スイス「通貨改革プラン」スイス憲法改正案

約一年後に国民投票予定の「スイス通貨改革プラン」のスイス改正憲法案を送ってくださった佐々木重人さんからの情報です。重要なものだと思いますので、ここにご紹介いたします。

「債務に拘束される」量的緩和政策ではなくて、公的な目的のために通貨発行をするということです。

これに関連する英語版HPは以下です。

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

また、佐々木さんのブログは以下です。

http://natural-world.info/blog-entry-2.html

佐々木さん、ご紹介ありがとうございました。

~~~~~~~~ 以下、はりつけ ~~~~~~~~~~~~

  • 連邦憲法は、以下のように改訂される

    第99条 貨幣政策と金融サービスの規制

    1 連邦は、経済に貨幣と金融サービスが提供されることを保証する。経済的自由の原則から逸脱する可能性がある。

    2 連邦だけが、硬貨、紙幣、帳幣の形で法貨を創造することができる。

    3 スイス国立銀行の法令に準拠している場合は、他の支払い手段の創造および使用が許可される。

    4 法律は、国全体の利益のために金融市場を規制するものとする。特に、以下を規制する。

    a. 金融サービス提供者の信託業務

    b. 金融サービスの契約条件の監督

    c. 金融商品の認可と監督

    d. 資本要件

    e. 自己勘定取引の制限

    5 金融サービス提供者は、顧客の取引口座を貸借対照表外に保有するものとする。金融サービス提供者が破産した場合、これらの勘定は破産財産に該当しない。

第99条a スイス国立銀行

1 スイス国立銀行は、独立した中央銀行として、国の全体的利益に役立つ貨幣政策を追求するものとする。マネーサプライを管理し、金融サービス提供者による支払い取引システムの機能と経済への信用供給の両方を保証する。

2 投資のための最低保有期間を設定することがある。

3 法的権限の下で、連邦政府または州を介して、または市民に直接配分することによって、新たに創造された貨幣を、対応する債務に拘束されず流通させるものとする。これは、銀行に長期融資を与えることができる。

4 スイス国立銀行は、収入から十分な通貨準備を創出するものとする。これらの準備の一部は金で保持されるものとする。

5 スイス国立銀行による純利益の最低3分の2は、州に割り当てられるものとする。

6 スイス国立銀行は、その任務の遂行において法律にのみ拘束される。

第197条 122段

第99条(貨幣政策および金融サービスの規制)および99条a(スイス国立銀行)の暫定規定。

1 新規則が発効した日に、取引勘定のすべての帳簿価額が法貨となることを実施規則は規定しなければならない。金融サービス提供者の対応する負債は、スイス国立銀行への負債となる。これにより、合理的な移行期間内に、この帳幣の交換から債務が決済されることが保証される。既存の与信契約は影響を受けない。

2 特に、移行段階では、スイス国立銀行は、資金不足や過剰がないことを保証するものとする。この間、金融機関への融資へのアクセスを容易にすることができる。

3 第99条および第99条aの施行後2年以内に適切な連邦法が採択されない場合は、連邦議会は1年以内に条例により必要な実施規則を発行するものとする。

アイスランドはいかにして銀行マフィアを打ち負かしたのか

ベーシックインカム・実現を探る会 代表の白崎一裕です。

ある人に教えていただき、以下の、ブログをみました。これは、アイスランド大統領の金融危機後のカナダCBC放送のインタビュービデオです。ブログ主が翻訳してくれていますが、とても、興味深いものです。

 

ご参考までに以下にURLをはりつけます。

 

アイスランドはいかにして銀行マフィアを打ち負かしたのか

How Iceland defeated the Anglo-American Bankster Mafia

 

http://bougainvillea330.blog.fc2.com/blog-date-201507.html

 

また、ミゲル・マルケスさんというポルトガル人の映像作家がドキュメンタリー映画「アイスランド無血革命:鍋とフライパン革命」を作成され、その翻訳字幕もこのブログ主の方がつけられているようです。この内容も、アイスランドの政治と通貨改革などを考える際に貴重なものなので、以下にはりつけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=BZxR1VbTVkg

 

 

ブログ主の方の感想などもはいり、分割翻訳されていてわかりにくいかもしれませんが、スクロールダウンすると内容がわかります。税金で、銀行を救済することの馬鹿馬鹿しさや、小国の民主主義の意味などが語られますし、イギリスなどの金融マフィア諸国のひどさについても語られます。ただ、これは、2011年とすこし前のインタビューのようです。

アイスランドの政府通貨プラン、注目記事です!

2008年金融危機後の政治経済改革が注目されてきたアイスランドで、ついに政府通貨政策が提案されました。与党の政策プランなので実現する可能性が高いと思われます。国民投票に通貨改革案がかけられているスイスよりも早く実行されるかもしれません。以下、イギリスのテレグラフ誌に掲載された記事をサインイン前の部分のみ翻訳して掲載いたします。ご参考にしてください。

元記事

Iceland looks at ending boom and bust with radical money plan- Telegraph

http://bit.ly/1aBYOgh

テレグラフ誌 2015年3月31日

アイスランドは画期的な通貨改革プランで超不安定な経済を終わりにしようと考えている

アイスランド政府は民間銀行の信用創造のはたらきを停止して中央銀行にその機能を取り戻す提案をおこなった。

(以下本文)

アイスランド政府は、民間市中銀行におけるお金の信用創造のはたらきを停止し、中央銀行の下でのみ信用創造を行うという画期的な通貨政策を提案している。

現代金融政策の歴史において転換点となるであろう上記の提案は、中道与党「Progress Party」所属議員の「Frosti Sigurjonsson」氏によって書かれた「アイスランドのためのより良き通貨政策」と題されているレポートの中にある。「レポートの成果は、来るべき通貨政策と信用創造に関しての議論に重要な貢献をするだろう」とSigmundur David Gunnlaugsson アイスランド首相は言っている。

首相によって委託されたそのレポートは、2008年を最後に多くの金融危機を起こしてきた通貨制度に終止符をうつことを目的としている。

四人の中央銀行総裁が行った調査研究によれば、アイスランドは、1875年以来20回以上の異なるタイプの金融危機を経験してきた、そして、それは平均して15年ごとに起きる6回の深刻で複合的な金融危機を伴ってきた。

Sigurjonsson 氏は、過去におきた金融危機は過度な経済の回転により通貨が膨張して引き起こされた、と述べている。

また、彼は、中央銀行は、高価で無駄の多い国家介入そして銀行崩壊の危険な兆候、および誇張されたリスクを負う憶測に拍車をかけるインフレを放置した信用膨張を封じ込めることができなかった、と主張している。

他国の近代市場経済と同様にアイスランドにおいては、中央銀行は紙幣とコインのコントロールをおこなうが、マネー全体の信用をコントロールするわけではない。そして、マネーの大部分は信用創造において市中(民間)銀行貸し出しとして瞬時につくられる。

中央銀行は、通貨政策手段として、マネーサプライに影響を与えられるのみである。これに対して、「政府通貨政策」とよばれる下では、国家の中央銀行はマネーの唯一の創造者になる。

Sigurjonsson氏は、次のように提案する。

「重要なことは、信用創造の権力は、新しくつくられたマネーがどのように使われるかということを決める権力とは区別したままにしておかなければならないということである。」そして「国家予算審議と同様に、議会は、新しい政府通貨の割り当てについて政府提案を議論することとなるだろう。」

こうして民間銀行は、会計計算の運営および借り手と貸し手の間の仲介者としての機能をはたすことになる。実業家でエコノミストでもあるSigurjonsson氏は、2014年5月に立ち上げられた、アイスランド家庭の債務救済プログラムの立役者の一人でもあり、2008年金融危機以前に、インフレに連動しローン契約をしたことによって家計が逼迫している多くのアイスランド人の救済を目的にもしていた。

北欧の小国アイスランドは3大銀行の崩壊の要因となったアメリカのリーマンブラザーズ投資銀行の破綻によって手ひどい打撃を受けた。当時、アイスランドは、この25年間において、疲弊した経済を救済するためにIMFに救済の申し立てをしたヨーロッパにおいて最初の国となった。

そのアイスランドのGDPは、経済がふたたび再興する以前は、2009年の5.1%から2010年の3.1%まで下がることとなった。(以上、文責、白崎)

社会信用論入門サイト(再掲)ルイ・エヴァン関連など

以前にも、当会のHPにアップされた、社会信用論・ダグラス入門関係のサイトですが、検索しづらくなっていることもあり、新たに再度、新情報も加えて以下にご紹介いたします。以下はカナダでダグラスの思想を広めたカトリックの宗教者ルイ.エヴァンの主著「この豊かさの時代にIN THIS AGE OF PLENTY」のサイトです。カトリックの色彩が強いですが、社会信用論自体についてはダグラスよりはるかに噛み砕いて解かり易く説明しています。

http://www.michaeljournal.org/plenty.htm

上記のサイトの日本語訳を途中までされた方のサイトです。以下です。

http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/index4.html

また、他のルイ・エヴァンの文章の翻訳は、以下のサイトで読むことができます。

http://rothschild.ehoh.net/material/41.html

(まだ、未訳のものは、順次、「実現を探る会」でも翻訳作業をすすめたいと思います。)

スコットランドの独立問題について   関 曠野

  独立の是非を問うスコットランドの住民投票は歴史や政治の視角からもいろいろ興味深い問題を提起していますが、「探る会」のニュースでは経済の側面に話をかぎることにします。9月18日の住民投票はかなりの差で独立にはノーの結果になりました。だがこれはもちろん連合王国の現状を是認してのノーではありません。今の英国は、ロンドンのシティ(金融街)、ロンドンに移住した世界各国のスーパーリッチ、ロンドンの英国議会の政界貴族には天国、庶民には地獄のような国です。この9月から売春とドラッグの売り上げをGDP統計にカウントしているような国です。EUでもっとも貧富の差が大きいこの国で、スコットランドの庶民は困窮しています。ブルーカラーの街グラスゴーでは乳幼児死亡率がきわめて高いため、男性の平均寿命が54歳という有様です。これはおそらく母親の栄養不足が原因でしょう。


  しかし実のところ、投票の結果はたいした問題ではありません。むしろこういう国家の存在理由を問う投票が実施されたこと自体が重要な意味をもっています。日本でも欧米でも先進諸国では目下、議会制国家の崩壊が進行していますが、今回の投票はこの崩壊の波が議会制誕生の地である英国にも及んだことを示すものです。この投票を契機に、英国は容易に収拾できない混乱に陥るでしょう。


  投票の結果がノーになったのは殆ど当然のことでした。自治政府の政権与党であるスコットランド国民党は、投票の実施を決めたものの、どうみても独立に本気ではありませんでした。独立しても英女王を元首に戴き、通貨はイングランド銀行が管理する英ポンドを使い続けるなど独立をサボタージュするような政策を掲げていました。また経済についても、庶民には北欧型社会民主主義、企業には大減税というツジツマが合わないことを約束し、財政は「北海油田があるから大丈夫」などといい加減なことを言っていました。それに独立した場合の新しい国名も決めていませんでした。


  国民党の狙いは、中央を独立のポーズで脅して自治権でさらなる譲歩を引き出し、地元でその利権を固めることにあったようです。ですから投票で賛成反対が伯仲という事態になって党の幹部は内心ではかなり慌てていたのではないでしょうか。それが、やはり事態に慌てた中央政界の保守、労働、自由民主という主要政党がそろってスコットランドのための予算を増やすことを公約し、しかも投票結果はノーになったのだから、国民党はまんまと目的を達成したことになります。党首のアレックス・サモンドは投票結果に責任をとって近く辞任するそうですが、これもそのうちカリスマとして復活するための茶番でしょう。「改革」「希望と変化」など漠然とした甘い言葉を振りまき有権者を自分の栄達のダシにするのは今時の議会政治屋のお馴染みの手口です。国民党の場合は、それが「独立」だった訳です。しかしサモンドは「してやったり」と思っているかもしれないが、実は国民党は英国を混乱させるパンドラの箱を開けてしまいました。早くも英国の他の地域から「スコットランドだけに公共支出のための予算を増やすのはえこひいきだ」と不満の声が上がっています。


  古代にはイングランドはローマ帝国領でしたが、スコットランドはしぶとく抵抗してローマに服しませんでした。中世以来イングランドが常にフランスに対抗意識を燃やしてきたのに対しスコットランドは北欧諸国に親近感を抱いてきました。そして1707年の連合は対等な合意によるものではなく、財力にものをいわせたイングランドによる事実上の併合でした。しかしこういう歴史があったにせよ、現在の亀裂を生じさせたのは、やはり保守党のサッチャーの政策です。

 

  戦後の英国は階級社会の古い体質もあって工業国としては没落し1970年代には先進国なのにIMFの緊急融資を受けるという屈辱を味わいました。そこでサッチャーは残された大英帝国の唯一の遺産である金融業による英国の再興を図り、その代償として地方の産業を切り捨てました。この金融立国のツケは集中的に質実剛健で実業本位のスコットランドに回り、その製造業は大きな打撃を蒙りました。


  しかしスコットランドの世論が明確に独立を求めるようになったのは、それに続く労働党政権の時代です。スコットランド出身のブレアとブラウンが相次いで首相になりましたが、彼らはサッチャーの金融立国路線を継承しただけではなく、イラクに派兵するなどアメリカのエリートに密接に協力しました。その結果、長らく労働党の牙城だったスコットランドではこの長い歴史をもつ左翼政党に対する不信感が高まりました。この労働党の変質は、「右翼・左翼」という言葉に意味があった時代が終焉したことをはっきり示すものでした。


  ではなぜ左翼は死んだのか。その要因は二つあります。一つは、経済が低成長に転じたポスト工業化の時代に左翼の社会的地盤だった労働組合が弱体化して利権集団としての交渉力を失ったことです。そして左翼がこければ右翼という言葉も無意味になり、左右対立の構図によって成立している議会制国家は空洞化します。「議会と政党の制度は産業革命が胎動し始めた18世紀の英国で生まれた。その課題は工業化が次々に生み出す新しい富の分配をめぐる争いを取引によって解決することだった。議会主義の本質は有力な利権集団間の取引である。(中略)だが成長の終焉と共に議会政治は取引する材料を失い崩壊し始める」(注)。


  左翼の死のもう一つの要因は、ソ連崩壊の衝撃です。左右を問わず、現代人には国家は法的で理念的なもの、経済は物質的なものという精神と物質の二元論で国家を考える傾向があります。そこから市場は盲目の欲望で動くから国家がそれを理性でコントロールすべきだという発想が出てくる。こういう国家観の元祖は、市場を「精神の動物界」と呼んだヘーゲルです。このヘーゲルの国家観は、キリスト教神学における聖と俗の区別を近代国家に当てはめた馬鹿げたものです。しかし左翼はこのキリスト教的な国家観を信奉し、真理を把握している知的エリートが国家の力で市場をコントロールすれば理想の社会が生まれると信じてきました。そしてソ連はこういう国家観が徹底的に実現された例だったので、その崩壊は社会民主主義者をふくめて左翼に致命的な打撃となりました。


  その結果、英国労働党の場合は、俗なる市場万歳、盲目の欲望を効率よく充たす新自由主義万歳になった訳です。つまり彼らは左翼の国家観を上下さかしまにひっくり返しただけで、二元論的な国家観を反省することはなかった。近代国家は何よりも経済のシステムであり、人々の権利や義務や責任も経済と切り離して論じうるものではありません。そして近代国家の主権の核心は、通貨を発行し管理する権利であり、それに較べれば法的で形式的な主権は二次的なものです。ユーロによる通貨統合で通貨発行権を銀行の下僕のEU官僚に譲渡してしまった南欧諸国の現状を見てください。これらの国は法的形式的主権は保持していますが、それは債務奴隷になることに同意する権利にすぎません。


  このように国家観が間違っていたから、労働党は国家が通貨発行権を銀行業界に譲渡していることが現代国家の根本問題であることにも気付きませんでした。この譲渡ゆえに私企業である銀行が影の、そして真の主権者になっており、租税国家はそれを補完する銀行経済のサブシステムにすぎないのです。その結果、旧ソ連には一党独裁と指令経済があったように、いわゆる自由民主主義諸国では99%の一般国民を犠牲にして1%の富裕層を潤す銀行独裁がまかり通っています、政府は富者のための社会主義、中央銀行は富者のための計画経済を実施しています。日本のアベノミクスもそうしたものです。この銀行主権の下では、中央銀行、財務官僚、議会政治家が三位一体の支配体制を構成しています。そして銀行が主権者である以上、選挙でどの党に投票しても何も変わりません。


  スコットランド人が求めたのは、実際にはこの銀行主権からの独立、英国を支配するロンドンという国際金融センターからの独立でした。各国の銀行業界は中央銀行という形でカルテルをつくっています。そして各国の中央銀行は連携して国際金融カルテルをつくっており、IMFなどはその代弁者です。このカルテルは映画やアニメに出てくる世界征服の陰謀を企む秘密結社そこのけで、各国の中央銀行、財務官庁、政府と議会はそれが送り込んだ占領軍のようなものです。スコットランド人はこのグローバルな金融資本による占領に抵抗しているという意味で愛国的な”ナショナリスト”です。しかし労働党からスコットランド国民党に支持政党を変えただけでは独立は達成できませんでした。所詮、議会政治屋は占領から利権を得ている人種だからです。だが住民投票を契機とした今後の英国の混乱の中で、人々は英国と世界の現状について認識を深めていくでしょう。議会政治の枠内で右翼左翼で争っていた時代は終わり、現代世界の争点はグローバルかローカルか、金融グローバリズムと地域に根ざす民衆のローカルなデモクラシーの争いであることに気付くでしょう。このローカルなデモクラシーはまた、人々に法的形式的な権利を保証するだけでなく、経済生活に参加する権利を具体的に保証する経済のデモクラシーでもあるべきです。デモクラシーは原理としては権力の分散を意味しています。ですから首相や大統領への権力の集中をデモクラシーと呼ぶ欺瞞とは手を切り、国民投票制などの直接民主主義や地方主権の拡大による権力の分散も人々の課題になるでしょう。


  現在、日本や欧米各国の政府はどこでもグローバル金融資本の司令部の指示で動いています。だからスコットランドの出来事は日本人にとっても人事ではありません。90年代に日本でバブルが破裂した際に政府はマネーゲームに走って破綻した銀行を国民の血税で救済しました。これ以来、与党が民主であれ自民であれ、政府はこの司令部の指示に従い、事実上破産している銀行の救済に狂奔しています。安倍政権による通貨の大増刷や消費税の増税も、溺死寸前の銀行を浮かせるための政策です。消費税の増税はIMFの要請によるもので、負債がGDPの2・5倍という日本国家を財政的に維持する費用をできるだけ国民に負担させて日本国債に対する投資家の不安を和らげ、銀行が国債ビジネスを今後も続けられるようにするためのものです。デフレの中で消費税を増税すれば経済がさらに低迷することは子供でも分る。だがIMFがそれでも増税を要請するほど銀行の経営は危うくなっている。「銀行栄えて国滅ぶ」が世界経済の現状であり、そして通貨発行権を握る影の主権者である銀行に逆らえる者はいません。


   また主婦の労働力化と移民の導入もOECDが以前から日本に要請していたもので、銀行が管理するマネーフローの外にいる人間を減らし彼らを課税対象にするための政策です。またアベノミクスによる通貨の大増刷は、インフレを経済成長の代用品にしようとするものです。インフレで通貨が減価すれば国家、企業、銀行自身が抱える負債の重さが減り、銀行と富裕層が保有する株など金融資産の名目価値が水膨れする。しかしこれは一般勤労国民には賃金給与が低迷したままでの物価の上昇という塗炭の苦しみになります。通貨の大増刷も結局、ゾンビ銀行を維持する費用を国民に負担させるもので、通貨価値の減価という形での国民の所得と貯蓄に対する間接的な課税といえます。      

   2008年のリーマンショック以来、アメリカの連銀は量的緩和(通貨の大増刷)で破綻したメガバンクを延命させようとしてきました。これはすでにパンクしたタイヤになんとかポンプで空気を入れようとするような措置でした。そしてこれは連銀というより国際金融カルテルが決定した政策であり、ドルの過剰供給の影響は世界の殆どすべての銀行業界に及びました。 しかし失敗した企業は破産して退場ということが市場経済の原則であるはずです。だからマネーゲームで失敗した銀行はすべて破産させればよかったのです。だが各国の中央銀行と政府は二人三脚で市場原理に逆らい、ここ5年にわたり利子ゼロの資金をつぎ込んでゾンビ銀行を救済しようとしてきました。 だから経済の現状を市場原理主義として批判する人は問題を勘違いしています。これは銀行の本性とはいえ、銀行の独占経済がかってない規模で市場原理の働きを阻止してきたのです。そして量的緩和は、景気を上向かせるどころか,99%の一般勤労国民と1%の富裕層との格差を決定的に拡大しました。


  しかし市場原理にいかに逆らっても、長期的にはこの異常な政策に対して市場から是正の圧力がかかります。この10月に連銀が量的緩和を打ち切り、おそらく利上げにも踏み切ることは、そうした圧力の例です。しかし連銀の方向転換は是正に終わらず、破局につながる可能性があります。これによって量的緩和が市場に逆らって作り出してきた株や国債など資本市場の虚構の相場が一挙に崩壊するかもしれない、一挙にではなくても、市場を封殺してきたことに対する反動は大きなものになるでしょう。そして経済が再びリーマンショック状態になっても、連銀と政府にはもう打つ手はありません。またもや量的緩和という訳にはいかない。 こうして銀行と国家の制度としての機能が全面的に停止するゼロの瞬間が近づいてきます。そして今後英国が陥るであろう混乱は、このゼロの瞬間を部分的に先取りするものになると思われます。  

 
(注) 農文協のブックレット「規制改革会議の農業改革」に所載の拙稿「なぜ議会制国家は崩れ去りつつあるのか」より引用。同書15頁。                                                                                               

連載・お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方

●  「お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方」

いま、白崎が、上記のタイトルで隔月刊誌「くらしと教育をつなぐWe」(フェミックス)に連載しています。

連載の意図は、もちろん、ベーシックインカムや通貨改革を考えるための根本を考えてみようということです。「実現をさぐる会」のHPの読者からこんな感想がよせられます。

「どうも、関曠野さんの話は、面白いんだけれど、よくわからん。特に、通貨(お金)や金融の話がぴんとこない」というような感想です。私も、小さな集まりで、通貨やベーシックインカムのことをご説明させていただく機会がありますが、「何度聞いても、わからない」というご感想をいただきます。本屋さんには、経済や金融の本があふれているのに、これはなぜだろう?と考えます。もしかしたら、本質的なことを、わざと難しくてわからなくしているんじゃないか?と。私も、経済や金融の専門家でも何でもありませんが、自分が疑問におもったことを読者のみなさんと共に考えるような文章なら、すこしは、この世界の風通しがよくなるのではないか、と考えて連載をはじめてみました。ご興味のある方は、ぜひ、お目通しいただければと思います。

連載一回We 2014年4/5月号「マネーが動かす原発マフィア」

二回6/7月号「銀行がつくる借金(負債)のお話」

三回8/9月号「信用創造のお話」

四回10/11月号(予定)「信用創造のお話②」

 

ということで続けていきます。

We のHPは以下です。

http://www.femix.co.jp/

よろしくお願いいたします。

スイスの通貨改革運動の紹介

下記にスイスの通貨改革運動の記事がありました。イギリスなどの通貨改革運動の影響下にあるようです。これが、先般のBI国民投票運動と重なっているのかもしれませんが、まだ、よく分かりません。運動は、国民発議(スイス国民投票)として行うようです。通貨改革の理論についての解説が関連のサイトに掲載されていますが、それが実際の運動場面でどのようになっているか、今後も調べてみます。運動の情報は、ドイツ語のサイトに詳しいようなので、このHPでも可能な限り翻訳していこうと思います。これから、この動きは注目です!(白崎)

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

「仁和寺講演追記・イスラム銀行について」 関曠野(思想史)

講演で私はイスラム銀行のことを話しましたが、イスラム銀行が車住宅などの個人ローンをどのようにやっているかには言及しませんでした。これを補足説明しておきます。 車や住宅の場合、融資希望者に代わってまず銀行がそれを買ってしまいます。それに多少価格を上乗せして希望者に売り,債務者はそれを長期分割払いで返済します。これは利子のように見えますが、まず利子を払ってしまい複利で増えることもない。価格の上乗せは融資手数料とみなすべきでしょう。

イスラムの個人ローンでは債務者が死んだり不治の病になった場合には債務は帳消しになります。また債務の保証人の必要はなく家族の連帯責任もありません。融資のリスクは債務者ではなくすべて銀行が負うというのがシャリ ア(イスラム法)の原則です。だから返済期限も明確でないことがあります。

では進学ローンのような無形のものにはどうするか。この点では、日本や欧米とイスラムでは教育観がまるで異なることに注意する必要があります。日本や欧米では大学教育は基本的に資本主義的な労務管理であり、それが学歴差別や学歴信仰の原因になります。例えば、奨学金の制度は、30年代大恐慌に際して新卒の若者が労働市場に大勢入ってきて失業問題がさらに深刻になることを防ぐために若者を大学に囲い込んでおくというローズヴェルト大統領のニューディール政策の産物でした。そしてアメリカが恐慌を大戦の軍需ブームで乗り切った後は、大卒の学歴は豊かな消費社会に都会のホワイトカラーとして参入するための入場券になりました。しかしイスラム社会にはこのような労務管理としての大学教育やそれに伴う学歴信仰はありません。

この社会では古典的な学問観が生きつづけています。イスラムの価値観では貧しい家庭の子弟の向学心を借金漬けにして金儲けの種にすることは言語道断なことです。そしてイスラム社会には学問は社会の共同財産とする立場から貧家の子弟に学資を無利子で貸す慈善団体がいろいろあるようです。銀行は融資希望者と面談のうえそうした団体との仲介役をやります。

銀行自身が融資することもあります。その場合は、日本の講に似たTAKEFULというシャリアの概念が使われます。卒業して社会人になった債務者は奨学基金に返済し、それは基金の資本の補填に充てられます。 既卒者と進学希望者の共済組合のようなもので、もちろん無利子融資です。

ただイスラムの進学ローンでは進学の動機、目的、学習プランなどが面談で厳しく審査されます。社会に貢献する専門家の養成につながる進学であることが融資の条件になります。そしてイスラムでは大学教育も基本的に実用教育とみなされるので、科学技術系の学部学科への進学が優先されるようです。

書評『グローバリズムの終焉~~経済学的文明から地理学的文明へ』 シリーズ地域の再生3巻 関曠野、藤澤雄一郎著 農文協 定価2600円プラス税

評者 ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕

評者は、1980年代半ばから90年代前半まで、不登校やヤンキーの子どもたちのくる私塾をやっていた。その頃の子どもたちの口癖のひとつに「将来のことなんて聞くんじゃね~~」という悪態があったものだ。彼ら・彼女らにとっては将来や未来のことなんて鬱陶しくて抑圧的なものであり、未来がいまより良くなるということは信じられなかったのだ。また、その当時聞いたことだが、定時制高校教師の勉強会で出る話の中に、生徒たちが教師のことを「このジジイ!」とか「このババア!」とか攻撃的に呼ぶようになるのが、ほぼ同時多発的でしかも1975年頃からというのである。本書で何度もとりあげられるニクソンのドルショックが1971年、ローマクラブ報告『成長の限界』の公刊は1972年。そしてオイルショックが1973年と続く。先に述べた1970年代の「子どもたちの変容」と本書で指摘されているドルと石油の二つのショックによる成長経済の終焉は、単なる偶然とは言い難い同時性を有している。近代資本主義の終わりの始まりを子どもたちの感性は鋭敏に捉えていたと解釈すべきではないだろうか。「子どもたちの変容」は、その後80年代から90年代へむかうにつれて、校内暴力・いじめに加えて、不登校・引きこもりという現象を伴い継続していく。これらは、単なる青年期の病理現象を超えて現在では普遍化され、草食系とかサトリ(悟り)世代とか呼ばれるようになってきている。「24時間戦えますか」というサラリーマン向け栄養ドリンクのコマーシャルは、発表された当時から、バブル期のサラリーマンをパロディ化するものでもあったが、現代では、まったくの死語といってよいだろう。子ども・若者の感性レベルでは確実に成長経済は終わっているのだ。

本書では、成長経済をもたらしてきた資本主義の歴史が、コロンブスの航海によるグローバル化を伴ってはじまり、新大陸アメリカの広大な国土と資源を「タナボタ」的に手にいれることによりその資本主義が軌道にのったことが説明されている。この資本主義は、結局のところ大衆の消費欲に支えられた過剰発展と所得不足による矛盾をかかえているのだが、その過剰発展を支えているのが、銀行が生み出す利子付き負債マネーと19世紀には石炭、そして、圧倒的なエネルギー収支の効率の良さをもつ20世紀の石油という化石燃料だった。しかし石油危機やその後のピークオイルにより成長経済はあきらかに行き詰まり、それを仮想現実的に埋め合わせようとして金融マネーゲームが介入するというのが1980年代以降における資本主義成長経済の最後の悪あがきだったというべきだろう。ただ、本書は、単に資本主義的成長経済の終焉を分析しているだけの書物ではない。ポスト成長経済(資本主義)のための見通しをしっかりと提示している。その方法こそが、ダグラスの社会信用論を発展的に受け継いだ、銀行経済から脱却する政府通貨の発行と、過剰発展と過少消費の矛盾を解消する個人単位・無条件のベーシックインカムの実施なのである。これらの制度改革により、冒頭に述べた若者の成長経済への感性的違和感は、その出口と着地点を「農」的暮らしを基盤とした「人間を人間の本分に即して保全する文明」へ求めることとなるだろう。従来からの資本主義批判とエコロジー的環境主義は、お互いがその抽象性から成長経済後の世界を展望することができなかった。しかし、本書は、通貨とエネルギーの問題点を歴史的に総括することにより具体的で実践的な道筋を私たちに提示してくれる。本書が呼びかける提言、すなわち成長経済と資本主義そして化石燃料を消尽する経済学的文明から、地理学・生態学・熱力学の科学的洞察に立脚してエントロピーの抑制を課題にする地理学的文明への転換こそ、実は最も先鋭的な政治的課題であることを最後に付け加えておきたい。

付記:本書の著者のひとりである関曠野さんも理事で参加する、島之内芸能(合同会社)の試みが「実現を探る会HP」にて紹介されている。この会社では、大阪から明治維新以来の日本の歴史を問い直し、なおかつ、大阪の芸能の伝統を生かし、ベーシックインカムや社会信用論の運動にも取り組もうということらしい。ぜひ、ご参考にしていただきたい。

(合)島之内芸能の試み

関曠野さんも理事で参加する、新しい 島之内芸能(合同会社)の試みをご紹介します。この会社では、大阪から明治維新以来の日本の歴史を問い直し、なおかつ、大阪の芸能の伝統を生かしつつ、ベーシックインカムや社会信用論の運動にもとりくもうということです。その趣旨文を以下に掲載いたします。地方からのベーシックインカム・通貨改革の新しい試みの一環としてお読みいただければ幸甚です(白崎)。

計画試案

島之内芸能(合同会社)    趣旨

(合)島之内芸能は、日本の大阪から資本主義を乗り越える地域を作りだす活動を目的として設立する。

大坂はその住民が世界で最初にかつ独自に永久平和経済都市建設に成功した地域であり、 欧米より民族的には適応していたにもかかわらず、明治維新の薩長政府は欧米の劣った面に同化して覇権主義に日本を組みこんだが、当社はその誤りを原点に帰り復旧して、大坂社会を再興し国際性を世界に示す活動を行う。 この活動を連合主義と名付ける。この主義は日本的「道」と「仁愛」を精神的基本とする。

(合)島之内芸能は、地域住民の取り組みを、可能な限り人に喜ばれる芸能として運営してゆく会社である。たとえば医師やヘルパーなども、そういう芸能なのである。

日本経営企業の出身者が大半を占める人々の間では、経営以外の諸活動も経営を摸することがなじまれやすいのに、従来の社会・文化活動はこの点を見落としてきた。

当社は、元企業や官庁の組織人が定年後も容易に溶け込める仕組みで活動する。

また、日本的経営は、江戸時代の大坂商家の経営を伝えており、従来の学界はそれを否定的にとらえて来たが、当社はよいものは積極的に活かす方式にする。

武士道もそうであるが、よい点の誤解があった。たとえば、家来には主君を諌める義務権限があったが、今日の企業では内部告発などという不信感が圧倒している。

当社は、あらゆる対立しない社会思想実践方式を連合主義と考え、従来の正義が悪を懲らす思想を乗り越える。

そのために、世界で唯一大坂だけが生んだ対立しない方式である芸能産業を、地域運動として再生する。(江戸北町奉行の遠山金四郎が水野忠邦の天保の改革に際し、芸能弾圧に経済改革にならないと反対したのは有名で、ソフト産業が人間の質を高めて経済の質を高めることを彼は直感していたのである。芸能を無駄・ぜいたくと取り違える誤りが現代でもある)

大坂町人の質は全体の連合として、芸能の稽古という形で、高められていた。この芸能の稽古には、学問も武芸もすべてふくまれ、現代のインテリと大衆、芸術家と勤労者の区分がなかったことで世界的であった。これを復活するのが連合主義である。

当時は身分制があったため、そこが非常に悪いように思われているが、現代の人権差別やあらゆる差別も身分制の一種にほかならないし、身分制は尊敬度の向上によってこそ徐々になくなって行くものである。人間の尊敬と愚行は共に永久になくならず、どちらがそうであるかは時代の流れが決めることである。問題は両者が敵対するのではなく連合することである。階級の対立を乗り越えるのは民族の作法である。

日本の場合、芸能の根拠は平安時代に確立した「歌」であった。歌が尊敬され、歌の心の分らない者は愚かとされた。それが日本の民族思想である。

大坂の商人が人に喜ばれる活動を理想としていたことは、世界の強欲な経営史にない事実であり、鴻池や住友の家訓や文書は、モルガンやロックフェラ―と全然異なるモラル(当社は作法と呼ぶ)を証拠づける。住友の番頭の主人にあてた直筆は誠意にあふれ、現代の経営者の言い分よりはるかに心を打つ。彼らは幕府や大名に金を貸すのを喜んではいなく、逆に幕府からも資本を借りて産業を起こし、また大名の藩政改革をリードしていた。だから暴力的倒幕はありえなかった。だいいち、幕府は失政はあっても、暴力的弾圧はしていなかったし、一揆も真の暴力でなく、作法であった。階級間の憎しみの度合いが、欧米とは段違いに弱く、文楽を見れば分るのである。文楽は、各階級を誉め殺して泣き笑いさせるパロディ芸能である。

~~~~~~~~~ 以下、ご参考まで、イベント案内 ~~~~~~

島之内芸能文化協会 「月例講座」ご案内場所中央区島之内2-12-19「道仁連合会館」6211-7310。島之内図書館の裏。島之内芸能文化協会 山下 ℡fax06-6607-1693 携帯090-1587-1970

1000円(学生500円)です。 町内無料娯楽大坂一派4月17日(木曜)午後3時~4時半「お葬式の改革」堀蓮慈(真宗大谷派)