古山明男さん講演録「ベーシック・インカムのある社会」第2部

古山明男 講演録

「ベーシック・インカムのある社会」

― 労働と教育の根本的転換 ―

第3回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年7月12日 於:青山学院大学

講演者:古山明男

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

講演者より
この講演録は、2009年7月12日に青山学院大学で行われた講演をもとにしていますが、説明がよりわかりやすいものになるよう、大幅に加筆修正してあります。 ここに記載された内容は実際の話より「こういう説明をしたかった」ものであることをご諒解ください。 なお、講演趣旨の変更にあたる場合は、附記として最後に付け加えています。

第2部「生活を保障する公共通貨」INDEX

  1. ベーシック・インカムの財源
  2. 電子マネー型公共通貨 e¥
  3. e¥の使い方
  4. 引き出し権は絶対に保護される
  5. お金が生まれる仕組み
  6. 信用創造が生産側だけでいいのか
  7. 消費者側への信用創造
  8. 普通¥(円)との交換手数料
  9. e¥は納税通貨
  10. 歴史的実例
  11. なぜ減価させるのか
  12. e¥の正体は“積立型”国債
  13. e¥では使えないもの
  14. 減価の方法
  15. e¥を受け取った企業はどうするか
  16. 運転資金
  17. 減価マネーでの貸し借り
  18. 長期資金の返済
  19. 銀行貸出しの大変化
  20. e¥管理銀行による無利子融資
  21. e¥での賃金
  22. e¥での国、自治体の税収運営
  23. 公共経済の財源
  24. おおまかなシミュレーション(1) GDP
  25. おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築
  26. 輸入増の問題
  27. 財政問題
  28. コントロールしやすさ
  29. 地方通貨も可能
  30. 附記1 e¥の流通残高
  31. 附記2 e¥回収額の設定について
  32. 附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈
  33. 附記4 “減価ストップ債”の方法
  34. 附記5 納税されたe¥も減価ストップしない
  35. 附記6 利払いの割増費用
  36. 附記7 合計5つのレバー
  37. 第1部へ戻る

ベーシック・インカムの財源

古山明男さん

話し手:古山明男さん

1949年千葉市生。 京都大学理学部卒。 出版社で雑誌編集に従事したのち、私塾、フリースクールを主宰し、さまざまな教育ニーズに応える。 教育制度、教育財政を研究。 著書に『変えよう!日本の学校システム』(平凡社)。

「ベーシックインカムのある社会」blog
economics-human.at.webry.info
古山教育研究所HP
www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym

ベーシック・インカムの最大の問題はですね、じゃあ実現させるお金があるのかなんです。

月8万円出すとして、子どもが半額として年115兆円ほどかかります。今の地方と国を全部合わせて予算規模が150兆円。政府予算で80兆円。いまの国の予算を軽くオーバーしちゃうんです。

ですから普通に考えたらきついでしょ。そんなことできるのか、って言うのは当たり前です。そしてそれに向かって「出来ます」と言うなら、それはやっぱり責任ある形で提示しなきゃいけないんです。

具体的な方法はいくつかあります。まともに行くんなら税でちゃんと集めて構成します。

これはね、小沢修司さんなんかが所得税45%でいちおう行けるんじゃないか、と計算しています。

もうひとつ消費税を財源とするというやり方があります。たとえばゲッツ・ウェルナーというドイツのドラッグストア・チェーン店をやっている社長さんがベーシック・インカムを主張していて、所得税なしで、消費税50%、それでベーシック・インカムの財源は出る。そういう計算をしているのがあります。

日本の今の状況でおおざっぱな計算をしてみると、税負担を考えるときの基礎にする国民所得というものがあって、それが約370兆円なんですね。

そこから、たとえば北欧諸国は所得の7割くらい税金と社会保険に使っていますので、それくらい出す気になりますとね、260兆円くらいを再配分に回せます。そうしますと110兆円のベーシック・インカムを出して、まだたっぷり残ります。だから、もし北欧諸国並みの負担率を覚悟すれば、すぐにでも実現可能です。

ベーシック・インカムはそもそも不可能ということではなくて、可能なだけの経済規模を私たちは持っているということなのです。

しかしながら、実際の増税は難しいです。やっぱり増税アレルギーっていうのはありますし、現実問題としてはなかなかまとまらない。

しかも、現実に税収の落ち込みが始まっています。この間の報道では、昨年度の税収がね、前年度に比べて13%落ちちゃった。国の税収50兆円位あったのがね、43兆か44兆です。今年もっとひどいですよ。

それから地方の税収も落ちています。

この状況だからこそ根本的な財政問題とかベーシック・インカムとかの議論に入れるんですが、入れるんだけれども、そのときには正真正銘、金がないんですよ。そういうジレンマに今あるわけですね。

80年代にもし高負担、高保障型の財政に移行する合意が出来ていたら楽に出来ていたと思う。あのころは財政力強かったです。でも、いまは財政基盤が弱くなっています。

電子マネー型公共通貨 e¥

そこで、私がこれなら実現可能性があると思う、電子マネー公共通貨案があるんです。これだと、財源はいりません。新たな経費的なものは年数兆円程度かかりますが、それで100兆円を超えるベーシック・インカム全体を運営できます。

前回関さんの講演会を聞いていらっしゃった方あると思うんですけれども、関さんは財源はいらない、公共通貨を出せばいいというお話でした。

私も、新しい公共通貨発行によってベーシック・インカムが可能だと考えています。いまの日本というこの社会の中でやれる形を考えてみました。

ウソみたいな話だと思うかもしれませんが、魔法じゃありません。片方で、生産の設備と技術は余っている。もう片方には、働いても働いても報われない人たちやお金がなくて生活に困っている人たちがいる。そういう状況なら、パイプを作るだけでうまくいくんです。

公共通貨は、いろんなものがあり得ます。これから紹介するのは、減価マネーを使って消費者側に信用創造するタイプです。これなら信用されるだろうという堅実なものにしました。

公共通貨は、誰にどのように渡すか、税とどう組み合わせるかなど、実は他にもいろいろなものがあり得ます。色々あります。みなさんも、これをもとに、シミュレーションをいろいろやってみると、おもしろいと思います。

e¥の使い方

e¥(イーエン 仮称)
  • 紙幣や硬貨は存在しない
  • ICカードで決済

これから話をする都合があるので、e¥(イーエン)ととりあえず名前をつけさせてもらいます。これね、紙幣もありません、硬貨もありません。JR東日本のSuicaとか私鉄のPASMOとかありますね。あれと同じです。カードで触ってピッ、で支払い終了。

ベーシック・インカムが生まれてくるための、すべての個人の口座がありまして、国ないし自治体が管理しています。そこに、たとえば毎月8万円、e¥を引き出す権利が発生します。

図1:すべての個人に新通貨の引き出し枠ができる。

注意:この個人枠は通常の銀行口座とは性格が違う。

それをカードにチャージすれば、どこのお店でもカードをピッと触れるだけでお買い物できます。チャージは、郵便局やコンビニでできるように機械を置きます。高額のお買い物でしたら、IDとパスワードを使って、自分のコンピュータか、お店のコンピュータから払います。

なんでいちいちチャージする方式にするかというと、カードというのはいつも盗難、紛失、偽造の怖れがあるからです。カード自体には数万円程度しか入らないようにして、お財布と同じ使い方をします。カードは何枚も持っていてかまいません。これなら、お小遣いの金額だけ入れたカードを子どもに持たせて、気楽に使わせることもできます。

でも高齢者や僻地に住む人は、カードを使うのが困難な場合もあるでしょう。そういう場合には、ベーシック・インカムを現金で受け取れるようにします。

 

それだったら、それぞれの人が指定する銀行口座に毎月振り込めばいいじゃないか、いまの給料振り込みと同じでいいじゃないかと思うでしょう。

実は、このe¥は、普通の銀行口座に振り込むわけにいかないんです。普通のお金と性質が違うので、普通のお金とまぜることができません。

e¥は、毎月1%ずつ目減りするのです。銀行がこんなお金を預かったらたいへんです。預金の利息が年に1%もつけられないのに、預かったら毎月マイナス1%、(複利で年にマイナス11.4%)なんて、それは銀行にとってあんまりです。

図2:月の1%の減価

1ヵ月以内に他人に渡せば、負担はなし。

でも、銀行で決済ができるようにしないと不便です。ですから銀行には、e¥専用の口座が作られることになるでしょう。その口座では、毎月1%の目減りは、預金者が引き受けます。その口座を電気料金や水道料金の引き落としに使います。送金に使ってもいいです。給料振り込みに使ってもいいです。銀行は、手数料をとって、管理しているだけです。

引き出し権は絶対に保護される

それだったら、とまた疑問が湧くと思います。はじめから銀行にe¥専用の口座を作って、そこにベーシック・インカムを振り込めばいいじゃないか、と考えませんか。なぜ、国か自治体に個人口座を作って、「引き出し権」にするのか。

ベーシック・インカムが生まれるとき、引き出し権として別にする理由が二つあります。

  1. 減価しないし、担保にもされない聖域を創る。
  2. 将来、個人が信用創造できる可能性を作る。

まず、聖域を作ることについて説明します。ベーシック・インカムは、なんの対価でもない、それぞれの人の生活権を保障するためにだけ生まれるものです。

この引出し権は絶対に保護されています。絶対に誰も差し押さえはできません。本人しか引き出せません。ですから、ヤミ金融に追われている人も、家庭内暴力から逃げだしたい人も、これを頼りに生き延びることができます。

そのベーシック・インカムを、毎月引き出して生活費にしてもかまいません。1~2年貯めて、車を買ってもいいです。万が一の時のために、とっておいてもいいです。たとえば、5年引き出さないでいると、500万くらい貯まります。ただし5年以上も引き出さなかったぶんの権利は消滅させたほうがいいでしょう。

引き出し権は目減りしません。まだお金ではないからです。「手続きすれば、お金になりますよ」と言われただけで、もらったわけではないのです。所得税もかかりません、資産税もかかりません。誰も奪えません、借金のカタにとることができません。

ベーシック・インカムが、最初から減価するお金で渡されると、生活に余裕のある人まで早く使おうとするので、消費が不必要に膨らみ、せわしない世の中になりそうです。

引き出し権のままプールされるようにしておけば、通貨供給を不必要に増やしません。また、好況の時にはあまり引き出されず、不況のときにたくさん引き出されるので、ちょうどダムのような働きをすることになります。

法律的には、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」にもとづきます。

 

もう一つ、引き出し権の口座を作る理由があります。それは、個人が信用創造できるようにすることです。引き出し権のときはまだお金ではないのですが、e¥としてチャージするか銀行口座に移した瞬間に、国がお金としての価値を保障します。これは、個人がお金を創っていて、それを国がバックアップしているとも言えます。

いま、銀行がお金を創ってしまえるのですが、個人もお金を創ってしまえるようにしようということなのです。

同じ仕組みを使って、将来、出産とか、成人とか、病気や事故に遭ったとか、そういう時に、個人も新たにお金を創れるようにできます。将来、これで、セーフティ・ネットの完備した社会を作ることが出来ます。もちろん、やたらにお金を創れるということではなくて、だれもが納得できる基準に合っているときだけです。

個人がお金を創ってもいいのですか?

このことを説明するには、お金の仕組みがどうなっているかから説明しなければなりません。

お金が生まれる仕組み

お金というとふつう現金のことを思い浮かべます。でも、現在使われているお金の大部分は銀行預金なのです。

会社同士の決済は、互いの銀行口座から銀行口座へと振り込むことで行っています。普通の人の給料も、今は銀行振り込みになってますね。電気、水道、ガスも銀行引き落としです。

お金の大部分は、銀行預金のまま流通しています。いちいち現金にしないのです。

そのほんの一部分が、給料や買い物のために、紙幣の形になっているだけです。量で示すと、次の図のようになっています。これは、お金の量を表すのによく使われる、M2と呼ばれる預金と現金の合計です。

図3:お金の量(M2)

2009年6月現在(日本銀行調査統計局)

その銀行預金が、銀行でどんどん生まれるのです。銀行がお金を創っています。そんなバカな、銀行だってだれかが預けなければ預金は増えないだろう、と思うでしょう。ところが、おもしろいメカニズムがあるのです。

銀行預金は、銀行が「わかりました、ご融資いたしましょう」と言った瞬間に生まれています。

どういうことなのか、図を使って説明しましょう。

図4:信用創造の仕組み(1)

いま銀行が、A社という企業に100万円貸出をしたとします。そうしますと、銀行はA社の預金口座に100万円を書き加えます。そして、「ご融資いたしましたことをご確認ください」と言います。貸したという書類も作ります。

このとき100万円は、銀行の預かり金から移転させたのではありません。お金を貸した相手にすぐに預金させたのです。すると、結果として、集めた預金を貸したのと同じになっています。しかし、100万円の銀行預金はまったく新たにできました。つまり、ここで新しいお金が生まれています。

この新しい100万円はもう生まれていて、流通します。この100万円をA社がP社への支払いに使ったとしても、やはりどこかの銀行預金になっています。

図5:信用創造の仕組み(2)

さらにP社がこのお金を現金にして給料として払っても、同じ額がどこかに存在しています。お金はもう生まれてしまい、流通しているのです。

さらに、このやり方で、雪だるま式に預金が増えます。次の図です。

図6:信用創造の仕組み(3)

銀行はA企業へ貸出をしたので自分のところの預金が100万円増えました。預金が増えたのですから、その100万円をまた貸出に使えます。

そのままの額を貸出すことはできず、ある率は準備にとっておきますが、たとえば9割の90万を貸すとします。その90万は、また新たな銀行預金として生まれます。そしてまたその9割の81万円を貸します。こうやっていくと、どんどん増えますね。高校で教える無限等比級数を使って計算すると、合計で1,000万円のお金が生まれます。

これが、いまのお金のしくみです。お金は、銀行が貸出をしたときに銀行預金として生まれます。そして銀行預金のまま、あちらの口座からこちらの口座へと動いています。そして給料として払われて生活費になったり、税に払われて政府の予算になったりします。でも、元の生まれたところはと言えば、ほとんどは銀行の貸出だったのです。

預金の一部が、給料支払いの時などに、日本銀行券の姿になります。それをわれわれが、買い物に使っています。

信用創造が生産側だけでいいのか

こういうふうにお金を創ってしまうことを、信用創造と言っています。いろんな信用創造があるのですが、銀行の信用創造で生まれるお金を銀行貸出マネーと呼ぶことにしましょう。

銀行貸出マネーは、企業が「これから生産活動を行いたい」という時に、新しくお金を創れるシステムなのです。好況でお金が必要なときは、どんどんお金が生み出されますし、不況でお金の必要が少ないときは、返済されるお金のほうが多くなります。たいへん柔軟であるという長所があります。

なかなかよくできていて、高度成長する経済を支えることができました。

しかし、大きな問題もいくつかあります。

銀行貸出はすべて利息を伴っていますから、貸出の総量より返済の総量が必ず多くなります。経済成長を続けていないと、全部は返せなくなるのです。

また、銀行貸し出しマネーは、生産活動だけではなく、株や不動産を買うためにも生まれています。株や不動産は、投資と投機の区別が難しいです。買うから値上がりし、値上がりするから買う、で実体以上の値段がついては、暴落して大量の不良資産を生み出します。それがバブルです。

世界各国でバブルは起こっています。バブルはネズミ講のようなものでして、かならずいつかははじけます。その影響があまりに大きいので、各国の政府と中央銀行は次のバブルが起こるように誘導して、その場をしのいでいます。でもこれは、問題を先送りしただけです。次にもっとひどい症状が待ちかまえています。

そして根本的な問題は、この銀行貸出マネーは、生産の側には必要に応じて供給されますが、消費の側には供給されないことです。消費者の側は、賃金からしかお金を得られません。

図7:消費の側には信用創造が適用されない

もちろん消費者ローンはあります。でも、消費者はお金を貸してもらっても、お金を返すときは、消費を切り詰めて返すしかありません。

そのため、消費者が使うお金が増えないので、生産側も収入がのびません。企業が銀行に貸出を受ければ店の設備を作ることはできます。しかし、肝心な売上げは、消費者が買ってくれないと伸びません。

銀行貸し出しマネーだけでは、人々の所得を増やせないことを、よく現したグラフがあります。日本の通貨の量とGDPを表したものです。

図8:通貨量とGDP (日本銀行「時系列統計データ」より作成)

GDPというのは、企業利益と個人所得の合計です。日本のGDPは、90年代以降ほぼ横ばいです。ところがその間にお金の量(代表的な指標であるM2をとりました)は、どんどん増えています。

このようにお金はじゃぶじゃぶとあります。でも、人々の収入は増えていないのです。

消費者側への信用創造

そこで、消費者側に信用創造することが考えられます。ベーシック・インカムとしてお金を生まれさせるのです。

生産と消費は一体のものです。それに必要なお金を、生産側から入れても、消費側から入れても、同じことです。いったん入れれば、あとは循環するだけです。

消費側に信用創造してしまってもいいではありませんか。これで、生産と消費のバランスがとれるようになります。

図9:消費者側への信用創造

とはいえ、ここで大きな問題があります。

消費者への信用創造は、貸し付けても返済される見通しがありません。消費者は、お金を使えばそれっきりなのです。それが消費というものです。ですから貸すのではなく、あげるしかありません。しかし、そうすると出回っているお金がどんどん増えていきます。ベーシック・インカムは毎年100兆円もの額になります。流通して、結局はお金持ちのところに集まり、バブルになりそうです。今の世の中では、お金があまった人たちは、モノを買うより株や不動産に向かいますから、インフレよりバブルのほうが起こりやすいです。

でも、持続可能なサイクルを作ることはできます。普通の方法としては、消費税や所得税で回収することです。この方法も真剣に検討されてよいと思います。

しかし、コンピュータが発達した現在、電子マネーを利用すると、そのお金が人から人へと移されるたびに、たとえば1%ずつ、自動的に回収することができます。お金を使った人は、かならずそのお金の恩恵を受けているのですから、わずかな使用料を払うつもりで回収に応じてもいいではないですか。あらゆる口座移転の際に回収します。

図10:電子公共通貨 回収システム

つまり、この電子マネーによる信用創造は、個人に貸したが、返済は人から人へと回るときに、使った人みんなでする、という形になっています。みんなで担う、公共の通貨なのです。けっきょく、ベーシック・インカムを受け取った個人は返さなくてもいいのですから、もらったことになります。誰もが同額をもらっているのですから、不公平はありません。

使った時の1%回収だけでなく、この電子マネーは1ヵ月保有するごとに、その保有者から保有料として1%を回収します。この公共通貨は、みんなで使うためのお金です。誰かが資産として貯め込みにくくしてあります。ただし、1ヵ月以内に使った場合には、保有料は払わなくてかまいません。

こうしますと、この電子マネーは、絶対に毎月1%以上が回収されます。毎月1%というペースは、5年9ヵ月で半分になり、20年で1割以下になるペースです。発行されたe¥は、かならず消滅します。だから、次から次へと出すことができます。

回収された電子マネーは、また次のベーシック・インカムの資金にできます。古い電子マネーを消滅させるのにも使われます。(附記1)

こうすれば、持続可能な、消費者のための信用創造システムが作れます。しかも、返済に困る人も現れませんし、貸し倒れの心配もありません。

さらに将来は、この電子マネーシステムを使って、ベーシック・インカムだけではなく、人々の生活の必要に応じた信用創造ができます。病気や怪我をしたとき、医療費や生活費のために信用創造していいのです。あるいは、一家の稼ぎ手が急逝したとき、家族に信用創造を認めればいいです。

そうしたら、生命保険や疾病保険なしに、国や自治体の予算もなしに、生活のセーフティ・ネットを作れます。

ただし、電子マネー公共通貨による信用創造は、生活に必要なことに限定することが大事です。それが、インフレやバブルを防ぐことになります。

普通¥(円)との交換手数料

e¥は普通のお金と交換できることが保障されていないと不便です。普通の円と交換が保障されていないと、「e¥では受け取れません」という人やお店も出てくるでしょう。

でも、もしe¥と普通のお金を自由に交換できたらどうなるでしょう。誰でも、e¥をもらうと同時に、普通のお金に換えてしまうに決まっています。目減りするお金より、目減りしないお金のほうがいいですから。そうしたら、e¥は流通しなくなります。

そこで、e¥から普通のお金に換えるときは、手数料を取るようにします。たとえば、1年分の減価にあたる11.4%を払ってもらいます。

こうしますと、手数料を払って紙幣に換えることが保障されます。でも、安い手数料でもないので、e¥のまま使ったほうが得になります。買い物にはほとんどe¥がそのまま使われるでしょう。

でも、結婚式のご祝儀はやはり紙幣でないと熨斗袋に入れられませんね。それは、銀行に行って11.4%の手数料を払って1万円札に交換してもらいます。

e¥は納税通貨

新しいお金を作ろうとするとき、それを受け取った人の立場を考えなければなりません。

そのお金を受け取ったお店にとって、使い道があるかどうかなんです。もし使い道がないならば、お客がe¥で払おうとしても、お店としては「普通のお金で払ってください」と言います。そうなったら、もうe¥は流通しないお金になってしまいます。

どうすれば、e¥を受け取った側が、そのお金をもらっても不自由しないでしょうか。

必要なことは、e¥をそのまま納税に使える通貨として認めることです。e¥は国が作る公共通貨です。その通貨を国が税金として受け取らなくて、「税金は日銀券で払ってくださいね」などと言ったら、どうなるでしょうか。そんな通貨は誰も信用しなくなってしまいます。だから国は、ふつうの¥とこのe¥をわけへだてなく税金として受け取ります。地方税にも使えます。

そうすれば、どこのお店も会社も、e¥を受け取ります。税金に払えるなら、誰でも必ず使い道があるからです。自分が多すぎれば、納税の多い人と交換すればいい。

そうするとおもしろいことが起こります。e¥は月に1%ずつ目減りするお金です。商売をしている人たちにとって、月に1%は死活問題です。e¥を受け取ったら、さっさと手放してしまおうとします。税金の支払いに使えるなら、e¥をつまみ出して、払ってしまいます。それでもまだe¥があるなら、先の税金まで払おうとします。持っているよりはましです。

つまり、税金の先払いが流行るようになります。納税者が「来年のぶんまで払わせろ」と言うと、税務署が「ダメです、今年のぶんしか受け取れません」と押し問答するようになるかもしれません。

歴史的実例

このような減価するお金、しかも納税に使えるお金は、実例があります。

1932年にオーストリアのヴェルグルと言う町で地域通貨を出しました。大恐慌の時代なのですが、この地域通貨のおかげでこの町だけものすごく経済効果が上がって生き延びました。これは町でもって労働証明書という名前で紙幣を出しちゃいまして、公共事業をやったときの賃金として払いました。その紙幣は毎月額面の1%のスタンプを買って貼らないと通用しないという仕組み作りました。これがその紙幣の写真です。

図11:ヴェルグルのスタンプ通貨

この証書の右上に空欄がありますけれども、所有者はここに毎月一枚づつスタンプを買って張るんですね。それは1%ずつ毎月価値が減っているようなものなんですよ。

このお金は持っていると余分なスタンプ代を払わなければならないので、どんどん使われます。お金の形で貯め込もうとしないで、早く使おうとするのです。そのため、ものすごく経済が活性化しました。失業者が減り、生産が増えました。税金を前払いする人たちも現れました。

すごくうまくいったんです。でも、真似しようとするところがたくさん現れたもので、通貨制度が混乱することを心配した国に禁止されてしまいました。これやると税金が地方には入るけれど、国の方に入らなくなっちゃいます。

e¥は、このヴェルグルの労働証明書みたいなものと考えればいいです。スタンプ貼る代わりに、手持ちのe¥の一部を自動的に回収していきます。そのため、手持ちのe¥が減るのです。

なぜ減価させるのか

我々はお金を貯めたがります。すべてのモノは、腐ったり、すり減ったり、壊れたりしますが、お金にしておけばいつでも欲しいモノと交換できるからです。お金が貯まっていると、とても安心できますね。

すると、どうしても貯めるのが上手な人と下手な人がいます。上手な人はたくさんお金を集めて、使わずに貯め込みます。そうすると、お金が循環しなくなります。トランプでチップをぜんぶ集めてしまう人ができると、ゲームが続行不能になるようなものです。生活に苦しむ人ができるし、経済活動が滞ります。

そこで、貯まったお金が活用されるように、利子という制度を作って、お金持ちがお金を貸すようにし向けます。銀行がその仲立ちをします。これで、お金が死蔵されることはなくなります。でもそうすると、お金を持っている人は何もしなくてももっとお金を殖やすことができますし、お金のない人はけっきょく利子のぶんをたくさん払わなければなりません。貧富の差がどんどん大きくなります。やがて、ドカーンとすべてをご破算にしてしまうような事態が起こります。

ゲゼルという経済学者は、減価するお金を考え出しました。われわれの生活に必要なさまざまな物資よりもお金の価値が少し低くなるようにするのです。そうすると、お金は貯め込まれなくて、よく流れるようになります。ヴェルグルの町長さんは、ゲゼルの理論を実行したのでした。

減価するお金は、お金を貯め込む人たちからお金を徴収するのと同じ働きがあります。人々はお金を貯めるより、お金を使おうとします。お金は滞らずに循環するようになります。

しかし、お金が目減りするだけだったら、みんなが貧乏になります。お金が湧き出しているところが必要です。

すべての個人ごとに必要な生活費としてお金を湧き出させるのが、お金のもっともよい湧き出しどころだと思います。どんな文明であろうが、人々の生活維持が経済活動の根幹なのです。生活費は、労働と生産を生み出すために使われ、次の人へと渡されていきます。ベーシック・インカムと目減りするお金の組み合わせは、いつも流れている川を作り、そこから誰でも水をくめるようにするようなものです。誰でもが安心できる社会を作れます。

しかし、目減りしないお金も存在していないと、いまの経済はうまくいきません。普通のマネーとe¥が共存していくのがいいと思います。

e¥の正体は“積立型”国債

では、このe¥という電子マネーは誰が発行した、どういうお金でしょうか。

おもしろいことに、いろいろに作れるのです。政府が発行した通貨としてもかまいません。別な日銀券としてもかまいません。あるいは、政府が保障する新たな種類の消費者クレジットとすることもできます。

いろいろあり得るのですが、「信用される通貨を作る」ことが大事です。それには、e¥は国債である、とするのがいちばんいいと思います。

国債というのは、国が発行した債券で10年後とかの期日に額面の金額を払い戻します、という約束なのです。国債は、あらゆる債券のうちでもっとも信用があります。もしそのまま人に渡せば、お金を渡したのと同じことになります。しようと思えば、国債をそのまま通貨にすることだって、可能なのです。

e¥は、額面100円の小額国債が集まっているものだとします。e¥の一枚一枚は、「満期になれば、絶対に100円玉一個と交換します」と国が約束してあります。そうして、最初から100円のお金として通用させるのです。

しかし、普通の国債とは、たいへん違ったところがあります。

普通の国債ですと、発行したときに購入者がお金を払い込み、期日になったら国が払い戻し(償還)します。利子も払います。次の図です。

図12:通常の国債

e¥ですと、次の図です。払い込みなしに発行してしまい、それが流通する間に少しずつお金を集めて、満額になったら払い戻します。“不特定多数者による積立型国債”とでも言ったらいいと思います。利子は払いません。

図13:“積立型”国債

国債と通貨との関係ですが、日銀券の場合ですと、日本銀行は66兆円の国債を保有し、76兆円の日銀券を発行しています(09年7月)。各国の中央銀行も、これと同じような構造になっています。

日本銀行は、国債という信頼できる資産を持っていることで、日銀券の信用を得ているのです。でしたら、国債そのものを直接にお金として通用させたほうが、もっと確実ではないでしょうか。e¥は国債そのものです。

 

"不特定多数者による積立型国債"であるe\は、使用1回1%と保有一ヵ月1%で払い込んでもらいます。この払い込みのために減価するのです。113円になったところで満額となります。そのとき113円のe¥または100円の現金で払い戻しして、消滅します。(附記2)

e¥運営には、かなり大がかりな全国電子システムと、たくさんの窓口を必要とします。e¥をまとめて管理するところが必要です。国と自治体による直営システムを新たに作っても、日銀がやってもいいのですが、似たようなシステムをすでに持っている「ゆうちょ」あたりが管理するのもいいんじゃないでしょうか。

e¥では使えないもの

ところが、目減りするお金では、どうしても受け取るわけにいかないという業種があります。たとえば、銀行にe¥を持っていって「定期預金にしてください」と言っても、銀行は、目減りするお金を殖やして利息を付けることは不可能です。「普通のお金に換えてからいらっしゃってください」と言うしかありません。

他にも、お金を長期に渡って運用する場合には、e¥では運用不可能だから受け取れなくて当然なのです。銀行預金をはじめ、株式、国債、社債、保険、年金積み立てなどがそうです。

また、外国通貨との交換も無理です。目減りする通貨を外国が受け取ってくれるはずがありません。

土地を売る人も、e¥では受け取れないことが多いでしょう。

貯蓄、外国通貨購入、土地売買などは、みんな消費税がかからない取引です。これらは生産・消費活動ではないのです。これらの場合には、e¥での受け取りを断れるように決めておいてよいでしょう。普通の円に交換してから使います。

こうすると、たまったe¥を不動産や株や通貨の投機に使おうとしても、交換手数料があるために儲けるのは非常に難しくなります。これによって、e¥のバブルマネー化が防げます。

減価の方法

図14:1枚1枚の100円国債は額面を保つ

減価の実際ですが、e¥管理銀行が1%の自動徴収(国債払い込み)をすることで、目減りします。1万円のe¥があったらそこから100円を一枚抜き取る方式です。これだと、全体は1%減りますが、一枚一枚は100円の価値を保ちます。(附記3)

1%ずつ払い込まれたe¥は管理銀行に保管されて、満額になったe¥国債を償還させるための準備金になります。保管されたe¥は貸出にも使われます。

もし何もしないで10万円のe¥をじっと持っていると、次のグラフのような減り方になります。1年で8万8,638円になります。5年9ヵ月で半分の5万円になります。

図15:e¥の減価プロセス (月1%減価 15年間)

単位:縦軸=万円/横軸=月

113ヵ月のところで、ちょっと増えています。これは、償還期日です。一枚あたりe¥113を払い戻しされました。e¥113という額は、普通円の100円と交換できる額です。

ただし、回収は古い電子マネーから行いますので、古い電子マネーはたいてい管理銀行にあります。償還は管理銀行の中で行われ、自分で自分に払うことで古い電子マネーを消滅させます。

e¥を受け取った企業はどうするか

企業の立場を考えてみましょう。企業は、いつも借入金を返済し、手形を落とさなければなりません。売上げの多くがe¥になった企業はどうしたらいいでしょうか。

e¥でのベーシック・インカムが実現したとすると、貧乏人でもお金持ちでも、ふだんのお買い物でe¥から使ってしまおうとします。

そうしますと、スーパーとかコンビニとか消費者相手の商売は、e¥ばっかりたまっちゃいます。

そのままでは、商売する人にとって困ったことになります。企業は、仕入れには手形を使い、手形の期日までに銀行の当座預金に振り込みます。また、運転資金を銀行から借りては返済しています。ところがe¥では、銀行口座に振り込めません。普通のお金に換えるには、11.4%も手数料がかかってしまいます。11.4%では、商売が成り立たないでしょう。

運転資金

  • e¥での約束手形を発生させる。
  • e¥での運転資金借り入れを発生させる。
  • 過渡期には、11.4%の手数料を国が補助して、返済を援助するなども可。

そこで従来の手形とは別に、電子マネー版の手形を発行できるようにします。いついつに、いくらを電子マネーで払いますという約束手形です。約束は約束であって減価することはありませんので、信用ある企業のe¥約束手形は価値あるものになります。手形割引も可能です。

いったん移行してしまえば、問題なく回転するでしょうが、移行するときはかなりの配慮が必要になると思います。手形を落とせないことは倒産を意味します。

企業がe¥しか持っていないので手形を落とせないという事態を防ぐために、過渡期には、国が普通¥との交換手数料を補助する。あるいは、手数料部分の繰り延べ返済を認めていいでしょう。また、銀行から企業へe¥融資が必要になりますが、その資金としてe¥管理銀行が一般銀行にe¥無利子貸出をします。

減価マネーでの貸し借り

e¥のように減価するお金では、お金の貸し借りが難しくなるのではないかと想像されると思いますが、そうではなく、たいへん面白いことがおこります。

生産活動を活発に行っている企業ならば、e¥で借りるメリットがあります。借りたら、すぐに仕入れや賃金の支払いに使ってしまうのです。そして売上げから、返済の期日に同額を返済します。そうすれば、減価を引き受けないで済みます。けっきょくこれは、無利子融資を受けて運転資金に使ったのと同じです。たいへん得になります。

いっぽう、e¥を持ったまま、使い道がなくて目減りの危険にさらされている企業や銀行もあります。そういうところは、6ヵ月後とか1年後に同額を返してもらう約束をして、生産活動をしているところに渡します。そうしますと、自分は減価を引き受けないですみ、同額が期日に返ってきます。この方式なら、貸すメリットがあります。多少のマイナス金利であったとしても、持っているよりましです。

つまりe¥は、そのまま持っていると価値が減るのですが、生産活動が活発なところに貸せば、価値が減らないのです。e¥は、生産活動が活発なところに集まってきます。

長期資金の返済

手形や運転資金は、e¥建てのものを発生させて、誰にも損のないようにできます。しかし長期資金への対応は簡単ではありません。長期の銀行借入金、社債、株式などです。

長期借り入れを普通円でしたのに、売上げがe¥ばかりという企業はどうしたらいいでしょうか。

これには、返済期日に同額のe¥で支払うことを認め、ただし、本来払うはずだった普通円と交換するための手数料は、繰り延べ払いにすることを認めることで解決できます。貸した側は、返済されたe¥の総計を普通円に交換すれば損がありません。e¥のまま使ってもいいです。返済した企業側は、結局手数料ぶんだけ余計に払わなければならなくなりますが、e¥発行による経済活性化のメリットを十分に受けています。繰り延べ払いにすることで、急なショックはありません。また、e¥売上げに対する法人税の減免で、企業の損を軽くするという手段もあります。

e¥の流通が盛んになったとすると、企業が資金を調達するやり方に変化が起こります。普通円で長期の借り入れをしたのに売上げがe¥ばかりという企業は、いったん普通円に交換してから返済しなければなりませんので、結局、高い利率の借り入れをしたのと同じことになります。それでは引き合わないのでe¥での借り入れが多くなります。その場合、借り入れてそのままお金で持っていると損するので、必要なときに必要なだけ借り入れてすかさず使ってしまうやり方が主流になってくると思われます。

自動車のトヨタが、「カンバン方式」というのをやって、材料や部品の不必要な在庫は持たない、必要なタイミングに必要なだけ納入されるシステムを作りました。それと同じように、不必要なお金は持たない、必要なタイミングに必要なだけ借りる、という方式が資本調達でも行われるようになると思います。返済は、将来の時点での売上げから行います。

投資が必要なときに必要なだけe¥で社債を発行し、予想収入に合わせて少しずつの返済を約束するタイプが増えると思います。

株式発行ですが、株式は返済の心配をしなくていいので、普通の円で発行すればいいでしょう。配当はe¥で払うようなタイプが増えそうです。

銀行貸出しの大変化

e¥の流通量が増えてきますと、銀行の仕事が変化します。銀行は、普通のお金と同じにe¥を預金として受け取ることが危なくてできません。自分で持っちゃったら大変、毎月1%減っていくのを引き受けなくてはなりません。そこで、決済や引き落としのためには、目減りの責任はお客さまご自身で、という新しい当座預金を作ることになるでしょう。銀行は、場所を貸しているだけです。管理手数料を取るのは正当なことでしょう。

減価マネーでは、銀行がみなさんから大量の預金を集めてそれを貸し出す業務は、困難になります。銀行が預金を集めても、タイミングよく借り手がいればいいのですが、そうとも限りません。借り手を見つけられなくて自分で持っていると、たちまち減価のリスクにさらされます。

そこで、銀行はいったん自分のところの預金として受け入れることはしないで、貸し手と借り手を仲介して手数料を取る仕事をするようになります。

いっぽうで、e¥での資金需要はけっこうあります。企業は運転資金としてe¥の借り入れを必要とします。銀行は、e¥を持っていて使い道がなくて困っている企業と、e¥借り入れをしたい企業を仲介します。

銀行がe¥を貸す場合でも、自分のところの預金量をそのままにして貸すのではなく、いったん渡してしまいます。そして、返してもらう約束をします。

けっきょく、e¥の場合には、銀行貸出による信用創造が起こらなくなるということなのです。図にしてあります。

図16:銀行貸し出しの大変化

実は銀行の信用創造が、こんなに資本主義が脆弱である大きな原因なんです。銀行が、利子でもうけようとして、貸出しをしすぎるんです。そのため貸出の1割も不良債権が発生すると、倒産してしまいます。5%でも危ないでしょう。銀行が倒産すると、企業も他の銀行もバタバタと連鎖反応で倒れます。

減価マネーですと、銀行は貸出で儲けにくくなり、生産者と資金の仲介者という本来の役割を果たすようになります。e¥が多くなると、価値が保存される日銀マネーも大事になってきますので、銀行の新しい仕事もたくさん生まれると思います。

e¥管理銀行による無利子融資

  • e¥管理銀行は、一般銀行に対して、e¥を無利子融資する。
  • 回収された古いe¥を、融資に使う。融資に新規発行はしない。

企業から、運転資金としてe¥の需要はかなりあるでしょう。それに対して、銀行の手持ちe¥や、斡旋できるe¥が不足することはあります。そのときは、e¥管理銀行から一般銀行にe¥の無利子融資を行います。あるいは、銀行が、e¥管理銀行から企業に貸すことの仲介をします。

一般銀行のe¥貸出金利は、市場に任せればいいと思います。e¥管理銀行からの無利子融資が控えていますので、高い金利になることはあり得ません。e¥を貸したい人が多い場合には、マイナスの金利が生じることもあり得ます。

e¥の貸出にあたって、原則としてe¥管理銀行が新たにe¥を作り出すことはしません。e¥管理銀行には、回収したe¥がありますから、それを一般銀行を通じて貸出に使います。

e¥といういくらでも作れるお金を、国が新たに無利子融資に使うと、あぶないと思います。もういくらでも融資出来ちゃうんですよ。経営危機の大企業があると、結局は民主主義国家いろんな圧力があるわけで、助けてくれーっていうのは、労働者も経営者も思いますよ。そういうところにぼんぼんお金を貸して、潰れそうな会社をみんな助けちゃうんです。そうすると日本が社会主義国と同じになってしまいます。ゾンビ企業ばっかりになっちゃう。やはり経営責任は経営責任です。そしてベーシック・インカムで、人を助けています。失業しても人が生き延びられる仕組みを作っています。で、そのぶん企業は、経営責任を取ったほうがいいです。

無利子融資といっても、e¥ではあらゆる口座移転に際して1%の手数料がかかります。往復だと2%かかりますので、これが実質的な金利になります。この口座移転手数料の率を調節すると、短期金利の調節と同じ意味を持ちます。

e¥での賃金

e¥で賃金をもらう人の立場はどうでしょうか。はじめのうち、e¥での給料支払いは給料の一部でしょうが、売上げがe¥ばかりの企業は、賃金もe¥で払わせてくれと言います。そこで働く人がe¥ばっかりで賃金をもらっちゃったらどうしましょう。ちょっと困っちゃうでしょ。生活費として使うのなら問題ないのですが、一番困るのは住宅ローンを抱えている人たち。だってe¥はそのままローン返済には使えないことになっています。あるいは、家を建てるために貯蓄をしたい人たちもいます。

その解決策に、絶対というものはないので、いくつか案を作りました。

A案
給料全額e¥払いを認める。ローン返済、預金などには、個人が手数料を払って¥に交換。かわりにe¥所得税低率。
B案
給料全額e¥払いを認める。ある割合の¥との交換を国が手数料補助。
C案
給料のある割合は、普通¥で払うことを企業に義務づける。

A案は企業が全部e¥で払っても構わない。その代りにe¥での収入に対する所得税は0%か、非常に低くする。

B案も、給料を全部e¥で払っても構わない。けれども、ある割合を普通¥と交換するのは国が手数料を援助してくれる。

C案。一定割合は普通の円で支払うことを企業に義務付ける。普通の円との交換は企業が責任を負う。

いろいろな方法があるんです。(附記4:“減価ストップ債”の方法もある)

e¥での国、自治体の税収運営

ベーシック・インカムにe¥が使われるようになりますと、e¥が集まってしょうがないところができます。国と地方自治体の税収です。個人でも企業でも、e¥は真っ先に税金の支払いに使われるに決まっています。

税金の前払いが流行るようになりますね。

普通の円を持っている人も、そのまま納税に使わないで、e¥を持てあましている人とちょっといい率で交換してからe¥で納め、差額のぶんを得しようとするかもしれません。

そこで国があわてて、e¥での納税を制限したりしたら、e¥は信用を失ってしまいます。ここは、e¥で税金を受け取ります。

国の工夫は、いかにe¥をe¥のまま通用させるかにかかってきます。国や自治体はその年の収入でその年の支出をまかなう方式で、蓄えを作るタイプではありませんので、基本的にはe¥でやれるはずです。

予算のうちもっとも大きな部分は、公務員給与をはじめとした人件費です。e¥が定着してなんでも買い物ができるようになったら、人件費は基本的にe¥にしていいでしょう。しかしそれでは住宅ローンなどで普通円に交換しなければならない人たちが手数料で損しますので、e¥でもらう給与に関しては所得税フリーにしたらどうでしょうか。

政府がe¥で払うのでは問題になりそうな費目もあります。最大のものが、これまでに発行した国債や地方債の利払いや償還です。普通の円で払う約束をしてあるのに、税収はe¥ばかりなのです。この問題に対しては、普通円への変換手数料分を割増してe¥で払うことを認めたらどうでしょうか。受け取った人は、すぐに普通円に換えれば損はまったくありません。しかし、変換するとは限らなくて、e¥のまま使うかもしれません。

現実には、公債の借り換え(普通円のまま継続)に応じる人が多くなって、実質的には国債や地方債の償還をしなくてすむ割合が大きくなると思います。e¥が行き渡ってきたときには、減価しないし利子も付くという債券は、新規発行が少なくなり、貴重なものになってくるからです。

国や自治体に納税されたe¥は、減価がストップするようにします。(附記5)

いっぽう、積み立てて運用するタイプの政府管掌事業(基礎年金等)は、だんだん運用が困難になります。長期的には徴収タイプに移行することになるでしょう。そのほうがいいんじゃないでしょうか、積み立て運用型の政府事業が、年金やかんぽ事業などの問題を起こしてきたんです。

公共経済の財源

ベーシック・インカム実現後も、公共経済、つまり福祉・教育・医療・環境、そういうところにお金が回っていかないと本当の意味で生活が充実してきません。そういう公共経済は、もうかるもうからないではなく、必要だから作るものです。みんなで出し合うお金、つまり税金をもとに運営しなければなりません。そのための税収が必要になります。

図17:ベーシック・インカムによる公共経済拡大

e¥でベーシック・インカムを出し、消費税と組み合わせる方式で行きますと、この財源が作りやすいんですね。消費は必ず増えます。その増えた分から払う税ですので、無理がありません。また、電子マネーであることを利用して、支出したときに消費税を源泉徴収することもたぶん可能です。

行政サービス、教育、福祉などの費用を、商品の原価の一部と考え、買い物をするときに払ってもらうことは、合理的だと思います。どんなモノやサービスも、道路や港があり、制度が整い、教育程度の高い人々がいるから、生産できているのです。

しかし、消費税には問題もあります。消費税は収入の少ない人も同じ率で払わなければならないので、貧富の差が大きくなることです。ですから、消費税は、ベーシック・インカムと組み合わせなければいけません。そうすれば、低収入層にとってはけっきょく収入増になります。さらに、減価マネーの場合は、実質的に資産税を課しているのと同じですから、お金を貯め込む人たちへの対応がすでにできています。この資産税の脱税は不可能です。

税っていうのは、みんなでお金を出し合って維持しているサービスのためにあります。

ですから、税収を増やすなら、住民自治が絶対に必要です。自分たちで決めたことだから、払う気になるんですね。それに、実際に住んで暮らしている人たちで決めないと、ほんとうの必要度がわからないです。

今とにかく地方にもっとお金が行かないとだめです。職がないから人々も都会でばっかり暮らしちゃう。今消費税5%取られているでしょう。そのうち、地方に行くのは1%なんです。4%は国に行っています。地方の方にもっといっぱい渡して自分たちで何が必要か判断して、責任を持って使うようにしなくちゃいけない。

この地方と国の分配率を7:3とか6:4で地方に多くしていくべきです。それにともなって、地方に権限を移譲して、自治を拡大します。

おおまかなシミュレーション(1) GDP

大まかなシミュレーションをちょっとやってみました。これ絶対っていうことはないんだけれども、ちょっと目安にはなるかと思います。

ベーシック・インカム毎月8万円で15歳以下を半額としまして年間116兆円かかります。これをe¥を新規発行して出します。

収入がこのくらい増えたら消費がこのくらい増えるというのは経験的に知られてるんですよ。日本の場合0.6~0.7くらいだとされてます。

アメリカだとすごくて、0.9以上を消費に回しちゃう。アメリカはほぼ使っちゃう。日本の場合は、もっと使い方が控え目なんですけれども、このe¥でのベーシック・インカムの場合には、超貧乏ですぐ使ってしまう人たちみんなにも渡るでしょう。給与の一部もe¥というどんどん使わないとやばいお金になる。なおかつ将来のために貯めなくてもいいという条件が付いている。

だもんで、消費に回るお金の率は、相当多いと思います。控え目に見て0.8としました。そうしますと93兆円、四捨五入して90兆円の消費増が期待できます。

そうしますと民間の最終消費支出、とにかく投資じゃなくて現実に金を使っているのが、現在240兆円のが、330兆円くらいになる計算になります。一方でね、消費が盛んになるとそれだけ国内で生産が起こる部分もあるんだけれど、中国から買っちゃえ、というようなのが相当あるんですね。おそらく30兆円程度が輸入になります。そうしますと差し引き60兆円くらい国内生産が増えるという計算です。

今年のGDPを480兆円として、GDPがおそらく540兆円くらいになります。この毎月8万円のベーシック・インカム出しましてGDPが11%ぐらい伸びちゃうという計算なんですよ。これはかなり控えめな計算をしているとは思うんだけれども、信じられないようなすごい数字なんです。ちょっと経済に明るい人だったらウソじゃないかって言うような数字になるんですよ。

これが、予算を使わずにe¥でベーシック・インカムを出すことで起こります。

ただしe¥の一部は、普通の円に転換されて貯蓄に向かったり輸入に向かいます。おおざっぱですが30兆円くらいとみています。それがe¥と交換されるのに応じるために普通の円も用意しなければなりません。それは普通円の国債を発行してまかないます。ほんとうに政府の出費になるのは、交換される普通円とe¥との差額の部分、つまり11.4%の部分です。そうしますとこの新しい公共通貨運営にかかる費用は、この差額部分、とりあえずの計算では3.4兆円ということになります。あと、システムを作るための初期費用はどうしてもかかります。1~2兆円でしょうか、そのくらいだと思います。

けっきょく年間4兆円程度の出費を覚悟して、それで11%のGDP増加です。しかも、一回かぎりではなくて、持続可能です。(附記6)

いま、国内の生産力に余力はありますし、安い輸入品もある時代ですので、かんたんにインフレにはなりません。

おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築

単純にGDPが増えてもほんとうには豊かになれなくて、さきほど話しましたように、公共経済を構築する必要があります。それには税収がどうなるかです。

これから挙げるのは極端な一例ですが、参考にはなると思います。

個人の所得税はなし、消費税25%とします。

そうしますと、民間最終消費330兆円の25%で、消費税収が約83兆円になります。現在の個人からの税は、所得税が国と地方の合計で約28兆円、消費税が約13兆円、計41兆円です。したがって、42兆円の税収増。ただしe¥と普通円との交換手数料約4兆円と公債費のe¥割増3兆円が新たな費用ですのでそれを引くと、35兆円税収が多くなることになります。(附記:講演では公債費割増を含めなかったので38兆円としました)

この35兆円の増収は、無理な増税じゃないんです。個人の収入は増えています。経済活動も盛んになってGDP増えています。それでもって増えた税収なんですよ。

35兆円あると、いろんなことできますね。

例えば教育費です。教育費の研究をしていまして、幼稚園から大学まで公立も私立も全部タダにするのに6兆円で足りちゃうんですよ。たった6兆円。さらに、一人一人に応じた教育を発生させるための費用をつけてやってとりあえず8兆円も出れば、かなり充実します。

それと今一番財政の問題で困っているのは年金です。パンクしかけちゃっている。これちょっと根本的な設計変更しなきゃならないと思われるんですけれども、基礎部分はベーシック・インカムで置き換えがききます。さらに10兆円もあったら、十分な給付ができそうです。

あとですね、今福祉関係で、たとえば介護のヘルパーさんなんて給料安いですね。ああいう人たちにいっぱい払ってあげるといいです。ヘルパーさんたちは裕福でない人たちが多いから、あの人たちが普通の生活をして普通にお金を使うようになると、それで経済がよくなります。

生活そのものが充実することでお金の循環がよくなっていくと、本当の経済発展であり、本当のGDP成長なんですね。そういう生活の充実に、たとえば福祉で5兆円増やせる。医療費で5兆円増やせる。これでも合計まだ28兆円なんです。とにかく、人々がほんとうに必要としているものに使うことです。そうするとお金が生きます。

こういうようなお金を公共経済の方に使っていって、それこそ本当に豊かな社会が出来るんですね。

輸入増の問題

問題は輸入増なんですよ。ベーシック・インカムを新たな通貨で出すとインフレが起こるんじゃないかって考えると思うんですけど、今の我々に買いたいものが増えたら外国から輸入するものが多いです。中国あたりで安いものをぼんぼん作っていますからね。現に今輸入は増え続けていまして、2005年に68兆円だった輸入が、2008年に、わずか3年で88兆円になっているんです。消費に対する比率でそのまま計算しますとベーシック・インカムによる消費増で、もう30兆円くらい輸入が増えると思われます。

ある程度は輸入超過でいいんですよ。外貨が余ってるっていうのはバカらしいですよ。今までドルをしこたま貯め込んだ。結局ね、商品券もらって喜んでいるだけなんですよ。結局最初360円の価値あったのが、今1ドル100円を切っています。その商品券の価値がどんどん失われました。買い物しないまま商品券のまま貯めてどんどん減っちゃったっていうものなんですね。

輸入の場合は通貨の問題があります。最初のうちは、外国への支払いは今まである普通の円でドルやユーロと交換して払えばいいんですけどもね、だんだんe¥が多くなった場合、e¥でもって輸入しようとすると、そんなお金を外国は受け取ってくれないですから一旦普通マネーに変換しなくちゃならないんですね。そしてこのe¥から円に変換するのに手数料が11%必要ですけれども、そのためにe¥を持っているところが輸入をすると、外国製品ちょっと割高になります。実はこれがね、実質的な関税の役割を果たすんですよ。

これちょっと大事な国内産業保護になると思うんです。

財政問題

そして大きな財政問題として、政府の累積債務の問題があります。

今、国も地方もすごい債務を抱えています。いま、借金で借金を穴埋めしていますので、破局にいたる可能性があります。そこで、e¥と日銀公定歩合なんかと組み合わせてちょっと緩やかなインフレを起こして、政府累積債務を実質的に軽減していくようなことが出来るはずです。これなら、破局にいたらずに軟着陸できます。普通、インフレは年金生活者に大打撃を与えてしまうのですが、ベーシック・インカムと組み合わせてあれば、その痛みは軽くできます。

日銀マネーというのは、企業に渡ってすぐ土地買ったり株買ったりするんですね。で、バブルを起こしやすいお金です。このe¥は、生活者に渡るからお買い物しやすい。モノの値段を押し上げてインフレを起こしやすいんです。

コントロールしやすさ

e¥はコントロールしやすい。4つのパラメータをもつ。

  1. 発行額
  2. 日銀券との交換率
  3. 減価率
  4. 使用料

このe¥は非常にコントロールしやすいです。発行額の調整、日銀券と交換手数料、使うときの一回あたり手数料。時間による減価の率、そういうものでコントロールできます。

例えば月1%目減りしますなんてのは、無くすか低率にしちゃえばe¥は日銀マネーとほとんど変わらなくなります。こういう、アクセルもついてます、ブレーキもついてます、右にもハンドル切れます、左にもハンドル切れます。という形にしておけば非常に対応しやすいんですね。(附記7)

地方通貨も可能

もしかして、いままでの話は、ちょっと難しい話になっているかもしれないですけど、同じような仕組みで、地方からも作れるんですよ。この地方税と地方債とを組み合わせて、地方通貨を作れます。それを財源に、地方ベーシック・インカムを作ることもできます。そのような形でかなり実現性があるんじゃないかと思います。

ちょっと世に問うてみたいと思ったもんですからこういうものを作ってみました。

どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)

【附記】
以下は、講演のレジュメにはありませんでしたが、HP版に付け加えたものです。

附記1 e¥の流通残高

このようにe¥を発行していくと、流通残高はどうなるでしょうか。単純化したシミュレーションをしてみました。収束することが一目でわかると思います。

図18:e¥の流通残高 (毎月10兆円追加 月2%回収として)

これは毎月10兆円(年120兆円)のe¥がベーシック・インカムとして渡され、流通残高の2%が毎月回収される場合の、流通残高の20年間のグラフです。

e¥は最低でも月に1%回収されますが、実際の回転はかなり速くなると思われます。仮に2%としました。

500兆円に収束することがわかります。

毎月の回収率が3%だとすると、330兆円で収束します。

現実の動きはもっと複雑になりますが、だいたい現在のM1(現金+当座預金+普通預金)流通残高480兆円と同じくらいになりそうです。

それでも流通残高が多すぎる場合は、

  • 減価率を上げる
  • 減価もしない貸出にも使われない預金または債券を作って吸収する

という方法があります。

附記2 e¥回収額の設定について

113円で回収としましたが、これは普通の円で償還するためです。しかし、やはり100円貯まったところで償還のほうがいいと思われます。シミュレーションをしてみると、e¥113での償還は、ある時期から発行残高がかなり減ります。

附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈

講演では、1ヵ月ごとに所持e¥の1%を抜き取って回収する方法を示しました。この場合常に一定の率で減価しますので、減り方はだんだんなだらかになります。10年間の減価のしかたは次の通りです。

図19:e¥の10年間の減価の推移 (定率減価 月1%として)

もう一つのやり方として、一枚一枚のお金が1ヵ月ごとに99円、98円…というふうに、額面が小さくなっていくやり方があります。定額ずつ減価します。100ヵ月(8年4ヵ月)で消滅します。

このやり方をすると、新しいお金と古いお金が違った性質を持つようになり、年齢が感じられる生き物みたいになります。

図20:e¥の10年間の減価の推移 (定額減価 月1%として)

定額法ですと、1万円を受け取ったときに、e¥100が100枚という場合もありますし、e¥20が500枚ということもあります。毎月の減価がどちらも一枚あたり1円ずつですので、古いお金のほうが目減りの率が高くなっています。e¥100の場合には毎月の減価率は1%、e¥20の場合には減価率が5%になります。使うときの価値に問題はないのですが、古いお金はくたびれています。

この場合、古いお金(たとえば額面がe¥20未満e¥10以上)は学術・文化・スポーツ・教育など、直接の生産でもニーズでもないが、人間の精神文化を維持し発展させるための部門に寄贈するのがいいでしょう。この部門に対して、政治経済状況に左右されない経済的基盤を作ることは、たいへん重要なことです。

その場合、毎月10兆円のe¥を新規発行すると、7年目近くから額面20円未満のe¥が、毎月2兆円ずつ発生することになります。それを文化部門への寄贈に使います。年間24兆円は、かなりの額です。

額面があまりに小さくなったお金は、最後に持っている人が損しないよう、何枚かまとめて新しいe¥100に交換してもらえるようにしておきます。

 

額面が小さくなっていく減価の場合、口座移転手数料も毎月の減価と同じ方式にすると、新しいお金か古いお金かで率が一定せず、経済取引が困難になります。口座移転手数料は、一定の率として、抜き取り方式で徴収するのがよいでしょう。

附記4 “減価ストップ債”の方法

給料がe¥ばかりになってしまった人を保護する他の方法として、“減価ストップ債”をe¥で購入できるようにするという手段があります。この“減価ストップ債”は、e¥管理銀行が売り出し、1年後とか2年後とか決められた期間の後に、買ったときと同じ額でe¥を払い戻してくれます。個人が、給料をもらったときだけ買えるようにします。これを使えば、給料がe¥ばかりの人が、「お金を早く使わないと損する」という圧迫から逃れることができます。

“減価ストップ債”はe¥の流通残高が多すぎる場合の対策としても使えます。吸い上げて休眠させるためなのです。運用資金を集めるための債券ではありません。“減価ストップ債”を売って集めたe¥は、貸出には使いません。貸出に使ったら、また市中に出回ってしまいます。

このような減価しない例外を作るのは、減価マネーを作る趣旨に反するのですが、減価マネーの運用は未知の領域ですので、安全弁を設けておいたほうがいいと思います。

“減価ストップ債”はお金として流通しにくくします。記名式で譲渡不能にします。途中解約すると初めからの減価分を負担しなければなりません。

“減価ストップ債”を売って集めたe¥も減価しつづけているのですが、e¥管理銀行にとっては、自分で回収して自分のところに置いておくので、実質はプラスマイナスゼロです。

附記5 納税されたe¥も減価ストップしない

講演では、納税されたe¥は減価がストップするとしました。

しかし、そうしますと、国や自治体だけがお金を減らさずに貯めておくことができます。これは、国や自治体に銀行業務の特権を与えるようなものです。なにかというと、目減りしないことがウリの「~積立金」を集めることができます。ところが、国や自治体は、お金を運用するのが下手なところです。これまでもたくさんの問題を起こしてきました。

やはり、国や自治体も、入ってきた税収を減価ストップせずに使ってもらうのがよいと思います。国や自治体は、公共サービスの事業体として経済活動を担います。税収は、みんなの必要を満たすために、みんなから集めたお金です。

附記6 利払いの割増費用

講演では、e¥で予算を組むため約4兆円の出費増があるだろうとしましたが、他に国債や地方債などの利払いをe¥で払うための割増を含めていませんでした。これを含めると、さらに約3兆円の出費増になります。

詳しく言うと、現在国債の償還と利払いに約20兆円を使っていますので、e¥割増11.4%で2.3兆円。別に地方債が140兆円(2006年)くらいありますので、その5%が償還と利払いに必要だとして、e¥割増は0.8兆円。

合計約3兆円程度が、公債の償還と利払いをe¥で行うときに新たに必要になります。

附記7 合計5つのレバー

さらに、通貨供給量が多すぎる場合のための“減価ストップ債”も含めて、合計5つのレバーを備えることができます。これら5つで、たいていの事態に対応できると思われます。

第2部終了

古山明男さん講演録「ベーシック・インカムのある社会」第1部

古山明男 講演録

「ベーシック・インカムのある社会」

― 労働と教育の根本的転換 ―

第3回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年7月12日 於:青山学院大学

講演者:古山明男

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

講演者より
この講演録は、2009年7月12日に青山学院大学で行われた講演をもとにしていますが、説明がよりわかりやすいものになるよう、大幅に加筆修正してあります。 ここに記載された内容は実際の話より「こういう説明をしたかった」ものであることをご諒解ください。 なお、講演趣旨の変更にあたる場合は、附記として最後に付け加えています。

第1部「ベーシック・インカムのある社会」INDEX

  1. はじめに
  2. ベーシック・インカムのある社会
  3. ベーシック・インカムの必然性(1) 「働かざるもの食うべからず」か?
  4. ベーシック・インカムの必然性(2) 「所得=労働」は人間の商品化
  5. ベーシック・インカムの必然性(3) 生きる権利の保障
  6. ベーシック・インカムの必然性(4) 労働市場の柔軟化
  7. ベーシック・インカムの必然性(5) 不況からの脱出
  8. 公共経済の構築
  9. ベーシック・インカム後の社会
  10. 労働訓練としての教育
  11. 贈与経済が大事
  12. 第2部

はじめに

古山明男さん

話し手:古山明男さん

1949年千葉市生。 京都大学理学部卒。 出版社で雑誌編集に従事したのち、私塾、フリースクールを主宰し、さまざまな教育ニーズに応える。 教育制度、教育財政を研究。 著書に『変えよう!日本の学校システム』(平凡社)。

「ベーシックインカムのある社会」blog
economics-human.at.webry.info
古山教育研究所HP
www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym

古山です。 今日はお集まりいただきましてありがとうございます。

少し自己紹介なんですけど、千葉市で私塾をやってたんです。 私のポリシーは絶対に生徒を選ばない。 そうしましたら色んな生徒が来ましてね、不登校、落ちこぼれ、障害児、外国人もいました。 生徒数としては補習や受験が多かったのですが、とにかく私塾に来るのは、何らかのために今の学校に不満があるから来るわけですよね。 お金払ってでも。

そういう生徒たちを相手にしているうちに、これは制度問題だと思うものがものすごくありまして、教育制度の研究をまとめたりしていました。 外国のことも色々調べましたら、教育費全部タダっていう国がいっぱいあるんですよ。 実現してます。 これだけ豊かな日本でなぜ教育費無償ができないのか、というところから公共経済の研究をやっていました。

教育費の無償は、本当に日本で進んでいないんです。 こういうものは財政にとってのお荷物で、負担になるだけで、そんな事やったら国潰れるっていうその考えしかないんですよ。 そうじゃない、公共経済っていうのはとっても大事なんです。 これで国が成り立っていくんです。 そういう公共経済の研究なんかをしていますところにね、ベーシック・インカムのことを聞いたんです。 いい話しだねえ、と思いましたね。

なぜいいかと思ったかというと二点あります。 ひとつは、過酷な労働が自然消滅するだろうということです。 そうすると、教育も、過酷な労働に耐えさせる訓練ではなくなるだろう。 これは社会と人間が根本的に変わるだろうと思いました。

自分の生徒を持っていまして、私の場合はずっと付き合う場合が多くて、高校を出た、大学を出た、そして就職したというところまで付き合っていることが多かったです。 そうすると、就職して大変なのがわかるんですよ。 ほんと若い人たちこき使われている。 安い給料でこれだけ働かされるのか。 どうみたってそれでウツ病になって当たり前だよっていうのに出くわします。 月100時間以上残業しているシステムオペレーターだとかね。 あるいは福祉事務所で働いているんだけど、ものすごい安くて長時間労働。 それを一生懸命やったって、15万も手取りがいかないのをやっているとかね。 いっぽう、一流大学を出ると、これまたこき使われてますねえ。 これはちょっと世の中おかしいな、っていうそういう思いが非常にありました。

ベーシック・インカムなんかあったら、あんまりひどい労働から若者たちがさよならできる。 そうしたら、労働条件が変わっていく。 教育も変わる。

もう一点はですね、経済の研究が好きなんです。 いま、経済はかなりひどい状況です。 これは相当ひどいと思っています。 で、ベーシック・インカムの話を聞いて、「あ、これなら全部解決するじゃない」って思ったんですよ。 恐慌を乗り切れるだろうと。

ベーシック・インカム、これいいね、うまく実現できるといいねえ、なんて思ってたわけね。 でも実現可能性があるとは思っていませんでした。

ところが去年リーマンブラザースのショックがあったでしょう。 あれを見て「ヤー、きた~」って言う感じなんですよ。 歴史の転換点に遭遇しちゃった。 ベーシック・インカムでもやるしかない状況になるかもしれない。 こりゃ、実現の可能性があるぞと思って、本気で経済やベーシック・インカムの研究を始めました。

前回の集会で関さんが「これは不況じゃありません、恐慌です」っておっしゃってましたね。 私も同じ意見なんです。

今アメリカでも日本でも、連鎖倒産おきたら大変だから国が一生懸命お金を出して銀行を助けて、大会社を助けている、それで経済が保っています。 いろんな会社の困難を国の方が引き受けているんですね。 それで保っているんですけど、次の問題がですね、国の財政が続くかどうかなんですよ。 国の収入ってのは税収しかありません。 その税収を担保にして国債を発行して、借金してます。 いつまで国が借金できるかっていう問題になっちゃっていて、私の見るところそうは保たないんじゃないかな、その後どうするんじゃいな、と思っています。

その時に、経済が生き延びるにはこれしかないんじゃないかというのがベーシック・インカムと公共通貨の創設。 実現の可能性が大いにありと思ったんです。

 

第1部で、私たちの社会はベーシック・インカムでどのように変わっていくか、そして教育はどう変わっていくかというお話をします。

そこで必ず行きつく問題がですね、「やぁ、結構なお話でしたね。 だけどお金あるんですか?」、そういう問題が必ずあります。 そこでベーシック・インカムの資金として、新しい電子マネー型の公共通貨を設計してみました。 そのお話を第2部でさせていただこうと思います。

第1部 ベーシック・インカムのある社会

まず、ベーシック・インカムというのはなんであるか。

 

ベーシック・インカムというのは社会のすべての人に、

無条件で…、無条件ですよ…、

個人ごとに…、世帯ごとじゃないんです…、

継続的に…、1回だけの定額給付金じゃないんです…、

最低生活費として渡される所得。

 

と言いますと、疑問がいっぱい湧きますよね。

よくある質問を5つほど拾ってきました。

 

「人々が働かなくなりませんか?」

「働いた人と働かない人が同じでいいんですか?」

「社会主義国と同じになりませんか?」

「なぜお金持ちにも配るんですか?」

「働かざるもの食うべからずではないですか?」

 

こういう質問について、まずちょっとお話ししようと思います。 まず、

人々が働かなくなりませんか?

予想されるベーシック・インカムはおそらく月8万ないし10万くらいじゃないかと思われます。 今の社会状況今の経済規模、まぁ実現可能性ということからすると、当面こんなものだろうと思います。 ちょっと考えてみてください。 月8万とか10万とかもらったとして、ですね、多分飢え死にはしないです。 でも本当にそれは飢え死にしないってだけだと思いますよ。 健康で文化的な生活なんてのは無理だと思います。 そのくらいもらったからって仕事辞められますか?

ちょっと無理でしょう。

従いましてこの程度のベーシック・インカムで離職する人は非常に少ないと予想されます。

でも、それでも辞める人いますよね。 じゃそれはどういう立場の人か。

ひとつは働くのがもともと非常に苦痛だった人たちです。 うつ病があるとか、体が弱いとか、人間関係が下手糞だとか、こういう人たちは最低限生きていけりゃ辞めたいんです。

もうひとつ、チャレンジしてみたいことがある人たちですね。 いや、自分は実は絵描きになりたいんだ。 食えさえすればそっちの方をもっと追究したい。 起業してみたいんだ。 勉強しなおしたいんだ、落語家になりたいんだ。 いろんな道、ボランティアの方で一生懸命やりたいんだ。 食えさえすればこっちで身を粉にしてもやりたい。 結構そういう人たちがいます。

もうひとつは、共働きを余儀なくされている人たちですね。 主婦の人がパートに出ている場合いろんな動機があります。 でも、その中で多いのは奥さんも稼がないとやっていけない。 子供がある程度大きくなって教育費がかかって住宅ローンも抱えちゃったらそれしかどうしようもないんですね。 そういう場合は、仕事がしたいからじゃなくて金稼ぐしかないから働いているケースが多いんです。

ちょっと考えて、ベーシック・インカムができたら仕事が苦痛だからやめる人が数10万人くらい。 それから、チャレンジしてみたいことがあるから仕事を離れる人が数10万人くらいいるんじゃないか。

お金のために余儀なく働いている主婦の数ですが、主婦のパートやアルバイトが、全部で800万人かそこらいますので、4分の1くらいがお金のためだけの人たちだとして、まぁ200万人くらい。

そうしますと、おそらく合計で300万人くらい離職するんじゃないかなというのが私の予想です。

一方労働力人口は6,000万を超えていますので、働かなくなる人たちは、せいぜい5%くらいじゃないかという予想なんです。 全体にこの程度で社会の大変動を起こすことはないだろうし、これで離れる人たちは重要な労働力ではなかった人たちなんですね。 働いているのが、本人にはちょっと不幸だった人たちが主です。 そういうことで、ベーシック・インカムができても、労働力に特に問題は起こさないだろうと思います。

働いた人と働かない人が同じでいいのですか?

同じになりません。

同じになると思うのは、生活保護から類推しちゃってるんです。 生活保護の場合ですとね、この図です。

図1:生活保護とベーシック・インカムの違い

働いている人はこれだけ働いてもらっているでしょ(水色部分:賃金)。 でも全然働かない人がこれだけもらうでしょ(緑色部分:支給された生活保護)。

そうすると働いている人が「何だ、おれこんなに苦しい思いをしているのに、全然何もしていないやつと同じかよ。」

で、生活保護を出すお役所のほうも、そういう働く人たちの手前もありますから、誰にでもポンポンと出すわけにはいかなくて、「あなたほんとに働けないんですか? ほんとうに生活が苦しいんですか?」いろいろと、もらいにくくします。 予算を切り詰めたいってのもありますし。

ベーシック・インカムっていうのは違うんですよ。

もともと働いた人の収入はこの水色のぶんだけある。 そこに両方とも同じだけ、オレンジ色のベーシック・インカムがつきます。 ですから働いた人は、働いた分だけちゃんと報われますし、差がつきます。 働かない人と、働いた人が同じということはありません。

社会主義国と同じになりませんか?

みなが食えるようにすることだけは同じですが、あとは全然違います。 ベーシック・インカムは、経済活動の自由にまったく干渉しません。 ベーシック・インカムは個人の自由にも干渉しません。 そこが、社会主義国とはまったく違います。

社会主義国は経済にむちゃくちゃ干渉します。 干渉なんてものじゃなくて、国が経済を運営してます。 社会主義国は完全雇用をして、その労働で賃金を渡して人々の生活を確保しようとしました。

図2-a:社会主義の場合

それで、社会主義国では採算がとれていない企業も潰れません。 ほんとうは潰れているような企業でも、ちゃんと給料を出します。 国が面倒みてくれるからいいんです。 生産は数さえ合っていればいい。 使い物にならないものを作っても、平気の平左。 働くほうは、時間だけ働いていればいい。 なまじっかやる気を出すと、官僚支配にぶつかる。 だから、みんなでチンタラ無責任をやった。 けっきょくそれで、国全体が潰れちゃったんです。

社会主義国は、労働そのものに価値があるとしています。 だから、作ったものはみんな価値があることになった。 そんなことはない、労働というのは人の営みそのものでして、賢いことも愚かなこともするものです。

図2-b:ベーシック・インカムの場合

ベーシック・インカムの場合は、労働に対して払うのではありません。 人の生存そのものに対して払います。 企業に試行錯誤はつきもの。 効率重視でけっこう、儲けてもけっこう、潰れてもけっこう。 しかし、人は助ける。 何があろうと人が路頭に迷うようなことにはぜったいにさせないぞ、というのがベーシック・インカムです。 効率の悪い企業、採算のとれない企業は自然に退場します。

社会主義国は、企業を国営にして絶対に潰れないようにすることで、誰もが食える社会を作ろうとした。 そうしたら、人まで助けられなくなってしまいました。

なんでお金持ちにも配るんですか?

ベーシック・インカムのもとになる考え方は、すべての人の生きる権利です。 国が人々の権利を保障しようという場合にどんな差別もしないこと、これは絶対的なことです。 お金持ちだからといって差別しません。 ベーシック・インカムは、「金持ちかそうでないか」という見方を捨てて、社会の絶対的なセーフティ・ネットを作ることに意義があります。

不思議なもので、貧乏人よりお金持ちのほうが「財産をなくす」不安が強いものです。 ベーシック・インカムはその不安を軽くします。

また、金持ちと貧乏人を区別しようとすると、どこかに線を引かなくてはならなくなって、その線のところでもらえる人ともらえない人の不平等を生じます。

金持ちと貧乏人をよりわけ、ほんとうかどうかチェックするというのは、ものすごくたいへんなことです。 面倒なお役所仕事に手間と経費をかけたあげく、かえって不平等感や屈辱感が増すんです。

もうひとつ、ベーシック・インカムの大きな目的は生産と消費のバランス調整なんです。 福祉は福祉でちゃんと存在しています。 医療、教育、福祉などを収入に関係なく受けられることは、ベーシック・インカムがあっても同じです。 同じどころかもっと進めます。 貧富差の調整がなくなるわけではありません。 ベーシック・インカムは金持ちか貧しいかと別な次元にあります。

「働かざるもの食うべからずか?」

ここからもうちょっと具体的にお話ししたいと思います。

「働かざるもの食うべからず」か?
ベーシック・インカムの必然性(1)

これはですね、ギリシャのアテネ市民の様子です。

図3:ラファエロ「アテネの学堂」(1508)

ただし、ギリシャの時代から1800年経っちゃった…付近にラファエロが描いた絵です。 想像図です。

ギリシャ、特にアテネでは、学問、芸術が非常に栄えました。 で、働かないで学問とか芸術やってる、政治をやっている、それこそが人間のあるべき姿という理想を持っています。 ここにいる人たち、働いてないですねえ。

ここに、働かざるもの食うべからずの思想はないです。 「働かざる者食うべからず」と言われるのは、もう少し後の時代のようです。 時代と国を超えて、「働かざる者食うべからず」だったわけではないんです。

で、一方ですね、市民たちは奴隷をたくさん使ってるんです。 奴隷がいけないという思想もないんです。 同じ人間じゃないか。 喜び、苦しみ、生きることは同じじゃないかっていう発想はなかったんですね。

図4:ギュスターヴ・ブーランジェ「奴隷市場」(1882以前)

これは古代ローマの奴隷市場の想像図です。 19世紀に描かれたもの。 古代ローマもたくさん奴隷使っていました。

いい値段で売れそうな商品が並んでますね。 まだ色々教えこめそうな子供とか、よく働きそうな屈強な若者だとか、魅力的なお姉ちゃんたちとか。

手前で腰掛けた市民らしき人が、何か食べています。 こういう人を見ると「働かざるもの食うべからず」なんて言いたくなりますよね。

古代ローマは大変繁栄したんですけども、彼らも奴隷制度っていうものを全く疑っていません。 奴隷制の上に成り立っていました。 奴隷のおかげで、市民たちが楽な暮らしをしています。

現在の我々もたくさんの奴隷を使っています。

http://www.citynet.co.jp/search/item.asp?shopcd=07049&item=EE20-0008

お洗濯奴隷といってもいいかな、お洗濯ロボット。 洗濯っていうのも大変な労働でしてね、洗濯機一台で、たぶん昔で言ったら奴隷一人分くらいの価値あると思います。

http://www.komatsu.co.jp/CompanyInfo/press/2003112818151113077.html

コマツのブルドーザー。 これは300馬力のブルドーザーなんで、単純に馬力計算しますと、奴隷1,000人分くらいの価値があります。 実際はもっとでしょうね。 管理が楽ですから。

http://www.yanmar.co.jp/index-news.htm

刈り取りのコンバイン。 もともと農業は重労働です。

http://www.meti.go.jp/information/recruit/keizai/tokkyo/01.htm

豊田の自動織機です。 布づくりっていうのは古来ものすごい労働だったんです。 でも、われわれもう、いかに布が作られているのか誰も知らない程になってしまいました。 もし人が働いていたらものすごい労働力に当たるものを、今これよりももっとすごいものでジャーっと作っています。

こういうふうに機械がいっぱい出てきた。 そうしたら我々は労働から解放されるはずですね。 こういうふうに技術が発達するたびに人間は考えるんです。 これで苦しい労働から解放されるはずだ。 わずかな人たちが働くだけで、生産は足りるはずだ。 あるいは、短い時間働くだけで食っていけるはずだ。

でもね、ここで大問題があります。

人間が労働から解放されたら、その解放された人たちはどうやって食っていくんですか?

どうやって収入を得たらいいのでしょうか?

利子生活者になれる人は一握り。 ビル建てて、あるいはアパートを建てて収入で食える人たちは一握り。 みんながそうなっちゃったらテナントになって金払ってくれる人が誰もいなくなっちゃいますからね。

われわれの社会は、働かないと食っていけない仕組みになっています。 いくら科学技術が発達しても、生産性が上がっても、我々が労賃をもらって生きる仕組みである以上、働かないと収入があるはずはないです。 生活保護があることはありますが、これは働いて食うことを前提にしての例外です。

したがって、我々は慢性的な失業問題を抱えています。 機械が出来ます。 そうしますと今まで人間がやっていた労働が不要になります。 で、その機械で職を失った人たちの収入はどうするのかという問題です。

高度成長期はなんとかなったんです。 新たな産業が出てきて新しい職ができ、人々を吸収しました。 しかし、経済成長が飽和したら、どうしたらいいのでしょうか。

具体的な数字で見ていきましょう。

図5:総人口と産業別就業者数

これ日本の総人口と産業別の就業人口です。 この真ん中の青い線から下が、パートやアルバイトまで含めて、働いている人たちです。

こちらの赤いのが一次産業、青いのが二次産業、水色が三次産業。

特にこの赤いのを見てください。 いくら働かないと言ったって絶対これだけは必要というのが食料生産です。 その一次産業にたずさわる人の数が、比率じゃなくて絶対数で少なくなっているんですね。 日本の人口は増え続けていたのに。

食料自給率が落ちているということもあります。 今食料自給率、カロリーで40%ぐらいです。 60年ごろは80%くらいありました。 だから単純計算して今の2倍くらい就業者が必要としても、それにしても一次産業の人は60年くらいの数まで行かないですね。 これは農業機械、農薬、流通、などの産業があるから少ない人数で食料生産ができているということはあります。 単純には考えられません。 でもそれにしても、すごい減り方です。 二次産業だって少なくなっています。

食料生産がわずかな人数で足りているのですから、もし食料さえあればいいという生活をするのでしたら、仕事のない人がいっぱい出るわけです。 それを二次産業三次産業で吸収してきました。

でも70年代以降二次産業はさほど増えてないんですね。 それを圧倒的に三次産業で吸収してきました。

その三次産業の吸収力もちょっとわからなくなってきたのが、90年代以降なんです。 ここの最近の就業者数、1995年から2005年の棒グラフの水色の線の上のところ、落ちてきているでしょう。 ここを拡大するとこうなります。

図6:産業別就業人口

1995年から10年間で、一次産業で約90万人、二次産業で約420万人減っています。 それに対して第三次産業は170万人しか増えていません。 それがこの水色の上の線の落ち込みなんです。 少子老齢化で、労働力人口が減ってきているのが最大の理由ですが、失業者も100万人増えています。 三次産業が吸収しきれていません。

三次産業というのが本当にピンからキリまであります。 サラ金だって三次産業、パチンコだって三次産業、あるいはいろんな広告、新聞の折り込み広告とかを、たくさんの人が作っているのも三次産業。 そういうふうに、三次産業にいろんな仕事ができて、食えるようにしてきました。

その割に、日本では福祉とか教育とか医療とか、三次産業でも必要度の高いものがさほど充実しないままでした。 これは、そういうものをお荷物だって考えたのがいけなかったです。 ほんとは、必要とされてるし、雇用を確保できるし、大事な分野です。

これまで、なくてはならない労働っていうのが比較的少なくて、なくても済ませられる労働が多いという社会を作ってきたとも言えます。

だから、もし、みんなの収入が少なくなって、みんなが生活を切り詰めにかかると、ものすごく収縮する可能性があります。 なくてもなんとかなる産業が多いですから。

では、全人口のうちで働いている人がどれだけで、働いていない人がどれだけか、もう少しくわしく見てみましょう。

図7:全人口中の就業者数

グラフの青い部分は仕事を主としている人たちです。 この人たちが約4割なんです。 それから家事の他仕事という人が6.7%、通学の傍ら仕事が0.8%、お金をもらえる仕事に就いている人たちが合わせて48%くらいですね。

働かざるもの食うべからずと言うんだけれども、実は働いている人は意外と少ないです。 人口の半分いってないんです。 主婦のパートや学生アルバイトは、それで自分が食えるってほども稼いでいないのが普通です。 ですから、働いている主力はだいたい4割の人たちで、それで全体の人たちの生産をまかなっていると考えていいです。

そしてこちらの水色、働いていない人たちは、こども、老人、学生、主婦、が中心です。 失業者と休業者も含まれています。 この働いていない人も食っているから、それで社会全体が成り立っています。 いわゆる扶養家族というのもそうです。 働いていない人たちの存在もだいじなんです。

もしもですよ、この水色の人たちに対して、「働きもしないのに食っている」ということで、まあ死なせるわけにもいかないから、最低限のカロリー摂取をして粗末な服しか着てはいけないなんて、生かさぬよう殺さぬよう江戸時代の農民みたいな生活をさせたらどうなるでしょう。 とたんに、スーパーの売上げはガタ落ち、外食産業はメタメタ、子供服は売れない、老人向け健康食品は売れない、ゲームは売れない、本は売れない。 すごい不景気になって、こんどは働いている4割の人たちの生活が確保できません。 失業者がたくさんできてしまいます。

稼いでいる人たちが「おれたちが働いているから、お前たちは食えてるんだぞ」と言います。 それはもちろん間違ってはいないのですが、逆に働いていない人たちが「おれたちが食っているから、お前たちは失業しないんだぞ」と言うこともできるんです。

そして、どれだけの人が働いたらみんなが生活できるだけの生産が可能か、これは科学技術の問題です。 倫理・道徳の問題じゃないです。 科学技術、そして社会のシステムの問題です。

おそらく、現在の生活水準を維持するとしても、その生産に必要な人たちは、人口の3分の1くらいじゃないかと思います。 いま、とにかく無駄なことをいっぱいやっています。 作る端から捨てたり壊したりしています。 働かざるを得ない仕組みがあるから、とにかく仕事を作り出しています。 働きたい人だけが働いて、もっと効率よくやると、3分の1くらいで済むのではないかと思います。

でもそうしますと、職がなくなった人たちにどうやってお金を渡すかという問題が生じますね。 働かない人たちにお金が渡らないと、大不景気が起こってしまいます。 そこで必要なのが、ベーシック・インカムなんです。

じつは、現在でも、ベーシック・インカムを作ってみんなにお金を渡すことでもしないと、経済が持続可能ではありません。 これは、後でまた説明します。

生産力が低くて、みんなで働いてやっとこせ食えるという時代は確かにありました。 それが人類の歴史の大部分でもあります。 そういう時代に「働かざる者食うべからず」と言っていたのは理解できます。 しかし、今の時代は働かざる者が食っていないと、みんなが食えなくなってしまう時代です。

働かない理由を、子どもだからとか老人だからとか限定しなくて、「生来の怠け者」や「やる気がない」なんかに広げたって、経済全体にとってはいっこうにかまわないわけです。 そういう人たちを無理に型にはめて普通の仕事をさせても、本人にもまわりにも、ろくなことがないんじゃないですか。

最近の不正規雇用の問題も、見てみたいと思います。 どんな働き方をしているのかというのをグラフにしたのが次の図です。

図8:全人口中の就業者数

いま、非正規雇用が正規雇用の大体半分あります。 非正規、つまりパート、アルバイト、派遣、契約社員が全人口に対して13.8%で、正規の職員・従業員が26.5%です。 90年バブル崩壊以後、働く側にずいぶんとシワ寄せがいっているんですね。 いつ首を切られるかわからない、いろんな保険や手当もつかない人が増えました。 こういう人たちは、なかなか不満の声すらあげないです。 不満を言えば、「来月から来なくていいですよ」になるのが心配です。

この解決がまた難しいです。 法律で正規雇用を義務づけることを誰でもまず考えるのですが、そうするとぎりぎりのところでやっている企業が立ちゆかなくなったり、かえって人を雇わなくなったりします。 命令ひとつで単純に解決するのが困難です。 でも、このままでいいってことはありません。 根本的なところから考えなければならないんです。

ついでですが、上掲の図の下に1955(昭和30)年と比べたものがあります。

昭和30年頃と比べますと、働き方がものすごく変化しています。 あの頃は自営業者とその家族の方が多かったんですよ。 農業や商店が多くて、そしていわゆるサラリーマンの方が少ないという社会。

それがわずか半世紀でその自営業者が6.5%というところまで社会が大変化を起こしているんですね。 そして我々も雇われて働くタイプへと大変なストレスも伴いつつ、大変化を起こしつつあったというわけなんです。

日本で高度成長期が終わったあと、人々の所得がどうなったのか、わかりやすいグラフを用意しました。 これは、家計の所得を棒グラフにしたものです。 80年代にどんどん伸びていったのが、急に横ばいになり、それから減っています。

90年バブル崩壊がほんとうに曲がり角でした。 いろんなものが売れなくなったの、当たり前ですね。

このグラフは、お金持ちから貧乏人まで全部合計した数字です。 格差は拡大していますので、貧乏人はかなりたいへんじゃないかと思います。

図9:内閣府経済社会総合研究所 SNA(国民経済計算)

この横ばいになった曲がり角、1990~92年ごろが、バブルのはじけたときです。 それからは横ばい、98年からは減少しています。 2005年からちょっと持ち直しました。 でも、08年にはまた落ちます。 08年は、まだ統計の数字が出ていませんが。

水色が自営業の人たちの所得です。 農家とか商店とかです。 ずいぶんと減ってますね。 数自体がどんどん減っています。

ピンクは、利子や配当の収入です。 減りましたねえ。 低金利のためです。 資産家がずいぶんと打撃を受けて、お金の使い方が変わっているでしょうね。 でも、打撃を受けているのは、資産家とは限りません。 日本の平均的な家庭はかなりの貯蓄を持っています。 老後の生活のために貯金した人たちとか、子どもの教育資金を貯金した人たちも、計算がずいぶんと狂ったはずです。

こんなふうに家計の所得が減りますと、とうぜんモノの売れ行きは落ちます。 次の図は、日本のいわゆるGDP(国民総生産)を図にしたものです。 上は生産で、下が支出して買っている側です。

図10:高度成長期の終わり 慢性的消費不足

大きく言いますと、日本では、支出がどれだけあるかで生産が抑えられています。 生産が足りなくて経済がおかしくなっているのではないです。 社会主義国だと、たとえば鉄の生産が予定より2割少ない、だもので橋が作れないし、送電設備ができないし、車が作れない。 そのためにまた鉄の生産が落ちてしまう、そんなことが起こりますが、そういうタイプの経済危機をやっているのではありません。

日本で企業が潰れるときは、作れてるのに売れなくて潰れるわけです、あたり前ですけど。 生産力はあるのに、倒産したり、生産物を廃棄したり、工場を遊ばせたりしています。 そのことを「潜在GDPがある」って言い方をすることもあります。

倒産や失業が起こっているのは、人々が働かないからじゃないんです。

景気が悪くなるのは、働く人たちががんばっていないからではなくて、もっと構造的に生産と消費が釣り合わないためです。

あの100円ショップを見てください。 あれね、どうみたって原価が100円以上かかってると思うものがゴロゴロしています。 そういうのは、業績不振や倒産した会社の投げ売りです。 そこで働いていた人たちのことを考えて下さい。 いくら一生懸命に働いても、売れなかったら結局は無駄働きやりました。 労働不足じゃないんですよ。 勤めている人たちはよく働いていますよ。 それでもその人の作ったものが100円ショップに並ぶしかないんです。

企業の方が賃金を上げようとしても、先が分からないのに雇用もそう簡単に増やせないです。 人雇っちゃったら大変でしょ。 これから先何年もお金を払い続けて、賢い経営者ならそう簡単に増やせないですよ。 それで、派遣やパートにして、いつでも首を切れるようにする、正規社員の賃金も減らす。 でも、そうすると、全体の売り上げが減る、また会社が人を減らす。 ということになります。

ですから消費の方が増えるようにしてやらないとバランスが取れない。

支出を増やせば景気が良くなることは政府も知っていますから、日本の場合90年代以降、政府が一生懸命に金を使って、景気を支えました。 それなりの効果はありましたが、でも、結果としては政府の借金がすごく貯まっています。 いっぽう企業は輸出に力を入れ、政府も為替レートに働きかけました。 結果として民間にはドル資産がすごく貯まりました。

しかし、政府の巨額負債を政府が返しきれるはずがないし、アメリカの巨額負債をアメリカが返しきれるはずがないです。 どちらも、いずれなんらかの形で目減りし、一部しか返ってこないでしょう。

草の根の人たちにお金が渡らないと、ほんとに豊かな経済はできないです。

働かざるもの食うべからずというあれはですね、生産が足りない時代の話で、今は消費の方を多くしないとバランス取れない時代です。 何らかの形で、働かない人間を食えるようにしてやらないと、みんな食えなくなっちゃう。 そういう時代に我々は入ってきています。 だからね、「働かざるもの食うべし」、これは日本なら言っていいんですよ。 でも生産の足りない国で言うとこれはまずいです。 生産の高い国ではいい。

生産性の高い国では働かない人間も食わないとみんな食えない。

「所得=労働」は人間の商品化
ベーシック・インカムの必然性(2)

今われわれ収入を得るにのにね、働かないと収入を得られない。 所得=労働。

でもね、これは人間は金のために何でもしなくちゃならないっていうことじゃないですか。

この写真は、大学生の就職活動の様子です。

みんな、リクルートスーツです。 これはやっぱりリクルートスーツ着ないわけにはいかないでしょ。 なんで着るかというと、私はそんなにとっぱずれた人間ではありません。 常識を持っています。 規格品でございます。 と、言ってるわけですね。

大学生は、3年生になるともう就職活動でしょう。 大学に入って、高校までとは違う環境で、やっと自発性が出てきたかな、というところで自分を商品化して身売りするしかなくなる。

身売りといっても、昔の農家が娘を身売りしたようなひどいものではありません。 自分の知識や技能、サービスを売っているということでもあります。 でも、対等に契約を結ぶ立場かというと、そうではないです。 これから残業にも耐えます、仕事を家に持ち帰ります、無理な指示でも極力従います、という立場です。

個人は、サービスという商品を作り、それを売って収入を得ます。 それは当然のことです。 しかし、「なんでもお言いつけどおりにします」というサービスは、ちょっと違います。 人間そのものを丸投げして商品にしてしまっています。

本来商品として作られたものだけが商品であるべきなんです。 人間は商品じゃないです。 人間そのものを商品にしちゃうと、奴隷にしちゃいます。

今の日本で奴隷制はないですけれども、人々はかなり奴隷的です。 程度の問題ではありますが、食うために「お言いつけどおりに」と服従する奴隷でもあります。

さて、ではどのくらい奴隷かというその奴隷度なんですが、これはまったくのグレーゾーンでして、簡単にどちらと決めつけることはできません。 白っぽいのと黒っぽいのがあります。 完全な判別はできませんが、チェックポイントを挙げることはできます。

  • 報酬は十分か。
  • 断ることができるか。
  • どれだけ命令・指揮されるか。
  • 自分の技術、判断を生かせるか。
  • どれだけの時間働くか。
  • 労働のきつさはどれくらいか。

などです。 もっと他に挙げることもできると思います。

図11:現代の奴隷度グレーゾーン

例えば、弁護士さんなら自分の知識や判断を売って報酬を得ています。 あるいは、歌手なら自分の技能と魅力を売っています。 売りたいときに売ればいいのですから、奴隷的ではないですね。 ま、すごい売れっ子だけど、事務所の言いつけのままにあっちのステージこっちのステージで歌って、ふつうの月給もらってるだけなんて歌手もいたりしますけれどね。

いっぽう、「きつい」、「きたない」、「危険」の3K労働なんて、報酬が少なかったら黒っぽいです。 ほかにいくつか、図の中に職を挙げましたけれど、これはこのとおりのきちんとした順番ということではないです。 すべてそれぞれの職場によりけりです。 零細企業経営者で、借金と賃金の支払いに追われて、まるで奴隷じゃないかという人います。 3K労働でも、一日5万もらえれば、ほくほくするでしょう。

しかし労働からしか所得を得ることができなかったら、世の中、能力が高い人たちばかりではありません、立場の弱い人たちは、なんでもお言いつけに従いますと“身売り”するしかないでしょう。

労働市場は、対等な関係での需要と供給にはなっていないです。 市場原理だったら、嫌がられる仕事は応募者が少ないから労賃が上がるはずです。 そうじゃなくて、強い立場の人たちから順にいい仕事をとっていって、最後に残った、人気のない仕事に、食うためにはやむを得ない人たちが低賃金であっても応じるという構造です。 まるで、経済的カースト制度です。 いやだったら、上のカーストに生まれ変われっていうんです。 輪廻転生ではなくて、能力で生まれ変わってですけどね。 そんなことがまかり通るのは、収入を得る手段が労働だけしかないようにしているためです。

そこにベーシック・インカムを出してきますと、すべての人が大前提は食えますから、「それはあんまりだ」という仕事を断ることができます。 奴隷労働グレーゾーンの一番黒っぽいやつはやり手がいなくなって消えていきます。

図12:現代の奴隷度グレーゾーン BI実現後

このことのもたらす社会変化は大きいでしょう。 いま、恐怖が人を動かしています。 中学や高校の先生で、生徒を脅す人がいるんですよ。 「そんなことじゃ、お前、将来はニートだぞ」とか、「日雇いにしかなれないぞ」とか。 親にもいます。 不安と心配にかられて、脅すんです。

ベーシック・インカムができると、とにかく、食えるんですから、そんな脅しは、吹っ飛びます。 社会全体が、「食っていきたかったら、忍耐しろ」という脅しに頼らないで成り立つようになります。

多くの人がもっと自信を持って生きられるようになります。 自信を持って生きられるということは、最後の最後は他人に依存しないでも生きられるということじゃないでしょうか。 他人に支配されたり虐待されたりしたときに、逃げ出す道が残されていることじゃないでしょうか。

では、いい仕事ってどういう仕事なのでしょうか。 私も、生徒たちに就職の相談なんかされることがあります。 「これはたとえ金をもらわなくてもやる、ということをやって、しかも食えていることだ」なんて言ってます。 それには、脅しや競争に訴えるのではない、しっかりした教育が必要です。

仕事一般に関してですが、こういう仕事がいい仕事だと思います。

  1. 十分な報酬がある。

    ある程度収入がないといけません。 暮らせません。

  2. 仕事を通じて社会と関係を持てる。

    仕事があってわれわれは社会的存在になっていきます。 私はこういう人間ですと名刺を差し出すことが出来て、関係ができていきます。

  3. よい仲間がいる。

  4. 達成感がある。

    毎日毎日、流れ作業の中でネジを締めるようなことをしていると、何をしているのかわからなくなります。

  5. 熟達できる。

    それやっているうちにプロになれる、熟達できるっていうものがないとつまらないです。

  6. その人に応じた判断、技能が必要

    その人の能力に応じた判断や技能が必要なものでないと、人が化石になっていきます。 能力より低すぎてもだめだし、あんまり要求が高くてもノイローゼや胃潰瘍になります。

  7. 頭脳と肉体のバランスがよい。

    できれば頭脳と肉体をどちらも動かす方がいい。

われわれは、仕事から多くのものを得ています。 収入はある程度満たされれば、こんどは自分のアイデンティティだとか、よい仲間がいるとか、技能を尊重されているとか、そういうことが大事になります。 ベーシック・インカムができたからと言って、人がたくさん会社を辞めるようなことはないでしょう。 仕事には収入以外にも大事な価値がありますから。 ベーシック・インカムでは、奴隷的労働が淘汰されるだけです。

生産性の高い国では、ベーシック・インカムによって奴隷的労働をなくすべき。

生きる権利の保障
ベーシック・インカムの必然性(3)

今、生きる権利を保障しようとすると、国はまず雇用と賃金を確保しようとします。 公共事業をやったり、いろんな経済政策で、景気をよくしようとします。 個人に対してはできるだけ就業を促し、やむを得ないときに生活保護をします。 収入を、雇用と賃金を通じて確保しようとするので、間接型と言えます。

それを次の図にしてあります。

図13-a:間接型保障

でも、国が、個人の雇用と賃金を確保してあげるのは、難しいです。

高度成長期には、たまたまうまくいきました。 国が道路を作れば、産業も発展するし、雇用と賃金も増えました。 でも、いまそれをやっても効果は小さく、政府の借金ばかりかさみます。

実体経済の巨大さは国なんかの力をはるかに超えていて、国がそう簡単に経済の舵取りできるものではありません。

そもそも企業は、雇用と賃金を最小限で済ませたいわけでしょう。 そこにすべての人の雇用と賃金を確保させようったって、そううまくはいきません。 企業は、「社会主義国じゃあるまいし、余剰人員を抱え込んで潰れそうになっても、国は面倒みてくれないでしょう」って言います。

ところが、企業は潰れそうになると、国に泣きつきます。 「うちが潰れたら、たくさんの人が失業してしまいます」って。 実際、会社が潰れると、たくさんの人が路頭に迷います。 大企業だと、下請けやら孫請けまで潰れます。 地域全体が壊滅的打撃を受けることもあります。 だから、国は助けるしかなくなる。 銀行とかゼネコンとかを助けました。 これは、経営に失敗している会社に国がさらに投資するということでして、たいていは効率の悪い出費になります。

いくら国が自由主義を標榜していても、人に対するセーフティ・ネットを作ってなかったら、国は経済干渉をするしかなくなっちゃうんです。 あの自由主義のアメリカですら、銀行やゼネラル・モータースを助けるしかなかったんです

現在国は、個人に対しては、できるだけ働くようにし向けます。 それでどうしようもないと、生活保護をやります。 でも、生活保護っていうのは出来るだけ受けさせないようにしますんでね、審査がうるさくて、微妙に、時には露骨に本人を貶めて、生活保護を受けにくくします。 推定では、もらう資格がある人のうち20%以下しか捕捉していないそうです。

そうじゃなくて、個人を守りたいんだったら直接個人を助けちゃった方が効率いいです。 本人も貶めない。 企業も自由です。 次の図です。

図13-b:直接型保障

ベーシック・インカムは、無条件で出しますから、審査などいっさいありません。 収入や持ち物があるから出しませんなどと、とやかく言われることはまったくありません。

それから、ベーシック・インカムは個人に出します。 世帯に出すと、家庭の中で虐げられている人たちに渡りにくいんです。 家庭内の暴力とか、封建的支配とか、精神的支配とかは、虐げられている人を護ってあげないといけないです。 家の中にいると抑え込まれてしまうので、飛び出せるようにしてあげるのが一番です。 ベーシック・インカムがあると、とにかくどこかで生き延びることができます。

それから、ベーシック・インカムには、絶対に債務の差し押さえの手が届かないようにします。 ヤミ金融なんかに、借金の担保に持って行かれないようにするためです。 最低限の生きる権利には、誰も手をつけさせてはいけません。

そうしますと、おそらく、自殺が激減します。

自殺は98年に急に増えています。 それまで2万人台だったのが、急に1万人くらい増えたんです。 この増えた最大の原因は経済問題です。 中年の男性に多かった。 住宅ローンに追われた人や、借金に追われた自営業者なんかです。 こういう人たち、これはお金の問題ですから、お金があれば途端にすくわれます。 おまけに、女房子どもの食い扶持までベーシック・インカムで出るわけでしょう。 自殺が1万人はあっという間に減ります。 あと、自殺する人は、働くことができなくて、自分が無用の穀潰しだと思い込んで、落ち込んでいくことが多いです。 ベーシック・インカムがあれば、「あんたが生きているおかげで、うちは食っていけるんだよ」というのは、明白な事実です。 自殺者は減ります。

自殺者が一人いれば、自殺未遂はその10倍くらいあるものです。 死ぬことを考えて生きている人はそのまた10倍くらいいるものです。

自殺者の数が実際に減るようならば、生きる希望を取り戻している人は、その百倍はいるに違いありません。 そのまた家族が楽になっていることを考えたら、もっとすごい数の人が救われています。

高度成長の終わった国では、雇用と労賃を通じてより、ベーシック・インカムで生活の安全保障を。

労働市場の柔軟化
ベーシック・インカムの必然性(4)

今度は雇う側の立場から見てです。 北ヨーロッパの国々が、たいへん効率のよい産業構造を作り出しています。 その考え方に、ベーシック・インカムと共通するものがあります。

ここにあげたのはデンマークの例です。 柔軟性(フレキシビリティ)と安全性(セキュリティ)の二つの言葉をつなげて、フレキシキュリティと呼ばれています。 90年代にデンマークとオランダで成功し、2000年代になってEUが本格的に取り組んでいます。

図14:社会のフレキシキュリティ

週間東洋経済2009年1月9日号より

このフレキシキュリティ型の社会ですと、失業が怖くないんです。 どうして失業が怖くないかと言いますと、この図の左下なんです。 手厚い社会保障のセーフティ・ネットがあります。 失業給付がすごく充実しているんですよ。 最長4年間もらえます。 会社辞めても怖くない、会社が潰れても怖くない。 失業給付だけでなく、医療費、福祉、教育費、老後の生活などが保障されています。

さらに、次の仕事に移るための教育訓練プログラムがありまして、ほとんどタダなんです。 それが再就職しやすくします。 いろんなタイプのプログラムが選べるようになっています。 デンマークは大学がタダですし、入試がなくて書類だけなので、大学に入り直して、学び直す人も多いです。 けっきょく、学費がタダで、しかも生活費をもらえますから、大学に行き直せるわけです。 労働力の質のアップという点では、そうとうな水準になるものです。 日本の、教育訓練所に行くというようなイメージとは、かなり違います。

生活に困らないから、労働者の方も「ほかのことしてみたい」くらいで辞められる、経営者の方も「うちの経営の先行きがどうもね」くらいで解雇できる。 会社が縮小したり新しく出来たり、労働者が会社を移ったりするのが、とてもやりやすい。 そこで、産業構造の調整が早いんですね。 国際競争力が高いです。

デンマークは、もともと、経営者が解雇する自由を得るいっぽうで、労働者側は社会保障を獲得してきたという歴史的経過があります。 日本は逆ですね。 日本は、雇用を終身雇用で護るが、社会保障は充実していないというタイプでした。 そこに不景気がやってきたので、日本でも、リストラがたくさん起こったし、非正規雇用を認めるとかしてきました。 終身雇用にこだわらない企業も増えました。 でも、これをやるときは、社会保障の充実と組み合わせないと危ないんです。 社会不安を引き起こしてしまいます。

柔軟な労働市場と社会保障を組み合わせるタイプは、北欧に共通しています。 小さな政府と人々の自己責任を言う国々は、北欧社会のことを、高い税率であんないわゆる高福祉社会をやって、そのうちに企業が負担に耐えかねて行き詰まるさ、なんて見ていたらそうならなかった。 北欧諸国は国際競争力のトップの方に行ってます。

日本は、社会保障をお荷物視して産業に直接カネをつぎ込む考えが中心だったのですが、それより、むしろこういう手厚いセーフティーネットを作った方が人が安心できるし、産業と労働を柔軟に再編成できます。 不況の時に、消費の下支えをできます。

ベーシック・インカムというのは、このフレキシキュリティをさらに進めたものです。

図15:ベーシック・インカムのある社会

ベーシック・インカムは、失業給付みたいに条件をつけませんし、何年間という期間なしにもらえます。 教育訓練を受けていないと出さないなんて、野暮なことも言いません。 会社を辞めた場合、自由な生活設計ができます。 趣味やっても結構です、学び直しをしてもいいです、ボランティアしてもいい、休養しても結構です。 もちろん、職業訓練でもいいです。 この自由な生活設計の中から出てくるものが、ほんとうの社会活力になります。 クリエイティブなんですよ。

社会は、ゆとりの部分をもっていないといけないです。 すべての人が目的を与えられていて、それに向かって頑張っているなんて、いかにもいつかドーンと破滅しそうじゃないですか。 あるパーセント、アソビがあったほうが健全です。 無理して完全雇用なんか目指さなくていいんじゃないですか。

自由な生活設計の中から、新しい生産に結びつくものも生まれるでしょう、新しい消費に結びつくものも生まれるでしょう。

ただ、ベーシック・インカムは、デンマークなどの失業給付金に比べて、一人あたりの額が小さいです。 いろんな福祉や、高等教育までの教育費無償も実現させておかないと、それぞれの人の学び直しがなかなかうまくいきません。 教育費は、幼稚園から大学まで公立も私立も全部無償にするのに、あと5兆円か6兆円でできます。 めちゃくちゃ安いです。 人々が安心できて、能力を伸ばせて、社会が安定する。 しかも、将来の見返りが見込める。 こんな安いお買い物、めったにないと思いますよ。

生産性の高い国では、ベーシック・インカムによって産業構造の転換、労働力の適正配置、生産性向上。

不況からの脱出
ベーシック・インカムの必然性(5)

日本は、バブル崩壊以降、長い不況の中にあります。 そこに、昨年のアメリカの金融危機のあおりで、いま輸出が激減して大ピンチ。 しかも、もう従来型の対策はほとんど手をうち尽くしているんじゃないでしょうか。 どうなるんでしょうねえ。 でも、ベーシック・インカムをやると大きな効果があるはずです。 そのことを、お話しします。

日本は、90年のはじめに、バブルがはじけてしまいました。 土地はいつまでも値上がりし続けると信じていたのに、ただのバブルでした。 株式も大幅値下がりです。 企業は借り入れして土地や株を買っていましたから、さあたいへん、借金返済に追われます。 懸命に経費を切り詰めますし、倒産するところもあります。 銀行も貸し倒れで大損失を蒙ります。

図16:バブル崩壊

このままだと、不景気の坂道をどんどん転げ落ちるので、政府は景気をよくしようと、いろいろな策をとりました。 公共事業をやるなど、政府の投資や消費を増やしました。

図17-a:従来の景気対策(1) 政府支出増

いわゆるケインズ政策と呼ばれるものです。 これは、それなりの効果はあるんですが、その時だけの効果で終わってしまいました。 高度成長期だと、高速道路を造ると、とたんに物流が盛んになる、ビジネスも観光も生まれると、経済活動全体が大きくなったし、結局税収も増えてモトがとれたのですが、90年代以降では、そんなにうまくいきません。 政府は国債を出して資金をまかなっていますから、国債の発行残高がどんどん貯まりました。

もうひとつ、景気対策の方法として、日銀が金利を下げて、企業がどんどん融資を受けられるようにしました。

生産のほうが足りない経済なら、この方法が劇的に効くはずです。 日本の戦後は、これがよく効きました。 でも、今はそうじゃないです。

図17-b:従来の景気対策(2) 低金利政策

実際には、企業は売上げが増える見込みがないと、危なくて設備投資もできないし、雇用も増やせないですよね。 だから企業はあまり借りないです。 目端の利く会社は、株や債券や不動産で利回りを取ろうとしますから、資金がそっちに流れます。 それがこの図です。

円キャリー取引なんていうのまでありましてね。 日本は超低金利、それを借りてアメリカなどで向こうの利回りのいい株や債券を買うんです。 せっかく日本の方で資金を用意してあげたんだけど、外国の経済に投資するのに使われる。 アメリカの住宅バブルの原因のひとつだとも言われるくらいです。

結局、働く人たちに渡る賃金は少ししか増えませんし、家計の消費もあまり伸びません。

さらにもうひとつ、景気を良くする方法として、輸出を増やすことがありました。 日本国内に買う力がないから、外国に売るのです。 これにも問題がありまして、汗水たらして作った生産物を自分たちは使わないで外国に渡し、かわりにドルという商品券をもらって喜んでいることになります。 ドルを有効に使えれば問題ないのですが、結局かなりの部分がアメリカの債券や株を買って、自国は貧乏暮らしに甘んじ、アメリカ経済に投資するのに使われていました。

このように、景気対策の手段が、なかなかうまくいかない。 国があれこれカネをつぎ込んでも、ほんとうに国内の生産と消費に使われる部分が小さいんです。

ほんとうに大事なのは、人々が消費に使うお金の部分なんですよ。 ここが増えないと売上げが増えない。 企業はいくら融資を受けられても、売上げが増えないとどうしようもないじゃないですか。

だから、本気で生産と消費のバランスをとりたいなら、直接ここのピンクのところに入れてやればいいんですよ。 ベーシック・インカムって書いてあるところです。 家計消費側に。 特に生活費に。

図18:不況対策としてのベーシック・インカム

それも、貸すのではダメです。 あげてしまわないといけない。 消費者に貸したって、返せるはずないでしょう。 消費者に貸したら、サラ金です。

ここに渡せば、生活費に使われます。 それが、企業に回ります。 それがまた賃金に支払われ、投資に使われ、というように回転がすごくいいです。

これをやれなかったのは、「働かざるもの食うべからず」や、「働かないでカネが入ると、ぐうたらのダメ人間になる」ということを信じ込んでいたためじゃないでしょうか。 でも、不労所得が人を堕落させるなら、資産家はみんなぐうたらのダメ人間だということになります。 そんなことないですよ。 人間が立派かどうかは、資産や収入に関係ないです。

公共事業をやるよりもベーシック・インカムで貧乏人に金を渡した方が、景気がよくなります。 貧乏人はハンド・トゥ・マウスでしょ。 全部生活に使うでしょう。 それはすなわち、商店や企業の売上げってことだし、そこからまた給料に支払われたり、次の生産の資金になったりします。

今は、生活に困っている人にお金をあげるほど有効なお金の使い方ないんですよ。 社会全体が豊かになるんです。 公共事業に使うより生活保護に使った方が、効率がいいはずです。

ベーシック・インカムは、貧乏人だけに渡すのではなく、一律にお金持ちにも渡します。 これは、金持ちと貧乏人を区別することの弊害が大きいと考えるからです。 でも、人数からしたら、お金持ちは少ないですから、大部分は庶民に渡ります。

公共経済の構築

ベーシック・インカムの景気に対する効果はすごいと思います。

でも、長期的な視点で考えるなら、不況を脱出するにはもう一本柱が要ります。 公共経済を大きくすることです。 福祉ですとか教育ですとか、医療ですとか環境ですとか、そういう、直接の採算はとれないけれど、生活に必要だというものを充実させることです。 そうでないと、次から次へとものを買って消費するだけのあたふたした経済になっちゃいます。 需要のほうも、アタマ打ちになってくるでしょうし、好景気と不景気の浮き沈みを繰り返すでしょう。 もっとじっくりした生活作りが必要です。

高度成長終わっちゃいますと、企業がね、いろんなものを作ってますけれども、有利な投資先がなくなります。 世界的な現象です。

図19:高度経済成長が終わると

でも、企業ってのは借入金の利息や返済を払わないといけないし、株主に配当しなければいけません。 そこで企業は株買ったり不動産買ったりします。 個人も同じです。 信託銀行とか、保険会社とか、年金とか、資産を運用しなければならないところはみんな同じです。 株式や不動産を買います。

バブルになります。 はじけます。

高度成長を終えた国の内部では、お金を有効に投資する道がなくなっちゃっているんです。

では、生活者のほうが、もう必要なものがないほど豊かになっているからモノが売れないのかというと、そうじゃありません。 福祉、医療、教育、環境といった分野が遅れているんです。

医療とか教育とかは、お金のある人しか受けられないのではいけないです。 たとえば、義務教育を実費で払うようにしたら大変です。 貧乏人は子どもを学校に行かせることができません。 いま生徒一人あたり年80万円くらいかかっています。 月あたり約7万円です。 毎月7万円の授業料を払える家庭でないと、子どもを小中学校に行かせられません。 子ども二人だったら14万円。 それじゃ、家計が破産します。

だから、義務教育費は税金でまかない、国や地方が支出します。

図20:商品経済と公共経済は補完関係

公共経済は、他にもたくさんあります。 道路や橋や港などのいわゆるインフラ整備がそうです。 住民票の発行などの行政サービスや、法律を整えたり、裁判制度を維持するのも公共経済です。

消防や警察も、営利に任せていたら成り立ちません。 昔アメリカなんかにね、火事になると消防車がくるんだけどその場で、いくらだけどお宅払えますか?なんて交渉まとまってから水かけてくれるなんてそんな会社があったそうです。 これじゃ、困りますね。

公共経済は、所得を再分配して、貧富の差を小さくする機能があります。 生活保護や失業保険、年金などは、まさしくそうです。

こういう、ご自分の金でご自由にどうぞ、と言っているとうまくいかない分野を、公共経済が担います。

商品経済は、なんでも自由にお金を使ってよろしい、採算がとれるかどうかの原則で自然にやってくれということです。 いっぽう公共経済は、みんなで出し合ったお金で維持します。 使うときはほんとうに必要なことなのかどうか判断しますし、公平であることを原則とします。

商品経済と公共経済は補完関係にありまして、どっちも大事なんです。

ベーシック・インカムができると、購買力が増します。 でもそれを商品経済の中でだけ回すのではなく、公共経済にもたくさんお金が回る必要があります。

この公共経済のほうにたくさんお金が流れるシステムを作ってうまくいっている実例があります。 北欧諸国です。 スウェーデンとかデンマークとか、社会保障を充実させた国が、生産性が高く、国際競争力が世界のトップクラスです。 さきほど述べましたフレキシキュリティが成立しています。

これらの国では、社会保障、教育、福祉、医療といった分野で、安定した金の流れと雇用を作り出しました。 それが産業発展にも有効だったんです。

北欧諸国では、税金と社会保険の負担が、所得の7割くらいになります。 ところが彼らは、平気で税金を払っています。 というのは、教育も、医療も、老後も保障されていると、お金を貯めなくても生きていけます。 失業も怖くない。 不安のない、豊かな暮らしができるんです。

図21:ベーシック・インカムによる公共経済拡大

公共経済を充実させるには、増税が必要になります。 みんなのお金を集めて、みんなで必要としていることに使うのが公共経済です。

でも、ベーシック・インカムから所得税を取るのはナンセンスです。 他の税源にしても、私は今の仕組みのままでの増税には反対です。 絶対に反対です。

増税するならどうしても前提になるのが、住民自治です。 住民自治がしっかりしていないと、なにが必要とされているのかよくわからないままお金が使われるんです。 住んでいる人たちが、このお金で橋をかけるのがいいか、教育に使うのがいいか、産業を誘致するのがいいか、自分たちで決めることが大事なんです。 そうすると、予算が生きた使われ方をするようになります。 財源と権限をもっと地方に渡すべきです。

税のシステムですが、私は、税金は漸進的に消費税(あるいは支出税)にまとめたほうがいいと思います。 公共経済にかかる費用は、あらゆる商品の原価の一部と考えるべきです。 どんな商品も、交通・通信網が整備され、人々の教育水準が高く、制度が整っているおかげで、生産・販売されているのです。 その費用は、材料費と同じような原価として、価格に反映させるべきです。

いまは、税収が所得の多い個人や企業にかなり依存しています。 収入の多い人が金を出すというのは、それなりによくできているように見えるのですが、そうしますと、国は、税収を維持するために、金持ちや大企業に依存するようになります。 金持ちや大企業は、自分のところが繁栄すれば、国も豊かになると主張し、政策に反映させます。 それが、今の姿じゃないでしょうか。 それで、貧富の差の大きい、不安定な社会ができてしまうのです。

ベーシック・インカム後の社会

ベーシック・インカムができたら、社会がどうなるでしょうか。

まず、労働市場がどうなるか。

おそらく、働く人はやや減ります。 さっき言ったように5%くらい減るんじゃないでしょうか。

求人数はそうとう増えるでしょう。 100兆円くらいベーシック・インカムに出してやりますと、7割くらいは消費に回ると思われます。 所得が増えると、日本の場合6~7割程度が消費に回ることが、知られています。 大幅な消費増が、継続して起こりますから、雇用は大幅に増えるはずです。 とにかく求職者は減って求人数は増えるわけですから、労賃は上昇する傾向にあると思います。

いっぽう生産のほうは、遊ばせている部分が多いでしょうから、どんどん供給してくると思われます。 そうかんたんにインフレにはならないでしょう。 収入は増えてインフレにはならないですから、ずいぶんと豊かに暮らせます。

ベーシック・インカムができたら、それぞれの立場はどうなるか、考えてみましょう。

サラリーマン(ウーマン)

失業の恐怖から解放されます。 会社が潰れても、なんとかはなる。 会社を飛び出しても、なんとかはなる。

つらい仕事、つらい職場からは逃げ出すことができます。 最後のセーフティネットができてるから、かなり楽になります。

転職が楽になります。 しばらく休んでのスキルアップもやりやすくなります。

経営者

無理な雇用はしなくて済みます。 効率を追求した経営をしてよい。

人が辞めやすくなりますから、人をつなぎとめるよい職場作りが必要。

主婦(主夫)

主婦が、だいぶ大きな変化を起こすと思うんです。

どうですか、主婦の皆さん。 もしね、月に8万円でも入ったら。 どうします? 黙っていても入ってきたら。

その人が一番いいと思う方向に、生活を向けることができると思うんですよ。

金のために余儀なくパートをしていた人は、パートで月に10万稼ぐのは容易じゃないでしょう。 それが何もしなくても入ってくるわけだから、辞めちゃいますよね。

仕事に打ち込みたい人は、打ち込むことができます。 収入が多くなっているから、楽です。

家事に専念することもできます。 家事は、これは大事な仕事ですよ。 今産業とはされていないけど、家事をお金に換算してGDPに含めた方がいいという説もあります。 家計にゆとりがあるなら、専業主婦をやっていたい人も多いでしょう。

老人を抱えている家庭も多いですよね。 やっぱり親はとことん見てあげたいっていうそういう人たちもかなりいるはずです。

あとね、いろんな社会活動を見ていますと、今女性の方が元気ですね。 どうも、お母さんたち元気。 お父さんたち疲れてる。 なんか意欲的にこれやろうって言う人、お母さんたちにとっても多いんですよ。 その人たちが思いっきりやれますね。 「自分は稼いでいないのに...」っていう引け目を感じなくてよくなるんだもの。 女性の行動が非常に自由になると思います。

趣味に専念することもできます。 学校に通うこともできます。

農業

個人経営の農業がなんとか成り立つようになります。 いまもう高齢化でどんどん離農する人が増えていて、農地が荒れ放題になるとこ、いっぱい出てきちゃってますよね。 でも、農業をやりたいって言う人も結構います。 最低限の現金収入があるっていうことになったら脱サラして農業始める人かなりいると思います。 相当な数の人が入っていくと思います。 僻地で農業をやっている人たちがいるってのは、環境保全もしているんです。

農業は産業でもありますが、生活でもあります。 自然と対話しながら生きたい人たちの生活を保障してあげるのはいいことです。

起業

起業する人たちが増えるでしょうね。 「失敗しても、なんとか食っていける」から、チャレンジできます。 家族持ちの人でも、家族の生活が保障されてますから、チャレンジできます。 起業は、たいてい苦しい時期があってそれを乗り切るのはたいへんなのだけれど、最低の食い扶持があることは大きいです。

芸術

芸術やってみたいって言う人も多いですよね。 絵を描いてみたり、小説を書いたり、ロックをやってみたり。 どんどんチャレンジするでしょう。

社会活動

社会活動に打ち込む人たちが、相当に増えると思います。

この『ベーシック・インカム実現を探る会』の人たちと話していると、「いやあ~、ベーシック・インカム実現してくれりゃぁ、どんなに楽なことか」と話が合います。 稼ぐことはそこそこにして、時間が自由になることを選んでいる人たちなんです。

世界のいたるところにこういう人たちがいます。 社会発展のためのDNAみたいな人たちなんです。 こういう、最低限でも食えりゃやっていくぞ、という人たちが試行錯誤を引き受け、道を切りひらいてくれるんです。

私は、草の根で無認可の学校をやっている人たちとたくさん会ってきましたが、食うや食わずでやっている人たちが多いんです。 この人たちに無条件の月8~10万があったら、ずいぶんと楽になりますね。 なんの分野でも、意義のあることに取り組もうという人たちが増えると思います。

地方都市

どこにいても収入があるなら、地方の方が暮らしやすいです。 家賃が違います。 この間私の会った人は、都心のだいぶいいところに住んでいたけど千葉の津田沼に引っ越したんだって。 近々会社を辞めるかもしれないから、今まで家賃10万払っていたのが5万で済むところに越したんだそうです。

この東京の青山のあたりだったら、独身用のマンション10万以下っていうことないでしょう。 ちょっといいところだと13,4万行っちゃうんじゃないかな。 ところが電車で1時間のところへ行ったら、5万くらいでかなりきれいなところがあります。 生活費全般も安いし、そうとうの人が地方都市に越すと思います。 人が収入付きで越してくるのですから、そうすると、地方にまた職ができていきます。

地方都市の立場からすると、地域振興にたいへん役立ちます。

過疎地

農業やる人が引っ越していって暮らすようになります。 自然の中で暮らしたい、生きて行けさえするなら、っていう人がけっこういます。

学生

大学、短大、専門学校などにたいへん行きやすくなります。 たとえ授業料が変わらなかったとしても、基礎生活費がありますから、仕事をせずに学校に行く時間が作れます。

子ども

何歳までいくら出すかはむずかしいところです。 6歳まで4割、12歳まで5割、18歳まで6割というような段階的出し方、一律に18歳まで半額とするやり方、などいろいろありそうです。 何歳まで、親がベーシック・インカムを全部管理していいかも、研究しなければいけないですね。

子育てに専念する人が増えるでしょう。 もう一人育てようかという人も増えるでしょう。 子育ては、たいへんだけど充実感のあるものです。 子どもにとって親は、世界で一番好きで、一番頼れる人です。

ベーシック・インカムはやっぱり少子化の切り札になりますね。 仮に大人8万子ども4万とするでしょ。 そうすると夫婦子供2人いると24万。 何もしなくても夫婦子供2人で24万入って来たら最低限食えるじゃない。 あと、夫婦のどちらかが働けば、普通の生活ができます。

ベーシック・インカムがあると、本当に「子は宝」になります。

失業者

収入がない人という意味だったら、いなくなってしまいます。 多分路上生活者は、大抵は消えると思います。 ああ、でも趣味の人も少しいるかな。

うつ病の人

減ります。 頑張らなければとか、こんな自分ではだめだ、というプレッシャーを抱え込むのがウツ病です。 あなたがどんなであっても、とにかく生きていていいのだ、ということを毎月現金で証明してくれるんですから。

引きこもりの人

減ります。 ベーシック・インカムが引きこもりを助長するんじゃないかと思われがちですが、引きこもりの原因は恐怖なんだから、安心できるようになったほうが減るんです。

フリーター

いろんな立場が入り乱れるようになり、全体としては増えるでしょう。 ベーシック・インカムで、これ幸いと働くのを減らす人。 ベーシック・インカムで、教育を受け直すなど自分のスキルアップをするための余力が生じる人。 最低限食えるならと、正規雇用より自由な時間を作ろうとする人。 いろいろだと思います。

教育の変化

そして教育が大変化を起こします。

この子が、将来社会で食っていけるんです。 なんとかはなるんですよ。

この子が将来食えていくかで、それでいろいろと親が不安になり、教師が不安になって、「社会は甘くないぞ」っていう発作を起こすんです。 ほんとは、自分の不安なんですけどね。

ベーシック・インカムがあると無理強い教育が激減します。

今の教育をちょっと考えてください。 労働訓練の意味を強く持っているんです。

労働訓練としての教育

  1. 休まないこと。 机に座っていること。

    ともかく休むな。 全然勉強で効果が上がってなくても、いじめられていても、休むなっていうんですよね。 小さいうちから、とにかく机にちゃんと座っていなさい。

  2. 無味乾燥に耐えること。

    大事ですね。 それがないと将来生きていけないです。 つまらないことに耐えなければいけません。 不適切なカリキュラムも、つまらない授業も、無味乾燥に耐えることに役立ちます。

  3. 個人ごとの評定点のために働く。

    学校では、個人ごとに評定点が下されます。 それのために頑張るようにし向けるんです。 小学校の評定から始まって、中学高校の定期試験、大学入試の点数、大学の優良可まで、あれのために学ぶんです。 個人ごとについてまわるクレジットがあって、それを蓄積するために学校に行くんです。

    会社に入ると自分の評定点のために働かなきゃならない。 だから小さいときから慣れないといけません。

    学校が「自己評定点頑張らせ体制」が基本になっています。 それを忘れて、「個性尊重」とか「ゆとり教育」とか言うから、カラ振りになるんです。

  4. 何を手に入れても満足しない。

    何を手に入れても満足してはいけません。 先生がすぐ向上心向上心といいますね。 あれです。

    多分南米かなんかの話しだと思いました、よく働いてくれたからと労働者のお給料を上げたら、とたんに働きに来なくなっちゃった。 いったい何が不満なんだってきくと、

    「だって今日暮らせるのに、どうして働くんですか?」

    つまり我々は、今日暮らせても明日のために働く、そういう人間たちを育てないとこの社会維持できないんです。 だから、いい成績をとっても、賞を取っても、「それで満足してはいけない」、「上を目指せ」、「まだここが足りない」。

    もちろん、明日を考える人間を育てることは大事です。 しかし、それはラットレースで追い立てることや、満足を知らない人間を育てることとはまったく違います。

  5. 目標に向かって努力する

    目標を与えるとそれに向かって努力する人間でないと、雇用することができません。

    でも教育で目標管理をやりますと、結果だけ取り繕うとか、ご褒美がほしいとか、そういうものに生徒たちを走らせます。 浅薄な知性を育ててしまうんです。

  6. 賞を欲しがり、罰を察する

    こうなってもらわないと、昇進や昇給をめざして頑張ってくれません。 まずいことに対しては、どんな罰があるかの見せしめをやっておいてから、「ああなるよ」ってほのめかします。

  7. 学校の仕事を家庭に持ち越す

    宿題がいっぱいあります。 夏休みの宿題もあります。 テストのために家庭での時間を犠牲にするほど誉められます。 個人の生活のバランスを崩してしまうことに、教師たちが無頓着です。 これはのちの残業につながります。 仕事の持ち帰りにつながります。

  8. 教師生徒、先輩後輩の序列を作る

    人間序列を作ります。 教師と生徒、先輩と後輩。 これは企業社会での服従の訓練ですね。

    教育は、それぞれの人が権威・権力から自由になって、物事がほんとうはどうなっているのかを発見できるようにすることです。 たとえ大学教授が言うことだって、違っていたら小学生がそれ違うんじゃありませんか、と言えることです。 そういうものを確立していくのが、民主主義国家の教育なんです。

    職場は、機能集団ですから、命令と服従の指揮系統は存在します。 だからこそ、就職する前に、なにが正しいかを見抜く能力を育てないと、殿様が白馬を黒馬だと言うと、はい黒馬ですと言ってなにも考えない人間にしてしまいます。 いまは、学校に身分制度があるんじゃないですか。

ここに挙げた8つの徳目はみんな労働倫理なんですね。 人そのものを伸ばすという教育本来から発生しているのではありません。 将来職場に適応できるように、子どものときから準備させてあげようということです。 それで、子どもたちとトラブルを起こすんです。

もちろん、勤勉も忍耐も、それ自体は意味のあるものです。 しかし、画一的、暴力的に仕込まれるものではありません。 内面には、逆のものが形成されてしまいます。

でも、ベーシック・インカムができると、根こそぎ変わります。

ベーシック・インカム後の教育はどうなるでしょうか。

  1. 労働訓練から個性を伸ばす教育に

    その生徒が食っていけるかどうかはもう保障されているのだから、先生と生徒は、一緒に事物を探求し、いろんなことにトライし、人間づきあいをしていればいいんです。

  2. 家庭的教室

    今は教室が事務所的、工場的です。 もっと家庭的になると思いますね。 命令的、指揮的ではなく、学校が生活の場っていう感じになってくる。

  3. 目的遂行 → 感受性と創造性

    今はとにかく、脇目もふらずに目的遂行、を植え付けようとします。 夢を持ちましょう、ってよく言うでしょう。 あれも自分で目標を管理しろということなのね。

    そうじゃなくて、感受性が、つまりもっとあるがままを知る力が必要です。 他人と自分の動機を見抜くことが、自由に生きることの出発点です。

    創造性だけは、訓練で育てることができません。 子どもが全身全霊をあげて遊んでいるとき、とても創造的です。 あれは目的意識が干渉しないからそうなるんです。 クリエイティブであるというのは、大人の知識・技能をもったまま、目的意識や欲が入りこまない状態でいられることなんです。

  4. 総合的人間発達の評価

    学校が、労働力訓練キャンプであることをやめたとき、教育は人間を総合的に見て育てるという、本来の役割を取り戻すでしょう。

    そこから、新しい国家、経済、文化を担う人たちが生まれてきます。

    もちろん、就職予備校的な学校もあったほうがいいです。 でも、小学校や中学校の年齢ではありません。

  5. 生涯教育体系の構築

    生涯教育体系を創らないといけないということをお話します。 生涯教育体系は、図書館充実させましょうとか、老人教育作りましょうみたいに考えられています。 それは、ほんの一部です。 大事なことは、何歳になっても高等教育が受けられることです。

    これを実現するための条件は二つあります。 ひとつは、大学まで公立も私立もすべての教育が無償であること。

    もうひとつは入学が資格制度であることです。 高卒資格、あるいは大学入学資格とかを一度取れば、あとは書類を出すだけで入れる。

    これが当たり前の国けっこうあるんです。 こうすると、学びたいと思ったときに学校に行き直してスキルアップしてまた行ける。 職場と教育の出入りが自由になります。 しかも生活費はベーシック・インカムで出るんです。

    たとえばスウェーデンでね、いつでも、どこでも、ただで、っていうスローガン掲げまして本当に無償の生涯教育体系を作っていきました。 スウェーデンでは、ほんとうに大学まで公立も私立も無料です。

ベーシック・インカムそのものは、お金の問題であり、経済問題です。 経済次元のことしか変わりません。 しかし、教育が変わったとき、社会が根底的な変化をはじめます。 おそらく、ベーシック・インカムをやって教育が変化し、20~30年くらいたったときにその影響が現れてきて、社会がほんとうにクリエイティブになってくると思います。 ほんとうの変化が、そこから始まると思います。

贈与経済が大事

ベーシック・インカムが軌道に乗ってきて、人々の生活にゆとりが出てきたら、公共経済の充実だけでも足りないものがあります。 公共経済にも、作りすぎ、オーバースペックというものはあります。 今は、道路がもうオーバースペックです。

もっと、個人の「それいいね」とか「ありがとう」とかが経済に反映されてこないと、欲望と必要だけで動く社会になってきます。 いいと思ったら、見返りを求めずに、ぽんぽんと金を出す経済も大事なのです。 こういうものがあると、社会が自由になってくる、クリエイティブになってくるのです。

図22:贈与経済の発達

大規模なのですと、リオのカーニバルみたいなやつでしょう。 一年かけて準備したものを、サンバ、サンバでパーッと使い尽くす。 ものすごく自由で明るい気分で、盛り上がるのです。 こういう人たちにわれわれが、「それがなんの役に立つんだ」と聞くと、ブラジルの人は、「お前たち、なんのために生きてるんだ」って言うでしょう。

見返りを求めない、使い方を監視しない、個人のひらめきだけで動くカネ。 これが大事です。 たぶん、それがお金のもっとも生きた使い方だと思います。

例えば、「この貧乏画家は、天才かもしれない」と誰かが思っても、だからといって市役所が助成金を出すわけにはいきません。 自称他称の天才はいくらでもいますから、そんなものに公共のお金は出せないです。 感じ取った人が出せばいいんです。

学術研究で、これが独創的なものかどうか、お役所が判断するのは無理です。 「いいね」と思った人が、ぽんとカネを出すのがいい。 へんな見返りをもとめず、感覚でやったほうが的確なことをするものです。

それは、文化、学術のすべての領域で言えることです。 個人の寄付を取りまとめる協会のようなものもあるといいです。

宗教活動も大事です。 宗教というと、われわれはすぐにウサン臭い団体を想像しますが、そんなものはごく一部です。 あらゆる文明が、独自の宗教活動を持っているのです。

独創的なNPOがおもしろい社会活動をはじめたら、たちまち寄付金が集まってくるのがいいです。 ある程度軌道に乗れば、公的なものだとして市の助成も得られるでしょうが、そこに至るまでをみんなの「いいねえ」で支えなければなりません。

あるいは、感謝の気持ちを、もっと商品券か通貨の形で渡せばいいんです。 日本人は、目に見えない貸し借りの感覚が発達していますし、これが社会的セーフティネットにもなっています。 これを盛んにすればいいんです。

こういう贈与経済は、すべて既にあるものです。 けっして目新しいものではありません。 ベーシック・インカムができたら、誰もが食うのには困らなくなっているのですから、もっともっと盛んにできます。 税制などでも優遇します。 そうすると、自由な社会ができてきます。

いま、商品経済だけが経済だと思われています。 そうではなくて、公共経済と贈与経済もいっしょに考えると、ほんとうに豊かな社会ができてきます。

 

第1部終了

ベーシック・インカムの財源論として古山明男さんオリジナルな公共通貨「e¥」(イーエン)を論じた第2部を公開しました。 あわせてお読みください。

古山明男 講演録「ベーシック・インカムのある社会」第2部

朝日新聞中部版関曠野さん原稿

この関さんの朝日新聞掲載の文章は、2009年3月8日「生きるための経済」の講演録を要約した内容となっています。最初にこちらの文章をお読みいただくことをお勧めいたします。

景気の底が見えない。日本でも海外でも目下経済は無情な悪循環の中にある。景気の悪化で企業の倒産や失業が増えれば人々の所得の減少で消費は落ち込み、それがさらなる倒産や失業を生む。今の経済危機の根本原因が人々の所得不足にあることは明らかである。だが危機の中であえいでいる企業に雇用による所得の保証は期待できない。しかも現代は産業のオートメ化が極限にまで進行した時代であり、たとえ経済危機がなくても現代人の大半は潜在的に失業者なのだといえる。

だが庶民の所得が回復しなければ経済は動きださない。それならば雇用と所得を一定程度切り離したらどうか。かねてから一部の人々の間で議論されてきた基礎所得(ベーシック・インカム)保証の制度は今こそ世間の関心を集めていい。これは、子供を含むすべての国民に個人単位で月八~十万の基礎年金程度の所得を生涯にわたり一律無条件に支給する制度で、支給に際し生活保護のような資格審査はなく貧富の差も考慮されない。この制度はおそらく危機の根本的打開策になるだろうが、問題はその財源である。税収が大きく落ち込む中で所得税や消費税ではこの制度にかかる膨大な費用を賄うことはできない。それでは経済の特効薬に見える基礎所得保証はやはり絵にかいたモチなのだろうか。

いや、そうではない。従来基礎所得保証の議論は福祉国家論の延長線上でなされてきた。そして「国民配当」の名で最初に所得保証の必要を論じたのは、大恐慌当時に社会信用論(ソーシャル・クレジット)を提起しケインズにも大きな影響を与えた英国のクリフォード・ダグラスであることが忘れられてきた。このダグラスにおいては所得保証は通貨改革の必要と一体になっている。そして彼の視点に立つならば、国民配当実施のための「財源」という問題は存在しないのである。

機械制大工業の時代に入ると企業には巨額の設備投資や研究開発費が必要になり、企業の経営は銀行の融資に左右され、「利子つき負債」である銀行信用がますます経済全体を動かすようになってくる。そのうえ企業の生産費用の中では減価償却費などに反比例して勤労者の賃金給与に充てられる部分が小さくなっていく。そして問題は、この事態が商品の価格を決定していることである。需要と供給の均衡で価格が決まるという古典経済学の説はもう通用しない。価格には銀行への返済や減価償却などの費用が含まれているのに、勤労者が雇用で得た所得は生産費用のほんの一部をなすにすぎない。ゆえに彼らは消費者としては企業が生産したものに見合うだけの購買力をもたない。こうして市場経済の現状では人々は所得不足、企業は販売不振に苦しみ、これは最後には恐慌に行き着く。

この状況に対し社会信用論は、信用の社会化、国民配当、正当価格という解決策を提示する。危機の根本は、銀行が自らの金融的利益の観点で実体経済に介入し社会の生産と消費を左右していることにある。だから政府が自ら公共通貨を発行し、社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資すればよい。そして人々の慢性的な所得不足を解消するためには国民配当が必要である。ダグラスによれば、生産は個々人の労働能力ではなく共同体の文化的伝統の成果であり、ゆえにすべての国民にはそうした伝統の相続人として配当をもらう権利がある。だがこれだけでは価格のひずみの問題は片付かない。かりに消費の低迷で経済に30パーセントの需要ギャップが生じたとすれば、それに等しい割合で小売価格を一律に引き下げる必要がある。そしてこの割引した分は後で国家から小売部門に補償される。こうして価格は、それによって生産と消費が均衡する「正当」なものになる。

社会信用論においては通貨は商品ではなく分配の手段である。それは消費のための生産を円滑に促進する切符のような手段であり、所得保証はそうした通貨供給の一環なのである。そして今日的な視角からも社会信用論は重要である。まず第一にこの方式の下でなら人々が環境保護を重視し基本的な欲求を充たした後は余暇を楽しむ生き方を選んでも経済に混乱は生じないだろう。そして現在の経済危機は明らかに文明の転機なのだが、省エネ化によるエネルギー収支の多少の改善は転換と呼ぶに値しない。おそらく文明の転換のためには無数の人々が草の根レベルで試行錯誤を重ねて新しい生き方を模索することが必要だろう。基礎所得保証の最も重要な意義はそうした社会の実験を容易にすることにある筈だ。

(朝日新聞中部版2009年5月12日の夕刊・文化欄に掲載されたものを転載)

関曠野さん講演「生きるための経済」についての質問とお答え

下記は、2009年3月8日「生きるための経済」の講演録に関する質問とお答えですが、これは、当日のフロアの皆さんからの質問をベースにしてはいますが、全面的に関さんが質疑応答部分を書き直して手を加えたものです。

質問にお答えするにあたって ―― 関曠野

三月の私の講演ですが、これは1930年代の大恐慌より深刻と思われる現在の経済危機の中で忘れられた思想家クリフォード・ヒュー・ダグラスの思想を日本の公衆に紹介することを目的にしていました。ですから伝道者よろしくダグラスの思想を至高の真理とか完璧な理論として宣伝したつもりはありません。ドグマへの盲従とか理論崇拝はもう沢山です。ダグラスの思想や理論はあくまでも考えるヒントです。それにエンジニア出身だったダグラスの考え方はもともと実用主義的(プラグマティック)で、知的エリートがすべてをコントロールするといった知性主義的なものではありませんでした。

ただ紹介といっても講演で話したことの中で二つのことは私には譲れない主張です。それは

  1. 政府通貨を発行して、銀行マネー(利子付き負債)で動く経済から脱却する必要、
  2. その政府通貨で全国民に一律無条件に基礎所得(BI)を保証する必要

です。そしてこの二つは以前からさまざまな人たちがダグラスの思想とは無関係に提唱していて、むしろそんなに目新しくない議論なのです。先に自民党内で政府通貨発行の話が持ち上がりましたが、そのきっかけは国連の顧問もしている今のアメリカでは例外的に良識派の経済学者ジョセフ・スティーグリッツが日本政府に「政府通貨の発行でデフレ、財政危機脱却を」と助言したことでした。そして講演で話したように政府通貨発行の例は史上にいくらでもあり、その殆どが大成功でした。

政府が銀行に通貨発行権を与えてわざわざ利子と負債を抱え込んでいることの方がおかしいのです。またベーシック・インカム(BI)も1990年代以来急速に人口に膾炙した言葉になってきています。またアメリカのアラスカ州では不十分なものながら全州民を対象にBIが1976年から実施されています。ダグラスの思想を知らない人たちの間で彼と同じ思想がいわばテンデンバラバラな形で浮上してきている訳です。だからこの人たちの間では政府通貨発行とBIはダグラスにおけるように結びついていません。しかしBIを実現しようとすると財源の問題にぶつかる。政府通貨なしに基礎所得保証を実施できるとは考えられません。他方で、政府通貨の場合、問題は国民がそれを信認するかどうかです。信用できない政府が発行した信用できない通貨と思われたら通貨として流通しません。しかし自分の所得を保証してくれる通貨だったら誰でも喜んで受け取るでしょう。政府通貨の信認のためには、それでBIを保証することに勝る方策はありません。こうして政府通貨とBIは政策的には双子のようなものです。このことを洞察していたダグラスはやはり優れた経済思想家だと思います。

そういう訳で

  1. 政府通貨を発行して、それでBIを保証すべきこと、
  2. その場合、財源の問題は心配する必要がないこと

この二点を理解して頂けたなら私の講演の目的は達成されたと考えています。この政策をことさら社会信用論と銘打つかどうかは、どうでもいいことです。肝心なのはレッテルではなく中身です。

社会信用論には政府通貨、国民配当(BI)、正当価格という三つの基本的政策があります。私の見るところでは、この三つの政策としての比重は、政府通貨が六割、BIが三割、そして正当価格が一割です。というのも、政府通貨が実現すれば経済の基本的問題は解決されるうえBIの実施が容易になるからです。

だからBIの実現を求める人は、政府通貨発行に向けた活発なキャンペーンをやる必要があります。それに較べ正当価格は不可欠な政策とは考えません。しかし実行できるなら望ましい政策ではある。例えば今、デフレの中でスーパーの間で必死の値引き競争が展開されています。ところが消費者はこの先にさらに値引きがあると見込んで必要最小限の買い物だけして財布の紐を締めてします。だから値引き競争は一時的にスーパーの収益を支えても長期的にはデフレをさらに悪化させるし現にそうなっています。これが正当価格のように全小売業種での全商品に対する一律で同じ割合の期限付きの値引きだったら、消費者は割引期間中に欲しいものを買っておこうとするでしょう。デフレ状況では正当価格はきわめて有効なはずです。

社会信用論はかっての「資本主義か社会主義か」といった図式とは次元が異なるものなので、そこに誤解が生じる余地があります。ダグラスの思想には国家主義やソ連型計画経済の要素があるのではないかという質問がありましたが、これもやはり誤解だと思います。まず考えて頂きたいのは、社会信用論においては通貨の発行と管理は一種の公益事業であり、ゆえに公的な管理が必要になるということです。管理されるのはマネーの流れだけです。それ以外の経済生活には国は一切干渉しません。そして通貨は政権担当者の利害や思惑などに全く関係なく、生産と消費をできるだけ均衡させるという具体的で普遍的な目標に従って管理されます。例えば日銀も調査統計局が三ヶ月毎に日本経済に関するデータを収集し、その分析や予測に基づいて金融政策を立てています。だからといって日銀がソ連型計画経済をやっていると言う人はいないでしょう。社会信用論の場合は、日銀が銀行業界の利益のためにやっていることを国民全体の公共の利益のためにやるということです。喩えるなら、車の流れを捌くために警官が交差点で交通整理をやっているとします。これを国家権力の社会に対する介入や統制だと言う人はいるでしょうか。また自治体が上下水道を管理していることを強権の行使だと言う人はいるでしょうか。

また国家主義という誤解の一因は、私が国民経済計算に言及したせいで、経済状況のきわめて正確なデータを国家の専門家が入手して彼らの知識を駆使すれば富の生産と通貨の供給を完全に一致させることができるとダグラスが説いたかのように受け取られたことにあるのかも知れません。もちろん神ならぬ人間にそんな奇跡は起こせません。要点は、銀行マネーという障害がなくなれば生産と消費をできるだけ均衡させようと努力することが可能になるということです。

そして経済をマクロの視点で捉えようとすること自体が国家主義だと言うなら、これは話が別です。二十世紀初めには経済学は未だに(認識論的には)個人主義的なものでした。そしてダグラスは初めて経済をマクロの視点で捉え分析した人で、おそらく彼の影響でケインズがマクロ経済学を創始し、その結果今日ではGDPといった言葉は世の常識になっている訳です。マクロの視点に反感をもつ人は、国家主義というより経済を社会的現象とみなすこと自体に反対なのです。つまりそういう人は、小さく単純で住民はすべて自営業者であるような牧歌的な共同体を経済のモデルにしているのです。そういう共同体なら経済はミクロの視点だけで理解できます。ただマクロの視点に反対の人は、現代経済をそういう小さな牧歌的共同体をモデルにして正しく理解できることを証明する必要があります。「価格」は論じても「物価」は問題にしなくていいことを証明しなければなりません。

ところでBIに対する強い反対論として予想されるのは「そんなことをやると止めどないインフレになる」という論です。講演でも会場から「社会信用論では通貨は供給されるばかりで回収されないように見える(これはインフレになるのでは)」という質問がありました。この問題は検討しておく必要があります。

政府通貨は多くの実例があり、その大半が大成功を収めています。しかしBIは本格的に実施されたことがありません。だから政府通貨でBIを保証した場合「絶対にインフレは起きない」と事前に断言することはできません。ただ通貨の回収がないというのは多分私の説明不足による誤解だと思います。まず注意して頂きたいのは、ダグラスに従えば近代企業経済においては勤労者/消費者は恒常的な所得不足に苦しむことです。この見解が正しいなら、BIを庶民に支給することがインフレ効果をもつことはありえません。そして庶民の所得(賃金+BI)は商品の購入で小売部門に移り、融資された資金の返済の形で小売部門と企業を経由して国立銀行に戻ります。こうして国立銀行による融資およびBIの支給という形で生成したマネーは、消費と資金の返済によって消滅します。

このマネーの流通サイクルでインフレが生じるとしたら、それは需要ギャップの算定を誤り、必要以上に商品の価格を大きく割引き、その割引き分を小売部門に補償した場合でしょう。だから信頼できる国民経済計算の方式を確立することが課題になりますが、計算を誤った場合でもひどいインフレが生じるとは思えません。

それと通貨が回収されないという印象を与えたのは、私が国立銀行と企業の関係に話を限定し税金という問題をカッコに入れたせいかも知れません。税金はもっとも強力な通貨回収のメカニズムです。ただ私としては、徴税はできるかぎり国立銀行の利子収入に置き換えることが望ましいと考えています。ですから何かの事情で富の生産が落ち込み、だぶついた通貨がインフレ要因になったので通貨の回収が必要になった場合には、国立銀行の利子率と正当価格の割引率を引き上げればいいのではないか。政府通貨とBIによって暴走インフレが起きるなどということは考えられません。暴走インフレが起きるとすれば、それは何かの事情で自国通貨の価値が暴落して原油や食料の価格が暴騰した場合でしょう。これは世界の通貨貿易体制にも改革が必要ということで、BIとは別の問題です。

しかし愚かな人民が愚かな政府を選び、その政府が政府通貨を利権のバラマキに使い、選挙での人気取り政策でBIの支給額をやたらに上げたりすれば、ひどいインフレが発生する恐れがあります。これは経済制度自体ではなく、デモクラシーと政府の質というやはり別の問題です。それからBIとインフレということでは、先に言及したアラスカ州の例は研究する価値があるかも知れません。現在この州は州民に一人年約二十万円を支給しています。BIと言えるほどの額ではありませんが、小さな州としてはかなりの総額になります。このアラスカ・パーマネント・ファンドが州の経済にどんな影響を及ぼしたかは研究の余地がありそうです。そして私の結論を言うなら、BIを実施した場合、デフレの危険は根絶される一方、生産された富と通貨供給量の多少のズレによってごく緩やかなインフレが生じる可能性はあるということです。ごく緩やかなインフレはさほど有害なものとは思えません。

講演ではこの国の地方自治体の財政危機について触れる余裕がありませんでした。1930年代の恐慌の当時は先進国でも国家はまだ福祉国家、市民サービス国家ではなかったので、倒産や失業はどれほど深刻でも、国や自治体の破産は考えられませんでした。しかし今の恐慌は、負債デフレによる国や自治体の破産という前代未聞の事態を惹き起こそうとしています。そうなると世界はどこも夕張やカリフォルニアみたいになって、福祉や社会保障の切捨て、基本的な市民サービスの切り詰め、公共料金の急上昇によってまともな市民生活は不可能になります。

自治体財政の危機は、とりわけ日本において深刻です。この国の中央(官僚と政権与党)は1985年のいわゆる日米プラザ合意以降、輸出ドライブを抑制して内需を拡大せよというアメリカの意を受けて地方に地方債の起債によるバブル的公共事業をやらせた。そしてバブル崩壊後にはーおそらく不良債権で窮地に陥った大手銀行を間接的に救済するためにーまたまた地方に地方債による公共事業を強要した。その結果、前から産業の空洞化、人口の高齢化であえいでいた地方は、さらに借金の山に押し潰されることになりました。ただ地方のこうした疲弊は、好調な輸出が経済を名目的には成長させていたお蔭で、いわば粉飾決算により覆い隠されてきました。それが今度の危機で輸出も激減したためメッキが剥げ、以前からのどん底状態が露呈した訳です。

GDPの縮小の度合いでは、日本が受けた打撃は金融危機の震源地のアメリカよりひどい。これはトヨタやソニーの輸出が落ち込んだせいではありません。2007年の国連統計によると、ドイツ、中国、韓国では輸出がGDPに占める比率はいずれも40%台であるのに対して、日本ではその比率は17.6%にすぎません。日本は貿易立国というのは勘違いで、日本経済の輸出依存度はきわめて低いのです。だから今の日本経済の問題は、内需型経済なのに地方の疲弊が原因でその内需が壊滅していることです。国と自治体の財政危機は結局、政府通貨の発行によってしか解決されえないでしょう。そして内需拡大のためにはBIに勝る方策はありません。

最後に、社会信用論には公共通貨、BI、正当価格という三つの基本原則があるだけで、その応用となると国の歴史、国情、制度に即して多種多様であることを強調しておきたいと思います。例えば政府通貨にしても、融資の公共性を誰がどのように認定するのか。国会の多数決で決めていいのか。それとも自治体が融資案を国にあげ、それを国家の三権に新たに加わる機関である国家信用局が審査する方がいいのではなど、いろいろ考えられる訳です。しかしいずれにせよ、政府通貨なしにはBIの実現は不可能であることを再度強調しておきたいと思います。

以下、質問とお答え

公共通貨を発行してBIを給付すると、より浪費・消費経済を加速させてしまうのではないでしょうか?

【答】 生産の目的は消費です。それ以外に生産の目的はあるでしょうか。しかしこのことと近年の「消費ブーム社会」は別の事柄です。1970年代以来先進国の企業は市場の飽和による過剰生産に苦しんできました。そこでマスメディアや広告会社をフルに動員して過剰に生産された商品を民衆に押し付け消費させてきた。フランスのボードリア-ルが論じたような「消費が精神的労働であり、しかも重労働」であるような社会が生じた訳です。だから消費社会を生んだのは民衆の欲望ではなく、銀行マネーで動く経済においては絶えざる生産の拡大が企業には至上命令になるという現実です。しかし信用が社会化され生産を無理に拡大しなくても民衆の基礎所得が保証される社会においては、生産の拡大は至上命令ではなくなるでしょう。企業はもう銀行に利子付き負債を返す必要がなく、所得に余裕のある消費者を相手にある程度利潤を確保すればいいだけなのですから。しかしこれは、社会信用論が実施されれば自動的に低消費社会が誕生するということではありません。ポイントは、もう銀行マネーに生き方、働き方を強制されることがないので、民衆が経済のあり方を選ぶことができるということです。生産と消費が均衡するレベルを選ぶ。そして人間はもともと無限の消費の欲望などもっていないので、衣食住プラスアルファの基本的欲望が充足されれば後は余暇をたっぷり楽しめる経済を人々が選ぶ可能性は大きいのではないでしょうか。

トンガのような小国で貿易で外貨に依存しているような国ではBIは無理ではないか?

【答】 トンガのことはネットで調べてみましたが、人口10万のミニ国家なのに食料の大半を輸入し、先進国の援助、観光収入、海外への出稼ぎ者からの仕送りでその代金を相殺している現状のようですね。BIは先進国しか実現できないものではなく、僅かな所得の増加が大きな効果をもつ南の貧しい国でこそ有意義という議論もあるようです。ナミビアではキリスト教会が小さな村でBIを実験的に実施してみたところ、かなりの成果があったそうです。しかしトンガの場合、BI実施の前提になる国民経済、国内の経済循環というものが成立していないようです。とくに豊かでなくてもいいから、まず経済的にある程度自立することが必要でしょう。政府通貨の裏付けになるのは一国の富を生産する能力ですから。

労働と所得を切り離すと、働かない人間が増えるのではないでしょうか?

【答】 人間は「パンのみにて生きるにあらず」で社会的評価や人との交流を求めるものだと思うのです。BIがあればこれ幸いと家に籠もってダルマさんになってしまう人の方が珍しいのではないでしょうか。また私の考えでは、いつの時代でも人口中の本格的な怠け者の比率は変わらないのではないか。だから今の競争社会でも人にたかって食っている怠け者が一定数いる訳です(これはいわゆる「引きこもり」の人のことではありません)。「怠け者が増える」という説に関しては、かなりの額の年金をもらっている高齢者の生活実態を社会学的に調査してみたらどうでしょうか。家でゴロゴロして奥さんに粗大ゴミなどと言われている人もいますが、これは好きで怠けているのではないでしょう。それからビジネスではなく芸術や学問、ボランティア活動などに専念する人たちが増えることは環境保護になります。私が気になっているのは、むしろBIによって3K労働をやる人が減る可能性です。3K労働などなくなった方がいいかも知れませんが、中には社会の存続のためにどうしても誰かがやらざるをえないものがあります。これをどうするかは大問題です。

国民の側が、ある種の企業・産業を発展させたい場合、そのことをどのように国立銀行に反映するのでしょうか。

【答】 これは上記のコメントで触れましたように、どのような形で事業の公共性を認識し政府通貨による融資を決定するかという問題ですね。これは草の根市民集会による討論と決定からスイスのような人民発議権や国会での審議までさまざまな形と手順が考えられるでしょう。つまりこれは社会信用論というよりデモクラシーの望ましい有り方の問題だということです。

国立銀行から企業などに融資するシステムは、国による一元化された管理社会になる恐れはないか。また、「社会信用論」全体の仕組みが、国家管理を強めるのではないか?

【答】 これについては上記のコメントですでに答えたと思います。国立銀行は通貨を一種の公益事業として管理するだけです。管理の基準になるのは経済統計で特定の党派の利害やイデオロギーではありません。もし悪質な政府が国立銀行を私物化するとしたら、それは通貨ではなくデモクラシーの質の問題です。ついでに言えば、今の経済は銀行(日銀)によって一元的に管理されています。

BI論者のほとんどが貨幣を論じていないが、それは、なぜでしょう。

【答】 やはり欧米でもBIの研究者は福祉国家論からBIに関心をもった人が多いせいだと思います。それだけ最初にBIを提唱したダグラスが忘れられていたということでしょうね。

障害者福祉などの現物給付の制度などは、BIが導入されたときにどうなるのでしょうか。BIと現物給付などは両立するのでしょうか。

【答】 BIと福祉は論理的に違うものであることをメールマガジンに書きましたので、「ベーシック・インカムは福祉なのか」という拙文を読んで頂きたいと思います。

http://bijp.net/mailnews/article/84

国民配当という名称だが、なぜ「国民」なのか?

【答】 これはダグラスがそういう言葉を使っているというだけの話で、名称は社会配当でも市民配当でも構わないと思います。

BIの実行単位は、「国単位」か「地方自治体単位」なのかそれとも「世界単位」なのか?

【答】 社会信用論は、銀行資本が私物化している通貨システムを市民の公共の利益のためのシステムに作り変えるものです。そしてどの国でも銀行資本は銀行の利益の立場から国民経済に通貨を供給する中央銀行、つまり銀行のナショナルなカルテルに代表されており、銀行券もナショナルな通貨として発行されています。社会信用論はこの見かけだけの公共性を本当の公共性に変形させます。ですからBIもナショナルな政府通貨によって支給され、政府通貨の価値を裏付けるものは国の実体経済の実力ということになります。もし現に世界通貨を管理している世界中央銀行が存在していたら、BIも世界通貨で支給されるでしょうが、そんなものはありません(ちなみにドルの世界貿易の準備通貨としての地位が危うくなる中で、国際金融資本の内部には、この際、国際金融資本の出先というべきIMF,世界銀行、スイスのバーゼルのBIS(国際決済銀行)などを世界通貨を操る世界中央銀行に作り変えようとする動きがあるようです。各国の中央銀行の場合はまだナショナルな制度であるかのように装いますが、世界中央銀行ならば人民の世論に全く影響されない銀行資本のグローバルな独裁が実現してしまいます。こんな動きは絶対に許してはなりません)。

適正価格の仕組みですが、一般的な需給ギャップで25%値引きするというプランですが、これは、すべての製品に対して行うのでしょうか。ものすごく売れている製品などは別の扱いのような気もするのですが?

【答】 正当価格の課題はマクロの観点から生産と消費のギャップを埋めることです。個々の商品の売れ行きが問題なのではありません。ですから売れ筋の商品が他の商品と一律にディスカウントされたら、それはさらにどんどん売れて需要ギャップを縮小させることになるでしょう。

ベーシック・インカムを支給し続ければ、インフレになるのではないか。インフレにしないためにばら撒いた貨幣(国民配当)をどのように回収するのかということが、いまひとつ、よくわからなかった。

【答】 これについては上記のコメントですでに答えたように思います。BIをやるとインフレになるのではと言う人は、近代の企業経済においては勤労者/消費者の恒常的な所得不足が生じるという社会信用論の根本的決定的な認識を軽視しているのではないでしょうか。この所得不足があるから庶民に対するBIの支給はインフレ効果をもたないのです。

ダグラスの意図からすると国民経済計算を行って全てのモノやサービスに正当価格を決めるということになるのであろうか。ダグラスの想定しているのは市場経済なのか価格統制経済なのかと疑問に思う。正当価格は、「価格統制」になるのではないか?

【答】 価格統制とは政府が市場における需要と供給など無視して特定の商品に関して価格の上限や下限を決定し、それに違反すると処罰されるものです。正当価格は名称で誤解されますが、需要ギャップに即した商品価格の割引率のことです。価格自体を決めるものではなく、また割引分は後で補償されます。この割引は政府によって処罰規定まで設けて小売部門に強制さるべきものなのでしょうか。私としては政府が流通大手に一律割引を要請し、業界がその要請に応じるならば効果は充分にあるだろうと思います。強制や課税が経済の問題を解決することはありません。調整coordinationが肝心なのです。ダグラスの方策は市場経済からその動脈硬化や貧血の原因を除去します。そして私利や利潤も否定されていません。しかし市場とは何よりも消費を目的とした生産を実現するものであるという基本的事実が忘れられてはならないのです。

BIは外国人には支給されないのですか。

【答】 これについては原則的に日本に国籍があることがBI受給の条件になると思います。これは排外的民族主義には何の関係もありません。BIは福祉でも定額給付金のような線香花火的な景気刺激策でもなく、BI支給の根拠は市民権です(生活保護の根拠になっている現行憲法第25条ではありません)。社会信用論は経済を根本から民主化する試みであり、ゆえにBIという所得への権利は政府通貨が公共の利益に即して使われているかどうかを監視し議論する市民としての責任と義務を伴うのです。これが外国人には支給されない主な理由です。しかし外国人でも永住者や長期滞在者にはその社会と文化への貢献を根拠にBIを支給することが検討されてもいいと思います。そして日本がBIを実現して恐慌を克服すれば、どの国でも人民は政府に同じ政策を要求するに違いありません。世界的に模倣されるような実例を示すことが真の国際貢献になる筈です。

BIは貧困を解消すると思いますが、所得格差にはどう関係するのでしょうか。

【答】 所得格差が問題になるのは、それが極端なものになって経済を破壊し恐慌に行き着く時です。レーガン革命以降の先進国では人口の数%のスーパーリッチが国の富の60%以上を所有する一方、中産階級は低所得層に、低所得層は窮民になるという格差の絶望的な拡大が生じました。そしてスーパーリッチの富は非生産的な投機に使われ、経済はギャンブル化して極度に不安定なものになりました。社会信用論はこういう経済の金融化、資本の異常な集中を解消し経済を安定させます。その結果として、慎ましく暮らしているが将来への不安はなく何の不自由もしていないという層が人口の大部分を占めるようになるでしょう。

BIより生活保護の拡充や最低賃金のかさ上げを目指すべきという意見もあるようですが。

【答】 先に述べたようにBIと福祉は論理的に別のものです。生活保護の拡充はBIの代わりになるものではありません。また最低賃金のかさ上げは大企業には影響がなく、ぎりぎりの採算で操業している零細企業を苦しめるものです。そういう企業は従業員の採用を控えるでしょうから失業が増え、とくに若者にとって低賃金でもキャリアの入り口になる雇用が失われる恐れがあります。

基本的必要は誰が定義するのですか。

【答】 この質問には勘違いがあると思います。BIは誰かが基本的必要を定義し、それに基づいて支給されるといったものではありません。BIは一律無条件に経済的に余裕がある人にも支給されるし、個々人はそれを好きなように使っていいのです。ただBI論議とは別にですが、最近は絶対的貧困の解消という問題意識から、人間の基本的必要についての考察なしには効果的な政策は立てられないという議論があるようです。この議論に関心がある方は、WIKIPEDIAの「BASIC NEEDS」の項目を参照してください。

http://en.wikipedia.org/wiki/Basic_needs

BIを一律に支給することは社会の多様性を損ないませんか?

【答】 例えば衣食住を現物で支給したら軍隊みたいな画一的な社会が生まれるでしょう。しかしマネーがマネーたる所以は、それが何に対してでも多角的に使える交換の手段であることです。そして所得に余裕があれば、カップヌードルと100円ショップの画一的な貧乏から脱却することができるでしょう。それとも貧富の差も社会の多様性として評価すべきだという御意見なのでしょうか。

思想関係の雑誌でBIは新自由主義が推奨している政策という議論を見かけたのですが。

【答】 これは新自由主義のミルトン・フリードマンが「資本主義と自由」の中で負の所得税を提唱したことを指しているものと思われます。負の所得税とは、国が国民の基準年収を例えば二百万に定めて年収がそれに満たない人には逆に所得を補填するという制度です。これはBIと違ってはっきりと福祉国家論の延長で出てきたものです。新自由主義は、福祉予算を直接受益者に渡してしまえば福祉関係の官僚制を維持する費用を節約できると主張する。「小さな国家」の一環としての小さく安上がりな福祉国家ということです。福祉論なのでBIとは無関係な議論です。

今の日本経済に存在する需要ギャップについては、政府の見解では51兆円、ある大学教授の算定では500兆円と、まるで数字が食い違っています。正確な数値を得るためにはどうしたらいいのでしょうか。

【答】 政府や日銀が発表する数字は世論や株価の操作を意図した大本営発表で信頼できません。失業率など「失業」の定義次第でいくらでも変わります。レーガン時代以来先進国の政府はいろいろ統計の取り方をいじってきています。ですからアメリカには SHADOW GOVERNMENT STATISTICS という民間のサイトがあって、政府の統計数字の嘘を暴くことを専門にしているくらいです。他方で学者や民間のエコノミストが出す数字も利害や立場が絡んで必ずしも信頼できません。私の素人考えですが、皮肉にも国際金融資本の手先みたいなIMF,世界銀行、 BISなどの数字が比較的信頼できるのではないでしょうか。しかし個人がIMFに日本の需要ギャップについて問い合わせても答えてはくれないでしょう。現状ではいろいろな統計数字を見比べて自分で信頼できる度合いを判断するしかなさそうです。政府は相手にしないで良心的で有能な学者や民間エコノミストを見つけるしかありません。

SHADOW GOVERNMENT STATISTICS

現在の銀行中心の通貨システムから信用が社会化されBIが支給されるシステムへの段階的な移行は具体的にはどういう形をとるのでしょうか。

【答】 論理的な手順としてですが、まず何党の政権であってもとにかく政府を突き上げて政府通貨の発行に踏み切らせます。そうなると「BIをやる財源がない」という口実がなくなるので、人民の下からの圧力で政府通貨によるBIの保証を実現させます。それと同時に銀行業務から信用創造の機能を段階的に剥奪していくことになると思います。その結果、今の日本銀行券は徐々に日本国財務省券に入れ替わっていきます。

政府通貨の発行で800兆円以上という国の巨額の負債をチャラにできるという話でしたが、そのあたりをもう少し詳しく話して頂けませんか。

【答】 あえて極端な話をします。政府通貨は紙幣として発行されBIの支給などに使われますが、それ以外に電子マネーとしても発行されるとします。そこで膨大な国債をもっている諸銀行に設けてある政府の口座にそれをコンピューターで振り込めば、800兆円以上という日本国の負債は1秒間で消えてしまいます。この行為に技術的な問題はありません。これが可能になる条件は、国民が政府通貨を通貨として信認しているかどうかだけです。そして国民が信認している通貨で貸したカネを返してもらえたのだから銀行が文句をつける筋合いはありません。なぜこんな簡単なことができないのでしょうか。なぜ財政赤字を理由に弱者に対する社会保障が切り詰められたり、消費税増税が議論されたりするのでしょうか。マネーとは即ち銀行マネー(利子付き負債)という固定観念に大半の人々が呪縛されていること以外にその理由はありません。

関曠野さん講演録「生きるための経済」全文

関 曠野 講演録

「生きるための経済」

― なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か ―

第2回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年3月8日 於:タワーホール船堀

講演者:関 曠野

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

講演 INDEX

  1. メルトダウンに向かう経済
  2. ケインズ「我々の孫たちの経済的諸可能性」とリッチマン革命
  3. 現代は過剰資本の時代
  4. クリフォード・ヒュー・ダグラスという人物
  5. 過剰資本を視野においたダグラスの社会信用論
  6. 銀行制度の歴史
  7. 幻のマネーが経済を動かしている(信用創造)
  8. 銀行信用の功罪とは
  9. 利子の性質は現実にそぐわない
  10. パブリック・カレンシー(公共通貨)
  11. ダグラスのA+B理論
  12. 労働者に払われる賃金は銀行ローン
  13. 消費ギャップをいかに埋めるか
  14. 絶えざる生産の拡大、近代企業の宿命
  15. 適正な価格の形成
  16. 国民配当と文化的遺産(カルチュラルヘリテージ)
  17. 社会信用論とベーシック・インカム
  18. 「所得への権利」という思想
  19. 生活インフラとしてのマネー
  20. 社会信用による資本の分散化
  21. 社会信用論の三つの支柱
  22. 社会クレジットの資本フロー
  23. 財政赤字解消、社会信用による公共事業、税金の廃止
  24. 衆知を結集したプランづくりを
  25. 社会変革の道具としてのベーシック・インカム
  26. 党派を越えた議論に期待
  27. 講演での質問への回答(書き下ろし)

メルトダウンに向かう経済

関 曠野さん

話し手:関 曠野さん

1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。

どうも、関です。寒い中を私の話を聴きにお集まりいただきまして、ありがとうございます。

私はかねてから日本の世論に訴えたいことがありました。それがこのように話す機会を与えられまして、しかもこれほどの方々に集まっていただいた。これはやはり日本という国が変わる徴候ではなかろうか、そういう感じがしております。それで、今日はみなさま方にはお聴き慣れない話も出てきますので、あらかじめポイントを少し話しておきたいと思います。

まず第一に、私たちの置かれている状況は不況ではなくて恐慌だということです。不況と恐慌はどう違うかということでは経済学者の間でもいろいろ意見があるようですが、私の見方では、不況というのは資本主義のシャックリやくしゃみのようなもので、企業の在庫調整で片が付く。これに対し、恐慌は資本主義の原理的な矛盾や欠陥に起因するもので、その矛盾や欠陥にラディカルに取り組むことなしにはどうにも解決しないものである。これが第一ですね。

第二にそのような資本主義の矛盾や欠陥を正せる方策は、私の考えでは今日のお話ですけれど、ただひとつしかない。ベーシック・インカム。すべての国民に一律無条件に生涯にわたり一定の基本所得を保証すること。そしてもう一つは信用を社会化すること。

この信用の社会化というのはどういうことかはおいおい話させて頂きます。

ただ私がこう言ってもですね、世界の政府はどこでも今の事態は不況だといっている。恐慌と言いません。相変わらず recession だと言っている。

これには誤魔化している、現実から逃げているという面もあるんでしょうが、それだけじゃなくて政策能力に問題があると思うんです。つまり不況だと言っている限りはパターンの不況対策をやって、それを政策に見せかける。公共事業とか利下げとか。これが恐慌だということになれば、何をしていいか分からない。それでこれは不況だ不況だと言い張って、その結果としてオバマ政権であろうがどこの政府であろうが、やっている政策は何の効果もないどころか、むしろ事態を悪化させている。

はっきり言って世界経済はどん底に向かっている。恐慌と言うよりはむしろメルトダウンと言っていい状況だと思います。しかし目下の事態が恐慌である証拠に、かつて1930年代に恐慌の見事な分析を行ったジョン・メイナード・ケインズの名が復活してきております。ところがどうも私から見ますと、ケインズの一番つまらない側面、景気刺激策として一次的に赤字公共事業をやって……というようなケインズの一番つまらない面だけが評価されていて、ケインズのラディカルで面白い面は相変わらず忘れ去られたままであると思っています。

ケインズ「我々の孫たちの経済的諸可能性」と
リッチマン革命

ジョン・メイナード・ケインズ

ジョン・メイナード・ケインズ

1883-1946

このケインズのことを話の皮きりにしたいんですが、1930年代の大恐慌のさなか、ケインズはスペインのマドリードで珍しく一般人相手の講演を行いました。「我々の孫たちの経済的諸可能性」という講演です。その中で彼はどういうことを言っているかと言うと、まず人間のニーズ、欲求を2種類に分けます。一つは絶対的欲求、つまり衣食住などの基本的な要求です。もう一つは相対的欲求。これは基本的に人に差を付けたい欲求。お前はカローラだけれど俺はベンツだみたいな、そういう他人に差を付けたい見栄とか見せびらかしに関係した欲求です。そして1930年代においては、未だに産業革命は完了していないと彼は考えていた。ですから彼は今しばらく貪欲というものはそれなりの役目を果たすであろうと言っています。しかし我々の孫たちの時代においては、人間は経済というものに関心がなくなるだろう、基本的欲求の充足はもう何ら問題でなくなって、おそらく我々の孫たちは経済には関心がなくなり、芸術や学問など文化的な活動に忙しいだろうと言っています。

ところがこのケインズの死後、1960年代に先進国では若者の反乱がありました。あの若者たちは丁度ケインズの孫の世代に当たります。彼ら60年代の反乱する若者はゲバラや毛沢東を引用しましたけれども、彼らの思想と行動はむしろケインズによって説明できる。つまりは当時の若者たちのメッセージは、もうこんな豊かさはたくさんだ! この管理社会、この抑圧、この差別、この競争を代償とした皮相な豊かさはもうたくさんだ! 人間らしい感性豊かな生活をしたい。それが60年代の若者たちのメッセージであったように思います。その点ではケインズの予測は的中したと言っていいのではなかろうか。

そして60年代の反乱の後の1970年代、この時代はいろいろな意味で巨大な転機の時代でありました。

ケインズは、自分たちの孫の代には資本主義は老衰で安楽死するだろうと考えていたわけですが、実際資本主義の安楽死を予感させるような状況が生まれてきました。

つまり市場の飽和、技術革新の停滞、資源と環境の危機と言う形で、資本主義の成長の限界がはっきり表面化してきた。そして思想家としてもイリッチやシューマッハーのような人の著作が熱心に読まれました。さらに70年代から全世界的に先進国の企業の収益が低下し始め、今なおこの収益低下が続いております。かつての活力を企業は二度と取り戻せないように見えます。それが現在の恐慌まで行き着いてしまったと言える。しかし資本主義がこのまま安楽死するかと思ったらあにはからんや、1980年以降、レーガンとサッチャーによってこの資本主義の停滞と混迷に対する悪あがき的な富裕層の反撃が始まりました。

この反撃については、新自由主義とか市場原理主義とか、サプライサイド経済とか、いろんな言葉が使われていますが、一番わかりやすい言い方はリッチマン革命でしょう。

金持ちの贅沢と安楽への要求を突破口、経済の刺激剤にし、それで経済を活性化する。庶民にはいわゆるトリクルダウンで少しは富裕層のおこぼれが滴り落ちるはずだというレトリックで富裕層や大企業に対する優遇を正当化した。ところがこのリッチマン革命は見事に挫折しました。ケインズ自身は良き古き英国紳士だったので、人に差を付けたいという欲求だけで動く経済がありうるとは夢にも思わなかった。だが1980年代以降の先進国の経済はまさにケインズのいう相対的欲求、人に差をつけたいという欲求で動く経済でした。しかしそんなことではやはり経済は回って行かなかった。そしてレーガン時代にアメリカは世界最大の債務国に転落し、貧富の差が拡大し、さらにグローバル化によってアメリカ国内の産業は空洞化するという状況になりました。といってその後のクリントンにせよブッシュにせよ、レーガンからの方針転換をやったわけではない。結局レーガン革命の延長線上であれこれバブルを起こして何とかレーガン路線を復活させようとしてきた。そこでバブルをあれこれ起こした挙句、3度目の正直で今度の住宅バブルでこけたということだと思います。

現代は過剰資本の時代

してみると1970年代に資本主義はやはり安楽死を迎えていたのではないだろうか。それを変な悪あがきをしたものだから、この恐慌と言う形で悶死状態に陥るという……その悶死状態に我々は巻き込まれちゃってる、そうみた方がいいんじゃないか。それではケインズはなぜ資本主義が安楽死すると予想したのか。

資本主義とは要するに資本が貴重なものである経済システムのことです。資本がありふれたいくらでもあるものだったら、それは資本主義ではなくなってしまう。資本が貴重ということは、それが常に不足気味だということですね。どんどん拡大する市場があり斬新な技術革新があって一攫千金の素晴らしい投資のチャンスがあるのに、それに比して資本が乏しい。経済学用語風にいえば、資本の希少性(scarcity)ということになりますが、それが資本主義を成立させている。産業革命期には資本家はやたらに儲かった。儲かる以上は誰でも資本が欲しいので、資本の希少性、不足が生じていた。ところがケインズの孫たちの時代になると経済は完全投資(fullinvestment)の状態になる。投資すべきものはすべて投資されてしまい人間の基本的欲望はほとんど満たされてしまって、資本には価値がなくなる。言ってみれば資本は空気や水のようなありふれたものになってしまう。そういう状況を彼は想定していたんです。そして今の恐慌は資本の過剰から生じています。

もう人間の必要はほとんど充たされてしまった経済状況の中で使い途のない資本をどうするか。今の経済は過剰資本の処理で困っている。かつてマルクスが描いた産業革命の時代には資本が不足していて、そのせいで資本家による労働者の搾取ということが起きました。だが現代は反対で、資本の過剰が恐慌の原因になっている。その点では、資本の不足がえげつない資本家を生んでいた時代の「蟹工船」と言った小説、今読んでもあまり意味ないと思います。時代錯誤じゃないですかね(会場笑い)。

むしろ現代社会を考える上での重要な視角は完全投資ということでしょう。新規の大規模な投資のチャンスが消滅してしまった。こういう完全投資と過剰資本の時代を分析した点ではケインズは正しかったと思いますが、他方で私はケインズに対して異論があります。今しばらくは産業革命を推進しなければいけないという彼の議論には大変疑問があるのです。私の本来の分野は金融論・経済ではなくて歴史学ですので、歴史と言う観点からみますと疑問がある。

産業革命が人類をそれまでの衣食住にも事欠くような貧困から救いだしたことは否定できない。しかしそういう destitution というか、人々が衣食住にも事欠き、しかも不衛生な生活をしている窮乏状態を解消するという産業革命の使命は20世紀初頭ぐらいまでに達成されていたのではないか。というのも人間の基本的な欲求というものははたかが知れたものだからです。多分20世紀初めくらいまでに人間の基本的欲求はほぼ満たされる状況が成立していたのではないか。それならそれ以降資本主義は何をやってきたか。産業革命の使命が果たされてしまったので以後は、無駄なものを作る、がらくた、贅沢品を作る、危険な兵器などを作る。こういう状態の資本主義になったんですね。これが20世紀が戦争と環境破壊の世紀になった根本原因であります。

そういう意味でケインズの見方は間違っている、すでに20世紀の初頭に産業革命がほぼ完了し、資本が過剰になる時代が始まっていたと私は考えます。

クリフォード・ヒュー・ダグラスという人物

そして今日の問題は資本が過剰になっているのに、資本が不足だった時代の制度が恐竜のように生き残っていることなんです。それが現代の根本問題で、その最も典型的な例が銀行なんです。資本がもう不足じゃない時代に、ことさら資本を貴重なもの、不足しているものとして演出しているのが銀行です。そういう銀行のパワーをどのようにして解体するか。それを考えた人が今日お話しするスコットランド出身の始めはエンジニアだったクリフォード・ヒュー・ダグラスという人であります。

彼の思想は、社会信用論(Social credit)と呼ばれています。その社会信用論の一環をなすものとして彼はベーシック・インカムを提唱し、それを今日のベーシック・インカムをめぐる論議には見られない徹底した理論的・経済的根拠を持って基礎づけています。この人は1890年(※他の資料では1879年とのこと)くらいに生まれて、1952年に死んでいます。世代的にはアメリカの制度派経済学者のソースタイン・ヴェブレンとほぼ同世代で、ヴェブレンに大変共感を持っていた。この二人は時代を批判する視点を共有していたのです。ただヴェブレンは当時のアメリカ資本主義の大変辛辣な批評をしただけですけれども、ダグラスは金融資本のパワーを解体するための思想と運動を作り出した。

クリフォード・ヒュー・ダグラス

クリフォード・ヒュー・ダグラス

社会信用論を提唱。1879年マンチェスター郊外の町ストックポートに生まれた。ケンブリッジ大学で数学の名誉学位取得後、優秀なエンジニアとしてインド、南米で活躍。イギリスの地下鉄建設に携わった後、第一次大戦中に王立航空機工場の工場長補佐を務める。これらのプロジェクト管理の経験から生産資本の流れにおける矛盾に気づき、「A+B理論」を着想。論壇誌に次々に論文を発表し、社会信用論へと結実した。世界恐慌時代に一躍注目を集め、世界各地で講演活動や政策提言を行った。1952年9月29日スコットランドの自宅にて没する。

このダグラスという人がベーシック・インカムを史上はじめて提唱した人です。昨今はドイツのヴェルナーなどの本が訳されて、日本でもベーシック・インカムという言葉がだいぶ人口に膾炙してきました。しかし忘れられているダグラスこそが最初にそれを提唱し、それも単なる人道的発想からではなくて、資本主義の原理的分析に基づいて提唱した人です。

まずどういう人かと言うことを紹介しますと、彼はケンブリッジ大学に行きましたが大学がつくづく嫌になって中退してしまった。しかし優秀なエンジニアになりインドやアメリカのウェスティングハウス社などで働き英国の地下鉄の自動化装置とか様々なプロジェクトに携わりました。この人が第一次世界大戦中に空軍の大佐としてファーンボローの航空機生産工場の会計監査の仕事をやって、その時に企業の会計にはいろいろおかしな点があることに気づいたんです。最初に彼が発見したことは、労働者は企業から賃金給与配当を貰うけれどもそれでは絶対に企業が生産したものを総体として買い取れないということでした。労働者が生産したものの価格は労働者の所得をはるかに上回るということを発見した。これはどうもおかしいというので、100以上の工場の会計を調査しましたが、どこへ行っても同じで、労働者の所得の総体は決して消費にまわって商品の総体を買い取ることができない。価格と所得の間、生産と消費の間にとんでもないギャップがある。なぜそんなギャップが発生するのかを研究して彼は社会信用論に行き着いたのです。

しかしダグラスはですね、エンジニア出身で学会などにいた人ではありませんので経済学者などからは変人奇人扱いで相手にされなかったんです。一部の社会主義の雑誌が彼のエッセイを載せてくれるぐらいだった。

ところがそこへ1929年の大恐慌が発生して、ダグラスの言うことはすべてあたっていたということになった。

それで出し抜けに世界的な脚光を浴びまして、ダグラスは「経済思想におけるアインシュタイン」と言われ、カナダや英国の議会で証言したり報告書を提出したり、ニュージーランドの財政改革案を作ったりしています。日本にも国際会議で来ています。戦前には彼の著書も邦訳が出ています。英国以外でもアメリカ・カナダ・ニュージーランド・オーストラリアなど英語圏で彼の支持者は非常に多くて、そこから彼の社会信用論は社会信用運動に発展していきました。また彼の社会信用論は文学者にも共感をもって迎えられ、T.S.エリオットやエズラ・バウンドなどが信奉者でした。それからチャップリンがダグラスの本を読んであわてて手持ちの株と債券を全部処分し、おかげで大恐慌による被害を免れたという話もあります。

先ほどお話したケインズのラディカルで面白いところは、ほとんどこのダグラスの剽窃と言っていいんですね。ただエリート経済学者なのに堂々とダグラスを剽窃し、変人奇人扱いしないでダグラスの言っていることの正しさを認めたという点ではケインズという人はやっぱり偉かったんでしょうね。ケインズは友人にあてた私信でも「文明の未来はダグラスかマルクスかによって決定されるだろう。そして自分はマルクスは嫌いだ」と書いているそうです。

ところが大恐慌時代にこれほど脚光を浴び注目されたダグラスは大戦後には全く忘れられた人になってしまった。喉もと過ぎればっていうことなんでしょうね。恐慌がうやむやな形で大戦によって終わったものですから、ダグラスは一気に忘れられた人になってしまった。私自身もダグラスの名前を知ったのは、ケインズの「雇用、利子および貨幣の一般理論」の最後のところで彼の名前が出てくるからです。それで初めてこういう人がいたのかと思った。

過剰資本を視野においたダグラスの社会信用論

そこでこれからダグラスの思想と理論について話していきたいと思いますが、所得保証論は彼の信用社会化論、ないし社会信用論、その一環として出てくるものです。

先に申したように人間の基本的で強烈な衣食住の欲求が満たされてしまうと資本は過剰になってしまう。この資本の過剰を作り出したひとつの要因は市場の飽和ですが、もうひとつは19世紀末以来産業のオートメ化が進んだということがあります。オートメ化が人間の基本的な欲求を効率的にどんどん満たしてしまう。その意味ではオートメ化は基本的には結構なことです。ダグラスも「オートメの製品は味気ないと言うけれど歯ブラシや鉛筆とかそんなものを手仕事で作ってどんな意味があるのか」と言っています。オートメ化できるものはどんどんオートメ化すべきだ。オートメ化が進むことによって、人間はつらい、単調な労働から解放されるのであると。問題はむしろオートメーションがちっともそれに見合う恩恵を庶民にもたらしていない、豊かさをもたらしていないことです。逆に人々を機械による失業などで苦しめる形になってしまっている。こうして豊かさの中の貧困というべき現実が生じている。

ダグラスがこういう議論をしていた20世紀の初頭でさえオートメ化が相当進行していたわけですが、いろいろな研究によると現代ではオートメ技術をフルに活用するなら全労働人口の四分の一程度ですべての生産ができてしまうようですね。ですから大半の現代人は潜在的失業者であるわけです。この事実を見据えないと、「雇用を守れ」とか言ったって、どうしようもないですね。そしてダグラスは、現代においてはオートメーションと市場の飽和、基本的欲求の充足により生産の問題はすでに解決した、現在の問題は分配であると主張します。

ところが相変わらず生産の時代を演出して分配の問題の解決を妨げるパワーが存在する。資本が過剰な時代に、ことさら資本を貴重なものにしたがるパワーが存在する。それが金融資本なんです。その金融資本が企業には資本が足りない、労働者には所得が足りないという状況を演出していることを彼は徹底的に問題にするわけです。ですからなぜ豊富の中の貧困という事態が発生するのかは、金融機関、銀行が何をしているのかという問題を抜きにしては説明できないのです。このように銀行というものを徹底的に問題にしたことが彼が忘れられ黙殺された一因でもあります。経済学者はダグラスの名前を知っていても口にしない。そういう状況は今でも続いています。

経済学者というのは間接的に銀行に雇われているんですね。マルクス系の人は別にして。そう思わざるを得ません。それならば、まず銀行と、銀行を可能にしているマネーの在り方、それを変革しなければならない。

しかしダグラスの場合、マルクスとはまったく違って彼は個人の自由を思想の根本に置き、市場も企業も否定しません。しかも全体として見ると、富が効率よく最も望ましい形で社会的に分配される、そういうシステムを彼は考えたわけです。ですから、まず金融資本、資本過剰の時代に資本不足を演出している銀行と言うものについて議論をしたいと思います。先ほど申し上げたように、銀行はジュラシックパークの恐竜みたいなものです。つまり資本が不足だった産業革命初期の時代とか、その前の英国が植民帝国になってイングランド銀行が出来た17世紀、そういう過去の遺産を時代錯誤的に背負っている恐竜です。

銀行制度の歴史

そこで銀行制度の歴史ですが、1694年に英国でイングランド銀行が創設され、その後できた世界の銀行は大方このイングランド銀行がモデルになっております。

イングランド銀行創設のきっかけは、英国とフランスの戦争です。この当時から国家間戦争の戦費は巨額なものになってきて、王の税金徴収能力だけではもうそれを調達することができなくなった。そこで英国王はロンドンの金貸しから借金することにした。金貸しとは金細工師のことです。彼らは金を人から預かっていて、その預かり証を紙幣として流通させて金融業をやっていた。そして国王は彼らから金を借りて、その代りに彼ら民間金融業者に公認の通貨を発行する権利を授けた。王と金貸しが一種の癒着をやったのです。

こうして銀行なるものは国家が金貸しに借金するという形で始まった。銀行は銀行券を発行する特権を王から与えられたのですが名前がイングランド銀行なので、それはあたかも国家の紙幣であるかのように見えます。けれども、実際は銀行の、銀行による、銀行のためのマネーなんですね、これは。今の日本銀行でも、アメリカ連邦準備銀行でもどこでも、銀行にはそういうカラクリがあるんです。

これは大変不思議なことと言えます。たとえば、ローマのコインを見てください。皇帝の肖像が刻んでありますよ。どこでも通貨というものは為政者が発行するのが決まりだった。日本だってそうです。世界中そうでした。なぜ、イングランドに限って国家が銀行から金を借りて見返りに銀行に通貨発行の特権を与えるという妙なことが起きたのか。それは当時の英国の歴史的事情に起因していると思います。宗教戦争の後、英国王は税金を集める能力を失ってきた。近代戦の戦費を調達できるような税金調達能力がなくなっていた。一方ではロンドンの金融業者は王とは比較にならないほどリッチになってきて、事実上イングランド王国の陰の支配者になっていた。その結果、私利私欲で動いている銀行がまるで公的機関のような顔をするようになり、しかもそれが全世界の銀行のモデルになってしまった。それに加えて17世紀以降の英国経済は巨額の長期的投資を必要としていました。

例えば英国の場合は、カリブ海地域に植民地をつくりプランテーションで黒人奴隷を使って砂糖やタバコを栽培してそれをヨーロッパに運んで売ればぼろ儲けができました。しかしこういうことは大事業ですから、長期的な膨大な投資が必要であって銀行のレベルでないとその資本は調達できないということがあったでしょう。さらに産業革命期になると企業はどんどん製造過程を機械化し設備投資する。これには大変金がかかって、やっぱり銀行から融資を受けないとやっていけない。

幻のマネーが経済を動かしている(信用創造)

そこで銀行は何をしているのかを改めて考えてみたいんですが、まず、銀行の特徴は fractional banking 、部分準備制度にあります。つまり銀行は預かっている預金の何倍ものお金を貸し出しているということです。だいたい8倍から10倍は普通ですからね。これが今の金融危機の焦点になっているデリバティブだとベースの50倍から80倍という例もあるようです。

そんなの一旦不良債権になってしまうとメガバンクでも返せません。それからもう一つの特徴は、信用の創造、無からの幻のマネーのでっちあげです。例えばAさんが銀行に100万円預金したとする。そこにBさんがやってきて銀行から企業の運転資金を100万円借りたとする。しかし銀行の帳簿をみると、Bさんに100万円を貸したからと言って、Aさんの預金を帳簿から削ったりしていない。それは相変わらず帳簿上に残っているんです。そしてBさんに100万円貸したことが銀行の資産として帳簿に載っている。そういうことで、預金を右から左に動かすような事をしないで無から新しい金を創り出している。

つまりBさんに貸した金は銀行が帳簿の上で無からつくり出した金なのです。Aさんの預金とは実は関係ないわけです。しかもBさんに貸した金は、Bさんには気の重い負債でも銀行にとっては期限内に利子付きで戻ってくる資産になる。そういうかたちで銀行は信用を創造する、クリエーションする。無から信用というものを作り出す。

してみると銀行は、有りもしないものを売って丸儲けしているとも言える。言ってみれば空気を売って儲けているみたいなもので、これは詐欺の一種じゃないか。実際銀行業には詐欺の要素がありまして、アメリカのテキサス州は20世紀の初めまで銀行業を不道徳なビジネスとして禁止しておりました。不動産屋は家を買いたい人と売りたい人を仲介して、その手数料で食っている。不動産屋が有りもしない物件を売ったら直ちに詐欺で御用でしょう。ところが銀行は有りもしないマネーを売って、しかもその影響力で影の政府にまでなってしまっている。こんなおかしなことはありません。

部分準備制度ということは、銀行マネーははじめから幻のマネー、不良債権だということです。しかもそれが経済を動かしている。なぜこういう無からの信用の創造という詐欺まがいのことが可能なのか。

銀行信用の功罪とは

そこで考えてください。人々が協力してアソシエイトし結合して何かを始めると個人個人ではできない新しい富が生まれてくるものです。ひとりではせいぜい何か小さな木工品しか作れない。1,000人が一緒になれば自動車でも飛行機でも何でも作れる。そうした協力と結合から生まれる富というものがある。銀行は言わばそういう富をくすねている。人々の協力と結合から新規の富が生まれる過程を私的に横領している。寄生虫的に横領している。

だから「無からの創造」が怪しからんのではなく、私的横領が怪しからんのです。そして銀行は負債の網の目で社会を覆いつくす。しかもこの銀行信用こそ社会を組織するもっとも強力な力であります。銀行こそ隠れた政府であります。というのも、我々がスーパーのレジで支払いに使っているような紙幣や硬貨は実際は経済を動かしているマネーの数パーセントを構成しているにすぎません。実際の経済を動かしているお金は、ほとんど銀行信用であって、お金の90パーセント以上は銀行マネーです。現代経済は銀行から借りたお金、負債で動いている。もっと正確に言うと負債を返済する義務で動いている。もしもですが、国家も企業も個人も銀行からの負債を100パーセント返しちゃったとします。すると経済は一瞬の間に全面的にストップしてしまう。そういう経済です。現代経済というのは。

そして人間は誰でも借金というものは嫌なんですけど、銀行にとってはこれは逆なので、銀行にとっては他人の負債が資産である。だから日本国家に800兆の負債があるということは銀行にとっては大変な資産なわけで、これは返してもらっては困るんですね。永遠に国を借金漬けのままにしておいて利子を払ってほしいわけです。千円札や一万円札など日本銀行券というのがありますが、日銀の帳簿でみるとあれは負債等なんです。負の帳簿につけているんですよ。日銀券が負の帳簿というのはおかしいように見えますが、銀行にとっては紙幣・カレンシー・通貨の本質は負債であるということを日銀券は象徴しているのだ思います。

しかも実際の日銀券を裏付けているのは、日銀の持っている日本国の国債です。それ以外にも日銀は金とかいろいろ持っていますが。国債というのが最大の財産です。国債というのは要するに納税者を人質に取った借金証書ですから。納税者を人質に取った国家の借金、それが日銀券の価値を裏付けているとも言えるわけです。

しかもそれに利子がついているわけですね。利子をつけて返さないといけない負債。しかも場合によっては複利でとんでもない額にどんどん増えていく。そういう利子つきの負債。

利子の性質は現実にそぐわない

この利子とは大変不思議なものです。利子というものは一旦決まったらもう変わらない。

企業は利潤追求でよく批判されるけれども、利潤は市場の動向で増えたり減ったりします。ところが利子にはそんなことは無い。絶対に変わりません。何があろうと。自然界に似たようなもの、物理法則で似たようなものは全くありません。ですから「阪神大震災で俺のマンションつぶれちゃったから利子を負けてくれ、住宅ローンの利子を負けてくれ」と言っても銀行は認めません。この絶えず増大するだけで絶対減ることの無い利子というもの。これがある意味で果てしない経済成長というものの根本要因です。利子を廃止しないかぎり環境にやさしい経済なんてできないでしょう。それから近代国家の特徴として銀行からの借金で食うようになったということがある。国家は銀行に国債を買ってもらう。それが税金以外の国家の財源になっている。

もしも国家に税金しか財源が無かったら、国家は税収の枠内でそこそこにやるしかない。ところが銀行に国債を売ってカネが入るとなると、国家はこれで勝手なことができるようになる。もちろん国債は借金だけれど、そんなものは納税者にツケを回せばいい。だから国債の発行が近代国家のやりたい放題の運営を可能にしていると言えます。そして利子つきの負債である銀行信用が、経済の中でますます大きな割合を占めてくると、その分だけお金が不足してくる。つまり自由に使える流通するお金が減ってくる。利子付き負債というマイナスのお金が自由に使えるお金の量を制限してくる。人々が自由に利用できるマネーの量を制限し、それによって、企業にとっても庶民にとっても資本を貴重な常に不足しがちなものにする。それが銀行という商売のカラクリなのです。ではどうしたら、そういう銀行の罠に嵌らずにマネーを潤沢に供給されるものにできるのか。

パブリック・カレンシー(公共通貨)

第一に必要なのは、利子付き負債というものをなくすことでしょう。利子付き負債で動いている経済を解消する。それから、絶えず新しい富を生み出す人々の結合と協力を象徴するような、そういう通貨を作りだす。

その場合、それは人民の結合と協力から生まれる通貨ですから、公共の通貨として国家が発行することになる。銀行券ではなく日本国紙幣です。そしてその公共通貨による融資には利子は付けない。付けるとしても事務的な経費に充てるためのごく僅かな利子がつくだけです。当然そういう通貨でも借りたら国に元本は返さないといけませんが、銀行のように他人の負債を増やすことを目的として発行される通貨ではありません。

そういう社会の合意と協力の徴である通貨を作り出す必要がある。それがダグラスの社会信用論から出てくる、第一の結論です。

しかも歴史上は、このように国家が直接通貨を発行することは、古代では普通のことであり、近代でもその例はざらにあります。

たとえばアメリカでは、独立革命以前の時代にペンシルベニア州がそうした通貨を発行し、そのお陰で州の経済は大いに繁栄しました。フランクリンはアメリカの植民地が繁栄している理由を訊かれて、それはこの通貨制度のお陰であり、英本国の方は皆銀行からの借金で喘いでいるけれどアメリカ人民は借金に無縁だと言ったそうです。一説では、それで困ったイングランド銀行が英国政府に圧力をかけて植民地を重税で締め付けようとし、この通貨制度をめぐる争いがアメリカ革命の一因になったそうです。その後も、例えば南北戦争が勃発した際に北部には膨大な戦費の調達が必要となり、リンカーンがそれをヨーロッパの銀行から調達しようとしたら、足元を見られ30から40パーセントとかそういう利子を吹っかけられた。そこでリンカーンはグリーンバックという政府通貨を発行することにした。この英断のお陰で北部は南北戦争を戦い抜くことができ何の問題もおきなかった。

ただ、リンカーンの暗殺にはこの通貨改革が絡んでいるという説もあります。今世紀に入ってからでは、ジョン・F・ケネディが連邦銀行が勝手に民間資本として通貨を発行しているのはおかしいと考え、政府通貨を発行する計画をたて準備しているところで暗殺されてしまった。これも通貨改革がらみという説があります。

日本の場合は、明治政府の太政官札、あれは政府貨幣ですよね。また戦前に高橋是清内閣が大恐慌の時代に国債の日銀引き受けということをやった。これは日銀と日銀券をそのまま使っていますが、政府貨幣の発行と事実上は同じことです。この政策で日本は、各国の中でもいち早く恐慌から脱却することができた。ただこの日本の例を見ると、太政官札は暴走インフレを起こしてしまった。高橋是清の政策は、ダグラスも、「私の言う政府発行貨幣とちょっと似ているな」って言っていますが、折角これで恐慌から回復した経済力は日中戦争に注ぎ込まれてしまった。

だから政府が自ら通貨を発行すること自体はいいんですが、何が公共の利益かについてのしっかりした人民の合意があり、その合意を反映する政府があり、それをきちんと実行する財務当局があること、それが政府通貨の発行に不可欠な条件です。皆さんもご存知のように、最近自民党の一部で政府紙幣をやったらいいという議論が出てきています。自民党は散々利権バラ撒き型公共事業をやってきたけれど、今は国家財政の大赤字のせいでそれになんとかブレーキがかかっている。そこに政府紙幣の話が出てきて、これはいいアイディアだ、これでまたノーブレーキでバラ撒きができるわいと思っているのなら、とんでもない話です。

ダグラスのA+B理論

それでは銀行と企業の関係はどうなのか。先に申しましたように産業革命以来、生産の機械化、オートメ化が進み、それまで家内工業だった企業がいわゆる機械制大工業に変貌して膨大な設備投資が必要になりました。これは企業自身の資金では無理なので企業は銀行から融資を受けるようになり、こうして金融業界が実体経済に介入するようになった。その結果何が起きたかをダグラスは問題にするわけです。

この環境では、たとえ大企業であろうと、もう銀行なしに企業の経営はありえません。どの企業でも銀行に負債を負っています、今中小企業に対する銀行の貸し渋りが問題になっていますが、銀行が大企業に優先的に融資するから、中小企業に資金が回ってこないわけですね。逆に言うとそれくらい大企業だって銀行を頼りにしている。

トヨタの無借金経営とかあれはデマですからね。大企業であればあるほど相当内部留保があるにしたって、設備投資や研究開発や市場の開拓のために銀行からの融資が必要です。

そしてダグラスは第一次大戦中に企業会計の現場を経験する中で経済に一体何が起こっているのかを発見した。生産コストは常に労働者に対する賃金や給料をはるかに上回る、一国の商品の総価格は勤労者の総所得を上回るので勤労者は所得=購買力の不足に悩まされるということを発見した。この事実をダグラスはA+B定理として定式化しました。このA+B定理で彼は基本的には単純なことを言っているのです。

彼はまず企業の生産コストをAとBに分けるAは労働者の賃金とか、給料とかでこれは人々の所得になり購買力になる。ついでにいうとこの購買力(purchasing power)もダグラスが作った言葉です。Bというのは減価償却費とか、銀行への負債の返済、他の企業への支払いなどです。そのほかいろいろな外部費用、取引先の接待とか。そうすると小学生でも分かることですけれども、AよりA+Bの方が大きい。だから労働者は決して企業が生産した生産物の総体を買うことができない、ということです。これが商品の価格になるとこの生産コストのA+Bにさらに利潤がつく。ところがダグラスは利潤のことは大して問題にしていません。利潤はせいぜい企業会計の3%とか5%くらいもので、それが勤労者を苦しめているとはいえない。企業への金融の介入、これが問題なんだと彼は言っている。ところで皆さんは、AよりはA+Bの方が大きいのは当たり前じゃないかと思われるでしょう。

人件費とか労務費とかは企業の総経費の中のほんの一部に過ぎないということは当たり前じゃないかと。しかるに20世紀の初めの英国では、これは決して当たり前ではなかったのです。スミスやリカドゥの古典経済学がまだ幅を利かせていて、生産は必ず所得になって労働者はそれによって商品を自由に買って消費するとされていました。というのも古典経済学は独立自営農民などを経済のモデルにしていたからです。だからそれは後の機械制大工業には全く当てはまらない議論なのに、それがまかり通っていた。ダグラスはそれが時代錯誤の議論であることを指摘した。

ただしダグラスが真に問題にしているのは、Aより A+Bの方が大きいという単純な事実ではなく、マネーの流れです。時間と共に生産費用の中でAに対してBの比重がどんどん増える、逆に言うとAの比重がどんどん減っていくという構造を明るみに出したのです。

労働者に払われる賃金は銀行ローン

企業の製品というのは様々な中間段階を経て、最終製品になる。例えば自動車をつくるためには、まず鉄鋼やガラスやプラスチックを生産しなければならない。中間段階の製品を作っている企業は消費者に関係なしに生産してるわけです。だがそういう企業の生産費用も最終的には消費者が買う商品の価格に全部転嫁され、そこに集積されている。そういう何段もの段階を経て、最終製品になるような高度な工業製品は、その分だけBの部分をどんどん増やしAの部分を減らすことになる。

それから、労働者に給料を払うということの意味です。5月分の給料をもらうとする。その5月分の給料で労働者は実は何ヶ月も前に出荷され販売された既存の商品を買っている。ところが企業は現在進行中の労働者の作業に給料を払っているわけです。この進行中の作業を企業は投資活動としてやっているのであって、その投資活動の一環として雇用があって労働者が働いている。しかも企業の投資活動のかなりの部分が銀行からのローンに基づいている。

とすれば労働者に払われる賃金も実際にはかなり銀行からのローンである。だから労働者は一生懸命働いて自分の労働の成果として給料があると思っているけれど、実際はローン生活者みたいなものなんですね。そして労働者が賃金をもらってそれで商品を買うと、それを生産した企業の収益のかなりの部分は銀行に負債の返済で戻ります。そうするとなんのことはない、労働者はローンで暮らしていて、しかも商品を買うことで銀行にローンを返済していることになる。銀行ばかりが肥え太り労働者の境遇は一向に良くならない。そういうことになっている。これは銀行の融資によって成立している企業活動のいわば宿命でしょう。

もちろん企業の収益はみんな銀行への返済に充てられのではなく企業の内部留保に充てられる分もあるでしょうが、それを企業は再投資に使うでしょうから、これも勤労者の所得や購買力にはなりません。こういう形で労働者は、働けば働くほど、商品を買えば買うほど自分を追い詰めていく。といっても、労働者が賃金をもらって消費者として商品を買ってくれることだけが企業にとって市場であるわけです。だから労働者の所得が減ったら企業自身も販売不振に苦しむというジレンマがある。この問題をどう解決するのか。

消費ギャップをいかに埋めるか

このギャップをまたまた銀行からの借金で埋めるというのがひとつの手です。そうなると、企業自体も蟻地獄に嵌ったみたいなもので、金融化経済の矛盾をさらに銀行信用で埋めていくことになっていく。もうひとつは、貿易ですね。商品を輸出する。輸出で黒字になって外国の市場でもぎ取ってきた金というのは、銀行資本とは関係ない、利子も負債も関係ない、もろのゲンナマですから自由に使える。こんなおいしい話はない。だからどの国の企業も貿易戦争で勝って輸出で儲けようと必死になる、ということです。してみると輸出!輸出!貿易!貿易!と騒ぐということは、いかに企業自体の内部矛盾、労働者の所得は減る一方、設備投資などで負債は増える一方という矛盾が拡大しているかの証拠です。

このA+B定理からするととにかく、勤労者の購買力は驚く程限られている。ダグラスは、生産諸経費が価格の形をとり、それでいろいろな要素が消費者に転嫁されると、実際の勤労者の購買力は実質的な企業会計の数パーセントにすぎないのではないかと言っています。

その限られた購買力を奪い合わねばならないので、企業は激烈な競争をすることになる。購買力が限られていることが競争の主要な原因です。資本・購買力・マネーの不足のせいで企業間で激烈な競争が展開されることになります。それでも労働者の賃金以外に商品が売れて捌ける経路はありませんから、労働者がその賃金、給料で企業が何ヶ月も前に作った商品ならなんとか買えるようにしておかないと企業は破綻してしまう。どうしたらいいのか。

絶えざる生産の拡大、近代企業の宿命

絶えざる生産の拡大。生産さえ拡大していけば、それに付随して労働者におこぼれで回る部分が ある程度増える。企業が拡大すればその分だけAの部分が名目上は多少絶対的に増える形にはなる。こういうことから、企業は絶えざる生産の拡大に駆り立てられる。そういう意味では経済成長というのは、近代企業の宿命なんですね。そしてA+B定理の矛盾がありながら企業がすぐに潰れずに生き延び恐慌が直ちに起きない理由もそこにあります。絶えざる経済成長で名目賃金は多少上がり、しかも勤労者は何ヶ月も前に生産されたものを買っているので、それが矛盾を多少は緩和します。だがそれだけに、経済成長がストップすると直ちに深刻な不況や恐慌が発生します。

しかし生産の拡大といっても、消費者が欲しがっているものは、ほとんどすべてもう作ってしまっている。では企業は何をやるか。苦し紛れにガラクタを作る、贅沢品を作る、全くの浪費でしかないものを作る、危険なものを作る。それが今の企業がやっていること。しかしながら、企業にはどっちかというと銀行の被害者の側面もあるわけです。銀行から金を借りちゃったんで、こういうことをやらざるを得なくなってしまう。企業自身も利子付き負債というものに悩まされている。

根本問題は、マネーが、生産や消費の現実とは全く無関係に銀行の金融的利益になるかどうかという尺度で融資されていることにあります。もちろん銀行も融資先の査定はやるでしょうが、結局銀行のそろばん勘定だけが肝心なのです。こういう形で銀行は、マネーを発行する権利を独占している。そしてマネーに見合う需要を作りだすような形でマネーを発行していない。現実の需要を見極めたうえでそれに見合う形でマネーを発行するということをやっていない。

しかも銀行の論理、利子付き負債の論理でマネーを発行し、企業に貸している。その結果として企業においては負債の累積的増大があり、労働者においては所得の継続的減少がある。これをいろいろ誤魔化したり、先送りしたりする手はありまして、だから簡単には破局にはならないんですけれども、根本的にはこの構造は変わりません。

この構造を解消するためには、負債経済、利子付き負債を返済する義務に基づく経済と縁を切って別のマネーの流れを作り出す必要があります。それから今言った、企業の投資によって雇用が産まれ、その雇用によってしか所得が生じない、しかもその労働者の所得だけが商品が買われ消費される経路であるというジレンマがあるわけですね。

労働による所得は雇用によって生まれ、雇用は企業の投資から生まれ、投資の背景には銀行の融資がある。この連鎖を断ち切らなければ、人々は所得不足、企業は販売不振に苦しむ状況はいつまでたっても変わらないでしょう。ということは、雇用と所得を一定程度切り離す必要があるということです。雇用と所得を切り離して人々の購買力を保証する必要がある。そうしないと経済は恐慌になってしまう。このように負債経済を解体すること、その一環として雇用と所得を切り離して円滑なマネーの流れを作り出すこと、これが社会信用論の課題であります。

適正な価格の形成

ここでこれまでの話を一旦まとめましょう。理解して頂きたいのは、ダグラスが問題にしているのは「労働者の搾取」といったことではなく、市場経済の要である「価格の形成」であることです。

まず、生産はあくまで人々の消費のためにあります。だから経済は生産と消費がプラスマイナスゼロで過剰生産とか過少消費がないことが望ましい。それゆえに価格は、それによって生産と消費が均衡するようなものであるべきなのです。ところがダグラスが実際の商品の価格を調べてみたら、その大部分を構成しているのは生産設備の減価償却費や銀行への返済や将来に備えた研究開発費などで、労働者の賃金給与は僅かなものでしかなかった。つまり機械制大工業の時代には、価格は需要と供給の均衡によって自ずと決まるという古典経済学の説はもう通用しないのです。

そしてこの価格の歪みという問題の解決策は市場の中から自然に出てくることはない。というのも、その根本原因は、銀行が自分の金融的利益の観点で実体経済に介入し社会の生産と消費を左右していることにあるからです。

そして負債経済を解消する方策としては、国家による通貨の発行、パブリック・カレンシー、公共通貨を発行し企業その他に利子なしで融資するということでいいわけです。他方で雇用と所得を一定程度切り離さないと、近代企業経済はそのジレンマから抜け出せない。そしてこの切り離しをやるための方策が、ベーシック・インカムであるわけです。

国民配当と文化的遺産(カルチュラルヘリテージ)

ところでダグラスは、ベーシック・インカムではなくて国民配当(National dividend) という言葉を使っています。これは配当なんだと。どういう意味で配当なのかというと、まず、社会の結合と協力から新しい富が生まれるんだということですね。

個々人の労働の成果とか対価ということではなくて、人々が結合し協力すること自体から新しい富が生まれる。そうした富は言うならば、共通の富のプールをなしている。その共通のプールから富をもらう、引き出す権利は誰にでもある筈だということなのです。それは誰がどれくらい懸命に働いたかとか、そういうことには関係ながない。しかし生産は個々人の労働能力の結果や成果であると考えているかぎり、この発想は出てこないでしょう。富とは共通のプールをなすものという発想がないとね。そこでダグラスの独特の主張なんですが、彼は文化的遺産、カルチュラルヘリテージというものを強調します。これは彼のエンジニアとしての現場体験から出てきた認識です。

彼によると、生産の90%は道具とプロセスの問題で、労働者の能力は大した役割を演じていない。道具とプロセスが生産というものを大方決定している。そうならば生産を決定しているのは共同体の文化的な遺産や伝統にほかならない。道具や知識や技術は、そうした遺産や伝統である。人類は何万年もかけて、そういう知識と技術の膨大な蓄積を行ってきたのであり、だから現代人は改めて火の使い方を学んだり、車輪を発明したりする必要はない。過去の何千という世代が蓄積したものを我々は享受しているのでありまして、すべての人間は人類のそうした偉大な文化的遺産の相続人である。そういう相続人として配当をもらう権利があると彼は言っています。

富というものは、共通の富のプールとして人々の協力と結合から生まれると同時に、文化的遺産として過去の諸世代もその創造に関わっている。そういう認識が国民配当を正当化します。

それからこれは私の個人的考えなのですが、自然は驚くべき富を人類に与えながら何の見返りも要求していない。その意味では、富は神ないし自然からの人類への贈り物と考えるべきです。宗教の安息日という習慣は、富は人間の労働の成果ではなく神の贈り物であることを忘れないためにあるものです。こういう思想も国民配当を正当化するひとつの論拠になると思います。それから先に申しましたように、国民配当で人々への所得、購買力を保証しないかぎり、経済は恐慌になっちゃう。現に恐慌になっています。だから恐慌を予防する経済的方策ということも国民配当を正当化する理論的な論拠になります。

この国民配当は内容的にはまさにベーシック・インカムのことですが、この国民配当という言い方のほうがいいと私は思うんですね。ベーシック・インカム、基礎所得保証という言い方をすると、通常「所得」は雇用や労働に結びついている観念なので、何で働かないでそんな所得をもらえるんだと反発や疑問が出てくる。その点、国民配当という言い方だと、より分かりやすく受け入れられやすいのではないか。

もっともこれは社会信用論の立場に立たないと出てこない、ヴェルナーなんかの所得保証論からは出てこない言葉かもしれません。つまりこの言葉には、こういう配当をやらないと資本主義は恐慌で崩壊してしまうという含意があるのです。

社会信用論とベーシック・インカム

ところで昨今は日本でもヴェルナーなどの本も翻訳され、ベーシック・インカムという言葉がかなり広まってきました。ただ、従来のベーシック・インカム論議は、どうも論拠とか思想的根拠がもやもやしていて曖昧なんですね。

人道的な配慮からやることなのか、福祉国家を完成させるものなのか、それとも福祉とは別のものなのか。そういうことがはっきりしていない。その点では社会信用論においては、所得保証をやらないと恐慌になるという理論的にはっきりした論拠があるわけです。そしてベーシック・インカム論の論拠に関しては様々な人が様々なことを言っていますが、ダグラスの社会信用論の究極の目的は、銀行と大企業の高度に組織された権力、影響力から個人を守り個人の自由を確立することです。ですから個人の人格の自由な発展という思想こそが社会信用論の、いわば哲学的基礎と言えるでしょう。

ところで、これまでのベーシック・インカムをめぐる議論は、必ず財源の問題で躓いてきました。

これを所得税でやるとすると、まず足りないでしょう。膨大な費用がかかりますから。それに所得税でやったら、ベーシック・インカムとは金持ちのカネをむしって貧乏人にばらまく階級闘争だと思われて非常にぎすぎすした社会になる。それでは、消費税でやったらどうかというのがドイツのヴェルナーの意見ですが、とんでもない率の消費税になってしまう(会場笑い)。せっかく所得を保証されても、商品が高すぎて何も買えない。ところが社会信用論に立脚するなら、財源の問題は一切心配する必要はないんです。パブリック・カレンシーでやりますから。しかし、これは紙幣を勝手気ままにじゃんじゃん刷ってばらまくということじゃない。生産能力があり、人民の必要ないし需要があって、その統計データを踏まえて通貨を発行して企業に融資するならば、経済は順調にまわっていきます。

「財源が難問」という発想は、国家の収入源は税金と国債しかないという発想から出てくるものなのです。とにかく公共通貨で基礎所得保証をやるならば財源のことは考えなくていい。その場合に問題になるのは、庶民がそれを通貨として受け取るかどうかということだけです。しかし折角所得を保証をしてくれる通貨なのに、馴染みのないお札だから受け取らないという人はいるでしょうか。みんな喜んで受け取るんじゃないでしょうか。福沢諭吉の日銀券じゃなくて、なにか別の図柄のお札だったとしても。そういうことで、財源の問題は心配しなくてよろしい。

「所得への権利」という思想

しかしながら所得というものについては我々はまだまだ古い考え方にとらわれておりまして、所得は雇用によってしか得られないものという考え方は日本の世論の中に深く根を張っています。

雇用による以外に富を分配できなかった過去の時代の発想という点では自民党も共産党も似たようなもので、だから口をそろえて「雇用を守れ」と騒ぐ。しかし現代という時代が要請しているのは「雇用を守れ」というスローガンではなく、「所得への権利」という思想なのです。そもそも企業の使命は消費者に良質の商品を効率よく提供することであって、雇用を維持することではありません。従業員の雇用を守るために材料費を削って粗悪な製品を作る企業を世間は認めるでしょうか。そしてマネーこそまさに「先立つもの」で、所得があってこそ潜在的需要が有効需要になって市場が活性化する。そこで企業活動も活発になって雇用が拡大する。だから「まず雇用を守れ」というのは全くの本末転倒なのです。

もちろん目の前に派遣切りで失業した人がいたら私だって何とか就職口を斡旋してあげたいと思うでしょう。しかし経済システムを全体として分析してみれば、雇用至上主義はまったく間違ったナンセンスな立場でしかありません。

そして冒頭で申し上げたケインズの言葉ではありませんが、基礎所得が保証されたらビジネスはやらずに芸術や学問や文化活動に携わる、そうした人たちがいっぱい出てきて、どこに問題がありますか。そういう人たちは購買力で経済に貢献してくれればいいんです。そういう文化で社会に貢献する人々こそ真の国力を作り上げるでありましょう。有能でバリバリ働く人が環境を破壊し社会の存続を危うくしている、それが現代という時代です(会場笑い)。

やっぱり我々はマネーというものに対する呪物崇拝に陥っているのですね。報道で、定額給付金をもらったおばあちゃんが神棚に給付金を祀ったという話がありましたね(会場笑い)。しかるにダグラスはマネーを切符に喩えています。

生活インフラとしてのマネー

鉄道の切符を買ってそれを神棚に祀る人はいないでしょう。切符はそれを使って電車に乗って移動するためのものです。お金もそうしたもので、あくまで自分の欲する財やサービスを円滑に手に入れるための手段、その目的で富の分配を効率よくやるための手段である。

ダグラスがA+B定理で言っていることの根本はそこにあります。マネーは本来分配の手段であるのに銀行の利益がそれを生産の手段にしちゃっているから、企業にとっても労働者にとっても次々におかしなことが起きてくるということです。

つまり現代においては生産の問題はすでに解決している。今日の問題は分配であり、それゆえにマネーを分配の手段として考える視点が必要である。そうしてこそマネーというものを客観的に、サイエンティフィックに考察できる。そういう意味でマネーは切符のようなもの、経済生活に参加して社会から排除されないための切符なのです。これを逆に言えば、現代の「貧困」とはたんにビンボーということではなくて、社会から排除され人間として否認されていることなのです。

別の言い方をするならば、現代においてはマネーは一種の生活インフラ、電気や水道のような生活インフラだということです。それを呪物崇拝で、マネーとは何か神秘的な力を発揮する力や特権の源泉と思う、そういう発想は根本的に間違っています。結局マネーを価値を保蔵する手段とみなすこと自体が呪物崇拝なのです。そういう意味で、人民が合意した公共の利益に基づいて発行される公共通貨ならびに国民配当は、マネーを人々の生活インフラに変えていくための制度です。もちろんチャンスがあったら商売をして儲けることは否定されていません。しかしマネーはそれ以前に基本的に生活インフラでないと困るということです。さもないと経済がおかしくなります。

社会信用による資本の分散化

この点では社会信用論を資本の集中か分散かという観点から捉えることもできます。

英国が東インド会社を創設して海洋商業に乗り出した17世紀、さらに産業革命が進展した19世紀以降の時代には、資本の巨大な集中が必要でした。銀行は資本を集中させる目的で作られた制度なのです。日銀や連邦準銀が「中央」銀行と呼ばれるのは、そこに資本が集中しているからです。しかし今のような資本過剰の時代に資本を集中させておくと、資本はウオール街のカジノ資本主義の元手になって世界経済のメルトダウンを惹き起こします。これに対しベーシック・インカムは資本を個人という究極の単位にまで徹底的に分散させ、それによって経済を安定させるものと言うことができます。

といっても、パブリック・カレンシーの発行には同意してもベーシック・インカムには反発する人が多いだろうと思います。思うに、働かないで所得をもらうのはおかしいと言う人たちはね、お金というものを「報い」だと思っているんですよ。報い。辛い苦しいことに耐えてね(会場笑い)、その報いとしてお金を授かるという。人生は辛い、悲しいものと思っている人たち。人生は楽しむべきものと考えない人たちが、雇用によらずに所得があるのはおかしいと言うのではないか。

社会信用論の三つの支柱

ところでダグラスは、国民配当、ないしベーシック・インカムだけで民衆の購買力を確保できるとは考えていませんでした。社会信用論には、実は三つの支柱があります。

  1. 公共通貨 = パブリック・カレンシー
  2. 国民配当 = ベーシック・インカム
  3. 正当価格 = ジャスト・プライス

パブリック・カレンシーがひとつですね。それから国民配当。そして三つめの支柱として正当価格・ジャスト・プライスというものがあります。これはどういうことかというと、それによって生産と消費が均衡するような価格だけが「正当」な価格だということです。具体的に言うと、例えば直前の四半期の日本経済の国民経済計算をやってみて、仮に、生産の総計が100、消費の総計が75だったとします。すると25%の消費ギャップがあります。これをどうやって埋めるか。それならこのギャップに等しい割合で小売価格を一律に引き下げたらいい。販売部門ですべての商品の価格を25%ディスカウントする。それによって価格は生産と消費の均衡を表すものになります。

といっても小売部門をいじめて損をさせようということではありません。小売部門は売上伝票をとっておいて、国家は割り引きした25%の分を後で小売部門に対して補償します。だからダグラスはこのジャスト・プライスのことを補償される割引(compensated discount)とも呼んでいます。これは消費税とは180度反対のものですね。

こういう形でやって(以下の図3を参照)、販売部門に関しては売れば売るほど儲かるという商業の論理は否定されていません。ただ価格をつり上げることで儲けることが否定されている。このディスカウントによって消費と生産が均衡し、インフレが起きなくなります。そしてこの正当価格によって、すでにベーシック・インカムで補強された庶民の購買力がさらに強化される、拡大される。そういう意味では正当価格はいわば消費保証の措置とも言えるでしょう。消費保証であり、また小売部門に対する所得保証でもある。

この三つの支柱が組み合わさることで、生産と消費が完全に均衡し通貨が円滑に流れて経済の動脈硬化の原因になったりしない経済が可能になると彼は言っています。ところが社会信用論を「要するにおカネのばら撒きだ」と誤解して受け取って、そんなことをやると暴走インフレが起きると心配する人がいます。もともとインフレやデフレ、不況や恐慌は銀行が実体経済の生産や消費とは無関係に自分の都合でおカネを出したり引っ込めたりすることが原因で起きるものです。社会信用論では、通貨はあくまで国民経済の潜在的な生産と消費の能力を示す統計データの集計、分析、予測に基づいて供給されます。

ですから経済がもしもインフレ気味になったとしたら、それはデータに誤認があるか分析に誤謬があるせいです。だからどこに誤認や誤謬があったのかを検討して政策の再調整をやればインフレは解消する筈です。これはいわば気象庁が天気予報の修正をやるようなものです。

社会クレジットの資本フロー

これまでお話ししてきたことをちょっと図式(図(1)~(3))にします。

図1:社会信用論の基本構図

図2:通貨の発行

生産の目的は消費である。 通貨はこのことを円滑に実現するために発行される。 即ち通貨は、(1)人々の間の潜在的需要をマネーに裏打ちされた有効需要に変え、(2)消費のための生産を促進する目的で供給される。 その発行は直前の四半期の国民経済計算のデータに基づき、企業と一人ひとりの国民に供給される。

図3:通貨の回収

生産の目的は消費なのだから、経済においては生産と消費が均衡して、プラスマイナス・ゼロであることが望ましい。 そこで、国家は勤労者/消費者に対し所得保証を実施するだけでなく、需要ギャップが生じた場合には、それに等しい割合で小売価格を一律に引き下げることを小売り部門に要請する。 そして、割り引いた分は、後で国立銀行によって小売部門に補償される。

私のまとめ方がまずいので、分かりにくい方もおられると思いますので、ダグラスは通貨の管理をやる部局をナショナル・クレジット・オフィス、国家信用局と言っていますが、一応、国立銀行と書きましょう。日銀と違います。これは本当の国立銀行です。公共貨幣を発行しそれを利子なしで融資します。この公共通貨は、教育や医療や公共インフラの整備といった、公共性の高いものにもちろん融資されますけれども、問題は、これと企業の関係ですね。

企業に対しても公共通貨は無利子で融資される。企業はそれで自分の好きな商品を作っていい、儲かると思ったものを作っていい。企業が出荷した商品は、問屋を経て小売りに行く。これは生産の面です。

一方企業は自分のところで働いている労働者に賃金を払う。勤労者はその賃金をもって小売部門に買い物に行って消費者になる。小売り段階で生産と消費が出会う。しかし勤労者に対しては国民配当が、月に10万なら10万出ています。その一方で小売商は衣料品を売りたいので、国立銀行から商品を仕入れるために1,000万円を当座貸し越しで借りるとします。そして衣料品をディスカウントした正当価格で売る。それから小売商は売り上げ金の中から無利子で借りた資金を銀行に返す。国立銀行の方はその際にディスカウントした分を小売商に補償します。

これによってインフレは起きないし庶民の購買力は確保される。人々は買った商品の代金を小売店に支払う、小売店はそれで企業から出荷された商品の代金を払うと共に銀行に仕入れの資金を返済し、企業は小売から来た代金で国に融資された資金を返済する。これが通貨が回収される過程になります。お金の流れは完全に生産と消費のリズムに一致していて、それに即して通貨が供給され、回収される。だから経済のどこにおいても、マネーが滞留して経済が動脈硬化を起こすことがない。すべては絶えず順調に流れるようになっています。

重要なことは、こうして通貨が潤滑油になって経済が順調なサイクルを形づくって回っていくことであります。これが社会信用論のポイントだと考えていただいて結構です。ところでベーシック・インカムをやるとするなら、その額はどれくらいが妥当かがいろいろ議論されています。私の考えでは、社会信用論に立脚するならば国民経済計算から引き出されるある程度客観性のある支給額の目安が存在するように思います。

たとえば、今のアメリカで社会信用運動を代表しているリチャード・クックという人がいます。この人は最近オバマ大統領にクック・プランというアメリカ経済の再建案を送ったのですが、まあ、オバマが相手にしてくれる可能性はゼロでしょう。このプランで彼はすべてのアメリカ人に月10万円。子どもには5万円のベーシック・インカムを支給することを提案しています。これに要する総費用が3兆6千億ドルで、丁度アメリカ人の個人負債の総計に等しいそうです。だから彼の案は、アメリカの勤労者が所得不足をクレジットカードなどのローンで補ってきたことを反映しているわけです。日本の家計の場合はアメリカほどのローン地獄ではないので、クックと同じ論理を使うわけにはいきませんが。

とにかくベーシック・インカムが月50万円ではインフレになっちゃうし、月1万じゃ経済循環の支えになる役目を果たさない、やはりどこかに目安があるだろうと思います。

財政赤字解消、社会信用による公共事業、税金の廃止

それからパブリック・カレンシー、公共通貨の問題ですけれども、これをきちんと制度化できれば、日本国の800兆といわれる財政赤字をぜんぶチャラにできます。というのも、先ほど言いましたように、マネーというのは、人がマネーと思って受け取れば、石ころでも木の葉でもマネーになるわけです。そうすると、この公共通貨で所得保証ということになれば、みんなそれを喜んで受け取ると思うんですね。みんなが受け取ったら、それはもう流通しちゃったんで、立派なマネーなんです。

そうなったら銀行も拒否できない。しかも日銀券と兌換性をもつようなマネーとして発行すれば、銀行も当然取引対象に使う。そうすると、銀行がもっている膨大な日本国国債を順次公共通貨で買い取ってチャラにすることが可能になる。銀行にしてみれば自分の資産が減ることになるから、抵抗するでしょうが。もっとも一挙に800兆を返したら経済が大混乱するから段階的に返済ということになるでしょう。

それから、公共事業を社会信用論でやるとしたらどうなるか。

かりにどこかの自治体が橋をつくることになり、業者が入札するとします。A、B、C、Dという業者が入札して、Aが10億円で落としたとします。そこでAは国から無利子でこの橋の工事をやるための資金を融資してもらう。そして橋が竣工したら自治体がAに10億円を払う。Aはそれで当座借越していた資金を国に返済する。そして橋に高い公共性が認められたら国はそれを自治体に回す。結果的には国が直接自治体に融資したのとほぼ同じことですが、入札の可能性を組み込んで自由経済と公共通貨を両立させる。

ただこの先に減価償却費という問題が出てきます。何十年か経つと橋が痛んでくるので建て替える必要が出てくる。その減価償却費がたとえば毎年500万円だとします。それをどうするか。住民から税金を徴収してそれで賄うか。しかし先に言った正当価格という方策がある。この500万円の分だけ正当価格を上げて増収分を公共事業関係費に充てればいい。25%のディスカウントなら、それをたとえば24%にして増収分で公共事業の減価償却費を払ってしまうということです。その結果、じゃんじゃか公共事業をやると、すぐに物価に響いてくることになります。そうなると、公共事業のあり方について人民はきわめて敏感になるのではないでしょうか。

それから先ほど国の財政赤字をチャラにできると言いましたが、将来パブリック・カレンシーがきちんと制度化されたなら税金というものを基本的になくすことができます。税金は政府の人民に対する強盗行為みたいなもので、本来あってはならないものだと思います。要するに税金は弱いものいじめの制度です。金持ちにはいくらでも脱税や財産隠しの手がある。大企業はどれほど法人税を課されても、それを商品の価格に転嫁してしまう。その一方でサラリーマンは給与から天引きで源泉徴収、そのうえ会社からの帰りに憂さ晴らしに居酒屋で飲むビールや焼酎も税金のかたまり。これではまるで中世の農奴です。

それでは税金をなくすにはどうすればいいか。教育医療インフラの整備など現代国家の公共サービスはどれほど金食い虫でも手抜きや縮小は許されません。そこでですが、先ほどまで公共通貨は無利子で融資されると申しましたが、これに1~2%の利子を付けて、それを国家の収入源にしたらどうか。公共通貨による融資は国民経済の大動脈をなしているので、たとえ1~2%の利子でも国の収入は膨大なものになる筈です。そしてこの方策には税金と違って不正や不公平ということが全然ありません。

実はこの方策には実例が現存しています。アメリカの北ダコタ州には北ダコタ銀行という20世紀始めに西部の農民運動が生み出したアメリカで唯一の州立の銀行があります。これは地域経済の繁栄と発展のために創設された銀行で、今のアメリカのメガバンクの危機の中でもビクともしていません。そしてこの銀行の利子収入は州政府の収入になります。そのお陰でアメリカ50州のうち46州がほぼ破産状態なのに北ダコタ州の財政は黒字です。この実例をみても、国家の収入源が税金と国債ということがいかに経済と政治を根本から歪めているかが分かります。

衆知を結集したプランづくりを

それから最後に強調しておきたいことは、ベーシック・インカムにせよ公共通貨の発行にせよ、いざ実施するとなるとそのやり方は国情や歴史の違いゆえに国毎に千差万別になるだろうということです。だから私がみなさんに関プランというものを出して押しつけることはできません。

会場には120名以上の市民が詰めかけた。

会場には120名以上の市民が詰めかけた。

参加者のなかには小沢修司さん(京都府立大学教授)、田中康夫さん(新党日本代表)、曽我逸郎さん(長野県中川村村長)の姿も。(後ほど公開予定の質疑応答参照)

日本の国情にいちばん適して、みんなが望む案はどういうものか衆知を集めて考えるしかありません。公共通貨、国民配当、正当価格、この三つの原則さえ守れば具体的なやり方はいろいろある。ですから、今日会場で資料をお渡ししましたのも、家に帰ってから資料を読んでいただき、どういうやり方がいいか、みなさんなり、グループなりで考えていただきたいからなんです。

たとえばです、公共通貨で企業に融資するとして、公共性の高い企業に融資するのはいいけれど、パチンコ屋に融資するかどうか、ちょっと考えちゃうと思うんです。といっても、パチンコ屋が庶民の娯楽であることも否定できない。融資しないのもおかしいのではないか。ですから、もし公共通貨が実現したとしても、民間銀行に一定の役割はあるだろうと私は考えております。しかし部分準備制度に基づいて無から幻のマネーを作り出すことは絶対に認めてはいけない。これが諸悪の根源なんですから。あくまで預かっている預金を必要な人に貸して手数料を稼ぐだけの堅実なマネーの仲介業者であってほしい。他方で、民間銀行なんかなくしてしまえ、国立銀行と公共通貨一本やりでいいんだという考え方もありうる。

さっき、リチャード・クックについて言及しましたが、彼のクックプランでは、月10万円ほどのベーシック・インカムを紙幣でなくバウチャーで配ることになっています。ベーシック・インカムはあくまで衣食住に使ってもらいたい、酒や博打に使われちゃ困るからバウチャーでやる、ということなんです。私としてはベーシック・インカムを酒や博打に使う人がいたって構わないじゃないかと思うので、バウチャーでやるというのはきついなあと感じます。それはとにかく、これもやり方がいろいろある一例です。

それから、公共通貨の発行にしても、そのために国立銀行を新たにつくるのか。日銀なり日銀券をそのまま残して中身を換骨奪胎してやるという手法もありえます。だから社会信用論の具体的なあり方は、歴史と国情に即して実に多様なものになります。

社会変革の道具としてのベーシック・インカム

ここで私個人の考えを申し上げますと、日本という国には明治維新以来の東京一極集中という一大害悪があると思います。東京だけがグローバル都市になり地方は植民地化されてきました。今はもう植民地どころではなく棄民地域みたいになっている地方もある。それだけに地方が再生すれば、その農業、地場産業、中小企業なりが再生すれば、そこから新しい形の経済、たぶんよりエコロジカルな経済が誕生するでありましょう。

そう考えると、ベーシック・インカムを実施する際には首都圏を5年くらい所得保証の対象からはずしたらどうだろうと(会場笑い)、そうすれば、地方に行けば基礎所得が保証されるというので、首都圏に集中している人口、とくに若年層がどっと地方に移動して、自動的に人返しができる。

たとえば東京のサラリーマンで、できれば脱サラして地方で有機農業をやりたいと思っているような人。しかし農業でそれなりに自立するには10年やそこらかかるでしょう。ベーシック・インカムがあれば、その間安心して農業の習得に専念できる。そして地方に若者が来る、人が来る、それだけで需要が生まれ、ビジネスが生まれます。だから首都圏は一定期間保証の対象からはずした方がいいというのが私の意見です(会場笑い)。

まあ私の案に皆さんが賛成するかどうかは別にして、ベーシック・インカムはこんな風に社会の変革にも使えるということはとても大事なことだと思います。

皆さんもお分かりのように、目下の経済危機はたんに経済的なものではありません。恐慌に加えて地球の温暖化や原油生産の逓減というダブルパンチになっています。これはいわゆる“緑のニューディール”で太陽光発電を普及させたくらいでは到底乗り切れない危機、文明の転換点だと言っていいと思います。こういう転機には、学者や役人はもう頼りになりません、文明の転換のためには、無数の無名の人々が草の根レベルで試行錯誤して新しい生き方を模索することが必要でしょう。そしてベーシック・インカムは、そうした人々がいろいろな実験を試みることを容易にします。失敗や挫折を恐れない生き方を可能にします。

ベーシック・インカムというと、雇用や所得をめぐる不安がなくなるというその福祉効果に我々は気をとられがちなのですが、社会的な実験が容易になることにその最も重要な意義があることを強調しておきたいと思います。

党派を越えた議論に期待

締めくくりにあと二点ばかり申し上げたいことがあります。とにかくベーシック・インカムは決して党派的な主張にしてはならない。戦前の社会信用運動が挫折した理由のひとつが、なまじカナダでダグラスの議論が大評判になって党派ができちゃったことなんです。社会信用党という党が結成され、しかもそれがアルバータ州で政権の座に就いた。ところが州政府の権力を握ったのはいいけれど、結局社会信用運動の名に値することは何もやらなかった。そして最後には世論に一種の右翼政党とみなされてしまった。ダグラスは当初はこの党に助言していましたが、すぐに見切りをつけ批判の文章を書いています。そのような苦い経験があるわけです。

ベーシック・インカム、公共通貨、正当価格は、理性と良識に基づく超党派のポリシーでなければならない。これには、財界人でも賛成する人がいるかもしれないし、貧乏人でも絶対反対という人がいるかもしれません。とにかくこれはイデオロギーとか階級階層の問題ではないと思います。

まず社会信用論についてネットなどを駆使して世論を啓発する。そして説得と討論、ひたすら理性と良識に基づく説得と討論に頼るしかないのです。その点で、社会信用運動はまさにデモクラシーの実践そのものです。それに、考えてみてください。社会信用論を実行して損をする人は誰もいないのです。個人も家庭も企業も国家も、みんな得をします。まあ銀行だけは損をするかもしれません。しかし銀行だって恐慌で破産するよりは堅実な地域銀行として生き延びた方がましでしょう。

ただし現在の歪んだ社会構造のお陰で個人的に権勢や特権を享受している権力亡者だけは、自分の地位と影響力の低下を恐れて反対するでしょう。しかし反対する人たちの大部分は、たんに論理がよく呑み込めていないだけでしょう。

そして締めくくりとして皆さんに申し上げたいことは、現代はもう右翼か左翼かの時代ではないということです。全く別の焦点が生じているのです。所得は雇用によってのみ生じるものなのか、それとも人間の基本的な自然権、ナチュラルライツに属するのかという焦点です。

現代社会は今後、この焦点をめぐって揺れ動くことになるでしょう。そして問題をさらに掘り下げてみると、これはマネーについての考え方の対立であることが分かります。マネーは特権と権力の行使を可能にする神秘的な呪力を発揮するものという考え方。そうではなくて、マネーは万人が人間らしい生活を自由に享受するために社会の連帯から生まれた生活インフラの一種であり、マネーによって人間は美しく楽しい不安なき人生を生きることができるという考え方。この二つの考え方の対立なのです。

そして現に、これは時代の争点になってきています。オバマ・ブームのアメリカでも、経済危機が深まる中で社会信用論に近い主張を掲げる動きが随分広がってきています。連邦準備銀行を廃止せよ、ベーシック・インカムを実施せよ、という議論は少なくともオンライン・メディアではすでにありふれたものになっています。そしてアメリカ人は、アメリカで最初にベーシック・インカムの実現を訴えたのは公民権運動の偉大な指導者マーチン・ルーサー・キング牧師であったことを思い起こしています。日本でも似たような動きが連鎖反応のように広がる可能性があると思います。それにこそ期待しております。

そして冒頭に申し上げましたように我々が直面している現実が恐慌であるとするなら、恐慌は社会信用論が提示した三つの方策、公共通貨、国民配当、正当価格、とくに最初の二つですね、これによる以外に解決されることはないであろうと確信しております。

どうも、たいへん時間をオーバーしてしまいました。申し訳ありません。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

当日の質疑応答の内容が公開されました。

関曠野さん講演「生きるための経済」についての質問とお答え