このほど私はベーシック・インカムについては当分語らないとに決め、このメルマガへの寄稿も中断することにした。これまで連載に付き合って下さった読者諸兄姉に感謝したい。中断の理由は、今の世界恐慌がさらに深刻化し、政府通貨による基礎所得保証という政策が抽象的理論的可能性ではなく、実際的で切実に必要なものとして世に認知される状況を待ちたいということである。そしてこの政策の実現に対する唯一にして最大の障害である議会制と政党政治に対し人々が完全に幻滅するまでは、余計なことは言わないということである。
日本でも海外でもBIはやはり福祉国家論の延長線上で論じられていることが多いように見える。そこから福祉と同じく所得税や消費税などによる税収がBIの財源とされる。こういう立場は現代の租税国家が恐慌にも関わらず今後とも存続可能であることを前提にしている。だが私からみると、我々が目下直面しているのはこの租税国家自体の解体の危機なのである。
では近代の租税国家とは何か。この国家は絶えざる経済成長を前提にして設計された国家である。国家は市民から強制的に徴税するが、税収は経済発展の条件を整備するために使われるので、経済成長が市民の福利や福祉をさらに充実させることになり結局徴税は市民にとってプラスになるという理屈で税制は正当化される。もし国家予算に比して税収が不足した場合には国家は銀行に国債を買ってもらって赤字を補填するが、これは臨時的例外的な措置であり、もちろん将来の経済成長を前提にしなければ国債の発行はできない。国や自治体が私企業のように事業の拡大を目指してなどいないのに銀行に借金して利子を払うのはおかしいだろう。だから国債の発行は財政上の一時的な困難に対処するためのあくまで臨時的例外的な措置なのである。
ところが1970年代以降の経済の低成長の中で先進諸国では国債による財政赤字の補填が常態になってしまった。成長を前提にした国家体制から転換できなかったからである。そのうえ90年代のバブル崩壊後の日本などは愚かにも国家主導の経済成長を意図して土建型公共事業バラマキ財政をやったため国家の銀行に対する負債は爆発的に増大した。これは自民党が成長型国家を維持するため、そしてバブル破裂で破産状態になった大手銀行を救済するための政策だったと言える。
そして負債に喘ぐ先進諸国の租税国家に対する止めの一撃となったのが、リーマン・ショックを契機にした銀行マネーの世界的な崩壊である。各国の政治家は銀行の利子経済の崩壊は経済そのものの崩壊を意味すると思い込み、国民の公金で事実上すでに破産しているゾンビ銀行を支えようとした。その結果銀行の危機と国家の危機は完全に一体化してしまった。今や各国の政府は銀行のエージェントにすぎない。例えばEUが財政的に破綻したギリシャやアイルランドに対して行った支援なるものは、両国の国民のためのものでなく、両国に貸し込んでいる独仏その他の大手銀行を助けるためのもので、この支援の結果両国の国民は孫の代まで銀行の債務奴隷として生き働くことになる。そして両国の政府がEUの大手銀行を債権者として納得させるために打ち出した過酷な増税や緊縮財政は経済をさらに冷え込ませる。しかもギリシャとアイルランドから搾り取ったマネーは結局ゾンビ銀行を立て直すことはできない。70年代以来の低成長に代わって今は金融資本の破綻から生じた底知れないブラック・ホールがあるのだ。
いずれ国の税収のすべてが国債を買った銀行への利払いに充てられる日が来れば、そこで議会制民主主義は終焉することになる。国家予算というものは無くなり、国家はもう市民に何のサービスもせず、銀行への上納金を市民から取り立てることだけがその役割になる。もちろんこの極限状態に到る以前に租税国家は解体し始めるし、現に解体しつつある。
では税金とは一体何なのか。現代経済は銀行マネーで動いており、銀行は私企業としての利益しか眼中にないので、その融資が社会にどんな影響を及ぼそうがお構いなしである。これでは社会は大混乱に陥るので、公共性を名分に掲げ社会を多少とも安定させることで銀行マネーの支配を補完する副次的な通貨流通のシステムが必要になる。これが租税なのである。だから順調な経済成長で銀行マネーが安泰な時期には福祉国家が拡大するが、銀行マネーが揺らげば福祉や社会保障どころではないことになる。そして租税国家は銀行マネーのサブシステムである以上、破産した銀行の救済に税金が投入されるのはある意味で”当然”なのである。
それゆえに租税国家の危機を打開するためには、銀行マネーに代わる通貨体制を構築するしかない。増税や緊縮財政はこの国家の自滅を促進するだけである。そして利子付き負債としてのマネーに取って代わるのは、政府が公共の福利のために国民経済計算上の客観的根拠に基づいて無利子で発行する政府通貨である。連載で述べたように、これについては、日本とドイツが政府通貨によって30年代大恐慌から速やかに脱却できたという歴史的先例がある。
しかしここで議会制と政党政治が政府通貨の発行に対する唯一で最大の障害として現れてくる。議会制は租税国家に適合した制度であり、そして会計としての国家財政を前提に税の取り方と使い方をめぐる党派争いで政治家たちが野心を満足させることが政党政治の存在理由である。しかるに国民経済の客観的な必要に基づいて通貨が供給されるようになると国家財政の財源という問題は消えてしまい、政党は存在する理由がなくなる。そこで必要とされるのは弁舌巧みな野心家ではなく良心的で賢明な通貨管理のプロである。こうした改革に対してはどの政党も死に物狂いで抵抗するだろう。
それでも万が一議会制の枠内で政府通貨が発行されたら何が起きるか。政府通貨は選挙で勝った党派が経済を私物化しその支配を永続させるために使われるだろう。中国の人民元はそういう共産党の独裁の道具としての党派マネーであり、党のパワーゲームのための通貨はウオール街のマネーゲームに劣らず歪んだ自己破壊的な経済を生み出している。
政府通貨が信認される根拠は政府の権威というより、その発行と使途の公共性についての全人民の合意である。だから政府通貨の発行に際しては、国家予算の編成の徹底的な民主化が必要になる。この民主化はそれほど難しくない。中央銀行と並んで中央の政府を廃止すればよいのである。具体的に言えば、国家を自治体の連合体として再組織し、各自治体が市民が参加して編制した予算案を国家信用局に提出し、信用局が国民経済全体の視点からそれらを調整し統合すればよいのである。この場合、信用局の主な課題はインフレの予防である。
そして一度政府通貨が発行されたならば、生産と消費を均衡させ経済を安定させるために、政府通貨によるベーシック・インカムの保証は不可欠な政策になるだろう。
私は12月27日に東京で「ベーシック・インカムについて考える」と題した講演をすることになっているのだが、ここでは主に租税国家の解体を問題にし、ベーシック・インカムは「まずBIありき」ではなく最後の結論として出てくるものであることを強調したいと思っている。そしてこれ以後当分はBIについて語らないつもりである。