仮アップ 関曠野講演録 IN 應典院「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」(大阪)

 

2016年11月19日 於:大阪・應典院

 

「銀行は諸悪の根源 ― どうしたらおカネを『みんなのおカネ』にできるか」

講演者:関 曠野

 

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

 

主催:ベーシックインカム・実現を探る会、ベーシックインカム勉強会関西

 

 

 

 

「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」 

関曠野(思想史家)講演録 IN 應典院(大阪)

 

 

トランプパニックの意味

 

まず初めにアメリカでトランプが大統領に当選してしまったので世界的に大騒ぎになっていますね。柄の悪いドナルドダックみたいなおっさんが大統領になっちゃった。これは大変だというので、特にグローバリゼーションを推進してきた各国の体制エリートはパニック状態と言っていい。私自身はトランプの当選よりも彼の当選に対する世間の反応の方が気になります。

人間としてはトランプよりも前のブッシュの方がよっぽどでたらめだと思うんですよ。

しかしブッシュが当選した時にはパニックは起きなかった。なぜトランプの当選でこんなに世間が大騒ぎになっているのか。これはやはりね、トランプ自身の人物評価はどうであれ、トランプが当選したことの意味を世間が薄々解っているからだと思います。アメリカが主導してきた戦後の豊かな工業社会が終わろうとしている。いや、終わるというか崩壊しようとしている。その予感があって、トランプがその予感を象徴している。それだから世間がこういうパニック状態になっているのだと思うんです。けっしてこれはトランプという人間の素質の問題ではないと思います。

そういう意味で戦後が終わり新しい世界が始まろうとしている。その不安が今の世界を支配している。明らかに2017年以後世界はがらりと変わるだろうと思います。今の戦後の世界秩序がどのようにして生まれ、今後どのように変わっていくか、それが今回の講演のテーマですが、ともかく豊かな社会が成長の限界にぶつかって否応なしに終わらざるを得ない。これはトランプだろうがヒラリーだろうが安倍政権がいつまで続こうが、関係ない。終わらざるを得ないということですね。

 

自由貿易と軍事的覇権をやめる

 

そしてトランプ自身、まさに時代を反映した大変リアルなことを言っている。つまり自由貿易を止めると言っている。20世紀は戦争と革命の世紀といわれますが、これは皮相な見解です。この世紀は貿易の世紀でした。だが世界を動かしてきた自由貿易が終わろうとしている。これからのアメリカは保護主義、一国至上主義で行くとはっきり言っている。このトランプ原則はぶれないだろうと思います。それと自由貿易主義とワンセットになっていた同盟国の安全保障体制も見直し、同盟国に負担を要求するという。こういう形でアメリカはもう軍事的覇権を求めず、世界の警察官をやめると言っている。

この自由貿易とアメリカの軍事的覇権が戦後のいわゆるパックス・アメリカーナ、「アメリカの平和」の二本柱だった。2大原則だった。ところがこのアメリカ帝国をもうやめると言ってるわけです。これは大変なことです。驚天動地の変化といっていい。だからこそマスコミはこの問題を論評しないで、トランプが女性に失礼なことをしたとか、そういうことばかり騒いで、話をすり替えようとしています。トランプは確かに飲み屋で気炎を上げているような感じのおっさんですけれど、原則は原則でものすごくはっきりしている人です。それをマスコミは徹底的に無視している、それが庶民の怒りを買って彼の当選になったんではないだろうか。

 

右翼左翼図式からグローバルVSローカル図式へ

 

何はともあれトランプの人物評価は別にして、歴史的な転換が不可避に起きようとしています。私の言葉で言いますと、グローバリゼーションが終わってローカリゼーションの時代が始まろうとしている。世界を単一の市場として統合しようとするグローバリゼーションの動きが終わって、これからは国民経済が復活する、さらに国民経済の中でも地域経済が復活する。そういう時代が始まろうとしている。また我々自身が積極的にそういう時代の転換を促進しなければいけないと考えています。

それからもう一つ、トランプの当選がはっきり示したことがあります。右翼左翼という従来の政治パターンではまったく理解できない時代が始まりました。これは非常に重要です。トランプ当選は彼の勝利というより、ヒラリーと民主党の敗北という要素の方が強かったと言えるでしょう。トランプはそんなに評価しないけれども、ヒラリーと民主党はもっと嫌だという庶民の空気があったようです。その結果、アメリカでは民主党が代表する左翼、それからトランプを露骨に誹謗中傷したマスコミが信任を失った、失権したと私は思っています。これまで左翼とマスコミは「我々は人民の利益を代表している」と称してきた。それが庶民の信任を失った。おそらく今後左翼とマスコミは消滅に向かっていくでしょう。だからと言って右翼の時代が来るわけではありません。さっき言ったようにグローバルかローカルかが現代政治の焦点になってきています。これからはローカリゼーション、ローカリズムの時代が始まるということです。

 

なぜ、左翼は失権したか

 

では左翼はなぜ失権したのか。1960年代にマーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカの公民権運動を指導したことはご存知と思います。最後は暗殺されましたが。彼はなぜ黒人はいつまでも低い地位に留まっているのかという問題を考え抜きました。そして黒人には貧困な母子家庭が多い。その貧困な母子家庭が黒人の貧困を再生産しているという結論に達したんです。それで黒人の解放に本当に必要なのはそういう貧困な母子家庭を消滅させるベーシックインカム(以下BI)だと考えるようになった。これが彼らのいわば遺言だったと言えます。BIによる黒人の解放。特に女性の解放、母子家庭の貧困の解消。

ところがですね、アメリカ民主党はこのキング牧師の提言を全く無視しました。とにかく経済成長主義だったわけです。これからの経済はグローバル化で成長するということで、結局財界の別動隊となってグローバリゼーションの片棒を担いできたのがアメリカやヨーロッパの左翼です。ま、日本も似たようなもんだと思いますけれど。この財界協調路線がグローバリズムで痛めつけられた庶民の怒りを買った。経済成長主義ということでは左翼も右翼もない。左翼は実はエリートとグルなんじゃないかと庶民は疑い始めた。そうはいっても左翼っていうのは一応社会正義を代弁しているような顔をしなくちゃいけない。そこでアメリカ民主党に代表される左翼は、富と権力の公正な分配という問題を差別問題にすり替えたんです。富と権力の不公正な分配に対する抗議を差別の糾弾にすり替えたのです。それであちこちで差別現象と称されるものをほじくりだして騒ぎ立て、それで社会正義の代表者みたいな顔をする。それも言うにこと欠いてハリウッドで黒人俳優がオスカーをもらえないのは差別だとか、そんなことを言ってる。それにアメリカの庶民の堪忍袋の緒が切れたということがあると思います。

 

壊し屋、トランプ

 

だからトランプという人物自体は私はあまり問題にする気はないんです。アメリカの大統領というのはかなりマスコットの要素があってそんなに実権を持っているわけじゃない。ただ一つ違うのはブッシュでもクリントンでもオバマでも結局はアメリカのいわゆるディープステイトと言われる本当の奥の院の支配層のいうことを代弁しているだけでした。トランプはアメリカ帝国を壊そうとしている。これはやはりこれまでとは違うんじゃないか。ホワイトハウスの招き猫では済まないのではないか。そういう意味では人間のタイプは全く違うけれど、トランプはちょっとゴルバチョフに似た役割を果たすかもしれない。つまりトップダウンで体制を壊す。そういう人間になる可能性がある。それは別に革命思想を持っているということではなく、庶民層の怒りを代弁をしている限りにおいて、またアメリカ社会の停滞と混乱を何とかしなければと思っている一般のアメリカ人の気持ちを代弁している限りにおいて、トップダウンで体制を壊す人間が登場した。そういう見方もできると思います。 ただしトランプの任期中にアメリカ経済は連銀の誤魔化しに限界がきて最終的に崩壊する可能性がある。これは誰が大統領やったって打つ手がない問題ですが、それが全部トランプの無能のせいにされる、そういうスケープゴートにされる危険もありますね。その時になって「大統領なんてヒラリーにやらせておけばよかった」と後悔するかもしれません。

 

アウトサイダーのトランプ

 

トランプは何をやるかわからない危険人物のように思われていますけれど、私にいわせれば彼は大変わかりやすい単純な人ですよ。まずたたき上げの一匹狼の実業家です。だからエリートのサークルには属していないアウトサイダーです。もう一つ不動産屋ですから基本的に内需で食っている。だから国民の懐が温かくないと自分の商売も廻っていかないのでグローバリズムには反対なんです。経済を統計数字でしかみていないエリート層と違って、商売柄庶民の生活の実情を知っている。彼の政策も、周囲に色々わけのわからない連中をかき集めていますが、別に特定のイデオロギーがあるわけじゃない。要するに景気のよくなりそうなことなら何でもやる、見境なしにやるということです。非常に単純なんです。

しかもむちゃくちゃなこと言ってる。地球温暖化論議はアメリカの製造業をつぶそうとする中国の陰謀だなんて言っている。しかしですよ、トランプが本気で保護主義をやって世界貿易が縮小すれば、温室効果ガスの排出は劇的に減ります。温暖化について正確な科学的知識を自慢するインテリはここ何十年現実を一ミリも変えてこなかった。むしろ温暖化についてむちゃくちゃなことを言っているトランプの方がよほど温室効果ガスの排出を減らす可能性があります。政治家は学者じゃないんですから、これでいいんです。

 

経済戦争をしかけるトランプ

 

ただ景気を良くするためには何でもやるというので、かなり矛盾したことを言っている。企業の法人税を大幅に下げる。その一方で財政出動してインフラ公共事業をどんどんやるという。これ矛盾してますよね。じゃ、減税しながら財政出動するための財源はどうするんだ。この点では、トランプは外国との経済戦争である程度財源を作ろうとしているのではないか。そうすると関税などで増税なしに税収が増える。だから中国からの輸入品には45%の関税をかけると言っている。日本に対しても、ご存知のように在日米軍の駐留経費を日本に全部負担させようとしているし、ヨーロッパに対してもNATO関係の費用を全部ヨーロッパが持てと言っている。要求はこれに留まらないと思います。彼は破産するたびに借金を踏み倒してのし上がってきた男で、その政策を対外的にもやる可能性があると思います。日本はアメリカの国債を厖大に持っていて、毎年アメリカから8兆円の利子収入が入ってきている。トランプはひょっとしたらですが、日本が汚い商売をやって買ったアメリカ国債なんだから利子を払う必要がないとか、払っても1兆円に負けろとか言ってくる可能性があると思います。とにかく彼は外国との経済戦争は本気でやる気です。それ以外に財源の当てがありませんから。

 

「逆=黒船」へ

 

でもトランプのアメリカがそういう経済エゴに徹するのは私としては大歓迎です。おかげで日本もグローバリズムから脱却して経済的にも主権国家になり国民経済を立て直す、地域経済を再生させる。それ以外に選択肢がないということがはっきりしてくる。だからトランプのアメリカの自国中心主義は高く評価しています。とにかくこれで戦後日本が一貫して国家存立の前提にしてきた自由貿易とアメリカの覇権が消滅することになります。これからの日本はもう戦後の延長線上にはありません。トランプのアメリカという「逆=黒船」で、日本も鎖国ではないけれど、貿易をあてにしない内需中心経済への転換を迫られています。

 

お金とは、生産と消費を仲介するもの

 

今日のメモにあります本題に入ります。まずお金ということですけれどもね。お金は生産と消費を仲介するものです。つまり生産されたサービスや商品をお金があるから買えて消費するという単純な話ですね。お金は生産と消費を仲介する。だから貨幣というものは、消費を促進するためにあるのです。このことをしっかりと考えていけば世の中の仕組みが良く見え来ます。そして近代国家というのは根本においてお金の流れとして組織されています。国家というと我々はつい法律中心に考えていますけれど、法律というのは国家の骨格みたいなものです。国家の血液として循環しているのはお金なんです。だから国の実態はまずお金の流れとして解明すべきなのです。そのように解明していくと物事が良く見えてくる、何がどうなっているのかメカニズムがよくわかってくる。

 

銀行業に管理されているお金の流れ

 

そこで現状でのお金の流れですが、私企業である銀行がお金の流れをコントロールし、管理しています。日銀は資本金をもって設立された、株式も発行している私企業です。私企業が日本という国を取り仕切っている、内閣だの財務省の官僚だのはいわばその番頭に過ぎない。見かけだけの権力しかもっていない。日銀の正体は銀行業界のカルテルです。そして銀行業界が金の流れをコントロールしている以上、銀行が影の支配者として日本国家を取り仕切っているということです。

そしてこのお金の流れを血液循環に例えるならば、そこに極度の淀みや歪みが生じている。その結果お金の流れが滞って脳血栓や動脈瘤とかそれに近い現象が起きている。それが今のデフレなんですね。どうしたらお金の流れが再び順調に血液のように循環するようになるか。それが私が前から提起している問題で、BIもその一環です。BIは福祉じゃありません。お金の流れの淀みや歪を無くすための政策です。どうしてこのお金の流れに淀みや歪みが生じるのか。

 

C・H・ダグラスのA+B理論

 

20世紀初めにこの問題を最初に解明したのが英国のエンジニアのクリフォード・ヒュー・ダグラスという人です。私もこの人からお金の流れについての考え方を学びました。この人のことについては私も再三話しているので今日は延々と話すことはしませんけれども。

この人の重要な議論はA+B理論というものです。メモに書いてありますけれども。企業の帳簿を見てどういう風にお金が支出されているのか見てみましょう。そうすると従業員の賃金給与に支出されている部分Aがある。もう一つは生産のための原料と生産設備に関連して支出されている部分Bがある。原価償却とかそういう形で。そしてダグラスが発見したのは、どこの企業の帳簿でもA<Bだという事実でした。どの企業もAに比べると生産設備関係の支出Bの方が遥に大きい。しかしここには深刻な矛盾がある。企業が生産した商品を市場で売る際の価格は、このA+Bに銀行への利払いや利潤を上乗せしたものです。ところがそれを買う勤労者大衆にはAの所得しかない。しかも彼らだけが商品を買ってくれる消費者なのです。このように消費者の購買力という視点から見ると、企業が生産した商品の一部しか勤労者は買い取れない。すべてを買い取ることはできない。この基本的矛盾の結果、結局企業は売れ行き不振で生産過剰に苦しむ一方、勤労者の方は所得不足、必要なものさえ買えない所得不足に苦しむと。これは企業の会計構造それ自体に根差した問題です。企業の帳簿はあくまで効率的な生産のためのもので、消費には関係がないのです。ただしこのA<Bのギャップはタオルを作っている町工場のレベルなら大きな問題にはなりません。だが19世紀末以降、企業の機構が巨大化複雑化して、生産設備の刷新や研究開発に巨額の投資が必要になってくると、深刻な矛盾になってきます。

 

利払い銀行融資がマネーを歪める

 

さらに企業の機構が巨大化複雑化してくると、どんな企業でも銀行からの融資が必要になってくる。そうでなければやっていけない。トヨタクラスの巨大な多国籍企業だって銀行からの融資無しには回っていかない。そうなると銀行からの融資には利子を付けて返さなければいけない。利子というものは全く不生産的なものです。銀行は何も生産していない。生産に関係ない利子というもので儲けている。銀行は通貨の使用権に利子という価格を付けて売っているわけです。しかも利子はどんどん増えて、場合によったら複利で元本を上回るほどの額になる。こうして企業会計の中で銀行への利払いという不生産的なものが占める比率が大きくなっていきます。そうなると今お話したA<Bの矛盾に加えて銀行への利払いがお金の流れを歪めてしまう。この二つがお金の流れを淀ませ歪ませる根本原因です。

商品の価格には銀行への利払い分も上乗せされているので。ドイツのある研究によると商品価格の三分の一から約半分が銀行の利払い分だそうです。そういう形で経済の非生産的な部分が拡大していく。この二つの要因がやがて恐慌を発生させます。デフレになり、デフレはいずれ恐慌になります。

 

資本主義の矛盾をはぐらかすアメリカ

 

しかしここで疑問が生じてきます。ダグラスが論じたように現代経済の土台にそんな矛盾があるならば、なぜ資本主義は存続してきたのか。資本主義はあっという間に崩壊してしまったのではないか。実際英国人のダグラスは産業革命以来の資本主義の発展は宿命的な限界にぶつかったと見ていたのです。ところがアメリカがダグラスに対する答えを用意していました。第一次界大戦に参戦したのをきっかけに経済超大国にのし上がったアメリカは、ダグラスが指摘した矛盾をはぐらかすような新しいタイプの資本主義を作り上げた。それが20世紀の先進諸国を支配することになりました。

どういうことかというと、まずフォードシステムですね。自動車王ヘンリー・フォードは自動車の生産を徹底的に合理化して安く車を作れるようにし、労働者に自分たちが作ったT型フォードを買えるような高い賃金を払うことにした。これでA<Bの問題がはぐらかされたのです。第二に、勤労者大衆、消費者の所得不足の問題です。これには月賦販売方式で対処した。ローンというものを作りだして、普通の勤労者でも車や住宅のような高価なものを月賦で買えるようにした。このフォード・システムとローンによってA<Bのギャップという問題をはぐらかし先送りすることに成功した。これがアメリカの消費社会の特徴なんです。

 

石油という魔法が資本主義の矛盾を先送りに

 

 アメリカはこの問題をはぐらかしたり先送りしできた背景には、20世紀初めのアメリカは世界最大の産油国で、産業の一番の原動力である石油が安く豊富に買えたということがある。石油は英国の産業革命を可能にした石炭と比べても比較にならない優れたエネルギー源です。石油という魔法の資源のおかげでダグラスの指摘した矛盾を先送りできた。逆に言うと石油の価格が高騰してくるとアメリカの資本主義は行き詰る。実際それが石油ショック以来の状況です。

しかしご存知のように1930年代にアメリカは大恐慌に直撃され、労働者の4人に1人が失業という事態になります。してみればアメリカはダグラスが指摘した問題をはぐらかしただけで解決することはできなかったんですね。結局A<Bと銀行マネーの問題で格差が拡大した。階級、階層、職業別、地域格差が拡大していた。この富の分配の歪は他方では余り金によるバブルを惹き起こし、それが繁栄するアメリカという幻影を生みだしていた。そしてこの幻影が消えて景気が一気に悪くなると銀行に対する負債が重くのしかかってきて経済のブレーキになる。ということで大恐慌になった。お金の流れにおける脳血栓や動脈瘤がポックリ死をもたらした。

 

「自由貿易」で体制矛盾を輸出する

 

それでは、どうやってこの恐慌を打開するのか。これは富と権力の公正な分配という形で解決するしかない問題です。しかし当時のアメリカのエリートにはそれをやる気などない。そこでエリートが出した結論は、この矛盾を貿易による経済の拡大と成長で先送りにするということでした。英国のような植民地帝国のブロック経済を戦争で叩き潰し、アメリカの覇権の下でグローバルな自由貿易の国際秩序を作り出す。富と権力の歪んだ分配という問題はニューディールで多少手直ししただけで、そのままにしておく。そして矛盾のツケを外国に輸出することで問題を先送りにする。これが「自由貿易」という言葉が意味していることなんです。「自由貿易」とは、自国の経済の歪みや矛盾、体制の危機を他国に輸出することです。そういう形で外国に矛盾のツケを回し外国の富を貿易で奪って経済を成長させる。経済が成長すれば多少は富のかけらを勤労者大衆にも分配できるということでね、問題を先送りできる。他方で、戦間期、第一次大戦と第二次大戦の間の時期は貿易戦争の時代ですね。ダンピングとか、いわゆる隣人窮乏化政策がまかり通った。更にダンピングが高じて通貨戦争になる。自国の通貨を切り下げて輸出を有利にする。アメリカはこういう貿易戦争通貨戦争を予防できる国際秩序を作ろうとしました。

 

グローバル貿易VSブロック経済

 

この結果20世紀はアメリカが主導する貿易の世紀になりました。20世紀はアメリカの世紀であり、それはすなわち貿易の世紀であった。20世紀はよく革命と戦争の世紀だと言われますが、これは皮相な見解です。20世紀は実は貿易の世紀なんです。

第二次大戦の原因はふたつあります。ひとつは、一国資本主義の限界という問題。もう一つは完全雇用が先進諸国の最大の政策目標だったことです。一国資本主義の限界。現代企業の巨大な生産力にとっては、どんな大国であってもその市場は狭すぎ資源は少なすぎる。そこで日本とドイツは大英帝国型のブロック経済。植民地の資源と市場を持つ経済を作ろうとして戦争に訴えた。ドイツはレーベンスラウム、生存圏、日本は大東亜共栄圏という形でブロック経済を実現しようとした。アメリカはそれに対して世界全体が市場になるグローバル貿易を目指した。アメリ企業の巨大な生産力からすると、アメリカのような広大で資源に富む国でも狭すぎる。結局第二次大戦は、このアメリカのグローバル貿易主義がドイツと日本のブロック経済主義を叩き潰した戦争でした。

 

ブレトンウッズ体制という飴と鞭

 

そしてアメリカはまだ戦時中の1944年にアメリカのブレトンウッズという田舎町で連合国の関係者を集めて会議を開いて、世界の戦後の通貨貿易体制を構築します。第二次大戦後はこのブレトンウッズでアメリカが作り上げた通貨貿易体制が西側の先進諸国を支配します。これはメモにも書いてありますように、アメリカの戦略目標は、この通貨貿易体制によってふたたび恐慌や戦間期に起きたような通貨戦争貿易戦争が起きないようにすることでした。そのためにはどうしたかというと、ドルを金で裏付けて、そのドルを世界貿易の準備通貨決済通貨にする。金1オンスを35ドルと定める。その金で裏付けられたドルを基軸に世界各国の通貨の相場を定め固定相場にする。

だから例えば1ドルは360円として1970年代の始めまでこの相場は変わらなかった。そしてドルの価値を保証するために各国に輸出で稼いだドルは要求すれば金と交換しますよと約束する。そういう形でドルの流通を確実にする。こうしてアメリカの同盟国であればこのシステムに乗っかって世界中の資源と市場に自由にアクセスできますよと保証する。

他方でこの体制から逃げ出されちゃ困るので同盟国に米軍の基地を置く。安全保障体制と称して。だからアメリカが同盟国友好国に基地を展開しているのは冷戦でソ連と対抗するためというのは口実に過ぎなかった。本当は同盟国の主権を制限するため、同盟国の首に首輪をつけるためのものなのです。ヨーロッパや日本の米軍基地はそのためのものです。

だからこれは飴と鞭ですよね。アメリカの体制に従順に従っていればちゃんと資源と市場へのアクセスは保証される。だがアメリカの後見なしに主権を行使しようとすれば軍事基地を置かれているので圧力をかけられる。現に1950年代にエジプトのナセルがスエズ運河を国有化した時に英国とフランスはそれを阻止しようと現地に出兵しましたが、アメリカの圧力で結局撤兵せざるを得なかった。そういうことです。

 

変動相場制移行の意味が重要

 

ところがこのブレトンウッズ体制は、1971年のニクソン大統領声明で終焉します。ニクソンはドルと金の交換を停止すると宣言し、これ以後ドルは金の裏付けがないペーパードルになりました。ドル基軸の固定相場制の下で戦後の世界貿易はほとんどドル建て決済になりました。だから外貨としてドルを持っていない国は貿易に参加できない。そういう体制だったので、ドルがペーパードルになったからといってもドルを使うのを止めることはできない。それでは、ドルの価値は何で決めるかというと、その時その時の為替相場で決めようという変動相場制になるわけですね。この固定相場制が変動相場制に変わったことの意味をちゃんと理解している人が本当に少ない。経済学者でさえもわかっていないのが、たくさんいる。しかし実際今の世界の騒ぎは全部変動相場制が原因なんですよ。だから変動相場制が意味するものをきちんと押さえておく必要があります。

アメリカがドルと金の交換を停止した理由ですけれども、ひとつは日本やヨーロッパが戦災から復興してきて、競争力をつけてきたのでアメリカは当初のゆるぎない超大国ではなくなった。相対的にアメリカの地位が低下した、ゆるぎない大国ではなくなったということです。戦後は先進国の繁栄で、経済規模が巨大に拡大したものですからアメリカが保有する金を要求されたら金庫がすっからかんになってしまう。とくに重要なのは石油価格の問題でしょう。この頃までにアメリカの油田は枯渇しはじめていた。だが石油の需要は増える一方で、アメリカも膨大な石油を輸入せざるをえなくなった。この状況でドルと金を交換していたら、アメリカが保有する金はあっという間になくなってしまうでしょう。ニクソン声明はアメリカにとってはやむをえない政策の変更でした。

 

固定相場制の歴史的意義

 

とにかくこういう形で変動相場制になった。それで、変動相場制とは何なのかということなんですけどね。

しかしその前にブレトンウッズの固定相場制の歴史的な意義を考えてみてたいと思います。終戦直後から1970年までの時期の銀行の融資は、各国の戦災からの復興なり、各国経済の発展に貢献する社会的役割を期待されていたのです。単なるもうけ主義の融資じゃなくて社会と経済への貢献が期待されていた。その背景には大恐慌への反省もありました。銀行がもうけ主義の融資に走ったことが大恐慌の原因になったという反省もあって、社会的に責任ある融資ということが強調された。

融資には公共的責任があるとされた。自分勝手なギャンブル的融資はしちゃいかんと法的な規制が一杯あったわけです。銀行の社会的責任ということが1970年までは強調されていて、銀行もそれを無視することはできなかった。

 

変動相場制がカジノ資本主義を生む

 

それが変動性相場制になったらどうなるか。各国の通貨の価値は刻々変動する為替相場で決まる。つまりドルだの円だのポンドだのマルクだの、各国の通貨が株と同じものになるということですよ。そうなるとトヨタ、日産、ホンダのどの株を買ったら一番儲かるかというのと同じ発想で通貨が扱われる。通貨が純然たる金融資産になるということです。各国の国民経済がお金の流れとして組織されているということなど無視されてしまう。とにかく手持ちの金をうまく転がして金融資産をどんどん増やす。そういう姿勢で銀行が融資するようになる。そうなると資本市場はカジノに似たものになってしまう。通貨は金転がし。銀行と富裕層による投機の対象になる。どの株買ったら儲かるかと同じ調子で通貨が売られたり買われたりする。銀行は社会と経済の実態を無視して純粋に利子収入だけを目的に金を貸すようになる。

本来資本市場というものは、社会にとって必要な資金を供給するためにある。資金の需要と供給のバロメーターとしてある。それが社会の実体経済を無視してギャンブルの舞台にになるわけです。だから1970年代以降カジノ資本主義という、社会の実態に関係のない資本主義が発生してくる。そのカジノのおこぼれの金が我々庶民や小さな企業に多少回ってくる、そういう状況になる。銀行の社会的責任が一応強調された固定相場制が変動相場制に変わって、銀行がギャンブル業になってしまった。これが現代のさまざまな危機の根本的な原因です。

 

資本主義とは何か~生産の三要素

 

そこでちょっと視点を改めて資本主義とは何なのかを考えてみたいと思います。資本主義というのは難しく考えればえらく難しい問題になるけれど、簡単に考えるとえらい簡単な話なんです。今日はその簡単な方で行きます。

まず生産の三要素は、資本と土地と労働です。この三つの要素がないと生産は成立しません。資本というのは何かというと、お金のある人が生産のための道具や設備を買うとそれが資本になる。例えば印刷会社を始めようと思って印刷機を買ったらそれが資本になる。大工さんが金槌を買うのも資本です。土地というのは単なる地べたのことではなくて、農地になったりするし地下資源があったりする、いわば資源としての地球のことですね、これが土地です。それから労働はもちろん人間の労働ですけれども、人間は労働しながら生活しているわけで、いわば労働とは生活者としての人間のことです。(板書)

ですから例えば江戸時代の日本だって生産はこの三つによってやっていたわけです。

ただね、生産には資本が必要だからといって、そこからすぐに資本主義が生まれるわけではない。資本主義が生まれるためには、江戸時代の日本にはなかったような特殊な状況が必要なのです。それは、僅かな資金で大儲けできる一攫千金の機会がいくらでもあるような状況です。こうした状況があって、ちょっと何かを作ったりちょっと運んで売ったりするだけで、たちまち原資の何十倍もの金が入ってくるぼろもうけのチャンスがあったら、お金は資本として貴重になりますね。

 

資本主義の発生~資本の商品化

 

近代の初めにヨーロッパ人が新大陸アメリカを征服した段階でそういう状況が生じました。とにかくわずかな金で大儲けができる。そうなると資本はものすごく貴重になる。たとえばアメリカで奴隷を使って煙草を栽培し葉巻にしてヨーロッパに運んで売れば莫大な儲けになった。ちょっとでも資本があればそれでぼろ儲けできる。だからぼろ儲けを可能にする資金として資本自体が商品化されます。で、この資本の商品化をしているのが銀行なんです。17世紀の英国でイングランド銀行という形で最初の近代銀行が生まれました。英国がカリブ海の植民地のプランテーション経営などでぼろ儲けできる状況が生じた中で銀行が成立しているわけです。銀行はお金そのものを売っているのではなく、お金の使用権を売っています。そして、貨幣の使用権に利子という価格を付けて売っているのが銀行です。そうやって資本を販売している。市場で儲ける機会に比べて資本が少ないから、希少だから、資本に非常に貴重な価値があるから銀行の商売が成り立つ。だからぼろ儲けの話が少なくなったら、資本主義も銀行も消滅するはずなのです。そして現に消滅し始めている。それが世界経済の現状です。今の世界にぼろい儲け話は滅多にありません。

コツコツと地味な商売をやるしかない。現代経済の基調は否応なくそうした方向に変わってきています。

 

国際金融資本と主権国家の対立

 

ところがですよ、変動相場制の下では銀行主導で経済が純粋な商品としてのお金で動いているから、経済自体が金融化してくる。アメリカの場合、1980年代ぐらいまではGDPに金融業が占める比率は20%だったのが、今は40%を越えています。経済の半分近くが純粋に金融業界の取引額になっている現状です。そうなると金融資本というカジノ業界にとっては、先ほど言った生産の三要素のうちの土地と労働という存在が邪魔になってくる、儲けに対する制約になってくる。銀行の儲けというのは純粋に帳簿上の数字の問題です。だが土地と人間は現実の存在です。そこから軋轢や衝突が生じてくる。それも高度経済成長期によくあった、銀行が融資した開発業者のプロジェクトが地元住民の反対で潰れるといった次元のものならまだいい。現在この問題は、国際金融資本と国民全体の衝突にまでエスカレートしています。

国家は領土と人民によって成立しています。だからどんな国家でも土地と労働(人間)を代表せざるを得ません。そのために国家は資本にとって制約になってくる。国境などにお構いなく無制約に自由に動きたい金融資本には邪魔になってくる。しかし銀行という組織を成立させ、その営業利益を保証しているのはあくまでも国家が定めた法律なのです。国家の法律があるから銀行業が成立しているんです。にもかかわらず銀行には国家が邪魔になってくる。だから出来るだけ国家の制約を逃れようとする。それには当然国家の方からの反撃、特に国家を構成している人民からの反撃がある。また土地という要素も人々が資本の無制約な自由に反撃する根拠になる。地球は人類のかけがえのない住み処であり、資本の儲け話で使い捨てにされてはならないという声が高まってくる。

こういう形で国際金融資本と主権国家の対立がだんだん深まってきてます。この対立はレーガンの時代以どんどん深まって、現在極限に達していると言えるでしょう。以上申し上げたように、金融資本が主権国家すなわち人間と土地に対立してその無制限な自由を追求すること。それがグローバリゼーションという言葉が意味していることなんです。

 

資本の国際移動の自由とグローバリゼーション

 

そしてグローバリゼーションの発端はやはり変動相場制にあります。変動相場制で銀行の在り方が変わり経済と社会を支配し、土地と人民はその商売の邪魔になってきたので、なるべく無力化させようとする。だからグローバリゼーションは銀行主体の金融的な現象で、それに付随して社会の変化、企業の変化などがあるということです。ではグローバリゼーションはどのようなかたちで進行したのでしょうか。まず最初は。資本の国際移動の自由です。つまり円で儲けた金でマルクを買ってそれでさらに儲けて、その儲けた金でドルを買うとか、そういう自由な金転がしができなきゃ意味がないでしょう?金融カジノというのは。一国内でゴタゴタやっても意味がない。昔は資本は国家に規制されて勝手に国外に動かせなかったのです。たとえば戦後まもなくの日本で資本を海外に自由に持ち出せたら戦災からの復興など不可能になるから勝手に持ちだせなかった。昔の庶民は海外旅行なんてできなかったですね。

まず資本の国際移動の自由が拡大して、資本には国境がなくなると今度は全世界を舞台にお金のギャンブルをやる時代が始まった。とにかく金が自由に動くから、儲からなくなると一斉に逃げ出す。例えば90年代のアジア通貨危機では、東南アジアとか韓国に出ていたアメリカの資本がどうも本国の方が利上げで儲かりそうだと一斉に引き上げられ、アジア諸国の経済がガタガタになった。韓国はそれで破産状態になりました。

第二に、変動相場制の下で企業の多国籍化が急速に進行しました。いくら資本が全能といっても国民を入れ替えたり土地を動かしたりすることはできない。じゃあ資本の方が動いてしまえということで企業の多国籍化が進んだ。銀行はすでに国際化しているが、それに加えてモノづくりをやっている企業も生産拠点をどんどん例えばアメリカから中国に移す。そういう形で企業もなるべく国民と国境から自由になろうとする。

 

変動相場制が「変動人口制」を生む

 

一番最後に、これが一番大問題なのですが、変動相場制がついに変動人口制を生み出すに至ります。とにかく金融のグローバル化と企業の多国籍化は完了したから、次には生産の三要素のうちの人間の要素を徹底的に資本のコントロール下に置きたい。世界の人口を流民化、流動化させ、各国の人口をメガバンクと多国籍企業の都合のいい数に絶えず調整しようとする。これを私は「変動人口制」と呼んでいます。今世界では難民移民の問題が最大の政治の争点になっています。英国のEU離脱やアメリカのトランプ路線もそのきっかけになったのは移民でした。マスコミは移民とか難民とか言っていますが、これは変動人口制という問題なんです。とにかく国境も文化も無視して各国の人口の数をGDPの拡大に一番都合がいい形に調整しようとしているのです。

そのいい例がメルケルがトルコの難民キャンプからシリア難民をドイツに呼び込んだことです。以前にはメルケルは「このままではドイツはモスクだらけのイスラム国家になってしまう」と言っていました。「多文化主義は失敗した」と言ってたんです。ところが一転してシリア難民を呼び込んだ。この180度の転換の原因はおそらくドイツの銀行の危機です。ドイツが大恐慌の震源地になりそうだとかなり言われています。ドイツ経済は中韓両国並の輸出立国で実は脆弱なところがある。この脆弱さをユーロを梃にしたを金融マネーゲームで補ってきた面があります。ところがリーマンショック以来ドイツの銀行が抱えている金融派生商品やギリシャその他の国債がまとめて不良債権化した。金融で水膨れした経済が危ない。ドイツがこければEU自体もこける。そこで急遽難民移民で百万人くらい人口を増やせば、一時的にある程度消費が増えて、GDPが拡大する。それでGDPの予測数値を投資家に見せる。ドイツの銀行は危ないけれどまだ倒産しませんよ。ドイツはやっていけますよと投資家を説得する。このようなGDPの見かけのうえの数値稼ぎのためにシリア難民を呼び込んだ。おそらくこれがメルケルの豹変の真相です。

 

GDPのために利用される浮遊人口

 

シリアの内戦から逃れた人たちは隣国のレバノンやトルコの難民キャンプにいく。この段階では彼らは難民です。だがそこからメルケルの呼びかけに応じてヨーロッパに移動した人たちは流民というか、浮遊人口と呼ぶべき存在です。フローティング・ポピレーション。グローバリゼーションはここまできた。変動人口制で浮遊人口をあちこちに絶えず移動させてGDPの数字を一時的に改善する。それで投資家や金融業界を納得させる。まだうちのGDPは伸びますよと言って納得させる。移民を入れるのは財界が低賃金で働く奴隷労働者が欲しいからだという人がいます。しかし移民を労働力にするためには言葉や技術の習得とかに何年もかかるでしょう?今のグローバルな金融危機の中で各国のエリートにはそんな悠長なことを考えている余裕はありません。とにかく浮遊人口で自国の人口を増やして消費を拡大しGDPの数値を瞬間風速でいいから上げられればいい。当座の消費が増えればいい。そういうことです。GDPの数字は金融界が物事を考える際の唯一の尺度ですから。

 

右翼ではない反移民運動

 

ですからこういう政策に反対しているヨーロッパの反移民運動は人種主義の差別と偏見に基づく右翼的な運動なんかじゃないですよ。落ち着いた生活がしたい、安定し安心できる生活をしたいという庶民のごく普通の気持ちを代弁しているだけなのです。だからそういう意味で、英国のEU離脱とか、アメリカのトランプ当選は当然の民意の反映だと思っています。右翼の勝利などではありません。こうして変動相場制は、為替相場だけじゃなくてありとあらゆるものが絶えず目まぐるしく変動する世界を作りだしてしまった。目を覚ましてみたらアパートの隣室で外国人が騒いでいるとか、そういう社会が作りだされた。

さらに今の社会で餓死する人はめったにいないとしても、雇用が不安定になった。だから昔のプロレタリアートではなくて今はプレカリアート、不安定労働者という言葉が広まっていますね。結局今の社会の一番の問題は、社会の安定したパターンが崩れてきて将来を見通すことが困難になっていることでしょう。すべてが絶えずくるくる変わっていき明日は何が起きるか分からない。通常の人間の神経では耐えられないような社会が生まれてきた。これが現代社会の根本問題です。

 

経済の金融化の帰結~グローバリゼーション

 

ここまで1971年のニクソン声明以来の世界経済の金融化、グローバル化を説明してきました。そこでこの経済の金融化がもたらした三つの帰結をまとめてみます。

まず第一がグローバリゼーションですね。資本の国際移動の自由から始まり国際金融資本によって国の主権がどんどん形骸化していく。富がグローバル化の中でメガバンクとスーパーリッチに集中する。1%のメガリッチが後の99%の国民より多くの金融資産を持っている、富を持っているという状態が生まれます。銀行の課題は富を集中させてそれを投資することです。しかし現代の工業経済は以前から「成長の限界」という隘路にぶつかっています。だから銀行による富の集中だけが進行し、それが途方もない規模になっているのです。

 

経済の金融化の帰結~銀行負債という負の成長

 

第二に、銀行への負債が増えるだけの負の成長です。レーガンの時代以来、先進国は銀行からの借金で成長と繁栄の見かけを維持してきました。これは国債などで銀行への利払いが増える一方の負の成長です。そして今日の繁栄のために未来を質に入れている経済であり、その結果先進諸国では世代間格差が深刻化し、若い世代にツケが回っています。ローマクラブが「成長の限界」というレポートを出したのは1972年ですが、その当時から経済成長の限界は始まっていました。そのもっとも重要な指標になっているのは石油生産の逓減です。

有望な新油田も見つからないし、既存の油田は次第に枯渇していく。だから成長の限界は物理的必然というしかありません。しかし銀行業界だけはこの事実を絶対に認めることができません。経済が成長拡大するから企業、国家、家計は利子なんて余計なものを銀行に払う余裕があるわけで、低成長、ゼロ成長になれば利子を払えなくなる。成長が止まれば銀行商売の基盤がなくなる。だから成長の限界論など無視してあやしげな金融商品などを開発して、むしろ営業を強化する。そういう形で非生産的な銀行への負債が増えるだけの負の成長になる。これが80年代以降の特徴で、90年代のバブル破裂以後の日本なんかひどいものですね。企業も家計も銀行への借金で押しつぶされ、それがブレーキになって経済が動かない。こういう事態を負債デフレといいます。かつての1930年代の大恐慌の原因もこの負債デフレでした。今の世界経済の危機の原因もやはり負債デフレとして説明できます。

 

パンクした車のアクセルをふむような量的緩和

 

ただし今はお金の流れが滞留しているだけではなくて30年代大恐慌当時にはなかった富の異常な偏在、一極集中が起きています。スーパーリッチやメガバンクへ富の一極集中が起きている。これほど経済がひずんだことは世界史的にも前例がありません。この富の集中の原因はやはり、ニクソン声明で通貨が金の裏付けを失いペーパーマネーになったことでしょう。これで銀行は無からいくらでも実体のないお金を創造し、それを転がすカジノ商売に徹することができるようになった。しかしカジノだけでは経済は動かない。長期的には実体経済が成長してくれないと銀行も自滅します。しかし負債デフレでブレーキがかかって経済が止まっているのに銀行が経済を何とか動かそうとするのからおかしなことが起きる。それが皆さんも聞いたことがあるはずの量的緩和やマイナス金利なんです。量的緩和というのは、銀行が持っている債権とか資産を日銀がどんどん買い上げる。そのために日銀は新たに紙幣を大増刷してお金を無から作りだし、銀行はそれを受け取る。それをまた自分が日銀にもっている預金する。こういう紙幣の大増刷を量的緩和といっている。しかし銀行にいくら金をつぎ込んだって、このデフレで借り手はない。むしろ企業はみんな借金を返すのに必死になっている。これはパンクとガス欠で動かない車の運転席で懸命にアクセルを踏んでいるような馬鹿げた行為です。それでも増刷でお金の価値が目減りし減価するならば、企業、国家がかかえている負債が多少は軽くなるでしょう。しかし実体経済が失速しているのに紙幣を増刷するだけでデフレがインフレに逆転などということはありえません。結局量的緩和では、各銀行の日銀の口座の預金がやたらに増えただけでした。

 

マイナス金利から消費強制の減価貨幣へ

 

それでも悪あがきして日本やEUの銀行は今度はマイナス金利という窮余の策に手を出した。各銀行は日銀がつぎ込んできたお金を日銀にあるその預金口座に入れる。これには日銀が利子を払う。これを日銀に預けると逆に銀行が利子を取られるようにする。預けると損をするというのがマイナス金利です。こういうことをやる思惑はね、預金をして損をするくらいならリスキーな事業にも渋々貸し出しをするだろうという思惑です。だがこんなことまでやってもこの不景気の中でお金を借りようという人はなかなかいませんよ。だからマイナス金利をやってもお金の滞留は直らない。しかもマイナス金利をやればさらにお金の信用は低くなる。こんなことを続けていれば、お金はどんどん紙くずに近くなってくる。

銀行は成長の物理的限界にぶつかっているのだから、どうしようもない。量的緩和もマイナス金利も効果はなく経済の混乱と停滞を深めただけでした。そこで世界の金融エリートが今考えている奥の手は、経済全体をマイナス金利にすることです。今のデフレの中で庶民は将来が不安なので財布の紐を締め貯金を貯めこもうとする。だから銀行に預けたお金が時間と共にどんどん目減りするようにする。減価貨幣ということです。そうなると預金がさらに減る前にお金を使わざるをえなくなる。庶民に消費を強制できる。それで景気が回復する、というよりデフレで死にそうな銀行が生き延びることができる。しかしこんなことをやったら庶民は直ちに銀行から預金を下ろしてタンス預金にしてしまうでしょう。預けると損をする預金などやる人はいません。そうでなくても今どきの銀行は取り付け騒ぎを怖れています。リーマンショック以来、庶民の中でも銀行が国家の影の主権者であり諸悪の根源であること理解している人が増えています。またEUの一部の国では預金封鎖に似た事態も発生しています。大規模な取り付け騒ぎはありえないことではありません。

それは困るというので、EUではお金はすべてディジタルな電子マネーにして現金を廃止しようという動きが出てきています。現金を廃止してしまえば、もう取り付け騒ぎもタンス預金も不可能になる。EUには500ユーロという高額のお札、日本でいったら5万円かな、それをもう廃止しました。スウェーデンは現金の使用を制限するためにATMをどんどん撤去しています。スウェーデンは社会民主主義の優等生みたいに言われてきましたが、こういうあざといことをやっています。現金廃止の口実は脱税や犯罪組織による資金洗浄の予防ですが。本当の狙いは取り付け騒ぎの予防とできれば庶民の預金もマイナス金利にすることです。

 

経済の金融化の帰結~国家が銀行管理状態へ

 

第三に国家が銀行管理の状態になることです。先進諸国は70年代以降低成長になり国家の税収も伸びなくなった。しかし議会制民主主義国家では政治家は利権集団へのばらまきや福祉政策を止めるわけにはいかない。それで赤字国債を発行して借金で国を回していくことになった。本来国債の発行は税収不足を補うための臨時措置だったのですが、それがどの国でも恒常的なことになった。

国債を買うのは主に大手銀行です。低成長で儲からないので、国家への融資が銀行の主な仕事になってくる。国債が銀行の主要資産になる。銀行は、企業は倒産の恐れがあるけれど国家は倒産しないと考えたのです。国家は貸した金を必ず国民から税金という形で強制的に搾り取って返してくれる。国民全員を債務奴隷にしてでも負債を利子付で返済してくれる。皆さんの中にも銀行に一文も借金していない人がいるでしょうが、そういう人でも国民として銀行に借金して利払いを強いられています。それで増税されたり福祉を削られたりしている。国家が銀行管理の状態になっています。しかも国内のメガバンクだけじゃなくて国際金融資本全体がグルでやっている銀行管理です。この不景気の中で日本は消費税率を8%にあげました。消費税のアップはだいぶ前からIMF(国際通貨基金)が国際金融資本を代弁して日本に要請していたものです。あとOECDね。これが要請していた。増税は日本の財務省や日銀が考えたことではなくて国際金融資本の司令部からの指令なんです。だから日本の庶民生活の現状なんか無視して消費税を上げる。上げる目的は日本国民からさらに税金を搾り取って国債の価値を維持しよう銀行の経営を安定させようということです。 昔は不景気になると減税や財政出動というのが定石だった。それが今は、増税と緊縮財政が強行される。これは国家が銀行管理になり、国民ではなく銀行に奉仕しているからです。だからこの問題はね、安倍政権が悪いのどうのこうの言ってもどうしようもない。国際金融資本と日銀を潰さない限りこの状態は変わらない。政治家なんてどうでもいいんです。

 

ローカリゼーションの中心戦略は「社会信用論」

 

この調子でやっていくと銀行は破たんに破たんを重ね,いずれは経済の全面的崩壊が起きると思います。通貨が全面的に信用を失って経済がストップする、経済が心臓まひになる。そういう可能性がある。これは大変なことなんです。皆さんによく考えてもらいたい。1930年代の大恐慌は基本的に貧困と失業の問題でした。当時はまだアメリカだって農民なんかが多くてね、まだまだ素朴な社会だった。今は社会がはるかに高度に組織されている。皆さんのなかにも水道ガス電気なんかを銀行振り込みにしている人も多いと思います。スーパーだって在庫はもう秒単位でコンピューター管理して商品が流通している。こういう状況の中で通貨の流通がストップ状態になったら、これは経済危機というより文明の崩壊です。生活環境は大震災の津波直後の三陸海岸みたいになっちゃいます。水道ガス電気は止まるし、スーパー行っても棚が空だし、そういう社会になる。そういう銀行の破綻が原因の文明の崩壊は、何としても回避したいというなら、20世紀の始めにダグラスが提起した解決策を再評価する必要があるというのが私の長年の主張です。ダグラスが主張したのはお金の流れ方を根本的に変えること、通貨改革です。彼自身はこれをは社会信用論。ソーシャル・クレジットと呼びました。そして通貨改革は、ローカリゼーションの中心的な戦略になる。これまでお話ししたように、グローバリゼーションは銀行マネー経済の必然的な帰結です。銀行経済においては、お金はすでにお金があるところにさらに集中するのです。この流れを逆転させ、お金を分散させなければならない。BIは福祉ではなく、お金を個々人という究極の単位にまで分散させる方策です。政府通貨も、お金が滞りなく円滑に流れるようにして、経済全体に適切に分散させるための措置です。

先ほどお話しましたA<Bの問題。企業の生産過剰と庶民、消費者の所得不足という問題。これはBIで簡単に解決します。雇用によってしか所得が分配されないということが経済を極度に不安定にしているのです。所得は人間が生活するのに必要なものなのに、他方で雇用は企業の都合で決まるものですから。しかもいろいろ偶然な要素で所得が決定されている。それが問題なんです。そこでもう一度強調しますが、BIはお金の流れの淀み歪みを無くして円滑に循環させるための政策で、福祉政策じゃないですよ。そしてお金の流れが集中から分散に逆転すると、大企業、大都市が解体していきます。おそらくチェーン店といったものもなくなっていくでしょう。

 20世紀にはじめにダグラスがA<Bや銀行金融の問題を中心に経済を分析した背景には、この頃から企業や国家の機構の巨大化複雑化が始まったことがありました。それを逆転させる。おそらくBIが実現した社会では銀行による資本の集中がなくなるので、中小企業、地場産業、町工場、商店街の世界が復活することになるでしょう。

 

政府通貨発行による安定と均衡経済

 

それから政府が通貨発行権を銀行から取り戻し、経済統計に基づいて通貨を発行するといういわゆる政府通貨の問題です。国民経済計算という統計があるのですが、それで大体去年どれくらい日本経済が富を生産したかを把握できる。それによる所得分布も把握できる。それに基づいて社会が必要とする量の通貨を発行し流通させればいい。もしインフレになりそうであれば通貨の供給を減らす、デフレになりそうだったら増やすと、調整はいくらでもできます。これには銀行に利子を払う必要がない。利払いという無駄な支出、経済のブレーキになる支出がなくなる。更に利子を払うためにむりやり経済を成長させる必要もなくなる。つまり経済は成長ではなく安定と均衡及び生産と消費の円滑な循環を目標にすることができる。それを目標にすることができるということで、必然的にそうなるとは言ってませんよ。こういう脱成長ということは銀行経済には絶対に無理なんです。銀行は利子で儲けている以上、何が何でも経済が成長拡大してくれないと困る。その結果文明が崩壊しても知ったことではありません。しかもね、本来通貨というのは、私企業が勝手に自分の儲けをそろばんで弾いて発行しちゃいけないんですよ。通貨は、人間の生死にかかわる問題なんですから。

 

政府通貨発行による無税国家の実現

 

そして政府が国家維持のために税金を徴収する必要もなくなる。国家が銀行に通貨発行権を譲渡してしまったから国家維持のために別途税金を取る必要が生じているんです。政府が自ら通貨発行すれば銀行から国債を証文に借金する必要もないし国民から税金を取る必要もない。つまり基本的な教育、医療、福祉インフラなどは、政府がそれに必要な分だけ通貨を発行すればいいのです。統計に基づいて上限を設けて発行すればインフレにはならない。税金というのは本来いらないものなんです。なぜ日本人はみんな税金を払うのを当然だと思っているのでしょうか。江戸時代の年貢じゃないんですから。

悪い例かもしれないけど、ソ連には税金がなかったのです。ソ連においては労働は賦役みたいなもので、国民は労働で国家に貢献しているんだから別途に税金なんてとる必要がないとしていた。その代り働かないで家で引きこもりなんてやっていると警察に捕まりましたが。だから私は決してソ連のことは褒めていません。しかしソ連は、税金なしでも国家が回った例なんですよ。だからソ連みたいな一党独裁じゃなくて真に民主的な形で政府通貨を発行すればね。税金は基本的にいらなくなるんです。

もっとも例外的に臨時の徴税はあるかもしれません。例えば大阪で市特有のプロジェクトをなんかやりたい、そして市民はそれに賛成した場合です。そういう場合には目的が限定された市民税みたいなものを徴収する。これは一種のカンパですね。

もう一つは、資本転がし金転がしと土地転がしで懐にはいった不労所得。これには徹底的に課税する必要があります。田舎の田んぼだった物件が近くに鉄道の駅ができたので地価が100倍に上がった場合です。金転がし、資本転がし、投機で儲けたりした不労所得に対しても課税する必要がある。これは道徳的な理由で課税するんじゃないんです。そうした不労所得で儲けた金を蔓延らせておくと経済が歪んでくる。だから経済秩序を健全なものにしておくためには、金転がしと土地転がしで得た不労所得に対してだけは徹底的に課税する必要があります。そうすれば、お金の流れに淀みも歪みもなく、社会の隅々にまで行き渡るということです。

 

経済的「人権」保障を

 

現代社会では人権人権という言葉をよく聞くんですが、これは単に国家が市民に保障すべき法的な権利とみなされています。しかしですよ。人間の最も根本的な権利とはお金への権利です。だって文明社会ではお金がなければ生活できないわけですから。今の社会は。原始社会じゃない。だから最小限のお金への権利。所得を保証される権利、これこそが根本的な人権です。それがあってこそ社会に参加できるわけでしょう。人権はあまりにも法的に考えられすぎている。そして経済的人権保障のためにはやはり富と権力の公正な分配が必要だということです。そういう意味で、今どきの人権論には私は大変批判的です。経済的な問題を無視した抽象的な法律論が多すぎる。

 

大都市から地方にお金の流れを逆転させる

 

そういう形で政府通貨とBIによって銀行経済は終わる。経済的デモクラシーが始まる。金融化とグローバリゼーションは終わりローカリゼーションが始まる。そういう形で大都市が衰退し、解体し、国民経済、地域経済が復活する。もちろんこれは貿易による他国の富の略奪を必要としない内需中心の経済でもある。国民経済復活は即ち国家内の各地の地域経済の復活につながります。今の日本の地域に必要なのは企業の誘致や観光客の呼び込みではなく、所得保証による有効需要の創出です。たとえば島根県は日本一高齢化していて過疎でも苦しんでいる県です。でも島根県が何とか低空飛行でやっていけるのは、高齢者への年金がBIの代わりになっているからでしょう。夕張市がまだ息をしているのも高齢者の年金がBIになっているからでしょう。ということは、積極的にBIを実施すれば地方経済は一気に復活すると考えていい。逆にいえば、通貨改革で国内の資金の流れを逆転させなければ、地方は経済的な貧血や栄養失調で死んでいくでしょう。

BIは一国の毛細血管の隅々にまでマネーが行き渡ることを可能にします。そうすればほっといたって地域経済は復活する。だからこのお金の流れの問題は、地方自治体関係者にじっくり考えてもらいたい。結局国家はお金の流れとして組織されているということが分かっていれば、この話も分かるはずです。ところが分かっていない。相変わらずお金とは中央官庁にお願いして回してもらうものだと思っている。奴隷じゃないですかこれ。それで一生懸命ゆるキャラで宣伝とか中国人観光客を呼び込むとか、そんなことをやっている。ど田舎に空港を作ったりね。本当に地方自治体が考えていることは明治時代から変わっていません。政府通貨とBIで中央、大都市から地方にお金の流れを逆転させることができるのです。そして人の流れはお金の流れに従います。資本が地方に分散され、都会から地方に移住しても基礎所得の保障があるならば、深刻化している地方の人口の減少という問題も解決に向かうでしょう。

 

BIで社畜脱却を

 

さっき言ったようにそういう形で大企業が衰退し、町工場と商店街の世界が復活してくる。そのうえBIが支給されると、おそらく社畜サラリーマンをやる人が減るだろうとと思います。自営業を始める人が増えるでしょう。一生涯月10万でも保証されればそれに基づいて人生設計ができる。そうなると社畜サラリーマンなどをやっているより自営業をやるという人が増え、仲間を集めて中小企業を立ち上げるとか起業をやる人も増えるとでしょう。だからBIにはサラリーマン撲滅の効果があると思っております。BIが支給されるんだったら物価の安い地方にいこうということで、大都市から地方に移住する人も増える。特に地方で農業をやろうという人が一気に増えるでしょう。今だってそう考えている人が多いんですから。ただ地方に行ったら生活できるか分からないから動けないないわけで。しかし月10万円程度の所得が保障されるんだったら、当座は農民修業をやって10年もすれば農民として自立できるでしょう。だったら進学ローンでえらい借金を抱えて大学を出たのにフリーターになんて人生を送る必要はなくなる。

 

種子島鉄砲の重要な意味

 

  日本でも世界でも1970年代以来のグローバリゼーションの過程は、ローカリゼーションの過程に逆転しようとしています。この転換のきっかけは、リーマンショック以来の銀行経済の最終的破綻です。そして通貨改革でお金の流れを公的民主的にコントロールするようにすれば、国民経済、ローカルな地域経済が復活してきます。デモクラシーはこれまでもっぱら政治体制の在り方とされてきました。しかしデモクラシーは何よりも経済のデモクラシー、銀行に通貨発行権を横領させない経済体制のことでなければならない。しかもね、日本という国は歴史的に地方の底力によって支えられ発展してきた国なんですよ。

皆さんも種子島の鉄砲伝来の話は知っていると思います。16世紀の半ばに嵐で遭難した中国のジャンクが種子島に流れ着いた。それにポルトガル人の商人が二人乗っていて鉄砲を持っていた。それを種子島の領主が大金はたいて買い込んで、お抱えの鍛冶職人の金兵衛にその複製を作らせた。これがきっかけで戦国時代の日本に鉄砲が一挙に広まった。この話は皆さんもご存知でしょうが、ただ考えてください。こういっちゃ悪いけど種子島は今もへき地です。辺境の離島です。そこにちゃんと鍛冶屋がいて、それが見様見真似であっという間にヨーロッパの鉄砲の複製を作ってしまうほどの技術を持っていた。これすごいことですよ、考えてみると。これが日本という国のすごさなんです。どこの国でもね、都は栄えていても一歩都を外れたら何もないのが普通です。種子島のような離れ小島にも都に劣らない文化文明技術学問があったという、これが日本の底力です。じゃ何で種子島にそれほどの鍛冶屋がいてそれほどの技術や知識があったのか。種子島も戦国時代でやっぱり領国だったわけです。種子島時堯って言ったかな。若干16歳の領主がいて、これが大変知的にシャープな人で、鉄砲の価値をすぐに見抜いた。そこで当時の種子島にしてみれば大枚をはたいてポルトガル人から鉄砲を買った。しかもそれを撃って遊んでいたわけじゃなくて、すぐに鍛冶屋に複製を作らせた。領主である以上は一国一城の主として職人だの商人だのワンセットの体制が必要なんです。だからちゃんと腕のいい職人がいた。ただし僻地といいましたが、当時の種子島は東シナ海を舞台にした国際貿易の拠点であったし、昔から砂鉄が取れる所でね、製鉄が盛んだった。そういう事情もありましたけれど、やっぱりこの話はすごい。種子島から50年後には当時日本最大の工業都市だった泉州堺が鉄砲の産地になって、日本の鉄砲生産量はヨーロッパ全体をしのぐに至りました。何でこういうことが可能にだったのかというと、戦国時代で種子島もそれなりに領国だったことが大きいのではないか。戦国時代というと皆さんはNHKの大河ドラマなんかの影響でチャンバラばっかりやった時代と思うかもしれませんが、戦国時代はそういう文化文明学問技術が日本の国土の隅々にまで広がっていった時代なんです。だから各地に群雄割拠となり、争いが起きたわけです。このあたりが日本は他の多くの国とは違うのです。国の隅々にまで文化技術学問が行き渡った。更に江戸時代になると天下泰平で争いがなくなったので、更に各地方の独自の文化と経済の発展があった。近代日本はこの江戸時代の豊かな遺産なしにはありえませんでした。

 まだまだ多くの人が日本は明治維新で中央集権国家になって、そのおかげで近代化したと思っています。これは違います。近代化を可能にしたのはそれまでの地方の蓄積です。地方の底力です。例えばこの大阪にしたって1960年代まで経済指標は全て東京を上回っていました。そういう意味では、戦前の日本の順調な近代化を可能にしたのは地方経済の強さですよ。地方には人材も富もあった。東京は何をやってきたかというと地方の富と人材を吸い上げてきただけです。吸血鬼みたいなものです。東京はエリート官僚がいて、マスコミがあって、大学があるというだけのスカスカの都市です。ああいう都市は潰さなきゃいけません。

 

エネルギーと食糧の自給率を高める

 

とにかく今の日本は国土上の人口分布を均等化させていく必要があります。これにはもうBIが一番効き目がある。どんな地方、へき地、辺境の離島にまで文化文明技術学問が広まって蓄積があったことが日本のすごさなので、その点では今の東京の一極集中は日本の歴史から見るとまさに亡国の現象です。この流れを逆転させて、かつての種子島の鉄砲伝来のような。地方に中央に引けを取らない文化経済技術学問がある日本を再建しなければいけない。ついでに言いますが、最近中国の脅威がどうのこうのと国防論議が盛んですけれども、国防の基本はエネルギーと食糧の自給率の高さです。本当に国防を考えるなら、とにかくエネルギーと食糧の自給率を高めることです。これもまた政府通貨やBIによって政策として可能になります。戦前の日本は食糧は、もちろん、エネルギーもかなり自給していた。70%くらいは自給していた。どうしていたかというと林業をうまく使ったんですね。暖房もこたつだし、木炭をうまく使っていた。だから戦前では林業は主要産業だった。そういうことを考えなければいけない。石油をあてにしないで林業を復活させる。バスなんてみんな木炭バスにすればいいんですよ。木炭バスというのは木炭燃焼の時の水素が出る。それを利用しているからあれは水素エンジンです。原始的なものじゃない。理論的に言うと石油エンジンよりも木炭エンジンの方が高級なんです。

 

ケインズのバンコール通貨構想

 

先に申し上げたように20世紀は貿易の世紀でした。英国のEU離脱、アメリカのトランプ当選でそれが終わり、しかも欧米では移民問題が社会を混乱させ政治の焦点になってきている。移民問題といわれているのは実際には、金融資本が主導したグローバリゼーションが生み出した浮遊人口、変動人口制の問題です。だから欧米で起きている反移民の動きは、排外的人種主義による差別と偏見といった問題ではない。浮遊人口という異常な現象が問題なのです。なぜ国際的浮遊人口などという異常な現象が生じてきたのか。その原因を遡ると、1944年のブレトンウッズの国際会議に行き着きます。この会議で米英を中心に連合国は、戦後にどんな国際的通貨貿易体制を構築するか協議しました。そこで経済的軍事的覇権国になったアメリカが、英国のケインズが提出した国際通貨バンコールで決済される貿易体制という案を叩き潰したことが、現代世界の混迷の発端なのです。

戦後の通貨貿易体制を考えてみますとね、ドル基軸ですから、貿易でドルを稼いでドルを持っている、そういうドル保有国だけが世界貿易に参加できる。だから戦後のドル決済貿易は特権的な会員制クラブみたいなものです。日本はこの特権をひときわ享受した国です。だが南の貧しい後進国にはドルを稼げる可能性がない。これで世界貿易の会員制クラブから排除される。しかも足元をみられて徹底的に食い物にされたりする。私は、健全な国民経済のためには通貨の問題が決定的であることを強調してきました。世界貿易についても同じことが言えます。貿易においても公正な通貨ということが決定的に重要なのです。

ケインズはブレトンウッズでドル覇権体制を構築しようとするアメリカに反論し、全く別の方式を提案しました。その方式ではまず貿易決済用の通貨と国内通貨を分けます。貿易の決済にはバンコールという名前の通貨を計算単位として使う。それをできるだけ公正公平に運用するようにする。それで貿易でぼろ儲けする国と、大損する国、そういう国家間格差が出ないようにすることを提案したんです。これをアメリカが潰した。この提案を潰された心労からケインズは若死にしたと言われています。バンコールのことを詳しく説明する時間はありませんので、関心がある方は家に帰ってから「バンコール」でネットを検索してみてください。色々解説されています。今例えばザイールとラオスが相互に貿易してそれでお互いに経済発展しようとするとします。しかしザイールもラオスも貧しくて通貨の価値があまり信用できない。だからやっぱり世界一信用があるドルで仲介しないと貿易は難しい。ドルは一番安定して価値があるから。でもケインズのバンコールを使うと各国の合意で国際的に価値が保証されている通貨だからドルを持っていない国でも世界貿易に参加できる。商品を売ったけれども相手の国がドル不足で対価を払ってもらえずに倒産するとかそういう危険がなくなる。バンコールはドル以上に安定した信用できる通貨ですから。だからケインズの提案が通っていれば、なにも先進国市場への輸出に必死にならなくたって、南の国も様々な自主的な発展が可能だったはずです。

 

自給国民経済への転換

 

ガンジーは先進国型の工業化ではなく、紡ぎ車でインドの農村を発展させようとしました。村の経済を発展させようとした。しかしドル基軸の世界貿易体制の支配下では、ガンジーの理想は見果てぬ夢に終わってしまいました。インドだって必死になって工業製品を作らないと発展できないことになっている。しかしバンコールの体制があったらインド的発展ということも可能だったでしょう。もちろん中国だってそうです。今の中国は先進国の下請け工場になるために国土を徹底的に破壊しています。

20世紀という貿易の世紀は終わりました。しかし今更どの国も鎖国して貿易を止めるわけにはいかない。そういう意味ではバンコールの再評価が必要なのです。全ての国に公平に貿易の機会を保障し、共存共栄の貿易をやる。肝心なことは貿易を古典的な貿易に戻すことです。つまり自由貿易と称して富の分配の歪から生じた体制の危機を外国にツケとして回すんじゃなくて、国民経済を二次的に補完する貿易をやる。基本的に自給の国民経済があって、どうしても足りないものを貿易で補う。貿易が二次的な役割しか持たなかった古典的な貿易に戻す。それが大事なんです。しかしバンコールのような体制は簡単には実現しないかもしれない。その時日本としてどうしたらいいか。とにかく変動相場制の下で為替相場に振り回される貿易はやるべきではありません。そういう貿易は国民経済を攪乱させます。国民経済と貿易との間には仕切りがあるべきです。それならばナチスドイツの例に倣ってバーター貿易をやるという手もあります。日本の商品には世界的に需要がありますからね。それならバーター貿易をやればいい。とにかく貿易を純粋なギブアンドテイクの、双方に公平で恩恵があるものにしていく。現状の貿易はそんなものじゃないということですね。

 

脱アメリカニズムが日本の課題

 

あと二つだけ申し上げます。トランプの当選は覇権国アメリカ、ドルと軍事力で世界を支配したアメリカが終わろうとしている徴でしょう。19世紀には大英帝国が強大な覇権国であり経済大国だった。だが英国はその価値観を世界に押し付けることはなかった。むしろ世界と自国を区別して「光栄ある孤立」を誇っていました。しかしアメリカは違います。アメリカはアメリカ的価値、普遍性を信じていて、それを宣教師的に世界に広めようとした。だから単に政治的軍事的経済的な覇権で世界を統治しようとしただけではなく、いわゆるソフトパワーでアメリカ的な価値観や文化を世界に広げようとしてきた。そしてマイカーと電化製品に代表されるアメリカ的生生活様式も広めた。つまりアメリカは、世界をアメリカの色に染めあげる傾向があった国で、そのあたりが大英帝国とは違います。ですからアメリカの世紀が終わるということは、我々の文化価値観、生活様式においても脱アメリカが進むということでしょう。さまざまな面でアメリカニズムからの脱却することが今後の日本の課題になるはずです。

たとえばマイカー社会は広大な国土と豊富な原油というアメリカ独自の国情から生まれたもので、日本のような国でマイカー社会は正しい選択なのかどうか、議論になっていい。そういう意味ではわれわれは日本独自の風土や伝統を改めて再評価することが必要です。もちろん国粋主義ということではなく、日本人はどのように伝統に従って生きてきたのか、改めて考え直す必要がある。こうして日本人は日本の創造的な伝統に立ち返る。そういう時代が始まろうとしていると思います。

特に江戸時代の再評価が必要でしょうね。江戸時代に日本人はアメリカのエネルギーを浪費する消費社会とは正反対の社会、しかも高度に文明化されたを築き上げました。昨今は江戸時代は自治と分権の多様性に富んだ社会だったと再認識されてきています。今後も江戸時代の再評価が進むでしょう。江戸時代がすべてよかった、ユートピアだったなどと言いたいわけではありません。しかし明治維新と文明開化の影響で江戸時代を安直に否定的に評価してきたのは間違いだったと考える人がますます増えています。

 

外圧で変化する日本の国家体制

 

そしてトランプのアメリカはウッドロウ・ウイルソン大統領以来の国際主義、覇権主義、自由貿易主義から降りる。19世紀のモンロー主義に回帰する。これで日本を取り巻く国際社会の文脈が大きく変わります。この変化に対応して日本も変わっていかざるをえない。こういう外圧を受けるたびに、日本はそれを新たな発展の好機にしてきました。日本はそういう国なのです。日本は外圧でしか変わらない、革命が内部から起きないダメな国だという議論がかってありました。これは間違った見解だと思います。日本の支配層は伝統的に社会の安定ということを非常に重視するんですよ。そして体制が安定するためにはコンセンサス、社会的合意が必要です。日本の支配層はそういう社会的合意を確保するために絶えず体制の補正や修正をやり、いろいろ非公式な安全弁をつけておくことも多い。それで江戸時代は265年も続いた。戦後日本でも、自民党は財界べったりの政党ではあるけれど、一面社会民主主義的な政策もやってきた。だから長期政権を維持できた。今は露骨に経団連の御用政党になっていますが。とにかく支配層が合意を重視するので、日本は体制の激変なしに社会が徐々に進化していく。これが日本の独特の体質です。そして私としては、これはむしろ日本人の良識と賢明さの表れだと思っています。実際世界には、革命や内戦で何百万人も死んで結果として深い傷跡が残っただけという国がたくさんあります。日本に革命や大規模な内戦がなかったことはむしろ称賛すべきことです。内戦があったといっても、天下分け目の戦の関ケ原でもたった一日で終わってます。薩長なんてとんでもない奴らだったけれど、徳川幕府は引き際よく消えていき戊辰戦争を長引かせなかった。そういうことで日本は凄惨な内戦などしたことがない。

ただそれだけに、外圧があるたびに日本の国家体制は一変することになった。国際情勢は国内のようにコントロールできませんから。だから古代には大陸に隋、唐の帝国が成立した際にはその圧力の下で大化の改新をやって国家体制を整えた。それから17世紀には全世界にヨーロッパが海洋勢力として進出して植民地主義の脅威があった。それに対応するために外交的に鎖国をした。その後19世紀には黒船の圧力で開国し、欧米に倣って近代化した。さらに第二次世界大戦で敗北したので、アメリカの覇権体制の下で生き延びるためにアメリカナイズした。このように日本は大きな外圧を受ける度に国家体制を根本から変えてきました。これが日本の歴史的な特徴なんです。

 

復活しない国際主義・覇権主義・自由貿易主義

 

  世界はトランプ大統領が何をするかで騒いでいますが、彼は大したことはできないでしょう。アメリカ経済は負債の山に押しつぶされていて、量的緩和といった連銀のトリックが問題をさらに悪化させた。この現状にはスーパーマンでも対処できません。それにトランプはアメリカが絶頂期にあった1950年代、60年代への郷愁があるだけです。しかし彼がどうなろうと、アメリカの国際主義、覇権主義、自由貿易主義はもう復活することはないでしょう。それに感づいているから世界のエリート、グローバリストはパニックになっている。戦後日本の国家体制にとっては、この三つは公理みたいなものでした。それがなくなる。ですから2017年以降、日本は否応なく国家体制の転換と変革の時期に入らざるをえないでしょう。そしてアメリカの二大政党制の崩壊に見られるように、どこの国でも政党政治の時代は終わっています。これからは、地方自治体が体制転換の拠点になると私は見ています。ローカリゼーションの時代が始まっているからです。だからこそ皆さんには、ベーシックインカムと信用の社会化は、たんなる所得保障ということではなく、地方の再生、内需中心の国民経済復活のための戦略であることを訴えたいと思っています。

ちょうど時間になりました。ご清聴ありがとうございます。

関曠野さん講演録「成長幻想から仏教経済学へ」

関 曠野 講演録

ベーシックインカムで
日本を変えよう

― 成長幻想から仏教経済学へ ―

2013年12月8日 於:京都・仁和寺
「ベーシックインカムで日本を変えよう ― 成長幻想から仏教経済学へ」

講演者:関 曠野

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

主催:ベーシックインカム・実現を探る会

講演 INDEX

  1. はじめに
  2. 悪者探しではなく、システム欠陥の是正を
  3. 経済的民主主義・普通収入権があるべき
  4. ダグラスの理論を補完する
  5. ダグラスのA+B理論とは
  6. 銀行経済に従属する企業
  7. 銀行マネーが国家を管理する
  8. 銀行は無から金をつくっている
  9. 銀行の部分準備制度と信用創造の仕組み
  10. 裏付けのない「法定通貨」
  11. 経済にブレーキをかける利子
  12. 銀行とは富裕層のためのもの
  13. 1% vs 99%は経済の破局につながる
  14. 解決策はベーシックインカムと政府通貨
  15. 公益事業として通貨を発行する国家信用局
  16. 地方自治体の融資協議会が政府通貨融資を管理する
  17. イスラム銀行 ―― 投資の民主化に学ぶ
  18. 政府通貨で実行すべき国家プロジェクトとは
  19. 政治的には劇薬という政府通貨の問題点
  20. 政府通貨を皇室券として発行する
  21. 皇室券と日銀券の関係
  22. 政府通貨発行で国家負債もなくなる
  23. ベーシックインカムの社会的効果 ―― 労働力の流動化、少子化問題、都市人口集中、教育、女性の権利、起業
  24. ベーシックインカムの社会的効果 ―― 労働と余暇、年金制度
  25. 政府通貨とベーシックインカムの思想的根拠
  26. 政府通貨とベーシックインカムによる日本経済は仏教の精神で運営
  27. 「経営」という言葉は仏教から
  28. 仏教は道として極める仏道のこと
  29. 仏教は宗教というより精神療法
  30. 仏教は決断の宗教
  31. 苦の問題の解決に知性の総力を挙げる
  32. 徹底的に実践的な仏教
  33. 欧米の労働観は、奴隷制と神罰に由来する
  34. 労働が作業量として計測されるだけのヨーロッパ的労働観
  35. 日本では労働はたましいのはたらき
  36. ベーシックインカムによって西洋的労働観から解放する
  37. 慈悲と簡素さ
  38. 経済活動の目的は心の平安
  39. 仏教経済学の指針のもとでの投資や商業活動のありかた
  40. ネット世論の圧力で政府通貨とベーシックインカムの実現を
  41. 追記
  42. 質疑応答

はじめに

関 曠野さん

話し手:関 曠野さん

1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)、『フクシマ以後―エネルギー・通貨・主権』(青土社)、『グローバリズムの終焉-経済学的文明から地理学的文明へ』藤澤雄一郎氏との共著 農山漁村文化協会(2014年3月5日刊行予定)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。

どうも関です。

年末のお忙しい中、私の話をお聞きするためにお集まりいただきましてありがとうございます。こうしてみなさんが仁和寺に集まったのも、やはり日本という国はどこの面でも行き詰っている。そのことをひしひしと感じておられるからではないのかと思うんですね。私は今日、この日本の行き詰った現状を打破するプランはあることをお話ししたい。このプランが絶対に正しいかどうかはわかりません。しかし私としては自信をもって出せるプランであり、それを皆さんが日本の現状を考える際のヒントにしていただきたいということです。まずそのための政府通貨の発行と全国民にベーシックインカムを支給するという問題。次いで日本経済と仏教の精神という二つのテーマでお話ししたいと思います。

悪者探しではなく、システム欠陥の是正を

今の日本の現状はもちろん貧困や失業も深刻な問題ですけれども、一番問題なのは不安だと思うんです。とにかく未来が不確実で不安で明日が信じられないから長期的な生活設計ができない。貧乏なら貧乏で、貧乏が一生こんな程度の貧乏と解っていればそれなりの人生設計ができるけれども、それもできない。こういう不安な社会では。悪者探しが始まる。とにかくどこかに悪者がいるからそいつをやっつければ社会がよくなるという、そういう風潮が広まってくる。こういう風潮は危険というよりナンセンスだと思います。そんなことやったって社会がさらにすさむだけですよ。やはり、この社会の問題は誰が悪いというよりも今の経済のシステムに構造的な欠陥があるからだ、その構造的な欠陥をきちんと是正する政策を実行すればいい、そう考えるべきだと思います。

経済的民主主義・普通収入権があるべき

ですから今日お話しするのは今の経済システムにどういう構造的欠陥があるかということです。その欠陥を是正する政策とは、経済的市民権、すべての人に経済に関与し参加する権利を認めて、経済自体が民主主義の構造を持つようにする、そういう経済にするということです。経済的民主主義とは、政府が福祉を拡充すれば民主主義だというようなことではありません。経済の構造自身が民主的でなければならない。昔は制限選挙といって貧乏人には投票権がなかった。今は貧乏人に選挙権を認めないと言ったら大騒ぎになるでしょう。だから今は普通選挙権が常識になっています。昔は貧乏人には知性と教養がないから選挙権がなくても当然だという議論があったけれども、今こんな議論をする人はいません。しかし経済に関してはそうじゃない。貧乏人は先祖の祟りかなんかで貧乏なんだから生活苦であがいて餓死してもしょうがないということになっている。これはおかしいんじゃないですか? 普通選挙権があるんだったら普通収入権っていうものがあってもいいんじゃないですか? 買い物をしたり銀行に預金したりする経済行動自身が選挙で投票するのと同じ意義を持つ。そういう経済でなければいけない。こっちに自動的に動くメカニズムとしての経済があって、こっちにそれとは別に民主主義がありますという考え方はおかしい。経済生活とデモクラシーはまったく一体のものであるべきです。

ダグラスの理論を補完する

ではどうやって経済行動自体が民主主義であるような経済を作るか、どのように今の日本のひずんだシステムをリセットするか。それをまず申し上げたいと思います。とにかく現状では誰しも食うに追われて生存競争で生き残るのに必死な世の中です。しかしたまには経済のシステムを大局的に見るということも必要だと思います。まず最初に構造的な欠陥の問題ですが、現代の工業経済、これは資本主義といってもいいと思いますが、これには構造的欠陥がある。どういう欠陥があるかという問題では、20世紀初めに社会信用論という経済思想を創始した英国人のクリフォード・ヒュー・ダグラスという人がいまして、私はこの人の理論を参考にしています。ただダグラスの理論は時代の制約もあって今となってみると色々補足や補完が必要です。ですから私はダグラスの理論をそっくりそのまま繰り返すのではなくて、参考にした上で特に現代日本の事情や歴史に合わせて補足や補完をしながら議論します。

ダグラスのA+B理論とは

ダグラスは、企業会計をA+B理論という形で考えました。Aは企業会計の中で従業員の賃金給与などに充てられるお金です。Bは生産設備の減価償却や他の企業から購入した機械とか部品とか原料に支払うお金、つまり物理的な生産費です。このA+Bに利潤を加えたものが商品の価格になります。 Bは物理的な生産に関係した費用です。他方で賃金は一応生産コストではあるけれども、一方では給与ですから勤労者の購買力になるものです。購買力として消費の資金になる、消費に回る。そうすると企業会計はA+Bですから、小学生でもわかることですが、A+B>Aです。この単純なことが大問題なわけです。商品の価格はA+B+利潤なのにそれを買う勤労者はAのお金しか持っていない。 これでは労働者は企業が生産した商品をすべて買うことはできない。A+B>Aですから。こういう構造があるから資本主義経済においては、必然的に生産と消費は釣合いがとれません。その結果、企業は生産過剰に悩み、勤労者は消費者としては慢性的に所得不足に苦しむことになります。

この生産と消費の不均衡が最後には恐慌にまで行き着く。今の世界の現状がそうです。これが資本主義のシステムに宿命的な構造の欠陥です。それまでのリカドウなどの古典的な経済学は経済を物々交換をモデルに考えていて生産と消費、需要と供給は自動的に均衡するとしていた。ダグラスは企業の会計監査をやったことがある人だったので、この誤謬を一掃したのです。

銀行経済に従属する企業

この生産と消費の不均衡という問題も、企業がすべて日用品などを作っている小さな企業だったら深刻な問題にはならないでしょう。ところが19世紀末からマルクスの言う機械制大工業、大企業の時代に入ります。企業は設備投資や研究開発に膨大な費用をかけるようになる。そうするとこの問題が深刻になってくる。A+B>Aで、企業会計の中で生産費用の比重がどんどん大きくなる。それに比例してAの部分、賃金給与分は相対的に縮小していく。これは経営者が強欲で賃金カットをするということではなく、構造的にこうなってしまう。当然それだけ経済は恐慌とか不況に陥る傾向が強まる。労働者がかなり賃上げされたとしても、A+BのBの部分にやたらに金が回っているようなら、どのみちギャップは埋まらない。

そして20世紀には企業は膨大な投資が不可欠になってくるので、大企業でも銀行からの巨額の融資を受けないとやっていけなくなります。こうして銀行が企業経済に介入してくると、システムにさらに深刻な問題が生じてきます。今は中小企業だって何億円もする機械が必要です。まして大企業なら天文学な額の融資が必要なわけです。そうなってくると企業は次第に銀行経済に従属して銀行経済の一部になってしまう。銀行がすべてを動かす経済が出現する。純然たる企業経済なんてもう町の八百屋さんかなんかにしか残ってない。先進国はみんなそういう状態です。

銀行マネーが国家を管理する

ところで世間に出回っている通貨の95%以上は銀行マネーです。銀行が貸し出したり銀行に返さなければいけなかったり、銀行がらみの金です。我々がスーパーのレジで出したり引っこめたりしているような現金で使われる通貨は通貨流通量の数%を占めるにすぎません。経済を動かしているのは銀行信用です。銀行のお金が世間を動かしている。そうなると銀行マネーに絡んでいる様々な問題がそのまま企業経済の問題になり、また企業の賃金で食って消費している労働者とその家族、国民の問題になってくる。そう言う形で国家は否応なしに銀行管理国家になってしまいます。いまだに日本銀行は国の銀行だと思っている人が多いんですけど、日銀は銀行業界の代表幹事みたいなもの、銀行カルテルの代表です。

みなさんが持っている1,000円札を見てください。日本銀行券と書いてあります。日本国通貨とは書いてありません。日銀が、経済がいいとか悪いとか言っているのは銀行業界にとっていいか悪いかを言っているだけで庶民の暮らし向きには関係がありません。むしろ相反することが多い。

銀行はあくまで自分たちの営利目的で通貨を動かしている。日銀が通貨を日銀券として発行している。そういう形で経済が回っています。私企業の銀行が自分のソロバン勘定で発行したり引っこめたりしている通貨が我々の生活を動かしている。それが先進国の現状です。たとえば私企業が空気や水を独占販売していて貧乏人は空気も吸えない水も飲めないという経済を考えられますか?中国はそれに近い経済のようですが。しかしマネーは現代では生活インフラみたいなものです。お金に恬淡としている人だってマネーなしには生活できません。そのマネーを全部銀行が独占販売管理しているわけですから。ある意味では空気や水を私企業が管理しているようなものです。だから貧乏人は金がないので餓死してもしょうがないという経済になってくる。

銀行は無から金をつくっている

そして銀行が通貨を発行するということはどういうことかというと、かりに銀行が一千万円を中小企業の経営者に貸すとします。そこで銀行は何をしているかというと、「関様」という預金口座を作ってそこに銀行の金を一千万円入れる。一千万入れるといってもキャッシュじゃないですよ。銀行の帳簿上のことですからコンピューターのキーボードをちょこちょこと打って、パチン。「はい、一千万入りました。貸しましたよ」という、コンピューターのキーボードをいじっただけです。

ところが借りた私はね、満期の来た2年後には汗水たらして稼いだ手の切れるようなキャッシュを利子をつけてちゃんと銀行に返さなくちゃいけない。コンピューターのボードをちょこちょこというわけにはいきません。つまり銀行が金を貸すというのは財布を作っただけなんです。その財布の中に後日我々が稼いだキャッシュが入るようになっている。それが銀行マネーです。こうして銀行は無から金を作っている、ゼロから金を得ているという。そういう構造になっているんです。

銀行の部分準備制度と信用創造の仕組み

さらに銀行の部分準備制度という問題があります。

これはつまり、銀行は手持ちの預金を貸しているわけではない、手持ち預金の8倍から10倍くらいの金を貸し出しているということなんです。あくどい高利貸しだって手持ちの金を貸しているだけです。ところが銀行はいわば架空の金を貸し出している。なぜそういうことになるかというと銀行は我々が預金した金を人の金と思っていない。自分の金と思っているんです。銀行の金融資産ということになっている。だから人の金の使い込みみたいなことをやってる。

どうやって我々の預金した金がその8倍10倍に膨れあがることになるのか。銀行はなにをやってるかというと、私がA銀行に100円を預けたらAはそのうちの10円を取っておいて90円を貸し出す。この90円を借りた人が今度はB銀行にその90円を振り込むとまたその90円から10円を取っておいて80円を貸し出す。この80円を借りた人がC銀行に振り込むとCは80円の内から10円を取っておいて70円を貸し出す。建前では銀行は我々の100円を預かっていることになっていますが、実際は使い込みと貸し出しで預金は殆ど無くなっています。それでもATMで預金を下ろせるのは銀行に新規の預金が次々に入ってくるからです。銀行のビジネスはこのようにネズミ講の一種です。

見てください。初めが100円だったものが+90、80、70です。どんどん水増しされていく。水増しということは、銀行が私企業のソロバン勘定で私的に信用を創造している、無からお金を作り出しているということです。実体経済に根拠のない半ば偽札みたいな金が世間に氾濫することになります。こういう金が銀行のソロバン勘定の都合で経済を動かしているわけですから経済が不安定になる。私企業の銀行が社会に公的に流通する通貨の量を勝手に増やしたり減らしたりしているせいで好況と不況が絶えず入れ替わる景気循環が発生します。しかも預金者はいつでも自分の預金を下ろす権利を持っています。だからミルトン・フリードマンみたいなごりごりの新自由主義の経済学者が部分準備制度はやばいからやめろと言っているんです。

この部分準備制度に対して過去に何度も完全準備制度が提案されています。この場合、銀行の預金業務を当座預金型と定期預金型に分ける。前者では銀行は金庫業で、預金者の金を保管し小切手を発行したりするだけで他者に貸し出さない。だから自分の預金が不安になった預金者が取り付け騒ぎを起こすといったことはない。後者は投資に使われるリスクを伴う預金で預金者もハイリスク・ハイリターンを承知しています。さらに次の問題です。

裏付けのない「法定通貨」

現代の通貨はどこの国でも通貨は法定通貨です。法定通貨とはつまり法律で通貨と定められたもの。昔は通貨にはすべて裏付けが必要だったので、紙幣も兌換紙幣でした。銀行に持っていくとそれに相当する金(きん)に代えてもらえた。今こういう制度は完全になくなりまして、国家が「これが通貨ですよ」と宣言すればそれがそのまま通貨になってしまう。金本位制の金と通貨が兌換できた時代は通貨には実物の担保があったわけです。銀行が持っている金の保有量で銀行の貸し出せる額が制限されたので、それが一定の安全装置になっていた。だが金本位制を廃止して金の裏付けで価値を保証する必要がなくなったから、もう通貨はタヌキが化かす木の葉みたいなもので、いくらでも刷れる、銀行が無制限にプリントできる。今アベノミクスと称して日銀がやっているのがこれです。むちゃくちゃ紙幣を刷ってる。刷ってるといっても事実上はコンピューターでちょんちょんとやっているだけですが。こんなことをやっていると紙幣は無限に紙切れに近づいていく。通貨という大事なもの自体が不良債権化してしまう危険があるわけです。通貨を金銀じゃなくて紙きれで代用するというのはある意味では合理的なことなのですが、やはり通貨には裏付けがないといけない。これはやばいということになると紙幣は一瞬のうちに紙切れになってしまいます。リーマン・ショック以来、世界にはもう信頼できる安全な銀行通貨はありません。

経済にブレーキをかける利子

それからなんといっても銀行マネーは利子つきの負債、借金のことなのです。この負債も経済が順調に発展成長をしている時には生産的な投資になりうる。それに見合った富を生産して利子つきでも返せるし、経済のアクセルになる。しかしこの利子とは何ですか。生産上の根拠が全くない金です。つまり銀行が独占的にマネーを管理し販売しているという特権から生ずる利得です。いわば関所の通行料のようなもので、まったく生産に関係ない金です。そして利子こそが銀行業を成立させている。ですから銀行が得ている収入は労働に対する報酬ではない。企業はブラック企業だって一応労働に対する報酬で存続していますが、銀行の場合は巨額の金を所有して動かしているという、たんなる所有に対する報酬です。 そして生産による根拠がない利子を返す金は生産以外のどこから出てくるのか。結局利子とは誰かにババ抜きでツケがまわって、負債を負債で返すことになるわけです。だから債務者本人ではなくてもツケがぐるぐるまわって誰かが銀行から借金してそれが利子の支払いに回るという構造になっているんです。

そして経済が不景気になり停滞してきても銀行はもう利子やめたなんて言いません。そうすると経済のなかで利払いという不生産的な部分が占める比率が異常に増えてくる。こうして銀行マネーはアクセルから一転してブレーキになる。銀行マネーによる全面制動がかかっているのが世界経済の現状です。とにかく負債はまだ経済に対してアクセルになる可能性がありますが、利子は順調な時にも余計な支払いで、不景気になると経済に対する決定的なブレーキになります。

銀行とは富裕層のためのもの

しかもですよ。

ここに企業Aがあって、そこに企業BやCが部品や原料を納めています。このBCがAに請求する代金にはこの両者が銀行に払う利子の分が上乗せされています。A自身も銀行への利払いを抱えている。そうするとAが作っている最終製品の価格にはA、B、Cの銀行への利払いがごっそり上乗せされています。ドイツのある研究によると平均して商品価格の半分が銀行への利払いです。

だから「俺は銀行に借金なんかない」なんて威張っている人だって商品を買うときには銀行に利子を払っているのです。それでは結局利子とは何なのか?我々も銀行を利便のために使っていますが、本当に銀行という制度で得しているのはやはりリッチ、金持ちです。何十億という資産があってそれを定期預金に預けておけば放っておいてもどんどん金が増えていきます。してみると銀行が仲介していますが、利子とは銀行そのものというよりは銀行の実際のスポンサーである富裕層のところに自動的に金が入る仕組みなのです。銀行とは富裕層が一般勤労国民から稼いだ金を吸い上げる仕組みにほかなりません。

1% vs 99%は経済の破局につながる

昔の産業革命時代の資本が足りない時代は、銀行がそういうことをやってもそれなりに経済発展に寄与した面はあります。しかし今みたいに経済が低成長、ゼロ成長の時代になっても銀行がひたすらリッチのために一般国民、プロレタリアートだけじゃなくて99%の一般国民から金を吸い上げて1%の富裕層の懐を増やしていることは経済の破局につながります。今の世界経済の問題はこれに集約されます。だから1%と99%という言葉が広まっています。一般国民は銀行に利子と負債で金を吸い取られて、給与のほうはA+Bの問題で相対的に減る一方ということになったらどこの国でも負債デフレが発生し経済は恐慌に行き着きます。

我々にとっては負債を負債で返す債務奴隷にされるのはたまらないことですが、富裕層にとっては、これは金が金を生むトリックです。定期預金を10億円預ければ何もしなくても金が金を生む。しかもその結果として生産と消費の均衡が狂って経済が破綻する。ほんとうは豊かな国のはずがホームレスはいるは、非正規雇用で若い人には希望がないは、という社会になってしまう。

このように企業経済に内在するA+Bの問題、そして銀行経済が孕む一連の問題があります。この2つは経済システムの構造的欠陥として是正する必要がある。これは資本主義の打倒といったことではなく、国民的合意に基づくシステムの再設計、リセットが必要ということです。どういう解決策があるかというと、

解決策はベーシックインカムと政府通貨

A+Bの問題に対する解決策はベーシックインカム。銀行マネーに関する解決策は政府通貨ないし公共通貨ということになります。

このどちらも生産と消費の均衡を回復させるための政策といえます。経済学用語でいえば、マクロ経済のフローの次元で生産と消費を均衡させるための政策です。放置したままでは不均衡がひどくなるばかりだから政策によって均衡を実現する必要があるということです。ベーシックインカムをやればすべての国民が月8万~10万円ぐらいを一律無条件に生涯にわたって支給される。当然これは福祉効果を持ちますけれども、これは結果であってベーシックインカムは福祉政策ではありません。政策上の狙いはあくまで生産と消費をマクロで均衡させることです。

公益事業として通貨を発行する国家信用局

政府通貨の発行とは、銀行が私企業のソロバン勘定で通貨をコントロールすることを止めさせることです。その代わりに国家機関が公益事業として通貨を発行し管理する。水道や電気と同じように社会生活に必要不可欠な公共インフラとして通貨を供給する。利子付き負債の銀行マネーではない経済循環を円滑に促進するための通貨を企業と国民に供給する。企業に融資された通貨は一応回収されますが、これは銀行の借金取立てではありません。通貨の過剰供給でインフレが発生するのを予防するための措置です。ですから返済の時期や条件については柔軟で交渉が可能です。今は国民経済計算というものがあって、生産消費所得投資といった経済の諸要素を統計的に把握できますから、それから生産と消費を均衡させるのに必要な通貨の総量を算定できます。その量の通貨を発行すればいい。具体的にいうと、国家信用局という国家機関を設立します。この国家信用局が毎年四半期ごとに国民経済計算に基づいて必要な量の通貨を発行し企業と国民に供給します。それと同時に以前に発行して経済循環の中で役割を終えた通貨を回収します。

この国家信用局の仕事はテクニカルなものです。必要な通貨量を算定して供給し、御用済みの通過を回収するという純粋にテクニカルな仕事です。言ってみれば気象庁が気象を観測して天気予報を出しているのと同じような業務であり、政府や政治家や官僚が手出しできるようなものではありません。

地方自治体の融資協議会が政府通貨融資を管理する

ベーシックインカムの話は後にします。まず政府通貨の話ですけれども、国家信用局は具体的にはどのように仕事をしたらいいのか。ベーシックインカムの支給は簡単です。毎月すべての国民の銀行口座に自動振り込みをすればいい。問題は政府通貨の企業への融資です。どこの企業だって利子が付かず負債にならない融資だったら喉から手が出るほど欲しいでしょう。そうなると利権や情実が絡んできたり、また場合によっては市場から退場すべき企業に融資して延命させてしまう、そういう問題が起きる恐れがあります。

この問題についての私の考えですが、自治体の首長が管轄し、自治体の職員、市民と議会の代表および金融専門家の四者で構成する融資協議会を作ったらどうか。そして企業から申請があった融資案件を四者で審査して、公共的意義が認められた企業に政府通貨を融資する。

今の日本でいうと、例えば東北被災地の復興に関係している企業に優先融資するといったことです。こういう形でやれば政府通貨の融資で、利権がらみのスキャンダルが起きる恐れはかなりなくなるのではないか。ただそうなると、政府通貨をすべての企業に融資するわけにはいかない。それから特定のマニア向けのビジネスをやっている企業に政府通貨を融資するわけにはいかないでしょう。それに政府通貨の融資はあくまで生産と消費を均衡させるための措置です。ですから生産部門ではない流通業や金融業はそもそも融資の対象にはなりません。

イスラム銀行 ―― 投資の民主化に学ぶ

そうすると仮に銀行マネーを政府通貨によって廃止したとしても、民間の資金需要を満たす民間金融は必要です。では民間金融はどういう形にしたらいいか。そこで利子のつかない民間金融としてイスラム銀行が参考になるのではないか。 イスラム世界ではコーランが利子を禁止しているので、イスラム銀行は基本的に融資の際の手数料で食っています。そして融資先の企業とはパートナーシップの関係をとります。企業が成功して収益を上げたら企業と銀行で収益を分ける。その分ける比率は企業2:銀行1です。企業が失敗したら銀行もリスクをかぶる。これが本当の市場経済なんじゃありませんか?今の銀行みたいに企業が失敗したらその資産を差し押さえにかかる。銀行自身が失敗したら税金で救ってもらえる。こんなもの市場経済じゃありません。ただの銭ゲバ経済ですよ。

そしてイスラムでは預金者と銀行の関係もやはりパートナーシップの関係です。銀行の業績が順調に伸びた場合、イスラム銀行は利子じゃなくて業績に見合った配当を預金者に払います。この場合は銀行2:預金者1の比率です。これ面白いですね。こうなると、どこの銀行に預金するかで配当が違ってくる。今我々は銀行が我々が預けた金をどう使っているのか全然知らなくて、暴力団に融資していたというニュースを聞いてびっくりしたりする。

イスラム銀行参考図

イスラム方式にすると自分の預けた銀行がどこに融資しているのか誰もが関心を持つようになる。配当が違ってきますから。そうなると預金それ自体が投資の性格を持ちます。これはいいことです。資本主義経済の一番の問題は、余剰資金がある富裕層が自分のソロバン勘定だけで投資をしていて、それが社会と経済に様々なひずみをもたらしていることです。イスラム方式でやれば、すべての預金者は自分の銀行がどういう融資をしているかに関心を持ちますから、投資の民主化になります。ちなみにイスラム銀行は聖職者の監査の下にあり、例えばギャンブル、他の銀行、兵器産業などへの融資は禁止されています。

しかも今の日本でもイスラム型銀行はすぐに作れます。政府通貨やベーシックインカムが実現していなくてもイスラム銀行を作ることは明日にでも可能です。資本金がちょっとあれば。そうしたらイスラム銀行に預金者が殺到するんじゃないですか?

政府通貨で実行すべき国家プロジェクトとは

政府通貨の話に戻りますが、仮に日本で政府通貨発行に踏み切るとする。今の日本には大体20兆~30兆といわれる需給ギャップ、デフレギャップがあります。だから膨大な額の政府通貨を発行してもインフレにはなりません。それなら、日本再生のためにこの際一連の国家的プロジェクトをやって、それに政府通貨を集中的に投下すべきです。

そういうプロジェクトとしては、まず第一に、東北被災地の復興です。第二に電力の問題。地域電力独占はみんな経営的にはゾンビ状態でいずれみんな潰れますよ。ですから電事連体制に代わる全国的な電力供給体制の新たな構築が必要です。これは大規模なプロジェクトで私企業の手におえるものではありません。これも国家プロジェクトとしてやる。同時に54基の今ある原発を廃炉にしなければいけない。原発を廃炉にするには膨大なコストがかかりこれも私企業ではできません。だから国家プロジェクトとしてやる。これはまた廃炉で原発関係の交付金を失う原発立地自治体に対する地域振興策にもなります。

それから高度成長期に作られたインフラが今一斉に寿命が来ています。その建て替えと補強が必要です。これにも政府通貨を投下する。さらに予測されている南海トラフ地震対する全国的な防災体制の構築というプロジェクト。あと一つ出来ればやりたいのは、日本の食糧自給率を70%にまで回復させるプロジェクトです。こういう一連の国家プロジェクトは政府通貨でないとできないでしょう。

政治的には劇薬という政府通貨の問題点

政府通貨の発行は資本主義の構造的欠陥から生じた経済危機に対する経済的特効薬であることはすでに歴史によって証明されています。戦前の日本とドイツの金融政策がその例です。しかし政府通貨は経済的には特効薬でも政治的には劇薬なんです。というのは政府通貨を議会制の枠内でやると政権与党の利権ばら撒きに使われて経済は滅茶苦茶なことになるからです。

戦前の日本とドイツでは高橋是清とドイツのライヒスバンク総裁のヒャルマール・シャハトが事実上の政府通貨発行をやりました。高橋の場合は日銀の国債直接引きうけ、ヒャルマール・シャハトの場合は労働財務証書という形で事実上の政府通貨を発行した。ドイツは、これでワイマール期のハイパーインフレでボロボロになったドイツ経済を3年間でヨーロッパ最強の経済に立て直し、完全雇用も実現しました。だからドイツ人はナチスをあれほど支持したんです。

高橋とシャハトは議会の雑音を排除して金融独裁という形でやったわけです。

高橋の場合はカリスマだったし、シャハトの場合はヒトラーから金融改革の全権を委任されていました。そういう形で二人とも金融独裁でやったから政府通貨の使い道も彼らの胸先三寸でした。これはアウトバーン建設に使うとかこれは東北の農村の振興に使うとか。

その結果、金融独裁の問題が出てきた。シャハトも高橋も金融実務家として政府通貨を軍拡に使うことにはインフレになるとして反対しました。そのために高橋は2.26で軍人に暗殺され、シャハトも最後は強制収容所に入れられました。

結局二人は金融独裁という形で軍国主義に都合のいいシステムを作ってしまった。このように政府通貨を議会政治の枠内でやると利権ばらまきで滅茶苦茶なことになるし、金融独裁でやるとファシズムになってしまう。

政府通貨を皇室券として発行する

それではどうしたらいいのか、議会制でもダメだし独裁制でもダメです。このジレンマを超越して政府通貨を実現する方途はないものでしょうか。そこで私の考えを申し上げます。

日本には皇室という政治を超越した権威があります。また現行の日本国憲法でも天皇は「国民統合の象徴」とされています。それなら日本国通貨の発行権は基本的に皇室にあるとしたらどうか。皇室直属の国家信用局を作って政府通貨を皇室券として発行する。皇室券でベーシックインカムの支給と企業への融資を実施する。天皇制国家主義みたいなことを言ってるわけじゃないですよ。これは政府通貨を立憲主義的に実現するための方策です。皇室は政治を超越した権威なのだから皇室が発行した通貨ならば国会も官庁も干渉できない政府通貨の非政治的な運営が可能になるということです。

そして国家信用局は永田町と霞が関の干渉を避けるために皇室の本来の所在地である京都に置きます。この仁和寺の一角を借りてもいいと思います。政府通貨は皇室の通貨、俗なる地の通貨ではなく天の通貨ですから、議会政治家や役人が汚い手を出すことはできません。そして国家信用局が皇室直属ということは、ひとえに「国民統合」の原則に忠実に業務を遂行するということです。今上天皇はああいうお人柄ですから「国民の幸福のためなら」ということでおそらくこの政策を了承されるだろうと思います。これは天皇の政治利用ということではなく、反対に皇室の非政治性を深く尊重した政策です。日本には先述した政府通貨をめぐるジレンマに対して皇室という切り札があるのです。

皇室券と日銀券の関係

ただこうなると、二重通貨という問題が起きてくる。世間に皇室券と日銀券という二つの通貨が出回って混乱が起きる可能性がある。この二つの通貨の間に相場の違いが生じてくるという問題です。どうしたらいいか。これについて私は東西ドイツ再統一の際の西ドイツのコール政権の政策が参考になると思います。 ドイツは東西分断時代も東西共にマルクを使っていたのですが、東西の経済力の差を反映して相場にはかなりの差がありました。ベルリンの壁崩壊当時にはその差は1:10にまで広がっていました。

ところが西ドイツのコール政権は、ドイツマルクと東のオストマルクを1:1の相場で交換すると決めました。これは当然西ドイツが損をして、そのツケは西ドイツの納税者に回りますが、コール政権はこれをドイツ再統一のコストとして割り切ったのです。

おかげでドイツは経済的混乱なしに再統一できました。日本の場合は分断国家じゃないから重大な問題は生じない。三年なら三年と期間を区切ってその期間は皇室券と日銀券は1:1で交換すると法で決めればいい。法定通貨だからそういうことができる。その間に何が起きるのかは大体予想がつきます。当然、ベーシックインカムの支給に使われている皇室券のほうが信用が高いから。この三年の間に大抵の人が手持ちの日銀券を皇室券に交換してしまうでしょう。

政府通貨発行で国家負債もなくなる

そうなると日銀券で預金する人もいなくなる。こうして三年の間に日銀は市場原理による自然淘汰の形で野垂れ死にすると思います。では銀行業界はどうなるか。今の大手都市銀行の主要資産は日本国債です。ですから銀行は相場が1;1の間に手持ちの厖大な日本国債を売って皇室券に換えようとするでしょう。しかし日銀券建ての国債なんてもう買う人いませんよ。そうなると主要資産が紙切れになってしまうのですから、大手都市銀行は軒並み倒産すると思います。大手銀行が軒並み倒産すると、国債の償還を請求する法的主体が消滅するわけですから日本国家の天文学的負債はチャラになる、自動消滅します。

国債みたいなやばいものを買ったのは金融機関の自己責任なんですから、これは仕方ないですね。そしてこれは市場の判断なのですから政府に責任はありません。その後は国家信用局が生産と供給が均衡する量の通貨を社会に供給するというテクニカルな仕事があるだけです。

次に政府通貨を発行した場合に税制とか福祉とか貿易とかがどうなるかという問題がありますが、そこにまで踏み込むとちょっと時間をとりますので今日は端折ります。基本的には政策を間違わなければとくに問題は生じないということです。ただ、政府通貨は主権国家の国民経済を前提にしています。無国籍なグローバリゼーションにはなじみません。だから資本の国際移動に対する規制は必要でしょう。それから貿易に関してはある程度の保護主義も必要です。ベーシックインカムを支給してもそれが百円ショップで中国製の安物を買うのに使われたのではどうしようもない。

ベーシックインカムの社会的効果 ―― 労働力の流動化、少子化問題、都市人口集中、教育、女性の権利、起業

そこでベーシックインカムの話になりますが、これで生産と消費の均衡が一気に回復することは間違いありません。その結果、デフレが終わるので失業や倒産も大幅に減るでしょう。

それだけではない。ベーシックインカムには様々な社会的効果もあるはずです。

まず労働力の流動化です。現状では経営者は簡単に従業員をレイオフできない。労働者の方も会社を辞めたくても辞められない。会社にしがみついているしかない。労使双方が身動き出来ない。これがベーシックインカムで最小限の生活資金が確保できるとなったら労働力は一気に流動化します。企業が労働者を簡単に解雇できるように法を改定するといった不人情なことをしなくても、ベーシックインカムがあれば労働力は流動化します。

それから少子化問題。私は長期的には人口の減少は望ましいという立場ですが、急激な人口の減少は好ましくないし、若い人たちが経済的事情によって結婚できないのは悲劇です。しかしベーシックインカムがあれば、仮に月8万とすると二人で所帯を持つと16万、子供ができて子供には半額の4万で計20万になる。最低20万は入ってくる。かりに後はアルバイト収入しかない場合でも、これで所帯を持てるんじゃないでしょうか。金額自体は少なくても生涯にわたる固定収入があれば生活設計が容易になります。少子化対策としてはベーシックインカムしかないと思います。

それから今の日本の根本問題は大都市への人口の集中、特に首都圏への人口の集中だと思います。これがベーシックインカムが支給されると月8万か10万でも物価の安い地方に行けばそれだけ使い出があるというので都会から地方に移住する人が増えると思います。

さしあたりベーシックインカムがあれば地方にすぐ職がなくても移住に不安はない。地方に移住してから職をぼちぼち探すなり自分で起業するなりすればいいわけで、ベーシックインカムは大都市に集中した人口を全国的に均しく分散させる可能性を秘めています。実際大都会のサラリーマンで地方に住みたいとか農業をやりたいという人はかなりいるわけで、そういう人は夢がかないます。

それから、教育の問題。今の日本で猫も杓子も大学に行こうとするのは学問が好きだからではなくて将来の経済的保証を求めるからです。だから生涯にわたってベーシックインカムが保証されるとなったら教育の在り方ががらりと変わるはずです。学歴の肩書きを付けるために大学に進学するより技能が身に付く専門学校に行こうという人が増えるでしょう。さらに中学高校を出たらまず社会人になって、社会の中で自分のやりたいことを改めて見つけたらその時大学に入って専門の勉強をする、それが普通になるでしょう。大学は社会人入学が中心になることが望ましい。今のように、受験秀才がそのまま大学にはいって社会常識に欠けた専門家になるのは大変問題です。教育改革でいくら議論を重ねても日本の教育問題の根本は所得の問題だからどうしようもない。ベーシックインカムを実施しないかぎり教育の問題は解決しません。

それから女性の権利の問題。女性に経済的なハンディキャップがあることは間違いがありません。最近は女性も企業戦士になってバリバリ働くことが女性解放だ、みたいな説を聞くんですが、こういう話を聞くと戦時中の女学生の女子挺身隊を連想してしまいます。専業主婦をするか、キャリアウーマンになるか、それとも無理なく職業と家庭を両立させるか、女性には多様な選択があってしかるべきです。ベーシックインカムは女性の選択を多様化するのではないか。また経済的事情で暴力亭主と離婚できないといった話は激減すると思います

そして現代は大企業といえども明日はどうなるかわからない時代です。これからは大企業で組織の歯車になって働くより自分で小さい企業でも起こそうという人が増えていくと思います。環境保護のためにも企業規模のスケールダウンでそういう草の根企業が増えることが望ましい。ベーシックインカムがあれば起業に失敗しても食い詰める心配はないわけですから起業に不安がなくなります。日本の経済をサラリーマン経済から起業型経済にするためにもベーシックインカムは極めて有効です。

ベーシックインカムの社会的効果 ―― 労働と余暇、年金制度

それから最後に労働と余暇の問題。労働と余暇は、人間の生涯にわたってバランスの取れたものであるべきです。ところが今の年金制度は産業主義的な制度で、若いうちはガムシャラに働いて歳をとったら産業廃棄物となって国に管理されてぶらぶらしておれ、そしてなるべく早く死んでくれという制度です。これはおかしい。人生観としておかしい。若い人にだって勉強や遊びのための余暇は必要です。ベーシックインカムには労働と余暇のバランスを回復させるという効果もあると思います。

年金制度に関しては、日本の年金制度はもう完全に破綻していて、若い世代ではどうせ年金はもらえないだろうと年金を納めていない人が多いですね。年金制度は所詮人間を労働資源としか見ていない制度なのです。それよりも定年制などやめて、誰もが生涯現役で働けるように職場や産業の在り方を変えていくべきではないか。

以上述べましたように、政府通貨とベーシックインカムは、日本という国をリセットしてがらりと変えることになるでしょう。繰り返しますが、経済の根本問題は生産と消費の均衡であり、その点で政府通貨とベーシックインカムには論理的なつながりがあります。だからベーシックインカムは福祉政策ではない。税収を財源にしてではベーシックインカムの実現は不可能だから政府通貨でやろうということでもありません。この両者は論理的にワンセットの政策であることをご理解いただきたい。

政府通貨とベーシックインカムの思想的根拠

もちろん政府通貨によるベーシックインカムが実現したからといってこの世が天国やユートピアになるわけではありません。

しかし現在の銀行の銀行による銀行のための経済というものはなくなります。現状では経済は銀行のために動いている。経済は問答無用で銀行のためにあるのだから、いったい経済生活は何のためにあるのか、我々は何のために働いているのか、そういうことを議論したってナンセンスなことになる。ところが経済的市民権が保障され、経済の在り方が国民の世論を反映するようになってくると、経済活動の目的は何か、私たちはなんのために働くのか、そういうことが問題になってくるでしょう。経済を動かす価値観、人生観、労働観、そういうものが明確にならないともう経済の運営はできません。政府通貨とベーシックインカムには、たんなる経済的合理性を超えた思想的根拠が要請されるのです。

これから申し上げますように、各社会の労働観は民族の宗教的伝統に深く影響されています。そして宗教的伝統ということでは、日本はやはり神道と仏教の国です。

政府通貨とベーシックインカムによる日本経済は仏教の精神で運営

それならば日本の経済は仏教の精神で運営されるのが望ましいのではないか、日本の伝統を考えるならば仏教の教えが日本の経済の在り方にかなっているのではないか。もちろん信仰の自由は尊重されるべきで、キリスト教徒の排除などありえません。経済全体の在り方として仏教の精神が運営の指針になるということです。そこでそうした指針になる仏教経済学についてこれから話をさせていただきます。ただ皆さんは仏教経済学という言葉には突飛な印象を持たれるかもしれません。袈裟をまとったお坊さんと経済学は結びつかない。ところがこれは私が作った言葉ではありません。1970年代に出た今読んでもきわめて意義深い「スモール・イズ・ビューティフル」Small is beautifulという名著があります。エルンスト・シューマッハーという人が書いた本ですが、これは図書館にも大抵あります。この本の第三章の題が「仏教経済学」なんです。これから申し上げることも基本的にこの本の中でシューマッハーが言っていることに私がいわば補足し敷衍したものです。そういう意味では全く突飛なことを申し上げているわけではありません。

「経営」という言葉は仏教から

講演会会場の仁和寺

講演会会場の仁和寺

仏教経済学がさほど突飛なものではないとことの例をもうひとつ出すと、経営という言葉がありますね。経団連なんてものがあるから「経営」はゴリゴリの資本主義的なビジネス用語だと思われています。だがこの経営という言葉は日本で最初にどこで使われたか皆さんご存じですか。それは源氏物語の中です。源氏物語の夕顔の章の中で「世話を焼く」とか「育てる」という意味で使われています。

だから経営者は本来「人を育てる者」を意味するはずなんです。そして紫式部がどこからこの経営という言葉を持ってきたかというと、これは仏教の経典からですね。経営は元々仏教用語なのです。ですから仏教経済学はそれほど突飛なものではない。聞いてみればなるほどというようなものなんです。シューマッハーは先ほどの本の中でどういう議論をしているかというと、基本的に欧米の経済学者と仏教徒の考え方の違いを対比して論じています。彼ははっきりとは言っていませんが、要するに欧米の経済学者は餓鬼なので、経済学の名で餓鬼道に堕ちた世界を論じている、そういうことです。

さらにシューマッハーが言うには、仏教には八正道という基本的な徳目がある。

この中の一つに正業(しょうごう)という徳目があります。これは浄らかな正しい生き方をということです。仏教にはこういう生活の指針が含まれているのだから、もともと仏教には経済思想があるということです。このようにシューマッハーは生き方として仏教経済学を論じています。私もそうなので、大乗仏教の色即是空の教義から経済理論を作るとか、そういうことを言っているわけではありません。

そして日本では「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という平家物語の出だしを知らない人はいないでしょう。また田舎道を歩いていてお地蔵さんに出会ったら何かほっとした気持ちになる。そういう日本人の感性に染みこんでいる仏教、特定の教義ではない仏教的感性、それを大事にしたいのです。経済を運営するときにそれを基本的な姿勢にしたいのです。

仏教は道として極める仏道のこと

ただ私も戦後世代の例にもれず長いこと仏教というものを誤解していました。 偏見を持っていたわけではないけれど誤解していました。誤解の原因になったのは「仏教」という言葉です。この仏教という言葉は明治になってキリスト教を意識して使われるようになったもので、この言葉のせいで仏教はキリスト教と同じような意味での宗教なんだろうと考えていました。そう考えると色々おかしなことがあるので、理解に苦しんでいたことがありました。ところが明治以前は仏教じゃなくて仏道と言ったんです。仏教というのは信じるというよりは道として修めるとか極めるものなのです。このことが分からなかったから誤解してしまった。

私は西洋思想史は多少かじっていますが仏教には素人です。そんな私が仁和寺で仏教の話をするなど畏れおおいことですが、皆さんに仏教経済学についてイメージを持っていただく必要があるので、また今時の日本人によくある仏教に対する誤解や偏見を正すということも含めて、あえて知ったかぶりで西洋思想史をやってきた人間から見た仏教ということでお話しをさせていただきます。

仏教は宗教というより精神療法

では仏教とは何か。人間も動物も病気をしますが、人間だけがノイローゼやうつ病になったり精神病になったりします。仏教はこのことと深く関係しているように思います。だからあえて乱暴な言い方をすると、仏教は宗教というよりも精神療法といったほうがわかりやすい。実際チベットのダライ・ラマは神経生理学に非常に詳しいそうです。もっとも精神療法といっても仏教の場合は倫理学や美学も含む広い意味での療法ですが、精神療法と考えるとわかりやすい。そして釈迦という人は、宗教家というよりもむしろ宗教と闘った人だと思います。とくに世界は神が創造したとしてそれでカースト制度を正当化しているバラモン教と戦いました。

また釈迦の時代にはインドは都市や商業が発達して社会が複雑化してきて色々な新しい宗教が現れた。そういう宗教に惑わされる人も増えてきた。釈迦はそういう状況を見て憂うるところがあった。といっても宗教は迷信で唯物論が真理だといった単細胞なことは言いませんでした。いろいろな宗教を調べてみて、そうした宗教は出来そこないの精神療法だという結論に達した。そこで現実に根差し、人間と世界の観察に基づいた知的に洗練された精神療法を編み出した。それが仏陀の教えではなかったか。僧侶の方からは異論があるかもしれませんが、私としてはそう考えています。

仏教は決断の宗教

この釈迦という人、もともとは今はネパールになっている北インドのカビラヴァットゥ王国のゴータマという王子でした。王子ですから召使に囲まれて何不自由なく暮らし、将来は国王になって富と権力の座を極めるはずでした。ところが知性と感性が極めて優れた人だったので、二十代にして富と権力は人間を苦しみ、迷い、病気や死の不安から守ってくれないことを悟った。それで富と権力が約束されている将来の国王の座を捨てました。仏教という宗教は坐禅を組んで瞑想しているといった静的イメージがあるのですが、仏教のすべては、富と権力の座を捨てたゴータマ王子のこの決断の上に成立しています。仏教は決断の宗教です。

苦の問題の解決に知性の総力を挙げる

そして釈迦はすべてを捨てて森の中に入り6年にわたり死んでもおかしくないような激しい苦行をした。その苦行の末の釈迦の結論は、苦行は人間を解放しないということでした。そして森の中から出てきた釈迦は、村娘のスジャータが差し出したミルク粥を飲んで生き返った思いがした。だから仏教の根本には生きる喜びがあるのです。ところが仏教はネクラな厭世的な思想だと思われている。

釈迦は医王と呼ばれることがあります。医者の王様ということです。また釈迦は対機説法といって、相手の性格や境遇を見てそれに合わせて説法をします。これはお医者さんが患者さんの症状に合わせて薬を処方するのと同じです。このように仏教は医療に重なるところが多い。つまり仏教的な考え方からすると、喜びや楽しみはそのまま素直に味わえばいい。しかし苦しみや迷いや不安に対しては人間は知性の総力を挙げて取り組み解決する必要があると考えます。

だから仏教は四苦八苦とか一切皆苦とか言うのです。これは別に厭世的なわけではない。病気の話ばかりするからといってお医者さんはネクラな人間ではないでしょう。それと同じです。あくまで苦の問題にこそ知性を集中させるべきだ。楽しいこと、うれしいことについては屁理屈をこねる必要はない。そういうことだと思います。

徹底的に実践的な仏教

それから仏教は徹底的に実践的な教えです。ヨーロッパの形而上学みたいな要素は全然ありません。釈迦にある弟子が、「この世界は有限なのか無限なのか、死後の世界は存在するのか」といった質問をした。釈迦はそれに一切答えなかった。そして「私には人が現に抱えている苦しみを解決することが大事なのだ。」と答えたそうです。

仏教の各宗派には複雑精妙な教義があります。だが教義は解脱の境地に達するための乗り物で、目的地に着いたら乗り物は捨てられます。だから仏教は教義中心の宗教ではありません。また仏教では宗派間で教義の違いを巡って血みどろの宗教戦争が起こったということもありません。

それから時々仏教は宗教というよりも哲学ではないかという意見を目にしますが、哲学は頭で理解するものです。だが仏教は身体のトレーニングを伴います。何らかの身体のトレーニングをしない仏教徒は考えられません。こういう点では仏教は、あくまで実践的な成果を上げることを課題にしている教えです。

欧米の労働観は、奴隷制と神罰に由来する

そして日本人は仏教の教義の精密なところは理解していなくてもその伝統に漠然と影響を受けてきました。それでは神道や仏教の伝統は日本人の労働観にどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。

経済とはなんですか? 経済とは煎じ詰めれば労働ということです。動物はそこらへんに転がっているものを食べていればいいけれど、人間はどうしても働いて食うしかない。それが経済ということです。しかも人間の労働観は民族の文化によって大きく異なり、それには宗教的伝統の影響が決定的なのです。このことに経済学者は全然気が付いていないのですが、私のように西洋思想史をやった人間から見るとそうなんです。

ヨーロッパ人の労働観を形成した一つに古代ローマの奴隷制の遺産があります。ローマでは奴隷は物言う道具といわれ人格のない道具として扱われました。もう一つは聖書の遺産で、アダムとイブが禁断の木の実を食べて原罪を犯し楽園から追放されて(注)、それ以来人間は額に汗して働かざるをえなくなった。神罰としての労働ということです。ローマの奴隷制の遺産とキリスト教の神罰としての労働。

これが欧米の労働観の根本にあります。古代にローマ帝国が滅亡した後、この古代の遺産は西ヨーロッパ各地の修道院に保存されて、修道院が新たなヨーロッパ文明を形成する核になります。修道院から新しい文化が生まれ、それがヨーロッパ文明を作っていきます。その中で代表的だったのがベネディクト派の修道院です。このベネディクト派の修道院においてローマの奴隷労働とキリスト教の神罰としての労働という二つの遺産が融合しました。それが欧米の労働観の原型になった。

ベネディクト派の修道院には「労働は祈りなり」ラボラーレ・エスト・オラーレという標語がありました。これは、人間は神の道具として奴隷のように働くべしということです。ベネディクト派の修道士は、ローマのように人間の主人に仕えるのではなく神が主人の奴隷になった。キリスト教では神を「主よ」と言います。キリスト教では神と人間と関係は主人と奴隷の関係です。その神に奴隷として奉仕することが労働です。

だから労働とは一種の苦行で、苦しみに耐えてこそ価値があるということになる。苦しい労働を禁欲的にやる、そのように奉仕してこそ神に褒められる。

労働が作業量として計測されるだけのヨーロッパ的労働観

それゆえにヨーロッパ的労働観では、労働は純然たる作業量のことです。たんなる作業量として測られる、つまり時間単位で測られる。均一の作業量で何時間働いた、何日働いたという形で測られる。だからヨーロッパ的労働の代償はラテン語に由来するサラリーで、日給とか月給とかで払われる。サラリーマンの原型は古代ローマの奴隷なんです。

労働とは苦痛に満ちた非人格的で量的に測られる作業にすぎない。そういう発想があるから、ヨーロッパは機械が発明されてもそれで労働を楽にすることはなく、今度は人間を機械の奴隷にしてしまった。機械によってヨーロッパ的な奴隷労働をむしろ拡大したといってもいい。機械のせいで人間はますます忙しく奴隷のように働くことになった。

そうなると労働なんて奴隷がやることなんだからと、他方で働かないで豪勢に贅沢できる奴がかっこよくて賢い、真面目にコツコツ働くやつは馬鹿だという風潮が生まれてくる。それが昔も今も欧米の上流階級の気風です。働かないで金をがっぽり儲けてえらい贅沢ができる。そういう人間であることをひけらかす伝統が欧米にはあります。儒教の中国にも似た伝統があります。帝政中国のエリート官僚は働かなくていい身分であることを誇示するために爪をやたらに伸ばしていました。世界的に見れば上流階級が働かないで贅沢できる身分であることをひけらかす伝統の方がむしろ主流でしょう。今のアメリカの金持ちなんかも似たようなものですね。

日本では労働はたましいのはたらき

だが日本ではどうでしょう。日本ではまじめにコツコツ働く人が評価され、尊敬されるのではないでしょうか。

この国では、食うために仕方なくやっているんだというのでぞんざいな仕事をするような人間は軽蔑されます。だから日本人は世間があまり高く評価しない仕事でも概してきちんとまじめにやります。それから日本の上流階級にも働かないで贅沢できる身分であることをひけらかす伝統はなかったと思います。

京都のお公家さんだってみんな芸事のお師匠さんなんかをやっていたんで、ぶらぶらしていたわけではない。天皇も質素な暮らしをして儀式だの詩歌や学問の勉強で忙しかった。そして日本では賃金と労働条件が少しいいというだけでポンポン職場を変える人は今も少ないんじゃないでしょうか。むしろ経営者の方はそういう人が出てくるのを待っているのかもしれませんが。ヨーロッパ的ないしは中国的な労働観だととにかく労働は苦痛にすぎない。経営者にしてみれば労働はできるだけ切り詰めたい費用にすぎない。できれば完全にオートメ化してゼロにしたいコストに過ぎない。

労働者も仕方ないから苦痛に耐えて働いている。苦痛に耐えた代償として賃金をもらっている。だから労働者の方も少しでも楽をすることしか考えない。欧米や中国の労働観だとそういう風になりやすい。ところが日本の場合はちょっと違うのではないか。まず日本には神道の伝統がありますから。物にもたましいが宿ると考える。だから労働も単なる物質的必要を満たすための物質的活動と考えない。労働もたましいの働きと考える。日本人にはそういうところがあります。

ベーシックインカムによって西洋的労働観から解放する

もう一つは仏教の影響で、労働を修行とか精進と考える傾向があります。労働することは人格的修養であると考える。労働することによって人は自分を成長させることができる。自分中心じゃない社会人に成長する。言葉でなく毎日の労働で人としての在り方を身に着ける。日本人にとって労働は社会倫理の実践なのです。

だからこそ日本人にとっては失業は大問題なのです。経済的に苦しいのどうのという以前に人間失格の危機ですから。日本人には報酬以上にとにかく仕事があるということが大事なんじゃないでしょうか。このように日本人の労働観は神道と仏教の影響なしには考えられません。

私がベーシックインカムを推進するのも、日本人を西洋的キリスト教的労働観から解放したいからです。日本人はもともと凝り性の職人気質の民族でね、日本経済はそういう日本人の気質に合ったものであるべきです。労働は苦痛に満ちた奴隷労働だからできるだけやりたくないという欧米的および儒教的な発想は日本人には馴染みません。もっとも経営者や経済学者の中には欧米崇拝で日本人はまだ奴隷の自覚が足りない、奴隷になり切れてないと怒っている人もいますけれどね。政府通貨によるベーシックインカムが実現したら働くことの意義、経済活動の目的ということが改めて問題になってくるだろうと言いましたが、そういう意味では、こっちに物質的経済があり、こっちに精神的文化があるという二元論はもう通用しなくなってくる。経済が民主化されたら経済自体が文化活動になってきます。そうなると日本の神道や仏教の伝統が新たな意味をもってくるだろうということです。そしてシューマッハーは、仏教経済学の二原則は非暴力と簡素さ、シンプリシティだといっています。

慈悲と簡素さ

非暴力とは仏教用語でいえば慈悲ですね。この仏教の慈悲というのはたんなる感情でもないしいわゆる愛他主義のことでもない。むしろ利己主義か愛他主義かという議論は偽の議論だという思想だと思います。この世のすべてのことは相互に密接につながっているのだから、他人や動植物や自然に対して無慈悲にふるまう人間は、結局最後には自分自身に対して無慈悲に振る舞うことになる。そういう認識であり、そういう認識から生まれてくる感情だと思います。だから人に冷たい仕打ちをすれば、最後にはそれが自分に跳ね返ってくる。経済はそういう認識に立って運営されるべきだということです。

それから簡素さということですが、これは何も仙人みたいに禁欲的な生活をしろということじゃない。そうじゃなくてやはり正業ということですから、人生をよく生きるために邪魔になるもの、足手まといになる余計なものは整理しろ、場合によっては捨てろということです。釈迦のようにすべてを捨てて森の中に入る必要まではありませんが。

経済活動の目的は心の平安

仏教の視点では、富はやたらにあっても余りに少なくても困るものなんです。たとえば貧乏はなぜいけないのか?贅沢ができないからでしょうか。そうじゃないでしょう。貧乏であるということはたえず不安に苛まれ、社会的に屈辱的な思いをするという心をかき乱される体験です。もちろん極度に貧乏していれば健康も害しますけれどね。なにより貧乏とは心をかき乱し人間を貧しくする体験です。だから貧乏は良くない。

しかし、富裕であるということも心を乱す。富裕であれば財産の管理に神経をすり減らし、それなりにストレスや不安で一杯で財産を管理するために生きているようなことになってしまう。財産に執着して人間が見えなくなってくる。おまけにいかがわしい人物がすり寄ってくる。これはこれで心をかき乱される体験です。極端な貧困と極端な富裕は共に人間の心をかき乱す。貧富の差は、あってもそこそこのものでなくてはならない。これを仏教経済学の言葉で言うなら中道ということでしょう。そして経済活動の目的は物質的なものではなく一定の心の状態を実現することにある。あまりにも貧困で技術も未発達だと、人々は生存競争で生き延びることに必死になる。しかしある程度衣食住が充たされたら経済活動によって実現さるべき究極的な心の状態とはどんなものかが問題になってきます。簡素さという仏教経済学の原則からすれば、それは静かな喜びを伴った心の平安ということになるでしょう。

そして日常的に経済活動をしながらそういう心の平安を達成する、そういう経済を考えるべきなのです。これはそんな突飛なことではないはずです。表面的にはせっせと活動し忙しく働きながら心の中は不思議な平安が支配している、そういう体験をしたことがある人は少なくないでしょう。

仏教経済学の指針のもとでの投資や商業活動のありかた

仏教経済学を指針とする経済は、別に停滞した眠ったような経済ではありません。そこには相変わらず企業があり、労働や投資や商業活動があります。こま鼠のようにあくせく働く必要はないスローな経済ではあるかもしれませんが。しかし仏教徒が修行の成果として涅槃に近づくように、経済活動の終着点は心の平安であるべきなのです。経済的な富も技術の革新もこの理想を達成するための手段です。日々の労働もまた悟りと解脱への途である。これが仏教経済学の理想です。そして社会は経済成長、GDPの拡大に固執する必要がなくなります。というのもGDPが絶えず拡大しないと回っていかない経済を作り出しているのは、銀行マネーだからです。銀行マネーにはこれまで述べてきたような一連の矛盾があり、それによる破綻を先送りするためには何が何でも経済の成長が必要なのです。この点では銀行は絶えず泳いでいないと呼吸ができなくて死んでしまうホホジロザメと同じです。だから銀行は死んでも経済成長をやめられない。だが銀行マネーが廃絶されたら社会はゼロ成長でも困りません。むしろ均衡を原則とする経済にはゼロ成長の定常状態に向う傾向があるでしょう。

そうしたゼロ成長経済でも大半の企業はそこそこにやっていけると思います。企業も銀行マネーへの隷属から解放されるのですから。戦後日本の大企業はずっとアメリカ風のコーポレーションをモデルにしてきました。そして質の維持と向上より量と規模を重視する経営をしてきました。しかしこの日本株式会社の時代は90年代以降のデフレと共に終わりました。これからの日本の企業は顧客の信用第一に長年暖簾を守ってきた京都の老舗をモデルにすべきです。老舗型の企業ならゼロ成長でもやっていけます。そういう企業を支えるのは、市場占有率ではなくて独自の製品やサービスから生まれる誇りでしょう。どんな企業もその企業文化の質が問われることになるでしょう。

ネット世論の圧力で政府通貨とベーシックインカムの実現を

これで一応今日の私の話は終わりますが、最後にもう一つ生臭い話をしなきゃいけない。もし私のプランがかなり妥当なものだとして、どうやったらそれを実現できるのかという大問題が残っています。ベーシックインカム党という政党を作って選挙戦を戦って政権取るといったことはできない。そんなことをしても政党間の利権政治に巻き込まれるだけです。

私の考えでは、将来的には議会制国家を自治体連合国家に作り変えて自治体の協議会が中央政府の代わりになることが望ましい。しかしそういう国家体制の転換はすぐには実現しない。ではどうしたらいいか。

現状は自民党政権ですが、自民党政権は一度死んだ者が息を吹き返したゾンビです。そして、60年代の、高度成長よもう一度、というタイムマシン政権です。ゾンビがタイムマシンに乗っている。こんな政権が長くもつはずがない。世界的にも政党政治はどの国でも崩壊状況で、この点ではアメリカやヨーロッパの議会政治も中国の一党独裁もみんな末期症状です。では日本の状況はどうかというと、イタリアと似た感じですね。安部自民党ゾンビ政権がこけた後にはもう有力政党はありません。泡沫政党のきわめて不安定な連立政権になるでしょう。世論の圧力に弱いことがそういう政権の唯一の取り柄です。足腰が弱いから右顧左眄して千鳥足でふらふらする。ですからこの手の政権が出来たら政府通貨をやれ、それでベーシックインカムをやれという世論の圧力を徹底的に高めるべきです。

もっとも世論の圧力を高めるといっても皆さんも忙しいから集会だのデモだのはやってられない。各地でベーシックインカム研究会を作るのもいいけれど、それも容易ではない。しかしパソコンを持っていればネットで発言することはいつでもすぐにできるはずです。だからとにかくネット世論を盛り上げるべきです。インターネットを覗いたらどこもかしこもベーシックインカムの話だらけという状況をつくりだす。そして「ベーシックインカムをやります」といわなくては選挙ではとても当選できないと政治家が観念するような空気をネット世論で醸成していく。こうしてよろめく泡沫政党の連立政権を世論で包囲し押し切って、超党派で政府通貨とベーシックインカムをやらせる。

それからアベノミクスが案の定破綻したら、デフレに対してはもう政府通貨しか打つ手は残っていないという声が出てくると思います。そういう声は前からかなりあったわけですから。実際、どう見ても経済の窮状の打開策としては今や政府通貨とベーシックインカムしかないのです。海外でも財界寄りの新聞までそうした議論を取り上げるようになってきています。

さしあたり皆さんは私の見解が基本的に正しいと思えたならば以上の方向でネット世論を盛り上げていただきたい。長いことご清聴ありがとうございました。

(注)キリスト教の中でも明確な原罪の教義があるのは、聖アウグスティヌスの神学を継承した西欧のカトリックとプロテスタント諸派だけです。ロシア正教など他の宗派には明確な原罪の教義はありません。

追記

社会信用論チャート1

社会信用論チャート2

追記:ダグラスの社会信用論には政府通貨の発行とベーシックインカムの実施に加えてもうひとつ「正当価格」JUST PRICEという政策提言があります。これはある国の経済の供給と需要にかりに20%のギャップ、デフレギャップがあった場合、一定の期間を区切って全国一斉にすべての商品を20%値引きして販売するというものです。値引きした分は販売部門に政府通貨によって後で補償されます。これも円滑な経済循環を促進するための政策です。もちろんこの措置によっても売れ残る商品は出ます。しかしこの政策の狙いは心理的効果にあります。

デフレの状況では消費者は商品はこの先さらに値下がりすると予想して財布の紐を締めてしまい、そのために企業は価格破壊競争に走りデフレは一層深刻化します。しかし値引きが全国一斉に同一の値引き率で公的に秩序だった形で行われた場合には、大抵の消費者は値引き期間中に商品を買っておこうとするでしょう。正当価格の狙いはこうした心理的効果によるデフレ・スパイラルの予防にあります。

ダグラスと同時代の通貨改革論者シルヴィオ・ゲゼルは使わないでいるとどんどん目減りする減価貨幣によって人々に否応なく商品を買わせることを考えました。インフレを起こそうとしているアベノミックスにもそうした通貨の減価を目論んでいるところがあります。こうした貯蓄に対する事実上の課税によって消費を強制する試みに対して、ダグラスは所得を保証したうえで価格を正当なものにすれば人々は進んで商品を買うと考えた訳です。

質疑応答

大分から来ましたAと申します。最初にまず誰が悪いというスケープゴート探しをするんじゃなくてまず構造自体の問題であるというお話があったと思いますが、日本人をあえて考えてみると、構造の中でコツコツやるのが日本人的かなと思ったので、世論をネットでもりあげていくというのはちょっと難しいかなと思ったんです。その点では盛り上げ方をお聞きしたいと思います。はかなさみたいなものをめでて、経済状況もそれと同じでその中で順応していくというか、頑張っていこうみたいなのがあるような気がするんですけど。

はかなさの美学といえば、日本人は別に経済がゼロ成長でも平気なのではないでしょうか。日本人の感性や考え方は進歩というより諸行無常ですからこの国はむしろゼロ成長経済に向いているのではないか。ネット世論の盛り上げ方としては、政府通貨とベーシックインカムで景気回復とか経済成長再びみたいなことが強調されると私が言っていることと趣旨がずれる感じですね。生産と消費の均衡の回復が経済の根本問題で、それには政府通貨とベーシックインカムしかないこと。これが一番わかりやすくて世間で通る議論ではないかと思います。

しかもこればかりは、日本人的な精神でコツコツと部分的に徐々に実現というわけにはいかない。通貨の問題はシステムの問題ですから。このことがなかなか分かってもらえなくて私も苦労しているんです。通貨currencyとは紙幣や硬貨のことではなくて近代経済を統合しているシステムのことなのです。ですから部分的手直しということはできません。アベノミクスなるものは、日銀がじゃんじゃん通貨を発行して銀行に注ぎ込めばデフレは部分的手直しで何とかなると思っているわけですが、かえってそれでシステムの不安定性が増している。このままやらせておけばえらいことになると私は思っています。通貨や金融に関してだけは困難であってもシステムを再構築するラディカルな政策が必要です。

関さんのお話大変感動しました。明日からでももうベーシックインカム実現したいなと思います。私は国産小麦を使ったパン屋をやっています。いい材料ばかり使ってまさにゼロ成長の儲からないなぁと思いながらも仏教経済学の精神でやっていまして、今日勇気をもらいました。話は変わるんですけど、年金制度のこれからをちょっとお聞きしたいと思います。私は今40歳なんですけれども、いままで真面目に20年払ってきまして、でも消えた年金の役員たちの下手人もまだ挙がってないし、消費税を今度から上げるといって、謝罪もなくまた違う使い道にしようとしている。個人的にちょっと悩んでいまして年金を払うのを、今ちょっとストップしています。ちょっと下世話の話なんですけど、どのような行動をとっていいかというご相談と年金制度の未来をお聞きしたいです。

これについては原則的なことを申し上げるだけで、人生の選択に関してあなたに受けあえるような責任ある発言はちょっとできませんけれども。私があなたの年だったら年金払いませんね。私は今70です。戦後の繁栄で一番得をした世代です。ろくに働かなくても年金はがっぽり。だから今の高齢者は保守化して、高齢者の利権を守ってもらおうと自民党に票を入れているわけでしょう?

あなた方はツケだけまわっておいしいものは何もない損な世代です。本当に私は怒っている。あなたのように起業されている人は本当に幸せです。日本人は労働を修行として考えると私は言いましたが、そういう意味ではアルバイト暮らしで食いつなぎながら気が付いたら40代になっていたといった方々の空しい思いは察するにあまりあります。これぐらい日本人の気質に反する生き方はありません。私があなただったら年金を払う分を別のものに使いますね。その分貯金したほうがましかもしれません。年金制度は実質的に崩壊していると思います。私の周りでも若い人は国民年金を納めていない人が普通です。

年金という制度は果てしない経済成長や人口の増加が前提になっています。日本の年金制度は基本的には農村を解体させるための政策でした。高度経済成長を支える労働力を作り出すためには地域の地縁血縁の相互扶助でつながっている農村の社会構造を解体させる必要があった。日本の農村は戦後の農地改革のおかげで一応豊かでした。必死になって都会に職を求めて出る必要はなかった。それじゃ困るから都会に働きに来ても年金があるから大丈夫という制度を自民党政権が作った。今は日本は完全に都市化してしまったのでこういう制度は歴史的役割を終えて破綻ということになった。国は長期的なことは考えていません。

定年制は人間をたんなる労働資源として見ている制度です。私としては、定年制はやめてベーシックインカムで基礎所得を保証して、高齢者でも生涯現役で働けるように職場と産業の在り方を変えていくべきだと思っています。例えば高齢者には職住接近というだけでも助かる。満員電車で通勤なんて高齢者にはしんどい。そういう労働環境があればベーシックインカムにプラスアルファ―程度のなにか老後の基金で年金はなくても済むのではないか。それに今は青壮年の体力を要求しない仕事も増えています。ただし定年制の廃止はあくまでべーシックインカムとワンセットでなければならないと思います。

福井から来ましたBと申します。今日はお話ありがとうございました。質問というかご意見を伺いたいことがあります。私もベーシックインカムの実現を目指したいなと思いまして周囲の人にも話していますけれども、そんなものを導入すれば働かなくなる人が出る。ということをいう人がいます。私はそうは思ってないんですけど。 ベーシックインカムの状況でも貧富の差というものは拡大していくわけです。それを抑制するためには法の整備が必要になってきます。そうすると今の腐敗した政治では、富を持つものによって政治も作り変えられてしまいますので、ベーシックインカムとは私は日本に合う選挙制度や政治システムとセットにならないと実現は難しいと思っています。それに関してベーシックインカムとセットになるべき政治システムというものに関しては何かアイデアをお持ちなのかということを個人的にお聞きしたいと思っています。

ベーシックインカムと聞くとすぐに条件反射的に「そんなことやったら怠け者が増える」という反応が返ってきます。これはなぜか。現代人の労働は奴隷的労働だから人々は心の中に「一度遊んで暮らせる身分になってみたい」という無意識な欲望をもっています。それがベーシックインカムと聞いてすぐさま口に出るということではないか。ではそういう人が実際にベーシックインカムが実現したら遊んで暮らすかどうか。月8~10万円程度の所得で遊んで暮らせるかどうかは別にして、まったく働かなくなってダルマさんみたいになる人はきわめて稀なのではないか。人間にとっては何もしなくていいことは、むしろ苦痛です。というのも労働は個人と社会を結びつけるもっとも決定的な絆だからです。働かないでいることは辛いことです。だから私の周囲の年金暮らしの人でもダルマさんをやっている人は一人もいません。引きこもりやニートが羨ましいという人も聞いたことがありません。何もしないで平気という人はむしろ病理的な例でしょう。

ただベーシックインカムが実現すれば我々の働き方はスローで寛いだものになりそうです。もうあくせくする必要はなくなります。これは大変結構なことです。1970年代に北欧などで生涯総労働時間の規制ということが議論されたことがありました。現代人は働きすぎるから環境が破壊され資源が枯渇する。だから一人の人間が生涯に働く時間に上限を設けようという議論でした。実際、環境保護という点では、バリバリ働く有能な人より競輪競馬に夢中の方が環境にやさしいと言えるのです。まあ競輪競馬はさておいて、現代人の働くテンポが緩やかになることは環境にとっても人間にとってもきわめて望ましいことです。

それから仏教経済学は何よりも経済を運営する姿勢のことです。理論でも政策でもイデオロギーでもありません。日本人の民族的宗教的伝統に根を持つ労働観を尊重して経済を運営していこうということです。そしてこの伝統は神道と仏教であり、アメリカのキリスト教的伝統や中国の儒教的伝統とは異質なものです。日本人はこのことをはっきり認識してわが道を行きわが道を貫くべきです。これは排外的ナショナリズムとは何の関係もありません。自分たちの個性とそれを形成してきた自国の歴史を自覚するということです。そして外国とは国際法の遵守とギブ・アンド・テイクのビジネスを原則として付き合う。国際法を守らず詐欺的ビジネスをやる国とは付き合いません。つまり経済的には互恵を条件とした開国で社会的には脱グローバル化の鎖国ということです。もっとも自国の文化にとって栄養になる外国の文化は積極的に学習し摂取します。そのかぎりで国際的な文化交流は重視します。そしてこのような外国文化の学習、そのおいしいところを適当につまみ食いすることには、昔から日本人は大いに長けていました。例えば音楽。外国人は概して音楽に関しては国粋的で、フランス人はカンツォーネを聴かないしイタリア人はシャンソンに無関心です。アメリカ人など同じ英語の英国の音楽すら聴かない。ところが日本ではシャンソンやタンゴやカントリーでプロの歌手さえいます。こんな国は他にありませんよ。おかげで日本は市場規模でアメリカと肩を並べる音楽大国になっています。

それから政治体制についてはデモクラシーしかありえません。今日も私はデモクラシーは経済的なものでもあるべきだという話をしました。政治体制は、各国の民族的宗教的伝統に根ざした労働観とは別の事柄です。というのもデモクラシーにはいわば人類学的な普遍性があるからです。例えば仏教の信徒の団体であるサンガには模範的なデモクラシーが見られますが、仏教でなければデモクラシーは実現できないということはない。他方で同じキリスト教の伝統を持ちながら、スイスには本物のデモクラシーがあるのに、アメリカにはデモクラシーと称する政党とマスコミのデマゴギーがあるだけです。デモクラシーには人類学的普遍性があり、近代の欧米にしかないものではない。ですから例えば日本でも戦国時代の末期にこの京都府に山城国一揆として一時的に共和国が生まれたことがあったし、江戸時代の惣村では入れ札(選挙)で村長を選ぶことが普通でした。輪番制もあったようです。また寺や神社が中東のモスクに似た役割を果たして民意が表明される場になり、それが為政者に伝わるといったこともあったらしい。

ではなぜデモクラシーには普遍性があるのか。それは一度征服などによる暴力に基づく統治が否定されると、その後は世論による統治しかありえないからです。そして世論が本物の世論であるためには、個々人の意見が尊重されねばならない。ところが世論の統治としてのデモクラシーには常に二つの危険があります。その一つは政党やマスコミや教育が世論を操作したり捏造したりする危険です。この危険を警戒し絶えずそれと闘うことなしにはデモクラシーは存続できません。もう一つは、世論にはまともな言論とおかしな言論を篩い分ける淘汰のメカニズムが備わっていなければならない、誰もが好き勝手なことを言っているのは世論ではありません。今日のデモクラシーにはこの言論の淘汰機構が欠けています。だから容易にデマゴギーに堕してしまう。言論の自由は、言論の篩い分けを可能にするための自由です。好き勝手なことを言ったり嘘で人を欺く自由ではありません。アメリカは自由な選挙と言論の自由があればデモクラシーなのだと言っていますが、この世論の淘汰がないのでデマゴギーに支配された国家になっています。

そして個々人の意見を尊重することは個々人に他者と等しい権力を与えることです。その意見が正当なら人を動かせるということがなければ意見を表明する自由は無意味です。ですからデモクラシーのもう一つの原則は自治と分権です。権力の集中の排除です。この点ではやはり模範的なのはスイス連邦です。スイス人は自由な選挙で選ばれる議会がありさえすればデモクラシーだとは考えない。議会への権力の集中を排除するために、国民発議権などの直接民主主義やカントンの自治で議会の権力を制約し、カリスマ的指導者がでてこないように大統領も輪番制にしています。だから皆さんも多分、今のスイスの大統領の名前を知らないでしょう。とにかく本物のデモクラシーということでは、スイス連邦から学ぶことは多いです。

京都から参りましたCと申します。本日は貴重なお話ありがとうございます。政府通貨の制度の物価上昇に関してなんですけれども、先生のお話だとデフレ下では機能すると思うのですが、インフレに転じている時であったり、今みたいに需給ギャップが縮小していた場合だとこれをやると物価が永続的に上昇してしまうと思います。その対策というのがあれば教えていただけるでしょうか。

まさにそうした問題がありうるから国家信用局がテクニカルに信用を管理する必要があるのです。ただし大規模なインフレやデフレはあくまで銀行が私的ソロバン勘定で通貨の供給を増減させているから発生するということは押さえておいていただきたい。しかし経済循環の円滑な促進に必要な量の通貨をきっちり正確に算定することは不可能でしょうから通貨の過剰供給で多少インフレが発生することはありうるでしょう。そして生産と消費が均衡する量の通貨を供給することだけでなく、通貨の価値を安定させることも国家信用局の課題です。そしてこの機関はソロバン勘定で動いているわけではないから、事態をコンピューターで適切に分析し、それに応じていくらでも通貨の供給量を調整できます。ではどのように調整するかについては、いろいろな方策がありえます。景気の過熱を抑制するための臨時措置として企業への融資に利子を付けることもありうるかもしれない。場合によっては一時的にベーシックインカムを減額することもありうるかもしれません。しかしこれはあくまで通貨の過剰供給を修正するための措置であり、銀行の借金取立てや貸し剥がしと同じものではありません。物価の上昇が止まったらこういう措置は直ちに撤回されます。

そしてこの通貨の価値の安定ということも、私がベーシックインカムは信用の公的管理とワンセットでなければならないと主張する理由です。税収を財源としてではベーシックインカムは難しいから政府通貨でということではないのです。この点では、私はスイスでの動きに危惧を持っています。ご存知のようにスイスでは先に国民発議によってベーシックインカムの支給を憲法条項にするかどうかで近く国民投票が行われます。スイスの案は、私のようにマクロ経済のフローの次元で生産と消費を均衡させるといったものではなく、福祉のより充実した代案として出てきたもののようです。これはやはりインフレをもたらす危険がある。28万円ほどを支給するという案ですが、スイスはハンバーガーが何千円もする物価が高い国なので、日本円にすれば8~10万円程度の支給ということらしい。しかし通貨の供給量の公的調整がないからインフレになる可能性がある。そうなるとベーシックインカムは実質的に数万円程度の所得保証の名に価しないものになってしまう恐れがあります。そして財源としては税収で、社会保障費を全廃してベーシックインカムに回すということらしい。ベーシックインカムを通貨改革の一環としてではなく、福祉の代案として考えると、そういうことになる。しかし例えば身体障害者や一人暮らしで病気がちの高齢者などの場合、月8~10万程度の所得があればいいということにはならないでしょう。やはりベーシックインカムと福祉や社会保障は別個に考える必要があります。もともと別のものなのですから。スイスの案はもし実施されたら税収を財源とするベーシックインカムは不可能であることを証明する結果になると予想しています。

京都で関西ベーシックインカム勉強会というのをしていますDと申します。今日はお話聞かせていただきましてありがとうございました。少し前なんですけれども政治記者をされている方の講演を以前お聞きしたことがありまして、そこで自民党の方が給付付税額控除ということで、ベーシックインカムに近い形であれば実現もう少し早まるんじゃないかというお話を聞かせていただいたことがあります。 このようなベーシックインカム的な方法から実現してみて問題点が起きて変更していくという形よりは、最初から政府発行通貨によるベーシックインカムという形で進めていくということの方が望ましいのでしょうか。そのあたりをお聞かせいただけたらと思います。

お話したように政府通貨は議会政治とは両立できません。だから世界で政府通貨発行の方向で動いている国は一つもありません。その点では、皇室の伝統的権威というものがある日本は、世界の中で例外的に信用の公共的管理を容易に実施できる国なのです。議会制による混乱もファッショの危険もなしにです。その自民党の案というのは存じませんが、負の所得税というのは以前からよく議論されていますね。所得が一定の基準に満たない人に対しては国が逆にその基準にまで所得を補填するという措置です。これはケインズ主義者を自称したニクソン大統領がやろうとしてウォーターゲート事件で流産してしまったもので、新自由主義のミルトン・フリードマンも推奨している政策です。まあ、これは大企業にとってはさほど懐が痛まずに有効需要は確保できるという財界も異論がない政策なのでしょう。銀行も安泰な政策です。だからといって私はこれを否定するつもりはありません。これですぐに実施できるようなら、まず負の所得税を実現したらいい。日本の国籍さえあれば誰にでも最小所得への権利があるという思想が世に広まるのは結構なことです。そしてこれをやってみても経済はさほど好転しなくて、やはり政府通貨を発行しないとダメだということになると思いますよ。

どうも京都から来たEです。ありがとうございます。質問ですけどイスラム銀行のお話をされていましたが、イスラム銀行がうまくいっているのはやはり思想的にもバックボーンとしてイスラム教というものがあると思います。日本で、関さんが言われるように仏教をバックボーンとして、しかも皇室発行券とか使ってはたしてそれでうまくいくかなと思うんですね。働くことはいいのだけれどお金ということに対して日本人は少し汚さを感じる側面、士が偉くて上で商が下というような考え方まだあると思います。そのあたりは、どう思われるか、お考えをぜひお聞かせください。

今日は通貨改革と仏教経済学の話を同時にしましたので、皆さんも私の話をどう整理して理解したらいいのか、多少戸惑われたかもしれません。別立てにして話すべきだったのかも。そこで私の勝手なお願いですが、この二つの論題ははっきり区別して頂きたい。政府通貨とベーシックインカムはあくまで制度の構築の問題です。他方で仏教経済学はあくまで心構えの問題、経済は日本の宗教的伝統に根ざした労働観を尊重して運営さるべきだということです。ですから国家信用局は、憲法の「国民統合」の原則に忠実にあくまで金融のエキスパートとして仕事をします。毎朝仕事に取りかかる前に皇居の方向を拝んだり、座禅を組んだりするわけではありません。

それから庶民の間にはお金を汚いもの、不浄なものとみなす風潮があることは確かです。その理由ですが、おっしゃるように官尊民卑の遺制があると思います。江戸時代の武士は、武士には義があるのに町人や職人には利しかないと公言していました。もっともこれは身分差別というより、町人や職人の方が自由で豊かだったことに対する武士の僻み根性の表れだったのではないかと思いますが。そしてこの武士の高慢さを高級官僚が受け継いでいます。官僚には義があるのに愚かな国民には利しかないのだから、国民は官僚に指導さるべきだという屁理屈です。そして金には超然としている振りをする。しかし有利な天下り先のことで頭が一杯の官僚のどこが士なんでしょうか。しかも彼らは実質的に銀行の下僕です。公僕ではなくて銀僕です。だからバブルが弾けて破綻した銀行を国民の公金で救ってやる。とんでもない話です。

庶民が金を汚いものとみなすもう一つの理由は、銀行の銭ゲバ経済の当然の反映です。銭ゲバが経済全体を動かしている。だから庶民がお金を銭ゲバの道具とみなすのは無理からぬことです。そしてもう一つの重要な理由は、庶民にはお金のあるべき姿についての漠然としたイメージがあるので、それに較べてこの浮世のお金は汚いと感じるのです。庶民は実は労働に対して「賃金」を払うという西洋的発想には納得していません。そして報酬というものは、相手に対する敬意をこめた「謝礼」であるべきだと思っている。だから賃金としての金は汚い感じがする。しかし講演で申し上げたように、現代社会ではお金は生活インフラです。電気や水道と同じようなものです。だから葬式に行くのにも香典が必要です。香典は汚いお金でしょうか。

私がデモクラシーは経済的なものでもあるべきだと論じたのは、まさにお金の在り方を変えたいからです。皇室券の形ですべての国民に無条件にベーシックインカムが支給され経済的市民権が保証されるようになれば、人々のお金についての考え方も変わるでしょう。そしてマネーは人々の人倫の絆、国民の相互信頼の印とみなされるようになることでしょう。

もう一つとてもお伺いしたいことがありましてお伺いします。天皇の存在についてなんですけれども、確かに江戸時代ですと幕府があり天皇がいる。その二つが調整を非常に良くしていたので江戸時代というものはうまく成り立っていたと思いますが、明治維新以降天皇の存在というものは大分変形変容してしまったと思うんですね。戦争をするために一神教の主となる天皇というものをつくったのではないかと考えます。私は天皇制については反対なんですけどその点についてはどのようにお考えでしょうか。

肝心なことは皇室と天皇制を明確に区別することだと思います。皇室は古代日本に登場して以来幾多の歴史的変遷を経てきた存在です。皇室の歴史は古代に帝政中国から導入された律令国家の体制が日本の風土に即して変容してきた歴史と言えるでしょう。他方で天皇制はあくまで薩長が維新と称するクーデターで非合法に簒奪した政権を正当化するためにでっちあげた虚構です。明治の天皇制国家はファッションとして国粋を装いました。しかし前から指摘されていますように、この国家のモデルになったのはカイザーのプロイセンです。帝政ドイツの権威主義国家体制です。そして明治政府はヨーロッパの強国は一神教のキリスト教と不可分であることを知って、天皇を神格化する神学として国家神道なるものをでっちあげた。キリストが人となった神であるように天皇は現人神とされた。しかし江戸時代の京都では天皇は「天皇はん」と呼ばれていたわけですよ。この点では、天皇制国家によって最大の打撃を受けたのは日本古来の神道の伝統でしょう。

そして左翼は明治国家の体制を天皇制と命名することによって、左翼イデオロギーによって虚構をむしろ補強してしまった。左翼は天皇制を虚構として暴くことをせず、あたかも日本の歴史の中に深い根を持つものであるかのように論じることによって、天皇制に事実上協賛することになってしまった。しかし薩長の権力亡者がクーデターをやる以前には、皇室は歴史的変遷の末に京都文化と一体化していたのです。ですから皇室は江戸城(皇居)から平安時代以来の座である京都に、京都御所に帰還して本来の姿を取り戻すべきでしょう。「京都」はもともと天子のおはす都という意味なのですから、これは当然のことです。そして京都は例えばバチカンやかつてのイエルサレムのような聖都、京都皇国といったものにすることも考えられます。私が皇室券を発行する国家信用局は京都に置くべきだと言ったのも以上のような見解に基づいております。

関さんがよく言われる「高橋是清は日銀による国債の直接引き受けをして事実上の政府通貨を発行した」という文言。国債の日銀直接引き受けがなぜ政府通貨の発行になるのですか。わかりやすく説明してもらえるとありがたいのですが。

日銀による国債の直接引き受けを図にすると下図のようなことになります。

日銀国債直接引受参考図

日銀は政府が売ってきた国債をその額に相当する通貨を刷って直接買い取ります。これは政府と日銀の間の売り買いですから、政府の日銀に対する借金にはなりません。そして国債には本来銀行に払うべき利子が付いていますが、日銀の場合は利子収入を国庫に納めることになっているので政府が日銀に利子を払う必要もありません。この方式なら政府は銀行に対する負債にならず利子も付いていないお金をストレートに手に入れることができます。つまり政府通貨の発行と事実上同じことになります。

ただこのように既成の制度の運用で政府通貨の発行に等しいことをやった場合、長期的には問題が生じてくる恐れがあります。つまり日銀が売れるかどうか不明な厖大な額の国債を帳簿上で抱え込むと いう問題です。

下図は日銀が目下いわゆるアベノミックスでやっている国債の間接引き受けを図にしたものです。

日銀国債間接引受参考図

これは日銀が経済危機でアップアップしている銀行にお金をどんどん注ぎ込むための方策です。金融用語では公開市場操作における買いオペと呼ばれるものです。日銀はお金をどんどん刷り増しして、それで銀行業界から各銀行がこれまでに買い貯めた国債を買い取る。引き換えに銀行には日銀が無から創造したお金がたっぷり手に入る。銀行業界を救済するためのものです。

こうすれば資金が潤沢になった銀行は企業や個人にお金を気前よく貸すようになって景気が回復するというのが日銀の言い分です。しかし非正規雇用などによる賃金の低迷、失業や倒産という実体経済の現状で、それでも銀行から借りようという人はきわめて少ない。そこで銀行は日銀から注ぎ込まれたお金を株式や商品などへの 投機に回す。それで株価が上昇して景気が回復したかのように見えることがあります。また株の高騰などで手持ちの金融資産の価値が上がった富裕層が、いわゆる富裕効果で贅沢品を買ったりして、やはり景気がよくなったように見えることがあります。しかしこれは一時的で線香花火のようなバブルにすぎません。そして日銀がいつまでもこんなお金の刷り増しをやっていると円=日銀券の価値に不信感をもつ投資家が増え、国債の利回りを高くしないと国債に買い手が付かなくなる。すでに日本の税収の四分の一は国債を買っている銀行への利払いに充てられています。そして長期国債の利回りが2%台になると税収はすべて銀行への利払いに充てられ、日本国家は消滅するという議論もあります。

関曠野講演録「ベーシック・インカムについて考える ― マネーは何のためにあるのか」

関 曠野 講演録

ベーシック・インカム
について考える

― マネーは何のためにあるのか ―

TAGTAS/FORUM第三期レクチャーより
2010年12月27日 於:Spaceカンバス
「ベーシックインカムを考える ― マネーは何のためにあるのか」

講演者:関 曠野

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

主催:TAGTAS 前衛舞台芸術連合

TAGTAS(トランス-アヴァンギャルド・シアター・アソシエーション)が、年間を通じて公開の連続研究会を開催しています。 「TAGTAS/FORUMー条件なき大学ー」は、演出家、振付家、舞踊家、俳優、舞台制作者など舞台上演に関わるものや、人文研究者などが集まって、互いの領域を横断しながら、協働で討議していく公共の場所を目指しています。 舞台に関わるすべての方々をはじめ、学生、社会人、反/非社会人などの幅広い参加をお待ちしています。 年間で全三期30回を予定しています。

http://d.hatena.ne.jp/tagtas/

講演 INDEX

  1. はじめに
  2. なぜBIが必要なのか
  3. 恐慌はなぜ起こるのか
  4. 1. 法定通貨
  5. 2. 負債経済
  6. 3. 利子
  7. 部分準備制度と信用創造
  8. 恐慌の原因、まとめ
  9. 「政府通貨」の発行
  10. 「租税国家」とは
  11. 経済成長モデルに立脚する租税国家
  12. 政府はなぜ銀行を救済したのか
  13. アイスランドと、ギリシャ・アイルランドとの財政破産の違い
  14. 租税国家から社会信用国家へ
  15. ソーシャル・クレジット・ステイト
  16. 政党政治と租税国家
  17. 自治体の連合体としての国家
  18. 中央と地方
  19. 自治体銀行 ―― 段階的な戦略
  20. 社会実験を促進するためのBI
  21. BIの未解決問題 ―― 3K労働

はじめに

関 曠野さん

話し手:関 曠野さん

1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。

どうも関です。

ベーシック・インカム(以下BI)という言葉は、市民権を根拠に、全国民に一律無条件に8万円程度の所得を生涯にわたり給付するというものですが、この言葉は最近は驚くほど広まりましたね。新聞雑誌でもよく見かけるようになって、そう言う意味ではもう異端思想でも何でもない。下手すると悪い意味で変な主流になるかもしれないという、そういう状況です。ただし、その割には中身が薄いという感じがしているんです。

私はこれまでBIについてかなり発言してきた人間で、私の講演などもインターネットにアップされて全国的にかなりの読者がいるようです。

ところで私はつい先日、当分BIについては発言しないと宣言しまして(本サイトのメールニュース・バックナンバー参照)、これがかなり波紋を呼んでいるようなんですがその意図をお話します。私はBIについてはこれまで経済論として議論してきました。それがいかに必要であり可能であるかという議論をしてきました。ただ、そういう議論をする段階はもう終わったのではないか。もうこれだけ言葉は広まったし、BIという言葉が何を意味するかは非常に多くの人がもう知っている。

それで今後はむしろ政治論としてBIを議論したいのです。BI論議を政治化すべき段階に来たと私は判断しているわけです。そのための仕掛けで一旦発言を中断することにしました。経済的なBI論議はもういいから、政治的な次元に議論を移行させるタイミングとして、世の中がもっとガタガタになってくるのを待ちたいのです。頃合いを見計らってまた発言を始めるつもりです。今日の話は、どういう風に私が今後BIの議論を私流に政治化して行くのか、そのひとつの皮切りになります。今日の議論を皮切りにして後しばらく中断の後、様子を見てまたいろいろ問題を提起しようと考えております。

そういうことで今日の話は、BIと言うよりももっと根本的なマネーの問題です。マネーはこれまで経済の問題として議論されてきた。しかしマネーは根本的に政治の問題なのです。政治としてのマネーという、それを今日の話の軸に据えたいし、そういう観点からマネーの改革を考えていきたい。通貨改革の一環としてBIと言うことを私は前から考えています。と言ってもこれは難しい問題じゃない。マネーというものについての考え方は2つしかない。

ひとつは生活のツール、道具である。これは私の立場であるし、たぶん皆さんもそう思われているでしょう。

もうひとつは権力のマジックの源泉としてマネーを偏愛する立場。それが今の持てる者、銀行なり富裕者なりの立場であります。そういう意味では、ツールかマジックかという、立場の争いがあります。

BIは政府通貨と結び付いて、これからお話するようにツールとして、生活の道具としてのマネーを実現するものです。今日はそういう観点から論じますので、BIは今日の話の「結論」として出てきます。ですから、講演のタイトルは「BIについて」なのに関はなかなかその話をしないじゃないかと、皆さんイライラされるかもしれませんが、ちょっと勘弁してください。その前提になる話を延々とやりますので、その点をひとつご承知願います。

なぜBIが必要なのか

そもそもBIの話をする前にですね、BIが必要になる根拠を考えましょう。それは我々が今置かれている経済状況がまさに恐慌だからです。恐慌はなぜ起きるのかということとBIの必要は密接に関係するので、まず恐慌の原因について話したいと思います。

ただ恐慌と言っても、久しぶりに豊橋から東京の都心に出て来てきまして、ちょっと街の様子を見ても恐慌という深刻な状況には見えませんね。東京の街はイルミネーションに彩られて相変わらず繁栄しているように見える。

日本の場合は確かにリーマン・ショックの間接的な打撃を受けた程度で済んでいるんです。日本の銀行は90年代にバブル崩壊で火傷したので、その後のマネーゲームに手を出す余裕がなかった。だから欧米の銀行みたいにマネーゲームに大規模に手を出していないので、帳尻の悪化ですんでいるところがある。経済状況で言うと、アメリカとEUはタイタニックで沈没寸前と言う状況ですね。アメリカなんか子どものホームレスだけで百何十万という。日本にもホームレスはいるけれど、ちょっと考えられないでしょう、そんな数。

日本はそれに比べると浸水ぐらいですんでいる。それもあって日本では経済危機に関しては間の抜けた生ぬるい議論しか見かけません。

しかし、やはり世界が恐慌状態の中で、日本だけが安全地帯ということはあり得ない。じわじわ、じわじわと世界恐慌の影響は及んで来るし、現に及んで来ています。東京にしたって、有楽町西武が閉店とか、次々に寂しい話が出て来ているわけです。ましてや地方に行かれたら、これが同じ日本かと思うほど荒涼とした光景があります。町全体が次第にゴーストタウン化している、そういう所もあります。

この恐慌の原因ですが、1930年代にアメリカを震源地にした大恐慌がありました。ただね、この前の大恐慌の場合は、あくまで金融メカニズムが、つまり資本主義の矛盾や欠陥がもろに出て来て恐慌になった。純粋に経済問題だったということがあります。

しかるに今私たちが体験している21世紀のこの恐慌は、ちょっと違っています。かつて1970年代にローマクラブ報告「成長の限界」と言う本が出て、世にたいへん衝撃を与えた事があります。あの本が証言したように70年代に資本主義は成長の限界にぶつかっている。資本主義の成長の限界だったのですが、先進各国の政府、銀行、大企業は、この事実をもみ消して、マネーゲームや生産拠点の海外への移転で袋小路の現実をごまかしてきた。

しかしどうもその限界の問題から逃れられなくなった。特に70年代以来、文字通りの経済のエネルギー源である原油の価格がどんどん高くなってきた。そういう長期的な資源と環境の危機が、今回の恐慌の背景になっています。それを背景に金融資本のグローバルな破綻が起きているわけです。

しかしこの資源と環境の危機という問題は、今日の話に直接には関係ありませんので、一応カッコに入れます。

恐慌はなぜ起こるのか

それで、恐慌の原因というのは3つに尽きるわけです。

1. オートメーション

どんどんオートメーションが進んで人手がいらなくなる。当然、いわゆる機械による失業で所得がなくなる人が出てくる。それだけじゃない。オートメーションで労働者がいらなくなれば、雇用されている労働者も賃金が抑えられて低くなってしまう。さらに今の生産の現場では、機械が主役で人間は雑用をしている。だから人間にはコンビニのレジみたいな、雑用と言っては失礼だけれども、低賃金の雑用の仕事しかないという状況があります。

オートメーションが進行すればするほど、雇用による所得に固執しているかぎり、所得はどんどん先細りになっていく。それによって市場もしぼんでいく。所得に裏打ちされた有効需要が減るのですから。

この問題が、生産と消費を均衡させるためには人々の所得に対して雇用以外の何らかの補強措置が必要である、という議論の根拠になります。オートメで言えば、日本はロボットテクノロジー大国でありまして、その点ではオートメによる打撃は大きいはずの国なんです。それはぜひ考えていただきたい。

2. 企業会計

それから企業会計。現代企業は膨大な設備投資を必要としています。しかも、競争に勝つためには絶えず生産設備を高度化していかねばならない。企業会計の中で設備投資に充てる費用がどんどん膨れ上がっていく。

それに反比例して、企業会計の中に占める勤労者の賃金給与は減っていきます。相対的に減っていく。

しかも、その勤労者の賃金給与だけが商品の購買力であるわけです。労働者、すなわち消費者でもありますから。ということで、企業はどんどん設備投資をやっても、それで大量生産した商品を企業で働いている労働者が買うことができないということが起きてくる。

その結果、所得不足による商品の販売不振と言うことで、これも経済危機の原因になる。とにかく商品の価格には設備投資費が上乗せされていて、これからお話するように、銀行への利払いがさらに上乗せされている。そういう上乗せされた価格の商品をますます低くなる給与じゃ買えない。そこで需要不足および販売不振による過剰生産の問題が、資本主義に付きまとうことになります。

こうして資本主義が順調に発展していくこと自体が、やがて恐慌を引き起こすわけです。恐慌はなにかが間違って起きるんじゃなくて、資本主義の必然なのです。

3. 銀行マネー

それから銀行マネーと言うことですが、今の企業は膨大な設備投資を必要としているので、どうしても銀行からの融資を受けないとやっていけない。町の小さな工場だって、何千万もする機械を買わなきゃいけない。そんなものは手持ちの資金では買えないので、銀行から融資を受ける。

こうして企業が絶えず投資するためには、銀行からの融資が必要なので、経済の95%は銀行が貸し出す銀行マネーで動いています。

私たちが普通お金と言うと、財布の中に入っていてスーパーのレジで払うようなものと思いがちですけれども、そういうマネーはせいぜい経済全体の3%位だと言われています。後は全部銀行マネー、銀行信用で動いているんです。

だから銀行がお金を貸す、貸さない、貸してくれるかどうかで、経済の在り方が決まってしまう。銀行がマネーフロー、お金の流れを取り仕切っているということをしっかり認識する必要があります。

で、銀行マネーの問題が3つあるんですね。

  1. 法定通貨
  2. 負債経済
  3. 利子

1. 法定通貨

昔はお金と言えばイコール宝物ということでもっぱら金銀のことだったわけですね。19世紀ぐらいまでは。それが20世紀に入ってから、どこの国でも法定通貨ということで、国家が法律によってお金と定めたものがそのままお金であることになった。具体的に言えば紙きれですよね。それが通貨であることになって、今、世界のたいていの国ではマネーと金(きん)は切り離されています。

この法定通貨というのは国が発行しているのではなくて、国が委託するようなかたちで、実際は私企業にすぎない銀行が発行しています。いまだに日本銀行は日本国の銀行だと勘違いしている人が多いんですけれども、日銀は基本的には私企業で、私企業として帳簿の公開もしています。要するに日銀は銀行業界の代表なのです。

だから日銀が経済状態が良いの悪いのと言っているのは、銀行にとって良いの悪いのであって、庶民の生活の浮沈には関係ありません。そして、銀行による銀行のためのマネーということで、日本銀行券という千円札以上のマネーを発行しています。

現代の大規模で複雑な信用経済が、金銀の呪物崇拝から法定貨幣に移行することは、不可避だったと私は考えます。しかし問題は、その法定通貨が私利で、私的利益、私的企業の儲けのために発行されていることなんです。生産や消費の実態など踏まえないで、銀行の儲けになるかどうかだけで発行されたり回収されたりしていることが問題なんです。

これはつまり、現代経済は根本的に無秩序だ、アナーキーだっていうことですよ。だから景気が上向くとか下向くとかいうのも、自然現象ではなく、このアナーキーの現れなんです。しかも、法定通貨なら金銀と違って紙切れだから、無制限に出せる。紙きれにお札の模様を刷ればいいんですから。それが非常に社会を混乱させる。

たとえば今の恐慌にしても、きっかけはアメリカのサブプライムローンという住宅ローンのバブルですが、とても住宅ローンを払いきれないような低所得層に5千万とか6千万円の家をローンで買わせる。銀行はいくらでもペーパーマネーを発行できるから、そういう危険なこともできる。

2. 負債経済

それから次に負債経済。現代経済は主に信用、すなわち時間差のある交換で動いています。だから、今すぐじゃなくて将来払いますよ、という約束でお金を借りられることは、とても大事なことです。

ただ問題は、先に言ったように銀行が自分が儲かるか儲からないかの基準だけでお金を貸して、それが我々を法的に拘束する負債になることです。人間誰だれだって借金は気が重くて嫌なんだけども、銀行にとっては人に借金させることがその資産になる。それだけでおかしいですよね。人の借金が俺のシアワセという。これはそれだけでどこかおかしいと思わなくてはいけません。

しかも銀行は、自分のそろばんだけで生産とか消費の実態の客観的な分析なしに貸しているから、返せない人が次々に出てくる。その時に銀行は、お前にまた貸してやるからそれでローンを払えと言う。ローンをローンで、負債を負債で払うということがザラにある。これで銀行の資産はさらに膨れ上がる。

そういう意味では、今の経済は負債経済ですから。もしすべての人、すべての会社が全ての負債を返しちゃったら、経済はその瞬間にストップしてしまう。崩壊してしまう。誰かが負債で苦しんでいてくれている、――― 誰かどころじゃない、大抵の人がローンで苦しんでくれている。そのおかげで経済が動いている。これは異常な経済ではないか? しかも、経済が倍々ゲームで一時的に成長している間は、負債をある程度返せるからいいんですけど、一旦それが揺らいでくると、経済は積み重なった負債で身動きできなくなる。

日本の90年代以来の経済の低迷は、バランスシートリセッション、バランスシート不況と言われている。要するに企業が借金だらけで動けない。借金を返す方が先になって、とても新規投資をして、人を雇って、新しい商品を売りまくって、なんていうことをやる余裕がない。借金漬け経済ということが、日本の今のデフレの根本です。でも日本は、個人や家庭にさほど借金がないからまだいいですよ。アメリカが悲惨なのは、クレジットカード社会なので、個人が借金につぶされちゃっていますから。

銀行にとっては人の借金が自分の資産だから、いざとなったら差し押さえでも何でもやる。今、アメリカではどんどこローンを滞納した住宅を差し押さえていて、ホームレスが何100万人も生まれています。それが負債経済というものです。

3. 利子

そして、銀行マネーの一番の問題点は利子の存在です。負債の場合なら、ラーメン屋を開店するために1千万借りたけれど、商売が予想どおり当たって、繁盛して返せました、ということもあるでしょう。それなら負債にも生産的な意味があったことになる。だが利子と言うのは実体経済の中に何の根拠もない。

では利子を払う金はどこから持ってくるのか。負債の場合は負債に見合うだけの儲けがあるかもしれないけれど、それにさらに利子がプラスされることには何の根拠もない。しかも場合によっては、それが複利でものすごく増えていくわけですよ。だから住宅ローンなんて、最後は利子分の方が元本よりも大きくなっちゃうでしょう? 根拠のないお金を銀行がふんだくっているわけですよ。

で、どうするかというと、人からもぎ取ってくるしかない。詐欺や犯罪みたいな事をしないと利子は返せません。そんなことをしないで利子を返すためには、また借金をして多重債務者みたいになる。そういうことが今の資本主義国では普通なわけです。結局利子とは何かといえば、要するに、お金を持って貸し付けている銀行とその株主などの経済強者にお金が移動するということです。持たざる者から持てる者にお金がどんどん吸い上げられ、利子のせいで富が富裕層にさらに集中するのです。

皆さんは、「俺は借金なんかひとつもしていないから銀行経済には関係ない、利子も関係ない」と言われるかもしれない。しかし、会社にいて給料をもらってる場合、たいてい企業が銀行から借りたお金がそこに入っています。

しかもそのお金で商品を買うと、その価格の3分の1から半分は利子だと言われています。直接と言うことじゃなくてね。たとえばトヨタが車を作る場合、何百という会社がトヨタに部品や材料を納入しています。そういう会社がみんな銀行への利払いを抱えている。それを全部集計すると最終的に商品価格の3分の1から2分の1が利払いということになってしまう。

BIをかりに実施しても、それで商品を買って銀行に利子を払うんじゃあ、BIっていったい何なんだろう。そういうわけで、無人島にでも行かないかぎり、現代人は銀行経済の魔手から逃れることはできません。

部分準備制度と信用創造

そしてこの法定通貨、負債経済、利子という要素は、銀行マネーの根本原理である「部分準備制度」がはらむ問題を、危機的に増幅させるのです。この制度は、銀行はその貸付に対しては部分的な準備=預金があるだけでよい、とするものです。つまり銀行は全預金者が一斉に預金を引き出したりする恐れがないのをよいことに、預かっている預金の八倍から十倍の金を貸し出しているのです。こうして我々が預金した一万円が十万円に化ける。差額の九万円は、銀行がパソコンのクリックひとつで何の対価も労働もなしに無から創造したもので、負債となり現実の金となっていずれ利子付きで銀行に戻ってきます。そしてこの九万円が回りまわって別の銀行に預金されれば、それはまた十倍のカネになります。こうして部分準備制度はインフレの恒常的な原因になり、実体経済が負債で揺らぐと、銀行マネーは今度はデフレの原因になります。

銀行によるこの無からのマネーの創造は「信用の創造」ということですが、もちろん現代経済に信用は不可欠です。だが問題は、銀行が本来、公共的社会的な意義をもっている信用を私企業として私的利益の目的で横領し独占していることなのです。そしてこの独占を確実にするために、大銀行はカルテルを作り、そのカルテルが「中央銀行」と呼ばれているのです。言うまでもなく、この部分準備制度による銀行信用の創造と、それによる融資=通貨の供給が経済的アナーキーの根本原因です。

多くの人は銀行を大きな金庫のようなものと勘違いしていて、銀行がマネーフローを取り仕切っているということを理解していません。だから自分の預金は銀行の金庫に保管されていて、それをATMで引き出しているのだと思い込んでいる。だが実際は預金は銀行が作り出すマネーフローの中に消えているのです。それでも我々がATMで預金を引き出せるのは、銀行に次々に新たな預金が入ってくるからです。だから銀行は、ネズミ講みたいなことをやっているわけです。例えばですが、詐欺師の集団がいて偽札を作り、しかもそれでネズミ講をやっているとします。誰でも「これはひどい話だ」と思うでしょう。しかし銀行がやっていることは、この詐欺師集団とあまり変わらないと思います。

とにかく、こういうかたちで経済を銀行が勝手に取り仕切っていると、結局銀行は経済を窒息させてしまう。

恐慌の原因、まとめ

では、なぜこの経済はリーマン・ショック以前にもっと早く窒息しなかったのか。思うに、戦後長らく銀行マネーのトリックが破綻しなかった背景には、石油という魔法の資源が水のように安かったということがあるのではないでしょうか。そのおかげで資本主義の矛盾をもみ消したり先送りしたりできた。それが70年代からじわじわと原油の価格が上がってきて、とくに今世紀に入ってから急騰してきた。それを背景として、銀行マネーのトリックが全面的に破綻したと言えるように思います。

それではここで、恐慌の原因についての話をいったんまとめます。

まず、オートメ化と企業会計の矛盾が需要不足と過剰生産をもたらしますが、これはまだ不況の状況です。不況なら、「企業の在庫調整でそのうち景気が回復するから、それまでの間、政府は雇用対策をやれ、企業は賃上げをやれ」などと、のんきなことを言っておられる。だが、不況に出口がなく、遊休化した過剰資本が投機に向ったあげくバブルが弾け、銀行マネーの機能がアクセルからブレーキに一転して、経済全体が銀行への負債で身動きできなくなる。これが恐慌です。恐慌とは銀行マネーの問題点がはっきり表面化したもので、銀行マネーによる経済の窒息死です。

アメリカで住宅バブルが弾けたことをきっかけに起きた今の世界恐慌は、その意味では銀行マネーのグローバルな最終的崩壊、ハルマゲドンです。天文学的な額のマネーゲームをずっとやってきたせいで、世界の金融資本が抱える負債の総額は人類社会全体のGDPの十四、五倍に達すると言われています。こんな負債を返せる筈がありません。世界の大手銀行はすべて、破産の実態をあの手この手で誤魔化して生き延びているゾンビ銀行です。だから各国の政府やマスコミが垂れ流している、「もう少し辛抱すればトンネルの出口が見えてきて景気は回復する」という言辞はまったくのデマです。この銀行の破綻に加えて、いわゆるピーク・オイルの問題があります。国際エネルギー機関によると、世界の原油生産は2006年にピーク(原油増産の限界点)を越したとみられるそうです。だからもう1960年代のような経済成長はありえないのです。

日本でもアメリカやEUでも、今、各国の政府がやっていることは、恐慌という現実を否認してそれを不況にすりかえることです。そして「これは不況なんだから従来の不況対策を徹底すれば間もなく景気は回復し経済はまた成長する」と言い張る。そして、ゾンビ銀行が生き返れば問題はすべて解決するとして、必死になって国民の血税で銀行を救済している。危機の原因である銀行を無くすどころか強化しようとしている。こうして政府が銀行の手先としてあれこれ策動するために、恐慌はますます破局的なものになっています。

「政府通貨」の発行

これまで述べてきたように、不況が大恐慌に転化する根本原因は、銀行マネー、銀行信用です。ですから銀行マネーを経済と生活の信頼できるツールであるような別のマネー、別の通貨システムに置き換えないかぎり恐慌は解決しません。それは「政府通貨」の発行ということです。政府通貨は四つの点で銀行マネーと異なり、それと正反対の性格をもちます。

  • まず第一に、「政府」という言葉が示すように、それは公共の福利、社会全体の利益のために発行されます。具体的に言えば、それは、経済が滑らかに回って安定するよう、自由な交換の手段としての通貨を、社会に過不足なく供給することを目的に発行されます。

  • 第二に、銀行はその商売の道具である銀行券をアナーキーに発行しますが、政府は通貨の管理を公益事業として行い、水や電気のように社会に必要な通貨を供給します。ですから政府通貨に利子は付きません。

  • 第三に、政府通貨による融資にも返済が必要ですが、これは発行されて交換の促進という役割を終えた通貨を回収して、経済の正常なサイクルを維持するための措置、通貨の過剰供給によるインフレの発生を予防するための措置です。乗客が移動という目的を達成したら、降りた駅で切符が回収されるのと同じことです。だから政府通貨による融資は、当座貸し越しです。それは、返済が法的義務で担保を差し押さえられることもある銀行マネーの負債ではありません。

  • 第四に、銀行が損得勘定だけでアナーキーに融資するのと異なり、政府通貨は国民経済計算のできるだけ客観的なデータに基づいて、社会の必要に応じて供給されます。データに誤差があって経済がインフレ気味になった場合には、通貨政策をすぐに修正すればいいのです。

そして政府通貨による恐慌の解決には、すでに立派な先例があります。1930年代の大恐慌に見舞われた時、日本とドイツだけが政府通貨の発行に踏み切ったのです。その結果、恐慌は2、3年で解決しました。ところがアメリカは、悲惨な大戦が生んだ軍需ブームによってしか恐慌を克服できなかった。この日独の実例が広く知られると銀行資本にはまずいので、政府通貨の発行はファシズムのやることだという議論が出回っていますが、これはぜんぜん事実ではありません。日本で国債の日銀引き受けというかたちで政府通貨の発行をやったのは高橋是清(これきよ)で、インフレになると軍拡に反対して軍人に暗殺された人です。もちろんファシストなどじゃない、偉大な人です。

ドイツのシャハトは、これも金融のエキスパートで、彼の場合はヒットラーに全権を与えられて金融改革をやって、ヒットラーは一切口出ししなかった。だから銀行家として一番合理的と考える通貨改革をやり、ワイマール期の、パン一つ買うのに大八車一杯の紙幣を持っていく必要があったハイパーインフレをたった3年で解消し、ドイツをヨーロッパ最強の経済に立て直した。シャハトもまた軍拡に反対して、最後は強制収容所に送られました。だから政府通貨の有効性は、とっくに証明済みなんです。そこで、マネーフローを人々が往来する大通りにたとえましょう。大通りでは人々は自由に往来できて当然です。ところが、私企業が通りのあっちこっちに勝手に関所を作って通行人から通行料を取ったら、誰でも怒るでしょう。しかし、銀行がマネーフローで関所を設けて金を巻き上げていることには怒る人がいない。これは不思議です。これに対して、あくまでマネーの順調な流れを維持すること、それが政府通貨の課題です。

ついでに言うと、政府通貨の発行には税収の裏付けなんか必要ないんで、それで国家予算を編制する場合には国家財政の財源という問題はなくなりますね。社会に必要なものを見極めて、正しい国民経済計算をやって、それに基づいた通貨供給をやっていればいい。電力や水の供給と同じ問題です。

この政府通貨によってBIを保証することが、経済の流れをスムーズにするためには理想的ですが、これは後でお話しします。

「租税国家」とは

ところが政府通貨の発行に対しては、実は重大な障害があるんです。

現代国家は「租税国家」である。皆さんは租税国家という言葉は聞きなれないと思いますので、これから詳しく説明します。国家というものは、昔の左翼の発想だと暴力装置だということになる。国家を国家たらしめているのは暴力の独占である。そういう要素も少しはあるけれど、国家の国家たる根本は税金です。モナコは税金がなかったかな。しかしあれは代表的な例とはいえない。やはり国家たるものは、税金を取ってそれを国民のためと称して使う。そして税金が絡んでくると、まさにマネーの問題が政治の問題になってくるんです。

それでは、租税国家というのはどういうものか。江戸時代の年貢は、本当の意味での税金とはいえない。幕府や藩がぼったくっているだけで、見返りの行政サービスなんてないわけですから。それから戦前、大正時代の初めくらいまでは選挙が制限選挙と言って、富裕な納税者でなければ選挙権がなかった。当時は、国家はお金持ちクラブのようなものと思われていたんですね。庶民は高い税金を払う必要がない代わりに、何もしてもらえなかった。年金も健康保険も何もない。

先進諸国で租税国家と言えるものが完成されたのは、第二次世界大戦後のことです。それはどういうことかと言いますと、この国家は税金を誰からもくまなく取る。その代わり、ちゃんと税金でサービスをしますという建前になっている。だから消費税となると、ホームレスの人でさえ商品を買えば税金を納税している事になります。納税しているんだからホームレスの人も面倒をみるべきだ、ということになりますが、そういうかたちで誰からも税金を取るけれども、それは行政サービスとしてちゃんとお返ししますと国は約束する。

そして、戦後にできたこの租税国家が存立する前提となっているのは、経済成長です。

経済成長モデルに立脚する租税国家

この国家は、永続的な経済成長を制度の前提として設計された国家です。市民から強制的に税金を徴収する。所得税なり消費税なり。しかし税収は、直接間接に、経済発展の条件を整備するために使われる。そして経済発展で国が豊かになれば、国の市民へのサービスが拡大し、福祉国家が充実してくる。強制的に税金を取られても、結果的には、それによるサービスや福祉の拡充で市民にとってプラスになるとして、税金が正当化されているわけです。そういう見返りなしには、国が強制的に市民から税金を取る根拠がありませんから。

そして、経済の低迷で国家予算に見合うだけの税収がなかった場合には、しょうがないから国債を銀行に買ってもらい、赤字を埋めるということになりますが、これは本当はおかしい。

国や自治体は、企業みたいに投資による事業の拡大を目指しているわけではない。それがなんで、銀行に借金して利子を払う必要があるのか。現に、日本の法律では、基本的に赤字国債の発行は禁止されている。建設国債は認められていますが、赤字国債の発行は本来違法なんです。ということは、国債の発行は、国が財政的にピンチになった場合の、あくまで臨時的、一時的、例外的な措置だということです。

そして国債を発行すること自体、将来、経済が成長をして増えた税収で借金を返せるという前提があってのことです。ところが、1970年代以降、先進国はどこでも低成長経済になって、税収不足が恒常的になり、それでいて福祉の拡充を求める世論は揺るがない。ですから先進国はどこでもタブーを破り、赤字国債を発行するようになった。その結果、銀行に対する国家の借金がどんどこ増えて、国家予算のかなりの部分が銀行への利払いに充てられるようになった。これは全く不毛な支出です。税金はいろいろなことに使えるはずなのに、利払いでは何の意味もない。国が自由に使えるお金が減るだけです。

政府はなぜ銀行を救済したのか

ところで、日本政府は90年代、バブル崩壊後に破産寸前になった銀行を、公金を投じて助けました。なんで、地上げ騒動などで世間に大迷惑をかけたあげく、窮地に陥った大手銀行を納税者が助けてやる必要があるのか。

こんな不条理な措置を、自民党政府が世間への釈明もなしにとったのも、実は租税国家と銀行マネーは一体のものだからです。先に申し上げたように、銀行に任せておくと、銀行は社会にどんな混乱が起きようが悲劇が起きようが知ったこっちゃなく、自分の損得勘定だけで融資しますから、社会はきわめてアナーキーな不安定な状態になる。そんな混乱が拡大すると、最後には銀行自身も危なくなる。それで銀行マネーとは別の通貨流通システム、マネーフローを作り、それで銀行マネーの支配を補完することが必要になる。あくまでも銀行マネーに従属し、そのサブシステムとして機能する、人為的な、政治的なマネーフロー。それが税金だということです。

だから税金をマネーフローとして考察することが必要です。公共の福祉が課税の建前になっていますが、税金は赤い羽根の募金じゃない。銀行の矛盾を覆い隠してごまかして、銀行の経済支配を補完することが現代における税金の役割です。

そしてリーマン・ショック以来、先進各国の政府はそろって、マネーゲームの破綻でゾンビ化したメガバンクを公金で救済しようとしました。税金というマネーフローは、銀行のマネーフローを補完するためのサブシステムと考えれば、これはある意味で当然なんです。だいたい銀行は昔から影の政府だったのですが、これがリーマン・ショック以来、アメリカやEUでは正体を現して表の政府になってきている。アメリカの今のオバマ政権は銀行政権というしかない。ウオール街の金融マフィアみたいな連中がホワイトハウスの経済政策担当になって、ウォール街とメガバンクの利益のための政策をどんどこやっています。そういう意味で、今や先進各国の政府は銀行の代理人にすぎません。今の政府は何をやっても失敗していて、事態を悪化させることしかしていないのに、銀行の代理人の役割だけはちゃんとやってるんです。よく見ていただきたい。

アイスランドと、ギリシャ・アイルランドとの財政破産の違い

たとえば今、EUでは、ギリシャとアイルランドが財政的に破産ないしは破産寸前というので、ECBヨーロッパ中央銀行が、巨額の支援の融資をしました。しかし、あんな支援は毒まんじゅうを食わせるようなものです。つまり、ぜんぜん両国民を助けるための融資じゃなくて、アイルランドとギリシャに貸し込んでいるドイツ、フランス、その他のヨーロッパの大手銀行と、その株主や両国の国債の保有者を助けるための融資です。

しかもその融資にきわめて高い利子が付いている。だから負債でつぶれたギリシャ、アイルランドがさらにまた負債を抱え込み、しかもそれで当座なんとか浮かんでいられるだけなのです。それがEUによる救済の内幕で、銀行が生き延びるためなら社会や国家が滅びようがなんだろうが知ったこっちゃない、という状況が生まれています。もうギリシャもアイルランドも孫の代までもみんな、銀行に借金を返すためだけに生きているような国になってしまうでしょう。さらに債権者の銀行のご機嫌をとるために、ギリシャとアイルランドの政府は経済がどん底なのに大増税と超緊縮財政をやっている。この二つの国では、若者が将来に見切りをつけてどんどん外国に移住しているようです。まさに亡国です。

その点、救いはアイスランドです。アイスランドは、銀行が勝手に国のGDPの11倍もの規模のマネーゲームをやったあげく、ご存じのように国家的に破産した。しかしここでは、国民投票で銀行救済を拒否した。具体的に言うと、アイスランドの銀行が資金源だった外国に対して抱えている負債を、国ぐるみで踏み倒したのです。その結果、経済はたいへん厳しい状態ではあるけれど、マネーゲームに責任がない一般国民が銀行に利子と負債を払いつづける必要がなくなった。

この債務不履行の結果、アイスランドのクローナが暴落した。だが、暴落した分、タラの塩漬けなんかを安く輸出できるようになって、経済が持ち直してきている。失業率も大方のEU諸国より低い。状況はひどいけれど、とにかくやっていけるし、アイスランドは再建できるという希望が生まれてきている。その点、ギリシャとアイルランドにはまったく希望がない。それなら、一時的にはどんなに苦しくても借金を踏み倒しちゃえばいいじゃないか。それをやらない。そこが根本問題なんです。

銀行がギリシャやアイルランドにさらに増税だの緊縮財政を強要したら、経済はさらにじり貧になることは誰でもわかります。でも、銀行は政府に対するそういう強要をやめない。結局、銀行の帳簿のつじつまが合っているかどうかだけが問題なんで、その結果が実体経済にどういう影響を与えようが知ったことではない。銀行としてみれば、わかっちゃいるけどやめられないんです。政府の方もですね、租税国家は経済成長を前提に設計されていますから、こういう状態になっても、必死にがんばればトンネルから抜け出てまた景気回復がある、まず銀行を救おう、という発想でやっている。その結果、ますます断崖からまっさかさまみたいな状態になってきています。

租税国家から社会信用国家へ

それではなぜ経済成長が必要かというと、これは要するに利子の問題があるからです。そこそこ食っているだけじゃ、絶対、銀行に借金を返せないから、経済規模を拡大することで利子を返さなきゃいけない。利子つき負債の銀行マネーが経済成長の論理を生み出すのです。

福祉国家の延長線上でBIを考えて、福祉と同じく消費税なり所得税なりの税収を財源にBIをやればいいという議論が、日本ではまだ主流だと思います。私はそう言っている人の揚げ足を取るつもりはないんですが、現実には租税国家の解体がどんどん進行しています。先進諸国ではもう景気の回復や経済成長はありえないので、税収は先細りになるばかりで、今後は福祉、社会保障支出の大幅削減が予想されるし、アメリカでは財政破綻した自治体が教師、警官、消防士などをまとめて解雇し、治安がひどく悪化している例もあるそうです。

租税国家と銀行マネーは一体なのですから、恐慌で銀行マネーが崩壊すれば、それに伴って租税国家の解体が進行する。具体的に言うと、政府が増税しても税収は落ち込む一方だし、赤字国債を発行しても買い手がつかず、税収の大半は銀行への利払いに充てられ、最後には国家予算の編成自体が不可能になるという極限的事態もありうるわけです。こういう国家の自殺を回避する方策はただひとつ、銀行券を政府通貨に置き換え、政府通貨を土台にして国家体制を再組織するしかありません。

そこで、経済を滑らかに回すためにー ―― 負債にも利子にも関係がない ―― 切符のような純粋な交換の手段として政府通貨が発行される、そういう政府通貨によって経済が動く国家を私は「社会信用国家」、ソーシャル・クレジット・ステイトと呼びたいと思います。

ソーシャル・クレジット・ステイト

この国家においては、国民経済の正確なデータに基づいて、必要なだけの通貨を経済に供給することが国家の仕事、その国家信用局の仕事になります。これは気象庁の天気予報のような基本的に技術的な作業です。このように国家の仕事は「信用の管理」になるので、税収を基に国家予算を組んで支出するという、会計としての国家財政というものはなくなります。もちろん国債発行の必要もなくなります。そして当然、財務省も廃止されます。ただ、税金は自治体レベルで部分的に残ってもいいでしょう。例えば、ある町が市民の合意に基づいて、景観保存税を設けるといったことです。

政府通貨の企業への融資については、様々なシステムが考えられます。とにかく国民生活や地域社会に必要不可欠な仕事をしていると公的に認められた企業には、政府通貨が融資されるでしょう。それから日銀と日銀券は廃止されても、地域の銀行は存続が認められるでしょう。だから政府通貨がカバーしない、例えば趣味的な商品を扱っている企業などには、そういう商業銀行が融資する。ただ諸悪の根源である部分準備制度=銀行による私的でアナーキーな信用の創造は認められません。あくまで手持ちの預金だけを貸し出してその手数料でやっていくことが銀行の営業条件です。もっとも、イスラム銀行のように、事業が当たった場合には資金の借り手と銀行が儲けを折半ということは、あってもいいかもしれません。

だが以上とは別に、国家には教育、医療、福祉、国防、その他の資金となる国庫への収入が必要です。税金のかたちをとらずにそういう収入を確保する必要がある。そこで、私は以前の講演で提案したのですが、企業への融資に1~2%のごく低い利子を付けたらどうか。利子という言葉がまずいなら、融資手数料と言ってもいい。政府通貨による融資は国民経済の大動脈をなすものですから、これによる国庫への収入は膨大なものになる筈です。これは、政府が銀行と同じ金貸し業をやっていることを意味しません、そうではなくて、これは企業経済の繁栄が、そのまま国民生活の安定と充実につながるような連動装置を設けることなのです。

政党政治と租税国家

ところが租税国家を社会信用国家に変えようとするや、その最大の障害として現れてくるのが、議会制と政党政治なのです。議会なるものは租税国家の一環をなしている制度であり、だから議会政治の中身といえば、国家予算の編成をめぐる政党間の争いや駆け引きや取引です。税金の取り方、使い方そして昨今は国債発行額の限度といった事柄で政党が争っている、それが議会というものです。ですから租税国家が社会信用国家に変わったら、議会と政党はすることがなくなってしまいます。そもそも会計としての国家財政というものが消えてしまうのですから。

政党とは何ですか。それは租税国家を前提にして、それを自分たちのグループにできるだけ都合よく利用したい連中が、他のグループと争うために徒党を組んだものです。

政党はそういうグループや個人の野心で動いているから経済全体の分析なんかどうでもいいんです。銀行が経済全体の事なんか考えずに融資しているのと同じです。政党と政治家は次の選挙で勝って権力を握れるかどうかだけで動いている。そういう意味では銀行は貪欲を動機として動いており、政治は野心や名誉欲を動機として動いている。人間には野心や名誉欲も必要でしょうが、それで経済を動かされては困るんです。

いずれにせよ社会信用国家が生まれたら、大手都市銀行と政党は存在理由がなくなる。だから銀行と政党は、こういう方向での社会の変革には死に物狂いで抵抗するでしょう。しかし銀行マネーの崩壊と租税国家の解体が進行すれば、そうした抵抗の基盤がどんどん崩れていくことも事実です。

議会制と政党政治は政府通貨とは相容れないと、今、言いましたが、あえてですよ、議会制の枠内で政府通貨が発行されたらどうなるか。それに近い例は中国の人民元です。人民元は変な意味での政府通貨で、銀行マネーならぬ党派マネーです。やはり利子付き負債のマネーですが、中国共産党の独裁支配の道具です。中国では党が銀行に命令します。だから、人民の福祉も社会の安定も生産も消費のバランスも考えておらず、共産党の権力を守れるかどうかの観点だけで融資されている。昨今マスコミは、中国は未来の超大国などというヨタ話を垂れ流しています。冗談もいい加減にしてもらいたい。党派マネーで動いている国にまともな経済発展などありえません。

実際、中国経済の歪みや政府の無茶苦茶な景気刺激策が生んだバブルは凄まじいようで、投資目的で建設され誰も住んでいないマンションが全国に200万あるとか、そのような状態です。

自治体の連合体としての国家

ところで先程から政府通貨と言ってきましたけれども、これは銀行が発行する通貨と発行主体を区別して政府通貨と言っているわけです。通貨の性格で言ったらパブリックマネー、公共通貨と言えるでしょう。この場合、政府通貨における政府とは何を意味するのか。選挙で勝った党派とか、武力クーデターで権力を握った党派とかを意味することはあり得ない。

ここで「政府」とは、社会契約に基づく全人民のしっかりした合意を意味しているのだと思います。政府は人民相互の合意を象徴する存在であるべきです。社会契約とは、社会に参加する以上は人を傷つけるようなことはしませんとか、自分の利益がみんなの利益に一致するように努めますといった、基本的なことをすべての人がすべての人に対して約束することです。

そうならば、政府通貨発行の条件は、その発行と使途の公共性、それが公共の利益に即しているかどうかについての全人民の合意ということになります。そうすると、政府通貨の発行に際しては、国家予算の編制の徹底的な民主化が必要になるでしょう。誰も排除されてはいけない。すべての市民が国家予算の編成に参加する。そうでないと本当に信認されて安定する通貨は発行できない。してみると、政府通貨と国家予算編成の徹底的な民主化は一体のものなのです。しかし、この予算編成の民主化、全人民の討論による予算編成など、可能なことなのでしょうか。

これは論理的には簡単にできる。つまり中央銀行と並んで中央の政府も廃止すればいい。国家を自治体の連合体として再組織する。そして、自治体が市民も参加してその予算案を作る。市民参加の予算作りはブラジルで始まって、日本でも埼玉県の志木など実験的にやっている自治体があります。(ただ自治体連合としての国家といっても、外交や国防などのナショナルな事柄はどうするかという問題があります。これは例えば、自治体の首長が協議会を作り、その成員が互選で「内閣」を組織するといったことなどが考えられるでしょう)。

そういう市民参加で各自治体の予算案を作って、それを中央の国家信用局に上げる。そして国家信用局は全国から集まってきた予算案を国民経済計算のデータと照合しながら調整し、統合して、国家予算を編成し、それに従って通貨を供給すればいい。この場合、国家信用局の課題は調整と統合およびインフレの予防です。通貨の過剰供給によるインフレが発生することがないよう予算案を審査し、必要なら自治体の同意の下にそれを修正する。ただし予算案の中身には立ち入らない。もし市民がおかしな予算を作って問題が起きたら、そのツケは市民自身が払って、将来への反省材料にするべきなのです。以上は体制転換の精密な青写真などではなくて、こういう考え方、やり方もあると、例を説明申し上げているわけです。

中央と地方

このようなかたちで、全人民の討論による国家予算の編成が可能になります。この方式なら、国家予算で何を優先するのか、教育か医療か福祉か国防か、そういうことも常時国民投票をしているのと同様な形で決めることができる。そして予算がつくというかたちで国民の選択が明確になるわけです。今の話を聞いて、これは結構だが革命的ユートピアじゃないかとおっしゃるかもしれません。しかし国家予算編成の民主化について、私は悲観していません。確かに、今、私が提示した方式はラディカルすぎる。すぐに実現できるものではない。しかし租税国家が解体する中で、議会も政党も中央の官僚制も、もうまともに機能していません。皆さんもそう思うでしょう? 今の国会なんか、程度の悪いナンセンスギャグコメディーみたいなものです。

国家は機能不全の状態。これは深刻な問題ですよ。日本の財政はアメリカやEUよりはまだ破綻までに時間的に余裕があると思いますが、このままほっておくといずれは、年金も、健康保険も、全部なくなっちゃうかもしれない。

そしてこの状況の中で、市町村から道府県に到る自治体が、国民生活の危機と転換の焦点になってきていると思うのです。その理由は、国と地方では財政の事情が違うからです。国の場合は財政が火の車になったら、日銀=銀行業界に懇願して、景気刺激策や赤字国債発行で多少は渋々協力してもらえることがある。しかし地方にはそんな日銀とのパイプなどなく、財務省の言いなりです。地方は90年代のバブル崩壊後に、国に景気対策として地方債による公共事業をやらされた。今その巨額のツケが回ってくる中で、税収がどんどん落ち込んでいる。しかも地方自治体は中央の政府と違って住民に密着していますから、福祉切捨てなどやたらに不人情なこともできない。アコギなことをすれば、すぐに首長の評判にはね返る。こうして自治体は、破綻した国家財政と住民の間で板ばさみになり、身動きできない状態です。そのうえグローバリゼーションによる地域経済の衰退や地域人口の高齢化など、国政のツケもすべて東京以外の地方に回されています。

それゆえに、現在の日本では中央と地方の間に活断層が走っていて、それが今後のこの国の政治の震源になりそうです。これからは地方自治体が日本の政治の焦点になってくるでしょう。だから我々としても、国政選挙なんか放っておいて、自分たちの住んでいる地方自治体の尻を叩く必要がある。もしも自治体が、財政が苦しいから、例えば保育園への補助金を打ち切るとかそういうことを言ってきても、頑として認めないようにする。「子どもたちが健やかに育つためには、優良な保育園が絶対に必要だ。財政のことはそっちで考えろ」と、徹底的に分からず屋として抵抗して、自治体を追い詰める。自治体が追い詰められて、国家に八つ当たりしていくように仕向けることが必要です。とにかく、自治体の財政事情に対して物分りがよくなってはいけないと思います。むしろ要求をどんどん出していくぐらいのことが必要でしょう。

自治体銀行 ―― 段階的な戦略

それはとにかく国家を自治体連合に再組織するというのはラディカルな案で、すぐには実現しない。それでは、段階的に社会信用国家を作っていく手立てはないでしょうか。ここでまず必要なのは、日銀と財務省をバイパスするマネーフローを作ることです。住民の利益に、必要に答えるような、マネーフローを設計する。

自治体の懐は苦しいけれども、自治体はそれぞれ、山野だの、名所旧跡だの、公共の建物だの、様々な資産を持ってます。そうした自治体の持っている資産を裏付けにして、各自治体が資金を……出しあって、全日本自治体銀行という公立銀行を作ったらどうか。この銀行はあくまで公共の福祉のための銀行ですから、教育とか福祉とか地域社会の安寧と繁栄に必要なものに優先的に融資する。地元の地域社会で重要な役割を果たしている地場産業、中小企業に融資とか。一応、利子は取ります。政府通貨じゃなくて日銀券を使っていますから。ただし低利子で、しかもこの利子収入は、そのまま自治体の収入になります。今みたいに経済が低迷している時には、こういう利子収入は自治体にとっては非常によい財源になる筈はずです。それから、この銀行で働くのは自治体の公務員で、その職務で特別に高い給与をもらう訳ではありません。

そしてこの公立銀行は、銀行の部分準備制度を公共の福利のために活用すればいいのです。全国の自治体が懸命に資金を集めても、100億円くらいにしかならないかもしれません。しかし、今、言ったように部分準備制度を応用すれば、これが800億とか1,000億になって地域社会に融資できます。

自治体の公立銀行の実例としては、現にアメリカに北ダコタ銀行という州立の銀行がありまして、これが非常に成功している。この銀行は、かつて東部の銀行資本と戦った西部の農民運動が生んだ銀行です。地元の地域経済発展のために、公共的な意義のある融資をやっています。その収入は北ダコタ州の収入になります。今、アメリカの州や都市の多くが破産状態ですが、北ダコタ州は黒字で、失業率も全国でいちばん低い。

この自治体銀行は、地域の銀行とは協力し協調する必要もあるでしょう。北ダコタ銀行もそうしています。ただ、大手都市銀行は自治体銀行に対して、「営業妨害だ」と激しく反対するでしょう。それなら我々は逆に「大手銀行はこれまで何をしてきたのか」と問い詰めればいいのです。大手都市銀行は潰れた方がお国のためです。

もし全日本で自治体銀行を設立してうまくいったら、次のステップに進む。今度はいよいよ通貨を発行する。政府通貨に等しいものを、日銀と財務省をバイパスして発行する。ただ、日本国の法律では日銀が法定通貨を発行するので、それ以外には誰も通貨を発行できないことになっています。しかしこの問題は言い逃げてしまえばいいんです。これは通貨ではなく証書です、人が働いて物やサービスを生産したことを証明する証書です、と言い張って、それを実際は通貨として流通させてしまえばいい。そういう証書の流通によって経済が一気に回復したら、財務省や日銀も文句をつけにくいでしょう。

そういう自治体財産証書みたいなものを発行し、自治体がそれを梃子にして日銀と財務省をバイパスした地域自治体連合経済を作っていく。こういうことをやらない限り、租税国家は追い詰められて、増税と緊縮財政を繰り返して自滅するだけです。

社会実験を促進するためのBI

ここでようやくBIの話になります。というのも政府通貨が根本的な課題で、政府通貨が実現したら、BIはお茶の子さいさいで出来てしまうからです。まず、BIの財源の問題がなくなります。そして銀行マネーが消滅し、利子付き負債の返済が経済を動かすことがなくなると、経済成長、GDP(経済規模)の拡大はもう国や企業にとって至上命令ではなくなる。そして政府通貨の安定した流通を実現するためには、生産と消費が均衡することが望ましいと考える人々が増えるでしょう。その結果、政府通貨でBIを保証することこそ、政府通貨のもっとも有効な使い方だとする世論が高まるでしょう。

そういう意味で、BI実現のためには、まず政府通貨という第一のハードルを突破しければならないと、私は考えているのです。その上で、BIについて二言ばかり付け加えたいことがあります。まず第一に、BIは福祉の延長線上にあるものではないことはおわかりだと思います。逆にいえば、仮にBIが実現したからといって福祉は切り捨ててもいいということにはなりません。BIと福祉は、本来、目的も意義も異なるものなのです。

私の考えでは、BIを求める世論の高まりは、今の社会が巨大な実験をしようとしていることに関係しています。冒頭で申し上げたように、今後、我々はゼロ成長経済の中で生きていくしかありません。ところが現代社会では、経済も国家も成長を前提にしたシステムとして作られている。教育もそうです。そしてゼロ成長やマイナス成長社会をどうしたら作れるのかは、はっきりいって誰にもわからない。結局、そういう新しい社会は、すべての人が生活者として実験し、模索する過程の中から、徐々に生まれてくるのでしょう。そうした実験的な生き方を可能にするところに、BIの深い意義があると私は考えています。

具体的な例を上げると、今の就職超氷河期で必死に就活して、100社回っても全部はねられた、そんな思いをするくらいなら、以前から関心があったし、地方で有機農業をやってみようか、と考える若者はかなりいるんじゃないでしょうか。

といっても、都会人が一人前に農業をやれるようになるには、だいたい10年はかかりますよ。

しかしBIがあれば、ライフスタイルの転換は極めて容易になる。安心して農の修業ができる。それから経済成長ゼロの社会においては精神的な要求の充足が重要になってくるでしょう。そこでは芸術や芸能の役割は大きいでありましょう。しかし芸術は、それでは食えないものと、相場が決まっています。それだけにBIは芸術や芸能に関係する人たちを支えることで、経済中心から文化中心への社会の原理の転換に貢献できるだろう。実験的な生き方を可能にするBIは、革命とか暴力なしに社会の在り方を変えていくことができる。

だから、「BIが実施されたら怠け者が増える」といった議論を、私は相手にしません。むしろ実験的な自由な生き方をしてみようと思う人が、一斉に出てくるんじゃないでしょうか。

BIの未解決問題 ―― 3K労働

しかしながら、BIには実は未解決の大問題があると思います。3K労働をやる人がいなくなる可能性がある。BI論者の中には、3K労働をやる人には高給を出せばいいという議論がありますが、そういう発想はダメだと思います。今の若者はたとえ高給を貰えても嫌な仕事はしない。ネットカフェ難民になるくらいだったら3K労働をやろう、とは思わないようです。もっとも私は、食い詰めても自分がピンとこない仕事はしないというのは、今の若者のいいところだと思っているんですよ。彼らは、自分がピンとくる仕事なら、無給のボランティアでもせっせと働きます。ともあれ、派遣切りをやられたり、ネットカフェ難民をやってる若者でも、月50万やるから漁業やらないかと言っても来ないらしい。私の地元の渥美半島でもそうですが、今の漁業は中国人労働力なしには動いていかない状態になっています。

これはしょうがないです。だからBIが実施された場合、アジや秋刀魚の味覚はあきらめる必要があるかもしれません。そこでちょっと脱線して、この問題をさらに考えてみますと、漁民の子弟は就職と思って漁師になるわけではない筈です。就職と考えたら、こんな3K労働は嫌だ、ということになるでしょう。

そうじゃなくて漁村や農村、とくに漁村の場合はどこでも近代以前からの長い歴史があり、豊かなフォークロアが語り継がれる共同体がある。そういう共同体の中で育ってその伝統を世代的に継承していく、そういう意識で漁師になるのだと思うのです、漁民の若者は。これを就職みたいにしてしまったら、農業や漁業はやる人がいなくなる。ですから農業や漁業の後継者不足は、ある意味でフォークロア的共同体をどうやって再生させるかという問題でもあると思います。これは経済政策や政府の号令で解決できる問題ではない。これもやはり様々な人が模索するしかないことなのでしょう。しかし、そういう模索をする人々には、BIはやはり一つの支えにはなるでしょう。

とにかく3K労働の問題は、BI論議において未解決の問題であると私は考えております。

今日はこれで一応話を終わりにします。どうもご静聴ありがとうございました。

古山明男さん講演録「ベーシック・インカムのある社会」第2部

古山明男 講演録

「ベーシック・インカムのある社会」

― 労働と教育の根本的転換 ―

第3回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年7月12日 於:青山学院大学

講演者:古山明男

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

講演者より
この講演録は、2009年7月12日に青山学院大学で行われた講演をもとにしていますが、説明がよりわかりやすいものになるよう、大幅に加筆修正してあります。 ここに記載された内容は実際の話より「こういう説明をしたかった」ものであることをご諒解ください。 なお、講演趣旨の変更にあたる場合は、附記として最後に付け加えています。

第2部「生活を保障する公共通貨」INDEX

  1. ベーシック・インカムの財源
  2. 電子マネー型公共通貨 e¥
  3. e¥の使い方
  4. 引き出し権は絶対に保護される
  5. お金が生まれる仕組み
  6. 信用創造が生産側だけでいいのか
  7. 消費者側への信用創造
  8. 普通¥(円)との交換手数料
  9. e¥は納税通貨
  10. 歴史的実例
  11. なぜ減価させるのか
  12. e¥の正体は“積立型”国債
  13. e¥では使えないもの
  14. 減価の方法
  15. e¥を受け取った企業はどうするか
  16. 運転資金
  17. 減価マネーでの貸し借り
  18. 長期資金の返済
  19. 銀行貸出しの大変化
  20. e¥管理銀行による無利子融資
  21. e¥での賃金
  22. e¥での国、自治体の税収運営
  23. 公共経済の財源
  24. おおまかなシミュレーション(1) GDP
  25. おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築
  26. 輸入増の問題
  27. 財政問題
  28. コントロールしやすさ
  29. 地方通貨も可能
  30. 附記1 e¥の流通残高
  31. 附記2 e¥回収額の設定について
  32. 附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈
  33. 附記4 “減価ストップ債”の方法
  34. 附記5 納税されたe¥も減価ストップしない
  35. 附記6 利払いの割増費用
  36. 附記7 合計5つのレバー
  37. 第1部へ戻る

ベーシック・インカムの財源

古山明男さん

話し手:古山明男さん

1949年千葉市生。 京都大学理学部卒。 出版社で雑誌編集に従事したのち、私塾、フリースクールを主宰し、さまざまな教育ニーズに応える。 教育制度、教育財政を研究。 著書に『変えよう!日本の学校システム』(平凡社)。

「ベーシックインカムのある社会」blog
economics-human.at.webry.info
古山教育研究所HP
www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym

ベーシック・インカムの最大の問題はですね、じゃあ実現させるお金があるのかなんです。

月8万円出すとして、子どもが半額として年115兆円ほどかかります。今の地方と国を全部合わせて予算規模が150兆円。政府予算で80兆円。いまの国の予算を軽くオーバーしちゃうんです。

ですから普通に考えたらきついでしょ。そんなことできるのか、って言うのは当たり前です。そしてそれに向かって「出来ます」と言うなら、それはやっぱり責任ある形で提示しなきゃいけないんです。

具体的な方法はいくつかあります。まともに行くんなら税でちゃんと集めて構成します。

これはね、小沢修司さんなんかが所得税45%でいちおう行けるんじゃないか、と計算しています。

もうひとつ消費税を財源とするというやり方があります。たとえばゲッツ・ウェルナーというドイツのドラッグストア・チェーン店をやっている社長さんがベーシック・インカムを主張していて、所得税なしで、消費税50%、それでベーシック・インカムの財源は出る。そういう計算をしているのがあります。

日本の今の状況でおおざっぱな計算をしてみると、税負担を考えるときの基礎にする国民所得というものがあって、それが約370兆円なんですね。

そこから、たとえば北欧諸国は所得の7割くらい税金と社会保険に使っていますので、それくらい出す気になりますとね、260兆円くらいを再配分に回せます。そうしますと110兆円のベーシック・インカムを出して、まだたっぷり残ります。だから、もし北欧諸国並みの負担率を覚悟すれば、すぐにでも実現可能です。

ベーシック・インカムはそもそも不可能ということではなくて、可能なだけの経済規模を私たちは持っているということなのです。

しかしながら、実際の増税は難しいです。やっぱり増税アレルギーっていうのはありますし、現実問題としてはなかなかまとまらない。

しかも、現実に税収の落ち込みが始まっています。この間の報道では、昨年度の税収がね、前年度に比べて13%落ちちゃった。国の税収50兆円位あったのがね、43兆か44兆です。今年もっとひどいですよ。

それから地方の税収も落ちています。

この状況だからこそ根本的な財政問題とかベーシック・インカムとかの議論に入れるんですが、入れるんだけれども、そのときには正真正銘、金がないんですよ。そういうジレンマに今あるわけですね。

80年代にもし高負担、高保障型の財政に移行する合意が出来ていたら楽に出来ていたと思う。あのころは財政力強かったです。でも、いまは財政基盤が弱くなっています。

電子マネー型公共通貨 e¥

そこで、私がこれなら実現可能性があると思う、電子マネー公共通貨案があるんです。これだと、財源はいりません。新たな経費的なものは年数兆円程度かかりますが、それで100兆円を超えるベーシック・インカム全体を運営できます。

前回関さんの講演会を聞いていらっしゃった方あると思うんですけれども、関さんは財源はいらない、公共通貨を出せばいいというお話でした。

私も、新しい公共通貨発行によってベーシック・インカムが可能だと考えています。いまの日本というこの社会の中でやれる形を考えてみました。

ウソみたいな話だと思うかもしれませんが、魔法じゃありません。片方で、生産の設備と技術は余っている。もう片方には、働いても働いても報われない人たちやお金がなくて生活に困っている人たちがいる。そういう状況なら、パイプを作るだけでうまくいくんです。

公共通貨は、いろんなものがあり得ます。これから紹介するのは、減価マネーを使って消費者側に信用創造するタイプです。これなら信用されるだろうという堅実なものにしました。

公共通貨は、誰にどのように渡すか、税とどう組み合わせるかなど、実は他にもいろいろなものがあり得ます。色々あります。みなさんも、これをもとに、シミュレーションをいろいろやってみると、おもしろいと思います。

e¥の使い方

e¥(イーエン 仮称)
  • 紙幣や硬貨は存在しない
  • ICカードで決済

これから話をする都合があるので、e¥(イーエン)ととりあえず名前をつけさせてもらいます。これね、紙幣もありません、硬貨もありません。JR東日本のSuicaとか私鉄のPASMOとかありますね。あれと同じです。カードで触ってピッ、で支払い終了。

ベーシック・インカムが生まれてくるための、すべての個人の口座がありまして、国ないし自治体が管理しています。そこに、たとえば毎月8万円、e¥を引き出す権利が発生します。

図1:すべての個人に新通貨の引き出し枠ができる。

注意:この個人枠は通常の銀行口座とは性格が違う。

それをカードにチャージすれば、どこのお店でもカードをピッと触れるだけでお買い物できます。チャージは、郵便局やコンビニでできるように機械を置きます。高額のお買い物でしたら、IDとパスワードを使って、自分のコンピュータか、お店のコンピュータから払います。

なんでいちいちチャージする方式にするかというと、カードというのはいつも盗難、紛失、偽造の怖れがあるからです。カード自体には数万円程度しか入らないようにして、お財布と同じ使い方をします。カードは何枚も持っていてかまいません。これなら、お小遣いの金額だけ入れたカードを子どもに持たせて、気楽に使わせることもできます。

でも高齢者や僻地に住む人は、カードを使うのが困難な場合もあるでしょう。そういう場合には、ベーシック・インカムを現金で受け取れるようにします。

 

それだったら、それぞれの人が指定する銀行口座に毎月振り込めばいいじゃないか、いまの給料振り込みと同じでいいじゃないかと思うでしょう。

実は、このe¥は、普通の銀行口座に振り込むわけにいかないんです。普通のお金と性質が違うので、普通のお金とまぜることができません。

e¥は、毎月1%ずつ目減りするのです。銀行がこんなお金を預かったらたいへんです。預金の利息が年に1%もつけられないのに、預かったら毎月マイナス1%、(複利で年にマイナス11.4%)なんて、それは銀行にとってあんまりです。

図2:月の1%の減価

1ヵ月以内に他人に渡せば、負担はなし。

でも、銀行で決済ができるようにしないと不便です。ですから銀行には、e¥専用の口座が作られることになるでしょう。その口座では、毎月1%の目減りは、預金者が引き受けます。その口座を電気料金や水道料金の引き落としに使います。送金に使ってもいいです。給料振り込みに使ってもいいです。銀行は、手数料をとって、管理しているだけです。

引き出し権は絶対に保護される

それだったら、とまた疑問が湧くと思います。はじめから銀行にe¥専用の口座を作って、そこにベーシック・インカムを振り込めばいいじゃないか、と考えませんか。なぜ、国か自治体に個人口座を作って、「引き出し権」にするのか。

ベーシック・インカムが生まれるとき、引き出し権として別にする理由が二つあります。

  1. 減価しないし、担保にもされない聖域を創る。
  2. 将来、個人が信用創造できる可能性を作る。

まず、聖域を作ることについて説明します。ベーシック・インカムは、なんの対価でもない、それぞれの人の生活権を保障するためにだけ生まれるものです。

この引出し権は絶対に保護されています。絶対に誰も差し押さえはできません。本人しか引き出せません。ですから、ヤミ金融に追われている人も、家庭内暴力から逃げだしたい人も、これを頼りに生き延びることができます。

そのベーシック・インカムを、毎月引き出して生活費にしてもかまいません。1~2年貯めて、車を買ってもいいです。万が一の時のために、とっておいてもいいです。たとえば、5年引き出さないでいると、500万くらい貯まります。ただし5年以上も引き出さなかったぶんの権利は消滅させたほうがいいでしょう。

引き出し権は目減りしません。まだお金ではないからです。「手続きすれば、お金になりますよ」と言われただけで、もらったわけではないのです。所得税もかかりません、資産税もかかりません。誰も奪えません、借金のカタにとることができません。

ベーシック・インカムが、最初から減価するお金で渡されると、生活に余裕のある人まで早く使おうとするので、消費が不必要に膨らみ、せわしない世の中になりそうです。

引き出し権のままプールされるようにしておけば、通貨供給を不必要に増やしません。また、好況の時にはあまり引き出されず、不況のときにたくさん引き出されるので、ちょうどダムのような働きをすることになります。

法律的には、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」にもとづきます。

 

もう一つ、引き出し権の口座を作る理由があります。それは、個人が信用創造できるようにすることです。引き出し権のときはまだお金ではないのですが、e¥としてチャージするか銀行口座に移した瞬間に、国がお金としての価値を保障します。これは、個人がお金を創っていて、それを国がバックアップしているとも言えます。

いま、銀行がお金を創ってしまえるのですが、個人もお金を創ってしまえるようにしようということなのです。

同じ仕組みを使って、将来、出産とか、成人とか、病気や事故に遭ったとか、そういう時に、個人も新たにお金を創れるようにできます。将来、これで、セーフティ・ネットの完備した社会を作ることが出来ます。もちろん、やたらにお金を創れるということではなくて、だれもが納得できる基準に合っているときだけです。

個人がお金を創ってもいいのですか?

このことを説明するには、お金の仕組みがどうなっているかから説明しなければなりません。

お金が生まれる仕組み

お金というとふつう現金のことを思い浮かべます。でも、現在使われているお金の大部分は銀行預金なのです。

会社同士の決済は、互いの銀行口座から銀行口座へと振り込むことで行っています。普通の人の給料も、今は銀行振り込みになってますね。電気、水道、ガスも銀行引き落としです。

お金の大部分は、銀行預金のまま流通しています。いちいち現金にしないのです。

そのほんの一部分が、給料や買い物のために、紙幣の形になっているだけです。量で示すと、次の図のようになっています。これは、お金の量を表すのによく使われる、M2と呼ばれる預金と現金の合計です。

図3:お金の量(M2)

2009年6月現在(日本銀行調査統計局)

その銀行預金が、銀行でどんどん生まれるのです。銀行がお金を創っています。そんなバカな、銀行だってだれかが預けなければ預金は増えないだろう、と思うでしょう。ところが、おもしろいメカニズムがあるのです。

銀行預金は、銀行が「わかりました、ご融資いたしましょう」と言った瞬間に生まれています。

どういうことなのか、図を使って説明しましょう。

図4:信用創造の仕組み(1)

いま銀行が、A社という企業に100万円貸出をしたとします。そうしますと、銀行はA社の預金口座に100万円を書き加えます。そして、「ご融資いたしましたことをご確認ください」と言います。貸したという書類も作ります。

このとき100万円は、銀行の預かり金から移転させたのではありません。お金を貸した相手にすぐに預金させたのです。すると、結果として、集めた預金を貸したのと同じになっています。しかし、100万円の銀行預金はまったく新たにできました。つまり、ここで新しいお金が生まれています。

この新しい100万円はもう生まれていて、流通します。この100万円をA社がP社への支払いに使ったとしても、やはりどこかの銀行預金になっています。

図5:信用創造の仕組み(2)

さらにP社がこのお金を現金にして給料として払っても、同じ額がどこかに存在しています。お金はもう生まれてしまい、流通しているのです。

さらに、このやり方で、雪だるま式に預金が増えます。次の図です。

図6:信用創造の仕組み(3)

銀行はA企業へ貸出をしたので自分のところの預金が100万円増えました。預金が増えたのですから、その100万円をまた貸出に使えます。

そのままの額を貸出すことはできず、ある率は準備にとっておきますが、たとえば9割の90万を貸すとします。その90万は、また新たな銀行預金として生まれます。そしてまたその9割の81万円を貸します。こうやっていくと、どんどん増えますね。高校で教える無限等比級数を使って計算すると、合計で1,000万円のお金が生まれます。

これが、いまのお金のしくみです。お金は、銀行が貸出をしたときに銀行預金として生まれます。そして銀行預金のまま、あちらの口座からこちらの口座へと動いています。そして給料として払われて生活費になったり、税に払われて政府の予算になったりします。でも、元の生まれたところはと言えば、ほとんどは銀行の貸出だったのです。

預金の一部が、給料支払いの時などに、日本銀行券の姿になります。それをわれわれが、買い物に使っています。

信用創造が生産側だけでいいのか

こういうふうにお金を創ってしまうことを、信用創造と言っています。いろんな信用創造があるのですが、銀行の信用創造で生まれるお金を銀行貸出マネーと呼ぶことにしましょう。

銀行貸出マネーは、企業が「これから生産活動を行いたい」という時に、新しくお金を創れるシステムなのです。好況でお金が必要なときは、どんどんお金が生み出されますし、不況でお金の必要が少ないときは、返済されるお金のほうが多くなります。たいへん柔軟であるという長所があります。

なかなかよくできていて、高度成長する経済を支えることができました。

しかし、大きな問題もいくつかあります。

銀行貸出はすべて利息を伴っていますから、貸出の総量より返済の総量が必ず多くなります。経済成長を続けていないと、全部は返せなくなるのです。

また、銀行貸し出しマネーは、生産活動だけではなく、株や不動産を買うためにも生まれています。株や不動産は、投資と投機の区別が難しいです。買うから値上がりし、値上がりするから買う、で実体以上の値段がついては、暴落して大量の不良資産を生み出します。それがバブルです。

世界各国でバブルは起こっています。バブルはネズミ講のようなものでして、かならずいつかははじけます。その影響があまりに大きいので、各国の政府と中央銀行は次のバブルが起こるように誘導して、その場をしのいでいます。でもこれは、問題を先送りしただけです。次にもっとひどい症状が待ちかまえています。

そして根本的な問題は、この銀行貸出マネーは、生産の側には必要に応じて供給されますが、消費の側には供給されないことです。消費者の側は、賃金からしかお金を得られません。

図7:消費の側には信用創造が適用されない

もちろん消費者ローンはあります。でも、消費者はお金を貸してもらっても、お金を返すときは、消費を切り詰めて返すしかありません。

そのため、消費者が使うお金が増えないので、生産側も収入がのびません。企業が銀行に貸出を受ければ店の設備を作ることはできます。しかし、肝心な売上げは、消費者が買ってくれないと伸びません。

銀行貸し出しマネーだけでは、人々の所得を増やせないことを、よく現したグラフがあります。日本の通貨の量とGDPを表したものです。

図8:通貨量とGDP (日本銀行「時系列統計データ」より作成)

GDPというのは、企業利益と個人所得の合計です。日本のGDPは、90年代以降ほぼ横ばいです。ところがその間にお金の量(代表的な指標であるM2をとりました)は、どんどん増えています。

このようにお金はじゃぶじゃぶとあります。でも、人々の収入は増えていないのです。

消費者側への信用創造

そこで、消費者側に信用創造することが考えられます。ベーシック・インカムとしてお金を生まれさせるのです。

生産と消費は一体のものです。それに必要なお金を、生産側から入れても、消費側から入れても、同じことです。いったん入れれば、あとは循環するだけです。

消費側に信用創造してしまってもいいではありませんか。これで、生産と消費のバランスがとれるようになります。

図9:消費者側への信用創造

とはいえ、ここで大きな問題があります。

消費者への信用創造は、貸し付けても返済される見通しがありません。消費者は、お金を使えばそれっきりなのです。それが消費というものです。ですから貸すのではなく、あげるしかありません。しかし、そうすると出回っているお金がどんどん増えていきます。ベーシック・インカムは毎年100兆円もの額になります。流通して、結局はお金持ちのところに集まり、バブルになりそうです。今の世の中では、お金があまった人たちは、モノを買うより株や不動産に向かいますから、インフレよりバブルのほうが起こりやすいです。

でも、持続可能なサイクルを作ることはできます。普通の方法としては、消費税や所得税で回収することです。この方法も真剣に検討されてよいと思います。

しかし、コンピュータが発達した現在、電子マネーを利用すると、そのお金が人から人へと移されるたびに、たとえば1%ずつ、自動的に回収することができます。お金を使った人は、かならずそのお金の恩恵を受けているのですから、わずかな使用料を払うつもりで回収に応じてもいいではないですか。あらゆる口座移転の際に回収します。

図10:電子公共通貨 回収システム

つまり、この電子マネーによる信用創造は、個人に貸したが、返済は人から人へと回るときに、使った人みんなでする、という形になっています。みんなで担う、公共の通貨なのです。けっきょく、ベーシック・インカムを受け取った個人は返さなくてもいいのですから、もらったことになります。誰もが同額をもらっているのですから、不公平はありません。

使った時の1%回収だけでなく、この電子マネーは1ヵ月保有するごとに、その保有者から保有料として1%を回収します。この公共通貨は、みんなで使うためのお金です。誰かが資産として貯め込みにくくしてあります。ただし、1ヵ月以内に使った場合には、保有料は払わなくてかまいません。

こうしますと、この電子マネーは、絶対に毎月1%以上が回収されます。毎月1%というペースは、5年9ヵ月で半分になり、20年で1割以下になるペースです。発行されたe¥は、かならず消滅します。だから、次から次へと出すことができます。

回収された電子マネーは、また次のベーシック・インカムの資金にできます。古い電子マネーを消滅させるのにも使われます。(附記1)

こうすれば、持続可能な、消費者のための信用創造システムが作れます。しかも、返済に困る人も現れませんし、貸し倒れの心配もありません。

さらに将来は、この電子マネーシステムを使って、ベーシック・インカムだけではなく、人々の生活の必要に応じた信用創造ができます。病気や怪我をしたとき、医療費や生活費のために信用創造していいのです。あるいは、一家の稼ぎ手が急逝したとき、家族に信用創造を認めればいいです。

そうしたら、生命保険や疾病保険なしに、国や自治体の予算もなしに、生活のセーフティ・ネットを作れます。

ただし、電子マネー公共通貨による信用創造は、生活に必要なことに限定することが大事です。それが、インフレやバブルを防ぐことになります。

普通¥(円)との交換手数料

e¥は普通のお金と交換できることが保障されていないと不便です。普通の円と交換が保障されていないと、「e¥では受け取れません」という人やお店も出てくるでしょう。

でも、もしe¥と普通のお金を自由に交換できたらどうなるでしょう。誰でも、e¥をもらうと同時に、普通のお金に換えてしまうに決まっています。目減りするお金より、目減りしないお金のほうがいいですから。そうしたら、e¥は流通しなくなります。

そこで、e¥から普通のお金に換えるときは、手数料を取るようにします。たとえば、1年分の減価にあたる11.4%を払ってもらいます。

こうしますと、手数料を払って紙幣に換えることが保障されます。でも、安い手数料でもないので、e¥のまま使ったほうが得になります。買い物にはほとんどe¥がそのまま使われるでしょう。

でも、結婚式のご祝儀はやはり紙幣でないと熨斗袋に入れられませんね。それは、銀行に行って11.4%の手数料を払って1万円札に交換してもらいます。

e¥は納税通貨

新しいお金を作ろうとするとき、それを受け取った人の立場を考えなければなりません。

そのお金を受け取ったお店にとって、使い道があるかどうかなんです。もし使い道がないならば、お客がe¥で払おうとしても、お店としては「普通のお金で払ってください」と言います。そうなったら、もうe¥は流通しないお金になってしまいます。

どうすれば、e¥を受け取った側が、そのお金をもらっても不自由しないでしょうか。

必要なことは、e¥をそのまま納税に使える通貨として認めることです。e¥は国が作る公共通貨です。その通貨を国が税金として受け取らなくて、「税金は日銀券で払ってくださいね」などと言ったら、どうなるでしょうか。そんな通貨は誰も信用しなくなってしまいます。だから国は、ふつうの¥とこのe¥をわけへだてなく税金として受け取ります。地方税にも使えます。

そうすれば、どこのお店も会社も、e¥を受け取ります。税金に払えるなら、誰でも必ず使い道があるからです。自分が多すぎれば、納税の多い人と交換すればいい。

そうするとおもしろいことが起こります。e¥は月に1%ずつ目減りするお金です。商売をしている人たちにとって、月に1%は死活問題です。e¥を受け取ったら、さっさと手放してしまおうとします。税金の支払いに使えるなら、e¥をつまみ出して、払ってしまいます。それでもまだe¥があるなら、先の税金まで払おうとします。持っているよりはましです。

つまり、税金の先払いが流行るようになります。納税者が「来年のぶんまで払わせろ」と言うと、税務署が「ダメです、今年のぶんしか受け取れません」と押し問答するようになるかもしれません。

歴史的実例

このような減価するお金、しかも納税に使えるお金は、実例があります。

1932年にオーストリアのヴェルグルと言う町で地域通貨を出しました。大恐慌の時代なのですが、この地域通貨のおかげでこの町だけものすごく経済効果が上がって生き延びました。これは町でもって労働証明書という名前で紙幣を出しちゃいまして、公共事業をやったときの賃金として払いました。その紙幣は毎月額面の1%のスタンプを買って貼らないと通用しないという仕組み作りました。これがその紙幣の写真です。

図11:ヴェルグルのスタンプ通貨

この証書の右上に空欄がありますけれども、所有者はここに毎月一枚づつスタンプを買って張るんですね。それは1%ずつ毎月価値が減っているようなものなんですよ。

このお金は持っていると余分なスタンプ代を払わなければならないので、どんどん使われます。お金の形で貯め込もうとしないで、早く使おうとするのです。そのため、ものすごく経済が活性化しました。失業者が減り、生産が増えました。税金を前払いする人たちも現れました。

すごくうまくいったんです。でも、真似しようとするところがたくさん現れたもので、通貨制度が混乱することを心配した国に禁止されてしまいました。これやると税金が地方には入るけれど、国の方に入らなくなっちゃいます。

e¥は、このヴェルグルの労働証明書みたいなものと考えればいいです。スタンプ貼る代わりに、手持ちのe¥の一部を自動的に回収していきます。そのため、手持ちのe¥が減るのです。

なぜ減価させるのか

我々はお金を貯めたがります。すべてのモノは、腐ったり、すり減ったり、壊れたりしますが、お金にしておけばいつでも欲しいモノと交換できるからです。お金が貯まっていると、とても安心できますね。

すると、どうしても貯めるのが上手な人と下手な人がいます。上手な人はたくさんお金を集めて、使わずに貯め込みます。そうすると、お金が循環しなくなります。トランプでチップをぜんぶ集めてしまう人ができると、ゲームが続行不能になるようなものです。生活に苦しむ人ができるし、経済活動が滞ります。

そこで、貯まったお金が活用されるように、利子という制度を作って、お金持ちがお金を貸すようにし向けます。銀行がその仲立ちをします。これで、お金が死蔵されることはなくなります。でもそうすると、お金を持っている人は何もしなくてももっとお金を殖やすことができますし、お金のない人はけっきょく利子のぶんをたくさん払わなければなりません。貧富の差がどんどん大きくなります。やがて、ドカーンとすべてをご破算にしてしまうような事態が起こります。

ゲゼルという経済学者は、減価するお金を考え出しました。われわれの生活に必要なさまざまな物資よりもお金の価値が少し低くなるようにするのです。そうすると、お金は貯め込まれなくて、よく流れるようになります。ヴェルグルの町長さんは、ゲゼルの理論を実行したのでした。

減価するお金は、お金を貯め込む人たちからお金を徴収するのと同じ働きがあります。人々はお金を貯めるより、お金を使おうとします。お金は滞らずに循環するようになります。

しかし、お金が目減りするだけだったら、みんなが貧乏になります。お金が湧き出しているところが必要です。

すべての個人ごとに必要な生活費としてお金を湧き出させるのが、お金のもっともよい湧き出しどころだと思います。どんな文明であろうが、人々の生活維持が経済活動の根幹なのです。生活費は、労働と生産を生み出すために使われ、次の人へと渡されていきます。ベーシック・インカムと目減りするお金の組み合わせは、いつも流れている川を作り、そこから誰でも水をくめるようにするようなものです。誰でもが安心できる社会を作れます。

しかし、目減りしないお金も存在していないと、いまの経済はうまくいきません。普通のマネーとe¥が共存していくのがいいと思います。

e¥の正体は“積立型”国債

では、このe¥という電子マネーは誰が発行した、どういうお金でしょうか。

おもしろいことに、いろいろに作れるのです。政府が発行した通貨としてもかまいません。別な日銀券としてもかまいません。あるいは、政府が保障する新たな種類の消費者クレジットとすることもできます。

いろいろあり得るのですが、「信用される通貨を作る」ことが大事です。それには、e¥は国債である、とするのがいちばんいいと思います。

国債というのは、国が発行した債券で10年後とかの期日に額面の金額を払い戻します、という約束なのです。国債は、あらゆる債券のうちでもっとも信用があります。もしそのまま人に渡せば、お金を渡したのと同じことになります。しようと思えば、国債をそのまま通貨にすることだって、可能なのです。

e¥は、額面100円の小額国債が集まっているものだとします。e¥の一枚一枚は、「満期になれば、絶対に100円玉一個と交換します」と国が約束してあります。そうして、最初から100円のお金として通用させるのです。

しかし、普通の国債とは、たいへん違ったところがあります。

普通の国債ですと、発行したときに購入者がお金を払い込み、期日になったら国が払い戻し(償還)します。利子も払います。次の図です。

図12:通常の国債

e¥ですと、次の図です。払い込みなしに発行してしまい、それが流通する間に少しずつお金を集めて、満額になったら払い戻します。“不特定多数者による積立型国債”とでも言ったらいいと思います。利子は払いません。

図13:“積立型”国債

国債と通貨との関係ですが、日銀券の場合ですと、日本銀行は66兆円の国債を保有し、76兆円の日銀券を発行しています(09年7月)。各国の中央銀行も、これと同じような構造になっています。

日本銀行は、国債という信頼できる資産を持っていることで、日銀券の信用を得ているのです。でしたら、国債そのものを直接にお金として通用させたほうが、もっと確実ではないでしょうか。e¥は国債そのものです。

 

"不特定多数者による積立型国債"であるe\は、使用1回1%と保有一ヵ月1%で払い込んでもらいます。この払い込みのために減価するのです。113円になったところで満額となります。そのとき113円のe¥または100円の現金で払い戻しして、消滅します。(附記2)

e¥運営には、かなり大がかりな全国電子システムと、たくさんの窓口を必要とします。e¥をまとめて管理するところが必要です。国と自治体による直営システムを新たに作っても、日銀がやってもいいのですが、似たようなシステムをすでに持っている「ゆうちょ」あたりが管理するのもいいんじゃないでしょうか。

e¥では使えないもの

ところが、目減りするお金では、どうしても受け取るわけにいかないという業種があります。たとえば、銀行にe¥を持っていって「定期預金にしてください」と言っても、銀行は、目減りするお金を殖やして利息を付けることは不可能です。「普通のお金に換えてからいらっしゃってください」と言うしかありません。

他にも、お金を長期に渡って運用する場合には、e¥では運用不可能だから受け取れなくて当然なのです。銀行預金をはじめ、株式、国債、社債、保険、年金積み立てなどがそうです。

また、外国通貨との交換も無理です。目減りする通貨を外国が受け取ってくれるはずがありません。

土地を売る人も、e¥では受け取れないことが多いでしょう。

貯蓄、外国通貨購入、土地売買などは、みんな消費税がかからない取引です。これらは生産・消費活動ではないのです。これらの場合には、e¥での受け取りを断れるように決めておいてよいでしょう。普通の円に交換してから使います。

こうすると、たまったe¥を不動産や株や通貨の投機に使おうとしても、交換手数料があるために儲けるのは非常に難しくなります。これによって、e¥のバブルマネー化が防げます。

減価の方法

図14:1枚1枚の100円国債は額面を保つ

減価の実際ですが、e¥管理銀行が1%の自動徴収(国債払い込み)をすることで、目減りします。1万円のe¥があったらそこから100円を一枚抜き取る方式です。これだと、全体は1%減りますが、一枚一枚は100円の価値を保ちます。(附記3)

1%ずつ払い込まれたe¥は管理銀行に保管されて、満額になったe¥国債を償還させるための準備金になります。保管されたe¥は貸出にも使われます。

もし何もしないで10万円のe¥をじっと持っていると、次のグラフのような減り方になります。1年で8万8,638円になります。5年9ヵ月で半分の5万円になります。

図15:e¥の減価プロセス (月1%減価 15年間)

単位:縦軸=万円/横軸=月

113ヵ月のところで、ちょっと増えています。これは、償還期日です。一枚あたりe¥113を払い戻しされました。e¥113という額は、普通円の100円と交換できる額です。

ただし、回収は古い電子マネーから行いますので、古い電子マネーはたいてい管理銀行にあります。償還は管理銀行の中で行われ、自分で自分に払うことで古い電子マネーを消滅させます。

e¥を受け取った企業はどうするか

企業の立場を考えてみましょう。企業は、いつも借入金を返済し、手形を落とさなければなりません。売上げの多くがe¥になった企業はどうしたらいいでしょうか。

e¥でのベーシック・インカムが実現したとすると、貧乏人でもお金持ちでも、ふだんのお買い物でe¥から使ってしまおうとします。

そうしますと、スーパーとかコンビニとか消費者相手の商売は、e¥ばっかりたまっちゃいます。

そのままでは、商売する人にとって困ったことになります。企業は、仕入れには手形を使い、手形の期日までに銀行の当座預金に振り込みます。また、運転資金を銀行から借りては返済しています。ところがe¥では、銀行口座に振り込めません。普通のお金に換えるには、11.4%も手数料がかかってしまいます。11.4%では、商売が成り立たないでしょう。

運転資金

  • e¥での約束手形を発生させる。
  • e¥での運転資金借り入れを発生させる。
  • 過渡期には、11.4%の手数料を国が補助して、返済を援助するなども可。

そこで従来の手形とは別に、電子マネー版の手形を発行できるようにします。いついつに、いくらを電子マネーで払いますという約束手形です。約束は約束であって減価することはありませんので、信用ある企業のe¥約束手形は価値あるものになります。手形割引も可能です。

いったん移行してしまえば、問題なく回転するでしょうが、移行するときはかなりの配慮が必要になると思います。手形を落とせないことは倒産を意味します。

企業がe¥しか持っていないので手形を落とせないという事態を防ぐために、過渡期には、国が普通¥との交換手数料を補助する。あるいは、手数料部分の繰り延べ返済を認めていいでしょう。また、銀行から企業へe¥融資が必要になりますが、その資金としてe¥管理銀行が一般銀行にe¥無利子貸出をします。

減価マネーでの貸し借り

e¥のように減価するお金では、お金の貸し借りが難しくなるのではないかと想像されると思いますが、そうではなく、たいへん面白いことがおこります。

生産活動を活発に行っている企業ならば、e¥で借りるメリットがあります。借りたら、すぐに仕入れや賃金の支払いに使ってしまうのです。そして売上げから、返済の期日に同額を返済します。そうすれば、減価を引き受けないで済みます。けっきょくこれは、無利子融資を受けて運転資金に使ったのと同じです。たいへん得になります。

いっぽう、e¥を持ったまま、使い道がなくて目減りの危険にさらされている企業や銀行もあります。そういうところは、6ヵ月後とか1年後に同額を返してもらう約束をして、生産活動をしているところに渡します。そうしますと、自分は減価を引き受けないですみ、同額が期日に返ってきます。この方式なら、貸すメリットがあります。多少のマイナス金利であったとしても、持っているよりましです。

つまりe¥は、そのまま持っていると価値が減るのですが、生産活動が活発なところに貸せば、価値が減らないのです。e¥は、生産活動が活発なところに集まってきます。

長期資金の返済

手形や運転資金は、e¥建てのものを発生させて、誰にも損のないようにできます。しかし長期資金への対応は簡単ではありません。長期の銀行借入金、社債、株式などです。

長期借り入れを普通円でしたのに、売上げがe¥ばかりという企業はどうしたらいいでしょうか。

これには、返済期日に同額のe¥で支払うことを認め、ただし、本来払うはずだった普通円と交換するための手数料は、繰り延べ払いにすることを認めることで解決できます。貸した側は、返済されたe¥の総計を普通円に交換すれば損がありません。e¥のまま使ってもいいです。返済した企業側は、結局手数料ぶんだけ余計に払わなければならなくなりますが、e¥発行による経済活性化のメリットを十分に受けています。繰り延べ払いにすることで、急なショックはありません。また、e¥売上げに対する法人税の減免で、企業の損を軽くするという手段もあります。

e¥の流通が盛んになったとすると、企業が資金を調達するやり方に変化が起こります。普通円で長期の借り入れをしたのに売上げがe¥ばかりという企業は、いったん普通円に交換してから返済しなければなりませんので、結局、高い利率の借り入れをしたのと同じことになります。それでは引き合わないのでe¥での借り入れが多くなります。その場合、借り入れてそのままお金で持っていると損するので、必要なときに必要なだけ借り入れてすかさず使ってしまうやり方が主流になってくると思われます。

自動車のトヨタが、「カンバン方式」というのをやって、材料や部品の不必要な在庫は持たない、必要なタイミングに必要なだけ納入されるシステムを作りました。それと同じように、不必要なお金は持たない、必要なタイミングに必要なだけ借りる、という方式が資本調達でも行われるようになると思います。返済は、将来の時点での売上げから行います。

投資が必要なときに必要なだけe¥で社債を発行し、予想収入に合わせて少しずつの返済を約束するタイプが増えると思います。

株式発行ですが、株式は返済の心配をしなくていいので、普通の円で発行すればいいでしょう。配当はe¥で払うようなタイプが増えそうです。

銀行貸出しの大変化

e¥の流通量が増えてきますと、銀行の仕事が変化します。銀行は、普通のお金と同じにe¥を預金として受け取ることが危なくてできません。自分で持っちゃったら大変、毎月1%減っていくのを引き受けなくてはなりません。そこで、決済や引き落としのためには、目減りの責任はお客さまご自身で、という新しい当座預金を作ることになるでしょう。銀行は、場所を貸しているだけです。管理手数料を取るのは正当なことでしょう。

減価マネーでは、銀行がみなさんから大量の預金を集めてそれを貸し出す業務は、困難になります。銀行が預金を集めても、タイミングよく借り手がいればいいのですが、そうとも限りません。借り手を見つけられなくて自分で持っていると、たちまち減価のリスクにさらされます。

そこで、銀行はいったん自分のところの預金として受け入れることはしないで、貸し手と借り手を仲介して手数料を取る仕事をするようになります。

いっぽうで、e¥での資金需要はけっこうあります。企業は運転資金としてe¥の借り入れを必要とします。銀行は、e¥を持っていて使い道がなくて困っている企業と、e¥借り入れをしたい企業を仲介します。

銀行がe¥を貸す場合でも、自分のところの預金量をそのままにして貸すのではなく、いったん渡してしまいます。そして、返してもらう約束をします。

けっきょく、e¥の場合には、銀行貸出による信用創造が起こらなくなるということなのです。図にしてあります。

図16:銀行貸し出しの大変化

実は銀行の信用創造が、こんなに資本主義が脆弱である大きな原因なんです。銀行が、利子でもうけようとして、貸出しをしすぎるんです。そのため貸出の1割も不良債権が発生すると、倒産してしまいます。5%でも危ないでしょう。銀行が倒産すると、企業も他の銀行もバタバタと連鎖反応で倒れます。

減価マネーですと、銀行は貸出で儲けにくくなり、生産者と資金の仲介者という本来の役割を果たすようになります。e¥が多くなると、価値が保存される日銀マネーも大事になってきますので、銀行の新しい仕事もたくさん生まれると思います。

e¥管理銀行による無利子融資

  • e¥管理銀行は、一般銀行に対して、e¥を無利子融資する。
  • 回収された古いe¥を、融資に使う。融資に新規発行はしない。

企業から、運転資金としてe¥の需要はかなりあるでしょう。それに対して、銀行の手持ちe¥や、斡旋できるe¥が不足することはあります。そのときは、e¥管理銀行から一般銀行にe¥の無利子融資を行います。あるいは、銀行が、e¥管理銀行から企業に貸すことの仲介をします。

一般銀行のe¥貸出金利は、市場に任せればいいと思います。e¥管理銀行からの無利子融資が控えていますので、高い金利になることはあり得ません。e¥を貸したい人が多い場合には、マイナスの金利が生じることもあり得ます。

e¥の貸出にあたって、原則としてe¥管理銀行が新たにe¥を作り出すことはしません。e¥管理銀行には、回収したe¥がありますから、それを一般銀行を通じて貸出に使います。

e¥といういくらでも作れるお金を、国が新たに無利子融資に使うと、あぶないと思います。もういくらでも融資出来ちゃうんですよ。経営危機の大企業があると、結局は民主主義国家いろんな圧力があるわけで、助けてくれーっていうのは、労働者も経営者も思いますよ。そういうところにぼんぼんお金を貸して、潰れそうな会社をみんな助けちゃうんです。そうすると日本が社会主義国と同じになってしまいます。ゾンビ企業ばっかりになっちゃう。やはり経営責任は経営責任です。そしてベーシック・インカムで、人を助けています。失業しても人が生き延びられる仕組みを作っています。で、そのぶん企業は、経営責任を取ったほうがいいです。

無利子融資といっても、e¥ではあらゆる口座移転に際して1%の手数料がかかります。往復だと2%かかりますので、これが実質的な金利になります。この口座移転手数料の率を調節すると、短期金利の調節と同じ意味を持ちます。

e¥での賃金

e¥で賃金をもらう人の立場はどうでしょうか。はじめのうち、e¥での給料支払いは給料の一部でしょうが、売上げがe¥ばかりの企業は、賃金もe¥で払わせてくれと言います。そこで働く人がe¥ばっかりで賃金をもらっちゃったらどうしましょう。ちょっと困っちゃうでしょ。生活費として使うのなら問題ないのですが、一番困るのは住宅ローンを抱えている人たち。だってe¥はそのままローン返済には使えないことになっています。あるいは、家を建てるために貯蓄をしたい人たちもいます。

その解決策に、絶対というものはないので、いくつか案を作りました。

A案
給料全額e¥払いを認める。ローン返済、預金などには、個人が手数料を払って¥に交換。かわりにe¥所得税低率。
B案
給料全額e¥払いを認める。ある割合の¥との交換を国が手数料補助。
C案
給料のある割合は、普通¥で払うことを企業に義務づける。

A案は企業が全部e¥で払っても構わない。その代りにe¥での収入に対する所得税は0%か、非常に低くする。

B案も、給料を全部e¥で払っても構わない。けれども、ある割合を普通¥と交換するのは国が手数料を援助してくれる。

C案。一定割合は普通の円で支払うことを企業に義務付ける。普通の円との交換は企業が責任を負う。

いろいろな方法があるんです。(附記4:“減価ストップ債”の方法もある)

e¥での国、自治体の税収運営

ベーシック・インカムにe¥が使われるようになりますと、e¥が集まってしょうがないところができます。国と地方自治体の税収です。個人でも企業でも、e¥は真っ先に税金の支払いに使われるに決まっています。

税金の前払いが流行るようになりますね。

普通の円を持っている人も、そのまま納税に使わないで、e¥を持てあましている人とちょっといい率で交換してからe¥で納め、差額のぶんを得しようとするかもしれません。

そこで国があわてて、e¥での納税を制限したりしたら、e¥は信用を失ってしまいます。ここは、e¥で税金を受け取ります。

国の工夫は、いかにe¥をe¥のまま通用させるかにかかってきます。国や自治体はその年の収入でその年の支出をまかなう方式で、蓄えを作るタイプではありませんので、基本的にはe¥でやれるはずです。

予算のうちもっとも大きな部分は、公務員給与をはじめとした人件費です。e¥が定着してなんでも買い物ができるようになったら、人件費は基本的にe¥にしていいでしょう。しかしそれでは住宅ローンなどで普通円に交換しなければならない人たちが手数料で損しますので、e¥でもらう給与に関しては所得税フリーにしたらどうでしょうか。

政府がe¥で払うのでは問題になりそうな費目もあります。最大のものが、これまでに発行した国債や地方債の利払いや償還です。普通の円で払う約束をしてあるのに、税収はe¥ばかりなのです。この問題に対しては、普通円への変換手数料分を割増してe¥で払うことを認めたらどうでしょうか。受け取った人は、すぐに普通円に換えれば損はまったくありません。しかし、変換するとは限らなくて、e¥のまま使うかもしれません。

現実には、公債の借り換え(普通円のまま継続)に応じる人が多くなって、実質的には国債や地方債の償還をしなくてすむ割合が大きくなると思います。e¥が行き渡ってきたときには、減価しないし利子も付くという債券は、新規発行が少なくなり、貴重なものになってくるからです。

国や自治体に納税されたe¥は、減価がストップするようにします。(附記5)

いっぽう、積み立てて運用するタイプの政府管掌事業(基礎年金等)は、だんだん運用が困難になります。長期的には徴収タイプに移行することになるでしょう。そのほうがいいんじゃないでしょうか、積み立て運用型の政府事業が、年金やかんぽ事業などの問題を起こしてきたんです。

公共経済の財源

ベーシック・インカム実現後も、公共経済、つまり福祉・教育・医療・環境、そういうところにお金が回っていかないと本当の意味で生活が充実してきません。そういう公共経済は、もうかるもうからないではなく、必要だから作るものです。みんなで出し合うお金、つまり税金をもとに運営しなければなりません。そのための税収が必要になります。

図17:ベーシック・インカムによる公共経済拡大

e¥でベーシック・インカムを出し、消費税と組み合わせる方式で行きますと、この財源が作りやすいんですね。消費は必ず増えます。その増えた分から払う税ですので、無理がありません。また、電子マネーであることを利用して、支出したときに消費税を源泉徴収することもたぶん可能です。

行政サービス、教育、福祉などの費用を、商品の原価の一部と考え、買い物をするときに払ってもらうことは、合理的だと思います。どんなモノやサービスも、道路や港があり、制度が整い、教育程度の高い人々がいるから、生産できているのです。

しかし、消費税には問題もあります。消費税は収入の少ない人も同じ率で払わなければならないので、貧富の差が大きくなることです。ですから、消費税は、ベーシック・インカムと組み合わせなければいけません。そうすれば、低収入層にとってはけっきょく収入増になります。さらに、減価マネーの場合は、実質的に資産税を課しているのと同じですから、お金を貯め込む人たちへの対応がすでにできています。この資産税の脱税は不可能です。

税っていうのは、みんなでお金を出し合って維持しているサービスのためにあります。

ですから、税収を増やすなら、住民自治が絶対に必要です。自分たちで決めたことだから、払う気になるんですね。それに、実際に住んで暮らしている人たちで決めないと、ほんとうの必要度がわからないです。

今とにかく地方にもっとお金が行かないとだめです。職がないから人々も都会でばっかり暮らしちゃう。今消費税5%取られているでしょう。そのうち、地方に行くのは1%なんです。4%は国に行っています。地方の方にもっといっぱい渡して自分たちで何が必要か判断して、責任を持って使うようにしなくちゃいけない。

この地方と国の分配率を7:3とか6:4で地方に多くしていくべきです。それにともなって、地方に権限を移譲して、自治を拡大します。

おおまかなシミュレーション(1) GDP

大まかなシミュレーションをちょっとやってみました。これ絶対っていうことはないんだけれども、ちょっと目安にはなるかと思います。

ベーシック・インカム毎月8万円で15歳以下を半額としまして年間116兆円かかります。これをe¥を新規発行して出します。

収入がこのくらい増えたら消費がこのくらい増えるというのは経験的に知られてるんですよ。日本の場合0.6~0.7くらいだとされてます。

アメリカだとすごくて、0.9以上を消費に回しちゃう。アメリカはほぼ使っちゃう。日本の場合は、もっと使い方が控え目なんですけれども、このe¥でのベーシック・インカムの場合には、超貧乏ですぐ使ってしまう人たちみんなにも渡るでしょう。給与の一部もe¥というどんどん使わないとやばいお金になる。なおかつ将来のために貯めなくてもいいという条件が付いている。

だもんで、消費に回るお金の率は、相当多いと思います。控え目に見て0.8としました。そうしますと93兆円、四捨五入して90兆円の消費増が期待できます。

そうしますと民間の最終消費支出、とにかく投資じゃなくて現実に金を使っているのが、現在240兆円のが、330兆円くらいになる計算になります。一方でね、消費が盛んになるとそれだけ国内で生産が起こる部分もあるんだけれど、中国から買っちゃえ、というようなのが相当あるんですね。おそらく30兆円程度が輸入になります。そうしますと差し引き60兆円くらい国内生産が増えるという計算です。

今年のGDPを480兆円として、GDPがおそらく540兆円くらいになります。この毎月8万円のベーシック・インカム出しましてGDPが11%ぐらい伸びちゃうという計算なんですよ。これはかなり控えめな計算をしているとは思うんだけれども、信じられないようなすごい数字なんです。ちょっと経済に明るい人だったらウソじゃないかって言うような数字になるんですよ。

これが、予算を使わずにe¥でベーシック・インカムを出すことで起こります。

ただしe¥の一部は、普通の円に転換されて貯蓄に向かったり輸入に向かいます。おおざっぱですが30兆円くらいとみています。それがe¥と交換されるのに応じるために普通の円も用意しなければなりません。それは普通円の国債を発行してまかないます。ほんとうに政府の出費になるのは、交換される普通円とe¥との差額の部分、つまり11.4%の部分です。そうしますとこの新しい公共通貨運営にかかる費用は、この差額部分、とりあえずの計算では3.4兆円ということになります。あと、システムを作るための初期費用はどうしてもかかります。1~2兆円でしょうか、そのくらいだと思います。

けっきょく年間4兆円程度の出費を覚悟して、それで11%のGDP増加です。しかも、一回かぎりではなくて、持続可能です。(附記6)

いま、国内の生産力に余力はありますし、安い輸入品もある時代ですので、かんたんにインフレにはなりません。

おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築

単純にGDPが増えてもほんとうには豊かになれなくて、さきほど話しましたように、公共経済を構築する必要があります。それには税収がどうなるかです。

これから挙げるのは極端な一例ですが、参考にはなると思います。

個人の所得税はなし、消費税25%とします。

そうしますと、民間最終消費330兆円の25%で、消費税収が約83兆円になります。現在の個人からの税は、所得税が国と地方の合計で約28兆円、消費税が約13兆円、計41兆円です。したがって、42兆円の税収増。ただしe¥と普通円との交換手数料約4兆円と公債費のe¥割増3兆円が新たな費用ですのでそれを引くと、35兆円税収が多くなることになります。(附記:講演では公債費割増を含めなかったので38兆円としました)

この35兆円の増収は、無理な増税じゃないんです。個人の収入は増えています。経済活動も盛んになってGDP増えています。それでもって増えた税収なんですよ。

35兆円あると、いろんなことできますね。

例えば教育費です。教育費の研究をしていまして、幼稚園から大学まで公立も私立も全部タダにするのに6兆円で足りちゃうんですよ。たった6兆円。さらに、一人一人に応じた教育を発生させるための費用をつけてやってとりあえず8兆円も出れば、かなり充実します。

それと今一番財政の問題で困っているのは年金です。パンクしかけちゃっている。これちょっと根本的な設計変更しなきゃならないと思われるんですけれども、基礎部分はベーシック・インカムで置き換えがききます。さらに10兆円もあったら、十分な給付ができそうです。

あとですね、今福祉関係で、たとえば介護のヘルパーさんなんて給料安いですね。ああいう人たちにいっぱい払ってあげるといいです。ヘルパーさんたちは裕福でない人たちが多いから、あの人たちが普通の生活をして普通にお金を使うようになると、それで経済がよくなります。

生活そのものが充実することでお金の循環がよくなっていくと、本当の経済発展であり、本当のGDP成長なんですね。そういう生活の充実に、たとえば福祉で5兆円増やせる。医療費で5兆円増やせる。これでも合計まだ28兆円なんです。とにかく、人々がほんとうに必要としているものに使うことです。そうするとお金が生きます。

こういうようなお金を公共経済の方に使っていって、それこそ本当に豊かな社会が出来るんですね。

輸入増の問題

問題は輸入増なんですよ。ベーシック・インカムを新たな通貨で出すとインフレが起こるんじゃないかって考えると思うんですけど、今の我々に買いたいものが増えたら外国から輸入するものが多いです。中国あたりで安いものをぼんぼん作っていますからね。現に今輸入は増え続けていまして、2005年に68兆円だった輸入が、2008年に、わずか3年で88兆円になっているんです。消費に対する比率でそのまま計算しますとベーシック・インカムによる消費増で、もう30兆円くらい輸入が増えると思われます。

ある程度は輸入超過でいいんですよ。外貨が余ってるっていうのはバカらしいですよ。今までドルをしこたま貯め込んだ。結局ね、商品券もらって喜んでいるだけなんですよ。結局最初360円の価値あったのが、今1ドル100円を切っています。その商品券の価値がどんどん失われました。買い物しないまま商品券のまま貯めてどんどん減っちゃったっていうものなんですね。

輸入の場合は通貨の問題があります。最初のうちは、外国への支払いは今まである普通の円でドルやユーロと交換して払えばいいんですけどもね、だんだんe¥が多くなった場合、e¥でもって輸入しようとすると、そんなお金を外国は受け取ってくれないですから一旦普通マネーに変換しなくちゃならないんですね。そしてこのe¥から円に変換するのに手数料が11%必要ですけれども、そのためにe¥を持っているところが輸入をすると、外国製品ちょっと割高になります。実はこれがね、実質的な関税の役割を果たすんですよ。

これちょっと大事な国内産業保護になると思うんです。

財政問題

そして大きな財政問題として、政府の累積債務の問題があります。

今、国も地方もすごい債務を抱えています。いま、借金で借金を穴埋めしていますので、破局にいたる可能性があります。そこで、e¥と日銀公定歩合なんかと組み合わせてちょっと緩やかなインフレを起こして、政府累積債務を実質的に軽減していくようなことが出来るはずです。これなら、破局にいたらずに軟着陸できます。普通、インフレは年金生活者に大打撃を与えてしまうのですが、ベーシック・インカムと組み合わせてあれば、その痛みは軽くできます。

日銀マネーというのは、企業に渡ってすぐ土地買ったり株買ったりするんですね。で、バブルを起こしやすいお金です。このe¥は、生活者に渡るからお買い物しやすい。モノの値段を押し上げてインフレを起こしやすいんです。

コントロールしやすさ

e¥はコントロールしやすい。4つのパラメータをもつ。

  1. 発行額
  2. 日銀券との交換率
  3. 減価率
  4. 使用料

このe¥は非常にコントロールしやすいです。発行額の調整、日銀券と交換手数料、使うときの一回あたり手数料。時間による減価の率、そういうものでコントロールできます。

例えば月1%目減りしますなんてのは、無くすか低率にしちゃえばe¥は日銀マネーとほとんど変わらなくなります。こういう、アクセルもついてます、ブレーキもついてます、右にもハンドル切れます、左にもハンドル切れます。という形にしておけば非常に対応しやすいんですね。(附記7)

地方通貨も可能

もしかして、いままでの話は、ちょっと難しい話になっているかもしれないですけど、同じような仕組みで、地方からも作れるんですよ。この地方税と地方債とを組み合わせて、地方通貨を作れます。それを財源に、地方ベーシック・インカムを作ることもできます。そのような形でかなり実現性があるんじゃないかと思います。

ちょっと世に問うてみたいと思ったもんですからこういうものを作ってみました。

どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)

【附記】
以下は、講演のレジュメにはありませんでしたが、HP版に付け加えたものです。

附記1 e¥の流通残高

このようにe¥を発行していくと、流通残高はどうなるでしょうか。単純化したシミュレーションをしてみました。収束することが一目でわかると思います。

図18:e¥の流通残高 (毎月10兆円追加 月2%回収として)

これは毎月10兆円(年120兆円)のe¥がベーシック・インカムとして渡され、流通残高の2%が毎月回収される場合の、流通残高の20年間のグラフです。

e¥は最低でも月に1%回収されますが、実際の回転はかなり速くなると思われます。仮に2%としました。

500兆円に収束することがわかります。

毎月の回収率が3%だとすると、330兆円で収束します。

現実の動きはもっと複雑になりますが、だいたい現在のM1(現金+当座預金+普通預金)流通残高480兆円と同じくらいになりそうです。

それでも流通残高が多すぎる場合は、

  • 減価率を上げる
  • 減価もしない貸出にも使われない預金または債券を作って吸収する

という方法があります。

附記2 e¥回収額の設定について

113円で回収としましたが、これは普通の円で償還するためです。しかし、やはり100円貯まったところで償還のほうがいいと思われます。シミュレーションをしてみると、e¥113での償還は、ある時期から発行残高がかなり減ります。

附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈

講演では、1ヵ月ごとに所持e¥の1%を抜き取って回収する方法を示しました。この場合常に一定の率で減価しますので、減り方はだんだんなだらかになります。10年間の減価のしかたは次の通りです。

図19:e¥の10年間の減価の推移 (定率減価 月1%として)

もう一つのやり方として、一枚一枚のお金が1ヵ月ごとに99円、98円…というふうに、額面が小さくなっていくやり方があります。定額ずつ減価します。100ヵ月(8年4ヵ月)で消滅します。

このやり方をすると、新しいお金と古いお金が違った性質を持つようになり、年齢が感じられる生き物みたいになります。

図20:e¥の10年間の減価の推移 (定額減価 月1%として)

定額法ですと、1万円を受け取ったときに、e¥100が100枚という場合もありますし、e¥20が500枚ということもあります。毎月の減価がどちらも一枚あたり1円ずつですので、古いお金のほうが目減りの率が高くなっています。e¥100の場合には毎月の減価率は1%、e¥20の場合には減価率が5%になります。使うときの価値に問題はないのですが、古いお金はくたびれています。

この場合、古いお金(たとえば額面がe¥20未満e¥10以上)は学術・文化・スポーツ・教育など、直接の生産でもニーズでもないが、人間の精神文化を維持し発展させるための部門に寄贈するのがいいでしょう。この部門に対して、政治経済状況に左右されない経済的基盤を作ることは、たいへん重要なことです。

その場合、毎月10兆円のe¥を新規発行すると、7年目近くから額面20円未満のe¥が、毎月2兆円ずつ発生することになります。それを文化部門への寄贈に使います。年間24兆円は、かなりの額です。

額面があまりに小さくなったお金は、最後に持っている人が損しないよう、何枚かまとめて新しいe¥100に交換してもらえるようにしておきます。

 

額面が小さくなっていく減価の場合、口座移転手数料も毎月の減価と同じ方式にすると、新しいお金か古いお金かで率が一定せず、経済取引が困難になります。口座移転手数料は、一定の率として、抜き取り方式で徴収するのがよいでしょう。

附記4 “減価ストップ債”の方法

給料がe¥ばかりになってしまった人を保護する他の方法として、“減価ストップ債”をe¥で購入できるようにするという手段があります。この“減価ストップ債”は、e¥管理銀行が売り出し、1年後とか2年後とか決められた期間の後に、買ったときと同じ額でe¥を払い戻してくれます。個人が、給料をもらったときだけ買えるようにします。これを使えば、給料がe¥ばかりの人が、「お金を早く使わないと損する」という圧迫から逃れることができます。

“減価ストップ債”はe¥の流通残高が多すぎる場合の対策としても使えます。吸い上げて休眠させるためなのです。運用資金を集めるための債券ではありません。“減価ストップ債”を売って集めたe¥は、貸出には使いません。貸出に使ったら、また市中に出回ってしまいます。

このような減価しない例外を作るのは、減価マネーを作る趣旨に反するのですが、減価マネーの運用は未知の領域ですので、安全弁を設けておいたほうがいいと思います。

“減価ストップ債”はお金として流通しにくくします。記名式で譲渡不能にします。途中解約すると初めからの減価分を負担しなければなりません。

“減価ストップ債”を売って集めたe¥も減価しつづけているのですが、e¥管理銀行にとっては、自分で回収して自分のところに置いておくので、実質はプラスマイナスゼロです。

附記5 納税されたe¥も減価ストップしない

講演では、納税されたe¥は減価がストップするとしました。

しかし、そうしますと、国や自治体だけがお金を減らさずに貯めておくことができます。これは、国や自治体に銀行業務の特権を与えるようなものです。なにかというと、目減りしないことがウリの「~積立金」を集めることができます。ところが、国や自治体は、お金を運用するのが下手なところです。これまでもたくさんの問題を起こしてきました。

やはり、国や自治体も、入ってきた税収を減価ストップせずに使ってもらうのがよいと思います。国や自治体は、公共サービスの事業体として経済活動を担います。税収は、みんなの必要を満たすために、みんなから集めたお金です。

附記6 利払いの割増費用

講演では、e¥で予算を組むため約4兆円の出費増があるだろうとしましたが、他に国債や地方債などの利払いをe¥で払うための割増を含めていませんでした。これを含めると、さらに約3兆円の出費増になります。

詳しく言うと、現在国債の償還と利払いに約20兆円を使っていますので、e¥割増11.4%で2.3兆円。別に地方債が140兆円(2006年)くらいありますので、その5%が償還と利払いに必要だとして、e¥割増は0.8兆円。

合計約3兆円程度が、公債の償還と利払いをe¥で行うときに新たに必要になります。

附記7 合計5つのレバー

さらに、通貨供給量が多すぎる場合のための“減価ストップ債”も含めて、合計5つのレバーを備えることができます。これら5つで、たいていの事態に対応できると思われます。

第2部終了