関曠野さん、大阪・應典院講演「追記」

●  関曠野さんの大阪・應典院での講演の「追記」を仮アップいたします。この「追記」は講演録正式アップの時に掲載しようと思いましたが、内容の重要性から仮アップいたします。正式アップも近々いたしますので、もう少しお待ちください。(白崎)

 

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追記 -会場からの質問で考えたこと

関曠野(思想史)

 

 2016年の11月にはじめて大阪で講演をさせて頂きました。私の話を聴きに来てくださった関西の皆さんに改めて感謝申し上げます。さすが大阪というべきか、講演の後では会場から幾つも鋭く率直な質問があり、私もたいへん勉強になりました。そしてこの大阪での講演をきっかけに、今後は「政府通貨」と「ベーシックインカム」という言葉を止めて、その代わりに「国民通貨」および「(基本)国民配当」を使うことにしました。

 

その理由ですが、会場からの質問で、「政府通貨」と聞くと政府がある日号令を出して自分の預金や保険契約などがパーになるという過激なデノミのようなものをイメージする人が多いことが分かったからです。実際には、銀行券と国民通貨が共に流通する移行期間があるでしょう。しかしイメージだけが問題なのではない。私が安易に「政府通貨」という言葉を使ってきたことが、もともと問題だったのです。会場からのもうひとつの質問が、そのことを私に気付かせてくれました。それは「通貨は公共の利益のために超党派的かつ民主的に発行されるべきということは分かった。だがこれは、政府通貨とベーシックインカムは今後も実現できないということではないか」という質問でした。これは当然の疑問です。政府通貨ときけば、議会制国家の枠内で、政権与党が政権維持を目的に党派的に発行する通貨になってしまう。実際、今の自民党政権は経営危機の東電救済のために無利子で公金を融資しています。こういう悪質な党派的政府通貨はすでに実現しているのです。中国の人民元も一種の党派通貨でしょう。「政府通貨」という言葉がこうした党派通貨を容認するものと受け取られるようなら、この言葉は使うべきではありません。

 

このように議会と政党の国家体制は、通貨の公共的な発行と管理、それによるベーシックインカムの支給とは原理的に両立しえないのです。もともと議会制は銀行経済とそれを補完する租税国家を前提とし、徴収した税金に使途を審議するための制度です。だから議会からは、政権与党による党派通貨以上のものは出てきません。議会は銀行経済と一体である以上、脱銀行の通貨改革はできません。だからベーシックインカムも実現できません。租税国家には、全国民にまともなBIを支給できるほどの税収はないからです。それでも国家がBIの導入を検討すると言い出した場合は、それは福祉合理化が狙いです。今の経済危機の中で戦後の福祉国家は完全に破綻しています。だから財政難の国家としてはBIと引き換えに社会保障を全廃できれば大助かりです。今フィンランドが検討している案は、まさにそういうものです。

 

私は以前から通貨は議会や官庁から独立した国家信用局が経済統計を踏まえて発行することが望ましいと主張してきました。これは国民の国民による国民のための通貨です。だから「国民通貨」と呼ばれるべきです。そしてこの通貨の使途も公的民主的に協議され、社会の合意に基づいて決められる必要があります。さもなければ国民通貨とは言えません。だから通貨改革とBIを実現するには、やはり国家体制の転換が必要です。その場合、デモクラシーの老舗のスイス連邦がひとつのモデルになりうるでしょう。スイスでは議会の権力はカントンの自治権および国民投票制によって制約されています。そのうえその議会も、一定の得票があったすべての党は入閣するので、議会は世論が代表される場であり、与野党の政権争奪戦の場ではありません。こういう体制なら通貨の使途は厳しくチェックされ、国民通貨が党派通貨に堕する恐れはきわめて少ないでしょう。スイス連邦は議会制国家というよりカントン中心の地方自治体連合国家なのです。このことがスイスを経済的デモクラシーにも適した国にしています。

 

今日どこの国でも議会と政党の国家体制は崩壊の過程に入っています。議会政治は銀行経済を前提にしていて、銀行は果てしない経済成長なしには存続できない。だからゼロ成長で銀行が破綻した現在、議会政治は空回りするだけの茶番劇に堕しています。アメリカのトランプの当選は共和民主の二大政党制が死んだことを意味しています。また議会制発祥の地英国で、EU離脱という一大事が国民投票で決まったことの意義はどれほど強調されてもいい。また昨今EUで急伸している反EU反ヨーロ反移民の諸政党は政党のかたちをとってはいますが、議会に党員を送り込むことより自治体を押さえることを重視してきました。その結果。グローバリゼーションに切り捨てられた地方の庶民を代弁する勢力としてEUの政治を揺るがすに至っています。日本でも遠からず国政の焦点は、中央の国会から地方自治体に移っていくと私は見ています。日本でもローカリゼーションのうねりが生じるでしょう。そして通貨改革とBIがローカリゼーションの中心的な戦略になるでしょう。

 

 今私はベーシックインカムと言いましたが、今後はもうこれを使わず、代わりに「(基本)国民配当」というという言葉を使うつもりです。誰が「ベーシックインカム」を最初に使ったのか私は知らないのですが、この言葉には戦後の先進諸国のケインズ主義的福祉国家路線の匂いがします。だからフィンランドがやろうとしているような福祉合理化に、この言葉はよく馴染む。「所得」というのはエコノミストの用語で、ヘリコプターマネーを大衆にばらまいて有効需要を大量に創出という彼らの上からの発想にも馴染みます。それに「所得」というから、働いていないのになぜ所得があるのか、といった疑問異論を招きやすい。

 

ダグラスがBIと言わずに「国民配当」という言葉を使ったことには理由があります。彼の課題は福祉政策でもマクロ経済の管理でもなく、経済的デモクラシーの実現でした。そしてこのデモクラシーの根幹をなすのは、すべての国民の貨幣=購買力への権利です。ダグラスが言うように、富の生産は人類が車輪やバネを発明して以来蓄積してきた文明の遺産に依拠しています。だからすべての国民には文明の相続人として国民経済が許すかぎりの配当をもらう権利があります。資本の所有者にだけ株や債券といったかたちで特権的配当があって、庶民には雇用による所得があるだけという経済体制は、デモクラシーではなく近代的農奴制とでも呼ぶべきものでしょう。ですから一国の経済生活に参加しているすべての国民には一定の配当をもらう権利があるのです。これは道徳的理想や過激な政治的信条などではなくて、近代経済の現実に根差した国民の基本権です。この基本権を無視すれば、富の極度な偏在が円滑な経済循環を妨げ、1%のスーパーリッチと99%の一般国民に引き裂かれた経済社会は破滅に向かいます。このままでは遠からず銀行経済は全面停止状態に陥り、文明は崩壊します。その兆候はすでに出てきています。だから今こそ、すべての国民のお金への権利が承認されねばならない。われわれが必要としているのは、お上が恵んでくれる「所得」ではなく、配当への当然の権利なのです。

ゴキブリでもわかるベーシックインカム(国民配当)の有効性について ~~日経新聞、萱野さんの「ベーシックインカムを考える」に反論する ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

ゴキブリでもわかるというのは、ゴキブリをバカにしているからではない。ゴキブリは人類が進化の過程で登場するはるか以前から、たくましく、地球上のあらゆる生態系に入り込み人間の作り出した都市空間も利用して生きている。ゴキブリたちからすれば、人間の浅はかな政治経済制度などお笑いものだろう。そんなゴキブリたちにも深く納得してもらうのが本稿の目的である。

 

日本経済新聞の朝刊で、哲学者の萱野稔人さんが、連続してベーシックインカムに批判的な論を展開している。大きな批判点は、財源が不明確で、広く一律にベーシックインカムを支給するよりも、福祉制度などで困っているところに重点的に配分したほうが合理的で有効である~~ということにつきる。この批判は、大部分のベーシックインカム論者にはあてはまる。たいていのベーシックインカム論は、財政難の国家体制の中、税金で福祉制度のリストラによりベーシックインカムの財源を出していこうとするものだからである。そして、現物給付を含めた福祉制度の持続性とベーシックインカムの制度設計を打ち出せていない。これでは、論客の萱野さんにバッサリやられてしまう。ゴキブリだって

「まあ、ベーシックインカムなんて無理!無理!」と言うだろう。

だが、「実現を探る会」で主張されている、通貨改革による国民通貨(公共通貨ないし政府通貨)発行とそれによる国民配当(ベーシックインカム)となれば全く違う展開になる。

 

そもそもの問題点は税財源論のベーシックインカムを批判する萱野さん自身が、国家の財源は「税」しかないと誤解しているからだ。本当は、国家の財源のポイントは「通貨発行権」というものにある。読んで字のごとく、お金を創る権利だ。これがあれば怖いものはない。

通貨発行権の具体例を考えるには、断末魔の悲鳴をあげているアベノミクス(量的緩和政策)がとても良い反面教師となっている。日銀は通貨発行権という権力をもっている、だから、アベノミクスでも、年間80兆円もの大量の資金を国債を買うことで市場に供給した。でも、2%のインフレにも何にもならなかった。それで、このお金はどこへいったのか?それは、日銀にある一般の銀行(市中銀行)がもっている「当座預金」というところへどんどんたまっていっちゃったんだ。2017年7月12日現在で日銀当座預金は、359兆円もある(アベノミクス前の2013年2月は43兆円)。たとえば、この359兆円は、金融用語で「ブタ積み」と言う役立たずのお金だから、これを直接ひとりひとりの国民に配った方(国民配当)が合理的なデフレ対策になるというものだ。なぜなら、ブタ積み預金が、有効なひとりひとりの暮らしの消費のお金になるんだから。もちろん、このムダ金を介護現場などの困っているところに配分したってかまわない。使い道は、「まっとうな」政治の在り方が決めていくことになるだろう。

ただ、通貨発行権は、これだけではない。さっきの日銀が国債を買って流したお金は日銀当座預金に溜まったといった。これに、日銀は一万円などの現金も印刷しているから、これらをあわせてベースマネー(お金のパン種みたいなもの)という。このベースマネーの一部である日銀当座預金は、一般の銀行(市中銀行)のものだから、銀行は、このお金を使って、企業や家庭に融資して利ザヤを稼ぐということになっている。銀行が貸したお金は、ほとんどが、銀行預金となるから貸し出しを増やせば増やすほど預金がふえていくことになる(信用創造という)。この「預金」は引き出したりカードで使えるから、現金と全く同じで「預金通貨」と言われている。これもお金なのだ。となると、一般の銀行も「通貨発行権」をもっていることになる。この預金通貨の総体をマネーストックとかマネーサプライとかいうが、この全体の額は2017年6月で1301兆円もある。

(ただし、アベノミクスは、この銀行貸し出しはほとんど増えなかった。だから、ブタ積みになったというわけ)

ここで、おさらい。「通貨発行権」は、「中央銀行=日銀」と「市中銀行(一般の銀行)」の二つがもっているが、この両方の権利でざっくり1000兆円以上のお金が生み出されるということになる(国民通貨の発行)。これを使うと、国民配当(ベーシックインカム)や他の福祉財源は、しっかり確保されるわけだ。それに、リーマンショックのときのデリバティブなんていう錬金術的金融工学をつかったときには、さっきのベースマネーの100倍ぐらいのあぶく銭を創り出したなんていう話もある。お金はあるところにはあるもんだ。

ただ、注意点がひとつ。国の富の総量をきちんとチェックしてお金を創らないとインフレっていうお金の価値がなくなっていくやっかいなことになるから、無限にお金を創ることはできない。みんなの富を適正に分配するのがお金の本当の役割だからね。

ここは、無限に増えていくほどのパワーをもっているゴキブリたちにも理解してもらえると思う。増えすぎたら餌がなくなっちゃうから。

こんなところで、今回は、「通貨発行権」が大切!ということを、萱野さんをネタに

考えた。深くは、「実現を探る会」の関曠野さんの講演録などを参考にしてください。

(2017年7月13日)