BIメールニュースNo.130 2012.1.14発行
【1】新刊書評『ベーシックインカムとジェンダー~~生きづらさからの解放に向けて』
【2】BI構想は希望の光 母子家庭支援者ら出版
【1】新刊書評『ベーシックインカムとジェンダー~~生きづらさからの解放に向けて』(堅田香緒里・白崎朝子・野村史子・屋嘉比ふみ子編著 現代書館定価1800円プラス税)
ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕
「ベーシックインカムの可能性と懐疑を性差別と貧困の現場から問う!問題提起の書」
ベーシックインカムとは、近年、論壇でも話題となった社会政策論のひとつである。原理はきわめてシンプル。個人単位・無条件の所得保証のことだ。著者たちは、このベーシックインカム(以下BIと略)が性差別批判(家父長制批判を含む)に対してどこまで有効かを本書で問うている。その底流にあるのは、BIをたんなるアカデミズムや論壇での研究材料としてではなく、現実を変革する、それも、性差別の現実を変えていく力を有しているのか?あるいはその力を付与するためにはどうしたらよいのか?という問題意識だ。そういう意味で本書は徹底的に政治党派的という意味ではなく「政治的」な書物である。
性差別というのは、人間の属性に関する差別である。それも性的属性というきわめて個々の実存にかかわる属性を序列化して差別化するものである。おんな・おとこ・あるいは、おんなでもおとこでもなく・あるいは、おとこ・おんなを超えてなどなど、その性にまつわる差別はいたるところに存在している。この差別が貧困を生み出し、なおかつ、それが「福祉政策」にまでおよんでいる。
しかし、それらが内包する根源的な問題性は、実は、公的な世界への参加権(政治的参加権)のはく奪にあるといってよい。このことは、先に述べた福祉国家の限界性をもあきらかにする。著者たちの主張の中には福祉国家が福祉国家に合わせた「人間像」を要求することへの疑義がある。福祉国家は、生のありかたを「福祉的」に一元化し奴隷化して公的世界への参加権を妨害する。BIは、これらの問題を超える、まさに公的参加権への切符のようなものなのだ。
かつて若きマルクスは、「ユダヤ人問題によせて」という小論文のなかで、フランス革命の人権概念はインチキで利己的人間を擁護するだけであり政治的参加権は抽象化されると言い、人権を本物にするには政治的参加権と物質的基盤が統一されなければならない、という主張を展開した。マルクスは、その後、上記の答えを私有財産の廃棄による共産主義という思想に求めた。が、しかし、その限界性が明らかになっている今日、BIは、若きマルクスに「万人の財産権としての所得保証(BI)」という回答を提示する。これまで、万人の財産権がないまま「食うためには仕方がない」ということで、人権そして政治的参加権は徹底的に経済の従属物にされ、そこに差別がはびこってきたのだ。
BIはこの関係を完全に逆転する力技なのだ。経済を多様な生のありかたの中に埋め込むこと、これこそがBIの本分と言えよう。ただ、誤解してはならない。BIは、あくまでもそのための入り口なのだということを。BIはすべての差別、特に性差別を劇的に解決するものではない。BIを梃として多様な生に対応する多様な生を実現する政治的運動にその解決は求められる。著者たちは、図らずも、本書で「女たち」(あくまでもカッコつき)の現場からその政治宣言をしている。右肩上がりの経済成長を前提としてきた高度福祉国家のありかたが世界的に揺らぐ中、本書の政治的宣言は閉塞感漂う世界への貴重な提言となろう。
<白崎一裕 氏 プロフィール>ベーシックインカム・実現を探る会 代表。
【2】BI構想は希望の光 母子家庭支援者ら出版
『ベーシックインカムとジェンダー~~生きづらさからの解放に向けて』について、かなり詳しく紹介されています。
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