古山明男さん講演録「ベーシック・インカムのある社会」第2部

古山明男 講演録

「ベーシック・インカムのある社会」

― 労働と教育の根本的転換 ―

第3回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年7月12日 於:青山学院大学

講演者:古山明男

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

講演者より
この講演録は、2009年7月12日に青山学院大学で行われた講演をもとにしていますが、説明がよりわかりやすいものになるよう、大幅に加筆修正してあります。 ここに記載された内容は実際の話より「こういう説明をしたかった」ものであることをご諒解ください。 なお、講演趣旨の変更にあたる場合は、附記として最後に付け加えています。

第2部「生活を保障する公共通貨」INDEX

  1. ベーシック・インカムの財源
  2. 電子マネー型公共通貨 e¥
  3. e¥の使い方
  4. 引き出し権は絶対に保護される
  5. お金が生まれる仕組み
  6. 信用創造が生産側だけでいいのか
  7. 消費者側への信用創造
  8. 普通¥(円)との交換手数料
  9. e¥は納税通貨
  10. 歴史的実例
  11. なぜ減価させるのか
  12. e¥の正体は“積立型”国債
  13. e¥では使えないもの
  14. 減価の方法
  15. e¥を受け取った企業はどうするか
  16. 運転資金
  17. 減価マネーでの貸し借り
  18. 長期資金の返済
  19. 銀行貸出しの大変化
  20. e¥管理銀行による無利子融資
  21. e¥での賃金
  22. e¥での国、自治体の税収運営
  23. 公共経済の財源
  24. おおまかなシミュレーション(1) GDP
  25. おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築
  26. 輸入増の問題
  27. 財政問題
  28. コントロールしやすさ
  29. 地方通貨も可能
  30. 附記1 e¥の流通残高
  31. 附記2 e¥回収額の設定について
  32. 附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈
  33. 附記4 “減価ストップ債”の方法
  34. 附記5 納税されたe¥も減価ストップしない
  35. 附記6 利払いの割増費用
  36. 附記7 合計5つのレバー
  37. 第1部へ戻る

ベーシック・インカムの財源

古山明男さん

話し手:古山明男さん

1949年千葉市生。 京都大学理学部卒。 出版社で雑誌編集に従事したのち、私塾、フリースクールを主宰し、さまざまな教育ニーズに応える。 教育制度、教育財政を研究。 著書に『変えよう!日本の学校システム』(平凡社)。

「ベーシックインカムのある社会」blog
economics-human.at.webry.info
古山教育研究所HP
www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym

ベーシック・インカムの最大の問題はですね、じゃあ実現させるお金があるのかなんです。

月8万円出すとして、子どもが半額として年115兆円ほどかかります。今の地方と国を全部合わせて予算規模が150兆円。政府予算で80兆円。いまの国の予算を軽くオーバーしちゃうんです。

ですから普通に考えたらきついでしょ。そんなことできるのか、って言うのは当たり前です。そしてそれに向かって「出来ます」と言うなら、それはやっぱり責任ある形で提示しなきゃいけないんです。

具体的な方法はいくつかあります。まともに行くんなら税でちゃんと集めて構成します。

これはね、小沢修司さんなんかが所得税45%でいちおう行けるんじゃないか、と計算しています。

もうひとつ消費税を財源とするというやり方があります。たとえばゲッツ・ウェルナーというドイツのドラッグストア・チェーン店をやっている社長さんがベーシック・インカムを主張していて、所得税なしで、消費税50%、それでベーシック・インカムの財源は出る。そういう計算をしているのがあります。

日本の今の状況でおおざっぱな計算をしてみると、税負担を考えるときの基礎にする国民所得というものがあって、それが約370兆円なんですね。

そこから、たとえば北欧諸国は所得の7割くらい税金と社会保険に使っていますので、それくらい出す気になりますとね、260兆円くらいを再配分に回せます。そうしますと110兆円のベーシック・インカムを出して、まだたっぷり残ります。だから、もし北欧諸国並みの負担率を覚悟すれば、すぐにでも実現可能です。

ベーシック・インカムはそもそも不可能ということではなくて、可能なだけの経済規模を私たちは持っているということなのです。

しかしながら、実際の増税は難しいです。やっぱり増税アレルギーっていうのはありますし、現実問題としてはなかなかまとまらない。

しかも、現実に税収の落ち込みが始まっています。この間の報道では、昨年度の税収がね、前年度に比べて13%落ちちゃった。国の税収50兆円位あったのがね、43兆か44兆です。今年もっとひどいですよ。

それから地方の税収も落ちています。

この状況だからこそ根本的な財政問題とかベーシック・インカムとかの議論に入れるんですが、入れるんだけれども、そのときには正真正銘、金がないんですよ。そういうジレンマに今あるわけですね。

80年代にもし高負担、高保障型の財政に移行する合意が出来ていたら楽に出来ていたと思う。あのころは財政力強かったです。でも、いまは財政基盤が弱くなっています。

電子マネー型公共通貨 e¥

そこで、私がこれなら実現可能性があると思う、電子マネー公共通貨案があるんです。これだと、財源はいりません。新たな経費的なものは年数兆円程度かかりますが、それで100兆円を超えるベーシック・インカム全体を運営できます。

前回関さんの講演会を聞いていらっしゃった方あると思うんですけれども、関さんは財源はいらない、公共通貨を出せばいいというお話でした。

私も、新しい公共通貨発行によってベーシック・インカムが可能だと考えています。いまの日本というこの社会の中でやれる形を考えてみました。

ウソみたいな話だと思うかもしれませんが、魔法じゃありません。片方で、生産の設備と技術は余っている。もう片方には、働いても働いても報われない人たちやお金がなくて生活に困っている人たちがいる。そういう状況なら、パイプを作るだけでうまくいくんです。

公共通貨は、いろんなものがあり得ます。これから紹介するのは、減価マネーを使って消費者側に信用創造するタイプです。これなら信用されるだろうという堅実なものにしました。

公共通貨は、誰にどのように渡すか、税とどう組み合わせるかなど、実は他にもいろいろなものがあり得ます。色々あります。みなさんも、これをもとに、シミュレーションをいろいろやってみると、おもしろいと思います。

e¥の使い方

e¥(イーエン 仮称)
  • 紙幣や硬貨は存在しない
  • ICカードで決済

これから話をする都合があるので、e¥(イーエン)ととりあえず名前をつけさせてもらいます。これね、紙幣もありません、硬貨もありません。JR東日本のSuicaとか私鉄のPASMOとかありますね。あれと同じです。カードで触ってピッ、で支払い終了。

ベーシック・インカムが生まれてくるための、すべての個人の口座がありまして、国ないし自治体が管理しています。そこに、たとえば毎月8万円、e¥を引き出す権利が発生します。

図1:すべての個人に新通貨の引き出し枠ができる。

注意:この個人枠は通常の銀行口座とは性格が違う。

それをカードにチャージすれば、どこのお店でもカードをピッと触れるだけでお買い物できます。チャージは、郵便局やコンビニでできるように機械を置きます。高額のお買い物でしたら、IDとパスワードを使って、自分のコンピュータか、お店のコンピュータから払います。

なんでいちいちチャージする方式にするかというと、カードというのはいつも盗難、紛失、偽造の怖れがあるからです。カード自体には数万円程度しか入らないようにして、お財布と同じ使い方をします。カードは何枚も持っていてかまいません。これなら、お小遣いの金額だけ入れたカードを子どもに持たせて、気楽に使わせることもできます。

でも高齢者や僻地に住む人は、カードを使うのが困難な場合もあるでしょう。そういう場合には、ベーシック・インカムを現金で受け取れるようにします。

 

それだったら、それぞれの人が指定する銀行口座に毎月振り込めばいいじゃないか、いまの給料振り込みと同じでいいじゃないかと思うでしょう。

実は、このe¥は、普通の銀行口座に振り込むわけにいかないんです。普通のお金と性質が違うので、普通のお金とまぜることができません。

e¥は、毎月1%ずつ目減りするのです。銀行がこんなお金を預かったらたいへんです。預金の利息が年に1%もつけられないのに、預かったら毎月マイナス1%、(複利で年にマイナス11.4%)なんて、それは銀行にとってあんまりです。

図2:月の1%の減価

1ヵ月以内に他人に渡せば、負担はなし。

でも、銀行で決済ができるようにしないと不便です。ですから銀行には、e¥専用の口座が作られることになるでしょう。その口座では、毎月1%の目減りは、預金者が引き受けます。その口座を電気料金や水道料金の引き落としに使います。送金に使ってもいいです。給料振り込みに使ってもいいです。銀行は、手数料をとって、管理しているだけです。

引き出し権は絶対に保護される

それだったら、とまた疑問が湧くと思います。はじめから銀行にe¥専用の口座を作って、そこにベーシック・インカムを振り込めばいいじゃないか、と考えませんか。なぜ、国か自治体に個人口座を作って、「引き出し権」にするのか。

ベーシック・インカムが生まれるとき、引き出し権として別にする理由が二つあります。

  1. 減価しないし、担保にもされない聖域を創る。
  2. 将来、個人が信用創造できる可能性を作る。

まず、聖域を作ることについて説明します。ベーシック・インカムは、なんの対価でもない、それぞれの人の生活権を保障するためにだけ生まれるものです。

この引出し権は絶対に保護されています。絶対に誰も差し押さえはできません。本人しか引き出せません。ですから、ヤミ金融に追われている人も、家庭内暴力から逃げだしたい人も、これを頼りに生き延びることができます。

そのベーシック・インカムを、毎月引き出して生活費にしてもかまいません。1~2年貯めて、車を買ってもいいです。万が一の時のために、とっておいてもいいです。たとえば、5年引き出さないでいると、500万くらい貯まります。ただし5年以上も引き出さなかったぶんの権利は消滅させたほうがいいでしょう。

引き出し権は目減りしません。まだお金ではないからです。「手続きすれば、お金になりますよ」と言われただけで、もらったわけではないのです。所得税もかかりません、資産税もかかりません。誰も奪えません、借金のカタにとることができません。

ベーシック・インカムが、最初から減価するお金で渡されると、生活に余裕のある人まで早く使おうとするので、消費が不必要に膨らみ、せわしない世の中になりそうです。

引き出し権のままプールされるようにしておけば、通貨供給を不必要に増やしません。また、好況の時にはあまり引き出されず、不況のときにたくさん引き出されるので、ちょうどダムのような働きをすることになります。

法律的には、憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」にもとづきます。

 

もう一つ、引き出し権の口座を作る理由があります。それは、個人が信用創造できるようにすることです。引き出し権のときはまだお金ではないのですが、e¥としてチャージするか銀行口座に移した瞬間に、国がお金としての価値を保障します。これは、個人がお金を創っていて、それを国がバックアップしているとも言えます。

いま、銀行がお金を創ってしまえるのですが、個人もお金を創ってしまえるようにしようということなのです。

同じ仕組みを使って、将来、出産とか、成人とか、病気や事故に遭ったとか、そういう時に、個人も新たにお金を創れるようにできます。将来、これで、セーフティ・ネットの完備した社会を作ることが出来ます。もちろん、やたらにお金を創れるということではなくて、だれもが納得できる基準に合っているときだけです。

個人がお金を創ってもいいのですか?

このことを説明するには、お金の仕組みがどうなっているかから説明しなければなりません。

お金が生まれる仕組み

お金というとふつう現金のことを思い浮かべます。でも、現在使われているお金の大部分は銀行預金なのです。

会社同士の決済は、互いの銀行口座から銀行口座へと振り込むことで行っています。普通の人の給料も、今は銀行振り込みになってますね。電気、水道、ガスも銀行引き落としです。

お金の大部分は、銀行預金のまま流通しています。いちいち現金にしないのです。

そのほんの一部分が、給料や買い物のために、紙幣の形になっているだけです。量で示すと、次の図のようになっています。これは、お金の量を表すのによく使われる、M2と呼ばれる預金と現金の合計です。

図3:お金の量(M2)

2009年6月現在(日本銀行調査統計局)

その銀行預金が、銀行でどんどん生まれるのです。銀行がお金を創っています。そんなバカな、銀行だってだれかが預けなければ預金は増えないだろう、と思うでしょう。ところが、おもしろいメカニズムがあるのです。

銀行預金は、銀行が「わかりました、ご融資いたしましょう」と言った瞬間に生まれています。

どういうことなのか、図を使って説明しましょう。

図4:信用創造の仕組み(1)

いま銀行が、A社という企業に100万円貸出をしたとします。そうしますと、銀行はA社の預金口座に100万円を書き加えます。そして、「ご融資いたしましたことをご確認ください」と言います。貸したという書類も作ります。

このとき100万円は、銀行の預かり金から移転させたのではありません。お金を貸した相手にすぐに預金させたのです。すると、結果として、集めた預金を貸したのと同じになっています。しかし、100万円の銀行預金はまったく新たにできました。つまり、ここで新しいお金が生まれています。

この新しい100万円はもう生まれていて、流通します。この100万円をA社がP社への支払いに使ったとしても、やはりどこかの銀行預金になっています。

図5:信用創造の仕組み(2)

さらにP社がこのお金を現金にして給料として払っても、同じ額がどこかに存在しています。お金はもう生まれてしまい、流通しているのです。

さらに、このやり方で、雪だるま式に預金が増えます。次の図です。

図6:信用創造の仕組み(3)

銀行はA企業へ貸出をしたので自分のところの預金が100万円増えました。預金が増えたのですから、その100万円をまた貸出に使えます。

そのままの額を貸出すことはできず、ある率は準備にとっておきますが、たとえば9割の90万を貸すとします。その90万は、また新たな銀行預金として生まれます。そしてまたその9割の81万円を貸します。こうやっていくと、どんどん増えますね。高校で教える無限等比級数を使って計算すると、合計で1,000万円のお金が生まれます。

これが、いまのお金のしくみです。お金は、銀行が貸出をしたときに銀行預金として生まれます。そして銀行預金のまま、あちらの口座からこちらの口座へと動いています。そして給料として払われて生活費になったり、税に払われて政府の予算になったりします。でも、元の生まれたところはと言えば、ほとんどは銀行の貸出だったのです。

預金の一部が、給料支払いの時などに、日本銀行券の姿になります。それをわれわれが、買い物に使っています。

信用創造が生産側だけでいいのか

こういうふうにお金を創ってしまうことを、信用創造と言っています。いろんな信用創造があるのですが、銀行の信用創造で生まれるお金を銀行貸出マネーと呼ぶことにしましょう。

銀行貸出マネーは、企業が「これから生産活動を行いたい」という時に、新しくお金を創れるシステムなのです。好況でお金が必要なときは、どんどんお金が生み出されますし、不況でお金の必要が少ないときは、返済されるお金のほうが多くなります。たいへん柔軟であるという長所があります。

なかなかよくできていて、高度成長する経済を支えることができました。

しかし、大きな問題もいくつかあります。

銀行貸出はすべて利息を伴っていますから、貸出の総量より返済の総量が必ず多くなります。経済成長を続けていないと、全部は返せなくなるのです。

また、銀行貸し出しマネーは、生産活動だけではなく、株や不動産を買うためにも生まれています。株や不動産は、投資と投機の区別が難しいです。買うから値上がりし、値上がりするから買う、で実体以上の値段がついては、暴落して大量の不良資産を生み出します。それがバブルです。

世界各国でバブルは起こっています。バブルはネズミ講のようなものでして、かならずいつかははじけます。その影響があまりに大きいので、各国の政府と中央銀行は次のバブルが起こるように誘導して、その場をしのいでいます。でもこれは、問題を先送りしただけです。次にもっとひどい症状が待ちかまえています。

そして根本的な問題は、この銀行貸出マネーは、生産の側には必要に応じて供給されますが、消費の側には供給されないことです。消費者の側は、賃金からしかお金を得られません。

図7:消費の側には信用創造が適用されない

もちろん消費者ローンはあります。でも、消費者はお金を貸してもらっても、お金を返すときは、消費を切り詰めて返すしかありません。

そのため、消費者が使うお金が増えないので、生産側も収入がのびません。企業が銀行に貸出を受ければ店の設備を作ることはできます。しかし、肝心な売上げは、消費者が買ってくれないと伸びません。

銀行貸し出しマネーだけでは、人々の所得を増やせないことを、よく現したグラフがあります。日本の通貨の量とGDPを表したものです。

図8:通貨量とGDP (日本銀行「時系列統計データ」より作成)

GDPというのは、企業利益と個人所得の合計です。日本のGDPは、90年代以降ほぼ横ばいです。ところがその間にお金の量(代表的な指標であるM2をとりました)は、どんどん増えています。

このようにお金はじゃぶじゃぶとあります。でも、人々の収入は増えていないのです。

消費者側への信用創造

そこで、消費者側に信用創造することが考えられます。ベーシック・インカムとしてお金を生まれさせるのです。

生産と消費は一体のものです。それに必要なお金を、生産側から入れても、消費側から入れても、同じことです。いったん入れれば、あとは循環するだけです。

消費側に信用創造してしまってもいいではありませんか。これで、生産と消費のバランスがとれるようになります。

図9:消費者側への信用創造

とはいえ、ここで大きな問題があります。

消費者への信用創造は、貸し付けても返済される見通しがありません。消費者は、お金を使えばそれっきりなのです。それが消費というものです。ですから貸すのではなく、あげるしかありません。しかし、そうすると出回っているお金がどんどん増えていきます。ベーシック・インカムは毎年100兆円もの額になります。流通して、結局はお金持ちのところに集まり、バブルになりそうです。今の世の中では、お金があまった人たちは、モノを買うより株や不動産に向かいますから、インフレよりバブルのほうが起こりやすいです。

でも、持続可能なサイクルを作ることはできます。普通の方法としては、消費税や所得税で回収することです。この方法も真剣に検討されてよいと思います。

しかし、コンピュータが発達した現在、電子マネーを利用すると、そのお金が人から人へと移されるたびに、たとえば1%ずつ、自動的に回収することができます。お金を使った人は、かならずそのお金の恩恵を受けているのですから、わずかな使用料を払うつもりで回収に応じてもいいではないですか。あらゆる口座移転の際に回収します。

図10:電子公共通貨 回収システム

つまり、この電子マネーによる信用創造は、個人に貸したが、返済は人から人へと回るときに、使った人みんなでする、という形になっています。みんなで担う、公共の通貨なのです。けっきょく、ベーシック・インカムを受け取った個人は返さなくてもいいのですから、もらったことになります。誰もが同額をもらっているのですから、不公平はありません。

使った時の1%回収だけでなく、この電子マネーは1ヵ月保有するごとに、その保有者から保有料として1%を回収します。この公共通貨は、みんなで使うためのお金です。誰かが資産として貯め込みにくくしてあります。ただし、1ヵ月以内に使った場合には、保有料は払わなくてかまいません。

こうしますと、この電子マネーは、絶対に毎月1%以上が回収されます。毎月1%というペースは、5年9ヵ月で半分になり、20年で1割以下になるペースです。発行されたe¥は、かならず消滅します。だから、次から次へと出すことができます。

回収された電子マネーは、また次のベーシック・インカムの資金にできます。古い電子マネーを消滅させるのにも使われます。(附記1)

こうすれば、持続可能な、消費者のための信用創造システムが作れます。しかも、返済に困る人も現れませんし、貸し倒れの心配もありません。

さらに将来は、この電子マネーシステムを使って、ベーシック・インカムだけではなく、人々の生活の必要に応じた信用創造ができます。病気や怪我をしたとき、医療費や生活費のために信用創造していいのです。あるいは、一家の稼ぎ手が急逝したとき、家族に信用創造を認めればいいです。

そうしたら、生命保険や疾病保険なしに、国や自治体の予算もなしに、生活のセーフティ・ネットを作れます。

ただし、電子マネー公共通貨による信用創造は、生活に必要なことに限定することが大事です。それが、インフレやバブルを防ぐことになります。

普通¥(円)との交換手数料

e¥は普通のお金と交換できることが保障されていないと不便です。普通の円と交換が保障されていないと、「e¥では受け取れません」という人やお店も出てくるでしょう。

でも、もしe¥と普通のお金を自由に交換できたらどうなるでしょう。誰でも、e¥をもらうと同時に、普通のお金に換えてしまうに決まっています。目減りするお金より、目減りしないお金のほうがいいですから。そうしたら、e¥は流通しなくなります。

そこで、e¥から普通のお金に換えるときは、手数料を取るようにします。たとえば、1年分の減価にあたる11.4%を払ってもらいます。

こうしますと、手数料を払って紙幣に換えることが保障されます。でも、安い手数料でもないので、e¥のまま使ったほうが得になります。買い物にはほとんどe¥がそのまま使われるでしょう。

でも、結婚式のご祝儀はやはり紙幣でないと熨斗袋に入れられませんね。それは、銀行に行って11.4%の手数料を払って1万円札に交換してもらいます。

e¥は納税通貨

新しいお金を作ろうとするとき、それを受け取った人の立場を考えなければなりません。

そのお金を受け取ったお店にとって、使い道があるかどうかなんです。もし使い道がないならば、お客がe¥で払おうとしても、お店としては「普通のお金で払ってください」と言います。そうなったら、もうe¥は流通しないお金になってしまいます。

どうすれば、e¥を受け取った側が、そのお金をもらっても不自由しないでしょうか。

必要なことは、e¥をそのまま納税に使える通貨として認めることです。e¥は国が作る公共通貨です。その通貨を国が税金として受け取らなくて、「税金は日銀券で払ってくださいね」などと言ったら、どうなるでしょうか。そんな通貨は誰も信用しなくなってしまいます。だから国は、ふつうの¥とこのe¥をわけへだてなく税金として受け取ります。地方税にも使えます。

そうすれば、どこのお店も会社も、e¥を受け取ります。税金に払えるなら、誰でも必ず使い道があるからです。自分が多すぎれば、納税の多い人と交換すればいい。

そうするとおもしろいことが起こります。e¥は月に1%ずつ目減りするお金です。商売をしている人たちにとって、月に1%は死活問題です。e¥を受け取ったら、さっさと手放してしまおうとします。税金の支払いに使えるなら、e¥をつまみ出して、払ってしまいます。それでもまだe¥があるなら、先の税金まで払おうとします。持っているよりはましです。

つまり、税金の先払いが流行るようになります。納税者が「来年のぶんまで払わせろ」と言うと、税務署が「ダメです、今年のぶんしか受け取れません」と押し問答するようになるかもしれません。

歴史的実例

このような減価するお金、しかも納税に使えるお金は、実例があります。

1932年にオーストリアのヴェルグルと言う町で地域通貨を出しました。大恐慌の時代なのですが、この地域通貨のおかげでこの町だけものすごく経済効果が上がって生き延びました。これは町でもって労働証明書という名前で紙幣を出しちゃいまして、公共事業をやったときの賃金として払いました。その紙幣は毎月額面の1%のスタンプを買って貼らないと通用しないという仕組み作りました。これがその紙幣の写真です。

図11:ヴェルグルのスタンプ通貨

この証書の右上に空欄がありますけれども、所有者はここに毎月一枚づつスタンプを買って張るんですね。それは1%ずつ毎月価値が減っているようなものなんですよ。

このお金は持っていると余分なスタンプ代を払わなければならないので、どんどん使われます。お金の形で貯め込もうとしないで、早く使おうとするのです。そのため、ものすごく経済が活性化しました。失業者が減り、生産が増えました。税金を前払いする人たちも現れました。

すごくうまくいったんです。でも、真似しようとするところがたくさん現れたもので、通貨制度が混乱することを心配した国に禁止されてしまいました。これやると税金が地方には入るけれど、国の方に入らなくなっちゃいます。

e¥は、このヴェルグルの労働証明書みたいなものと考えればいいです。スタンプ貼る代わりに、手持ちのe¥の一部を自動的に回収していきます。そのため、手持ちのe¥が減るのです。

なぜ減価させるのか

我々はお金を貯めたがります。すべてのモノは、腐ったり、すり減ったり、壊れたりしますが、お金にしておけばいつでも欲しいモノと交換できるからです。お金が貯まっていると、とても安心できますね。

すると、どうしても貯めるのが上手な人と下手な人がいます。上手な人はたくさんお金を集めて、使わずに貯め込みます。そうすると、お金が循環しなくなります。トランプでチップをぜんぶ集めてしまう人ができると、ゲームが続行不能になるようなものです。生活に苦しむ人ができるし、経済活動が滞ります。

そこで、貯まったお金が活用されるように、利子という制度を作って、お金持ちがお金を貸すようにし向けます。銀行がその仲立ちをします。これで、お金が死蔵されることはなくなります。でもそうすると、お金を持っている人は何もしなくてももっとお金を殖やすことができますし、お金のない人はけっきょく利子のぶんをたくさん払わなければなりません。貧富の差がどんどん大きくなります。やがて、ドカーンとすべてをご破算にしてしまうような事態が起こります。

ゲゼルという経済学者は、減価するお金を考え出しました。われわれの生活に必要なさまざまな物資よりもお金の価値が少し低くなるようにするのです。そうすると、お金は貯め込まれなくて、よく流れるようになります。ヴェルグルの町長さんは、ゲゼルの理論を実行したのでした。

減価するお金は、お金を貯め込む人たちからお金を徴収するのと同じ働きがあります。人々はお金を貯めるより、お金を使おうとします。お金は滞らずに循環するようになります。

しかし、お金が目減りするだけだったら、みんなが貧乏になります。お金が湧き出しているところが必要です。

すべての個人ごとに必要な生活費としてお金を湧き出させるのが、お金のもっともよい湧き出しどころだと思います。どんな文明であろうが、人々の生活維持が経済活動の根幹なのです。生活費は、労働と生産を生み出すために使われ、次の人へと渡されていきます。ベーシック・インカムと目減りするお金の組み合わせは、いつも流れている川を作り、そこから誰でも水をくめるようにするようなものです。誰でもが安心できる社会を作れます。

しかし、目減りしないお金も存在していないと、いまの経済はうまくいきません。普通のマネーとe¥が共存していくのがいいと思います。

e¥の正体は“積立型”国債

では、このe¥という電子マネーは誰が発行した、どういうお金でしょうか。

おもしろいことに、いろいろに作れるのです。政府が発行した通貨としてもかまいません。別な日銀券としてもかまいません。あるいは、政府が保障する新たな種類の消費者クレジットとすることもできます。

いろいろあり得るのですが、「信用される通貨を作る」ことが大事です。それには、e¥は国債である、とするのがいちばんいいと思います。

国債というのは、国が発行した債券で10年後とかの期日に額面の金額を払い戻します、という約束なのです。国債は、あらゆる債券のうちでもっとも信用があります。もしそのまま人に渡せば、お金を渡したのと同じことになります。しようと思えば、国債をそのまま通貨にすることだって、可能なのです。

e¥は、額面100円の小額国債が集まっているものだとします。e¥の一枚一枚は、「満期になれば、絶対に100円玉一個と交換します」と国が約束してあります。そうして、最初から100円のお金として通用させるのです。

しかし、普通の国債とは、たいへん違ったところがあります。

普通の国債ですと、発行したときに購入者がお金を払い込み、期日になったら国が払い戻し(償還)します。利子も払います。次の図です。

図12:通常の国債

e¥ですと、次の図です。払い込みなしに発行してしまい、それが流通する間に少しずつお金を集めて、満額になったら払い戻します。“不特定多数者による積立型国債”とでも言ったらいいと思います。利子は払いません。

図13:“積立型”国債

国債と通貨との関係ですが、日銀券の場合ですと、日本銀行は66兆円の国債を保有し、76兆円の日銀券を発行しています(09年7月)。各国の中央銀行も、これと同じような構造になっています。

日本銀行は、国債という信頼できる資産を持っていることで、日銀券の信用を得ているのです。でしたら、国債そのものを直接にお金として通用させたほうが、もっと確実ではないでしょうか。e¥は国債そのものです。

 

"不特定多数者による積立型国債"であるe\は、使用1回1%と保有一ヵ月1%で払い込んでもらいます。この払い込みのために減価するのです。113円になったところで満額となります。そのとき113円のe¥または100円の現金で払い戻しして、消滅します。(附記2)

e¥運営には、かなり大がかりな全国電子システムと、たくさんの窓口を必要とします。e¥をまとめて管理するところが必要です。国と自治体による直営システムを新たに作っても、日銀がやってもいいのですが、似たようなシステムをすでに持っている「ゆうちょ」あたりが管理するのもいいんじゃないでしょうか。

e¥では使えないもの

ところが、目減りするお金では、どうしても受け取るわけにいかないという業種があります。たとえば、銀行にe¥を持っていって「定期預金にしてください」と言っても、銀行は、目減りするお金を殖やして利息を付けることは不可能です。「普通のお金に換えてからいらっしゃってください」と言うしかありません。

他にも、お金を長期に渡って運用する場合には、e¥では運用不可能だから受け取れなくて当然なのです。銀行預金をはじめ、株式、国債、社債、保険、年金積み立てなどがそうです。

また、外国通貨との交換も無理です。目減りする通貨を外国が受け取ってくれるはずがありません。

土地を売る人も、e¥では受け取れないことが多いでしょう。

貯蓄、外国通貨購入、土地売買などは、みんな消費税がかからない取引です。これらは生産・消費活動ではないのです。これらの場合には、e¥での受け取りを断れるように決めておいてよいでしょう。普通の円に交換してから使います。

こうすると、たまったe¥を不動産や株や通貨の投機に使おうとしても、交換手数料があるために儲けるのは非常に難しくなります。これによって、e¥のバブルマネー化が防げます。

減価の方法

図14:1枚1枚の100円国債は額面を保つ

減価の実際ですが、e¥管理銀行が1%の自動徴収(国債払い込み)をすることで、目減りします。1万円のe¥があったらそこから100円を一枚抜き取る方式です。これだと、全体は1%減りますが、一枚一枚は100円の価値を保ちます。(附記3)

1%ずつ払い込まれたe¥は管理銀行に保管されて、満額になったe¥国債を償還させるための準備金になります。保管されたe¥は貸出にも使われます。

もし何もしないで10万円のe¥をじっと持っていると、次のグラフのような減り方になります。1年で8万8,638円になります。5年9ヵ月で半分の5万円になります。

図15:e¥の減価プロセス (月1%減価 15年間)

単位:縦軸=万円/横軸=月

113ヵ月のところで、ちょっと増えています。これは、償還期日です。一枚あたりe¥113を払い戻しされました。e¥113という額は、普通円の100円と交換できる額です。

ただし、回収は古い電子マネーから行いますので、古い電子マネーはたいてい管理銀行にあります。償還は管理銀行の中で行われ、自分で自分に払うことで古い電子マネーを消滅させます。

e¥を受け取った企業はどうするか

企業の立場を考えてみましょう。企業は、いつも借入金を返済し、手形を落とさなければなりません。売上げの多くがe¥になった企業はどうしたらいいでしょうか。

e¥でのベーシック・インカムが実現したとすると、貧乏人でもお金持ちでも、ふだんのお買い物でe¥から使ってしまおうとします。

そうしますと、スーパーとかコンビニとか消費者相手の商売は、e¥ばっかりたまっちゃいます。

そのままでは、商売する人にとって困ったことになります。企業は、仕入れには手形を使い、手形の期日までに銀行の当座預金に振り込みます。また、運転資金を銀行から借りては返済しています。ところがe¥では、銀行口座に振り込めません。普通のお金に換えるには、11.4%も手数料がかかってしまいます。11.4%では、商売が成り立たないでしょう。

運転資金

  • e¥での約束手形を発生させる。
  • e¥での運転資金借り入れを発生させる。
  • 過渡期には、11.4%の手数料を国が補助して、返済を援助するなども可。

そこで従来の手形とは別に、電子マネー版の手形を発行できるようにします。いついつに、いくらを電子マネーで払いますという約束手形です。約束は約束であって減価することはありませんので、信用ある企業のe¥約束手形は価値あるものになります。手形割引も可能です。

いったん移行してしまえば、問題なく回転するでしょうが、移行するときはかなりの配慮が必要になると思います。手形を落とせないことは倒産を意味します。

企業がe¥しか持っていないので手形を落とせないという事態を防ぐために、過渡期には、国が普通¥との交換手数料を補助する。あるいは、手数料部分の繰り延べ返済を認めていいでしょう。また、銀行から企業へe¥融資が必要になりますが、その資金としてe¥管理銀行が一般銀行にe¥無利子貸出をします。

減価マネーでの貸し借り

e¥のように減価するお金では、お金の貸し借りが難しくなるのではないかと想像されると思いますが、そうではなく、たいへん面白いことがおこります。

生産活動を活発に行っている企業ならば、e¥で借りるメリットがあります。借りたら、すぐに仕入れや賃金の支払いに使ってしまうのです。そして売上げから、返済の期日に同額を返済します。そうすれば、減価を引き受けないで済みます。けっきょくこれは、無利子融資を受けて運転資金に使ったのと同じです。たいへん得になります。

いっぽう、e¥を持ったまま、使い道がなくて目減りの危険にさらされている企業や銀行もあります。そういうところは、6ヵ月後とか1年後に同額を返してもらう約束をして、生産活動をしているところに渡します。そうしますと、自分は減価を引き受けないですみ、同額が期日に返ってきます。この方式なら、貸すメリットがあります。多少のマイナス金利であったとしても、持っているよりましです。

つまりe¥は、そのまま持っていると価値が減るのですが、生産活動が活発なところに貸せば、価値が減らないのです。e¥は、生産活動が活発なところに集まってきます。

長期資金の返済

手形や運転資金は、e¥建てのものを発生させて、誰にも損のないようにできます。しかし長期資金への対応は簡単ではありません。長期の銀行借入金、社債、株式などです。

長期借り入れを普通円でしたのに、売上げがe¥ばかりという企業はどうしたらいいでしょうか。

これには、返済期日に同額のe¥で支払うことを認め、ただし、本来払うはずだった普通円と交換するための手数料は、繰り延べ払いにすることを認めることで解決できます。貸した側は、返済されたe¥の総計を普通円に交換すれば損がありません。e¥のまま使ってもいいです。返済した企業側は、結局手数料ぶんだけ余計に払わなければならなくなりますが、e¥発行による経済活性化のメリットを十分に受けています。繰り延べ払いにすることで、急なショックはありません。また、e¥売上げに対する法人税の減免で、企業の損を軽くするという手段もあります。

e¥の流通が盛んになったとすると、企業が資金を調達するやり方に変化が起こります。普通円で長期の借り入れをしたのに売上げがe¥ばかりという企業は、いったん普通円に交換してから返済しなければなりませんので、結局、高い利率の借り入れをしたのと同じことになります。それでは引き合わないのでe¥での借り入れが多くなります。その場合、借り入れてそのままお金で持っていると損するので、必要なときに必要なだけ借り入れてすかさず使ってしまうやり方が主流になってくると思われます。

自動車のトヨタが、「カンバン方式」というのをやって、材料や部品の不必要な在庫は持たない、必要なタイミングに必要なだけ納入されるシステムを作りました。それと同じように、不必要なお金は持たない、必要なタイミングに必要なだけ借りる、という方式が資本調達でも行われるようになると思います。返済は、将来の時点での売上げから行います。

投資が必要なときに必要なだけe¥で社債を発行し、予想収入に合わせて少しずつの返済を約束するタイプが増えると思います。

株式発行ですが、株式は返済の心配をしなくていいので、普通の円で発行すればいいでしょう。配当はe¥で払うようなタイプが増えそうです。

銀行貸出しの大変化

e¥の流通量が増えてきますと、銀行の仕事が変化します。銀行は、普通のお金と同じにe¥を預金として受け取ることが危なくてできません。自分で持っちゃったら大変、毎月1%減っていくのを引き受けなくてはなりません。そこで、決済や引き落としのためには、目減りの責任はお客さまご自身で、という新しい当座預金を作ることになるでしょう。銀行は、場所を貸しているだけです。管理手数料を取るのは正当なことでしょう。

減価マネーでは、銀行がみなさんから大量の預金を集めてそれを貸し出す業務は、困難になります。銀行が預金を集めても、タイミングよく借り手がいればいいのですが、そうとも限りません。借り手を見つけられなくて自分で持っていると、たちまち減価のリスクにさらされます。

そこで、銀行はいったん自分のところの預金として受け入れることはしないで、貸し手と借り手を仲介して手数料を取る仕事をするようになります。

いっぽうで、e¥での資金需要はけっこうあります。企業は運転資金としてe¥の借り入れを必要とします。銀行は、e¥を持っていて使い道がなくて困っている企業と、e¥借り入れをしたい企業を仲介します。

銀行がe¥を貸す場合でも、自分のところの預金量をそのままにして貸すのではなく、いったん渡してしまいます。そして、返してもらう約束をします。

けっきょく、e¥の場合には、銀行貸出による信用創造が起こらなくなるということなのです。図にしてあります。

図16:銀行貸し出しの大変化

実は銀行の信用創造が、こんなに資本主義が脆弱である大きな原因なんです。銀行が、利子でもうけようとして、貸出しをしすぎるんです。そのため貸出の1割も不良債権が発生すると、倒産してしまいます。5%でも危ないでしょう。銀行が倒産すると、企業も他の銀行もバタバタと連鎖反応で倒れます。

減価マネーですと、銀行は貸出で儲けにくくなり、生産者と資金の仲介者という本来の役割を果たすようになります。e¥が多くなると、価値が保存される日銀マネーも大事になってきますので、銀行の新しい仕事もたくさん生まれると思います。

e¥管理銀行による無利子融資

  • e¥管理銀行は、一般銀行に対して、e¥を無利子融資する。
  • 回収された古いe¥を、融資に使う。融資に新規発行はしない。

企業から、運転資金としてe¥の需要はかなりあるでしょう。それに対して、銀行の手持ちe¥や、斡旋できるe¥が不足することはあります。そのときは、e¥管理銀行から一般銀行にe¥の無利子融資を行います。あるいは、銀行が、e¥管理銀行から企業に貸すことの仲介をします。

一般銀行のe¥貸出金利は、市場に任せればいいと思います。e¥管理銀行からの無利子融資が控えていますので、高い金利になることはあり得ません。e¥を貸したい人が多い場合には、マイナスの金利が生じることもあり得ます。

e¥の貸出にあたって、原則としてe¥管理銀行が新たにe¥を作り出すことはしません。e¥管理銀行には、回収したe¥がありますから、それを一般銀行を通じて貸出に使います。

e¥といういくらでも作れるお金を、国が新たに無利子融資に使うと、あぶないと思います。もういくらでも融資出来ちゃうんですよ。経営危機の大企業があると、結局は民主主義国家いろんな圧力があるわけで、助けてくれーっていうのは、労働者も経営者も思いますよ。そういうところにぼんぼんお金を貸して、潰れそうな会社をみんな助けちゃうんです。そうすると日本が社会主義国と同じになってしまいます。ゾンビ企業ばっかりになっちゃう。やはり経営責任は経営責任です。そしてベーシック・インカムで、人を助けています。失業しても人が生き延びられる仕組みを作っています。で、そのぶん企業は、経営責任を取ったほうがいいです。

無利子融資といっても、e¥ではあらゆる口座移転に際して1%の手数料がかかります。往復だと2%かかりますので、これが実質的な金利になります。この口座移転手数料の率を調節すると、短期金利の調節と同じ意味を持ちます。

e¥での賃金

e¥で賃金をもらう人の立場はどうでしょうか。はじめのうち、e¥での給料支払いは給料の一部でしょうが、売上げがe¥ばかりの企業は、賃金もe¥で払わせてくれと言います。そこで働く人がe¥ばっかりで賃金をもらっちゃったらどうしましょう。ちょっと困っちゃうでしょ。生活費として使うのなら問題ないのですが、一番困るのは住宅ローンを抱えている人たち。だってe¥はそのままローン返済には使えないことになっています。あるいは、家を建てるために貯蓄をしたい人たちもいます。

その解決策に、絶対というものはないので、いくつか案を作りました。

A案
給料全額e¥払いを認める。ローン返済、預金などには、個人が手数料を払って¥に交換。かわりにe¥所得税低率。
B案
給料全額e¥払いを認める。ある割合の¥との交換を国が手数料補助。
C案
給料のある割合は、普通¥で払うことを企業に義務づける。

A案は企業が全部e¥で払っても構わない。その代りにe¥での収入に対する所得税は0%か、非常に低くする。

B案も、給料を全部e¥で払っても構わない。けれども、ある割合を普通¥と交換するのは国が手数料を援助してくれる。

C案。一定割合は普通の円で支払うことを企業に義務付ける。普通の円との交換は企業が責任を負う。

いろいろな方法があるんです。(附記4:“減価ストップ債”の方法もある)

e¥での国、自治体の税収運営

ベーシック・インカムにe¥が使われるようになりますと、e¥が集まってしょうがないところができます。国と地方自治体の税収です。個人でも企業でも、e¥は真っ先に税金の支払いに使われるに決まっています。

税金の前払いが流行るようになりますね。

普通の円を持っている人も、そのまま納税に使わないで、e¥を持てあましている人とちょっといい率で交換してからe¥で納め、差額のぶんを得しようとするかもしれません。

そこで国があわてて、e¥での納税を制限したりしたら、e¥は信用を失ってしまいます。ここは、e¥で税金を受け取ります。

国の工夫は、いかにe¥をe¥のまま通用させるかにかかってきます。国や自治体はその年の収入でその年の支出をまかなう方式で、蓄えを作るタイプではありませんので、基本的にはe¥でやれるはずです。

予算のうちもっとも大きな部分は、公務員給与をはじめとした人件費です。e¥が定着してなんでも買い物ができるようになったら、人件費は基本的にe¥にしていいでしょう。しかしそれでは住宅ローンなどで普通円に交換しなければならない人たちが手数料で損しますので、e¥でもらう給与に関しては所得税フリーにしたらどうでしょうか。

政府がe¥で払うのでは問題になりそうな費目もあります。最大のものが、これまでに発行した国債や地方債の利払いや償還です。普通の円で払う約束をしてあるのに、税収はe¥ばかりなのです。この問題に対しては、普通円への変換手数料分を割増してe¥で払うことを認めたらどうでしょうか。受け取った人は、すぐに普通円に換えれば損はまったくありません。しかし、変換するとは限らなくて、e¥のまま使うかもしれません。

現実には、公債の借り換え(普通円のまま継続)に応じる人が多くなって、実質的には国債や地方債の償還をしなくてすむ割合が大きくなると思います。e¥が行き渡ってきたときには、減価しないし利子も付くという債券は、新規発行が少なくなり、貴重なものになってくるからです。

国や自治体に納税されたe¥は、減価がストップするようにします。(附記5)

いっぽう、積み立てて運用するタイプの政府管掌事業(基礎年金等)は、だんだん運用が困難になります。長期的には徴収タイプに移行することになるでしょう。そのほうがいいんじゃないでしょうか、積み立て運用型の政府事業が、年金やかんぽ事業などの問題を起こしてきたんです。

公共経済の財源

ベーシック・インカム実現後も、公共経済、つまり福祉・教育・医療・環境、そういうところにお金が回っていかないと本当の意味で生活が充実してきません。そういう公共経済は、もうかるもうからないではなく、必要だから作るものです。みんなで出し合うお金、つまり税金をもとに運営しなければなりません。そのための税収が必要になります。

図17:ベーシック・インカムによる公共経済拡大

e¥でベーシック・インカムを出し、消費税と組み合わせる方式で行きますと、この財源が作りやすいんですね。消費は必ず増えます。その増えた分から払う税ですので、無理がありません。また、電子マネーであることを利用して、支出したときに消費税を源泉徴収することもたぶん可能です。

行政サービス、教育、福祉などの費用を、商品の原価の一部と考え、買い物をするときに払ってもらうことは、合理的だと思います。どんなモノやサービスも、道路や港があり、制度が整い、教育程度の高い人々がいるから、生産できているのです。

しかし、消費税には問題もあります。消費税は収入の少ない人も同じ率で払わなければならないので、貧富の差が大きくなることです。ですから、消費税は、ベーシック・インカムと組み合わせなければいけません。そうすれば、低収入層にとってはけっきょく収入増になります。さらに、減価マネーの場合は、実質的に資産税を課しているのと同じですから、お金を貯め込む人たちへの対応がすでにできています。この資産税の脱税は不可能です。

税っていうのは、みんなでお金を出し合って維持しているサービスのためにあります。

ですから、税収を増やすなら、住民自治が絶対に必要です。自分たちで決めたことだから、払う気になるんですね。それに、実際に住んで暮らしている人たちで決めないと、ほんとうの必要度がわからないです。

今とにかく地方にもっとお金が行かないとだめです。職がないから人々も都会でばっかり暮らしちゃう。今消費税5%取られているでしょう。そのうち、地方に行くのは1%なんです。4%は国に行っています。地方の方にもっといっぱい渡して自分たちで何が必要か判断して、責任を持って使うようにしなくちゃいけない。

この地方と国の分配率を7:3とか6:4で地方に多くしていくべきです。それにともなって、地方に権限を移譲して、自治を拡大します。

おおまかなシミュレーション(1) GDP

大まかなシミュレーションをちょっとやってみました。これ絶対っていうことはないんだけれども、ちょっと目安にはなるかと思います。

ベーシック・インカム毎月8万円で15歳以下を半額としまして年間116兆円かかります。これをe¥を新規発行して出します。

収入がこのくらい増えたら消費がこのくらい増えるというのは経験的に知られてるんですよ。日本の場合0.6~0.7くらいだとされてます。

アメリカだとすごくて、0.9以上を消費に回しちゃう。アメリカはほぼ使っちゃう。日本の場合は、もっと使い方が控え目なんですけれども、このe¥でのベーシック・インカムの場合には、超貧乏ですぐ使ってしまう人たちみんなにも渡るでしょう。給与の一部もe¥というどんどん使わないとやばいお金になる。なおかつ将来のために貯めなくてもいいという条件が付いている。

だもんで、消費に回るお金の率は、相当多いと思います。控え目に見て0.8としました。そうしますと93兆円、四捨五入して90兆円の消費増が期待できます。

そうしますと民間の最終消費支出、とにかく投資じゃなくて現実に金を使っているのが、現在240兆円のが、330兆円くらいになる計算になります。一方でね、消費が盛んになるとそれだけ国内で生産が起こる部分もあるんだけれど、中国から買っちゃえ、というようなのが相当あるんですね。おそらく30兆円程度が輸入になります。そうしますと差し引き60兆円くらい国内生産が増えるという計算です。

今年のGDPを480兆円として、GDPがおそらく540兆円くらいになります。この毎月8万円のベーシック・インカム出しましてGDPが11%ぐらい伸びちゃうという計算なんですよ。これはかなり控えめな計算をしているとは思うんだけれども、信じられないようなすごい数字なんです。ちょっと経済に明るい人だったらウソじゃないかって言うような数字になるんですよ。

これが、予算を使わずにe¥でベーシック・インカムを出すことで起こります。

ただしe¥の一部は、普通の円に転換されて貯蓄に向かったり輸入に向かいます。おおざっぱですが30兆円くらいとみています。それがe¥と交換されるのに応じるために普通の円も用意しなければなりません。それは普通円の国債を発行してまかないます。ほんとうに政府の出費になるのは、交換される普通円とe¥との差額の部分、つまり11.4%の部分です。そうしますとこの新しい公共通貨運営にかかる費用は、この差額部分、とりあえずの計算では3.4兆円ということになります。あと、システムを作るための初期費用はどうしてもかかります。1~2兆円でしょうか、そのくらいだと思います。

けっきょく年間4兆円程度の出費を覚悟して、それで11%のGDP増加です。しかも、一回かぎりではなくて、持続可能です。(附記6)

いま、国内の生産力に余力はありますし、安い輸入品もある時代ですので、かんたんにインフレにはなりません。

おおまかなシミュレーション(2) 公共経済構築

単純にGDPが増えてもほんとうには豊かになれなくて、さきほど話しましたように、公共経済を構築する必要があります。それには税収がどうなるかです。

これから挙げるのは極端な一例ですが、参考にはなると思います。

個人の所得税はなし、消費税25%とします。

そうしますと、民間最終消費330兆円の25%で、消費税収が約83兆円になります。現在の個人からの税は、所得税が国と地方の合計で約28兆円、消費税が約13兆円、計41兆円です。したがって、42兆円の税収増。ただしe¥と普通円との交換手数料約4兆円と公債費のe¥割増3兆円が新たな費用ですのでそれを引くと、35兆円税収が多くなることになります。(附記:講演では公債費割増を含めなかったので38兆円としました)

この35兆円の増収は、無理な増税じゃないんです。個人の収入は増えています。経済活動も盛んになってGDP増えています。それでもって増えた税収なんですよ。

35兆円あると、いろんなことできますね。

例えば教育費です。教育費の研究をしていまして、幼稚園から大学まで公立も私立も全部タダにするのに6兆円で足りちゃうんですよ。たった6兆円。さらに、一人一人に応じた教育を発生させるための費用をつけてやってとりあえず8兆円も出れば、かなり充実します。

それと今一番財政の問題で困っているのは年金です。パンクしかけちゃっている。これちょっと根本的な設計変更しなきゃならないと思われるんですけれども、基礎部分はベーシック・インカムで置き換えがききます。さらに10兆円もあったら、十分な給付ができそうです。

あとですね、今福祉関係で、たとえば介護のヘルパーさんなんて給料安いですね。ああいう人たちにいっぱい払ってあげるといいです。ヘルパーさんたちは裕福でない人たちが多いから、あの人たちが普通の生活をして普通にお金を使うようになると、それで経済がよくなります。

生活そのものが充実することでお金の循環がよくなっていくと、本当の経済発展であり、本当のGDP成長なんですね。そういう生活の充実に、たとえば福祉で5兆円増やせる。医療費で5兆円増やせる。これでも合計まだ28兆円なんです。とにかく、人々がほんとうに必要としているものに使うことです。そうするとお金が生きます。

こういうようなお金を公共経済の方に使っていって、それこそ本当に豊かな社会が出来るんですね。

輸入増の問題

問題は輸入増なんですよ。ベーシック・インカムを新たな通貨で出すとインフレが起こるんじゃないかって考えると思うんですけど、今の我々に買いたいものが増えたら外国から輸入するものが多いです。中国あたりで安いものをぼんぼん作っていますからね。現に今輸入は増え続けていまして、2005年に68兆円だった輸入が、2008年に、わずか3年で88兆円になっているんです。消費に対する比率でそのまま計算しますとベーシック・インカムによる消費増で、もう30兆円くらい輸入が増えると思われます。

ある程度は輸入超過でいいんですよ。外貨が余ってるっていうのはバカらしいですよ。今までドルをしこたま貯め込んだ。結局ね、商品券もらって喜んでいるだけなんですよ。結局最初360円の価値あったのが、今1ドル100円を切っています。その商品券の価値がどんどん失われました。買い物しないまま商品券のまま貯めてどんどん減っちゃったっていうものなんですね。

輸入の場合は通貨の問題があります。最初のうちは、外国への支払いは今まである普通の円でドルやユーロと交換して払えばいいんですけどもね、だんだんe¥が多くなった場合、e¥でもって輸入しようとすると、そんなお金を外国は受け取ってくれないですから一旦普通マネーに変換しなくちゃならないんですね。そしてこのe¥から円に変換するのに手数料が11%必要ですけれども、そのためにe¥を持っているところが輸入をすると、外国製品ちょっと割高になります。実はこれがね、実質的な関税の役割を果たすんですよ。

これちょっと大事な国内産業保護になると思うんです。

財政問題

そして大きな財政問題として、政府の累積債務の問題があります。

今、国も地方もすごい債務を抱えています。いま、借金で借金を穴埋めしていますので、破局にいたる可能性があります。そこで、e¥と日銀公定歩合なんかと組み合わせてちょっと緩やかなインフレを起こして、政府累積債務を実質的に軽減していくようなことが出来るはずです。これなら、破局にいたらずに軟着陸できます。普通、インフレは年金生活者に大打撃を与えてしまうのですが、ベーシック・インカムと組み合わせてあれば、その痛みは軽くできます。

日銀マネーというのは、企業に渡ってすぐ土地買ったり株買ったりするんですね。で、バブルを起こしやすいお金です。このe¥は、生活者に渡るからお買い物しやすい。モノの値段を押し上げてインフレを起こしやすいんです。

コントロールしやすさ

e¥はコントロールしやすい。4つのパラメータをもつ。

  1. 発行額
  2. 日銀券との交換率
  3. 減価率
  4. 使用料

このe¥は非常にコントロールしやすいです。発行額の調整、日銀券と交換手数料、使うときの一回あたり手数料。時間による減価の率、そういうものでコントロールできます。

例えば月1%目減りしますなんてのは、無くすか低率にしちゃえばe¥は日銀マネーとほとんど変わらなくなります。こういう、アクセルもついてます、ブレーキもついてます、右にもハンドル切れます、左にもハンドル切れます。という形にしておけば非常に対応しやすいんですね。(附記7)

地方通貨も可能

もしかして、いままでの話は、ちょっと難しい話になっているかもしれないですけど、同じような仕組みで、地方からも作れるんですよ。この地方税と地方債とを組み合わせて、地方通貨を作れます。それを財源に、地方ベーシック・インカムを作ることもできます。そのような形でかなり実現性があるんじゃないかと思います。

ちょっと世に問うてみたいと思ったもんですからこういうものを作ってみました。

どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)

【附記】
以下は、講演のレジュメにはありませんでしたが、HP版に付け加えたものです。

附記1 e¥の流通残高

このようにe¥を発行していくと、流通残高はどうなるでしょうか。単純化したシミュレーションをしてみました。収束することが一目でわかると思います。

図18:e¥の流通残高 (毎月10兆円追加 月2%回収として)

これは毎月10兆円(年120兆円)のe¥がベーシック・インカムとして渡され、流通残高の2%が毎月回収される場合の、流通残高の20年間のグラフです。

e¥は最低でも月に1%回収されますが、実際の回転はかなり速くなると思われます。仮に2%としました。

500兆円に収束することがわかります。

毎月の回収率が3%だとすると、330兆円で収束します。

現実の動きはもっと複雑になりますが、だいたい現在のM1(現金+当座預金+普通預金)流通残高480兆円と同じくらいになりそうです。

それでも流通残高が多すぎる場合は、

  • 減価率を上げる
  • 減価もしない貸出にも使われない預金または債券を作って吸収する

という方法があります。

附記2 e¥回収額の設定について

113円で回収としましたが、これは普通の円で償還するためです。しかし、やはり100円貯まったところで償還のほうがいいと思われます。シミュレーションをしてみると、e¥113での償還は、ある時期から発行残高がかなり減ります。

附記3 定率法と定額法 古いお金の寄贈

講演では、1ヵ月ごとに所持e¥の1%を抜き取って回収する方法を示しました。この場合常に一定の率で減価しますので、減り方はだんだんなだらかになります。10年間の減価のしかたは次の通りです。

図19:e¥の10年間の減価の推移 (定率減価 月1%として)

もう一つのやり方として、一枚一枚のお金が1ヵ月ごとに99円、98円…というふうに、額面が小さくなっていくやり方があります。定額ずつ減価します。100ヵ月(8年4ヵ月)で消滅します。

このやり方をすると、新しいお金と古いお金が違った性質を持つようになり、年齢が感じられる生き物みたいになります。

図20:e¥の10年間の減価の推移 (定額減価 月1%として)

定額法ですと、1万円を受け取ったときに、e¥100が100枚という場合もありますし、e¥20が500枚ということもあります。毎月の減価がどちらも一枚あたり1円ずつですので、古いお金のほうが目減りの率が高くなっています。e¥100の場合には毎月の減価率は1%、e¥20の場合には減価率が5%になります。使うときの価値に問題はないのですが、古いお金はくたびれています。

この場合、古いお金(たとえば額面がe¥20未満e¥10以上)は学術・文化・スポーツ・教育など、直接の生産でもニーズでもないが、人間の精神文化を維持し発展させるための部門に寄贈するのがいいでしょう。この部門に対して、政治経済状況に左右されない経済的基盤を作ることは、たいへん重要なことです。

その場合、毎月10兆円のe¥を新規発行すると、7年目近くから額面20円未満のe¥が、毎月2兆円ずつ発生することになります。それを文化部門への寄贈に使います。年間24兆円は、かなりの額です。

額面があまりに小さくなったお金は、最後に持っている人が損しないよう、何枚かまとめて新しいe¥100に交換してもらえるようにしておきます。

 

額面が小さくなっていく減価の場合、口座移転手数料も毎月の減価と同じ方式にすると、新しいお金か古いお金かで率が一定せず、経済取引が困難になります。口座移転手数料は、一定の率として、抜き取り方式で徴収するのがよいでしょう。

附記4 “減価ストップ債”の方法

給料がe¥ばかりになってしまった人を保護する他の方法として、“減価ストップ債”をe¥で購入できるようにするという手段があります。この“減価ストップ債”は、e¥管理銀行が売り出し、1年後とか2年後とか決められた期間の後に、買ったときと同じ額でe¥を払い戻してくれます。個人が、給料をもらったときだけ買えるようにします。これを使えば、給料がe¥ばかりの人が、「お金を早く使わないと損する」という圧迫から逃れることができます。

“減価ストップ債”はe¥の流通残高が多すぎる場合の対策としても使えます。吸い上げて休眠させるためなのです。運用資金を集めるための債券ではありません。“減価ストップ債”を売って集めたe¥は、貸出には使いません。貸出に使ったら、また市中に出回ってしまいます。

このような減価しない例外を作るのは、減価マネーを作る趣旨に反するのですが、減価マネーの運用は未知の領域ですので、安全弁を設けておいたほうがいいと思います。

“減価ストップ債”はお金として流通しにくくします。記名式で譲渡不能にします。途中解約すると初めからの減価分を負担しなければなりません。

“減価ストップ債”を売って集めたe¥も減価しつづけているのですが、e¥管理銀行にとっては、自分で回収して自分のところに置いておくので、実質はプラスマイナスゼロです。

附記5 納税されたe¥も減価ストップしない

講演では、納税されたe¥は減価がストップするとしました。

しかし、そうしますと、国や自治体だけがお金を減らさずに貯めておくことができます。これは、国や自治体に銀行業務の特権を与えるようなものです。なにかというと、目減りしないことがウリの「~積立金」を集めることができます。ところが、国や自治体は、お金を運用するのが下手なところです。これまでもたくさんの問題を起こしてきました。

やはり、国や自治体も、入ってきた税収を減価ストップせずに使ってもらうのがよいと思います。国や自治体は、公共サービスの事業体として経済活動を担います。税収は、みんなの必要を満たすために、みんなから集めたお金です。

附記6 利払いの割増費用

講演では、e¥で予算を組むため約4兆円の出費増があるだろうとしましたが、他に国債や地方債などの利払いをe¥で払うための割増を含めていませんでした。これを含めると、さらに約3兆円の出費増になります。

詳しく言うと、現在国債の償還と利払いに約20兆円を使っていますので、e¥割増11.4%で2.3兆円。別に地方債が140兆円(2006年)くらいありますので、その5%が償還と利払いに必要だとして、e¥割増は0.8兆円。

合計約3兆円程度が、公債の償還と利払いをe¥で行うときに新たに必要になります。

附記7 合計5つのレバー

さらに、通貨供給量が多すぎる場合のための“減価ストップ債”も含めて、合計5つのレバーを備えることができます。これら5つで、たいていの事態に対応できると思われます。

第2部終了

古山明男さん講演録「ベーシック・インカムのある社会」第1部

古山明男 講演録

「ベーシック・インカムのある社会」

― 労働と教育の根本的転換 ―

第3回ベーシック・インカム入門の集い講演録
2009年7月12日 於:青山学院大学

講演者:古山明男

主催:ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー

講演者より
この講演録は、2009年7月12日に青山学院大学で行われた講演をもとにしていますが、説明がよりわかりやすいものになるよう、大幅に加筆修正してあります。 ここに記載された内容は実際の話より「こういう説明をしたかった」ものであることをご諒解ください。 なお、講演趣旨の変更にあたる場合は、附記として最後に付け加えています。

第1部「ベーシック・インカムのある社会」INDEX

  1. はじめに
  2. ベーシック・インカムのある社会
  3. ベーシック・インカムの必然性(1) 「働かざるもの食うべからず」か?
  4. ベーシック・インカムの必然性(2) 「所得=労働」は人間の商品化
  5. ベーシック・インカムの必然性(3) 生きる権利の保障
  6. ベーシック・インカムの必然性(4) 労働市場の柔軟化
  7. ベーシック・インカムの必然性(5) 不況からの脱出
  8. 公共経済の構築
  9. ベーシック・インカム後の社会
  10. 労働訓練としての教育
  11. 贈与経済が大事
  12. 第2部

はじめに

古山明男さん

話し手:古山明男さん

1949年千葉市生。 京都大学理学部卒。 出版社で雑誌編集に従事したのち、私塾、フリースクールを主宰し、さまざまな教育ニーズに応える。 教育制度、教育財政を研究。 著書に『変えよう!日本の学校システム』(平凡社)。

「ベーシックインカムのある社会」blog
economics-human.at.webry.info
古山教育研究所HP
www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym

古山です。 今日はお集まりいただきましてありがとうございます。

少し自己紹介なんですけど、千葉市で私塾をやってたんです。 私のポリシーは絶対に生徒を選ばない。 そうしましたら色んな生徒が来ましてね、不登校、落ちこぼれ、障害児、外国人もいました。 生徒数としては補習や受験が多かったのですが、とにかく私塾に来るのは、何らかのために今の学校に不満があるから来るわけですよね。 お金払ってでも。

そういう生徒たちを相手にしているうちに、これは制度問題だと思うものがものすごくありまして、教育制度の研究をまとめたりしていました。 外国のことも色々調べましたら、教育費全部タダっていう国がいっぱいあるんですよ。 実現してます。 これだけ豊かな日本でなぜ教育費無償ができないのか、というところから公共経済の研究をやっていました。

教育費の無償は、本当に日本で進んでいないんです。 こういうものは財政にとってのお荷物で、負担になるだけで、そんな事やったら国潰れるっていうその考えしかないんですよ。 そうじゃない、公共経済っていうのはとっても大事なんです。 これで国が成り立っていくんです。 そういう公共経済の研究なんかをしていますところにね、ベーシック・インカムのことを聞いたんです。 いい話しだねえ、と思いましたね。

なぜいいかと思ったかというと二点あります。 ひとつは、過酷な労働が自然消滅するだろうということです。 そうすると、教育も、過酷な労働に耐えさせる訓練ではなくなるだろう。 これは社会と人間が根本的に変わるだろうと思いました。

自分の生徒を持っていまして、私の場合はずっと付き合う場合が多くて、高校を出た、大学を出た、そして就職したというところまで付き合っていることが多かったです。 そうすると、就職して大変なのがわかるんですよ。 ほんと若い人たちこき使われている。 安い給料でこれだけ働かされるのか。 どうみたってそれでウツ病になって当たり前だよっていうのに出くわします。 月100時間以上残業しているシステムオペレーターだとかね。 あるいは福祉事務所で働いているんだけど、ものすごい安くて長時間労働。 それを一生懸命やったって、15万も手取りがいかないのをやっているとかね。 いっぽう、一流大学を出ると、これまたこき使われてますねえ。 これはちょっと世の中おかしいな、っていうそういう思いが非常にありました。

ベーシック・インカムなんかあったら、あんまりひどい労働から若者たちがさよならできる。 そうしたら、労働条件が変わっていく。 教育も変わる。

もう一点はですね、経済の研究が好きなんです。 いま、経済はかなりひどい状況です。 これは相当ひどいと思っています。 で、ベーシック・インカムの話を聞いて、「あ、これなら全部解決するじゃない」って思ったんですよ。 恐慌を乗り切れるだろうと。

ベーシック・インカム、これいいね、うまく実現できるといいねえ、なんて思ってたわけね。 でも実現可能性があるとは思っていませんでした。

ところが去年リーマンブラザースのショックがあったでしょう。 あれを見て「ヤー、きた~」って言う感じなんですよ。 歴史の転換点に遭遇しちゃった。 ベーシック・インカムでもやるしかない状況になるかもしれない。 こりゃ、実現の可能性があるぞと思って、本気で経済やベーシック・インカムの研究を始めました。

前回の集会で関さんが「これは不況じゃありません、恐慌です」っておっしゃってましたね。 私も同じ意見なんです。

今アメリカでも日本でも、連鎖倒産おきたら大変だから国が一生懸命お金を出して銀行を助けて、大会社を助けている、それで経済が保っています。 いろんな会社の困難を国の方が引き受けているんですね。 それで保っているんですけど、次の問題がですね、国の財政が続くかどうかなんですよ。 国の収入ってのは税収しかありません。 その税収を担保にして国債を発行して、借金してます。 いつまで国が借金できるかっていう問題になっちゃっていて、私の見るところそうは保たないんじゃないかな、その後どうするんじゃいな、と思っています。

その時に、経済が生き延びるにはこれしかないんじゃないかというのがベーシック・インカムと公共通貨の創設。 実現の可能性が大いにありと思ったんです。

 

第1部で、私たちの社会はベーシック・インカムでどのように変わっていくか、そして教育はどう変わっていくかというお話をします。

そこで必ず行きつく問題がですね、「やぁ、結構なお話でしたね。 だけどお金あるんですか?」、そういう問題が必ずあります。 そこでベーシック・インカムの資金として、新しい電子マネー型の公共通貨を設計してみました。 そのお話を第2部でさせていただこうと思います。

第1部 ベーシック・インカムのある社会

まず、ベーシック・インカムというのはなんであるか。

 

ベーシック・インカムというのは社会のすべての人に、

無条件で…、無条件ですよ…、

個人ごとに…、世帯ごとじゃないんです…、

継続的に…、1回だけの定額給付金じゃないんです…、

最低生活費として渡される所得。

 

と言いますと、疑問がいっぱい湧きますよね。

よくある質問を5つほど拾ってきました。

 

「人々が働かなくなりませんか?」

「働いた人と働かない人が同じでいいんですか?」

「社会主義国と同じになりませんか?」

「なぜお金持ちにも配るんですか?」

「働かざるもの食うべからずではないですか?」

 

こういう質問について、まずちょっとお話ししようと思います。 まず、

人々が働かなくなりませんか?

予想されるベーシック・インカムはおそらく月8万ないし10万くらいじゃないかと思われます。 今の社会状況今の経済規模、まぁ実現可能性ということからすると、当面こんなものだろうと思います。 ちょっと考えてみてください。 月8万とか10万とかもらったとして、ですね、多分飢え死にはしないです。 でも本当にそれは飢え死にしないってだけだと思いますよ。 健康で文化的な生活なんてのは無理だと思います。 そのくらいもらったからって仕事辞められますか?

ちょっと無理でしょう。

従いましてこの程度のベーシック・インカムで離職する人は非常に少ないと予想されます。

でも、それでも辞める人いますよね。 じゃそれはどういう立場の人か。

ひとつは働くのがもともと非常に苦痛だった人たちです。 うつ病があるとか、体が弱いとか、人間関係が下手糞だとか、こういう人たちは最低限生きていけりゃ辞めたいんです。

もうひとつ、チャレンジしてみたいことがある人たちですね。 いや、自分は実は絵描きになりたいんだ。 食えさえすればそっちの方をもっと追究したい。 起業してみたいんだ。 勉強しなおしたいんだ、落語家になりたいんだ。 いろんな道、ボランティアの方で一生懸命やりたいんだ。 食えさえすればこっちで身を粉にしてもやりたい。 結構そういう人たちがいます。

もうひとつは、共働きを余儀なくされている人たちですね。 主婦の人がパートに出ている場合いろんな動機があります。 でも、その中で多いのは奥さんも稼がないとやっていけない。 子供がある程度大きくなって教育費がかかって住宅ローンも抱えちゃったらそれしかどうしようもないんですね。 そういう場合は、仕事がしたいからじゃなくて金稼ぐしかないから働いているケースが多いんです。

ちょっと考えて、ベーシック・インカムができたら仕事が苦痛だからやめる人が数10万人くらい。 それから、チャレンジしてみたいことがあるから仕事を離れる人が数10万人くらいいるんじゃないか。

お金のために余儀なく働いている主婦の数ですが、主婦のパートやアルバイトが、全部で800万人かそこらいますので、4分の1くらいがお金のためだけの人たちだとして、まぁ200万人くらい。

そうしますと、おそらく合計で300万人くらい離職するんじゃないかなというのが私の予想です。

一方労働力人口は6,000万を超えていますので、働かなくなる人たちは、せいぜい5%くらいじゃないかという予想なんです。 全体にこの程度で社会の大変動を起こすことはないだろうし、これで離れる人たちは重要な労働力ではなかった人たちなんですね。 働いているのが、本人にはちょっと不幸だった人たちが主です。 そういうことで、ベーシック・インカムができても、労働力に特に問題は起こさないだろうと思います。

働いた人と働かない人が同じでいいのですか?

同じになりません。

同じになると思うのは、生活保護から類推しちゃってるんです。 生活保護の場合ですとね、この図です。

図1:生活保護とベーシック・インカムの違い

働いている人はこれだけ働いてもらっているでしょ(水色部分:賃金)。 でも全然働かない人がこれだけもらうでしょ(緑色部分:支給された生活保護)。

そうすると働いている人が「何だ、おれこんなに苦しい思いをしているのに、全然何もしていないやつと同じかよ。」

で、生活保護を出すお役所のほうも、そういう働く人たちの手前もありますから、誰にでもポンポンと出すわけにはいかなくて、「あなたほんとに働けないんですか? ほんとうに生活が苦しいんですか?」いろいろと、もらいにくくします。 予算を切り詰めたいってのもありますし。

ベーシック・インカムっていうのは違うんですよ。

もともと働いた人の収入はこの水色のぶんだけある。 そこに両方とも同じだけ、オレンジ色のベーシック・インカムがつきます。 ですから働いた人は、働いた分だけちゃんと報われますし、差がつきます。 働かない人と、働いた人が同じということはありません。

社会主義国と同じになりませんか?

みなが食えるようにすることだけは同じですが、あとは全然違います。 ベーシック・インカムは、経済活動の自由にまったく干渉しません。 ベーシック・インカムは個人の自由にも干渉しません。 そこが、社会主義国とはまったく違います。

社会主義国は経済にむちゃくちゃ干渉します。 干渉なんてものじゃなくて、国が経済を運営してます。 社会主義国は完全雇用をして、その労働で賃金を渡して人々の生活を確保しようとしました。

図2-a:社会主義の場合

それで、社会主義国では採算がとれていない企業も潰れません。 ほんとうは潰れているような企業でも、ちゃんと給料を出します。 国が面倒みてくれるからいいんです。 生産は数さえ合っていればいい。 使い物にならないものを作っても、平気の平左。 働くほうは、時間だけ働いていればいい。 なまじっかやる気を出すと、官僚支配にぶつかる。 だから、みんなでチンタラ無責任をやった。 けっきょくそれで、国全体が潰れちゃったんです。

社会主義国は、労働そのものに価値があるとしています。 だから、作ったものはみんな価値があることになった。 そんなことはない、労働というのは人の営みそのものでして、賢いことも愚かなこともするものです。

図2-b:ベーシック・インカムの場合

ベーシック・インカムの場合は、労働に対して払うのではありません。 人の生存そのものに対して払います。 企業に試行錯誤はつきもの。 効率重視でけっこう、儲けてもけっこう、潰れてもけっこう。 しかし、人は助ける。 何があろうと人が路頭に迷うようなことにはぜったいにさせないぞ、というのがベーシック・インカムです。 効率の悪い企業、採算のとれない企業は自然に退場します。

社会主義国は、企業を国営にして絶対に潰れないようにすることで、誰もが食える社会を作ろうとした。 そうしたら、人まで助けられなくなってしまいました。

なんでお金持ちにも配るんですか?

ベーシック・インカムのもとになる考え方は、すべての人の生きる権利です。 国が人々の権利を保障しようという場合にどんな差別もしないこと、これは絶対的なことです。 お金持ちだからといって差別しません。 ベーシック・インカムは、「金持ちかそうでないか」という見方を捨てて、社会の絶対的なセーフティ・ネットを作ることに意義があります。

不思議なもので、貧乏人よりお金持ちのほうが「財産をなくす」不安が強いものです。 ベーシック・インカムはその不安を軽くします。

また、金持ちと貧乏人を区別しようとすると、どこかに線を引かなくてはならなくなって、その線のところでもらえる人ともらえない人の不平等を生じます。

金持ちと貧乏人をよりわけ、ほんとうかどうかチェックするというのは、ものすごくたいへんなことです。 面倒なお役所仕事に手間と経費をかけたあげく、かえって不平等感や屈辱感が増すんです。

もうひとつ、ベーシック・インカムの大きな目的は生産と消費のバランス調整なんです。 福祉は福祉でちゃんと存在しています。 医療、教育、福祉などを収入に関係なく受けられることは、ベーシック・インカムがあっても同じです。 同じどころかもっと進めます。 貧富差の調整がなくなるわけではありません。 ベーシック・インカムは金持ちか貧しいかと別な次元にあります。

「働かざるもの食うべからずか?」

ここからもうちょっと具体的にお話ししたいと思います。

「働かざるもの食うべからず」か?
ベーシック・インカムの必然性(1)

これはですね、ギリシャのアテネ市民の様子です。

図3:ラファエロ「アテネの学堂」(1508)

ただし、ギリシャの時代から1800年経っちゃった…付近にラファエロが描いた絵です。 想像図です。

ギリシャ、特にアテネでは、学問、芸術が非常に栄えました。 で、働かないで学問とか芸術やってる、政治をやっている、それこそが人間のあるべき姿という理想を持っています。 ここにいる人たち、働いてないですねえ。

ここに、働かざるもの食うべからずの思想はないです。 「働かざる者食うべからず」と言われるのは、もう少し後の時代のようです。 時代と国を超えて、「働かざる者食うべからず」だったわけではないんです。

で、一方ですね、市民たちは奴隷をたくさん使ってるんです。 奴隷がいけないという思想もないんです。 同じ人間じゃないか。 喜び、苦しみ、生きることは同じじゃないかっていう発想はなかったんですね。

図4:ギュスターヴ・ブーランジェ「奴隷市場」(1882以前)

これは古代ローマの奴隷市場の想像図です。 19世紀に描かれたもの。 古代ローマもたくさん奴隷使っていました。

いい値段で売れそうな商品が並んでますね。 まだ色々教えこめそうな子供とか、よく働きそうな屈強な若者だとか、魅力的なお姉ちゃんたちとか。

手前で腰掛けた市民らしき人が、何か食べています。 こういう人を見ると「働かざるもの食うべからず」なんて言いたくなりますよね。

古代ローマは大変繁栄したんですけども、彼らも奴隷制度っていうものを全く疑っていません。 奴隷制の上に成り立っていました。 奴隷のおかげで、市民たちが楽な暮らしをしています。

現在の我々もたくさんの奴隷を使っています。

http://www.citynet.co.jp/search/item.asp?shopcd=07049&item=EE20-0008

お洗濯奴隷といってもいいかな、お洗濯ロボット。 洗濯っていうのも大変な労働でしてね、洗濯機一台で、たぶん昔で言ったら奴隷一人分くらいの価値あると思います。

http://www.komatsu.co.jp/CompanyInfo/press/2003112818151113077.html

コマツのブルドーザー。 これは300馬力のブルドーザーなんで、単純に馬力計算しますと、奴隷1,000人分くらいの価値があります。 実際はもっとでしょうね。 管理が楽ですから。

http://www.yanmar.co.jp/index-news.htm

刈り取りのコンバイン。 もともと農業は重労働です。

http://www.meti.go.jp/information/recruit/keizai/tokkyo/01.htm

豊田の自動織機です。 布づくりっていうのは古来ものすごい労働だったんです。 でも、われわれもう、いかに布が作られているのか誰も知らない程になってしまいました。 もし人が働いていたらものすごい労働力に当たるものを、今これよりももっとすごいものでジャーっと作っています。

こういうふうに機械がいっぱい出てきた。 そうしたら我々は労働から解放されるはずですね。 こういうふうに技術が発達するたびに人間は考えるんです。 これで苦しい労働から解放されるはずだ。 わずかな人たちが働くだけで、生産は足りるはずだ。 あるいは、短い時間働くだけで食っていけるはずだ。

でもね、ここで大問題があります。

人間が労働から解放されたら、その解放された人たちはどうやって食っていくんですか?

どうやって収入を得たらいいのでしょうか?

利子生活者になれる人は一握り。 ビル建てて、あるいはアパートを建てて収入で食える人たちは一握り。 みんながそうなっちゃったらテナントになって金払ってくれる人が誰もいなくなっちゃいますからね。

われわれの社会は、働かないと食っていけない仕組みになっています。 いくら科学技術が発達しても、生産性が上がっても、我々が労賃をもらって生きる仕組みである以上、働かないと収入があるはずはないです。 生活保護があることはありますが、これは働いて食うことを前提にしての例外です。

したがって、我々は慢性的な失業問題を抱えています。 機械が出来ます。 そうしますと今まで人間がやっていた労働が不要になります。 で、その機械で職を失った人たちの収入はどうするのかという問題です。

高度成長期はなんとかなったんです。 新たな産業が出てきて新しい職ができ、人々を吸収しました。 しかし、経済成長が飽和したら、どうしたらいいのでしょうか。

具体的な数字で見ていきましょう。

図5:総人口と産業別就業者数

これ日本の総人口と産業別の就業人口です。 この真ん中の青い線から下が、パートやアルバイトまで含めて、働いている人たちです。

こちらの赤いのが一次産業、青いのが二次産業、水色が三次産業。

特にこの赤いのを見てください。 いくら働かないと言ったって絶対これだけは必要というのが食料生産です。 その一次産業にたずさわる人の数が、比率じゃなくて絶対数で少なくなっているんですね。 日本の人口は増え続けていたのに。

食料自給率が落ちているということもあります。 今食料自給率、カロリーで40%ぐらいです。 60年ごろは80%くらいありました。 だから単純計算して今の2倍くらい就業者が必要としても、それにしても一次産業の人は60年くらいの数まで行かないですね。 これは農業機械、農薬、流通、などの産業があるから少ない人数で食料生産ができているということはあります。 単純には考えられません。 でもそれにしても、すごい減り方です。 二次産業だって少なくなっています。

食料生産がわずかな人数で足りているのですから、もし食料さえあればいいという生活をするのでしたら、仕事のない人がいっぱい出るわけです。 それを二次産業三次産業で吸収してきました。

でも70年代以降二次産業はさほど増えてないんですね。 それを圧倒的に三次産業で吸収してきました。

その三次産業の吸収力もちょっとわからなくなってきたのが、90年代以降なんです。 ここの最近の就業者数、1995年から2005年の棒グラフの水色の線の上のところ、落ちてきているでしょう。 ここを拡大するとこうなります。

図6:産業別就業人口

1995年から10年間で、一次産業で約90万人、二次産業で約420万人減っています。 それに対して第三次産業は170万人しか増えていません。 それがこの水色の上の線の落ち込みなんです。 少子老齢化で、労働力人口が減ってきているのが最大の理由ですが、失業者も100万人増えています。 三次産業が吸収しきれていません。

三次産業というのが本当にピンからキリまであります。 サラ金だって三次産業、パチンコだって三次産業、あるいはいろんな広告、新聞の折り込み広告とかを、たくさんの人が作っているのも三次産業。 そういうふうに、三次産業にいろんな仕事ができて、食えるようにしてきました。

その割に、日本では福祉とか教育とか医療とか、三次産業でも必要度の高いものがさほど充実しないままでした。 これは、そういうものをお荷物だって考えたのがいけなかったです。 ほんとは、必要とされてるし、雇用を確保できるし、大事な分野です。

これまで、なくてはならない労働っていうのが比較的少なくて、なくても済ませられる労働が多いという社会を作ってきたとも言えます。

だから、もし、みんなの収入が少なくなって、みんなが生活を切り詰めにかかると、ものすごく収縮する可能性があります。 なくてもなんとかなる産業が多いですから。

では、全人口のうちで働いている人がどれだけで、働いていない人がどれだけか、もう少しくわしく見てみましょう。

図7:全人口中の就業者数

グラフの青い部分は仕事を主としている人たちです。 この人たちが約4割なんです。 それから家事の他仕事という人が6.7%、通学の傍ら仕事が0.8%、お金をもらえる仕事に就いている人たちが合わせて48%くらいですね。

働かざるもの食うべからずと言うんだけれども、実は働いている人は意外と少ないです。 人口の半分いってないんです。 主婦のパートや学生アルバイトは、それで自分が食えるってほども稼いでいないのが普通です。 ですから、働いている主力はだいたい4割の人たちで、それで全体の人たちの生産をまかなっていると考えていいです。

そしてこちらの水色、働いていない人たちは、こども、老人、学生、主婦、が中心です。 失業者と休業者も含まれています。 この働いていない人も食っているから、それで社会全体が成り立っています。 いわゆる扶養家族というのもそうです。 働いていない人たちの存在もだいじなんです。

もしもですよ、この水色の人たちに対して、「働きもしないのに食っている」ということで、まあ死なせるわけにもいかないから、最低限のカロリー摂取をして粗末な服しか着てはいけないなんて、生かさぬよう殺さぬよう江戸時代の農民みたいな生活をさせたらどうなるでしょう。 とたんに、スーパーの売上げはガタ落ち、外食産業はメタメタ、子供服は売れない、老人向け健康食品は売れない、ゲームは売れない、本は売れない。 すごい不景気になって、こんどは働いている4割の人たちの生活が確保できません。 失業者がたくさんできてしまいます。

稼いでいる人たちが「おれたちが働いているから、お前たちは食えてるんだぞ」と言います。 それはもちろん間違ってはいないのですが、逆に働いていない人たちが「おれたちが食っているから、お前たちは失業しないんだぞ」と言うこともできるんです。

そして、どれだけの人が働いたらみんなが生活できるだけの生産が可能か、これは科学技術の問題です。 倫理・道徳の問題じゃないです。 科学技術、そして社会のシステムの問題です。

おそらく、現在の生活水準を維持するとしても、その生産に必要な人たちは、人口の3分の1くらいじゃないかと思います。 いま、とにかく無駄なことをいっぱいやっています。 作る端から捨てたり壊したりしています。 働かざるを得ない仕組みがあるから、とにかく仕事を作り出しています。 働きたい人だけが働いて、もっと効率よくやると、3分の1くらいで済むのではないかと思います。

でもそうしますと、職がなくなった人たちにどうやってお金を渡すかという問題が生じますね。 働かない人たちにお金が渡らないと、大不景気が起こってしまいます。 そこで必要なのが、ベーシック・インカムなんです。

じつは、現在でも、ベーシック・インカムを作ってみんなにお金を渡すことでもしないと、経済が持続可能ではありません。 これは、後でまた説明します。

生産力が低くて、みんなで働いてやっとこせ食えるという時代は確かにありました。 それが人類の歴史の大部分でもあります。 そういう時代に「働かざる者食うべからず」と言っていたのは理解できます。 しかし、今の時代は働かざる者が食っていないと、みんなが食えなくなってしまう時代です。

働かない理由を、子どもだからとか老人だからとか限定しなくて、「生来の怠け者」や「やる気がない」なんかに広げたって、経済全体にとってはいっこうにかまわないわけです。 そういう人たちを無理に型にはめて普通の仕事をさせても、本人にもまわりにも、ろくなことがないんじゃないですか。

最近の不正規雇用の問題も、見てみたいと思います。 どんな働き方をしているのかというのをグラフにしたのが次の図です。

図8:全人口中の就業者数

いま、非正規雇用が正規雇用の大体半分あります。 非正規、つまりパート、アルバイト、派遣、契約社員が全人口に対して13.8%で、正規の職員・従業員が26.5%です。 90年バブル崩壊以後、働く側にずいぶんとシワ寄せがいっているんですね。 いつ首を切られるかわからない、いろんな保険や手当もつかない人が増えました。 こういう人たちは、なかなか不満の声すらあげないです。 不満を言えば、「来月から来なくていいですよ」になるのが心配です。

この解決がまた難しいです。 法律で正規雇用を義務づけることを誰でもまず考えるのですが、そうするとぎりぎりのところでやっている企業が立ちゆかなくなったり、かえって人を雇わなくなったりします。 命令ひとつで単純に解決するのが困難です。 でも、このままでいいってことはありません。 根本的なところから考えなければならないんです。

ついでですが、上掲の図の下に1955(昭和30)年と比べたものがあります。

昭和30年頃と比べますと、働き方がものすごく変化しています。 あの頃は自営業者とその家族の方が多かったんですよ。 農業や商店が多くて、そしていわゆるサラリーマンの方が少ないという社会。

それがわずか半世紀でその自営業者が6.5%というところまで社会が大変化を起こしているんですね。 そして我々も雇われて働くタイプへと大変なストレスも伴いつつ、大変化を起こしつつあったというわけなんです。

日本で高度成長期が終わったあと、人々の所得がどうなったのか、わかりやすいグラフを用意しました。 これは、家計の所得を棒グラフにしたものです。 80年代にどんどん伸びていったのが、急に横ばいになり、それから減っています。

90年バブル崩壊がほんとうに曲がり角でした。 いろんなものが売れなくなったの、当たり前ですね。

このグラフは、お金持ちから貧乏人まで全部合計した数字です。 格差は拡大していますので、貧乏人はかなりたいへんじゃないかと思います。

図9:内閣府経済社会総合研究所 SNA(国民経済計算)

この横ばいになった曲がり角、1990~92年ごろが、バブルのはじけたときです。 それからは横ばい、98年からは減少しています。 2005年からちょっと持ち直しました。 でも、08年にはまた落ちます。 08年は、まだ統計の数字が出ていませんが。

水色が自営業の人たちの所得です。 農家とか商店とかです。 ずいぶんと減ってますね。 数自体がどんどん減っています。

ピンクは、利子や配当の収入です。 減りましたねえ。 低金利のためです。 資産家がずいぶんと打撃を受けて、お金の使い方が変わっているでしょうね。 でも、打撃を受けているのは、資産家とは限りません。 日本の平均的な家庭はかなりの貯蓄を持っています。 老後の生活のために貯金した人たちとか、子どもの教育資金を貯金した人たちも、計算がずいぶんと狂ったはずです。

こんなふうに家計の所得が減りますと、とうぜんモノの売れ行きは落ちます。 次の図は、日本のいわゆるGDP(国民総生産)を図にしたものです。 上は生産で、下が支出して買っている側です。

図10:高度成長期の終わり 慢性的消費不足

大きく言いますと、日本では、支出がどれだけあるかで生産が抑えられています。 生産が足りなくて経済がおかしくなっているのではないです。 社会主義国だと、たとえば鉄の生産が予定より2割少ない、だもので橋が作れないし、送電設備ができないし、車が作れない。 そのためにまた鉄の生産が落ちてしまう、そんなことが起こりますが、そういうタイプの経済危機をやっているのではありません。

日本で企業が潰れるときは、作れてるのに売れなくて潰れるわけです、あたり前ですけど。 生産力はあるのに、倒産したり、生産物を廃棄したり、工場を遊ばせたりしています。 そのことを「潜在GDPがある」って言い方をすることもあります。

倒産や失業が起こっているのは、人々が働かないからじゃないんです。

景気が悪くなるのは、働く人たちががんばっていないからではなくて、もっと構造的に生産と消費が釣り合わないためです。

あの100円ショップを見てください。 あれね、どうみたって原価が100円以上かかってると思うものがゴロゴロしています。 そういうのは、業績不振や倒産した会社の投げ売りです。 そこで働いていた人たちのことを考えて下さい。 いくら一生懸命に働いても、売れなかったら結局は無駄働きやりました。 労働不足じゃないんですよ。 勤めている人たちはよく働いていますよ。 それでもその人の作ったものが100円ショップに並ぶしかないんです。

企業の方が賃金を上げようとしても、先が分からないのに雇用もそう簡単に増やせないです。 人雇っちゃったら大変でしょ。 これから先何年もお金を払い続けて、賢い経営者ならそう簡単に増やせないですよ。 それで、派遣やパートにして、いつでも首を切れるようにする、正規社員の賃金も減らす。 でも、そうすると、全体の売り上げが減る、また会社が人を減らす。 ということになります。

ですから消費の方が増えるようにしてやらないとバランスが取れない。

支出を増やせば景気が良くなることは政府も知っていますから、日本の場合90年代以降、政府が一生懸命に金を使って、景気を支えました。 それなりの効果はありましたが、でも、結果としては政府の借金がすごく貯まっています。 いっぽう企業は輸出に力を入れ、政府も為替レートに働きかけました。 結果として民間にはドル資産がすごく貯まりました。

しかし、政府の巨額負債を政府が返しきれるはずがないし、アメリカの巨額負債をアメリカが返しきれるはずがないです。 どちらも、いずれなんらかの形で目減りし、一部しか返ってこないでしょう。

草の根の人たちにお金が渡らないと、ほんとに豊かな経済はできないです。

働かざるもの食うべからずというあれはですね、生産が足りない時代の話で、今は消費の方を多くしないとバランス取れない時代です。 何らかの形で、働かない人間を食えるようにしてやらないと、みんな食えなくなっちゃう。 そういう時代に我々は入ってきています。 だからね、「働かざるもの食うべし」、これは日本なら言っていいんですよ。 でも生産の足りない国で言うとこれはまずいです。 生産の高い国ではいい。

生産性の高い国では働かない人間も食わないとみんな食えない。

「所得=労働」は人間の商品化
ベーシック・インカムの必然性(2)

今われわれ収入を得るにのにね、働かないと収入を得られない。 所得=労働。

でもね、これは人間は金のために何でもしなくちゃならないっていうことじゃないですか。

この写真は、大学生の就職活動の様子です。

みんな、リクルートスーツです。 これはやっぱりリクルートスーツ着ないわけにはいかないでしょ。 なんで着るかというと、私はそんなにとっぱずれた人間ではありません。 常識を持っています。 規格品でございます。 と、言ってるわけですね。

大学生は、3年生になるともう就職活動でしょう。 大学に入って、高校までとは違う環境で、やっと自発性が出てきたかな、というところで自分を商品化して身売りするしかなくなる。

身売りといっても、昔の農家が娘を身売りしたようなひどいものではありません。 自分の知識や技能、サービスを売っているということでもあります。 でも、対等に契約を結ぶ立場かというと、そうではないです。 これから残業にも耐えます、仕事を家に持ち帰ります、無理な指示でも極力従います、という立場です。

個人は、サービスという商品を作り、それを売って収入を得ます。 それは当然のことです。 しかし、「なんでもお言いつけどおりにします」というサービスは、ちょっと違います。 人間そのものを丸投げして商品にしてしまっています。

本来商品として作られたものだけが商品であるべきなんです。 人間は商品じゃないです。 人間そのものを商品にしちゃうと、奴隷にしちゃいます。

今の日本で奴隷制はないですけれども、人々はかなり奴隷的です。 程度の問題ではありますが、食うために「お言いつけどおりに」と服従する奴隷でもあります。

さて、ではどのくらい奴隷かというその奴隷度なんですが、これはまったくのグレーゾーンでして、簡単にどちらと決めつけることはできません。 白っぽいのと黒っぽいのがあります。 完全な判別はできませんが、チェックポイントを挙げることはできます。

  • 報酬は十分か。
  • 断ることができるか。
  • どれだけ命令・指揮されるか。
  • 自分の技術、判断を生かせるか。
  • どれだけの時間働くか。
  • 労働のきつさはどれくらいか。

などです。 もっと他に挙げることもできると思います。

図11:現代の奴隷度グレーゾーン

例えば、弁護士さんなら自分の知識や判断を売って報酬を得ています。 あるいは、歌手なら自分の技能と魅力を売っています。 売りたいときに売ればいいのですから、奴隷的ではないですね。 ま、すごい売れっ子だけど、事務所の言いつけのままにあっちのステージこっちのステージで歌って、ふつうの月給もらってるだけなんて歌手もいたりしますけれどね。

いっぽう、「きつい」、「きたない」、「危険」の3K労働なんて、報酬が少なかったら黒っぽいです。 ほかにいくつか、図の中に職を挙げましたけれど、これはこのとおりのきちんとした順番ということではないです。 すべてそれぞれの職場によりけりです。 零細企業経営者で、借金と賃金の支払いに追われて、まるで奴隷じゃないかという人います。 3K労働でも、一日5万もらえれば、ほくほくするでしょう。

しかし労働からしか所得を得ることができなかったら、世の中、能力が高い人たちばかりではありません、立場の弱い人たちは、なんでもお言いつけに従いますと“身売り”するしかないでしょう。

労働市場は、対等な関係での需要と供給にはなっていないです。 市場原理だったら、嫌がられる仕事は応募者が少ないから労賃が上がるはずです。 そうじゃなくて、強い立場の人たちから順にいい仕事をとっていって、最後に残った、人気のない仕事に、食うためにはやむを得ない人たちが低賃金であっても応じるという構造です。 まるで、経済的カースト制度です。 いやだったら、上のカーストに生まれ変われっていうんです。 輪廻転生ではなくて、能力で生まれ変わってですけどね。 そんなことがまかり通るのは、収入を得る手段が労働だけしかないようにしているためです。

そこにベーシック・インカムを出してきますと、すべての人が大前提は食えますから、「それはあんまりだ」という仕事を断ることができます。 奴隷労働グレーゾーンの一番黒っぽいやつはやり手がいなくなって消えていきます。

図12:現代の奴隷度グレーゾーン BI実現後

このことのもたらす社会変化は大きいでしょう。 いま、恐怖が人を動かしています。 中学や高校の先生で、生徒を脅す人がいるんですよ。 「そんなことじゃ、お前、将来はニートだぞ」とか、「日雇いにしかなれないぞ」とか。 親にもいます。 不安と心配にかられて、脅すんです。

ベーシック・インカムができると、とにかく、食えるんですから、そんな脅しは、吹っ飛びます。 社会全体が、「食っていきたかったら、忍耐しろ」という脅しに頼らないで成り立つようになります。

多くの人がもっと自信を持って生きられるようになります。 自信を持って生きられるということは、最後の最後は他人に依存しないでも生きられるということじゃないでしょうか。 他人に支配されたり虐待されたりしたときに、逃げ出す道が残されていることじゃないでしょうか。

では、いい仕事ってどういう仕事なのでしょうか。 私も、生徒たちに就職の相談なんかされることがあります。 「これはたとえ金をもらわなくてもやる、ということをやって、しかも食えていることだ」なんて言ってます。 それには、脅しや競争に訴えるのではない、しっかりした教育が必要です。

仕事一般に関してですが、こういう仕事がいい仕事だと思います。

  1. 十分な報酬がある。

    ある程度収入がないといけません。 暮らせません。

  2. 仕事を通じて社会と関係を持てる。

    仕事があってわれわれは社会的存在になっていきます。 私はこういう人間ですと名刺を差し出すことが出来て、関係ができていきます。

  3. よい仲間がいる。

  4. 達成感がある。

    毎日毎日、流れ作業の中でネジを締めるようなことをしていると、何をしているのかわからなくなります。

  5. 熟達できる。

    それやっているうちにプロになれる、熟達できるっていうものがないとつまらないです。

  6. その人に応じた判断、技能が必要

    その人の能力に応じた判断や技能が必要なものでないと、人が化石になっていきます。 能力より低すぎてもだめだし、あんまり要求が高くてもノイローゼや胃潰瘍になります。

  7. 頭脳と肉体のバランスがよい。

    できれば頭脳と肉体をどちらも動かす方がいい。

われわれは、仕事から多くのものを得ています。 収入はある程度満たされれば、こんどは自分のアイデンティティだとか、よい仲間がいるとか、技能を尊重されているとか、そういうことが大事になります。 ベーシック・インカムができたからと言って、人がたくさん会社を辞めるようなことはないでしょう。 仕事には収入以外にも大事な価値がありますから。 ベーシック・インカムでは、奴隷的労働が淘汰されるだけです。

生産性の高い国では、ベーシック・インカムによって奴隷的労働をなくすべき。

生きる権利の保障
ベーシック・インカムの必然性(3)

今、生きる権利を保障しようとすると、国はまず雇用と賃金を確保しようとします。 公共事業をやったり、いろんな経済政策で、景気をよくしようとします。 個人に対してはできるだけ就業を促し、やむを得ないときに生活保護をします。 収入を、雇用と賃金を通じて確保しようとするので、間接型と言えます。

それを次の図にしてあります。

図13-a:間接型保障

でも、国が、個人の雇用と賃金を確保してあげるのは、難しいです。

高度成長期には、たまたまうまくいきました。 国が道路を作れば、産業も発展するし、雇用と賃金も増えました。 でも、いまそれをやっても効果は小さく、政府の借金ばかりかさみます。

実体経済の巨大さは国なんかの力をはるかに超えていて、国がそう簡単に経済の舵取りできるものではありません。

そもそも企業は、雇用と賃金を最小限で済ませたいわけでしょう。 そこにすべての人の雇用と賃金を確保させようったって、そううまくはいきません。 企業は、「社会主義国じゃあるまいし、余剰人員を抱え込んで潰れそうになっても、国は面倒みてくれないでしょう」って言います。

ところが、企業は潰れそうになると、国に泣きつきます。 「うちが潰れたら、たくさんの人が失業してしまいます」って。 実際、会社が潰れると、たくさんの人が路頭に迷います。 大企業だと、下請けやら孫請けまで潰れます。 地域全体が壊滅的打撃を受けることもあります。 だから、国は助けるしかなくなる。 銀行とかゼネコンとかを助けました。 これは、経営に失敗している会社に国がさらに投資するということでして、たいていは効率の悪い出費になります。

いくら国が自由主義を標榜していても、人に対するセーフティ・ネットを作ってなかったら、国は経済干渉をするしかなくなっちゃうんです。 あの自由主義のアメリカですら、銀行やゼネラル・モータースを助けるしかなかったんです

現在国は、個人に対しては、できるだけ働くようにし向けます。 それでどうしようもないと、生活保護をやります。 でも、生活保護っていうのは出来るだけ受けさせないようにしますんでね、審査がうるさくて、微妙に、時には露骨に本人を貶めて、生活保護を受けにくくします。 推定では、もらう資格がある人のうち20%以下しか捕捉していないそうです。

そうじゃなくて、個人を守りたいんだったら直接個人を助けちゃった方が効率いいです。 本人も貶めない。 企業も自由です。 次の図です。

図13-b:直接型保障

ベーシック・インカムは、無条件で出しますから、審査などいっさいありません。 収入や持ち物があるから出しませんなどと、とやかく言われることはまったくありません。

それから、ベーシック・インカムは個人に出します。 世帯に出すと、家庭の中で虐げられている人たちに渡りにくいんです。 家庭内の暴力とか、封建的支配とか、精神的支配とかは、虐げられている人を護ってあげないといけないです。 家の中にいると抑え込まれてしまうので、飛び出せるようにしてあげるのが一番です。 ベーシック・インカムがあると、とにかくどこかで生き延びることができます。

それから、ベーシック・インカムには、絶対に債務の差し押さえの手が届かないようにします。 ヤミ金融なんかに、借金の担保に持って行かれないようにするためです。 最低限の生きる権利には、誰も手をつけさせてはいけません。

そうしますと、おそらく、自殺が激減します。

自殺は98年に急に増えています。 それまで2万人台だったのが、急に1万人くらい増えたんです。 この増えた最大の原因は経済問題です。 中年の男性に多かった。 住宅ローンに追われた人や、借金に追われた自営業者なんかです。 こういう人たち、これはお金の問題ですから、お金があれば途端にすくわれます。 おまけに、女房子どもの食い扶持までベーシック・インカムで出るわけでしょう。 自殺が1万人はあっという間に減ります。 あと、自殺する人は、働くことができなくて、自分が無用の穀潰しだと思い込んで、落ち込んでいくことが多いです。 ベーシック・インカムがあれば、「あんたが生きているおかげで、うちは食っていけるんだよ」というのは、明白な事実です。 自殺者は減ります。

自殺者が一人いれば、自殺未遂はその10倍くらいあるものです。 死ぬことを考えて生きている人はそのまた10倍くらいいるものです。

自殺者の数が実際に減るようならば、生きる希望を取り戻している人は、その百倍はいるに違いありません。 そのまた家族が楽になっていることを考えたら、もっとすごい数の人が救われています。

高度成長の終わった国では、雇用と労賃を通じてより、ベーシック・インカムで生活の安全保障を。

労働市場の柔軟化
ベーシック・インカムの必然性(4)

今度は雇う側の立場から見てです。 北ヨーロッパの国々が、たいへん効率のよい産業構造を作り出しています。 その考え方に、ベーシック・インカムと共通するものがあります。

ここにあげたのはデンマークの例です。 柔軟性(フレキシビリティ)と安全性(セキュリティ)の二つの言葉をつなげて、フレキシキュリティと呼ばれています。 90年代にデンマークとオランダで成功し、2000年代になってEUが本格的に取り組んでいます。

図14:社会のフレキシキュリティ

週間東洋経済2009年1月9日号より

このフレキシキュリティ型の社会ですと、失業が怖くないんです。 どうして失業が怖くないかと言いますと、この図の左下なんです。 手厚い社会保障のセーフティ・ネットがあります。 失業給付がすごく充実しているんですよ。 最長4年間もらえます。 会社辞めても怖くない、会社が潰れても怖くない。 失業給付だけでなく、医療費、福祉、教育費、老後の生活などが保障されています。

さらに、次の仕事に移るための教育訓練プログラムがありまして、ほとんどタダなんです。 それが再就職しやすくします。 いろんなタイプのプログラムが選べるようになっています。 デンマークは大学がタダですし、入試がなくて書類だけなので、大学に入り直して、学び直す人も多いです。 けっきょく、学費がタダで、しかも生活費をもらえますから、大学に行き直せるわけです。 労働力の質のアップという点では、そうとうな水準になるものです。 日本の、教育訓練所に行くというようなイメージとは、かなり違います。

生活に困らないから、労働者の方も「ほかのことしてみたい」くらいで辞められる、経営者の方も「うちの経営の先行きがどうもね」くらいで解雇できる。 会社が縮小したり新しく出来たり、労働者が会社を移ったりするのが、とてもやりやすい。 そこで、産業構造の調整が早いんですね。 国際競争力が高いです。

デンマークは、もともと、経営者が解雇する自由を得るいっぽうで、労働者側は社会保障を獲得してきたという歴史的経過があります。 日本は逆ですね。 日本は、雇用を終身雇用で護るが、社会保障は充実していないというタイプでした。 そこに不景気がやってきたので、日本でも、リストラがたくさん起こったし、非正規雇用を認めるとかしてきました。 終身雇用にこだわらない企業も増えました。 でも、これをやるときは、社会保障の充実と組み合わせないと危ないんです。 社会不安を引き起こしてしまいます。

柔軟な労働市場と社会保障を組み合わせるタイプは、北欧に共通しています。 小さな政府と人々の自己責任を言う国々は、北欧社会のことを、高い税率であんないわゆる高福祉社会をやって、そのうちに企業が負担に耐えかねて行き詰まるさ、なんて見ていたらそうならなかった。 北欧諸国は国際競争力のトップの方に行ってます。

日本は、社会保障をお荷物視して産業に直接カネをつぎ込む考えが中心だったのですが、それより、むしろこういう手厚いセーフティーネットを作った方が人が安心できるし、産業と労働を柔軟に再編成できます。 不況の時に、消費の下支えをできます。

ベーシック・インカムというのは、このフレキシキュリティをさらに進めたものです。

図15:ベーシック・インカムのある社会

ベーシック・インカムは、失業給付みたいに条件をつけませんし、何年間という期間なしにもらえます。 教育訓練を受けていないと出さないなんて、野暮なことも言いません。 会社を辞めた場合、自由な生活設計ができます。 趣味やっても結構です、学び直しをしてもいいです、ボランティアしてもいい、休養しても結構です。 もちろん、職業訓練でもいいです。 この自由な生活設計の中から出てくるものが、ほんとうの社会活力になります。 クリエイティブなんですよ。

社会は、ゆとりの部分をもっていないといけないです。 すべての人が目的を与えられていて、それに向かって頑張っているなんて、いかにもいつかドーンと破滅しそうじゃないですか。 あるパーセント、アソビがあったほうが健全です。 無理して完全雇用なんか目指さなくていいんじゃないですか。

自由な生活設計の中から、新しい生産に結びつくものも生まれるでしょう、新しい消費に結びつくものも生まれるでしょう。

ただ、ベーシック・インカムは、デンマークなどの失業給付金に比べて、一人あたりの額が小さいです。 いろんな福祉や、高等教育までの教育費無償も実現させておかないと、それぞれの人の学び直しがなかなかうまくいきません。 教育費は、幼稚園から大学まで公立も私立も全部無償にするのに、あと5兆円か6兆円でできます。 めちゃくちゃ安いです。 人々が安心できて、能力を伸ばせて、社会が安定する。 しかも、将来の見返りが見込める。 こんな安いお買い物、めったにないと思いますよ。

生産性の高い国では、ベーシック・インカムによって産業構造の転換、労働力の適正配置、生産性向上。

不況からの脱出
ベーシック・インカムの必然性(5)

日本は、バブル崩壊以降、長い不況の中にあります。 そこに、昨年のアメリカの金融危機のあおりで、いま輸出が激減して大ピンチ。 しかも、もう従来型の対策はほとんど手をうち尽くしているんじゃないでしょうか。 どうなるんでしょうねえ。 でも、ベーシック・インカムをやると大きな効果があるはずです。 そのことを、お話しします。

日本は、90年のはじめに、バブルがはじけてしまいました。 土地はいつまでも値上がりし続けると信じていたのに、ただのバブルでした。 株式も大幅値下がりです。 企業は借り入れして土地や株を買っていましたから、さあたいへん、借金返済に追われます。 懸命に経費を切り詰めますし、倒産するところもあります。 銀行も貸し倒れで大損失を蒙ります。

図16:バブル崩壊

このままだと、不景気の坂道をどんどん転げ落ちるので、政府は景気をよくしようと、いろいろな策をとりました。 公共事業をやるなど、政府の投資や消費を増やしました。

図17-a:従来の景気対策(1) 政府支出増

いわゆるケインズ政策と呼ばれるものです。 これは、それなりの効果はあるんですが、その時だけの効果で終わってしまいました。 高度成長期だと、高速道路を造ると、とたんに物流が盛んになる、ビジネスも観光も生まれると、経済活動全体が大きくなったし、結局税収も増えてモトがとれたのですが、90年代以降では、そんなにうまくいきません。 政府は国債を出して資金をまかなっていますから、国債の発行残高がどんどん貯まりました。

もうひとつ、景気対策の方法として、日銀が金利を下げて、企業がどんどん融資を受けられるようにしました。

生産のほうが足りない経済なら、この方法が劇的に効くはずです。 日本の戦後は、これがよく効きました。 でも、今はそうじゃないです。

図17-b:従来の景気対策(2) 低金利政策

実際には、企業は売上げが増える見込みがないと、危なくて設備投資もできないし、雇用も増やせないですよね。 だから企業はあまり借りないです。 目端の利く会社は、株や債券や不動産で利回りを取ろうとしますから、資金がそっちに流れます。 それがこの図です。

円キャリー取引なんていうのまでありましてね。 日本は超低金利、それを借りてアメリカなどで向こうの利回りのいい株や債券を買うんです。 せっかく日本の方で資金を用意してあげたんだけど、外国の経済に投資するのに使われる。 アメリカの住宅バブルの原因のひとつだとも言われるくらいです。

結局、働く人たちに渡る賃金は少ししか増えませんし、家計の消費もあまり伸びません。

さらにもうひとつ、景気を良くする方法として、輸出を増やすことがありました。 日本国内に買う力がないから、外国に売るのです。 これにも問題がありまして、汗水たらして作った生産物を自分たちは使わないで外国に渡し、かわりにドルという商品券をもらって喜んでいることになります。 ドルを有効に使えれば問題ないのですが、結局かなりの部分がアメリカの債券や株を買って、自国は貧乏暮らしに甘んじ、アメリカ経済に投資するのに使われていました。

このように、景気対策の手段が、なかなかうまくいかない。 国があれこれカネをつぎ込んでも、ほんとうに国内の生産と消費に使われる部分が小さいんです。

ほんとうに大事なのは、人々が消費に使うお金の部分なんですよ。 ここが増えないと売上げが増えない。 企業はいくら融資を受けられても、売上げが増えないとどうしようもないじゃないですか。

だから、本気で生産と消費のバランスをとりたいなら、直接ここのピンクのところに入れてやればいいんですよ。 ベーシック・インカムって書いてあるところです。 家計消費側に。 特に生活費に。

図18:不況対策としてのベーシック・インカム

それも、貸すのではダメです。 あげてしまわないといけない。 消費者に貸したって、返せるはずないでしょう。 消費者に貸したら、サラ金です。

ここに渡せば、生活費に使われます。 それが、企業に回ります。 それがまた賃金に支払われ、投資に使われ、というように回転がすごくいいです。

これをやれなかったのは、「働かざるもの食うべからず」や、「働かないでカネが入ると、ぐうたらのダメ人間になる」ということを信じ込んでいたためじゃないでしょうか。 でも、不労所得が人を堕落させるなら、資産家はみんなぐうたらのダメ人間だということになります。 そんなことないですよ。 人間が立派かどうかは、資産や収入に関係ないです。

公共事業をやるよりもベーシック・インカムで貧乏人に金を渡した方が、景気がよくなります。 貧乏人はハンド・トゥ・マウスでしょ。 全部生活に使うでしょう。 それはすなわち、商店や企業の売上げってことだし、そこからまた給料に支払われたり、次の生産の資金になったりします。

今は、生活に困っている人にお金をあげるほど有効なお金の使い方ないんですよ。 社会全体が豊かになるんです。 公共事業に使うより生活保護に使った方が、効率がいいはずです。

ベーシック・インカムは、貧乏人だけに渡すのではなく、一律にお金持ちにも渡します。 これは、金持ちと貧乏人を区別することの弊害が大きいと考えるからです。 でも、人数からしたら、お金持ちは少ないですから、大部分は庶民に渡ります。

公共経済の構築

ベーシック・インカムの景気に対する効果はすごいと思います。

でも、長期的な視点で考えるなら、不況を脱出するにはもう一本柱が要ります。 公共経済を大きくすることです。 福祉ですとか教育ですとか、医療ですとか環境ですとか、そういう、直接の採算はとれないけれど、生活に必要だというものを充実させることです。 そうでないと、次から次へとものを買って消費するだけのあたふたした経済になっちゃいます。 需要のほうも、アタマ打ちになってくるでしょうし、好景気と不景気の浮き沈みを繰り返すでしょう。 もっとじっくりした生活作りが必要です。

高度成長終わっちゃいますと、企業がね、いろんなものを作ってますけれども、有利な投資先がなくなります。 世界的な現象です。

図19:高度経済成長が終わると

でも、企業ってのは借入金の利息や返済を払わないといけないし、株主に配当しなければいけません。 そこで企業は株買ったり不動産買ったりします。 個人も同じです。 信託銀行とか、保険会社とか、年金とか、資産を運用しなければならないところはみんな同じです。 株式や不動産を買います。

バブルになります。 はじけます。

高度成長を終えた国の内部では、お金を有効に投資する道がなくなっちゃっているんです。

では、生活者のほうが、もう必要なものがないほど豊かになっているからモノが売れないのかというと、そうじゃありません。 福祉、医療、教育、環境といった分野が遅れているんです。

医療とか教育とかは、お金のある人しか受けられないのではいけないです。 たとえば、義務教育を実費で払うようにしたら大変です。 貧乏人は子どもを学校に行かせることができません。 いま生徒一人あたり年80万円くらいかかっています。 月あたり約7万円です。 毎月7万円の授業料を払える家庭でないと、子どもを小中学校に行かせられません。 子ども二人だったら14万円。 それじゃ、家計が破産します。

だから、義務教育費は税金でまかない、国や地方が支出します。

図20:商品経済と公共経済は補完関係

公共経済は、他にもたくさんあります。 道路や橋や港などのいわゆるインフラ整備がそうです。 住民票の発行などの行政サービスや、法律を整えたり、裁判制度を維持するのも公共経済です。

消防や警察も、営利に任せていたら成り立ちません。 昔アメリカなんかにね、火事になると消防車がくるんだけどその場で、いくらだけどお宅払えますか?なんて交渉まとまってから水かけてくれるなんてそんな会社があったそうです。 これじゃ、困りますね。

公共経済は、所得を再分配して、貧富の差を小さくする機能があります。 生活保護や失業保険、年金などは、まさしくそうです。

こういう、ご自分の金でご自由にどうぞ、と言っているとうまくいかない分野を、公共経済が担います。

商品経済は、なんでも自由にお金を使ってよろしい、採算がとれるかどうかの原則で自然にやってくれということです。 いっぽう公共経済は、みんなで出し合ったお金で維持します。 使うときはほんとうに必要なことなのかどうか判断しますし、公平であることを原則とします。

商品経済と公共経済は補完関係にありまして、どっちも大事なんです。

ベーシック・インカムができると、購買力が増します。 でもそれを商品経済の中でだけ回すのではなく、公共経済にもたくさんお金が回る必要があります。

この公共経済のほうにたくさんお金が流れるシステムを作ってうまくいっている実例があります。 北欧諸国です。 スウェーデンとかデンマークとか、社会保障を充実させた国が、生産性が高く、国際競争力が世界のトップクラスです。 さきほど述べましたフレキシキュリティが成立しています。

これらの国では、社会保障、教育、福祉、医療といった分野で、安定した金の流れと雇用を作り出しました。 それが産業発展にも有効だったんです。

北欧諸国では、税金と社会保険の負担が、所得の7割くらいになります。 ところが彼らは、平気で税金を払っています。 というのは、教育も、医療も、老後も保障されていると、お金を貯めなくても生きていけます。 失業も怖くない。 不安のない、豊かな暮らしができるんです。

図21:ベーシック・インカムによる公共経済拡大

公共経済を充実させるには、増税が必要になります。 みんなのお金を集めて、みんなで必要としていることに使うのが公共経済です。

でも、ベーシック・インカムから所得税を取るのはナンセンスです。 他の税源にしても、私は今の仕組みのままでの増税には反対です。 絶対に反対です。

増税するならどうしても前提になるのが、住民自治です。 住民自治がしっかりしていないと、なにが必要とされているのかよくわからないままお金が使われるんです。 住んでいる人たちが、このお金で橋をかけるのがいいか、教育に使うのがいいか、産業を誘致するのがいいか、自分たちで決めることが大事なんです。 そうすると、予算が生きた使われ方をするようになります。 財源と権限をもっと地方に渡すべきです。

税のシステムですが、私は、税金は漸進的に消費税(あるいは支出税)にまとめたほうがいいと思います。 公共経済にかかる費用は、あらゆる商品の原価の一部と考えるべきです。 どんな商品も、交通・通信網が整備され、人々の教育水準が高く、制度が整っているおかげで、生産・販売されているのです。 その費用は、材料費と同じような原価として、価格に反映させるべきです。

いまは、税収が所得の多い個人や企業にかなり依存しています。 収入の多い人が金を出すというのは、それなりによくできているように見えるのですが、そうしますと、国は、税収を維持するために、金持ちや大企業に依存するようになります。 金持ちや大企業は、自分のところが繁栄すれば、国も豊かになると主張し、政策に反映させます。 それが、今の姿じゃないでしょうか。 それで、貧富の差の大きい、不安定な社会ができてしまうのです。

ベーシック・インカム後の社会

ベーシック・インカムができたら、社会がどうなるでしょうか。

まず、労働市場がどうなるか。

おそらく、働く人はやや減ります。 さっき言ったように5%くらい減るんじゃないでしょうか。

求人数はそうとう増えるでしょう。 100兆円くらいベーシック・インカムに出してやりますと、7割くらいは消費に回ると思われます。 所得が増えると、日本の場合6~7割程度が消費に回ることが、知られています。 大幅な消費増が、継続して起こりますから、雇用は大幅に増えるはずです。 とにかく求職者は減って求人数は増えるわけですから、労賃は上昇する傾向にあると思います。

いっぽう生産のほうは、遊ばせている部分が多いでしょうから、どんどん供給してくると思われます。 そうかんたんにインフレにはならないでしょう。 収入は増えてインフレにはならないですから、ずいぶんと豊かに暮らせます。

ベーシック・インカムができたら、それぞれの立場はどうなるか、考えてみましょう。

サラリーマン(ウーマン)

失業の恐怖から解放されます。 会社が潰れても、なんとかはなる。 会社を飛び出しても、なんとかはなる。

つらい仕事、つらい職場からは逃げ出すことができます。 最後のセーフティネットができてるから、かなり楽になります。

転職が楽になります。 しばらく休んでのスキルアップもやりやすくなります。

経営者

無理な雇用はしなくて済みます。 効率を追求した経営をしてよい。

人が辞めやすくなりますから、人をつなぎとめるよい職場作りが必要。

主婦(主夫)

主婦が、だいぶ大きな変化を起こすと思うんです。

どうですか、主婦の皆さん。 もしね、月に8万円でも入ったら。 どうします? 黙っていても入ってきたら。

その人が一番いいと思う方向に、生活を向けることができると思うんですよ。

金のために余儀なくパートをしていた人は、パートで月に10万稼ぐのは容易じゃないでしょう。 それが何もしなくても入ってくるわけだから、辞めちゃいますよね。

仕事に打ち込みたい人は、打ち込むことができます。 収入が多くなっているから、楽です。

家事に専念することもできます。 家事は、これは大事な仕事ですよ。 今産業とはされていないけど、家事をお金に換算してGDPに含めた方がいいという説もあります。 家計にゆとりがあるなら、専業主婦をやっていたい人も多いでしょう。

老人を抱えている家庭も多いですよね。 やっぱり親はとことん見てあげたいっていうそういう人たちもかなりいるはずです。

あとね、いろんな社会活動を見ていますと、今女性の方が元気ですね。 どうも、お母さんたち元気。 お父さんたち疲れてる。 なんか意欲的にこれやろうって言う人、お母さんたちにとっても多いんですよ。 その人たちが思いっきりやれますね。 「自分は稼いでいないのに...」っていう引け目を感じなくてよくなるんだもの。 女性の行動が非常に自由になると思います。

趣味に専念することもできます。 学校に通うこともできます。

農業

個人経営の農業がなんとか成り立つようになります。 いまもう高齢化でどんどん離農する人が増えていて、農地が荒れ放題になるとこ、いっぱい出てきちゃってますよね。 でも、農業をやりたいって言う人も結構います。 最低限の現金収入があるっていうことになったら脱サラして農業始める人かなりいると思います。 相当な数の人が入っていくと思います。 僻地で農業をやっている人たちがいるってのは、環境保全もしているんです。

農業は産業でもありますが、生活でもあります。 自然と対話しながら生きたい人たちの生活を保障してあげるのはいいことです。

起業

起業する人たちが増えるでしょうね。 「失敗しても、なんとか食っていける」から、チャレンジできます。 家族持ちの人でも、家族の生活が保障されてますから、チャレンジできます。 起業は、たいてい苦しい時期があってそれを乗り切るのはたいへんなのだけれど、最低の食い扶持があることは大きいです。

芸術

芸術やってみたいって言う人も多いですよね。 絵を描いてみたり、小説を書いたり、ロックをやってみたり。 どんどんチャレンジするでしょう。

社会活動

社会活動に打ち込む人たちが、相当に増えると思います。

この『ベーシック・インカム実現を探る会』の人たちと話していると、「いやあ~、ベーシック・インカム実現してくれりゃぁ、どんなに楽なことか」と話が合います。 稼ぐことはそこそこにして、時間が自由になることを選んでいる人たちなんです。

世界のいたるところにこういう人たちがいます。 社会発展のためのDNAみたいな人たちなんです。 こういう、最低限でも食えりゃやっていくぞ、という人たちが試行錯誤を引き受け、道を切りひらいてくれるんです。

私は、草の根で無認可の学校をやっている人たちとたくさん会ってきましたが、食うや食わずでやっている人たちが多いんです。 この人たちに無条件の月8~10万があったら、ずいぶんと楽になりますね。 なんの分野でも、意義のあることに取り組もうという人たちが増えると思います。

地方都市

どこにいても収入があるなら、地方の方が暮らしやすいです。 家賃が違います。 この間私の会った人は、都心のだいぶいいところに住んでいたけど千葉の津田沼に引っ越したんだって。 近々会社を辞めるかもしれないから、今まで家賃10万払っていたのが5万で済むところに越したんだそうです。

この東京の青山のあたりだったら、独身用のマンション10万以下っていうことないでしょう。 ちょっといいところだと13,4万行っちゃうんじゃないかな。 ところが電車で1時間のところへ行ったら、5万くらいでかなりきれいなところがあります。 生活費全般も安いし、そうとうの人が地方都市に越すと思います。 人が収入付きで越してくるのですから、そうすると、地方にまた職ができていきます。

地方都市の立場からすると、地域振興にたいへん役立ちます。

過疎地

農業やる人が引っ越していって暮らすようになります。 自然の中で暮らしたい、生きて行けさえするなら、っていう人がけっこういます。

学生

大学、短大、専門学校などにたいへん行きやすくなります。 たとえ授業料が変わらなかったとしても、基礎生活費がありますから、仕事をせずに学校に行く時間が作れます。

子ども

何歳までいくら出すかはむずかしいところです。 6歳まで4割、12歳まで5割、18歳まで6割というような段階的出し方、一律に18歳まで半額とするやり方、などいろいろありそうです。 何歳まで、親がベーシック・インカムを全部管理していいかも、研究しなければいけないですね。

子育てに専念する人が増えるでしょう。 もう一人育てようかという人も増えるでしょう。 子育ては、たいへんだけど充実感のあるものです。 子どもにとって親は、世界で一番好きで、一番頼れる人です。

ベーシック・インカムはやっぱり少子化の切り札になりますね。 仮に大人8万子ども4万とするでしょ。 そうすると夫婦子供2人いると24万。 何もしなくても夫婦子供2人で24万入って来たら最低限食えるじゃない。 あと、夫婦のどちらかが働けば、普通の生活ができます。

ベーシック・インカムがあると、本当に「子は宝」になります。

失業者

収入がない人という意味だったら、いなくなってしまいます。 多分路上生活者は、大抵は消えると思います。 ああ、でも趣味の人も少しいるかな。

うつ病の人

減ります。 頑張らなければとか、こんな自分ではだめだ、というプレッシャーを抱え込むのがウツ病です。 あなたがどんなであっても、とにかく生きていていいのだ、ということを毎月現金で証明してくれるんですから。

引きこもりの人

減ります。 ベーシック・インカムが引きこもりを助長するんじゃないかと思われがちですが、引きこもりの原因は恐怖なんだから、安心できるようになったほうが減るんです。

フリーター

いろんな立場が入り乱れるようになり、全体としては増えるでしょう。 ベーシック・インカムで、これ幸いと働くのを減らす人。 ベーシック・インカムで、教育を受け直すなど自分のスキルアップをするための余力が生じる人。 最低限食えるならと、正規雇用より自由な時間を作ろうとする人。 いろいろだと思います。

教育の変化

そして教育が大変化を起こします。

この子が、将来社会で食っていけるんです。 なんとかはなるんですよ。

この子が将来食えていくかで、それでいろいろと親が不安になり、教師が不安になって、「社会は甘くないぞ」っていう発作を起こすんです。 ほんとは、自分の不安なんですけどね。

ベーシック・インカムがあると無理強い教育が激減します。

今の教育をちょっと考えてください。 労働訓練の意味を強く持っているんです。

労働訓練としての教育

  1. 休まないこと。 机に座っていること。

    ともかく休むな。 全然勉強で効果が上がってなくても、いじめられていても、休むなっていうんですよね。 小さいうちから、とにかく机にちゃんと座っていなさい。

  2. 無味乾燥に耐えること。

    大事ですね。 それがないと将来生きていけないです。 つまらないことに耐えなければいけません。 不適切なカリキュラムも、つまらない授業も、無味乾燥に耐えることに役立ちます。

  3. 個人ごとの評定点のために働く。

    学校では、個人ごとに評定点が下されます。 それのために頑張るようにし向けるんです。 小学校の評定から始まって、中学高校の定期試験、大学入試の点数、大学の優良可まで、あれのために学ぶんです。 個人ごとについてまわるクレジットがあって、それを蓄積するために学校に行くんです。

    会社に入ると自分の評定点のために働かなきゃならない。 だから小さいときから慣れないといけません。

    学校が「自己評定点頑張らせ体制」が基本になっています。 それを忘れて、「個性尊重」とか「ゆとり教育」とか言うから、カラ振りになるんです。

  4. 何を手に入れても満足しない。

    何を手に入れても満足してはいけません。 先生がすぐ向上心向上心といいますね。 あれです。

    多分南米かなんかの話しだと思いました、よく働いてくれたからと労働者のお給料を上げたら、とたんに働きに来なくなっちゃった。 いったい何が不満なんだってきくと、

    「だって今日暮らせるのに、どうして働くんですか?」

    つまり我々は、今日暮らせても明日のために働く、そういう人間たちを育てないとこの社会維持できないんです。 だから、いい成績をとっても、賞を取っても、「それで満足してはいけない」、「上を目指せ」、「まだここが足りない」。

    もちろん、明日を考える人間を育てることは大事です。 しかし、それはラットレースで追い立てることや、満足を知らない人間を育てることとはまったく違います。

  5. 目標に向かって努力する

    目標を与えるとそれに向かって努力する人間でないと、雇用することができません。

    でも教育で目標管理をやりますと、結果だけ取り繕うとか、ご褒美がほしいとか、そういうものに生徒たちを走らせます。 浅薄な知性を育ててしまうんです。

  6. 賞を欲しがり、罰を察する

    こうなってもらわないと、昇進や昇給をめざして頑張ってくれません。 まずいことに対しては、どんな罰があるかの見せしめをやっておいてから、「ああなるよ」ってほのめかします。

  7. 学校の仕事を家庭に持ち越す

    宿題がいっぱいあります。 夏休みの宿題もあります。 テストのために家庭での時間を犠牲にするほど誉められます。 個人の生活のバランスを崩してしまうことに、教師たちが無頓着です。 これはのちの残業につながります。 仕事の持ち帰りにつながります。

  8. 教師生徒、先輩後輩の序列を作る

    人間序列を作ります。 教師と生徒、先輩と後輩。 これは企業社会での服従の訓練ですね。

    教育は、それぞれの人が権威・権力から自由になって、物事がほんとうはどうなっているのかを発見できるようにすることです。 たとえ大学教授が言うことだって、違っていたら小学生がそれ違うんじゃありませんか、と言えることです。 そういうものを確立していくのが、民主主義国家の教育なんです。

    職場は、機能集団ですから、命令と服従の指揮系統は存在します。 だからこそ、就職する前に、なにが正しいかを見抜く能力を育てないと、殿様が白馬を黒馬だと言うと、はい黒馬ですと言ってなにも考えない人間にしてしまいます。 いまは、学校に身分制度があるんじゃないですか。

ここに挙げた8つの徳目はみんな労働倫理なんですね。 人そのものを伸ばすという教育本来から発生しているのではありません。 将来職場に適応できるように、子どものときから準備させてあげようということです。 それで、子どもたちとトラブルを起こすんです。

もちろん、勤勉も忍耐も、それ自体は意味のあるものです。 しかし、画一的、暴力的に仕込まれるものではありません。 内面には、逆のものが形成されてしまいます。

でも、ベーシック・インカムができると、根こそぎ変わります。

ベーシック・インカム後の教育はどうなるでしょうか。

  1. 労働訓練から個性を伸ばす教育に

    その生徒が食っていけるかどうかはもう保障されているのだから、先生と生徒は、一緒に事物を探求し、いろんなことにトライし、人間づきあいをしていればいいんです。

  2. 家庭的教室

    今は教室が事務所的、工場的です。 もっと家庭的になると思いますね。 命令的、指揮的ではなく、学校が生活の場っていう感じになってくる。

  3. 目的遂行 → 感受性と創造性

    今はとにかく、脇目もふらずに目的遂行、を植え付けようとします。 夢を持ちましょう、ってよく言うでしょう。 あれも自分で目標を管理しろということなのね。

    そうじゃなくて、感受性が、つまりもっとあるがままを知る力が必要です。 他人と自分の動機を見抜くことが、自由に生きることの出発点です。

    創造性だけは、訓練で育てることができません。 子どもが全身全霊をあげて遊んでいるとき、とても創造的です。 あれは目的意識が干渉しないからそうなるんです。 クリエイティブであるというのは、大人の知識・技能をもったまま、目的意識や欲が入りこまない状態でいられることなんです。

  4. 総合的人間発達の評価

    学校が、労働力訓練キャンプであることをやめたとき、教育は人間を総合的に見て育てるという、本来の役割を取り戻すでしょう。

    そこから、新しい国家、経済、文化を担う人たちが生まれてきます。

    もちろん、就職予備校的な学校もあったほうがいいです。 でも、小学校や中学校の年齢ではありません。

  5. 生涯教育体系の構築

    生涯教育体系を創らないといけないということをお話します。 生涯教育体系は、図書館充実させましょうとか、老人教育作りましょうみたいに考えられています。 それは、ほんの一部です。 大事なことは、何歳になっても高等教育が受けられることです。

    これを実現するための条件は二つあります。 ひとつは、大学まで公立も私立もすべての教育が無償であること。

    もうひとつは入学が資格制度であることです。 高卒資格、あるいは大学入学資格とかを一度取れば、あとは書類を出すだけで入れる。

    これが当たり前の国けっこうあるんです。 こうすると、学びたいと思ったときに学校に行き直してスキルアップしてまた行ける。 職場と教育の出入りが自由になります。 しかも生活費はベーシック・インカムで出るんです。

    たとえばスウェーデンでね、いつでも、どこでも、ただで、っていうスローガン掲げまして本当に無償の生涯教育体系を作っていきました。 スウェーデンでは、ほんとうに大学まで公立も私立も無料です。

ベーシック・インカムそのものは、お金の問題であり、経済問題です。 経済次元のことしか変わりません。 しかし、教育が変わったとき、社会が根底的な変化をはじめます。 おそらく、ベーシック・インカムをやって教育が変化し、20~30年くらいたったときにその影響が現れてきて、社会がほんとうにクリエイティブになってくると思います。 ほんとうの変化が、そこから始まると思います。

贈与経済が大事

ベーシック・インカムが軌道に乗ってきて、人々の生活にゆとりが出てきたら、公共経済の充実だけでも足りないものがあります。 公共経済にも、作りすぎ、オーバースペックというものはあります。 今は、道路がもうオーバースペックです。

もっと、個人の「それいいね」とか「ありがとう」とかが経済に反映されてこないと、欲望と必要だけで動く社会になってきます。 いいと思ったら、見返りを求めずに、ぽんぽんと金を出す経済も大事なのです。 こういうものがあると、社会が自由になってくる、クリエイティブになってくるのです。

図22:贈与経済の発達

大規模なのですと、リオのカーニバルみたいなやつでしょう。 一年かけて準備したものを、サンバ、サンバでパーッと使い尽くす。 ものすごく自由で明るい気分で、盛り上がるのです。 こういう人たちにわれわれが、「それがなんの役に立つんだ」と聞くと、ブラジルの人は、「お前たち、なんのために生きてるんだ」って言うでしょう。

見返りを求めない、使い方を監視しない、個人のひらめきだけで動くカネ。 これが大事です。 たぶん、それがお金のもっとも生きた使い方だと思います。

例えば、「この貧乏画家は、天才かもしれない」と誰かが思っても、だからといって市役所が助成金を出すわけにはいきません。 自称他称の天才はいくらでもいますから、そんなものに公共のお金は出せないです。 感じ取った人が出せばいいんです。

学術研究で、これが独創的なものかどうか、お役所が判断するのは無理です。 「いいね」と思った人が、ぽんとカネを出すのがいい。 へんな見返りをもとめず、感覚でやったほうが的確なことをするものです。

それは、文化、学術のすべての領域で言えることです。 個人の寄付を取りまとめる協会のようなものもあるといいです。

宗教活動も大事です。 宗教というと、われわれはすぐにウサン臭い団体を想像しますが、そんなものはごく一部です。 あらゆる文明が、独自の宗教活動を持っているのです。

独創的なNPOがおもしろい社会活動をはじめたら、たちまち寄付金が集まってくるのがいいです。 ある程度軌道に乗れば、公的なものだとして市の助成も得られるでしょうが、そこに至るまでをみんなの「いいねえ」で支えなければなりません。

あるいは、感謝の気持ちを、もっと商品券か通貨の形で渡せばいいんです。 日本人は、目に見えない貸し借りの感覚が発達していますし、これが社会的セーフティネットにもなっています。 これを盛んにすればいいんです。

こういう贈与経済は、すべて既にあるものです。 けっして目新しいものではありません。 ベーシック・インカムができたら、誰もが食うのには困らなくなっているのですから、もっともっと盛んにできます。 税制などでも優遇します。 そうすると、自由な社会ができてきます。

いま、商品経済だけが経済だと思われています。 そうではなくて、公共経済と贈与経済もいっしょに考えると、ほんとうに豊かな社会ができてきます。

 

第1部終了

ベーシック・インカムの財源論として古山明男さんオリジナルな公共通貨「e¥」(イーエン)を論じた第2部を公開しました。 あわせてお読みください。

古山明男 講演録「ベーシック・インカムのある社会」第2部