて、与野党の区別がなく、議会が政党間の政権争奪戦の場になることが予防されています。大統領や議会の長老は持ち回りで就任する名誉職であり、カリスマになる恐れはありません。そして、カントン(邦)の自治や、国民投票による直接民主主義によっても議会の権力は相対化されています。スイス連邦は中央集権の要素が全くない、自治体連合として成立している国と言えるでしょう。

こういう体制なら、政府通貨を発行してもそれが党派マネーになってしまう恐れはありません。もっとも、スイス・フランの高騰という悩み以外には経済的に安定している国なので、今のスイスにそうした動きはありませんが。それゆえに、日本の国家体制をスイス型の自治体連合国家に近いものに変えれば、公共通貨の発行は可能になるというのが現在の私の見解です。

民間需要に社会信用論はどう対処するか

それから第二の問題は、信用が社会化された世界で、民間の資金需要にどう対処するのかという問題です。自治体連合国家において、国家予算自体が市民の参加によって民主的に編成されるという、理想的な状況を仮定しましょう。その場合、信用が社会化されている以上、企業への融資も市民の承認が必要になる。だから、資金は、市民生活に深く関わっている企業に、優先的に融資されることになるでしょう。そこまではいい。だが問題が出てきます。例えば全く新しいタイプの事業を起こそうとする人、あるいは少数の人にしか価値が分からない学術書を出版しようとする人への融資はどうなるのか。こういう融資を大多数の市民が承認してくれるでしょうか。市民が容易に承認するのは、最大公約数的な資金需要にかぎられるでしょう。これは、かつて自由主義者のJ・S・ミルが論じた、「多数者の専制」という問題です。つまりデモクラシーを徹底すると、それが全体主義にひっくり返ってしまうという問題です。

しかし実はこの問題は存在しません。銀行マネーが問題なのは、銀行がそれを私的に無から信用として創造して、利子付き負債として販売することにあります。様々な民間の資金需要を充たす民間の金融業が存在することは、何ら問題ではないのです。資金を貸したい人と借りたい人を仲介して、その手数料で営業している金融業なら、銀行のように「金が金を生む」トリックをやっている訳ではありません。そういう業者は、すでに流通している通貨量の枠内で通貨の使い手を変更しているだけなので、銀行による信用の創造のように経済を撹乱する恐れはありません。ただ、融資の際に利子を付けると銀行に似てくるので、仲介の手数料だけで営業してもらう必要があります。そうなると、利子をとらないイスラム銀行の例が有る程度まで参考になりそうです。その場合、業者は利子をとらない代わりに、融資した事業が成功したら、その収益を融資先と折半ということがあってもいいでしょう。そういう利得が許されているなら、業者は様々な事業に積極的に融資するでしょう。

イスラム銀行に学ぶ

ただ庶民はこういうイスラム風銀行に預金しても、それには利子は付きません。では銀行は資金集めに苦労するのではないか。そうでしょうか。今でも、庶民が預ける程度の額の預金に付く利子など、ATMの使用料にもなりません。銀行は、自分が借りるときには徹底的にケチなのです。そして大部分の人は預金に付く利子など当てにせず、支払いの便宜などから銀行を金庫代わりに使っているだけでしょう。ですから、イスラム風銀行が、とくに資金集めに困るということはないはずです。

公共通貨とベーシックインカムの相互関係

そして最後に、ベーシック・インカムは公共通貨によってしか実現できないし、また経済の安定と均衡という点では、公共通貨の最も有効な使い方であることを強調しておきたいと思います。というのも、全世界的に近代の租税国家は崩壊しつつあり、どこでも緊縮財政が経済をさらに収縮させている現状では、税収を財源にしたベーシック・インカムは逆立ちしても不可能だからです。ギリシャやイタリア、スペインをはじめとする各国の財政破綻の原因は、やはり銀行マネーです。ドルが金の裏づけを失って以来、各国の国債が先進諸国の大銀行にとって最大の金融資産になりました。そのせいで現在、そういうメガバンクのマネーゲームが原因の破綻が、直ちに租税国家の崩壊を惹き起こしている訳です。目下の世界恐慌は、国際金融資本のもはや回復不可能な破綻と、工業経済の唯一のエネルギー源である原油の生産が先細りという、二重の危機が重なって発生しています。ですからこの恐慌を打開するには、結局、国家体制を全面的に転換させて、銀行マネーを社会的に管理される公的信用に置き換えるしかありません。そのような利子と負債から解放された経済は、エネルギー不足でゼロないしマイナス成長になっても安定と均衡を保つことができるでしょうし、銀行に負債を利子付きで返済するために、やむを得ず資源を浪費し、環境を破壊する必要もなくなるでしょう。ただし信用の社会化がその効果を最大限に発揮するには条件があり、それは政府通貨がベーシック・インカムを保証するために使われることです。

 

第2部終了

関曠野さん講演録「ポスト3.11日本の将来を考える」第1部

関 曠野 講演録

3.11以後

― 原発事故をくぐった日本の将来を考える ―

2011年9月24日(土)東京都内にて開催

講演者:関 曠野

※ 本講演録は、当日の記録に関さんの加筆訂正を加えてあります。特に「経済問題」を扱った第二部は、現在の社会状況にあわせて全面的に書き直していただいたものです。

第一部:国土風土に根ざした思想を再考する INDEX

  1. 原理的矛盾をかかえる原発
  2. 生命進化の論理を全面否定する原発
  3. 疫病とみるべき原発事故
  4. 平和と人道に対する罪としての原発
  5. 反原発運動は、科学を人間の不可能性証明としてみる運動
  6. 震災と原発事故の歴史的意味を考える
  7. 日本人のふるさとへの想い
  8. 「国土」というとらえかたの欠如
  9. アメリカ追従の原発政策を進めた日本の理由
  10. 国土風土に根差した思想を再考する
  11. 死を受け入れる日本の思想
  12. 完全に安全なシステム vs 諸行無常
  13. 文明人の名に値する日本人
  14. 神道と仏教にみる日本人の思想
  15. 美しいものは儚い、儚いものは美しい
  16. 梅から桜への感性の変化
  17. いま、必要な行為の美学
  18. 美の伝統を代表する京都
  19. 「東京時代」の終わりの始まり
  20. 文化的首都としての京都
  21. 藩校のなかった京都の意味
  22. 薩長クーデターによる京都の危機
  23. 京都の市民がつくった「番組小学校」
  24. 町衆がリードした開国に即応した教育システム
  25. 福沢諭吉の影響
  26. 国際法を小学校一年で教える
  27. コミュニティセンターとしての番組小学校
  28. 京都再生プロジェクト~~琵琶湖疏水
  29. 日本人の力で工事を進める
  30. 環境を良くする「地域開発」
  31. 地域エネルギー源としての蹴上発電所
  32. 都市計画のモデルとしての京都
  33. 使い捨て文化と対極の日本の伝統
  34. 第二部:「ポスト・ドル基軸通貨時代の日本社会を問う」へ

原理的矛盾をかかえる原発

関 曠野さん

話し手:関 曠野さん

1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。

どうも、今日はお忙しいところを私のお話を聞きにいらしてくださり、ありがとうございました。関です。

最初から単刀直入に話をしますと、私は1970年代から一貫して反原発派でした。その理由は非常に単純簡単、中学生でもわかるような理由です。ひとつは核反応というのは非ニュートン的現象であって、それをニュートン物理学の枠内の技術でコントロールすることは原理的に不可能である。ザルで水をすくうような事である。この原理的矛盾は、技術の改良とか安全の多重化ということによって解消できるものではない。

生命進化の論理を全面否定する原発

次の問題は、原発事故が起きた場合の放射能汚染というものをどうとらえるかという問題です。皆さんご存じの通り46億年前に地球が誕生した時、地球は放射能の塊であって、しかも宇宙から強烈な放射線が降り注いでおりました。

それが長い間かけて地球の物質的組成が変わって、生命の隠れ家となるようなエアポケットみたいなものが出来て、水が出来て、植物が生まれ、光合成が始まり、地球は緑の星になって行ったわけです。その中で生命が生まれて進化してきた。ということは、ウランを掘り起こしてエネルギー源に使うということは、地球を46億年前の状態に戻すことになる。そして生命進化の論理を全面的に否定することに等しい。だからこれは、原発事故というものを交通事故と比較して、死者の数が多い少ないなんていう問題じゃない。生命進化の論理の否定になるから。

疫病とみるべき原発事故

だからどうなるかというと、まずは直接すぐに癌や白血病で死ぬ人は少ないかもしれないけれども、長期的に生命を蝕むし、DNAが傷つけられて何が起こるか分からないし、しかも被害は成長期の子どもに集中します。さらに人々の住処が根こそぎ破壊される。つまり、水と土地と植物が汚染される。放射能が長期的に人間をむしばむという点で、原発事故を惨事と呼ぶのは間違っていると思います。むしろこれは、ペストとかコレラとか疫病みたいなものと考えるべきだと思う。とすると、福島原発でメルトダウンがはっきりしてきたときに、当然、事態を疫病と同じように考えて、福島県内の子どもと若者は全部県外に避難させるべきであった。それをしなかった。やる気になったらできたのに。原発事故が起きたら、それはもう、すさまじい疫病みたいなものなんだという認識がない。単なる普通のニュートン物理学の枠内のリスクの事故だと思っている。これは根本的に間違っていると思うわけです。

平和と人道に対する罪としての原発

そういう意味では、ウランの本性からすると核兵器と言う形で徹底的な破壊に使うのは、正しいと言うと語弊があるけれども、ウランの本性にかなった使い方ではあるわけですね。これを日常的なエネルギーに使うということは、毒薬を毎日の常食にする様なもので、これはとんでもない話です、放射能の危険ということでいうと、原爆よりも原発の方がよほど危険なんです。だから、未だに国連が原発に肯定的なことは、本当にけしからんことで、原発というのは平和と人道に対する罪で起訴していいものだと思っております。

反原発運動は、科学を人間の不可能性証明としてみる運動

それから反原発運動ですが、政府や東電は反体制左翼運動みたいに思っていたらしいけれど、そういうものではない。根本にあるのは科学についての考え方ですね。科学を知的活動と考えるか、それとも人間が空を飛んだり地球の裏側に情報を送るような事を可能にする魔法みたいなものと見るか。成果だけ見て、魔法のようなものだから商売になると、科学を商売ネタにする。私はね、科学を産業に応用して商売にすること自体には反対しません。

でも、産業に応用する以上は、知的活動としての科学というものを尊重してもらいたい。知的活動として科学を尊重すると、科学は決して魔法じゃなくて、むしろどちらかというと、人間にとっての絶対的な限界とか不可能性というものを証明するものなんです。

つまり1+1は絶対に4にはならないという。科学というのは、そういうきわめて厳しいものなんです。その科学が証明する限界や不可能性の内に、人間は核エネルギーをコントロールできないということも入っています。ですから科学のとらえ方をめぐる争い、それが電力会社と反原発派との争いになったという風に考えております。

震災と原発事故の歴史的意味を考える

私は反原発派として、福島原発の破局を許してしまった事を痛恨の極みと思っております。しかし今日の話としては、原発をやめて再生可能なエネルギーで日本の電力を賄えるかどうかといった問題は、私なんかよりもずっと適任の方が一杯おられます。そういう話じゃなくて、私自身は自分を在野の歴史家と考えておりますので、この震災と原発事故は歴史的に言って、どういう意味で日本の分岐点でありうるだろう。どういうふうに歴史的なパースペクティブで捉えることができるだろうかということで、私なりの考え方を申し上げて、皆さんに問題提起したいと思います。

日本人のふるさとへの想い

まず言えることは、この震災と原発事故を第二次大戦と敗戦の経験にたとえる人がおりますけれども、これは違うと思うんですよ。

第二次大戦の敗北したあの時にはまだ、「国破れて山河あり」と言ういい方ができた。

我々は原発で福島の山河を失ってしまった。その一方では、あれだけのすさまじい震災津波に見舞われても、大半の三陸の人々がこんな危ない所に住むのはやめたといって故郷を捨てるということがない。あれだけ危険に見える土地でも故郷の山河を愛して、何とか歯を食いしばって町や村を復興しようとしている。これは日本人だけではもちろんないんでしょうけれども、日本人にとってのふるさとへの想いというのはこれほど強いものかと、改めて感動しました。これも我々が日本の将来を考える上でのひとつのヒントであろう。

「国土」というとらえかたの欠如

ところで原発事故は、ちょっと大げさな言い方をすると、明治以来輸入技術で工業化してきたそういう日本の近代の破局と見ていいのではないか。しかし一方では、東北の人々を見ると日本人は国土への愛情を失なっていない。むしろ深まっている。そのことを考えなくてはいけないと思うんです。そう見ると戦後の日本人の問題点は、国土というものをあまり考えなかったことではないか。自然保護を言う人でもエコロジーとか環境とかとか抽象的な言葉を使ってきたので、ふるさとや国土という捉え方をどれだけしてきたか、そこに色々問題があったんじゃないか。

アメリカ追従の原発政策を進めた日本の理由

例えば今世界で原発大国と言うとアメリカがトップ、フランス二番目、日本三番目ですけれども、アメリカはそれこそ科学をビジネスにしてきた国ですから、だから原発大国になり原発商売をやる。フランスの場合ですが、ここはとにかくアメリカに左右されるのは嫌だと。アメリカから自立してフランスの栄光を追求したい、そういう意識が強い。原油市場は大方アメリカ資本が握っているから、原油を使わないですむように原発を推進して、それでエネルギー的に自立すればアメリカと喧嘩できるようになる。そういう発想で原発大国になっているんだと思います。そういうフランス流の国家主義がかなり背景にある。だから各国の原発事情は一様じゃないですね。

日本の場合はフランスと反対なわけです。アメリカべったりな所から原発大国になった。ご存じのようにジェネラルエレクトリックとかウェスティングハウスとかアメリカ製を導入してきた。地震銀座の日本の国情に合わないアメリカ製原発を動かしてきた。

じゃ、なんで、日本がこんなにアメリカべったりで、アメリカ直輸入の危険な代物を建設してきたのか。これはやはりですね、日本を負かしたアメリカという国の力の秘密をものにしよう、アメリカナイズしようという発想が、企業や政府だけではなくて国民にもあって、それが日本を原発だらけにしてきたのではないだろうか。そういうパワー崇拝みたいなものがあったんではないか。

国土風土に根差した思想を再考する

とにかく戦後の日本人は国土とか風土とか国柄とか、そういうことをあまり考えなくなった。かつての日本の好戦的排他的民族主義、これはよくないです。それがよくないというあまりに、国柄とか風土とかとかを論ずることが排外的民族主義みたいに思われてきたので、そういうことを考えない、議論してこなかった面があり、それが日本の国土風土にそぐわない原発がやたらにある現実を生んできたのではないか。

原発事故は人災ですから一般日本人が反省する必要はありませんが、国柄とか風土についてあまり考えてこなかったことは、日本人全体が反省すべきではないかと思っております。

国土、風土の違いはある程度まで思想と文化の違いになってくる。日本の国土風土に根差した思想や文化とはなんだったのか考えなおし、それを国造りの基本にして行くことが今後必要になってくると考えています。

死を受け入れる日本の思想

例えばその風土の違いで言うと、死ぬことについての考え方。これも日本と中国やヨーロッパとは違うと思います。例えば、キリスト教では前の世紀ぐらいまで、長い間、霊魂の不死というプラトンの説が教義になっていました。そしてキリスト教会は、例えばキリストの復活を信じれば永遠の生命が得られると言いますし、中国の場合は、道教では不死の仙人になることが理想とされます。

ところが私自身の知る限り、日本の歴史上、不死ということを懸命に探求した思想家とか作家はひとりもいないようです。日本人は死を受け入れているという感じです。

日本の子ども向けアニメがアメリカのテレビで放映されることがありますが、幼児向けアニメでも主人公や登場人物が死んだりする。アメリカではそれは困るということで、死ぬ場面はカットされたりするそうです。日本では、子どもでも人が死ぬシーンを見ても、そんなものかと思っている。死に方にしても、永遠に生きたいと思っている日本人は稀でしょう。むしろ、「きれいな死に方をしたい。みっともない死に方をしたくない」と思っている人が大半ではないでしょうか。

完全に安全なシステム vs 諸行無常

このヨーロッパ的な不死の追求は、同時に安全の追求になります。とにかく完全に安全なシステムを追求しようとする。ヨーロッパ哲学のロゴスというのも、確実な真理に確実に到達する方法として追求されてきました。

様々な社会システムも、とにかく安全ということを非常に重視して作られる。そしてこれだけ安全なんだから、ちょっとヤバい事やってもいいだろうというので、銀行のマネーゲームをやったり原発を作ったりする。根本には、人間は完全に安全なものを構築できるという信仰みたいなものがある。日本人の場合は、どうも違うんじゃないか。どちらかというと、死とか流転とか滅びというものを悟って受け入れるのが日本人の特徴ではあるまいか。諸行無常と言うことですかね。「ゆく川の流れは絶えずして」という感性です。

しかもこれは決してペシミズムとか無力感を意味していない。そういう無常感を、仏教の教義を知らなくても、日本人は感性として知っている。それが打たれ強さという強みになっているのではないか。今回の震災でも、東北の人々はあれほどのすさまじい震災津波に直撃されながら、礼節も他者への思いやりも失わなかった。これは世界を驚かせました。

文明人の名に値する日本人

今でもインターネット上では、日本人は世界でもっとも文明人の名に値する人々、”the most civilized people on earth”という外国人のコメントをよく見かけます。

大きな代償を払ってるんですけれども、今ほど日本人の評価が高かったことはないと思います。もちろん日本人は災害慣れしていることもある。だがそれ以上に、日本人には、普通の庶民でも災害に対する心構えができていると言うべきでしょう。安全をいくら追求しても完全な安全などあり得ないと思っているので、むしろ非常事態の中でも平常心を保てる心構えが肝心だと考える。そこが日本的なんじゃないか。そしてこれはやはり日本の風土に根ざしている。原発を絶対に安全と信じて災害多発列島につくる愚行は、本来の日本文化の体質から出てくるものではなくて、やはりアメリカかぶれから出てきたものでしょう。

神道と仏教にみる日本人の思想

それで改めて考えてみますと、日本の宗教の一番初めは神道です。神道はご存じのように人生を底抜けに明るく肯定する宗教です。

しかし日本でも次第に文明が発達して、人々が個人としての悩み苦しみ死の恐怖といったものを知るようになってくる。そこで日本人は伝来した仏教を学んだ。だから奈良や京都はお寺だらけなわけですが、しかし日本人は結局神道の底抜けに明るい人生の肯定を捨てなかった。ただ仏教が入ってきたことによってそういう肯定は条件付きになった。つまり人生は明るく素晴らしい楽しいものだけれども、同時に移ろいゆく儚いものである、そういう認識を条件として人生を肯定する。これが、特定の思想家というよりも、日本人全体が漠然と感じて身に着けている思想ではあるまいか。

美しいものは儚い、儚いものは美しい

そして物事のはかなさ、うつろいやすさを自覚していることは日本人の強みであると私は思います。そこから出てきたのが、美しいものは儚い、そして儚いものは美しいという美学です。そういう意味では日本人の美学と言うか美的感覚は、仏教の教義を知らない人でも仏教に大きく影響されているように思います。仏教に影響されて美しいものは儚い、儚いものは美しいと感じる感性が生まれた。そこには人生を肯定するけれども、同時に死と滅びと言うものを受け入れているところがあると思います。

梅から桜への感性の変化

その典型な例が、平安時代に日本人が最初は梅を愛でていたのが、桜を愛でることに変わった事です。平安時代の貴族は舶来崇拝で、唐の文化にかぶれていましたから、唐のまねをして梅を愛でていた。それが平安時代の間に遣唐使廃止などもあったんでしょうけれど、桜を愛でるようになった。もっともこれは、日本土着の伝統に戻ったということだと思います。

昔から日本の農民は、桜が咲くと山の神が田に下りて来て田植えを始めろという合図をしたのだと考えていた、ですから昔から農民は桜を愛でていた。

平安貴族も唐かぶれはやめて、日本の土着の桜を愛でる伝統に戻っていったのです。ただし、そこには仏教の要素が混じってきて、儚いものの美しさを咲いては散っていく桜が代表することになった。

いま、必要な行為の美学

そういう点では今どきは、原発事故や震災で日本経済がどうなるという経済の話ばかりですが、むしろ今の日本に必要なのは美学ではないか。これは美しいものを作るとかデザインがどうとかというだけのことではない、人間の行為にも美学があるので、東電の態度は見苦しい、醜いという、美学が必要なのではないか。そういう行為の美醜は、人間なら誰だって感ずることです。そういう意味の美学を再評価する時代が来ていると、私は考えております。

美の伝統を代表する京都

今日の講演には日本の将来と言うタイトルがついていますけれども、変な未来学みたいなものを論じるつもりは全然ありません。それよりも、温故知新ということで、過去の日本を振り返ってみる事の中から将来のヒントが出てくるのではないか。過去のヒントということでお話したいと思います。

ところで、日本で長らく美の伝統を代表してきたのは、京都という都市でした。江戸時代でも、江戸は単に将軍がいただけの政治の中心であったにすぎず、日本の事実上の首都は京都でした。それが明治維新のせいで京都から東京に首都が移ったことが、どれほどこの国の相貌を変え文化を変質させてしまったことか。日本文明の原理が美学から経済学にまるごと変わってしまったのです。

「東京時代」の終わりの始まり

明治以降の時代は、明治・大正・昭和・平成と元号で区分されています。しかし日本史では、時代は、江戸時代とか鎌倉時代とか権力中枢の所在地で区分されています。この区分からすると、明治以降の日本は「東京時代」ということになります。

そして私は、今回の原発事故をもってこの東京時代の終わりが始まったのだと考えています。東京的なシステム、東京的な価値観、東京的な政治、それが原発を作ってきた一方、東京のGDP信仰は三陸地方を切り捨ててきました。それがどん詰まりに来ていたところで、福島原発の破局がドカーンと全てをぶっ壊してしまった。ただ、東京時代の終わりがどう形をとり、その帰結はどうなるのか、それは誰にも予見できませんが、とにかく私見では東京時代の終わりが始まったのです。

文化的首都としての京都

そうならば温故知新ということで、平安時代から江戸時代までずっと日本の首都であった京都とはどんな町だったのか、もう一度考え直してみてもいいのではないか。

まず江戸時代ですが、我々は学校で当時は武家の天下だったと習います。しかし文化的首都は相変わらず京都であって、それを皇室が守っておりました。皇室が京都の守護神みたいになっていたので、武家の力は京都には及ばなかった。皇室が京都文化の武家に対する防波堤になっていたのです。

藩校のなかった京都の意味

だから、武家が支配する藩だったらどこにもある藩校が、京都にはなかった。その代わり、多種多様な学校がありました。今で言うフリースクールです。ですから江戸時代と言うのは実は二重構造になっていて、武家の権力は江戸にあるけれども文化は京都という構造でした。そして上方という言葉が示すように、関東より関西が格が上ということは当時の常識でした。

薩長クーデターによる京都の危機

しかしこの京都の地位が明治維新のせいで変わる。薩長が自分たちがクーデターで奪取した権力を正統なものに見せかけようとして、拉致も同然に皇室を強引に江戸に遷した。そして、日本では天子のおはします土地は「京都」と呼ばれるべきだったので、江戸を東の京都を意味する「東京」というでっちあげた名称に変えた。江戸城も「皇居」に変えた。

この遷都は京都にとっては大打撃だったわけです。京都のいわば看板だった皇室がいなくなってしまった。それだけではない。京都の伝統産業の顧客だった公家や皇室がまとめて東京に行ってしまい、京都は都市としてほとんど死にかけた。40万あった人口が20万台にまで減り、そのままだったらたぶん、美しい古都の京都は消滅していました。寺社仏閣も荒れ果て、京都は侘しい田舎町になってしまったでしょう。しかしそうはならなかった。なぜそうならなかったのか、これからお話したいと思います。

京都の市民がつくった「番組小学校」

時代の激変に対処するために京都の人たちは色々な事をやりましたが、そのひとつが教育改革でした。新しい京都市民を作る教育改革をやる。もうひとつは地域開発。京都を近代的都市に作り変える地域開発をやる。

教育改革ですけれども、これは番組小学校という江戸時代の寺子屋と全く違う近代的な小学校を早くも明治二年に市民の力で実現しました。明治初年の日本ではどこでも、オカミによる学制改革で文部省が通学を強制するは、それに民衆は反発して学校を焼き討ちにするは、という騒ぎでした。その中で京都だけは、明治5年に文部省が学制を実施する前の明治2年に、市民が財源も負担して、地元の力でどんどん学校を作っていったのです。

町衆がリードした開国に即応した教育システム

この番組小学校の設立は、東京遷都がもたらした危機には直接の関係はありません。京都にはかねてから町衆による自治の伝統がありました。応仁の乱で公家と武家の双方が勢力を失ったために、京都では町衆による市民の自治が発展しました。幕末から開国時期にかけて、その町衆が、日本も開国したのだから新しい時代に即応した教育システムで京都を活気付けようと考えたのです。明治維新前後には、京都には、町組という地域的自治組織がありました。それが番組という、通しナンバーのついた名前に変わった。60幾つかの番組があったのですが、基本的に1番組(1地域)ごとにひとつの小学校を作ることにして、明治2年にすでに64の小学校を設立しました。この計画は町衆がリードし京都市も助成、京都の富裕層も寄付しました。

福沢諭吉の影響

町衆の自治の伝統があったから、こういうことが出来たのだと思います。財源的には、子どもがいない人も地域のためということで、所得に応じて学校運営費用を負担し、それで集まった資金で金融会社を作って、その利子収入で64の小学校の運営費を賄いました。

町衆がこの教育改革に乗り出したきっかけは、福沢諭吉の影響です。福沢諭吉の著作を読んで、日本の開国に応えて京都も変わらねばいけないと考えたということです。「小学校」も諭吉が使った言葉です。

国際法を小学校一年で教える

学校でどういうことを教えたかというと、普通の国語算数音楽体育などを教えたんですけれど、日本は開国したのだからと小学1年生に国際法を教えました。それから京都の伝統工芸を守り育むような人材が必要ということで、書道と日本画を教えました。おかげで番組小学校からは北大路魯山人とか、様々な京都の美術工芸に貢献する逸材が輩出しました。

ほかに面白いですが、カリキュラムに「修身」というのがありますが、これは公衆衛生の勉強のことです。

コミュニティセンターとしての番組小学校

しかも、この学校は市民が自腹を切って作った学校なので、単なる学校というよりもコミュニティーセンターみたいなもので、ある程度の役所の機能があり、それから校舎は2階建てなんですが、見張り塔が上にあり、火事が起きたら知らせるという消防署の役割も果たしていた。それから町会所、町の寄り集まりにも使われました。

コミュニティーセンターを兼ねる小学校という伝統は今でも京都に残っていて、小学校の中に消防の倉庫があったりする。また番組小学校以来、京都では、学区は単なる文部省が指定した通学区のことではなく地域の自治組織でした。学区は独自財源を持って、学校の運営費を負担し、その分だけ学校の在り方に責任を負う。1941年の国民学校令が出て潰されるまで、そういう市民の自治組織でした。京都の町には今もそういう地域自治の伝統があって、町内会単位で運動会なんかもやったりする。

京都再生プロジェクト~~琵琶湖疏水

もうひとつ、京都再生のプロジェクトとして教育改革に並んだのは、琵琶湖疏水の計画です。これは要するに、琵琶湖の水を山を穿ってつくった水路で京都にもってくるという大工事です。

これは明治18年に始まって27年までかかった工事でした。当時の京都に北垣という知事がいまして、見識のある立派な人だったようです。この人が東京遷都のせいで京都が衰退していく様を深く憂いていて、どうしたら京都を再生させ新しい京都を作れるか思案していました。その時、東京帝国大工学部の学生で、旧幕臣の砲術家の息子の田辺朔郎という若者が学内で書いた、琵琶湖の水を京都に引くことが可能であるという論文がこの知事の目にとまったのです。それで知事は、この田辺に白羽の矢を立て、琵琶湖疏水という大プロジェクトに着手したわけです。

日本人の力で工事を進める

このプロジェクトは現在の金額で一兆円必要だったのですが、これは京都市民が特別税で負担しました。そして若干21歳の田辺が、日本史上空前の大プロジェクトの総指揮をとりました。当時の事ですから、こういう事業は大抵外国人の助言者を迎えて、外国人エンジニアを雇ってやるのが普通でした。しかし琵琶湖疏水の工事は日本人だけでやり、建設資材もセメントとダイナマイト以外は全部国産でした。当時はブルドーザーなど無い人力工事の時代だったので、琵琶湖から京都まで山を穿って水路をつくる工事は大変だったようです。

工学を勉強しながら工事を進めたそうで、夜に工学の勉強をして次の日の昼にそれを応用とか、そんな形で疏水を作っていきました。そして9年後の明治27年に疏水は竣工しました。その時、京都市民は大文字を焼いて、祇園まつりの山車を総出にして祝ったそうです。

環境を良くする「地域開発」

この琵琶湖疏水で注目したいのは、これは地域開発が環境を保護、むしろ良くする、環境や景観を破壊しない地域開発もあるという例になっていることです。我々は地域開発というと環境破壊や景観破壊とかすぐそう思いがちなのですが、とにかく琵琶湖疏水によって、これ以降、京都は二度と水不足に苦しむことがありませんでした。

さらに、伝統工芸や新興工業にも潤沢に水が供給され、京都の緑はさらに濃くなり、環境破壊どころか、哲学の道とか、疏水沿いに新たな名所が生まれました。

地域エネルギー源としての蹴上発電所

さらに特筆すべきことは、琵琶湖と鴨川には40mの水位の落差があるのですが、この差を利用して発電所を作りました。この蹴上(けあげ)の発電所は現在なお現役です。この発電所が京都に電力を供給したので、もちろん電灯は灯り、西陣織の製造にも電力が応用され、さらに京都は日本で最初に路面電車が走る町になりました。このおかげで、京都はまもなく企業と工場の数で東京と大阪を抜くに至りました。ここでひときわ印象深いのは、こうして京都は地域のエネルギー源を持つことができたために、中央政府や外部の大資本に食い物にされずにすんだことです。おかげで京都独自のペースで都市の近代化を進めることができた。これが中央政府と大資本に食い荒らされていたら、どんな京都になっていたことかと思います。京都の例は、地域の戦略としてのエネルギー問題の重要性を示すものです。

都市計画のモデルとしての京都

他にも京都の人は様々な試みをしましたが、何よりも番組小学校による教育改革、市民自治を原則とする教育改革、および琵琶湖疎水によって、一時、衰退しかけた京都は見事によみがえりました。ですから、美しい古都京都は自然に存続してきたのではありません。この京都の再生の物語はおそらく、日本の近代史の中でもきわめて注目すべき出来事ですが、なぜか教科書には載っていません。もう天子がいない京都は観光名所にすぎないからでしょうか。

それにしても、この京都の再生は、同じ明治時代に起きた栃木県足尾銅山の悲劇とは、あまりにも対照的です。もしも、近代日本の都市計画や地域開発が京都をモデルにしていたら、チッソの水俣病も福島原発の事故もなかったかもしれません。何でも京都のまねをしろとか、京都だけがエレガントで素晴らしいと言っている訳ではありませんが、やはり京都の例は学ぶに値するものではあるまいか。ところが日本ではどこでも、東京というモンスターが都市計画や開発のモデルになってきました。例えば原発の地元の自治体は交付金で東京をモデルにしてハコモノをつくり、それで文明化した気でいる。こういう愚行はもういい加減にやめるべきです。そして地域の市民自治に基づく開発、都市計画ということでは、やはり京都はモデルであろう。さすがに平安時代からの都、京都はだてに都であったわけではありません。

ところで京都の下京区には、学校歴史博物館という、この番組小学校を記念した当時の校舎をそのまま使った、こじんまりとした博物館があります。それから左京区には琵琶湖疏水記念館があります。みなさんも京都に寺社仏閣巡りに行かれた折には、ついでにこういうところにも足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

使い捨て文化と対極の日本の伝統

この京都と東京を比べると、日本の首都が京都から東京に遷ったことの意味がいかに大きいかを感じざるを得ません。東京の価値は何かというと、それはビッグということではあるまいか。とにかく大きいことに価値がある。大日本帝国。戦後は経済大国と大企業。これに対して京都の価値は、ビューティフルということでしょう。

京都の人の生き方は今でもそうですけども、とにかくあの狭い盆地に大きな豪邸なんて建てたってしょうがない。だから、質素だけど趣味のいい暮らしをするというのが京都人のライフスタイルであり、しかも実は、昔の日本人は皆そのような生き方をしていたのではないでしょうか。京都は狭い所にごちゃごちゃ人が住んでるから、東京みたいな郊外型の巨大スーパーなんて作りようがないです、だから未だにアーケードの昔ながらの商店街です。京都には首都圏みたいな広いスペースもないし、豊富な資金もないけれど、その中でいろいろ心地よく暮らす工夫をしてきました。ですから例えば、京都名物の町屋は、外気を遮断してしかも通風がいいという、省エネ住宅の傑作です。そして京都は西陣など呉服の一大産地ですが、良質な和服は高価です。しかし生地の持ちがよく、ほぐして縫い直せるので、お婆さんから娘からその孫にまで代々受け継いでいけます。本来日本の伝統はそういうものだったのではないか。日本人ほど、本来は使い捨て文明とは反対のことをやってきた民族はいないのではないか。

 

第1部終了

後半は、世界の動きを視野に入れた通貨・経済論を軸に展開する第二部です。 あわせてお読みください。

関曠野 講演録「3.11以後」第2部