スイスの通貨改革運動の紹介

下記にスイスの通貨改革運動の記事がありました。イギリスなどの通貨改革運動の影響下にあるようです。これが、先般のBI国民投票運動と重なっているのかもしれませんが、まだ、よく分かりません。運動は、国民発議(スイス国民投票)として行うようです。通貨改革の理論についての解説が関連のサイトに掲載されていますが、それが実際の運動場面でどのようになっているか、今後も調べてみます。運動の情報は、ドイツ語のサイトに詳しいようなので、このHPでも可能な限り翻訳していこうと思います。これから、この動きは注目です!(白崎)

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

「仁和寺講演追記・イスラム銀行について」 関曠野(思想史)

講演で私はイスラム銀行のことを話しましたが、イスラム銀行が車住宅などの個人ローンをどのようにやっているかには言及しませんでした。これを補足説明しておきます。 車や住宅の場合、融資希望者に代わってまず銀行がそれを買ってしまいます。それに多少価格を上乗せして希望者に売り,債務者はそれを長期分割払いで返済します。これは利子のように見えますが、まず利子を払ってしまい複利で増えることもない。価格の上乗せは融資手数料とみなすべきでしょう。

イスラムの個人ローンでは債務者が死んだり不治の病になった場合には債務は帳消しになります。また債務の保証人の必要はなく家族の連帯責任もありません。融資のリスクは債務者ではなくすべて銀行が負うというのがシャリ ア(イスラム法)の原則です。だから返済期限も明確でないことがあります。

では進学ローンのような無形のものにはどうするか。この点では、日本や欧米とイスラムでは教育観がまるで異なることに注意する必要があります。日本や欧米では大学教育は基本的に資本主義的な労務管理であり、それが学歴差別や学歴信仰の原因になります。例えば、奨学金の制度は、30年代大恐慌に際して新卒の若者が労働市場に大勢入ってきて失業問題がさらに深刻になることを防ぐために若者を大学に囲い込んでおくというローズヴェルト大統領のニューディール政策の産物でした。そしてアメリカが恐慌を大戦の軍需ブームで乗り切った後は、大卒の学歴は豊かな消費社会に都会のホワイトカラーとして参入するための入場券になりました。しかしイスラム社会にはこのような労務管理としての大学教育やそれに伴う学歴信仰はありません。

この社会では古典的な学問観が生きつづけています。イスラムの価値観では貧しい家庭の子弟の向学心を借金漬けにして金儲けの種にすることは言語道断なことです。そしてイスラム社会には学問は社会の共同財産とする立場から貧家の子弟に学資を無利子で貸す慈善団体がいろいろあるようです。銀行は融資希望者と面談のうえそうした団体との仲介役をやります。

銀行自身が融資することもあります。その場合は、日本の講に似たTAKEFULというシャリアの概念が使われます。卒業して社会人になった債務者は奨学基金に返済し、それは基金の資本の補填に充てられます。 既卒者と進学希望者の共済組合のようなもので、もちろん無利子融資です。

ただイスラムの進学ローンでは進学の動機、目的、学習プランなどが面談で厳しく審査されます。社会に貢献する専門家の養成につながる進学であることが融資の条件になります。そしてイスラムでは大学教育も基本的に実用教育とみなされるので、科学技術系の学部学科への進学が優先されるようです。

書評『グローバリズムの終焉~~経済学的文明から地理学的文明へ』 シリーズ地域の再生3巻 関曠野、藤澤雄一郎著 農文協 定価2600円プラス税

評者 ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕

評者は、1980年代半ばから90年代前半まで、不登校やヤンキーの子どもたちのくる私塾をやっていた。その頃の子どもたちの口癖のひとつに「将来のことなんて聞くんじゃね~~」という悪態があったものだ。彼ら・彼女らにとっては将来や未来のことなんて鬱陶しくて抑圧的なものであり、未来がいまより良くなるということは信じられなかったのだ。また、その当時聞いたことだが、定時制高校教師の勉強会で出る話の中に、生徒たちが教師のことを「このジジイ!」とか「このババア!」とか攻撃的に呼ぶようになるのが、ほぼ同時多発的でしかも1975年頃からというのである。本書で何度もとりあげられるニクソンのドルショックが1971年、ローマクラブ報告『成長の限界』の公刊は1972年。そしてオイルショックが1973年と続く。先に述べた1970年代の「子どもたちの変容」と本書で指摘されているドルと石油の二つのショックによる成長経済の終焉は、単なる偶然とは言い難い同時性を有している。近代資本主義の終わりの始まりを子どもたちの感性は鋭敏に捉えていたと解釈すべきではないだろうか。「子どもたちの変容」は、その後80年代から90年代へむかうにつれて、校内暴力・いじめに加えて、不登校・引きこもりという現象を伴い継続していく。これらは、単なる青年期の病理現象を超えて現在では普遍化され、草食系とかサトリ(悟り)世代とか呼ばれるようになってきている。「24時間戦えますか」というサラリーマン向け栄養ドリンクのコマーシャルは、発表された当時から、バブル期のサラリーマンをパロディ化するものでもあったが、現代では、まったくの死語といってよいだろう。子ども・若者の感性レベルでは確実に成長経済は終わっているのだ。

本書では、成長経済をもたらしてきた資本主義の歴史が、コロンブスの航海によるグローバル化を伴ってはじまり、新大陸アメリカの広大な国土と資源を「タナボタ」的に手にいれることによりその資本主義が軌道にのったことが説明されている。この資本主義は、結局のところ大衆の消費欲に支えられた過剰発展と所得不足による矛盾をかかえているのだが、その過剰発展を支えているのが、銀行が生み出す利子付き負債マネーと19世紀には石炭、そして、圧倒的なエネルギー収支の効率の良さをもつ20世紀の石油という化石燃料だった。しかし石油危機やその後のピークオイルにより成長経済はあきらかに行き詰まり、それを仮想現実的に埋め合わせようとして金融マネーゲームが介入するというのが1980年代以降における資本主義成長経済の最後の悪あがきだったというべきだろう。ただ、本書は、単に資本主義的成長経済の終焉を分析しているだけの書物ではない。ポスト成長経済(資本主義)のための見通しをしっかりと提示している。その方法こそが、ダグラスの社会信用論を発展的に受け継いだ、銀行経済から脱却する政府通貨の発行と、過剰発展と過少消費の矛盾を解消する個人単位・無条件のベーシックインカムの実施なのである。これらの制度改革により、冒頭に述べた若者の成長経済への感性的違和感は、その出口と着地点を「農」的暮らしを基盤とした「人間を人間の本分に即して保全する文明」へ求めることとなるだろう。従来からの資本主義批判とエコロジー的環境主義は、お互いがその抽象性から成長経済後の世界を展望することができなかった。しかし、本書は、通貨とエネルギーの問題点を歴史的に総括することにより具体的で実践的な道筋を私たちに提示してくれる。本書が呼びかける提言、すなわち成長経済と資本主義そして化石燃料を消尽する経済学的文明から、地理学・生態学・熱力学の科学的洞察に立脚してエントロピーの抑制を課題にする地理学的文明への転換こそ、実は最も先鋭的な政治的課題であることを最後に付け加えておきたい。

付記:本書の著者のひとりである関曠野さんも理事で参加する、島之内芸能(合同会社)の試みが「実現を探る会HP」にて紹介されている。この会社では、大阪から明治維新以来の日本の歴史を問い直し、なおかつ、大阪の芸能の伝統を生かし、ベーシックインカムや社会信用論の運動にも取り組もうということらしい。ぜひ、ご参考にしていただきたい。

(合)島之内芸能の試み

関曠野さんも理事で参加する、新しい 島之内芸能(合同会社)の試みをご紹介します。この会社では、大阪から明治維新以来の日本の歴史を問い直し、なおかつ、大阪の芸能の伝統を生かしつつ、ベーシックインカムや社会信用論の運動にもとりくもうということです。その趣旨文を以下に掲載いたします。地方からのベーシックインカム・通貨改革の新しい試みの一環としてお読みいただければ幸甚です(白崎)。

計画試案

島之内芸能(合同会社)    趣旨

(合)島之内芸能は、日本の大阪から資本主義を乗り越える地域を作りだす活動を目的として設立する。

大坂はその住民が世界で最初にかつ独自に永久平和経済都市建設に成功した地域であり、 欧米より民族的には適応していたにもかかわらず、明治維新の薩長政府は欧米の劣った面に同化して覇権主義に日本を組みこんだが、当社はその誤りを原点に帰り復旧して、大坂社会を再興し国際性を世界に示す活動を行う。 この活動を連合主義と名付ける。この主義は日本的「道」と「仁愛」を精神的基本とする。

(合)島之内芸能は、地域住民の取り組みを、可能な限り人に喜ばれる芸能として運営してゆく会社である。たとえば医師やヘルパーなども、そういう芸能なのである。

日本経営企業の出身者が大半を占める人々の間では、経営以外の諸活動も経営を摸することがなじまれやすいのに、従来の社会・文化活動はこの点を見落としてきた。

当社は、元企業や官庁の組織人が定年後も容易に溶け込める仕組みで活動する。

また、日本的経営は、江戸時代の大坂商家の経営を伝えており、従来の学界はそれを否定的にとらえて来たが、当社はよいものは積極的に活かす方式にする。

武士道もそうであるが、よい点の誤解があった。たとえば、家来には主君を諌める義務権限があったが、今日の企業では内部告発などという不信感が圧倒している。

当社は、あらゆる対立しない社会思想実践方式を連合主義と考え、従来の正義が悪を懲らす思想を乗り越える。

そのために、世界で唯一大坂だけが生んだ対立しない方式である芸能産業を、地域運動として再生する。(江戸北町奉行の遠山金四郎が水野忠邦の天保の改革に際し、芸能弾圧に経済改革にならないと反対したのは有名で、ソフト産業が人間の質を高めて経済の質を高めることを彼は直感していたのである。芸能を無駄・ぜいたくと取り違える誤りが現代でもある)

大坂町人の質は全体の連合として、芸能の稽古という形で、高められていた。この芸能の稽古には、学問も武芸もすべてふくまれ、現代のインテリと大衆、芸術家と勤労者の区分がなかったことで世界的であった。これを復活するのが連合主義である。

当時は身分制があったため、そこが非常に悪いように思われているが、現代の人権差別やあらゆる差別も身分制の一種にほかならないし、身分制は尊敬度の向上によってこそ徐々になくなって行くものである。人間の尊敬と愚行は共に永久になくならず、どちらがそうであるかは時代の流れが決めることである。問題は両者が敵対するのではなく連合することである。階級の対立を乗り越えるのは民族の作法である。

日本の場合、芸能の根拠は平安時代に確立した「歌」であった。歌が尊敬され、歌の心の分らない者は愚かとされた。それが日本の民族思想である。

大坂の商人が人に喜ばれる活動を理想としていたことは、世界の強欲な経営史にない事実であり、鴻池や住友の家訓や文書は、モルガンやロックフェラ―と全然異なるモラル(当社は作法と呼ぶ)を証拠づける。住友の番頭の主人にあてた直筆は誠意にあふれ、現代の経営者の言い分よりはるかに心を打つ。彼らは幕府や大名に金を貸すのを喜んではいなく、逆に幕府からも資本を借りて産業を起こし、また大名の藩政改革をリードしていた。だから暴力的倒幕はありえなかった。だいいち、幕府は失政はあっても、暴力的弾圧はしていなかったし、一揆も真の暴力でなく、作法であった。階級間の憎しみの度合いが、欧米とは段違いに弱く、文楽を見れば分るのである。文楽は、各階級を誉め殺して泣き笑いさせるパロディ芸能である。

~~~~~~~~~ 以下、ご参考まで、イベント案内 ~~~~~~

島之内芸能文化協会 「月例講座」ご案内場所中央区島之内2-12-19「道仁連合会館」6211-7310。島之内図書館の裏。島之内芸能文化協会 山下 ℡fax06-6607-1693 携帯090-1587-1970

1000円(学生500円)です。 町内無料娯楽大坂一派4月17日(木曜)午後3時~4時半「お葬式の改革」堀蓮慈(真宗大谷派)

【草稿】社会信用論(Wikipedia [en] 対訳)

原文:http://en.wikipedia.org/wiki/Social_Credit 

訳註:
1. 各段落前の見出し<○○○○○>は、訳者が整理の為に付与したものです。
2. 各段落の下に[note:  ]として、翻訳及び解釈についての疑問や不明な点その他気付いたことを記しています。
3. [en]の記載のある日本語、又は英語のハイパーリンクは英語版Wikipedia、記載なしは日本語版Wikipediaの用語へのリンクです。
尚、リンク箇所はほぼ原文のままとなっています。
4. 注釈([10]など)のリンク先は、原文のNotesとなっています。
5. 赤字部分は、翻訳に疑義があり保留となっている箇所です。
6. 著書等の固有名詞は、和訳が存在しないものについては適宜和訳しましたが、敢えて原文のままの場合もあります



社会信用論

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フリー百科事典ウィキペディアより

This article is about the philosophy, economic theory and history of Social Credit. For political parties, see Social Credit Party (disambiguation).
この記事は社会信用論の哲学、経済理論及び歴史について述べています。政党については、社会信用党[en](曖昧さ回避)をご覧ください。

<社会信用論の性質及び哲学
Social Credit is an economic philosophy developed by C. H. Douglas (1879–1952), a British engineer, who wrote a book by that name in 1924. Social Credit is described by Douglas[1] as "the policy of a philosophy"; he called his philosophy "practical Christianity". This philosophy is interdisciplinary in nature, encompassing the fields of economicspolitical sciencehistoryaccounting and physics. Assuming the only safe place for power is in many hands, Social Credit is a distributive philosophy, and its policy is to disperse power to individuals. Social Credit philosophy is best summed by Douglas when he said, "Systems were made for men, and not men for systems, and the interest of man which is self-development, is above all systems, whether theological, political or economic."[2]
社会信用論は、英国の技術者である C. H. ダグラス[en] (1879–1952)が発展させた経済哲学であり、同名の著書が1924年にダグラスによって著されている。ダグラスは[1]社会信用論を「哲学による政治」と記述し、その哲学を「実用キリスト教」と呼んだ。本質的に学際的であり、経済学政治学歴史学会計学及び物理学の各分野を含んでいる。権力の唯一安全な在処は多くの人の手の内であると仮定しているので、社会信用論は分配的[en]哲学でもであり、その政策は個人に権力を分配するものである。「 制度は人間が作ったのものであり、制度のために人間がいるのではない。人の重大事である自己の発展[en]は、神学的にも、政治的にも、経済的にも、あらゆる制度に優先されるのだ。[2]」というダグラスの言葉に、社会信用論の哲学は集約されている。

<社会信用論の端緒
It was while he was reorganising the work of the RAE during World War I that Douglas noticed that the weekly total costs of goods produced was greater than the sums paid out to workers for wages, salaries and dividends. This seemed to contradict the theory put forth by classic Ricardian economics, that all costs are distributed simultaneously as purchasing power.Troubled by the seeming disconnect between the way money flowed and the objectives of industry ("delivery of goods and services", in his view), Douglas set out to apply engineering methods to the economic system.
第一次世界大戦中、王立航空研究所の業務再構築を行っていた際、ダグラスは、一週間の生産物にかかる全費用が、労働者へ支払われる賃金・給与・配当金の合計額より多くなることに気付いた。 このことは、費用は全て直ちに購買力となって分配されるという古典的なリカード派経済学[en]が推進してきた理論と矛盾するように思われた。貨幣の動きと工業生産の目的(ダグラスの見解によると「商品やサービスを分配すること」)とが乖離しているらしいことに悩んだダグラスは、経済システムに工学的な手法を取り入れ始めた。

<A+B定理の発見
Douglas collected data from over a hundred large British businesses and found that in every case, except that of companies heading for bankruptcy, the sums paid out in salaries, wages and dividends were always less than the total costs of goods and services produced each week: the workers were not paid enough to buy back what they had made. He published his observations and conclusions in an article in the English Review where he suggested: "That we are living under a system of accountancy which renders the delivery of the nation's goods and services to itself a technical impossibility." [3] He later formalized this observation in his A+B theorem. The theorem divides a company's payments into two categories: A = income, and B = payments to other organizations. Prices equal A+B, but income only equals A in any cycle of production. Since income (A) is always less than total prices (A+B), he believed the theorem demonstrated that people's income is always insufficient to buy back all of production: the consequence of which is ever increasing debt.
ダグラスは、100以上の英国の大企業のデータを集め、倒産へ向かっている企業を除く全てのケースで、一週間の給与・賃金・配当金の合計額が、常に商品やサービスの生産費用の合計額より少ないことを発見した。労働者は、自分が生産したものを全て買い戻すだけのお金は貰っていなかったのである。ダグラスはその研究結果をイングリッシュ・レビュー誌に投稿し、「我々は、国内の商品やサービスを、全て国内で分配することが技術的に不可能な会計システムのもとで暮らしている」 [3] と示唆した。ダグラスは後にこの研究結果をA+B定理として定式化した。この定理では、企業の支出を二つに分類し、A = 従業員の収入、B = 他の組織への支払とする。生産物の価格は A+B に等しいが、どのような生産サイクルでも、従業員の収入はAに等しい。従業員の収入(A)は常に生産物の総額(A+B)より少ないので、人々の得る収入は常に、全ての生産物を買い戻すには十分ではないことを、この定理は示していると確信した。その帰結として、負債は増加し続けることになる。

<国民配当金と補償価格制度の提唱
Douglas proposed to eliminate this gap between total prices and total incomes by augmenting consumers' purchasing power through a National Dividend and compensated price mechanism. According to Douglas, the true purpose of production is consumption, and production must serve the genuine, freely expressed interests of consumers. Each citizen is to have a beneficial, not direct, inheritance in the communal capital conferred by complete and dynamic access to the fruits of industry (consumer goods) assured by the National Dividend and Compensated Price.[4] Consumers, fully provided with adequate purchasing power, will establish the policy of production through exercise of their monetary vote.[4] In this view, the term economic democracy does not mean worker control of industry.[4] Removing the policy of production from banking institutions, government, and industry, Social Credit envisages an "aristocracy of producers, serving and accredited by a democracy of consumers."[4]
ダグラスは、国民配当金と補償価格制度によって消費者の購買力を高め、生産物の総額と総収入額の間の乖離をなくすことを提唱した。ダグラスによると、生産[en]の本来の目的は消費することであり、生産は、消費者の正当かつ自由に示した利益に奉仕しなければならない。社会共同資本に対する間接的な相続権は、全ての人が有している。その権利は、国民配当金と補償価格制度が確立した、産業の果実(消費財)への完全かつ機能的なアクセスによって与えられる。[4] 充分な購買力[en]を得た消費者は、貨幣による投票行為によって生産方針を確立することになる。[4] ダクラスの見解では、経済的民主主義[en]という言葉は、工業の労働者支配[en]を意味しない。[4] 社会信用論は、金融機関、政府、及び産業界から生産に関する施策を実施する権限を排除しつつ、「消費者の民主主義に奉仕し、消費者に容認[en]された、生産者による貴族制」という社会像を描いている。[4]

<歴史概観
The policy proposals of Social Credit attracted widespread interest in the decades between the world wars of the twentieth century because of their relevance to economic conditions of the time. Douglas called attention to the excess of production capacity over consumer purchasing power, an observation that was also made by John Maynard Keynes in his book, The General Theory of Employment, Interest and Money.[5] While Douglas shared some of Keynes' criticisms of classical economics, his unique remedies were disputed and even rejected by most economists and bankers of the time. Remnants of Social Credit still exist within Social Credit parties throughout the world, but not in the purest form originally advanced by Major C.H. Douglas.
社会信用論の提案する政策は、20世紀の2つの大戦の間の数十年間、その時代の経済状況に合致していたため、多くの人の興味を引いていた。ダグラスは、生産能力が消費者の購買力を超過することをはっきり指摘してきたが、同様のことは、ジョン・メイナード・ケインズの著書、雇用・利子および貨幣の一般理論[5] でも指摘されていた。ダグラスは、ケインズへが古典経済学から受けた批判と同様の批判を受ける一方、その独特な対処法が論争の的となっただけでなく、当時のほとんどの経済学者や銀行家から拒絶されることすらあった。社会信用論者は今でも世界中の社会信用党[en]という形で残っているが、元々C. H. ダグラス少佐が発展させてきた理論を純粋に継承している形とはなっていない。


Contents [hide
1 Economic theory
2 The A + B theorem
2.1 Compensated Price and National Dividend
2.2 Critics of the A + B theorem and rebuttal
3 Political theory
4 History
4.1 Political history
5 Philosophy
5.1 Relationship to anti-Semitism
6 Groups influenced by Social Credit
6.1 Australia
6.2 Canada
6.3 Ireland
6.4 New Zealand
6.5 Solomon Islands
6.6 United Kingdom
7 Literary figures in Social Credit
8 See also
9 Notes
10 Further reading
10.1 Fiction and poetry
11 External links
目次
1 経済理論
2  A+B定理

2.1 補償価格制度及び国民配当金
2.2 A+B定理への批判とそれに対する反論

3 政治理論
4 社会信用論の歴史
4.1 政治上の歴史
5 社会信用論の哲学
5.1 反ユダヤ主義との関連
6 社会信用論の影響を受けた団体等
6.1 オーストラリア
6.2 カナダ
6.3 アイルランド
6.4 ニュージーランド
6.5 ソロモン諸島
6.6 イギリス
7 社会信用論に関する文学作品
8 関連項目
9 脚注
10 参考文献
10.1 小説と詩
11 外部リンク



経済理論


<第一の生産要素としての文化的継承物
Douglas disagreed with classical economists who divided the factors of production into only landlabour and capital. While Douglas did not deny these factors in production, he believed the “cultural inheritance of society” was the primary factor. Cultural inheritance is defined as the knowledge, technique and processes that have been handed down to us incrementally from the origins of civilization. Consequently, mankind does not have to keep “reinventing the wheel”. “We are merely the administrators of that cultural inheritance, and to that extent the cultural inheritance is the property of all of us, without exception.”[6] Adam SmithDavid Ricardo and Karl Marx claimed that labour creates all value. While Douglas did not deny that all costs are ultimately due to labour charges of some sort (past or present), he denied that the present labour of the world creates all wealth. Douglas was careful to distinguish between valuecosts and prices. He claimed that one of the factors leading to a misdirection of thought in terms of the nature and function of money was economists' obsession over values and their relation to prices and incomes.[7] While Douglas recognized "value in use" as a legitimate theory of values, he also claimed that values were subjective and not capable of being measured in an objective manner. Thus, he rejected the idea that the role of money is to act as a standard, or measure, of value. Douglas believed that the role of money is to act as a medium of communication by which consumers direct the distribution of production.
ダグラスは、生産要素土地[en]労働資本[en]のみに分割する古典経済学者の考え方に同意していない。この3要素を否定した訳ではないが、 「社会の文化的継承物[訳註:直訳すれば「社会文化遺産」であるが、重要文化財等に近い含意があるので、敢えて「継承物」とした。]が第一番目の生産要素であるとダクラスは考えた。文化的継承物は、知識・技術・手続のように、文明の始まりから徐々に内容が追加され、私たちに受け継がれたものと定義される。そのおかげで、人類は終わりなき「車輪の再発明」を続ける必要がないのである。「私たちはその文化的継承物の管財人に過ぎない。その限りにおいて、文化的継承物は、例外なく私たち全員の財産なのである。」[6] アダム・スミスデイビッド・リカードカール・マルクスは、労働が全ての価値を生み出すと主張した。ダグラスは、全ての費用が究極的には一種の人件費(過去や現在の)によるものことは否定しなかったものの、現在の世界の労働が全ての富を生み出しているということは否定している。ダグラスは、価値[en]費用[en]価格を慎重に区別し、自然や貨幣の機能に関する考え方を誤った方向へ導いている要因の一つは、価値について、また価値と価格と収入の関係について経済学者が抱いている固定観念だと主張した。[7] ダグラスは、「使用価値説」が価値に関する正当な理論だと認識はしていたものの、価値は主観的なものであり、客観的方法で測定することはできないと主張した。ゆえに彼は、貨幣に価値の基準を与えたり、価値を測定する役割があるという考え方を拒否した。ダグラスは、貨幣の役割は、消費者が生産物を分配管理のための伝達手段であるとしている。

<経済破壊の社会信用論
Closely associated with the concept of our cultural inheritance is the Social Credit theory of economic sabotage. While Douglas believed the cultural heritage factor of production is primary in increasing wealth, he also believed that economic sabotage is the primary factor decreasing it. The word wealth derives from the Old English word wela, or "well-being", and Douglas believed that all production should increase personal well-being. Therefore, production that does not directly increase personal well-being is waste, or economic sabotage.
文化的継承物の考え方と密接に関係するのが、経済破壊の社会信用論である。ダグラスは、文化的継承物の第一の生産要素はの増加であり、経済破壊行為が富を減少させる最大の要因であると考えた。「wealth(富)」という言葉の語源は古英語の「wela(幸福・福祉)」であるので、ダグラスは、 全ての生産は個人の幸福や福祉の向上に資するべきと考えていた。ゆえに、直接に個人の幸福や福祉を向上させることのない生産行為は、浪費あるいは経済破壊行為ということになる。

"The economic effect of charging all the waste in industry to the consumer so curtails his purchasing power that an increasing percentage of the product of industry must be exported. The effect of this on the worker is that he has to do many times the amount of work which should be necessary to keep him in the highest standard of living, as a result of an artificial inducement to produce things he does not want, which he cannot buy, and which are of no use to the attainment of his internal standard of well-being."[8]
「工業生産の全ての無駄を消費者へ転嫁した場合、購買力は大きく減退し、工業生産物の輸出依存率が増加していく。この影響で、労働者は不要なものや購入不可能なものや、内面的な幸福達成には無益なものに対する生産意欲を無理やり喚起させられ、その結果としての最高水準の生活を維持するのに必要な分、仕事を多くこなさなければならなくなるのだ。」[8]

<労力の浪費の原因
By modern methods of accounting, the consumer is forced to pay for all the costs of production, including waste. The economic effect of charging the consumer with all waste in industry is that the consumer is forced to do much more work than is necessary. Douglas believed that wasted effort could be directly linked to confusion in regards to the purpose of the economic system, and the belief that the economic system exists to provide employment in order to distribute goods and services.
現代の会計方法によると、消費者は無駄を含む全ての生産原価を支払うよう強いられる。工業生産の無駄を全て消費者に転嫁した結果、消費者は必要以上に働かされることになる。ダグラスは、その労力の無駄は、経済システムの目的が混乱していることや、商品やサービスを分配するために職を与えることが経済システムの存在意義だという信念と、直接結びついていると考えた。

"But it may be advisable to glance at some of the proximate causes operating to reduce the return for effort ; and to realise the origin of most of the specific instances, it must be borne in mind that the existing economic system distributes goods and services through the same agency which induces goods and services, i.e., payment for work in progress. In other words, if production stops, distribution stops, and, as a consequence, a clear incentive exists to produce useless or superfluous articles in order that useful commodities already existing may be distributed. This perfectly simple reason is the explanation of the increasing necessity of what has come to be called economic sabotage ; the colossal waste of effort which goes on in every walk of life quite unobserved by the majority of people because they are so familiar with it ; a waste which yet so over-taxed the ingenuity of society to extend it that the climax of war only occurred in the moment when a culminating exhibition of organised sabotage was necessary to preserve the system from spontaneous combustion."[9]
「しかし、労力に対する見返りが減少する直接の原因を一通り見てみるのも得策であろう。ほとんどの具体例の根源にあるものを理解するには、現状の経済システムでは、商品やサービス、即ち進行中の仕事に対する支払を推奨いる者と同じ者がそれを分配していることに留意しなければならない。言い換えると、生産が停止すれば分配も停止するので、その結果、既にある有益な商品の分配が可能となるために、無益あるいは過剰な商品生産を行う動機が明確に存在することになる。この極めてシンプルな理由が、なぜ経済破壊行為とまで呼ばれているものの必要性が増大するかを説明している。大多数の人はそれに慣れきっているので、この日々の膨大な労力の浪費に全く気付いていない。その労力の浪費は、社会の拡大能力に対し、余りに過剰な負荷を既にかけているので、戦争のクライマックスは、組織的破壊行動を最も激しく発揮することが、システムの自己発火の防止のために必要となった瞬間にしか起こらなかった[9]
note: 「a clear incentive exists to produce useless or superfluous articles in order that useful commodities already existing may be distributed.」生産者と分配者が同じなので、生産し続けないと商売上がったりになる。でも必要なものは既に皆の手にある。余計なものと分かっていても更に生産する。これが経済破壊行為ということだろうか。。in order that は目的を表すので、「既に存在する有益な商品が分配される」目的で「無益あるいは過剰な商品を生産する」行為をすることになるが、意味が繋がらない。「過剰生産すると今ある良い商品が分配される」?
note: 「a waste which yet so over-taxed the ingenuity of society to extend it that the climax of war only occurred in the moment when a culminating exhibition of organised sabotage was necessary to preserve the system from spontaneous combustion.」構文が分かり辛い。so-that 構文を素直に訳すと訳文の通りだが、これだと、浪費によって強いられる拡大路線が限界に近づいても、経済システムが自己発火=暴発?しないためのガス抜き的な組織的破壊行動としての戦争は、ぎりぎりまで起こらないという意味になるが、それでいいのだろうか?労力の浪費に鈍感なのでなかなか暴発しないという意味だろうか。また、climax of war の意味がもう一つ文脈から解釈できない。
<三つの経済政策
Douglas claimed there were three possible policy alternatives with respect to the economic system:
ダグラスは、経済システムに関する政策には、三つの選択肢があると言った。

"1. The first of these is that it is a disguised Government, of which the primary, though admittedly not the only, object is to impose upon the world a system of thought and action. 2. The second alternative has a certain similarity to the first, but is simpler. It assumes that the primary objective of the industrial system is the provision of employment. 3. And the third, which is essentially simpler still, in fact, so simple that it appears entirely unintelligible to the majority, is that the object of the industrial system is merely to provide goods and services."[10]
「1. 選択肢の一番目は、唯一ではないにせよ、その第一の目的が、ある思想と行動の体系を皆へ強制することであるという真意を隠蔽している政府。2. 二番目の選択肢は、一番目の選択肢とある程度似ているが、より単純である。工業システムの第一の目的を、雇用の分配とするもの。3. そして三番目は、実際、本質的に更に単純なものだ。単純過ぎて、大多数の人には全く理解されないように思えるが、工業システムの目的は、単に商品とサービスを供給することとするものである。」[10]

<経済システムの目的と失業者問題
Douglas believed that it was the third policy alternative upon which an economic system should be based, but confusion of thought has allowed the industrial system to be governed by the first two objectives. If the purpose of our economic system is to deliver the maximum amount of goods and services with the least amount of effort, then the ability to deliver goods and services with the least amount of employment is actually desirable. Douglas proposed that unemployment is a logical consequence of machines replacing labour in the productive process, and any attempt to reverse this process through policies designed to attain full employment directly sabotages our cultural inheritance. Douglas also believed that the people displaced from the industrial system through the process of mechanization should still have the ability to consume the fruits of the system, because he suggested that we are all inheritors of the cultural inheritance, and his proposal for a national dividend is directly related to this belief.
ダグラスは、経済システムは三番目の選択肢の政策に基づくべきであるが、思想的な混乱によって、一番目と二番目の選択肢の目的による支配が、工業システムにおいて許容されてきたと考えた。経済システムの目的が最大限の商品やサービスを最小限の労力で届けることであれば、最小限の雇用でこれらを届ける能力があることが実際には望ましい。ダグラスは、失業は生産過程において機械が人の労働と置き換わることの当然の帰結であって、この流れに逆行する完全雇用達成への政策的試みは、我々の文化継承物を直接に破壊するものだと提唱した。ダグラスはまた、機械化の過程で工業システムから取り残された人々にもなお、このシステムの生み出す果実を消費する能力があると考えた。我々は全員文化的継承物の相続人だからである。国民配当金の提案は、彼のこの信念に直接関係している。

<古典経済学への批判と貨幣の本質
Douglas also criticized classical economics because it was based upon a barter economy, whereas the modern economy is a monetary one. Initially, money originated from the productive system, when cattle owners punched leather discs which represented a head of cattle. These discs could then be exchanged for corn, and the corn producers could then exchange the disc for a head of cattle at a later date. The word “pecuniary"[11] comes from the Latin pecunia, originally and literally meaning "cattle" (related topecus, meaning "beast").[12] Today, the productive system and the monetary system are two separate entities. Douglas demonstrated that loans create deposits, and presented mathematical proof in his book Social Credit.[13] Bank credit comprises the vast majority of money, and is created every time a bank makes a loan.[14] Douglas was also one of the first to understand the creditary nature of money. The word credit derives from the Latin credere, meaning "to believe". "The essential quality of money, therefore, is that a man shall believe that he can get what he wants by the aid of it."[15]
ダグラスはまた、古典経済学を、実際には現代の経済は貨幣経済であるのに、未だに物々交換経済に基づいていると批判した。はじめ、貨幣は生産システムから、牛の所有者が牛一頭と等価のレザーディスク[訳註:円形又は楕円形の皮革製品のようだが、適当な和訳が見つからない]をこしらえた時に生まれた。このディスクは穀物と交換が可能で、穀物生産者は後日、そのディスクを牛一等と交換することができる。「pecuniary」[11]という言葉の由来はラテン語の「pecunia」であり、元の文字通りの意味は「牛」(topecus(獣)とも関連している)である。[12] 今日の生産システムと貨幣システムは別個のものである。ダグラスは、貸付 [訳註:「融資」とどちらが相応しい訳語か判断しかねる] 預金を生み出していることを示し、著書「社会信用」で、それを数学的に証明した。[13] 銀行による信用創造は、貨幣の大多数を占め、銀行が融資を行う度に作られている。[14] ダグラスはまた、貨幣の「信用性」を理解していた最初の一人である。「credit」という言葉の由来はラテン語の「credere(信じること)」である。「ゆえに、貨幣は、それがあれば欲しいものが入手可能であると人が信じていることがその本質である。」[15]

<今日の富の源泉
According to economists, money is a medium of exchange. Douglas argued that this may have once been the case when the majority of wealth was produced by individuals who subsequently exchanged it with each other. But in modern economies, division of labour splits production into multiple processes, and wealth is produced by people working in association with each other. For instance, an automobile worker does not produce any wealth (i.e., the automobile) by himself, but only in conjunction with other auto workers, the producers of roads, gasoline, insurance, etc. In this view, wealth is a pool upon which people can draw, and money becomes a ticketing system. The efficiency gained by individuals cooperating in the productive process was coined by Douglas as the “unearned increment of association” – historic accumulations of which constitute what Douglas called the cultural heritage. The means of drawing upon this pool is money distributed by the banking system.
経済学者によると、貨幣は交換媒介物とされる。ダグラスはこれについて、かつて富の大部分が個人によって生み出され、すぐに交換されていた時代には確かに適合していたと論じた。しかし現在の経済においては、分業制によって生産は複数の過程に分断されており、富は人々の相互協力によって生み出されている。例えば、ある自動車工はいかなる富(自動車)も一人では生み出してはいない。道路、ガソリン、保険等の他の自動車関連労働者と共同でのみそれは可能となる。この見地からは、富は人々が引出すことのできる蓄積物、貨幣はチケット・システム[en]となる。生産過程における協力によって個人が得る効果をダグラスは「共同不労所得」という造語で呼んだ。それは、ダグラスが文化的継承物と呼ぶものを構成する、過去の成果の蓄積物であり、それは銀行システムによって分配された貨幣によって引き出される。

<貨幣の今日的役割と価値
Douglas believed that money should not be regarded as a commodity but rather as a ticket, a means of distribution of production.[16] "There are two sides to this question of a ticket representing something that we can call, if we like, a value. There is the ticket itself – the money which forms the thing we call 'effective demand' – and there is something we call a price opposite to it."[16] Money is effective demand, and the means of reclaiming that money are prices and taxes. As real capital replaces labour in the process of modernization, money should become increasingly an instrument of distribution. The idea that money is a medium of exchange is related to the belief that all wealth is created by the current labour of the world, and Douglas clearly rejected this belief, stating that the cultural inheritance of society is the primary factor in the creation of wealth, which makes money a distribution mechanism, not a medium of exchange.
ダグラスは、貨幣は必需品ではなく、生産物を分配するためのチケットとみなすべきと考えた。[16] 「チケットが、そう呼びたければ価値と呼んでも構わないが、何を表しているという問題には、二つの側面がある。チケットそのもの、つまり「有効需要」と呼ばれるものを形づくる貨幣としての側面、そして、それと反対の意味の、価格と呼ばれるも側面である。[16] 貨幣は有効需要を表し、その貨幣を回収する手段が価格や税である。近代化の過程で実物資本が労働と入れ替わったので、貨幣は増々分配のための道具とされるべきである。貨幣が交換手段であるという考え方には、現在の世界の労働から富が生み出されているという信念が関与している。ダグラスはこの信念を明確に否定し、社会の文化的継承物が富の創造の第一の要因であり、それは、貨幣が交換媒介物ではなく分配機構であることを意味すると述べている。

<銀行システムへの批判
Douglas also claimed the problem of production, or scarcity, had long been solved. The new problem was one of distribution. However; so long as orthodox economics makes scarcity a value, banks will continue to believe that they are creating value for the money they produce by making it scarce.[17] Douglas criticized the banking system on two counts:
  1. for being a form of government which has been centralizing its power for centuries, and
  2. for claiming ownership of the money they create.
The former Douglas identified as being anti-social in policy.[18] The latter he claimed was equivalent to claiming ownership of the nation.[19] Money, Douglas claimed, was merely an abstract representation of the real credit of the community, which is the ability of the community to deliver goods and services, when and where they are required.
ダグラスはまた、生産に関する問題、即ち欠乏はとっくに解決していると主張した。次に問題となるのは分配である。しかし、通常の経済学が希少性に価値を置いている限り、銀行は、自ら作り出す貨幣を希少なものとすることによって価値を生み出していると信じ続けるであろう。[17] ダグラスは次の二つの点で銀行システムを批判した。
  1. 何世紀にも渡って権力を集中させてきた支配体制、そして
  2. 創造した貨幣への所有権の主張
ダグラスは1. を反社会的政策であると断じた。[18] 2. については、国の所有権を要求しているに等しいと主張した。[19] ダグラスは貨幣を、商品やサービスを必要な時に必要な場所へ分配する能力であり、共同体の真の信用を抽象的に表わすものに過ぎないと主張した。

A+B定理

<経済活動の測定方法への批判>
In January 1919, A Mechanical View of Economics by C.H. Douglas was the first article to appear in the New Age, edited by A.R. Orage, critiquing the methods by which economic activity is typically measured:
1919年1月、ダグラスの最初の記事「力学的観点からの経済学」が、A.R. Orage[en]が編集を勤めた「ニュー・エイジ」誌に掲載された。彼はそこで、経済活動の通常の測定評価方法を批判した。

"It is not the purpose of this short article to depreciate the services of accountants; in fact, under the existing conditions probably no body of men has done more to crystallise the data on which we carry on the business of the world; but the utter confusion of thought which has undoubtedly arisen from the calm assumption of the book-keeper and the accountant that he and he alone was in a position to assign positive or negative values to the quantities represented by his figures is one of the outstanding curiosities of the industrial system; and the attempt to mould the activities of a great empire on such a basis is surely the final condemnation of an out-worn method."
「この短い記事の目的は会計士の業務内容を蔑ろにすることではない。現実の条件下では、会計士以上に世界の商業上で起こっていることをデータで明確に示すことができる職能団体は、恐らくない。しかし、会計担当者や会計士は、自分達だけが数字で表された量に肯定的または否定的な価値を与えられる立場にあると慢心しており、それが思想な混乱を生じ、工業社会システムにおける奇妙な未解決問題の一つとなっている。偉大なる英国の活動を、このような考え方のもとに形成しようとするのは、最終的には時代遅れの手法であると間違いなく非難されるだろう。」

<A+B定理の発表>
In 1920, Douglas presented the A + B theorem in his book, Credit-Power and Democracy, in critique of accounting methodology pertinent to income and prices. In the fourth, Australian Edition of 1933, Douglas states:
1920年、ダグラスは著書「信用力と民主主義」内の、収入と価格に適合する会計手法に関する評論の中でA+B定理を発表した。1933年のオーストラリアで出版された第四版の中で、ダグラスはこう述べている。
"A factory or other productive organization has, besides its economic function as a producer of goods, a financial aspect—it may be regarded on the one hand as a device for the distribution of purchasing-power to individuals through the media of wages, salaries, and dividends; and on the other hand as a manufactory of prices – financial values. From this standpoint, its payments may be divided into two groups:
Group A: All payments made to individuals (wages, salaries, and dividends).
Group B: All payments made to other organizations (raw materials, bank charges, and other external costs).
Now the rate of flow of purchasing-power to individuals is represented by A, but since all payments go into prices, the rate of flow of prices cannot be less than A+B. The product of any factory may be considered as something which the public ought to be able to buy, although in many cases it is an intermediate product of no use to individuals but only to a subsequent manufacture; but since A will not purchase A+B; a proportion of the product at least equivalent to B must be distributed by a form of purchasing-power which is not comprised in the description grouped under A. It will be necessary at a later stage to show that this additional purchasing power is provided by loan credit (bank overdrafts) or export credit.”[4]
「工場その他の生産組織の役割には、商品生産者という経済的側面の他に、財政的側面も存在する。一つには賃金・給与・配当金といった手段で個人に対し購買力を分配する装置という面、もう一つは価格、即ち財政的価値を作り出す工場という面である。この見地から、工場の支払は二つのグループに分けられる。
Aグループ:個人に対して支払うもの(賃金・給与・配当金)
Bグループ:他の組織に対して支払うもの(原材料、銀行手数料その他の外部費用)
個人に支払う購買力のフローはAに等しいが、全ての支払が価格に反映されるので、価格のフローがA+B以下になることはありえない。どの工場の生産物も人々に購入されることを前提としたものと見なされるが、個人には無用であるが次の工場で有用である中間生産物である場合も多い。しかし、AではA+Bを購入できない。少なくともBに相当する部分の生産物は、Aグループに記載されているもの以外のもので構成される購買力の形で分配されなければならない。この付加的な購買力は、貸付信用(銀行当座貸越)又は輸出信用によって与えられることを、後の章で示す必要がある。」[4]

Beyond empirical evidence, Douglas claims this deductive theorem demonstrates that total prices rise faster than total incomes when regarded as a flow.
実証的な[en]論拠は別として、収入総額をフローとみなした場合、製品の価格総額はそれより速く上昇することを、この演繹的定理が示しているとダグラスは主張した。 
<支払「B」の発生源>
In his pamphlet entitled "The New and the Old Economics", Douglas describes the cause of "B" payments:
「新旧経済学」というパンフレットの中でダグラスは、支払「B」の発生源について記載している。

“I think that a little consideration will make it clear that in this sense an overhead charge is any charge in respect of which the actual distributed purchasing power does not still exist, and that practically this means any charge created at a further distance in the past than the period of cyclic rate of circulation of money. There is no fundamental difference between tools and intermediate products, and the latter may therefore be included.”[20]
「この意味での一般費用は購買力が存在しない場合の全ての費用であること、それは一般費用が実質的に貨幣の循環期間よりずっと以前の時点で発生した全ての費用であるとことを意味することは、少しばかりの考察によって明確になるはずである。工場設備と中間生産物との間に本質的に違いはなく、そのため後者は前者に含まれることになる。」[20]

<貨幣の回転速度>
In 1932, Douglas estimated the cyclic rate of circulation of money to be approximately three weeks. The cyclic rate of circulation of money measures the amount of time required for a loan to pass through the productive system and return to the bank. This can be calculated by determining the amount of clearings through the bank in a year divided by the average amount of deposits held at the banks (which varies very little). The result is the number of times money must turnover in order to produce these clearing house figures. In a testimony before the Alberta Agricultural Committee of the Alberta Legislature in 1934, Douglas said:
1932年、ダグラスは貨幣の回転速度をおよそ三週間であると算出した。これが貸付金が生産システムを経て銀行へ戻るまでに要する時間である。一年間の銀行での手形交換高[en]の量を銀行が保有する預金の平均量(ほとんど変化しない)で除すことで計算が可能である。それは、これらの手形交換所の取引量を作り出すために必要な貨幣の回転の回数に等しい。1934年、アルバータ州立法議会農業委員会の宣誓時、ダグラスは次のように述べた。

“Now we know there are an increasing number of charges which originated from a period much anterior to three weeks, and included in those charges, as a matter of fact, are most of the charges made in, respect of purchases from one organization to another, but all such charges as capital charges (for instance, on a railway which was constructed a year, two years, three years, five or ten years ago, where charges are still extant), cannot be liquidated by a stream of purchasing power which does not increase in volume and which has a period of three weeks. The consequence is, you have a piling up of debt, you have in many cases a diminution of purchasing power being equivalent to the price of the goods for sale."[21]
「さて、三週間以前の期間に発生した費用増加分があることが分かっている。また、実際のところ、これらの費用にはある組織の別の組織からの商品購入関する費用のほとんどが含まれているが、資本費用の類いは(例えば、1,2,3,5,10年前に建設された鉄道の費用は未だ存在する)、量が増加しない上、三週間という期限付きの購買力の流通によっては、全てが清算されることはない。結果として負債が蓄積され、多くの、市場の商品総額と同等であった購買力が、減少していくことになる。」[21]

<負債の不可避的増加とその弊害>
According to Douglas, the major consequence of the problem he identified in his A+B theorem is exponentially increasing debt. Further, he believed that society is forced to produce goods that consumers either do not want or cannot afford to purchase. The latter represents a favorable balance of trade, meaning a country exports more than it imports. But not every country can pursue this objective at the same time, as one country must import more than it exports when another country exports more than it imports. Douglas proposed that the long-term consequence of this policy is a trade war, typically resulting in real war – hence, the Social Credit admonition, “He who calls for Full-Employment calls for War!”, expressed by the Social Credit Party of Great Britain and Northern Ireland, led by John Hargrave. The former represents excessive capital production and/or military build-up. Military buildup necessitates either the violent use of weapons or a superfluous accumulation of them. Douglas believed that excessive capital production is only a temporary correction, because the cost of the capital appears in the cost of consumer goods, or taxes, which will further exacerbate future gaps between income and prices.
ダグラスによると、A+B定理から帰結される主な問題点は、負債が指数関数的に増加することである。更にダグラスは、社会が消費者の欲求や購入可能性のない商品の生産を強いられることになると考えた。後者[訳註:自国で購入可能性のない商品の生産]貿易収支における輸出超過、即ち、ある国の輸出輸入を上回ることを意味する。しかし、自国以外の国が輸出超過のとき、自国は輸入超過とならざるを得ないので、全ての国が同時に輸出超過状態となることは不可能である。この輸出超過政策を長期に渡って実施した場合、結果として貿易戦争を引き起こし、本当の戦争に至ることも珍しくはないので、 ジョン・ハーグレイヴ[en]率いる英国社会信用党[en]が発した「完全雇用を求める者は戦争を求める者だ!」という社会信用論から導かれる警告を、ダグラスは広めた。前者[訳註:消費者の欲求に適わない商品の生産]は、過剰資本、または、あるいは同時に、軍備増強を意味する。軍備増強は、暴力的な兵器の使用や不必要な備蓄を必要とする。ダグラスは、過剰資本は一時しのぎの辻褄合わせであると考えた。資本費用が消費財価格や課税額に反映され、結局将来の収入と価格のギャップを悪化させるからである。

"In the first place, these capital goods have to be sold to someone. They form a reservoir of forced exports. They must, as intermediate products, enter somehow into the price of subsequent ultimate products and they produce a position of most unstable equilibrium, since the life of capital goods is in general longer than that of consumable goods, or ultimate products, and yet in order to meet the requirements for money to buy the consumable goods, the rate of production of capital goods must be continuously increased. "[22]
「そもそも、これらの資本財は誰かに購入されなければならないはずだ。それらは、強制的に輸出されるべきものとして蓄積され、また、中間生産物であるから、それに続く最終生産物の価格に織り込まれなければならず、極限的に不安定な均衡状態を生み出す。なぜなら、資本財の耐用年数は一般的に消費財即ち最終生産物より長く、更に、消費財を購入するために必要とされる貨幣量に見合うよう、資本財の生産速度は常に大きくならなければならないからである。」[22]


<一般費用の収入に対する割合の増加>
The replacement of labour by capital in the productive process implies that overhead charges (B) increase in relation to income (A), because "'B' is the financial representation of the lever of capital”.[4] As Douglas stated in his first article, "The Delusion of Superproduction":[23]
生産過程において労働が資本と置き換わることは、一般費用(B)が収入(A)に対して増加することを意味する。なぜなら、「(B)は資本のレバーを表しているからだ」[4] ダグラスは初めての記事「超生産という妄想」でこう述べている。[23]

"The factory cost--not the selling price--of any article under our present industrial and financial system is made up of three main divisions-direct labor cost, material cost and overhead charges, the ratio of which varies widely, with the "modernity" of the method of production. For instance, a sculptor producing a work of art with the aid of simple tools and a block of marble has next to no overhead charges, but a very low rate of production, while a modern screw-making plant using automatic machines may have very high overhead charges and very low direct labour cost, or high rates of production. Since increased industrial output per individual depends mainly on tools and method, it may almost be stated as a law that intensified production means a progressively higher ratio of overhead charges to direct labour cost, and, apart from artificial reasons, this is simply an indication of the extent to which machinery replaces manual labour, as it should."
「現在の工業・経済システムにおけるあらゆる製品の製造原価(販売価格ではない)は、大きく三つに分類される。直接労務費、材料費、一般費用であり、その割合は、生産方法の「現代性」によって大きく変動する。例えば、彫刻家が作品を作る際に使用するのは、シンプルな道具と大理石の塊だけであり、一般費用はほとんどゼロであるが、生産速度は極めて小さい。一方、全自動の機械を使用する近代的なネジ工場では、一般費用は非常に大きいが直接労務費は非常に小さく、生産速度は大きい。一人当たりの工場での産出量の増加は主として設備と生産方式に依存するので、生産強化が直接労務費に対する一般費用の比率を高めていくことは、ほぼ法則であると言えるだろう。またその比率は、それが人為的なものかどうかは別にして、あるべき姿である、機械が人間の手による労働と置き換わっている程度をシンプルに示す、一つの指標でもある。」
<物価と雇用の関係>
If overhead charges are constantly increasing relative to income, any attempt to stabilize or increase income is met with rising prices. If income is constant or increasing, and overhead charges are continuously increasing due to technological advancement, then prices, which equal income plus overhead charges, must also increase. Further, any attempt to stabilize or decrease prices must be met by falling incomes according to this analysis. As the Phillips Curve demonstrates, inflation and unemployment are trade-offs, unless prices are reduced from monies derived from outside the productive system. According to Douglas's A+B theorem, the systemic problem of rising prices, or inflation, is not "too much money chasing too few goods", but is the increasing rate of overhead charges in production due to the replacement of labour by capital in industry combined with a policy of full employment. Douglas did not suggest that inflation cannot be caused by too much money chasing too few consumer goods, but according to his analysis this is not the only cause of inflation, and inflation is systemic according to the rules of cost accountancy given overhead charges are constantly increasing relative to income. In other words inflation can exist even if consumers have insufficient purchasing power to buy back all of production. Douglas claimed that there were two limits which governed prices, a lower limit governed by the cost of production, and an upper limit governed by what an article will fetch on the open market. Douglas suggested that this is the reason why deflation is regarded as a problem in orthodox economics because bankers and businessmen were very apt to forget the lower limit of prices.
もし一般費用が収入に対して常に増加するならば、収入を安定あるいは増加させようという試みは、どうやっても物価の上昇に帰着することになる。もし収入が一定あるいは増加し、一般費用が技術革新によって増加し続けるならば、価格は収入と一般費用の和に等しいので、これも上昇する。更にこの分析によれば、価格を安定あるいは下降させようとする試みは、ことごとく収入減に帰着することになる。フィリップス曲線が示すように、生産システム外部から得られた資金によって物価が下降しない限りは、インフレーションと失業はトレードオフ[訳註:二律背反]の関係にある。ダグラスのA+B定理によると、価格上昇即ちインフレーションの構造的問題は「金が多く、モノが少ない」ことではなく、完全雇用という政策と結びついている工業において、労働が資本と置き換わることによる一般費用の割合が増大していくことである。ダグラスは、過剰な貨幣が希少な商品を求めることがインフレーションの原因とはなり得ないとは言わなかったが、ダグラス自身の分析によると、これはインフレーションの唯一の原因ではない。一般費用が収入に比べて常に増加するならば、原価計算のルールによって、インフレーションは構造的なものだということになる。言い換えると、消費者に全ての生産物を買い戻せるだけの十分な購買力が存在するときでさえ、インフレーションは起こりうるのである。ダグラスは、価格決定には日立つの限界があると主張している。下限は生産原価により、上限はその商品が自由市場でいくらで売れるかによる。ダグラスは、これが通常の経済学でデフレーションが問題視される理由であるとした。なぜなら、銀行家や実業家は価格の下限について非常に忘れがちだからだ。

補償価格制度と国民配当金

<補償価格と国民配当金の総論>
Douglas proposed to eliminate the gap between purchasing power and prices by increasing consumer purchasing power with credits which do not appear in prices in the form of a price rebate and a dividend. Formally called a "Compensated Price" and a "National (or Consumer) Dividend", a National Credit Office would be charged with the task of calculating the size of the rebate and dividend by determining a national balance sheet, and calculating aggregate production and consumption statistics.
ダグラスは、価格に現れない信用分を価格払戻金や配当金の形で消費者に支払い、購買力を増大させることで、購買力と価格の間のギャップをなくすことを提案した。正式には「補償価格」及び「国民(又は消費者)配当金」と言い、国家信用機関は、国の貸借対照表作成による払戻金や配当金の計算業務や、生産及び消費の統計の総計[en]の計算業務を所掌することとなる。

<実際の生産原価の計算>
The price rebate is based upon the observation that the real cost of production is the mean rate of consumption over the mean rate of production for an equivalent period of time.
価格払戻金は、実際の生産原価が、同期間における平均消費速度を平均生産速度で除したものに等しいという知見に基づいて計算される。
where M = Money distributed for a given programme of production, C = consumption, P = production
M = 所与の生産プログラムにおいて分配された貨幣、C = 消費、P = 生産

note: 生産物は全て消費されるわけでなない。貨幣流通量全体のうち、そのギャップ分を除いた部分が生産原価(費用)となる。ギャップ分は過剰商品か? それともこの知見はデータから帰納的に得られたものなのか?

<真の価格の計算>
The physical cost of producing something is the materials and capital that were consumed in its production, plus that amount of consumer goods labour consumed during its production. This total consumption represents the physical, or real, cost of production.
何かを生産するときの物理的な原価は、その生産期間内の材料と資本の消費分に、その生産期間内に労働者が消費した消費財の量を加えたものである。この消費額全体は、物理的な、即ち実際の生産原価に等しい。

where Consumption = cost of consumer goods, Depreciation = depreciation of real capital, Credit = Credit Created,
Consumption = 消費財の生産原価、Depreciation = 実物資本の減価償却費、Credit =信用創造額
Production = cost of total production
Production = 総生産原価

note: TruePrice($), Cost($) なる変数に関しては説明がない。式と説明文も合致していない。前段のRaalCost(production)の式をCost($)に代入するのか?


<実際の生産原価の減少>
Since fewer inputs are consumed to produce a unit of output with every improvement in process, the real cost of production falls over time. As a result, prices should also fall with the progression of time. "As society's capacity to deliver goods and services is increased by the use of plant and still more by scientific progress, and decreased by the production, maintenance, or depreciation of it, we can issue credit, in costs, at a greater rate than the rate at which we take it back through prices of ultimate products, if capacity to supply individuals exceeds desire.".[4]
常に生産方法の改善がなされている場合、産出の際に投入・消費されるものはほとんどないので、実際の生産原価はその期間中減少する。結果、時間の経過に伴い価格も低下する。「社会の商品やサービスを届ける能力は、工業設備の利用や、更には科学技術の発展によって増大し、生産や維持費用や減価償却によって低下するので、費用に対して信用創造による貨幣発行が可能であり、その発行割合は、望まれる量以上の生産能力を社会が有している場合は、それが最終生産物の価格へ転嫁されるものより大きくなる。」[4]
<払戻金の算出法
Based on his conclusion that the real cost of production is less than the financial cost of production, the Douglas price rebate (Compensated Price) is determined by the ratio of consumption to production. Since consumption over a period of time is typically less than production over the same period of time in any industrial society, the real cost of goods should be less than the financial cost.
実際の生産原価は財政上の生産原価より小さいという結論に基づくと、ダグラスの価格払戻金(補償価格)は、消費の生産に対する割合によって決定される。通常、どの工業化社会においても一定期間の消費は同期間の生産より少ないので、実際の商品原価は財政的原価より小さくなるはずである。

<払戻金の実例
For example, if the money cost of a good is $100, and the ratio of consumption to production is 3/4, then the real cost of the good is $100(3/4)=$75. As a result, if a consumer spent $100 for a good, the National Credit Authority would rebate the consumer $25. The good costs the consumer $75, the retailer receives $100, and the consumer receives the difference of $25 via new credits created by the National Credit Authority.
例えば、ある商品の財政上の原価が100ドルで、消費の生産に対する割合が3/4とすると、実際の商品原価は100ドル×(3/4)=75ドルとなる。結果、消費者が100ドルを支払ったときは、国家信用機関が消費者に25ドルを払い戻す。消費者価格は75ドル、小売業者の受領額は100ドルなので、消費者は差額の25ドルを、国家信用機関によって新しく創造された信用として受け取るのである。

<国民配当金の正当性
The National Dividend is justified by the displacement of labour in the productive process due to technological increases in productivity. As human labour is increasingly replaced by machines in the productive process, Douglas believed people should be free to consume while enjoying increasing amounts of leisure, and that the Dividend would provide this 
freedom.
国民配当金は、人間の労働からの排除が、技術発展による生産性の向上に起因することから正当化される。生産過程において人間の手による労働が増々機械と置き換わっていくに伴い、人々は増加した余暇を楽しみながら自由に消費すべきであり、このような経済的自由は国民配当金によって与えられるとダグラスは考えた。


A+B理論への批判とそれに対する反論

<一般的な批判
Critics of the theorem, such as J.M. Pullen, Hawtrey and J.M Keynes argue there is no difference between A and B payments. Other critics, such as Gary North, argue that Social Credit policies are inflationary. "The A + B theorem has met with almost universal rejection from academic economists on the grounds that, although B payments may be made initially to “other organizations,” they will not necessarily be lost to the flow of available purchasing power. A and B payments overlap through time. Even if the B payments are received and spent before the finished product is available for purchase, current purchasing power will be boosted by B payments received in the current production of goods that will be available for purchase in the future."[24]
J.M.ピューレン、ホートレイ、J.M ケインズのようなA+B定理の批判者は、支払Aと支払Bの間に違いはないと論じた。ゲイリー・ノースをはじめとする他の批判者は、社会信用政策はインフレーションを誘発するものだと論じた。「はじめに『他の組織』へ支払ったからといって、Bが必ずしも有効購買力のフローから消え去るわけではないという理由で、A+B定理は、ほとんど全ての大学の経済学者から相手にされなかった。支払Aと支払Bは、時間の経過とともに重複していく。例え支払Bが、最終生産物の購入前に受領され支払われたとしても、将来購入されるべき商品の現在の生産過程によって受領された支払Bによって、現在の購買力は増大するはずだ。」[24]

<ジョゼフの反批判
A.W. Joseph replied to this specific criticism in a paper given to the Birmingham Actuarial Society, "Banking and Industry":
A.W. ジョゼフは、バーミンガム保険数理学会に寄稿した論文「銀行業と工業」の中で、上記の典型的な批判に対してこう答えている。
"Let A1+B1 be the costs in a period to time of articles produced by factories making consumable goods divided up into A1 costs which refer to money paid to individuals by means of salaries, wages, dividends, etc., and B1 costs which refer to money paid to other institutions. Let A2, B2 be the corresponding costs of factories producing capital equipment. The money distributed to individuals is A1+A2 and the cost of the final consumable goods is A1+B1. If money in the hands of the public is to be equal to the costs of consumable articles produced then A1+A2 = A1+B1 and therefore A2=B1. Now modern science has brought us to the stage where machines are more and more taking the place of human labour in producing goods, i.e. A1 is becoming less important relatively to B1 and A2 less important relatively to B2.
「A1+B1 を一定期間に消費材工場において製品の生産に要する費用、うちA1を給与・賃金・配当金の形で個人に支払われた費用、B1を他の組織に支払った費用とする。A2とB2は、資本設備を生産する工場の対それぞれ応する費用とする。個人に支払われた貨幣はA1+A2であり、最終消費材の生産費用はA1+B1となる。もし人々の手にある貨幣が消費材の生産費用と同額になるなら A1+A2 = A1+B1となり、ゆえに A2=B1である。今私たちの社会は、現代科学によって、生産過程での人の手による仕事が増々機械に入れ替わっていく段階にある。従って、A1はB1と比べ、またA2はB2と比べ、その価は小さくなりつつある。

In symbols if B1/A1 = k1 and B2/A2 = k2 both k1 and k2 are increasing.
B1/A1 = k1 及び B2/A2 = k2 とすると、k1、k2 とも増加する。

Since A2=B1 this means that (A2+B2)/(A1+B1)= (1+k2)*A2/(1+1/k1)*B1 = (1+k2)/(1+1/k1) which is increasing.
A2=B1 であるから、(A2+B2)/(A1+B1)= (1+k2)*A2/(1+1/k1)*B1 = (1+k2)/(1+1/k1) となり、[訳註:資本財の消費材に対する生産費用の割合は]増加する。

Thus in order that the economic system should keep working it is essential that capital goods should be produced in ever increasing quantity relatively to consumable goods. As soon as the ratio of capital goods to consumable goods slackens, costs exceed money distributed, i.e. the consumer is unable to purchase the consumable goods coming on the market."
故に、経済システムが稼働し続けるには、消費材の生産量と比べて常に資本財の生産量が増大し続けることが不可欠となる。資本財の消費材に対する費用の割合が減少すれば、直ちに、生産費用が人々に分配された貨幣量を上回ることとなり、消費者は市場にある消費財を購入できなくなる。」

<ホブソン博士への返答
And in a reply to Dr. Hobson, Douglas restated his central thesis: "To reiterate categorically, the theorem criticised by Mr. Hobson: the wages, salaries and dividends distributed during a given period do not, and cannot, buy the production of that period; that production can only be bought, i.e., distributed, under present conditions by a draft, and an increasing draft, on the purchasing power distributed in respect of future production, and this latter is mainly and increasingly derived from financial credit created by the banks." [25]
更に、ホブソン博士への返答においてダグラスは、自説の核心となるテーゼについて再び述べている。「ホブソン博士が批判されている理論について、繰り返し断言します。ある期間内に分配された賃金・給与・配当金によって、当該期間の生産物が購入されることはないし、購入することも出来ません。生産物は、現在の条件下では手形によってのみ購入即ち分配が可能です。将来の生産を見越して分配される購買力を担保にした手形の流通が増加すれば、この増加した手形は主に、更に増々銀行の信用創造から得られることになるのです。」[25]

<セイの法則の否定
Incomes are paid to workers during a multi-stage program of production. According to the convention of accepted orthodox rules of accountancy, those incomes are part of the financial cost and price of the final product. For the product to be purchased with incomes earned in respect of its manufacture, all of these incomes would have to be saved until the product’s completion. Douglas argued that incomes are typically spent on past production to meet the present needs of living, and will not be available to purchase goods completed in the future—goods which must include the sum of incomes paid out during their period of manufacture in their price. Consequently, this does not liquidate the financial cost of production inasmuch as it merely passes charges of one accountancy period on as mounting charges against future periods. In other words, according to Douglas, supply does not create enough demand to liquidate all the costs of production. Douglas denied the validity of Say's Law in economics.
収入は、生産プログラムの複数の段階で労働者に支払われる。通常認められている会計上の慣習によると、これらの収入は財政上の費用や最終生産物価格の一部とされる。得られた収入によって生産物が購入されるためには、生産過程が終るまで、これらの収入は全て貯蓄されていなければならない。ダグラスは、概して収入は、過去の生産物に対し、現在の生活の必要のために使用されるものであり、将来完成するであろう商品に対しては使用できず、その商品には、その製造期間に支払われた収入の合計額を算入しなければならないと論じた。従って、単に次の会計期間へ負担を先送りするだけであり、財政上の生産費用が収入によって清算されることはない。言い換えると、ダグラスによると、供給が生産費用を全て清算するだけ十分な需要を生み出すことはないのであり、経済学上のセイの法則の有効性は否定される。

<ケインズの論評
While John Maynard Keynes referred to Douglas as a “private, perhaps, but not a major in the brave army of heretics,[26] he did state that Douglas “is entitled to claim, as against some of his orthodox adversaries, that he at least has not been wholly oblivious of the outstanding problem of our economic system.” [26] While Keynes said that Douglas’s A+B theorem “includes much mere mystification”, he reaches a similar conclusion to Douglas when he states:
ジョン・メイナード・ケインズはダグラスについて「勇敢な異教徒の軍の大佐というより、恐らくは一兵卒だ」[26] と評し、ダグラスには「月並みな反論に対しては、少なくとも経済システムにおける未解決問題を完全に忘れている訳ではないと言い返す資格はある」[26] とも述べた。ケインズはダグラスのA+B定理を「単なるごまかしを多く含む」と言う一方で、次のように述べ、ダグラスと同様の結論に達している。

“Thus the problem of providing that new capital-investment shall always outrun capital-disinvestment sufficiently to fill the gap between net income and consumption, presents a problem which is increasingly difficult as capital increases. New capital-investment can only take place in excess of current capital-disinvestment if future expenditure on consumption is expected to increase. Each time we secure to-day’s equilibrium by increased investment we are aggravating the difficulty of securing equilibrium to-morrow.”
「故に、正味の収入と消費の間のギャップを埋めるため、新たな資本投資が常に負の資本投資を十分に上回らなければならないという供給における問題は、資本の増加に伴って増々困難になっていくという問題を提示している。将来の消費支出の増大が見込まれ、現在の負の資本投資を上回る場合にのみ新たな資本投資は可能である。投資拡大によって今日の財政均衡を保障するときは毎回、明日の財政均衡を保障することが更に困難になるのである。」[26] 

<貨幣数量説の否定
The criticism that Social Credit policies are inflationary is based upon what economists call the quantity theory of money, which states that the quantity of money multiplied by its velocity of circulation equals total purchasing power. Douglas was quite critical of this theory stating, "The velocity of the circulation of money in the ordinary sense of the phrase, is – if I may put it that way – a complete myth. No additional purchasing power at all is created by the velocity of the circulation of money. The rate of transfer from hand-to-hand, as you might say, of goods is increased, of course, by the rate of spending, but no more costs can be canceled by one unit of purchasing power than one unit of cost. Every time a unit of purchasing power passes through the costing system it creates a cost, and when it comes back again to the same costing system by the buying and transfer of the unit of production to the consuming system it may be cancelled, but that process is quite irrespective of what is called the velocity of money, so the categorical answer is that I do not take any account of the velocity of money in that sense."[27] The Alberta Social Credit government published in a committee report what was perceived as an error in regards to this theory: “The fallacy in the theory lies in the incorrect assumption that money 'circulates', whereas it is issued against production, and withdrawn as purchasing power as the goods are bought for consumption."[28]
社会信用論がインフレーションを誘発するという批判は、経済学者が貨幣数量説と呼ぶ理論に基づいている。貨幣数量説とは、流通速度を貨幣量に乗じたが購買力の総額になるというものである。ダグラスはこの理論に対して非常に批判的であり、「通常の意味での貨幣の流通速度というのは — もしそう言ってもいいならば — 完全な神話である。貨幣の流通速度が購買力の増加分を生み出すことは全くない。勿論、人の手から手へ商品が移動する速度が貨幣の使用速度の増加によって大きくなるのは仰る通りだが、購買力一単位が一単位以上の費用と釣り合うことはない。購買力一単位が原価計算システムを通過する度に費用が発生し、それは購入及び生産物一単位の消費システムへの移動によって元の原価計算システムに戻って来たときに相殺されるが、その過程は貨幣流通速度と言われるものには全く関係ないので、そういう意味での貨幣流通速度というものは考慮に値しないと私は断定する。」[27] アルバータ州社会信用党政府は、委員会白書の中で、貨幣数量説に関して誤りと思われる箇所について述べている。「この理論の誤りは、貨幣が「流通する」という不適切な仮定にある。実際には、貨幣は生産に対して発行され、消費のために商品が購入される際の購買力として引き出されるのである。」[28]

<他の批判及び反論(負債の蓄積への言及)
Other critics argue that if the gap between income and prices exists as Douglas claimed, the economy would have collapsed in short order. They also argue that there are periods of time in which purchasing power is in excess of the price of consumer goods for sale.
他の批判者は、ダグラスの言うように収入と価格の間にギャップがあるならば、経済は即座に破綻するはずだと論じている。また、購買力が消費財の販売価格を上回る期間も存在するはずだとも論じている。

Douglas replied to these criticisms in his testimony before the Alberta Agricultural Committee:
ダグラスはこれらの批判に対して、アルバータ農業委員会の開会前の宣誓時にこう答えている。

"What people who say that forget is that we were piling up debt at that time at the rate of ten millions sterling a day and if it can be shown, and it can be shown, that we are increasing debt continuously by normal operation of the banking system and the financial system at the present time, then that is proof that we are not distributing purchasing power sufficient to buy the goods for sale at that time; otherwise we should not be increasing debt, and that is the situation."[21]
「反対論者は、一日一千万ポンドという速度でその際に負債が蓄積されていることを忘れている。そして現在も、通常の銀行システムや財政システムの活動によって常に負債が増加し続けていることが示されるなら、それが誰も商品購入に十分な購買力形成を妨害しているわけではないという証拠であることを示すことができるのである。さもなければ負債が増える訳はない。これが実情なのだ。」[21]



政治理論

<ダグラスの政治観—有責投票
C.H. Douglas defined democracy as the “will of the people”, not rule by the majority,[29] suggesting that Social Credit could be implemented by any political party supported by effective public demand. Once implemented to achieve a realistic integration of means and ends, party politics would cease to exist. Traditional ballot box democracy is incompatible with Social Credit, which assumes the right of individuals to choose freely one thing at a time, and to contract out of unsatisfactory associations. Douglas advocated what he called the “responsible vote”, where anonymity in the voting process would no longer exist. "The individual voter must be made individually responsible, not collectively taxable, for his vote."[30] Douglas believed that party politics should be replaced by a "union of electors" in which the only role of an elected official would be to implement the popular will.[31] Douglas believed that the implemenation of such a system was necessary as otherwise the government would be the tool of international financiers. Douglas also opposed the secret ballot arguing that it led to electoral irresponsibility, calling it a "Jewish" technique used to ensure Barabbas was freed leaving Christ to be crucified.[31]
C.H.ダグラスは、民主主義を、多数による支配ではなく、「人民の意思」として定義した。[29] これは、十分に有効な数の民衆の求めによって支えられる政党であればどれであっても、社会信用政策を実施することができることを示唆している。一旦、現実路線として手段と目的を一つにしてしまったら、政党政治の存在意義はなくなる。従来の投票箱による民主主義は社会信用論と両立しない。あるものを自由に一度に選べ、不愉快な人間関係から離脱する権利が個人にあると仮定しているからである。ダグラスは、投票行動における匿名性をなくした「有責投票」を提唱した。「一人一人の有権者は、一斉に投票義務を課されるのではなく、それぞれの責任で投票しなければならない。」[30] ダグラスは、政党政治は「有権者連合」による政治に取って代わるべきだと考えていた。そこで選ばれた人は、人々の意思を実施に移す役割のみを果たす。[31] ダグラスは、政府が国際金融家の手先とならないためには、このようなシステムにすることが必要だと考えていた。ダグラスは、無責任な投票行動に繋がるという理由で秘密投票に反対していた。それをダグラスは、 キリストが十字架に磔にされる一方でバラバの釈放を確実にする際に用いられた「ユダヤ的」手法であると呼んだ。[31]

<三位一体説の政治への適用
Douglas considered the constitution an organism, not an organization.[30] In this view, establishing the supremacy of common law is essential to ensure protection of individual rights from an all-powerful parliament. Douglas also believed the effectiveness of British government is structurally determined by application of a Christian concept known as Trinitarianism: "In some form or other, sovereignty in the British Isles for the last two thousand years has been Trinitarian. Whether we look on this Trinitarianism under the names of King, Lords and Commons or as Policy, Sanctions and Administration, the Trinity-in-Unity has existed, and our national success has been greatest when the balance (never perfect) has been approached."[30]
ダグラスは、国家政体は有機体であり、単なる組織ではないと考えていた。[30] 彼の見解によると、あらゆる権力を持つ議会から 個人の権利を守るためには、コモン・ローの至高性を確立することが重要となる。ダグラスはまた、イギリス政府の有効性は、三位一体説として知られるキリスト教徒の教義を適用することによって、構造的に決定されると考えていた。「様々な形式をとりつつも、直近二千年間のブリテン諸島の君主は三位一体主義者のもとにあった。この三位一体を、王・貴族・庶民の名のもとに、あるいは政策・制裁・統治として見出すかどうかは別として、三位一体の状態が存在し、それらの間に均衡が得られていたとき、我らが英国は偉大な成功を収めていたのである。」[30]

<政党政治の否定
Opposing the formation of Social Credit parties, C.H. Douglas believed a group of elected amateurs should never direct a group of competent experts in technical matters.[32] While experts are ultimately responsible for achieving results, the goal of politicians should be to pressure those experts to deliver policy results desired by the populace. According to Douglas, "the proper function of Parliament is to force all activities of a public nature to be carried on so that the individuals who comprise the public may derive the maximum benefit from them. Once the idea is grasped, the criminal absurdity of the party system becomes evident."[33]
ダグラスは、社会信用政党の成立には反対しつつも、技術的事項に関しては、選ばれたアマチュアが優秀な専門家集団を管理すべきでないと考えていた。[32] 最終的な結果責任は専門家にあるものの、政治家にも、人々の望む政治的成果を実現するようこれらの専門家に圧力をかける義務がある。ダグラスによれば、「議会の固有の機能は、あらゆる公的な性質を有する活動を、大衆を構成する個人が最大限の利益を得られるように継続するよう強制することである。一旦この考え方が理解されれば、政党制の犯罪的なまでの不合理性が明白になるであろう。」[33]


社会信用論の歴史

<雑誌での普及
C.H. Douglas was a civil engineer who pursued his higher education at Cambridge University. His early writings appeared most notably in the British intellectual journal The New Age. The editor of that publication, Alfred Orage, devoted The New Age and later The New English Weekly to the promulgation of Douglas's ideas until his death on the eve of his BBC speech on Social Credit, November 5, 1934, in the Poverty in Plenty Series.
C.H.ダグラスは、土木技術者であり、ケンブリッジ大学で高等教育を修めた。彼の初期の著述は、最も著名な英国の知識層向け雑誌である「ニュー・エイジ[en]」に見受けられる。その雑誌の編集者であるAlfred Orageは、1934年11月5日、BBCの番組「豊かさの中の貧困」の中で社会信用論に関して話す予定の前日の夜に死去するまで、雑誌「ニュー・エイジ」、後に雑誌「週刊ニュー・イングリッシュ」で、 ダグラスのアイデアの普及に専心した。 

<著書及び委員会での諮問
Douglas’s first book, Economic Democracy, was published in 1920, shortly after his article The Delusion of Super-Production[23] appeared in 1918 in the English Review. Among Douglas’s other early works were The Control and Distribution of Production,Credit-Power and Democracy, Warning Democracy and The Monopoly of Credit. Of considerable interest is the evidence he presented to the Canadian House of Commons Select Committee on Banking and Commerce[34] in 1923, to the British ParliamentaryMacmillan Committee on Finance and Industry in 1930, which included exchanges with economist John Maynard Keynes, and to the Agricultural Committee of the Alberta Legislature in 1934 during the term of the United Farmers of Alberta Government in thatCanadian province.
ダグラスの最初の本「経済民主主義」は、彼の「超生産という妄想[23] 」がイングリッシュ・レビュー誌に掲載された直後の1920年に出版された。ダグラスの他の初期の著作には「生産の制御と分配」、「信用力と民主主義」、「民主主義と信用独占への警告」がある。 彼の興味の範囲が多岐に渡っていた証拠に、カナダ庶民院の銀行商業特別委員会(1923年)[34] 、経済学者ジョン・メイナード・ケインズとの意見交換を含む英国議会マクミラン委員会(財政・工業)(1930年)、アルバータ農民連合政権時代のアルバータ州立法議会農業委員会(1934年)への出席がある。

<運動への関与と晩年
The writings of C.H. Douglas spawned a worldwide movement, most prominent in the British Commonwealth, with beachheads in Europe and activities in the United States where Orage, during his sojourn there, promoted Douglas’s ideas. In the United States, the New Democracy group was headed by the American author Gorham Munson who contributed a major book on Social Credit titled Aladdin’s Lamp: The Wealth of the American People. While Canada and New Zealand had electoral successes with “Social Credit” political parties, the movement in England and Australia was primarily devoted to pressuring existing parties to implement Social Credit. This function was performed especially by Douglas’s Social Credit Secretariat in England and the Commonwealth Leagues of Rights in Australia. Douglas continued writing and contributing to the Secretariat’s journals, initially Social Credit and shortly thereafter The Social Crediter (which continues to be published by the Secretariat) for the remainder of his lifetime, concentrating more on political and philosophical issues in his later years.
C.H.ダグラスの著作は世界中に社会運動を引き起こした。英連邦内の運動が最も激しく、ヨーロッパを足掛かりとして、米国での活動が活発化した。米国滞在中はOrageがダグラスのアイデアを広めた。米国では、新民主主義グループが、社会信用論に関する有名な書籍である「アラジンのランプ:アメリカ人の富」に寄稿した米国の作家Gorham Munsonに率いられて活動していた。カナダとニュージーランドでは「社会信用論」政党が選挙で成功を納めていたが、イングランドとオーストラリアの運動では、社会信用政策を実施するよう既存政党に圧力を加えることに専念していた。この機能を果たしたのは特に、英国ダグラスの社会信用論事務局とオーストラリアにあった 英連邦右翼連合であった。ダグラスは著作活動を続け、はじめは「Social Credit」、間もなく「The Social Crediter」という名称に変わった事務局の雑誌(現在も事務局によって発行が続けられている)に、自分の人生の残りの時間を費やして寄稿した。晩年は、更に政治的、哲学的なテーマに集中していった。

政治上の歴史

<労働党による拒絶
In early years of the movement, Labour Party leadership resisted pressure from Trade unionists to implement Social Credit, as hierarchical views of Fabian socialismeconomic growth and full employment, were incompatible with the National Dividend and abolishment of wage slavery suggested by Douglas. In an effort to discredit the Social Credit movement, one leading Fabian, Sidney Webb, is said to have declared that he didn’t care whether Douglas was technically correct or not – they simply did not like his policy.[35]
運動の初期、労働党指導部は、社会信用制度を実施せよという労働組合からの圧力に抵抗していた。フェビアン社会主義者経済成長完全雇用という階級闘争的な見解が、国民配当金と賃金奴隷[en]廃絶というダグラスの提案と相容れなかったからである。社会信用論運動への信頼を貶めようとする中で、フェビアン社会主義の指導者の一人であるシドニー・ウェブは、ダグラスの論が専門的な観点から正しいか正しくないかは問題ではないと公言したと言われている。彼らは、ただ単にダグラスの政策が気に食わなかっただけなのである。[35]

<カナダの社会信用党(アバーハート)
In 1935 the first “Social Credit” government was elected in AlbertaCanada under the leadership of William Aberhart. A book by Maurice Colbourne entitled The Meaning of Social Credit convinced Aberhart that the theories of C.H. Douglas were essential for Alberta's recovery from the Great Depression. Aberhart added a heavy dose of fundamentalist Christianity to Douglas' theories; the Canadian social credit movement, which was largely nurtured in Alberta, thus acquired a strong social conservative tint that it retains to this day.
1935年、最初の「社会信用党[en]」政権が、ウィリアム・アバーハート[en]の主導のもと、カナダアルバータ州で選出された。モーリス・コルボーンの著書「社会信用論の意味」を読み、アバーハートは、C.H.ダグラスの理論がアルバータ州を世界恐慌から立ち直らせるのに必要であると確信した。アバーハートは、ダグラスの理論にキリスト教根本主義的な考え方を大幅に加えた。アルバータ州で大きく成長したカナダの社会信用運動[en]は、ゆえに、社会保守主義的な色合いを強く帯びるようになり、それが今日まで続いている。

<アバーハートとの訣別
Having counselled the previous United Farmers of Alberta provincial government, Douglas became an advisor to Aberhart, but withdrew shortly after due to strategic differences. Aberhart sought orthodox counsel with respect to the Province's finances, and the strained correspondence between them was published by Douglas in his book, The Alberta Experiment.[36]
前の州政府の政権党であるアルバータ農民連合[en]の相談役をしていたダグラスは、アバーハートの顧問となったが、戦略上の考え方の相違から、まもなく辞任した。アバーハートは州の財政に関する通常の助言を求めたのである。両者の緊迫したやりとりの内容は、ダグラスの著書「アルバータ州の実験」として出版された。[36]

<均衡予算への疑義
While the Premier wanted to balance the provincial budget, Douglas argued the whole concept of a "balanced budget" was inconsistent with Social Credit principles. Douglas stated that, under existing rules of financial cost accountancy, balancing all budgets within an economy simultaneously is an arithmetic impossibility.[37] In a letter to Aberhart, Douglas stated:[37]
アルバータ州の首相[en]は、州の予算を均衡させたかったが、ダグラスは、均衡予算[en]の概念全体が社会信用論の原則と矛盾すると論じた。ダグラスは、現状の費用算出方式のもとでは、一定の経済の中で全ての予算を同時に均衡させることは計算上不可能[37]と述べた。アバーハートへの書簡の中で、ダグラスはこう述べている。[37]

"This seems to be a suitable occasion on which to emphasise the proposition that a Balanced Budget is quite inconsistent with the use of Social Credit (i.e., Real Credit – the ability to deliver goods and services 'as, when and where required') in the modern world, and is simply a statement in accounting figures that the progress of the country is stationary, i.e., that it consumes exactly what it produces, including
capital assets. The result of the acceptance of this proposition is that all capital appreciationbecomes quite automatically the property of those who create and issue of money [i.e., the banking system] and the necessary unbalancing of the Budget is covered by Debts."
「これは絶好の機会だと思い、均衡予算が現代社会においては社会信用論(本当の信用 — 必要な時、必要な場所へ商品やサービスを届けられる能力)と極めて矛盾していること、均衡予算が国家の進歩が停滞していること、つまり、消費額と固定資産を含む生産額が全く同じであることを、会計上の数字で表しただけのものであることを強調しました。この均衡予算という提案を受け入れることは、全ての資本増価[en]分が完全に自動的に貨幣を創造し発行している者[訳註:銀行システムのこと]の資産となり、その必然として生じる予算の不均衡が負債によって賄われるという結果になるのです。」

<法制化の挫折・減価貨幣の失敗・ゲゼル批判
Douglas sent two other expert Social Credit technical advisors from the United Kingdom, L. Denis Byrne and George F. Powell. But all attempts to pass Social Credit legislation were ruled ultra vires by the Supreme Court of Canada and Privy Council in London. Based on the monetary theories of Silvio Gesell, William Aberhart issued a currency substitute known as prosperity certificates. But these scrips actually depreciated in value the longer they were held,[38] and Douglas openly criticized the idea:
ダグラスは、社会信用論の技術顧問として、L・デニス・バーンとジョージ・F・パウエルの二人を英国から送り込んだ。しかし、社会信用論の法制化の試みは全て、カナダ最高裁判所[en]ロンドン枢密院によって権限外[en]であると裁定された。 シルビオ・ゲゼルの貨幣理論に基づき、ウィリアム・アバーハートは繁栄証明書[en]として知られる貨幣代替物を発行した。しかし、これらの金券は、実際には長く所有すればするほど価値が減るものであったので、[38] ダグラスはこのアイデアを公に批判した。
"Gesell's theory was that the trouble with the world was that people saved money so that what you had to do was to make them spend it faster. Disappearing money is the heaviest form of continuous taxation ever devised. The theory behind this idea of Gesell's was that what is required is to stimulate trade—that you have to get people frantically buying goods—a perfectly sound idea so long as the objective of life is merely trading."
[39]
「ゲゼルの理論は、世界で起こっている問題の原因は人々がお金を貯蓄することであり、やるべきことは、お金をより早く使わせることだというものである。消えて行くお金は、これまで考案された中で最も重い継続的な課税方法である。このゲゼルのアイデアの背後にあるのは、必要なのは商業活動を刺激することだという理論だ。つまり、人々に熱狂的に買物をさせろということであり、確かに、それは全く正しい考え方である —ただし、人生の目的が商業活動だけであるとすればの話だが。」[39]

<社会信用党の変質
Under Ernest Manning, who succeeded Aberhart after his untimely death, the Alberta Social Credit Party gradually departed from its origins and became popularly identified as a right wing populist movement. In the Secretariat’s journal, An Act for the Better Management of the Credit of Alberta,[40] Douglas published a critical analysis of the Social Credit movement in Alberta,[41][42] in which he said, "The Manning administration is no more a Social Credit administration than the British government is Labour". Manning accused Douglas and his followers of anti-Semitism, and went about purging all of the so called "Douglasites" from the Party. The British Columbia Social Credit Party won power in 1952 in the province to Alberta's west, but had little in common with Douglas or his theories.
アバーハートが若くして死んだ後を受け継いだアーネスト・マニング[en]のもと、アルバータ社会信用党[en]は徐々に当初の形から離れ、一般に右翼ポピュリズムとして知られる運動を行うようになった。事務局の雑誌である「An Act for the Better Management of the Credit of Alberta」で[40]ダグラスは、アルバータ州の社会信用運動を批判的に分析したものを掲載した。[41][42]彼はそこで、「マニングの運営方法は、もはや社会信用論のものではない。英国政府は労働党が運営しているのだと言うに等しい。」 マニングはダグラスとその支持者を反ユダヤ主義者と非難し、いわゆる「ドーグラサイト[訳註:Douglasと鉱物の一種douglasiteをかけた名前?ダグラス支持者のことと思われる。http://www.merriam-webster.com/dictionary/douglasite]」を全て党内から次々と追放した。アルバータ州の西にある州では、ブリティッシュ・コロンビア州社会信用[en]は1952年に政権を取ったが、ダグラスやその理論との共通点はほとんどない。

<社会信用党の現状
Social Credit Parties also enjoyed some national electoral success in Canada. The Social Credit Party of Canada was founded with support from Western Canada, and eventually built another base of support in Quebec. Social Credit also did well at the national level in New Zealand, where it was the country's third party for almost 30 years.
社会信用党もまた、カナダの国政選挙で成功を収めた。カナダ社会信用党[en]はカナダ西部の支援のもと設立され、やがて、ケベック州にも別の拠点を構えた。ニュージーランド[en]では社会信用党は国レベルで成功しており、およそ30年に渡り、国会の第三勢力となっている。

社会信用論の哲学

<実用的キリスト教>
Douglas described Social Credit as "the policy of a philosophy", and warned against viewing it solely as a scheme for monetary reform.[43] He coined this philosophy "practical Christianity" – the central issue of which is the Incarnation. Douglas believed there was a Canon which ran through the universe, and Jesus Christ was the Incarnation of this Canon. However, he also believed Christianity remained ineffective so long as it remained transcendental. Religion, which derives from the Latin word religare (to “bind back”), was intended to be a binding back to reality.[44] Social Credit is concerned with the incarnation of Christian principles in our organic affairs. Specifically, it is concerned with the principles of association and how to maximize the increments of association which redound to satisfaction of the individual in society – while minimizing any decrements of association.[45] The goal of Social Credit is to maximize immanent sovereignty. Social Credit is consonant with the Christian doctrine of Salvation through unearned grace, and is therefore incompatible with any variant of the doctrine of salvation through works. Works need not be of Purity in intent or of desirable consequence and in themselves alone are as "filthy rags". For instance, the present system makes destructive, obscenely wasteful wars a virtual certainty—which provides lots of "work" for everyone. Social Credit has been called the Third Alternative to the futile Left-Right Duality.[46]
ダグラスは、社会信用論を「哲学の政策」と記し、それを単なる貨幣制度改革とみなすことに対して注意を促した。[43] 彼は、この哲学を「実用的キリスト教」と命名した。その中心課題は受肉である。ダグラスは全宇宙で通用する聖書正典の存在と、イエス・キリストは、この聖書正典の受肉[訳註:人の姿]であったと信じていた。しかし、 超自然主義のままでいる限り、キリスト教は無力なままであるとも考えていた。ラテン語の「religare(「後ろで束ねる」)」に由来する「Religion(宗教)」という言葉は、現実に対して後ろ手に縛られたままにするという意図が含まれている。[44] 社会信用論は、私たちの根本的な物事において、受肉というキリスト教原理に関わっている。特に、共同体の原理や、共同体の不利益を最小限にとどめる一方で、社会での個人の満足に還元される共同体の利益を最大にする方法に関わっている。[45] 社会信用論の目的は、人に内在する主権を最大化することである。社会信用論は、生まれながらの恩寵よる救済というキリスト教の教義と一致しており、それゆえ、仕事による救済という考え方とは、いかなる形であっても両立しない。仕事は必ずしもその意思において純粋でもなく望んだ結果でもない。それ自体が「汚れた衣」のようなものである。例えば、現在のシステムは、破壊的かつ不愉快で浪費的な戦争を、事実上必然的なものにしている。なぜなら、戦争は、全ての人に「仕事」を与えるのだから。社会信用論は、無益な政治的左右二元論に代わる三番目の選択肢であると言われている。[46]
note: キリスト教の「受肉」の本質は、神が人間に大事な事を伝えるためにわざわざ肉体を得たことから、「ためになることを伝える」ところにあるようだ。「共同体の利益を最大にする方法」は、キリストが人間に伝えようとした知恵?の類と同一視されるというのがこの文章の可能な解釈の一つである。キリスト教に詳しい方であれば、他の正しい解釈も可能かも知れない。
note: 「われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである」(イザヤ64:6口語) http://www.clife.info/sda-osaka/08/080519.html どのような正しい行いでも、「死んだ心をもって何をしても、結果は絶望的」なのである、という意味のようだ。望んでやらない仕事は絶望的ということか

<神権政治の否定と新しい文明>
Although Douglas defined Social Credit as a philosophy with Christian roots, he did not envision a Christian theocracy. Douglas did not believe that religion should be thrust upon anyone through force of law or external compulsion. Practical Christian society is Trinitarian in structure, based upon a constitution where the constitution is an organism changing in relation to our knowledge of the nature of the universe.[30] "The progress of human society is best measured by the extent of its creative ability. Imbued with a number of natural gifts, notably reason, memory, understanding and free will, man has learned gradually to master the secrets of nature, and to build for himself a world wherein lie the potentialities of peace, security, liberty and abundance."[47] Douglas said that Social Crediters want to build a new civilization based upon absolute economic security for the individual—where “...they shall sit every man under his vine and under his fig tree; and none shall make them afraid.”[48][49] In keeping with this goal, Douglas was opposed to all forms of taxation on real property. This set Social Credit at variance from the land-taxing recommendations of Henry George.[50]
ダグラスは、社会信用論をキリスト教に基礎を置く哲学であると定義したが、神権政治を思い描くことはなかった。ダグラスは、宗教は法律や外部的な強制力によって押し付けられるべきではないと考えていた。実用的なキリスト教の教派の構造は三位一体的で、万物の性質についての知識との関係によって組織を変化させる仕組みに基づいている。[30] 「人間社会の進歩の程度を最もよく表しているのは、その創造的活動能力の度合いである。理性、記憶、理解力、自由意思といった自然からの贈り物が行き渡ったことによって、人間は自然の秘密を解き明かし、平和・安全・自由・豊かさを実現する可能性のある世界を作る方法を徐々に学んできた。」[47] ダグラスは、社会信用論者は、個人の絶対的な経済的保障に立脚する、新しい文明を作りたいのであると述べた。そこでは、「...彼らは、全ての人をブドウの樹とイチジクの樹[en]の下に座らせるだろう。そして、誰も彼らを恐れさせないだろう。」[48][49] この目標を守り続けるため、ダグラスは現実の財産への課税はどんな形のものも全て反対した。この点が、社会信用論が、ヘンリー・ジョージが地価税を推奨したことと相違するところである。[50]
note: 新約聖書マルコ福音書に、3年前にブドウ園の中に植えたイチジクの樹が見つからないとキリストが怒って全て切り倒せと言った逸話がある。http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_061.htm イチジクの樹はイスラエルの象徴で、この逸話自体が裁きの象徴らしい。が、良く分からない。

<自由の尊重と全体主義の否定>
Social Credit society recognizes the fact that the relationship between man and God is unique.[51] In this view, it is essential to allow man the greatest possible freedom in order to pursue this relationship. Douglas defined freedom as the ability to choose and refuse one thing at a time, and to contract out of unsatisfactory associations. If people are given the economic security and leisure achievable in the context of a Social Credit dispensation, Douglas believed most would end their service to mammon and use their free time pursuing spiritual, intellectual, or cultural goals leading to self-development.[52] Douglas opposed what he termed "the pyramid of power". Totalitarianism reflects this pyramid and is the antithesis of Social Credit. It turns the government into an end instead of a means, and the individual into a means instead of an end — Demon est deus inversus — “the devil is God upside down.” Social Credit is designed to give the individual the maximum freedom allowable given the need for association in economic, political and social matters.[53] Social Credit elevates the importance of the individual and holds that all institutions exist to serve the individual – that the State exists to serve its citizens, not that individuals exist to serve the State.[54]
社会信用論的な社会では、神と人間との間の関係は唯一のものであるという事実が認識されている。[51] この観点から、この神との関係を追求するため、人に可能な限り最大の自由を許すことが重要となる。ダグラスは、自由を、一つのものを一度に選択又は拒否できること、また、望ましくない人間関係から離脱できることであると定義した。もし人々が、社会信用論に基づく分配の上で達成される経済的保障と余暇を与えられたら、ほとんどの人はマンモン [訳註:強欲の神] へ仕えることを止め、自己研鑽を達成するための精神的、知的、文化的目的を追求するために自由な時間を使うであろうと、ダグラスは考えた。[52] ダグラスは、自身が「力のピラミッド」と呼ぶものに反対した。全体主義はこのピラミッドを反映したものであり、社会信用論のアンチテーゼである。それは、政府を手段から目的に、個人を目的から手段に変える — Demon est deus inversus —「悪魔は逆さまになった神である」。社会信用論は、経済的・政治的・社会的な社会の要請の範囲で許される限り最大限の自由を個人に与えるよう設計されている。[53] 社会信用論は、個人の重要性を高め、あらゆる機関が個人に奉仕する状態、つまり、 国家が市民に奉仕するために存在し、個人が国家に奉仕するために存在するのではない状態を維持するものである。[54]
note: 「一つのものを一度に選択又は拒否できること、また、望ましくない人間関係から離脱できること」原文には「ability 能力」 とあるが、この場合は属性というより状況能力なので「〜できること」が適切か。abilityは能力一般のことみたいなので可能か。しかし、この翻訳内容では前後の文脈と余り関係ないのであるが…
<唯物論の否定>
Douglas emphasized that all policy derives from its respective philosophy and that “... Society is primarily metaphysical, and must have regard to the organic relationships of its prototype.”[55] Social Credit rejects dialectical materialistic philosophy.[55] "The tendency to argue from the particular to the general is a special case of the sequence from materialism to collectivism. If the universe is reduced to molecules, ultimately we can dispense with a catalogue and a dictionary; all things are the same thing, and all words are just sounds — molecules in motion."[56]
ダグラスは、全ての政策はそれぞれの哲学から導き出されたものであると強調し、「... 社会は第一義的には形而上学的であり、必ずその原型と有機的な結合関係にある」[55] 社会信用論は唯物弁証法の哲学を否定する。[55] 「特殊例から一般論を議論する傾向は、唯物主義から集産主義までの一連の思想に特有のものである。もし宇宙が分子の大きさにまで小さくなったら、究極的にはカタログや辞書は不要になる。全てが同じものになり、全ての言葉が音— 分子運動音 — だけになるのだ。」[56]

note: 最後の分子運動のたとえ話は、恐らく特殊例の敷衍を揶揄していると思われるが、分かり辛い。

<哲学全体への考察>
Douglas divided philosophy into two schools of thought that he labeled the "classical school" and the "modern school", which are broadly represented by philosophies of Aristotle and Francis Bacon respectively. Douglas was critical of both schools of thought, but believed that "the truth lies in appreciation of the fact that neither conception is useful without the other".[57]
ダグラスは、哲学を二つの思想に分け、それぞれ「古典学派」と「近代学派」と名付けた。それぞれアリストテレスフランシス・ベーコンに広く代表される。ダグラスはいずれの学派にも批判的であったが、「どのような概念も他の概念の存在なしには有益なものとならないという事実を正しく認識することの中に、真実はある。」[57]と考えていた。

反ユダヤ主義との関係

<ユダヤ哲学に対する批判
Social Crediters, and Douglas himself, have been criticized for spreading anti-semitism. Douglas was critical of "international Jewry", especially in his later writings. He asserted that some Jews controlled many of major banks and were involved in an international conspiracy to centralize the power of finance. Some people have claimed that Douglas was anti-Semitic because he was quite critical of Jewish philosophy. In his book entitled Social Credit, he wrote that, “It is not too much to say that one of the root ideas through which Christianity comes into conflict with the conceptions of the Old Testament and the ideals of the pre-Christians era, is in respect of this dethronement of abstractionism.”[58]
社会信用論者は、ダグラス自身を含め、反ユダヤ主義を拡大していると批判されてきた。ダグラスは「国際ユダヤ勢力[en]」に対し、特に晩年の著作において批判的であった。彼は、数名のユダヤ人が多くの大銀行を支配し、財政的権力を集中させていく国際的陰謀に影響を及ぼしていると断言していた。ユダヤ哲学に対して極めて批判的であることから、ダグラスが反ユダヤ主義者であると主張する者もあった。「社会信用論」という題名の著書の中で彼は、「キリスト教が、旧約聖書の考え方やキリスト教化前の時代の理想と矛盾するようになった根本的思想の一つが、このような抽象主義による廃位と関連していると言っても過言ではない。」[58]と述べている。
note: ここでの廃位 dethronement は、恐らく抽象主義がキリスト等の人間的要素を排除していることを示すと思われるが、難解である。

<抽象主義哲学への反対論
Douglas was opposed to abstractionist philosophies, because he believed these philosophies inevitably led to the elevation of abstractions, such as state, over individuals. He also believed that what he called Jewish abstractionist thought tended to lead them tocommunist ideals and the emphasis of the group over the individual. John L. Finlay, in his book, Social Credit: The English Origins, wrote, “Anti-Semitism of the Douglas kind, if it can be called anti-Semitism at all, may be fantastic, may be dangerous even, in that it may be twisted into a dreadful form, but it is not itself vicious nor evil.”[59]
ダグラスは、抽象主義哲学に反対していた。これらの哲学が必然的に、国家を個人の上位に置くというように、抽象化された概念を優先する方向へ進むと考えていたからである。また、ユダヤ抽象主義思想とダグラスが名付けたものには、共産主義的な理想や、個人より集団を重視する考え方を導き出す傾向があると考えていた。ジョン・L・フィンレイは著書「社会信用論:英国における源流」で、「ダグラスのような反ユダヤ主義(それが完全に反ユダヤ主義と呼べるとすると)は、ひどく曲解され、空想的だとか危険だとさえ言われるが、その考え自体には悪意や邪なものはない。」[59]

<反ユダヤ主義への非難とフィンレイの再反論
In her book, Social Discredit: Anti-Semitism, Social Credit and the Jewish Response, Janine Stingel claims, “Douglas's economic and political doctrines were wholly dependent on an anti-Semitic conspiracy theory."[60] John L. Finlay disagrees with Stingel's assertion and argues that, "It must also be noted that while Douglas was critical of some aspects of Jewish thought, Douglas did not seek to discriminate against Jews as a people or race. It was never suggested that the National Dividend be withheld from them."[59]
ジェイニン・スティンゲルは著書「社会不信論:反ユダヤ主義、社会信用論とユダヤ人の反応」で、「ダグラスの経済的、政策的な方針は、反ユダヤ主義的陰謀論に完全に依拠するものであった。」[60] と主張している。ジョン・L・フィンレイはスティンゲルの主張には同意せず、「ダグラスの批判は、ユダヤ思想のいくつかの面に対してのみであったことに注意しなければならない。ユダヤ人そのものや、その人種を差別しようとはしていない。ユダヤ人へは国民配当金を支払うべきではないといった示唆も全くない。」[59]

社会信用論に影響を受けた団体等

[edit]Australia

[edit]Canada
カナダ

Federal political parties:

[edit]Ireland
アイルランド
Monetary Reform Party

[edit]New Zealand

[edit]Solomon Islands
ソロモン諸島
Solomon Islands Social Credit Party (active)

[
edit]United Kingdom


社会信用論に関する文学作品

<著名人及びSF作品
As lack of finance has been a constant impediment to the development of the arts and literature, the concept of economic democracy through Social Credit had immediate appeal in literary circles. Names associated with Social Credit include C.M. Grieve,Charlie Chaplin, William Carlos Williams, Ezra Pound, T. S. Eliot, Herbert Read, Aldous Huxley, Storm Jameson, Eimar O’Duffy, Sybil ThorndykeBonamy DobréeEric de Maré and the American publisher James LaughlinHilaire Belloc and GK Chesterton espoused similar ideas. In 1933 Eimar O’Duffy published Asses in Clover, a science fiction fantasy exploration of Social Credit themes. His Social Credit economics book Life and Money: Being a Critical Examination of the Principles and Practice of Orthodox Economics with A Practical Scheme to End the Muddle it has made of our Civilisation, was endorsed by Douglas.
財政的な裏付けの欠如が常に芸術や文学の発展を妨げてきたので、社会信用論による経済民主主義という考え方は、文学界に直ちにアピールした。社会信用論に関わった著名人には、ヒュー・マクダーミッド[en]チャールズ・チャップリンWilliam Carlos Williamsエズラ・パウンドT・S・エリオットハーバート・リードオルダス・ハクスリーStorm Jameson, Eimar O’Duffy、Sybil ThorndykeBonamy DobréeEric de Maré、そしてアメリカの出版人であるJames Laughlinがある。ヒレア・ベロックギルバート・ケイス・チェスタートン は同様の考え方を支持した。1933年、 Eimar O’Duffyは、社会信用論をテーマとして探求したSF「Asses in Clover」 を出版した。彼の社会信用経済の著書「Life and Money: Being a Critical Examination of the Principles and Practice of Orthodox Economics with A Practical Scheme to End the Muddle it has made of our Civilisation」は、ダグラスによって推奨された。

<ハインラインの描く社会信用世界
Robert A. Heinlein described a Social Credit economy in his posthumously-published first novel, For Us, The Living: A Comedy of Customs, and his Beyond This Horizon describes a similar system in less detail. In Heinlein's future society, government is not funded by taxation. Instead, government controls the currency and prevents inflation by providing a price rebate to participating business and a guaranteed income to every citizen.
ロバート・A・ハインラインは、社会信用経済を、死後最初に出版された小説「For Us, The Living: A Comedy of Customs[en]」で描いている。描写はこれより詳しくないものの、未知の地平線[en]」でも同様の制度が描かれている。ハインラインの描く未来社会では、国家財政は税収によらず、政府は通貨を制御し、価格保証金を経済活動参加者に配り、全ての市民に収入を保障することでインフレーションを防いでいる。

<ウィルソンの描く社会信用世界
In his novel The Trick Top Hat, part of his Schrödinger's Cat Trilogy, Robert Anton Wilson described the implementation by the President of an alternate future United States of an altered form of Social Credit, in which the government issues a National Dividend to all citizens in the form of "trade aids," which can be spent like money but which cannot be lent at interest (in order to mollify the banking industry) and which eventually expire (to prevent inflation and hoarding).
シュレディンガーの猫 三部作[en]の一つである小説「トリックのシルクハット」で、 ロバート・アントン・ウィルソンは、別世界の未来の米国大統領によって、別の形での社会信用経済が実施されている様子を描いている。そこでは、政府は全ての市民に、「取引助成金」という形で国民配当金を配っている。それは、貨幣同様に使うことはできるが、利子を付けての貸出しは禁止され(銀行業のあり方を修正するため) 、最終的には無価値になる(インフレーションと蓄財を防止するため)。

<最近の書籍等
More recently, Richard C. Cook, an analyst for the U.S. Civil Service Commission, Food and Drug Administration, NASA, the U.S. Treasury Department, and author of the books Challenger Revealed and We Hold These Truths, has written several articles relating to Social Credit and monetary reform at Global Research, an independent research and media group of writers, scholars, journalists and activists. Frances Hutchinson, Chairperson of the Social Credit Secretariat, has co-authored, with Brian Burkitt, a book entitledThe Political Economy of Social Credit and Guild Socialism.[61]
最近ではアメリカ連邦人事委員会[en]アメリカ食品医薬品局アメリカ航空宇宙局及びアメリカ合衆国財務省のアナリストかつ「Challenger Revealed and We Hold These Truths」の著者であるリチャード・C・クック[en]が、ライター、学者、ジャーナリスト、活動家による独立系の調査・メディア集団であるグローバル・リサーチにおいて、社会信用論及び貨幣制度改革[en]に関するいくつかの記事を書いている。社会信用論事務局議長のFrances Hutchinsonは、Brian Burkittと共著で「The Political Economy of Social Credit and Guild Socialism」[61]という題名の本を出版している。

関連項目

ベーシックインカム
市民配当金[en]

脚注

  1. ^ "C.H. Douglas" (PDF).
  2. ^ Douglas, C.H. (1974). Economic Democracy, Fifth Authorised Edition. Epsom, Surrey, England: Bloomfield Books. pp. 18.ISBN 0-904656-06-3. Retrieved 12-11-2008.
  3. ^ "The Delusion of Super-Production", C. H. Douglas, English Review, December 1918
  4. a b c d e f g Douglas, C.H. (1933). Credit-Power and Democracy. Melbourne, Australia: The Social Credit Press. pp. 4, 108. Retrieved 12-11-2008.
  5. ^ Keynes, John M. (1936). The General Theory of Employment, Interest and Money. London, England: MacMillan & Co Ltd.. pp. 32, 98–100, 370–371. ISBN 1-56000-149-6.
  6. ^ Douglas, C.H. (January 22, 1934). "The Monopolistic Idea" address at Melbourne Town Hall, Australia. The Australian League of Rights: Melbourne. Retrieved on February 28, 2008.
  7. ^ Douglas, C.H. (1973). Social Credit. New York: Gordon Press. pp. 60. ISBN 0-9501126-1-5.
  8. ^ Douglas, C.H. (1919). "A Mechanical View of Economics" (PDF). The New Age (38 Cursitor Street, London: The New Age Press) XXIV (9): pp. 136. Retrieved 2008-03-14
  9. ^ Douglas, C.H. (1974). Economic Democracy, Fifth Authorised Edition. Epsom, Surrey, England: Bloomfield Books. pp. 74.ISBN 0-904656-06-3. Retrieved 12-11-2008.
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  15. ^ Douglas, C.H. (April 22, 1927). Engineering, Money and Prices. Institution of Mechanical Engineers: Warning Democracy. pp. 15. Retrieved 2008-02-28
  16. a b Douglas, C.H. (February 13, 1934). "The Use of Money" address at St. James’ Theatre, Christchurch, New Zealand. The Australian League of Rights: Melbourne. Retrieved on February 28, 2008.
  17. ^ Douglas, C.H. (1973). Social Credit. New York: Gordon Press. pp. 47. ISBN 0-9501126-1-5.
  18. ^ C.H. Douglas. "FIRST INTERIM REPORT ON THE POSSIBILITIES OF THE APPLICATION OF SOCIAL CREDIT PRINCIPLES TO THE PROVINCE OF ALBERTA" (PDF). Social Credit Secretariat. Retrieved 2008-12-18.
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  60. ^ Stingel, Janine (2000). Social Discredit: Anti-Semitism, Social Credit and the Jewish Response. Montreal: McGill-Queen's University Press. p. 13. ISBN 0-7735-2010-4.
  61. ^ Hutchinson, Frances (1997). Political Economy of Social Credit and Guild Socialism. UK: Routledge. ISBN 978-0-415-14709-5

国際金融資本を鋭く批判するイタリア喜劇俳優べッぺ・グリッロの五つ星運動のブログ紹介

http://www.beppegrillo.it/japanese/2010/12/person-of-the-year-2010-movime.html

 

以下、そのブログから「銀行支配」という文章を転載します。

 

かつて議会があり、連邦政府があり、国とその将来について公的な討論がなされた。大して機能していなかったが、代表機関の国連もあった。これらすべては、記憶であり、民主主義的様相の灰で、過去の埃である。何も価値がなくなってしまった。他の組織は、人々にとって、WTO、BCE、IMFという神秘的なマークによって時代遅れになってしまった。私たちの運命は、彼らの手中にあるが、私たちはそれが誰によって操られているのか知らない。誰が目的を決めているのか知らない。誰も代表者を選んだわけでもないが、彼らに私達の生活は依存している。欧州中央銀行(BCE)は、政府に対して、脅しのレターを出すことができる。WTO は、自由経済で世界をむちゃくちゃにすることを決められる。 生産は多国籍企業がインドの子供か中国の労組のない権利のない労働者に任される。 何のグローバル競争について私達は話をしているのだろう。規則や権利が同等であれば競争は存在する。グローバルな搾取、産業化した先進諸国の給与の低下、前世代からの戦いで得た社会的、労組的成果の喪失について話したほうが正しいのではないか? いったい誰がすべてを決めたのか?WTOか。誰の名において?ギリシャはすぐにデフォルトにはならない。もし破綻したら、ギリシャの国債を有するフランスの銀行が倒産するから。 だから、まずその国有財産を売り、銀行を救済しなければならない。世界は銀行中心で社会政治についてはもう話題にもならない。EUはBCE、国連、WTOに取って代わられ、政府はIMFにとって代わられた。戦争自体が、リビア戦争で明らかになったように、もやは単に経済的目的しか持たず、もうイデオロギーや宗教、領土の戦争ではない。銀行は戦争に投資し、戦争が銀行に投資する。ホテルでは、身分証明書の代わりにクレジットカードを求められる。子供が生まれると、小児科医が決められる前に、財政赤字の分担分とともに納税番号が与えられる。政治家たちは、銀行家たちの給仕係で、私たちがその勘定を払うのだ。

関曠野さん講演会「3・11以後~~原発事故をくぐった日本の将来を考える」

●調布市西部公民館主催 2011教育講座「遊学塾」(持続可能な未来を子どもたちに残すために)プレ企画 関曠野さん講演会

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演題「3・11以後~~原発事故をくぐった日本の将来を考える」

 

 

「戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本株式会社はフクシマで終わった~~」(関曠野「図書新聞」3011号より)。3.11は、私たちに何をもたらし、私たちはどこへ向かえばよいのか。グローバルな歴史的視野で3・11以後を考える思想史家関曠野さんの講演会です。

9月24日(土) 午後6時~8時終了予定(開場午後5時30分より)
会場:調布市文化会館たづくり8F映像シアター(京王線調布駅南口徒歩3分)
http://www.chofu-culture-community.org/forms/menutop/menutop.aspx?menu_id=723

 

入場、無料  
定員:申込み順100名


お話 関曠野さん   プロフィール
1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。

 

●主催
調布市西部公民館  〒182-0035 調布市上石原3-21-6

 

●お申し込み受け付けは、9月6日(火)午前10時からです。
担当石黒まで以下の電話・FAX・メールにてお願いいたします。

TEL 042-484-2531   FAX 042-484-3704
メール seibuk@W2.city.chofu.tokyo.jp


 

BIメールニュースへの寄稿を中断するにあたって  関曠野

このほど私はベーシック・インカムについては当分語らないとに決め、このメルマガへの寄稿も中断することにした。これまで連載に付き合って下さった読者諸兄姉に感謝したい。中断の理由は、今の世界恐慌がさらに深刻化し、政府通貨による基礎所得保証という政策が抽象的理論的可能性ではなく、実際的で切実に必要なものとして世に認知される状況を待ちたいということである。そしてこの政策の実現に対する唯一にして最大の障害である議会制と政党政治に対し人々が完全に幻滅するまでは、余計なことは言わないということである。

日本でも海外でもBIはやはり福祉国家論の延長線上で論じられていることが多いように見える。そこから福祉と同じく所得税や消費税などによる税収がBIの財源とされる。こういう立場は現代の租税国家が恐慌にも関わらず今後とも存続可能であることを前提にしている。だが私からみると、我々が目下直面しているのはこの租税国家自体の解体の危機なのである。

では近代の租税国家とは何か。この国家は絶えざる経済成長を前提にして設計された国家である。国家は市民から強制的に徴税するが、税収は経済発展の条件を整備するために使われるので、経済成長が市民の福利や福祉をさらに充実させることになり結局徴税は市民にとってプラスになるという理屈で税制は正当化される。もし国家予算に比して税収が不足した場合には国家は銀行に国債を買ってもらって赤字を補填するが、これは臨時的例外的な措置であり、もちろん将来の経済成長を前提にしなければ国債の発行はできない。国や自治体が私企業のように事業の拡大を目指してなどいないのに銀行に借金して利子を払うのはおかしいだろう。だから国債の発行は財政上の一時的な困難に対処するためのあくまで臨時的例外的な措置なのである。

ところが1970年代以降の経済の低成長の中で先進諸国では国債による財政赤字の補填が常態になってしまった。成長を前提にした国家体制から転換できなかったからである。そのうえ90年代のバブル崩壊後の日本などは愚かにも国家主導の経済成長を意図して土建型公共事業バラマキ財政をやったため国家の銀行に対する負債は爆発的に増大した。これは自民党が成長型国家を維持するため、そしてバブル破裂で破産状態になった大手銀行を救済するための政策だったと言える。

そして負債に喘ぐ先進諸国の租税国家に対する止めの一撃となったのが、リーマン・ショックを契機にした銀行マネーの世界的な崩壊である。各国の政治家は銀行の利子経済の崩壊は経済そのものの崩壊を意味すると思い込み、国民の公金で事実上すでに破産しているゾンビ銀行を支えようとした。その結果銀行の危機と国家の危機は完全に一体化してしまった。今や各国の政府は銀行のエージェントにすぎない。例えばEUが財政的に破綻したギリシャやアイルランドに対して行った支援なるものは、両国の国民のためのものでなく、両国に貸し込んでいる独仏その他の大手銀行を助けるためのもので、この支援の結果両国の国民は孫の代まで銀行の債務奴隷として生き働くことになる。そして両国の政府がEUの大手銀行を債権者として納得させるために打ち出した過酷な増税や緊縮財政は経済をさらに冷え込ませる。しかもギリシャとアイルランドから搾り取ったマネーは結局ゾンビ銀行を立て直すことはできない。70年代以来の低成長に代わって今は金融資本の破綻から生じた底知れないブラック・ホールがあるのだ。

いずれ国の税収のすべてが国債を買った銀行への利払いに充てられる日が来れば、そこで議会制民主主義は終焉することになる。国家予算というものは無くなり、国家はもう市民に何のサービスもせず、銀行への上納金を市民から取り立てることだけがその役割になる。もちろんこの極限状態に到る以前に租税国家は解体し始めるし、現に解体しつつある。

では税金とは一体何なのか。現代経済は銀行マネーで動いており、銀行は私企業としての利益しか眼中にないので、その融資が社会にどんな影響を及ぼそうがお構いなしである。これでは社会は大混乱に陥るので、公共性を名分に掲げ社会を多少とも安定させることで銀行マネーの支配を補完する副次的な通貨流通のシステムが必要になる。これが租税なのである。だから順調な経済成長で銀行マネーが安泰な時期には福祉国家が拡大するが、銀行マネーが揺らげば福祉や社会保障どころではないことになる。そして租税国家は銀行マネーのサブシステムである以上、破産した銀行の救済に税金が投入されるのはある意味で”当然”なのである。

それゆえに租税国家の危機を打開するためには、銀行マネーに代わる通貨体制を構築するしかない。増税や緊縮財政はこの国家の自滅を促進するだけである。そして利子付き負債としてのマネーに取って代わるのは、政府が公共の福利のために国民経済計算上の客観的根拠に基づいて無利子で発行する政府通貨である。連載で述べたように、これについては、日本とドイツが政府通貨によって30年代大恐慌から速やかに脱却できたという歴史的先例がある。

しかしここで議会制と政党政治が政府通貨の発行に対する唯一で最大の障害として現れてくる。議会制は租税国家に適合した制度であり、そして会計としての国家財政を前提に税の取り方と使い方をめぐる党派争いで政治家たちが野心を満足させることが政党政治の存在理由である。しかるに国民経済の客観的な必要に基づいて通貨が供給されるようになると国家財政の財源という問題は消えてしまい、政党は存在する理由がなくなる。そこで必要とされるのは弁舌巧みな野心家ではなく良心的で賢明な通貨管理のプロである。こうした改革に対してはどの政党も死に物狂いで抵抗するだろう。

それでも万が一議会制の枠内で政府通貨が発行されたら何が起きるか。政府通貨は選挙で勝った党派が経済を私物化しその支配を永続させるために使われるだろう。中国の人民元はそういう共産党の独裁の道具としての党派マネーであり、党のパワーゲームのための通貨はウオール街のマネーゲームに劣らず歪んだ自己破壊的な経済を生み出している。

政府通貨が信認される根拠は政府の権威というより、その発行と使途の公共性についての全人民の合意である。だから政府通貨の発行に際しては、国家予算の編成の徹底的な民主化が必要になる。この民主化はそれほど難しくない。中央銀行と並んで中央の政府を廃止すればよいのである。具体的に言えば、国家を自治体の連合体として再組織し、各自治体が市民が参加して編制した予算案を国家信用局に提出し、信用局が国民経済全体の視点からそれらを調整し統合すればよいのである。この場合、信用局の主な課題はインフレの予防である。

そして一度政府通貨が発行されたならば、生産と消費を均衡させ経済を安定させるために、政府通貨によるベーシック・インカムの保証は不可欠な政策になるだろう。

私は12月27日に東京で「ベーシック・インカムについて考える」と題した講演をすることになっているのだが、ここでは主に租税国家の解体を問題にし、ベーシック・インカムは「まずBIありき」ではなく最後の結論として出てくるものであることを強調したいと思っている。そしてこれ以後当分はBIについて語らないつもりである。

講演「生きるための経済」補遺ーー「会計」から「信用の管理」へ (関曠野)

この十一月に地元有志のお招きで東京都町田市で社会信用論について講演する機会があった。事前に幾つも質問が来たりしてベーシック・インカムや通貨改革に世の関心が急速に高まっていることを感じさせられる講演会になった。そして講演の後の質疑応答も演者の私自身の勉強になるようなものが多かった。しかしその中に一つ、私が戸惑ってしまった質問があった。会場の奥の方にいた若い男性から「政府通貨を所得保証その他公共の利益のために発行することは分かるが、その金自体の出所はどこにあるのか」と訊かれたのである。私はその場で質問の意味がよく分からず、その人を納得させるに足る明快な答えはできなかったように思う。そして後で質問を再考して彼が言いたかったことが分かって、社会信用論についての自分の説明不足に気づいた。

要するにこの人は通貨の問題を「会計」の観点から考えていたのである。政府通貨の発行を財政的な「支出」とみなすならば、左の「支出」の欄に対応して右に「収入」の欄がなければおかしい。三月に東京で講演した際にも、会場から似たような質問が出た。「話を聴いていると、政府通貨が個人と企業にどんどん供給されて、しかも回収されないように見える。インフレになるのでは」という質問である。これも政府による通貨の供給を会計の視点で「支出」と捉えている質問といえる。

しかし社会信用論においては、収入や支出という言葉は意味をなさない。会計とは結局損得勘定のことである。だが社会信用論における信用の社会化や基礎所得の保証は損得には関係のないことである。ゆえに政府通貨は会計や財政の視点で管理されるものではなく、それを個人や企業に供給することは「支出」ではない。このことを改めて説明しよう。

経済とは簡単に言えば「生産されたモノやサービスが消費されること」である。そして社会信用論においては、通貨と信用は生産されたものが消費される過程を順調に進行させる潤滑油のようなものになる。ダグラス少佐は、そのための交換手段にすぎない通貨を切符に喩えている。人々が電車を利用するためには切符を発行する必要がある。そして乗客が目的地についたら切符は回収され廃棄される。切符それ自体には何の価値もない。通貨もそれと同じで、生産されたモノの消費を促進すること以外には何の価値もない。人々が貨幣の価値をフェティッシュ的に信じ込むようになる原因は、銀行のせいで通貨(所得や資金など)が絶えずひどく不足する経済状況が作りだされているからである。そこから生産と消費ではなくマネーそれ自体が経済を動かしているという錯覚が生じる。もっとも現代の銀行経済においては、これは錯覚とは言えないのだが。

政府通貨は、個人と企業にその必要に見合う交換の手段を与えて生産と消費の過程を円滑にする目的で供給される。その企業に対する融資の在り方は、電力会社による電力の供給に似たものである。電力会社は、夏にはエアコンや高校野球のテレビ観戦による需要増大を見越して電力の供給を増やし、夜には人々が電気を消すので供給を減らす。このように電力は常に調整しながら供給されているので発電量の過剰や不足はまず起こらない。政府通貨もそれと同じで、国は国民経済の分析と予測に基づいて、生産のために必要と思われる量の通貨を企業に無利子で融資する。これは電力需要の予測や気象庁の天気予報に似た作業だから、政党や官僚の特殊利害などが混じってはならないものである。それゆえに政府から独立した公的機関である国家信用局が通貨と信用を管理することが望ましいだろう。

他方では、国は個人に対する基礎所得保証および販売部門に対する無利子融資で消費を支え、生産と消費を均衡させる(社会信用論の目的はこの均衡の実現であり、生産と消費の果てしない拡大=経済成長ではない)。そして消費者が商品を買った時点から通貨の回収が始まる。販売部門と企業は、その利益で先に融資された資金を政府に返済しなければならない。だがこの返済は借金の取立てではない。これは、先に供給した通貨を回収して、通貨の過剰供給でインフレが発生することを防ぐための措置なのである。だから速やかに返済できない企業が出てきても、返済条件の再交渉はいくらでも可能な筈である。

今日の世界には、実体経済(生産+消費)と銀行マネー経済という二つの経済がある。これに対し社会信用論が実施された世界では実体経済しかなく、通貨は生産と消費の過程を円滑に進行させる切符や潤滑油のようなものにすぎない。そこでは生産されたものが消費されるサイクルに即して通貨は発行され回収される。こうして国民経済の次元では、日銀のバランスシートに代表される会計は信用の管理に取って代わられる。収入と支出という言葉はもう意味をなさないのである。

「生きるための経済」関さん講演の補遺――ゲゼルの減価貨幣について

関曠野さんの「生きるための経済」の補足として、当日の司会の白崎が、ベーシックインカム論議でよく話題になるゲゼルの「減価貨幣」についての質問をさせていただきました。それが以下の文章です。

 

 

(白崎) ベーシックインカム(BI)の導入に賛成する方々の中に、BIを減価貨幣で支給したらどうか?というご意見がけっこうあります。この背景には、いくつかの論点が含まれているように思います。ご存知のようにこれは、シルビオ・ゲゼルの減価貨幣の考え方に基づいています。ゲゼルはお金の流通が滞るのが問題だと考え、お金の流通を速やかにするために、貨幣の価値が一定の割合で減っていくシステムを考えたわけです。減価すれば、どんどん貯めないでつかっちゃうだろうということですね。また、利子経済をなくすためにもマイナスの利子としての減価を考えている。それに減価はインフレ対策としても有効ではないか?というのですね。
特に地域通貨を実践している人たちは、1930年代の恐慌時にオーストリアのヴェルグル村で成功した「スタンプ貨幣」とBIのつながりを考えるようです。私も減価の割合によっては、部分的に減価貨幣を導入してみてもいいのでは?と考えることもあるのですが、このあたりのことについて、関さんのご意見を伺いたいと思います。

 

 

 

◆(関曠野) ゲゼルの減価貨幣論は現在欧米では殆ど話題にならないのに日本では意外によく知られているようです。これはだいぶ前にNHKがドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの特集番組をつくり、その中でエンデが減価貨幣に言及したせいらしい。それで果てしない経済成長による環境破壊を憂慮する人たちがゲゼルの通貨改革論に関心をもつようになった。利子で動く経済は果てしない経済成長に向かい、最後には破滅する。それに対しゲゼルのマイナスの利子を課されて減価する貨幣は動植物の生命のように老化する貨幣として評価すべきだというのがエンデの主張のようです。

この評価は全くの勘違いに基づいています。エンデは児童文学者としては評価すべき人なのでしょうが、こと経済思想に関してはナイーブで世間知らずな人というしかありません。ゲゼルに関するエンデの誤解を広めたという点では、NHKも困った番組を作ってくれたと思っているんですよ。

 

とにかくゲゼルの減価貨幣は生命論などには何の関係もありません。ゲゼルが問題にしているのは、供給側と需要側という二つの立場の非対称性です。つまり商品を生産した企業とそれを仕入れた販売業者は、どうしても商品を売り捌かねばならない。さもないと倒産してしまう。生産し販売する供給側は商品を売り切ることを強制されている。ところが消費者の側には商品を買っても買わなくてもいい自由が常にある。

だから需要側=消費者にも供給側の立場に相応して商品の購入を強制する必要があるというのがゲゼルの考えなのです。使わないと目減りする減価貨幣は、消費者の自由を消滅させて商品の購入を強制するための手段です。この「強制」というのは私の解釈ではなく、ゲゼル自身が使っている言葉です。

しかし現在我々が直面している経済の危機を考えて下さい。

問題は、金持ちなのにケチな人が高級車や別荘を買おうとしないから景気が落ち込むといったことなのでしょうか。そうではなくて、会社が倒産して失業し、失業保険も切れてコンビニのお握りも買えないといったことが問題なのではないでしょうか。現代社会では人口の大部分は給与生活者かその扶養家族であり、それゆえに雇用、所得、物価といったことが大問題になります。

古典経済学はミクロの視点から経済を個人の行動や選択に還元します。しかし現代の複雑で高度に組織された経済は、一国の経済を集計して投資、消費、雇用、所得といった要素で分析するマクロの視点なしには理解できません。ゲゼルもダグラスと同様に利子や銀行制度の弊害を論じています。しかしゲゼルは利子や金融を企業会計の問題として捉えていない。彼の思想には、こういうマクロの視点がすっぽり抜け落ちているのです。

十八世紀の人アダム・スミスは、住民がみんな自営業者で彼らの商取引で社会が成立しているような状態をモデルに経済を考えました。ゲゼルの経済社会観は、このスミスと大して変わりません。ダグラス大佐はゲゼルの減価貨幣を「商業の繁栄しか考えていない」と批判しましたが、要するにゲゼルはマクロ経済学以前の人で、金融資本や大企業による市場の支配といったことは彼の視野の外なのです。彼には当時ドイツで猛威を揮っていたマルクス主義を批判しようという志があったようですが、十八世紀の発想に戻ることではマルクスを批判したことにはなりません。

 

 

ところで手持ちのお金を使わないでいると毎年少しずつ減価していくという仕組みは、貯蓄に対する処罰的な課税だと言えます。商業にはプラスでしょうが、このように処罰の恐れによって動く経済があっていいものでしょうか。また人々に消費を強制することはエコロジカルどころか、欲しくない商品まで買わせる浪費的な消費の奨励につながりかねません。これに対してダグラスの国民配当は、贈与を経済の原動力とするものです。

減価貨幣は三十年代大恐慌の際にオーストリアの小さな町で実験されて成功を収めたと言われています。しかしそれは地域的に限定され短期間に終わった実験にすぎなかった。長期間実験を継続していたら必ずマクロ経済的な問題にぶつかって挫折していた筈です。事実、同時期に似たことを試みたスイスの通貨改革運動は、結局ゲゼル思想を見限ったお陰で今日まで存続しています。これはさまざまな中小企業が緩やかな協同組合をつくりWIRという仮想の計算貨幣で相互の決済を行うもので、むしろダグラスが地域経済のために構想したシステムに似ています。

今この国では「格差」が大問題になっています。さまざまな格差は最後には各自が保有する貯蓄の格差に行き着きます。そして銀行はこの格差を特権に変える制度だと言えるでしょう

。銀行に預金をすれば、それには利子がついて魔法のようにカネがカネを産む。そして実体経済の裏付けがない銀行マネーのせいで経済が破綻しても、充分な貯金があれば経済的困難を容易に切り抜けられる。だから恐慌になると人々は貯金を溜め込んでしまうので経済の収縮が止まらない。経済が混乱する根本には、この貯蓄という問題があるのです。

それゆえにゲゼルもダグラスも貯蓄に縛られない経済システムを構想しました。そして目下先進諸国の中央銀行が政府を丸め込んでやっている量的緩和という恐慌対策も、貯蓄破壊の側面を持っています。膨大な紙幣を刷ってばら撒けば破産状態の銀行が抱える負債も減価して軽くなるし、人々は貯蓄を減価する前に使ってしまうようになるだろうという訳です。しかし皮肉なことに、このようにインフレで負債デフレを解決しようという策動がかえってデフレを深刻化させています。とはいえ長期的には量的緩和がハイパーインフレを惹き起こす危険は否定できません。そしてハイパーインフレほど社会を荒廃させるものはありません。

ゲゼルにせよオバマにせよ、貯蓄の破壊で貯蓄の問題を解決しようとすること自体が間違いなのです。この問題に対する唯一妥当で理性的な解決策は、信用の社会化と国民配当によって貨幣を富を分配する切符に等しいものに変え、貯蓄が経済を左右する今日の状態から脱却することです。利子は、それをマイナスの利子に逆転させてもやはり社会に弊害をもたらすでしょう。肝心なことは、富の私的所有に対する報償としての利子をなくしてしまうことなのです。