仮アップ・関曠野さん講演録「戦後日本とは何だったのか ~通貨システムの改革が日本の未来を切り開く~」

38回長野県有機農業研究会大会 講演 

「戦後日本とは何だったのか ~通貨システムの改革が日本の未来を切り開く~」

 

 

関 曠野 さん

 

 

この講演録は、2018年3月3日に長野県塩尻市総合文化センターで開催された第38回長野県有機農研究大会・基調講演の記録を関さんに加筆・補足していただいたものです。

 

ただいま、藤澤さんと津村さんから紹介にあずかりました関です。壇上から失礼します。私はかねてから、地方で有機農業をやっておられる方々は地味な形で日本の未来を切り開いている人たちだと思っています。この点で今回、長野県有機農研の大会に講師として呼ばれましたことを大変光栄に思っております。ただ、時間的制約がありますので、皆さんにお渡ししたレジュメの内容を全部事細かに話せなくて、場合によっては枝葉の部分は飛ばすかもしれません。

 

戦後国家の完全な行き詰まり

 

早速始めます。とにかく、今の日本は、高度経済成長を前提に設計された戦後国家が完全に行き詰っている状態と思わざるを得ません。これでも世界的には日本はまだのうのうと暮らしていける国ではありますけれど、将来が見えない、若者に希望がない。その行き詰まりは、年金制度の破綻ひとつ見てもはっきりしています。しかも、成長の余地がもうないのに成長に固執している。そのことが問題をさらに深刻にしています。たとえば高度成長期に生まれた学歴競争社会は今は若者を進学ローンで苦しめ、金がかかる教育は急速な少子化の一因にもなっています。

 

薩長クーデターがつくった中央集権国家

 

この問題からまず切り口として入りたいのですが、戦後日本はアメリカによる敗戦と占領で生まれた国です。ではアメリカに敗れた日本帝国とはどんな国だったのか。有機農研と直接関係のない話ですけれども、それもちょっと考えてみると、薩長が維新と称したものは関ヶ原の敗者が徳川に報復したクーデターだと思います。この維新によるいわゆる王政復古とその後の薩長による日本全土の軍事占領によって生まれたのが明治国家、大日本帝国です。

では、薩長藩閥がつくった明治国家はいかなる国家だったのかというと、薩長は日本の歴史の巻き戻しをやったと思うのです。ご存じのように、日本は古代、帝政中国から律令体制という中央集権国家体制を導入しました。ところが、これは全然日本の国情に合わなかったので、どんどん解体していって、最後は江戸時代の幕藩体制になった。そういう意味では、日本社会の体質は自治と分権なのです。私に言わせると、日本はかなりスイス連邦に似た国なのです。中央集権には向かない国なのです。それが明治以来、日本の国柄、伝統、歴史に合わない中央集権国家をつくってきた。

 

戦後アメリカナイズの限界と脱アメリカナイズ

 

しかも、敗戦にもかかわらず、明治国家の骨格は生き残りました。どういう形で生き残ったかというと、アメリカナイズという形で生き延びてきた。明治国家がアメリカナイズを新たな戦略とすることで生き延びてきた。それが今の日本です。そして今、アメリカナイズの限界があらゆる点で出てきている。その象徴がアメリカ製の福島原発の事故です。そういう点では今後の日本は、否応なしに脱アメリカに向かうでしょう。脱アメリカナイズの過程で、同時にそれを戦略にしてきた明治国家の遺産も解体される。これが現在の私の見通しです。

ただし、脱アメリカナイズといいましても反米愛国みたいなことを言いたいわけではありません。アメリカ自身がもう世界の警察官を辞める、覇権の座を降りると言っています。だから、否応なしに日本人はポストアメリカの状況に対処していかなければいけない。このことを指摘したいだけです。脱アメリカナイズの一つの目標というか課題は、明治維新によって断ち切られた日本の自治と分権の伝統の復活、再生であろう。その兆候はすでに、社会の底流としてあると私は見ています。

 

アメリカは経済成長が宗教的救済となる国家

 

それでは、日本を負かしたアメリカとはどんな国だったのか。われわれはこのこともあらためて考えなければいけない。アメリカという国は、17世紀に宗教戦争の余波で、迫害された英国のピューリタンが新大陸アメリカに移住して建国した国です。そういう歴史があるので、ピューリタンにとっては、新大陸アメリカを開発して経済を発展させることが信仰の証明になった。経済発展が、宗教的な祝福や救済の意味を持つようになった。これがアメリカという国の一大特徴だと思います。この点では例えば、江戸時代の徳川幕府は世界的にも類を見ないような超保守主義の政権で、新奇なものは目の敵にしていました。にもかかわらず、ご存じのように江戸時代は、日本の経済と文化が飛躍的に発展した時代でした。だから、経済というのは、必要があれば自ずと発展するものなのです。そのことと、経済発展を至上の価値にする、宗教的価値にすることは、全然別のことです。このことははっきり銘記する必要があると思います。

 

テクノロジーカルトがアメリカ文明の特徴

 

そのアメリカですが、ペリーの黒船が来た頃は、まだ新興の小国に過ぎなかった。それが第一次大戦への参戦で一挙に超大国になり、さらに第二次大戦で覇権国になった。じゃあ、第一次大戦の歴史的な意義は何だったのでしょうか。まず言えるのが、ヨーロッパは第一次大戦で、近代の科学技術が戦争に使われたらどんな悲惨な事態が起きるかを体験してショックを受けました。そういう意味ではヨーロッパではある程度、「科学技術による進歩」信仰が揺らいだ。ところが、アメリカは大戦に参戦して一挙に超大国になったわけで、ヨーロッパとは逆にテクノロジー・カルトが生まれた。これがとりわけアメリカの特徴になっています。テクノロジーで物質的なことだけじゃなくて、精神的な問題とか、文化的な問題も全部解決できるというようなテクノロジー・カルトが現代アメリカ文明の特徴です。

 

石油と金融がアメリカ覇権の土台

 

それから、大戦中に潜水艦、戦車、航空戦力といった新しい兵器が登場しました。これはどれも石油で動くものでした。そういう点で第一次大戦は、工業文明のエネルギー源が石炭から石油に変わる決定的な転換点になりました。そして大戦中に開発された軍事技術が戦後は民間転用されて、それが20世紀の消費文明の土台になりました。一例を挙げると冷蔵庫とか、マイカーの普及も第一次大戦後だし、あと、航空旅行もやはり大戦中の軍事技術の民間転用という面があるわけです。

それから、アメリカは大戦への参戦によって、それまでの債務国から一挙に債権国に変わり、金融大国になりました。ドル箱という言葉が生まれるような状態。さらにアメリカは大戦の戦費調達のために戦時国債を発行して、国民に大宣伝をやって買わせた。これをきっかけにアメリカ人は、庶民も株を買うようになった。これもまたアメリカの特徴です。

こうした点で私は、19世紀の英国の石炭資本主義と、20世紀のアメリカの石油資本主義を区別しています。石炭は人間が重労働をして、地下から掘り出して、運送だって大変です。ところが、石油の場合は油田を掘り当てれば自噴してくるし、輸送もパイプラインで簡単です。石油の場合はむしろ、効率のいい膨大な石油のエネルギーをどう使い切るかが課題になる。その点で英国の石炭資本主義は、人間の勤勉さや勤倹貯蓄の美徳を強調した。それに対してアメリカの石油資本主義は、消費の快楽を宣伝したという違いがあると思います。そういう意味で、石油と金融の二つが、超大国アメリカの覇権の土台である。この二つからアメリカを分析できると考えています。

 

経済が原因の第二次世界大戦

 

しかし、第一次大戦で空前の繁栄を実現したアメリカも、30年代に大恐慌に見舞われます。大恐慌の原因については省きますけれども、簡単に言えば国民総ぐるみのマネーゲームの破綻です。大恐慌の結果、需要の不足と企業の過剰生産が深刻な問題になった。どの国もこの問題を輸出で解決しようとした。こうして貿易戦争、通貨戦争が本当の戦争に行き着きました。

ですから第二次大戦は基本的に経済が原因の戦争で、とくに完全雇用が国家の至上の課題とされていたことが戦争につながった、大戦はまた石油を巡る戦争でもあった。石油のない日本やドイツは、大英帝国型の資源と市場を国外に持つブロック経済圏をつくろうとして戦争を始めた。これに対して、大産油国であったアメリカは世界をブロックに分割することに反対し、日独を叩き潰して、グローバルな世界貿易体制をつくろうとしました。そして第二次大戦後、覇権国になったアメリカは新しいグローバルな世界貿易体制の構築に成功しました。それがブレトンウッズ体制といわれるものです。

 

ブレトンウッズ体制とは

 

これはどういうものかというと、金1オンスを35ドルに相場を固定する。このドルを基軸にして、世界各国の対ドル相場も固定する。そうすると各国通貨の相場が乱高下することがなくなって安定しますから、長期的で拡大する貿易が可能になる。それで世界貿易を発展させる。それがブレトンウッズ体制だったわけです。

アメリカはある程度貿易赤字をだすことで世界各国にドルをばらまく。このペーパードルの価値はアメリカが保有する金で裏付けられている。外国が輸出で稼いだドルはいつでもアメリカ連銀が保有する金と1オンス35ドルで交換しますよと言ってドルの価値を保証したわけです。あくまでドルと金の交換が体制の要でした。これによって世界貿易が飛躍的に発展しました。日本の経済成長も、結局はこのブレトンウッズ体制のおかげだったと言って間違いないと思います。

 

ニクソンショックの意味

 

ところが、1971年にいわゆるニクソンショックとなったニクソン声明が出てきます。ニクソンはこの声明で、ドルと金の交換を停止しました。なぜ、突如ドルと金の交換を停止したのか。私の見方では、アメリカの油田が枯渇し始めていたからです。油田が枯渇して、アメリカも今後、石油の輸入国になる。そうなったら、中東産油国が輸出で稼いだドルと金との交換を要求してきたら、アメリカの金庫はあっという間に空っぽになる。だから、アメリカとしてもドル、金の交換停止は、背に腹は代えられない措置だったと言えると思います。

このように20世紀は、石油がすべてを左右しています。このドルショックに引き続いて石油ショックが起きた。これはドルショックの副産物です。つまり、ドルショックによってドルが一気に減価しました。価値が下がった。そのためにドル建てで石油を輸出していた中東産油国は一挙に収入が減ったので、OPECという石油輸出カルテルをつくって、一斉に価格を釣り上げた。それが石油ショックということです。

 

 

石油とスタグフレーションの関係

 

その結果、歴史上初めてエネルギーという物理的現実が、経済に直接影響を及ぼすようになって、1970年代は不況なのにインフレになるスタグフレーションという経済史上、前例のない事態になりました。この原因は今申したように、エネルギー価格の高騰です。しかもこの頃から、ますます石油の産出量が頭打ちになり、減る傾向が出てきます。その結果、石油価格が80年代以降、高騰してきて、エネルギー価格の高騰が、結局は2008年のリーマンショックにつながったと言える。やっぱりこれも石油が原因なのです。

ただ、スタグフレーションは80年代には一応終わったのですが、これは別にレーガンやサッチャーの新自由主義の成果でもなんでもない。要するに、北海とノルウェー沖とアラスカ、メキシコでOPECの影響力が及ばない新油田が見つかったということに尽きる。その原因でスタグフレーションは終わった。エネルギー価格の異常高騰がやんだということです。

 

エネルギー収支の低下による石油文明の終焉

 

20世紀の産業社会の繁栄の土台は石油にあった。なぜ石油がそれほど決定的に文明を左右したのかというと、エネルギー収支の問題です。石油を採掘するとして、どれくらいのエネルギーを採掘に使うか。それによって、どれぐらいのエネルギーを入手できるか。このインプットとアウトプットの比が、エネルギー収支と言われるものです。どれだけのエネルギーの投下でどれだけのエネルギーが得られるか。これがエネルギー収支です。そして石油のエネルギー収支の途方もない良さが、20世紀の工業文明が繁栄した根本原因でした。このエネルギー収支が絶頂だったのが1930年代で、1対50ぐらいでした。それが現在、1対30以下になっています。どんどん落ちている。石油に代わる資源として騒がれているシェールオイルは1対5ぐらい。話にならないです。そういう意味では、客観的に石油文明は終焉に近づいている。これははっきり言えます。以上が石油の話です。

 

銀行経済と信用創造

 

今度は、アメリカが牛耳ってきた金融の話に移ります。金融とは要するに、銀行経済、銀行がお金を管理して取り仕切っている経済ということです。そしてアメリカは、いろいろな意味で現代の銀行経済を完成させた国です。

まず、世界各国には、日本銀行のような中央銀行があります。今でも中央銀行は、国家の銀行だと思っている人が多いですが、どこの国でも中央銀行は銀行業界のカルテルなのです。昔は銀行間の過当競争で共倒れやミニ恐慌や取り付け騒ぎがしょっちゅうあった。そういう危険を防ぐために銀行がカルテルを結成し、それが中央銀行という形をとっているわけです。だから、日銀もそういう銀行なので、国民のためではなく、銀行業界の利益に奉仕しています。

それから、銀行は預金者の預金を資金が必要な人に仲介しているだけと思っている人が多い。銀行は金庫番みたいなものと思っている人が多いですが、そうではない。銀行は融資するときに、お金を借りた人の負債のかたちで帳簿上に無からお金をつくりだしていて、それを社会に流している。銀行はお金の流れ、マネーフローをつくり出している。既にあるお金を右から左に渡しているのではない。銀行はお金を創造している。信用の創造といいます。このことが決定的な意味を持ちます。

それから、われわれがスーパーのレジで使うようなお札やコインは、通貨流通量全体の2、3%に過ぎません。実際の通貨流通量の90%以上は、銀行の融資とその返済で動いています。

さらに銀行には部分準備制度というものがあります。手持ち預金のだいたい7~8倍。10倍ぐらいのこともありますが、無から創造したお金を貸し出しています。それが儲けの根本になっている。手持ちの金を貸し出して手数料だけでは儲かりません。すべての預金者が一斉に預金を下ろしにくることはまずないから、こういう制度が成り立つ。ただ経済がどんどん拡大成長している場合には、この制度で通貨の供給が増えて社会にはプラスの効果をもちうる。だが経済が成長しない場合には、銀行は詐欺をやっていることになる。

 

資本の商品化と投資が銀行の仕事

 

銀行はどういう仕事をしているのでしょうか。銀行のやっていることは、硬い言葉で言えば、資本の商品化です。具体的に言うと、お金(資本)の使用権に利子という価格を付けて売っている。その結果、私企業のソロバン勘定で、通貨の供給が増えたり減ったりすることになる。景気がいいときはじゃんじゃん貸すが、ちょっとまずいなと思ったら、貸し渋りや貸しはがしで、一斉に通貨を経済から引き上げる。これが好況、不況の景気循環の最大原因なのです。銀行が一斉にお金を引き上げて、一挙に経済が落ち込む。そこから不運にもバブル崩壊期に社会に出た氷河期世代の悲劇も生じたのです。

そして銀行の社会的使命とは結局、資本を集中させて、それを投資することです。産業革命の時代の英国の産業資本家は、親類や知人からお金をかき集めて、それを資本に起業していました。だが銀行という制度があれば、資本の巨大な集中ができる。しかも、銀行が融資案件を審査して投資しますから、これが工業社会の劇的な発展を可能にした。銀行制度なしには、先進諸国の大規模な工業化はあり得ませんでした。

しかし、銀行マネーは返さなければいけない金で、利子付きの負債です。これでまず問題になってくるのは、銀行は金貸しだから債権者です。そして債権者の権利が絶対的なものにされています。だから、銀行から金を借りて何か商売を始めたけれども、不運にもやむを得ない事情で返済できなくなったというときも銀行は容赦しません。「そうか、そうか。支払えないならもうちょっと返済を待ってやろう」なんて言いません。担保物件の差し押さえということになる。債権者の権利が絶対的になっている。昔はそうでもなかったんです。古代中東なんかの例を見ると、債務者が返済できなくなったら帳消しとか延期、減免とかいろいろやっているのです。旧約聖書にも定期的な債務赦免の年 jubilee というのが出てきますね。近代の銀行制度になってから、債権者の権利が絶対的なものになった。

 

利子とGDPという問題

 

さらに利子という制度が、えらい問題なわけです。生産に関係ない余計なお金ですから、それを払わなければお金を借りられない。利子というのは何かというと、要するに金を貸してやる銀行の特権的報酬です。労働や才能に対する報酬ではない、特権に対する報酬。生産とは何の関係もない所有に対する報酬。だから景気が悪くなると利子がすぐに経済のブレーキになります。富の生産に関係なく絶対払わなければいけない金ですから。今の世界の景気がこの状態で、負債デフレです。利子と負債が経済のブレーキになって、経済が澱んだり、停滞したり、混乱したりしています。

この負債デフレの現状では日本でも欧米でも高度成長期は昔話にすぎません。しかしどの国も相変わらず経済成長がすべての価値観で動いています。経済成長はGDP(国内総生産)を尺度にして測られます。そしてGDPという言葉を聴かない日はありません。このGDPという経済統計は1930年代の恐慌下のアメリカでサイモン・クズネッツという経済学者が一国内の商取引の活発さを俯瞰するために工夫したものです。その際、彼は富の生産に貢献していないという理由で金融と広告宣伝業をGDP統計から除外しました。だが今は金融と広告も統計に入っています。それどころか英国ではドラッグと売春の推定取引額もGDPに入っている有様です。GDPが拡大しているように見せかけないと投資家が英国を見捨てるからです。

 

経済成長なしの通貨システム設計を

 

そしてこの経済成長至上社会を作り出している元凶は銀行です。というのも経済が倍々ゲームで拡大成長しなければ、利子という余計なものは払えないからです。ゼロ成長では銀行は死にます。だから銀行はリーマンショック以来。量的緩和やマイナス金利など、パンクしたタイヤに必死でポンプで空気を入れるようなことをやっています。しかし経済の現状はゼロ成長ならまだしも、銀行に対する膨大な負債も統計に入れればマイナス成長です。それでも「成長、成長」と騒がれる所以は、銀行経済においては経済が成長しないとお金が円滑に回らなくなり、人々の雇用と所得が危うくなるという厳しい現実があるからです。銀行マネー(利子付き負債)で経済がそれなりに動いたのは昔の話です。今日われわれは経済が成長しなくてもお金が円滑に流れるような通貨システムを設計する必要があるのです。

 

中央銀行と貨幣の二面性

 

ただし現代の銀行業界が中央銀行を頂点として組織され、中央銀行が国家と協調して通貨を管理する準国家的な存在になっていることには歴史的な意義があります。確かに中央銀行は私企業の銀行業界のカルテルに過ぎないと指摘できるのですが、一方では中央銀行は、社会的使命があるとされている。これはまったくの嘘とは言えない。つまり、単なる私企業と言い切れない面も持っている。というのは、どこの国でも中央銀行は、インフレを予防して通貨の価値を安定させることを公的な使命にしている。もう一つは完全雇用の実現。これも使命にしています。この二つを念頭に置いて通貨を管理することが、中央銀行の課題となっています。これは、まったくのおためごかしとは言えない。というのも、貨幣というもの自体に、ある種の二面性があるからです。中央銀行の二面性はそれを反映しています。

われわれは通常、貨幣とは商品やサービスを買う手段だと思っています。そのために貨幣というもののより根本的な役割を見逃してしまう。貨幣は商品を買う手段である前に、社会を組織する手段なのです。具体的に言うと、近代組織にはどんな組織でも収入と支出、予算と決算の会計簿があります。これは企業や国家だけの話ではない。小中学生の同好会から暴力団まで会計簿がない組織はありません。このように貨幣は、何よりも社会を組織する手段なのです。二次的に、商品やサービスを購入する手段になると言えるわけです。

近代社会の発展もこの貨幣の二面性を反映しています。市場経済のおかげでどんどん産業が発展していった。これは貨幣の商業的な側面です。だがそれに併行して組織する力としての貨幣が社会の在り方を作り変えていった。社会は会計の論理によってますますきっちりと組織されていく。低開発国が足踏みするのは、社会に会計の論理が完全に浸透していないからです。そういう国では賄賂や汚職が蔓延ります。

 

マネーは公共ソフトインフラ

 

このように社会が会計の論理できちんと組織化されてくると、貨幣は一種の社会のインフラになってきます。これはきわめて重要なことです。だから、近代社会は会計の論理によって組織され、お金の流れによって動いている、そういう社会ということになります。

そういう意味では、一国の通貨システムはインフラとみなしていいのではないか。インフラには、ハードインフラとソフトインフラがあります。ハードインフラは橋や道路、水道、鉄道 送電網、通信網などは物理的なインフラです。それに対してソフトインフラとは教育、医療、司法、金融などです。金融がソフトインフラとされるなら、一国の通貨システムはソフトインフラの最たるものといえる。一国の通貨システムは、文明社会の土台をなす基本的ソフトインフラとみなすべきではないか。それならば恐慌は大災害でハードインフラが崩壊した状態に喩えることもできるでしょう。ただ現代人はマネーとは自分の財布の中に入っている紙幣や硬貨のことだと思っていて、公共インフラとして考える習慣がないのです。

そこからまた、さっき言った中央銀行の二面性も出てくる。銀行業界のカルテルとしての中央銀行は商業の手段としての貨幣に関与し、富裕層が儲けた金を保全し利殖できるように通貨(お金の流れ)を管理します。だがその一方で、通貨の価値を安定させ完全雇用を実現させて社会の安定に寄与することも一応課題にしている。これは銀行業界が、通貨システムは公共ソフトインフラであることを暗黙のうちに認めたということです。

 

実体貨幣と機能貨幣

 

この貨幣の二面性ですが、これを私は実体貨幣と機能貨幣という形に分けています。これは私独自の分け方ですが、実体貨幣においては、貨幣それ自体に価値がある。要するに貨幣は財宝だという考え方です。ですから歴史上は金銀が実体貨幣を代表してきました。ここにおいては貨幣は、根本的には私的な利殖と蓄財の手段になる。実体貨幣の価値は結局、蓄財と利殖に奉仕することにあります。それに対して機能貨幣は、国家など共同体の経済を運営する手段である。そういう意味で、これはインフラとしての貨幣で、公共の利益に奉仕するものです。どの貨幣にもこの二つの要素があるのですが、現代では新自由主義の下で、実体貨幣の面がすべてになり、貨幣がインフラでもあることは無視されています。それが21世紀の現実ではないか。

機能貨幣の例を具体的に言うと、さっき説明したブレトンウッズ体制はある程度、機能貨幣の例といえるでしょう。ドルを基軸にした固定相場制で各国通貨は世界貿易発展のための安定した手段になる。こうしてニクソン声明までは、ドルは世界貿易を発展させるためのインフラとして機能していた。ただしドルの価値は金で保証され商業的な目的で使われたのだから、これは機能貨幣の完全な例とはいえません。しかしドルは「インフラであるかのように」使われたとは言えるでしょう。

ところがニクソン声明はドルと金の交換を停止し、ブレトンウッズ体制は変動相場制に移行します。アメリカが世界にばらまいたドルからインフラの要素がなくなり、ドルをはじめとする各国通貨は機能通貨から実体通貨に変質してしまった。通貨は経済運営の手段からたんなる金融資産になった。ドルや円、マルクはトヨタ、日産、ホンダの株と同じように絶えず相場が乱高下する金融資産になった。その結果1980年代以降のカジノ資本主義が生まれた。世界貿易にグローバルな金融ギャンブルが取って代わった。それがリーマンショックに行き着いた。ですから現代の課題は、通貨は文明社会の土台をなすソフトインフラという認識に立って 銀行マネー(利子付き負債)から経済を解放し、通貨システムをしっかりした公共インフラに作りなおすことです                                                                       

 

通貨改革提唱者、C.H.ダグラス 

 

こうした試みは通貨改革、monetary reformと呼ばれてきました。この通貨改革の提唱者としてもっとも有名なのは、20世紀はじめに社会信用論を創始した英国のクリフォード・ヒュー・ダグラスという人です。この人はもともと鉄道技師で、鉄道システムをモデルに通貨システムを考察しました。線路があるだけでは鉄道とはいえない。線路の上を列車が走ってこそ鉄道といえる。通貨も列車のように社会の中を流れ動いてこそ価値がある。われわれの財布の中の紙幣や硬貨は、お金の流れに乗るための切符みたいなものです。だからダグラスは紙幣や硬貨を切符に例えました。きっぷは乗客が目的地に着いたあとは捨てられます、通貨もそういうもので、実体があるものではなく機能があるだけです。生産と消費を媒介するという機能があるだけです。

 

国民(公共)通貨発行による通貨システムの再設計

 

この彼の議論を参考にして、どうしたら通貨を公共インフラとして構築することができるかを考えてみたいと思います。まず第一に、私企業の銀行がソロバン勘定だけで公共インフラの要素を持つ通貨を発行しているのは大問題です、私企業がお金の流れをつくり出して社会の在り方を事実上左右している。だが同じ私企業でも私鉄はソロバン勘定だけで動いてはいません。「今日は乗客が少ないから電車は出しません」などと言いません。客が1人でも定時運行をやります。鉄道は公共インフラである以上、私鉄には定時運行の責任があります。ところが銀行はそんなことは知ったことではない。不況だからといって銀行が一斉に融資を引き上げたら、倒産が増えて一家心中とか夜逃げとか悲劇が起きる。そんなことは知ったことではない、

こんなひどいことを放置しておいていいのでしょうか。やはり社会の土台である通貨というインフラを私企業の銀行が取り仕切っているのは、おかしいのです。これはいわば、空気が私企業のもので貧乏人は息ができずに窒息死するような社会です。

90年代にバブルで投機に走って破綻した銀行を政府は税金を投入して救済しました。その際の政府の言い分は要するに、通貨は公共インフラだから銀行の破綻は放置できないというものでした、ですから税金投入に際しては、私企業がソロバン勘定だけで重要なインフラを運営していていいのかという論争があってしかるべきでした。

そこでダグラスは、信用を社会化すべきだと主張します。私企業の銀行をなくし、国家の信用局が国民(公共)通貨を発行して、それを利子なしで経済社会に供給する。これは銀行の国有化ではないので注意してください。国有化したところで利子付き負債という銀行マネーの本性は変わりません。通貨システムのまるごとの再設計が課題なのです。

 

経済統計に基づく国民通貨発行

 

ではどういう再設計なのか。国家の信用局が国民通貨を発行することで、通貨の管理は国家の公益事業になり、私企業のソロバン勘定に攪乱されずに、通貨を資金が必要なところに満遍なく供給することがその課題になります。これと反対に、銀行の課題は社会を常に資金不足の状態にしておくことです。そうしてこそ借り手が増えて利子も高くできますから。だが信用局は、通貨が潤沢に社会全体に行き渡るようなお金の流れを作り出します。これは自治体の水道局がすべての必要なところに水が出るようにしているのと同じです

ただ、そんなことをしたら国家がやたらに通貨を発行して、暴走インフレになるではないかと心配されるかもしれません。しかし現代では統計の技術が高度に発達しています。昔は統計の技術が未発達でした。だからデタラメな金融より銀行のソロバン勘定の方がまだましで、経済秩序に規律をもたらすと思われた。しかし今日なら、かなり正確な経済統計が可能です。それによって国民が生産した富の総計を計算し、それを上限として通貨を発行すれば激しいインフレは起きないはずです。その場合、まず昨年の数値に即して通貨を発行する。そして今年の富の生産が昨年より多ければ経済はデフレ気味になり、少なければインフレ気味になる。これを指標として通貨の発行量を調整するということになるのではないか。これは電力会社が電力の消費量を絶えず監視しながら送電量を調整しているようなものです。

 

国民配当(ベーシックインカム)の支給

 

それから第二に、全国民に一律無条件に生涯にわたり一定のお金を支給する。これは世にベーシックインカムと言われているものですが、私は近年、ベーシックインカムという言葉を使わないようにしています。最近はダグラスに倣って、国民配当national dividendという言葉を使っています。現代の福祉国家は財政難の今でも年金や失業保険や生活保護などである程度の所得の保障をやっています。「基礎所得保障」(ベーシックインカム)というのは、あくまでこの福祉国家の発想から出てきた言葉です。だからセーフティーネットとみなされている。だが国民配当とベーシックインカムはかたちは同じでも理論的文脈においてまるで違うものです。国民配当は通貨改革の一環であり、通貨が公共インフラであることに理論的根拠をもっています。

国民配当は狙いは所得ではなく購買力を保障するために支給されます。この点がベーシックインカムと違うのです。例えば、月1万円の保障でも一応、所得保障をしたことにはなります。しかしそれでは、精々100円ショップにしか行けないでしょう。まともな購買力の保障となるとやはり、ある程度の金額が必要です。ベーシックインカムの場合、支給額の根拠は恣意的で曖昧なものです。最小限の生活費にはなるが労働意欲を削がない程度の額といったあやふやな議論になる。だが国民配当の場合は、どのくらいの額を支給すればそれなりの購買力の保障になるか、専門家が物価統計などのデータに基づいて議論し、根拠のある数字をはじき出すことができます。

そして国民配当はあくまで通貨改革の一環、通貨システムを公共インフラとして確立するための措置なのです。その意味で、国民通貨の発行とそれによる国民配当は、コインの表裏のように一体の政策です。

ところが世のベーシックインカム論は大抵その財源の問題で行き詰ってしまう。銀行経済と議会制の租税国家を前提にしているからです。だが通貨システムを再設計すれば、財源の問題は消えてしまいます。

 

 

 

 

 

通貨の発行と回収

 

発行された通貨は商品の売買に使われたあとは回収されねばならない。国家が通貨を発行するだけで回収しなかったら、経済は通貨の過剰で暴走インフレになってしまう。そして国民配当は、基本的に通貨回収のチャンネルなのです。

ダグラスの通貨改革の構想では、国民通貨を発行します。それを生産のための資金として企業に融資する一方、消費のための資金として全国民に配当を支給します。企業は融資された資金で生産し、それは流通部門で売られる商品の価格になります。そして国民が商品を買うと通貨は流通部門を経由して企業に行く。それで企業は融資してもらった資金を国に返済します。これで通貨は生産と消費を仲介したあとで、ぐるりと回って発行元の国に回収されるわけです。これは鉄道で乗客が目的地に着いたあと切符が回収されるのと同じです。国民配当というかたちで通貨回収のチャンネルを設けておけば国民通貨の発行が暴走インフレを惹き起こす恐れはありません。このように国家が自ら公益事業として通貨を発行する場合には、それと同時に国民に消費への権利を保障する必要があるのです。それで通貨システムは、生産と消費のサイクルを円滑に実現するソフトインフラになります。

 

 

国民配当は経済システムの安定のため 

 

 

国民配当が必要なもうひとつの理由は、通貨がインフラならばその流通にはインフラとしての安定性や信頼性、定常性が要求されるからです。銀行経済は本来きわめて不安定なものです。人々の所得(購買力)は雇用で決まり、雇用は個々の企業の都合で決まる。そして企業の経営は銀行のソロバン勘定で決まる。このように銀行経済は偶然に左右されていて不安定です。だから繁栄が一転して大恐慌になったりする。通貨を円滑に流通させ信頼できるインフラにするためには、こういう偶然の要素を排除する必要がある。偶然に委ねておくと、通貨の流れが歪んでしまう。これを水道に喩えると、ある場所では水が滞留して洪水になり、他の場所では水が来なくて炊事洗濯もできないような有様になる。流通が滞れば通貨は通貨として機能しなくなり価値を失う。そして経済は恐慌になります。だから通貨を安定したインフラにするためには、全国民に雇用に左右されない最小限の購買力を保障し、社会にお金を行き渡らせる必要があるのです。これは「平等の理念」といったことにはあまり関係はありません。システムの安定性は、むしろ工学的な問題だと思います。

ついでに言うと、国家が自ら通貨を発行するならば、税金は基本的に要らなくなります。現状では銀行が通貨発行権を横領しているから、国家運営のために別途徴税が必要になるのです。だから国民配当には財源の問題はありません。ただし資本転がし、土地転がしによる不労所得には懲罰的課税が必要です。これは富の生産とは無関係な巨額のマネーは、「バブル期の地上げ騒ぎのような」経済の攪乱要因になるからです。もっとも少子高齢化する今の日本では、土地はもう利権の源泉にはなりませんが。

 

東京一極集中という深刻な問題 

 

今の日本にはいろいろ問題がありますが、私から見ると一番深刻な問題は東京一極集中です。それによる地方の衰退。ご存じのように、増田レポートでは近い将来に800以上の地方自治体が消滅を予測されています。安い中国製雑貨の洪水で地方の中小企業が打撃を受けている、多少高くても質のいい国産品を買いたいと思っても、デフレのご時世で、スーパーで売っている雑貨は中国製ばかりです。その見返りで大企業は中国市場で日本車などを売れるが、地方の中小企業はたまったものではない。そして地方に職場がない高卒の女性が都会に出ていくので地方に女性がいなくなり、人口の再生産ができない自治体がどんどん増えている。歴史的に都市は死亡率が出生率より高い人口のブラックホールで、田舎からの人口の流入で存続しています。だから地方が死ねば東京もいずれ死ぬ。それに東京など世界の大都市は人口の異常な集中で水不足が深刻になるという予測もあります。

この東京一極集中も究極的には、お金の歪んだ流れ方が原因です。人の流れは金の流れに従います。金の流れがあるところには有効需要があり、雇用が生まれ、所得が生まれます。ましてや今のような不況の時代には銀行は商売柄、もっぱら富裕層相手に商売をするようになる。そうなると、ますますお金は、既にお金があるところにさらに集中する。しかも集中したお金は生産に投資されずマネーゲームに使われる。それでも東京ならばそれで儲けたおこぼれが少しは庶民にも回ってくる。地方は切り捨てられている。それが世界的にはグローバリゼーションであり、日本国内では東京一極集中という形をとっている。貨幣をインフラではなく純然たる利殖と蓄財の手段とみなすなら、当然そういうことになります。東京一極集中には政府も危機感を持っていろいろやっていますけれど、どの政策も焼け石に水です。

 

東京一極集中解決は通貨改革で

 

ですから東京一極集中を止めさせ地方を再生させるには、お金の流れを変えるしかありません。お金の流れを、東京への集中から地方への分散に逆転させるしかない。そうなると、やはり国民配当なしには、東京一極集中は止まりませんよ。逆に言うと国民通貨、国民配当が可能になれば、日本各地の地域経済の毛細血管の隅々にまでお金という血液が行き渡ることになり、自ずと地域経済は活性化します。お金があれば有効需要が生まれ、購買力が上がれば、市場が生まれ、企業活動が活発になり雇用が生まれる。これはものの道理です。ですから、通貨改革によってお金の流れを逆転させる以外に、東京一極集中と地方の衰退の問題は解決できません。

ここで戦後日本のアメリカナイズという問題にまた戻ります。戦後日本は果てしない経済成長の追求というアメリカの論理をやみくもに信奉してきました。目下の東京一極集中と地方の衰退は、この戦後日本が行き当たった袋小路です。この先に日本の未来はありません。未来は、脱アメリカナイズで古く良き日本の伝統、その魅力や活力を21世紀に相応しいかたちで甦らせることにあります。それによって地方を再生させ地域経済を繁栄させることにあります。そして脱アメリカナイズとは、これまで申し上げてきたように脱銀行であり、脱石油ということでもある。これは理想とかビジョンではなくて、ほとんど必然的なことではないか。日本の必然的な未来として受け止めるべきではないかと思います。

 

脱銀行の実例――― 藩札

 

脱銀行ということでは実は江戸時代に、さっき言った経済運営のための機能貨幣、もしくは公共通貨の素晴らしい実例があります。皆さんもたぶんご存じだと思いますが、各藩が発行していた藩札です。日本は17世紀に戦国の世が終わって天下泰平の江戸時代になり、いよいよ各地の地域経済が発展する時期を迎えた。ところが、当時の通貨といえば金属の金銀銅、金貨、銀貨です。これを正貨として鋳造する権利は幕府が独占していました。そのために各藩は、経済発展の時期を迎えているのに、通貨供給量が絶対的に不足していました。これから経済が発展する余地があるなら、まず通貨の流通を増やす必要がある。だが幕府には逆らえない。そこで苦し紛れと言えば苦し紛れなのですが、17世紀はじめに福井藩が史上初の藩札を発行しました。奇しくもこれは英国で最初の近代的銀行であるイングランド銀行が生まれたのと同時です。

藩札は先に説明したブレトンウッズ体制のドルに少し似ています。つまり各藩は農民から徴収した年貢の米を大坂市場に持って行って売って金銀の正貨に換える、そして「必要なら藩が保有する金銀と交換しますよ」という保証付きで紙幣を藩札として発行したのです。これはブレトンウッズ体制に似ている。こういうかたちで正貨を活用して通貨の流通量を何倍にも増やしたのです。忠臣蔵の家老の大石内蔵助が藩政立て直しのために相場より高い比率での交換を約束したといった挿話もあります。

日本では、銀行に比べると藩札は前近代的な通貨だ、みたいな偏見があるようですが、私は大成功した政策とみています。江戸時代の経済と文化の目覚ましい発展は、ほとんど藩札のおかげではないか。現に幕末には8割の藩が藩札を発行しており、明治になってからも流通し、しかもかなりいい相場で明治政府の通貨と交換されました。そういう形で藩は、金銀の正貨を財宝として死蔵しなかった。藩主が私有する財宝として扱わず、実体貨幣を藩経済の発展に役立つ機能貨幣に変えました。このように江戸時代の藩の武士は、公共に奉仕する精神をもった統治者でした。これはフランスの貴族や聖職者が収奪するばかりで革命で打倒されたのとは対照的です。

17世紀に英国では、貨幣は財宝という観念に基づいて個人的な利殖と蓄財に奉仕する銀行という制度が生まれた。だが日本では地域経済発展のための通貨が発行された。そこには藩の公共性という意識があった。そういう意味では、日本は公共インフラとしての通貨の素晴らしい先例をつくったと誇っていいと思います。現代人は藩札の歴史から学ぶことが多いのではないか。ちなみに信州では藩札が活発に利用されて、南信州では藩を越えて流通した例もあるようです。

 

スケールダウン・スローダウン・社会構造の単純化

 

それから、脱石油ということでは、20世紀は大都会、大企業など巨大で複雑な組織がやたらと増殖した世紀でした。これもやはり、石油のエネルギー効率のよさが可能にしたことです。今後、石油の供給が先細りになり、それと共に金融も先細るとすれば、巨大で複雑な組織の時代も終わるでしょう。

どういう流れになるかはある程度、予測可能だと思います。まず、組織は小規模化するだろう。スケールダウン。第二に、社会生活のテンポの減速、スローダウン。第三に社会構造の単純化、simplification。こういう傾向はもう社会の底流として出てきていると思います。それから、世界的に見ても、総合的に経済とか政治がうまくいっている国は、デンマーク、スイス、オランダなど、みんな小国です。小国のほうが国の運営がうまくいく。巨大国家はアメリカでも中国でも、統治も統合も困難な状態になっている。やはり、組織の規模が問題なのです。組織の小規模化が否応なしに現代の課題になっていると思います。

この三つが今後の流れになってくるだろう。ただし小国が望ましいとしても、もちろん、日本はそんな小国ではあり得ない。それなら日本という国を小国の連合体として組織する。つまり、連邦制です。現代版の幕藩体制です。連邦制が日本には理想的な国家形態でしょう。

 

「農」が社会の核に

 

石油など化石燃料をエネルギー源とする近代工業文明は終焉する方向に向かうだろう、そして石油文明が終われば、地域の農業が否応なしに社会の核になってくるだろう。人間は衣食住がなければ生きていけません。しかし農業というものは単なる産業の一部門ではない。第一次産業という言葉がありますが、農林漁業は産業というより生活様式、ライフスタイルなのです。ですから私は農業ではなく「農」という言葉を使っています。総合的な、文化的、社会的な要素を含めた営みを「農」と言っています。

  今後、農が社会の核になってくると言っても、これは江戸時代の農村社会に戻るということではありません。現代人は近代科学をいったんくぐっていて、その成果を活用できます。ですから農の復活は科学の成果を生かした産業の緑化、産業の土台が鉱物系から生命系に転換することを意味すると考えるべきでしょう。

 

林業の再生も

 

そういう産業の転換で私が一つ思うのは、農業だけでなく、やはり林業の再生も重要ではないか。戦前の日本では木炭がよく使われて、日本のエネルギー自給率は70%ぐらいあったのです。戦前は、林業は基幹産業でした。それが今は、林業で活気があった集落が限界集落になっている。日本は国土の7割が森林です。新しい視角での林業の再生を考えるべきと思います。森林は本来、生命科学の目で見れば、資源の宝庫なのではないか。問題は、そういう方向に投資が向かっていないことです。まだまだ石油でやっていけると思っているから。しかし、林業の再生は、国土保全ということを考えても、農の再生と同じぐらい重要ではないでしょうか。

 

日本文化は「野の文化」

 

私のかねてからの持論ですが、農業は産業の一分野ではない。agricultureという言葉は、ラテン語の原義に即して「野の文化」と訳すべきだと言ってきました。agricultureは直訳すれば「野の文化」と訳せます。有機農研の皆さんもそういう「野の文化」に参与している方々、「野の文化」としての農のさまざまな側面に包括的に関わっている方々であると思います。

さらに、ちょっと大風呂敷を広げますが、「野の文化」の再生を課題にすれば、これは同時に、戦後のアメリカナイズで歪んだ日本文明の再生にもつながるのではないかと思うのです。これは私の近年の持論ですけれど、日本文明の特徴はその深く農本的な性格にあると考えています。ヨーロッパ文明の原理は哲学のロゴスです。欧米人は、頭で世界を理解しようとする。世界を観念で捉えようとする。これに対して日本人は体を動かして、行いや営みを通して、世界を理解というよりは会得しようとします。頭だけではなく身体でも理解する。それが日本文明の古来の原理だったのではあるまいか。だから日本にはさまざまな「道」があります。仏教も明治以前は仏道といわれたので、仏教も道だったんです。

そういう営みの中でも、ひときわ重要だったのが農の営みであったのではないか。そういう意味では、例えば日本神話を見ても、太陽神の天照大御神をはじめとして、農がそこに深く影を落としていることは否定できません。また、例えば平安時代の国風文化ですね。平安貴族は最初は外来の唐の文化にかぶれ、その真似をして春になると梅を愛でていた。それが平安時代の間に愛でる対象が梅から桜に変わった。これは皆さんもご存じのように、春になると神が山から里に下りてきて「田植えの準備をしろ」と農民に合図をする。それが桜の開花だったんです。そして平安の貴族もそういう農的な感性を庶民と共有していたから桜を愛でるようになり、国風文化が誕生した。そういう意味では日本の野の文化は古来、天皇から庶民まですべての日本人が共有する文化だったのではないかと思います。

そしてこれも私の仮説ですが、日本独特のわびさびの美学も、農的な感性の産物ではないかと思っています。植物は勢いよく成長するだけが価値ではない。枯れて腐って、腐植土になって土地の養分になることも植物の価値だ、という農的な感性が、わびさびの美学の背景にあるのではないかと思いますが、どんなものでしょうか。

有機農研の方々は信濃の地で野の文化の再生に従事しておられます。野の文化と共に地方が再生し、そこから日本の未来が拓けてくるでしょう。

 

どうしたら通貨改革は実現するか

 

私のこれまでの話を聞かれて「じゃあ、いったいどうしたら国民通貨や国民配当という通貨改革が実現するのか」という疑問を持たれた方がいると思います。通貨システムというものは、あまりに重大な問題なので、誰か個人があれこれ考えて実現のシナリオがつくれるものではないです。とは言っても、全然見通しなしだったら無責任なことになりますので、私の個人的な見通しはこうだということでお話ししたいと思います。

まず、銀行経済はシステムですから、その部分的な変革は無理なのです。システムである以上、総取っ替えするしかない。「昔の左翼の破局待望論みたいなことを言うのか」と言われるかもしれませんが、部分的改革は無理なのです。例えば、経済成長という目標には多くの人が疑問を持っています。しかし銀行が経済を取り仕切っているかぎり、経済が成長しないと雇用も所得も福祉も保障されない。それでおかしいと思いながら経済成長至上主義に反論できない。

そして通貨改革党という政党をつくって、政権を取って改革ということも原則的に無理なのです。というのは、議会と政党の政治体制はあくまで銀行経済と租税国家を前提にした体制だからです。それにもし政権与党が政府通貨を発行したら、それは党エリートのための党派通貨になり今の中国みたいなことになってしまう。こうして政党による通貨改革は期待できない。もしどこかの政党がベーシックインカムなんて言い出したら、はっきり言ってそれは有権者を釣る撒き餌でしかありません。そのうえ昨今提起されているベーシックインカム政策はどれも危険なものです。財政難の福祉国家が社会保障費大幅削減の口実にベーシックインカムという美名を使っているようなものばかりです。繰り返しますが、肝心なのは通貨改革の一環としての国民配当なのです。国家を会社に喩えればベーシックインカムはその従業員の福祉手当です。これに対し国民配当はすべての国民を国家の株主にするものです。

 

銀行破産の果てに通貨改革が

 

皆さんはここまでの話で「結局通貨改革など絶望的じゃないか」と思うかもしれません。ところが実は私は大変楽天的なのです。というのは、銀行は自滅しています。リーマンショックのときに、銀行は事実上みんな破産しているのです。それをあの手この手で誤魔化しで平常運転しているように見せかけてきましたが、そのトリックがもう限界に来ています。皆さんもご存じでしょう、メガバンクの大リストラとか。銀行マネーは利子が問題だと言いましたが、実は今の銀行は利子で食えていない。手数料で食っている。そこまで追い詰められている。さらに客から預金預かり代を取るとか、せこいことを言い出している。それだけ本当に苦しくなっている。そういう意味では銀行は、遠からず営業停止状態に追い込まれると思います。どう考えても、今の銀行の危機を打開する手はもうありません。マイナス金利など打つ手は全部打って、この状態ですから。

そして営業停止状態になったら、社会生活は直ちに麻痺します。1930年代の大恐慌当時は先進国のアメリカでさえ社会は素朴で、国民の多くは自営農民や商店主でした。だから、倒産と失業の騒ぎで済んだ。ところが今の日本で銀行が営業を停止したら、一瞬にして日本全土が大津波に直撃されたみたいな状態になる。スーパーの棚はあっという間に空になり、水道、電気のライフラインも危うくなる。文明の崩壊みたいな状態になります。これは放っておけない。だからもし銀行が営業を停止した場合には、政府は社会の崩壊を防ぐために、即座に政府通貨を発行せざるを得ないでしょう。つまり政府は否応なく、通貨はインフラであることを認めざるをえなくなるのです。これは泥縄式の通貨改革です。しかしこの世では、重大なことに限って泥縄式で進行するものです。物事が青写真通りにきれいに実現するなんてことは滅多にないのです。

 

通貨改革・国民配当の世論を巻き起こす

 

どういう泥縄になるかは、私の個人予想ですが、とにかく緊急に政府通貨を発行して、銀行にそれを流す。それで社会生活を回すことになると思います。その際に、緊急事態で新しい紙幣のデザインなんてしている余裕はないから、日銀券をそのまま発行して、それにスタンプを押して政府通貨の印にする。それを供給という可能性が高いと見ています。

その場合、おそらく政府は、これは銀行が復活するまでのつなぎの臨時措置だと言うでしょう。だがもう銀行の復活はありえない。だから、そういう事態になったら、これを機会に国民通貨発行体制を確立すべきだ、そして国民配当を実現すべきだという世論を巻き起こす必要があります。

結局、通貨改革なしには経済が回っていかない状態になるのです。ですから私は楽天的です。結局、構造的必然性を持って、国民通貨と国民配当は実現せざるを得ない。どう考えたって、消去法でやっていくと、これしかもう打つ手が残っていないのです。

ただし、スムーズにめでたしめでたしで改革が進行するわけはない。マネーほど生臭いものはありません。通貨改革は混乱と紛争を伴いながら泥縄式に試行錯誤を重ねてじわじわ実現していくことになるでしょう。その際には、国民の多くが通貨システムについて理解していることが重要になります。通貨発行権は本来国家のものです。そして民主的な国家なら、通貨を公共インフラとして管理し、公益事業として通貨を発行することができる。だが現状では銀行が通貨発行権を横領している。そして通貨を純然たる私的な利殖と蓄財の手段として扱い、そのことが社会にどんな破壊的影響を及ぼしているかを考えない。こうした事実を少しでも多くの人に知ってもらう必要があります。

 

国民通貨発行の予算配分はどうするか

 

そこで国民通貨発行体制が実現したと想定します。そうなると日銀は国家信用局に置き換えられます。そして国民通貨が発行され無利子で社会に供給され、それで国民配当も支給される。これは技術的に容易なことです。問題はその先です。国家予算を編成し資金を配分するという現在財務省がやっていることをどうするか。ここがちょっと。私にもはっきり見当がついていない問題です。財務省はご存じのように、各方面からの予算要求をきいたうえでほとんど専断的に予算の編成をやっています。これは財務省が威張っているわけではない。どの官庁や自治体も少しでも多くの資金が欲しい。だから財務省の権限を尊重しその決定に従わないと、国政が混乱して収拾がつかなくなるからです。

これが国民通貨になったら、税収に制約されずに国家は通貨を発行できる。国債の発行で国家の銀行に対する負債が増えることもない。それで資金の配分を”民主的討論”で決めることにしたら、誰もが「もっと金を回せ」と言い出して国政は大混乱に陥る恐れがある。それをどうやって収拾してさまざまな要求を調整していくのか。私はこの問題について明解な答えを持っていません。ただ、人間の良識と常識で解決されるはずだというぐらいの楽天的な気持ちは持っています。例えばどこかの県でですよ。国民通貨が発行されるので気持ちが大きくなる。これまでのように地方債の発行で県の借金が増えることはないからと従来の3倍の予算を組むとします。その県は突然大金が転がり込んだので、遊び回って破滅する人間みたいになってしまうでしょう。県民が実際に生産した富を超える量の通貨が流通したら悪性のインフレが発生する。富は現実に生産されるものです。貨幣はあくまで富の符丁にすぎません。符丁が増えたから富が増えることはありえません。

 

デモクラシーの新たな試練としての通貨改革

 

上記のような危険があるので、公共通貨やベーシックインカムをやったら暴走インフレになると通貨改革に反対する人が前からいます。「銀行のソロバン勘定が経済の規律になっている。この規律をなくしたら、大衆はカネは天から降ってくるものと思いこんで、金遣いの荒いドラ息子みたいになってしまう」と言うのです。これは経済理論ではなく政治的信条の問題です。こういう人はデモクラシーを「すべての人の欲望をできるだけ充たせる体制」のことと解釈します。しかしデモクラシーの核心は欲望ではなく民衆の政治的学習能力にあります。デモクラシーとは民衆の学習能力を信頼し、それを育てようとする政治体制です。言論の自由、集会の自由といった自由をデモクラシーが重視するのも、民衆の学習能力を高めるためです。学習する民衆は絶えず試行錯誤しながら失敗から学ぶことができます。彼らは自称知的エリートによる指導を必要とせず、自分たちの社会を協力しあって統治することができます。デモクラシーは古代ギリシャ語の原義では「民衆による統治」を意味しています。

国民通貨発行体制がうまく機能するためにはそういう自治、民衆の賢明な自己統治が不可欠です。自治とは厳しいものです。それは民衆がお上に依存せず、自分たちをきちんと律していくことなのです。民衆にそういう自治能力がなければ、通貨を公共インフラとして民主的に管理することはできません。民衆の判断と選択が健全で賢明な学習するデモクラシーにおいては、先の例のようなデタラメな予算を組む県が出てきたりすることはないでしょう。国民通貨の配分という問題も、当初は紛糾しても、次第に問題を解決する制度が形成されていくでしょう。

私がダグラスの影響で通貨改革という問題を考え始めてから、もう20年近くになりますが、私の確信はますます深まっています。現代社会は、構造的必然として通貨システムを根本から改革せざるをえない。そうしないと紙幣はいずれ紙屑になって社会が解体してしまう。だが通貨システムを改革すれば人々は利子、負債。納税の義務という軛から解放されてマネーの奴隷ではなくなる。

生産の三要素は、資本・労働(人間)・土地(地球環境)ですが、資本主義とは資本が人間と土地を支配しているシステムのことです。通貨改革はこの状態を是正して、資本を人間と土地に従属させます。そして資本を否定するのではなく、人々の間に広く行き渡らせます。すべての人が生活するうえでの最小限の資金に困らないという意味での資本家になれば、資本の所有は特権ではなくなり、<資本主義>は消滅します。しかし人々が厳しく自分たちを律する習慣を身に着けないかぎり、この改革は実現しないでしょう。通貨改革はユートピアの夢ではなく、デモクラシーの新たな試練でもあることを最後に皆さんに訴えたいと思います。

 

 

 

 

 


関曠野さん、大阪・應典院講演「追記」

●  関曠野さんの大阪・應典院での講演の「追記」を仮アップいたします。この「追記」は講演録正式アップの時に掲載しようと思いましたが、内容の重要性から仮アップいたします。正式アップも近々いたしますので、もう少しお待ちください。(白崎)

 

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追記 -会場からの質問で考えたこと

関曠野(思想史)

 

 2016年の11月にはじめて大阪で講演をさせて頂きました。私の話を聴きに来てくださった関西の皆さんに改めて感謝申し上げます。さすが大阪というべきか、講演の後では会場から幾つも鋭く率直な質問があり、私もたいへん勉強になりました。そしてこの大阪での講演をきっかけに、今後は「政府通貨」と「ベーシックインカム」という言葉を止めて、その代わりに「国民通貨」および「(基本)国民配当」を使うことにしました。

 

その理由ですが、会場からの質問で、「政府通貨」と聞くと政府がある日号令を出して自分の預金や保険契約などがパーになるという過激なデノミのようなものをイメージする人が多いことが分かったからです。実際には、銀行券と国民通貨が共に流通する移行期間があるでしょう。しかしイメージだけが問題なのではない。私が安易に「政府通貨」という言葉を使ってきたことが、もともと問題だったのです。会場からのもうひとつの質問が、そのことを私に気付かせてくれました。それは「通貨は公共の利益のために超党派的かつ民主的に発行されるべきということは分かった。だがこれは、政府通貨とベーシックインカムは今後も実現できないということではないか」という質問でした。これは当然の疑問です。政府通貨ときけば、議会制国家の枠内で、政権与党が政権維持を目的に党派的に発行する通貨になってしまう。実際、今の自民党政権は経営危機の東電救済のために無利子で公金を融資しています。こういう悪質な党派的政府通貨はすでに実現しているのです。中国の人民元も一種の党派通貨でしょう。「政府通貨」という言葉がこうした党派通貨を容認するものと受け取られるようなら、この言葉は使うべきではありません。

 

このように議会と政党の国家体制は、通貨の公共的な発行と管理、それによるベーシックインカムの支給とは原理的に両立しえないのです。もともと議会制は銀行経済とそれを補完する租税国家を前提とし、徴収した税金に使途を審議するための制度です。だから議会からは、政権与党による党派通貨以上のものは出てきません。議会は銀行経済と一体である以上、脱銀行の通貨改革はできません。だからベーシックインカムも実現できません。租税国家には、全国民にまともなBIを支給できるほどの税収はないからです。それでも国家がBIの導入を検討すると言い出した場合は、それは福祉合理化が狙いです。今の経済危機の中で戦後の福祉国家は完全に破綻しています。だから財政難の国家としてはBIと引き換えに社会保障を全廃できれば大助かりです。今フィンランドが検討している案は、まさにそういうものです。

 

私は以前から通貨は議会や官庁から独立した国家信用局が経済統計を踏まえて発行することが望ましいと主張してきました。これは国民の国民による国民のための通貨です。だから「国民通貨」と呼ばれるべきです。そしてこの通貨の使途も公的民主的に協議され、社会の合意に基づいて決められる必要があります。さもなければ国民通貨とは言えません。だから通貨改革とBIを実現するには、やはり国家体制の転換が必要です。その場合、デモクラシーの老舗のスイス連邦がひとつのモデルになりうるでしょう。スイスでは議会の権力はカントンの自治権および国民投票制によって制約されています。そのうえその議会も、一定の得票があったすべての党は入閣するので、議会は世論が代表される場であり、与野党の政権争奪戦の場ではありません。こういう体制なら通貨の使途は厳しくチェックされ、国民通貨が党派通貨に堕する恐れはきわめて少ないでしょう。スイス連邦は議会制国家というよりカントン中心の地方自治体連合国家なのです。このことがスイスを経済的デモクラシーにも適した国にしています。

 

今日どこの国でも議会と政党の国家体制は崩壊の過程に入っています。議会政治は銀行経済を前提にしていて、銀行は果てしない経済成長なしには存続できない。だからゼロ成長で銀行が破綻した現在、議会政治は空回りするだけの茶番劇に堕しています。アメリカのトランプの当選は共和民主の二大政党制が死んだことを意味しています。また議会制発祥の地英国で、EU離脱という一大事が国民投票で決まったことの意義はどれほど強調されてもいい。また昨今EUで急伸している反EU反ヨーロ反移民の諸政党は政党のかたちをとってはいますが、議会に党員を送り込むことより自治体を押さえることを重視してきました。その結果。グローバリゼーションに切り捨てられた地方の庶民を代弁する勢力としてEUの政治を揺るがすに至っています。日本でも遠からず国政の焦点は、中央の国会から地方自治体に移っていくと私は見ています。日本でもローカリゼーションのうねりが生じるでしょう。そして通貨改革とBIがローカリゼーションの中心的な戦略になるでしょう。

 

 今私はベーシックインカムと言いましたが、今後はもうこれを使わず、代わりに「(基本)国民配当」というという言葉を使うつもりです。誰が「ベーシックインカム」を最初に使ったのか私は知らないのですが、この言葉には戦後の先進諸国のケインズ主義的福祉国家路線の匂いがします。だからフィンランドがやろうとしているような福祉合理化に、この言葉はよく馴染む。「所得」というのはエコノミストの用語で、ヘリコプターマネーを大衆にばらまいて有効需要を大量に創出という彼らの上からの発想にも馴染みます。それに「所得」というから、働いていないのになぜ所得があるのか、といった疑問異論を招きやすい。

 

ダグラスがBIと言わずに「国民配当」という言葉を使ったことには理由があります。彼の課題は福祉政策でもマクロ経済の管理でもなく、経済的デモクラシーの実現でした。そしてこのデモクラシーの根幹をなすのは、すべての国民の貨幣=購買力への権利です。ダグラスが言うように、富の生産は人類が車輪やバネを発明して以来蓄積してきた文明の遺産に依拠しています。だからすべての国民には文明の相続人として国民経済が許すかぎりの配当をもらう権利があります。資本の所有者にだけ株や債券といったかたちで特権的配当があって、庶民には雇用による所得があるだけという経済体制は、デモクラシーではなく近代的農奴制とでも呼ぶべきものでしょう。ですから一国の経済生活に参加しているすべての国民には一定の配当をもらう権利があるのです。これは道徳的理想や過激な政治的信条などではなくて、近代経済の現実に根差した国民の基本権です。この基本権を無視すれば、富の極度な偏在が円滑な経済循環を妨げ、1%のスーパーリッチと99%の一般国民に引き裂かれた経済社会は破滅に向かいます。このままでは遠からず銀行経済は全面停止状態に陥り、文明は崩壊します。その兆候はすでに出てきています。だから今こそ、すべての国民のお金への権利が承認されねばならない。われわれが必要としているのは、お上が恵んでくれる「所得」ではなく、配当への当然の権利なのです。

ゴキブリでもわかるベーシックインカム(国民配当)の有効性について ~~日経新聞、萱野さんの「ベーシックインカムを考える」に反論する ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

ゴキブリでもわかるというのは、ゴキブリをバカにしているからではない。ゴキブリは人類が進化の過程で登場するはるか以前から、たくましく、地球上のあらゆる生態系に入り込み人間の作り出した都市空間も利用して生きている。ゴキブリたちからすれば、人間の浅はかな政治経済制度などお笑いものだろう。そんなゴキブリたちにも深く納得してもらうのが本稿の目的である。

 

日本経済新聞の朝刊で、哲学者の萱野稔人さんが、連続してベーシックインカムに批判的な論を展開している。大きな批判点は、財源が不明確で、広く一律にベーシックインカムを支給するよりも、福祉制度などで困っているところに重点的に配分したほうが合理的で有効である~~ということにつきる。この批判は、大部分のベーシックインカム論者にはあてはまる。たいていのベーシックインカム論は、財政難の国家体制の中、税金で福祉制度のリストラによりベーシックインカムの財源を出していこうとするものだからである。そして、現物給付を含めた福祉制度の持続性とベーシックインカムの制度設計を打ち出せていない。これでは、論客の萱野さんにバッサリやられてしまう。ゴキブリだって

「まあ、ベーシックインカムなんて無理!無理!」と言うだろう。

だが、「実現を探る会」で主張されている、通貨改革による国民通貨(公共通貨ないし政府通貨)発行とそれによる国民配当(ベーシックインカム)となれば全く違う展開になる。

 

そもそもの問題点は税財源論のベーシックインカムを批判する萱野さん自身が、国家の財源は「税」しかないと誤解しているからだ。本当は、国家の財源のポイントは「通貨発行権」というものにある。読んで字のごとく、お金を創る権利だ。これがあれば怖いものはない。

通貨発行権の具体例を考えるには、断末魔の悲鳴をあげているアベノミクス(量的緩和政策)がとても良い反面教師となっている。日銀は通貨発行権という権力をもっている、だから、アベノミクスでも、年間80兆円もの大量の資金を国債を買うことで市場に供給した。でも、2%のインフレにも何にもならなかった。それで、このお金はどこへいったのか?それは、日銀にある一般の銀行(市中銀行)がもっている「当座預金」というところへどんどんたまっていっちゃったんだ。2017年7月12日現在で日銀当座預金は、359兆円もある(アベノミクス前の2013年2月は43兆円)。たとえば、この359兆円は、金融用語で「ブタ積み」と言う役立たずのお金だから、これを直接ひとりひとりの国民に配った方(国民配当)が合理的なデフレ対策になるというものだ。なぜなら、ブタ積み預金が、有効なひとりひとりの暮らしの消費のお金になるんだから。もちろん、このムダ金を介護現場などの困っているところに配分したってかまわない。使い道は、「まっとうな」政治の在り方が決めていくことになるだろう。

ただ、通貨発行権は、これだけではない。さっきの日銀が国債を買って流したお金は日銀当座預金に溜まったといった。これに、日銀は一万円などの現金も印刷しているから、これらをあわせてベースマネー(お金のパン種みたいなもの)という。このベースマネーの一部である日銀当座預金は、一般の銀行(市中銀行)のものだから、銀行は、このお金を使って、企業や家庭に融資して利ザヤを稼ぐということになっている。銀行が貸したお金は、ほとんどが、銀行預金となるから貸し出しを増やせば増やすほど預金がふえていくことになる(信用創造という)。この「預金」は引き出したりカードで使えるから、現金と全く同じで「預金通貨」と言われている。これもお金なのだ。となると、一般の銀行も「通貨発行権」をもっていることになる。この預金通貨の総体をマネーストックとかマネーサプライとかいうが、この全体の額は2017年6月で1301兆円もある。

(ただし、アベノミクスは、この銀行貸し出しはほとんど増えなかった。だから、ブタ積みになったというわけ)

ここで、おさらい。「通貨発行権」は、「中央銀行=日銀」と「市中銀行(一般の銀行)」の二つがもっているが、この両方の権利でざっくり1000兆円以上のお金が生み出されるということになる(国民通貨の発行)。これを使うと、国民配当(ベーシックインカム)や他の福祉財源は、しっかり確保されるわけだ。それに、リーマンショックのときのデリバティブなんていう錬金術的金融工学をつかったときには、さっきのベースマネーの100倍ぐらいのあぶく銭を創り出したなんていう話もある。お金はあるところにはあるもんだ。

ただ、注意点がひとつ。国の富の総量をきちんとチェックしてお金を創らないとインフレっていうお金の価値がなくなっていくやっかいなことになるから、無限にお金を創ることはできない。みんなの富を適正に分配するのがお金の本当の役割だからね。

ここは、無限に増えていくほどのパワーをもっているゴキブリたちにも理解してもらえると思う。増えすぎたら餌がなくなっちゃうから。

こんなところで、今回は、「通貨発行権」が大切!ということを、萱野さんをネタに

考えた。深くは、「実現を探る会」の関曠野さんの講演録などを参考にしてください。

(2017年7月13日)

仮アップ 関曠野講演録 IN 應典院「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」(大阪)

 

2016年11月19日 於:大阪・應典院

 

「銀行は諸悪の根源 ― どうしたらおカネを『みんなのおカネ』にできるか」

講演者:関 曠野

 

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

 

主催:ベーシックインカム・実現を探る会、ベーシックインカム勉強会関西

 

 

 

 

「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」 

関曠野(思想史家)講演録 IN 應典院(大阪)

 

 

トランプパニックの意味

 

まず初めにアメリカでトランプが大統領に当選してしまったので世界的に大騒ぎになっていますね。柄の悪いドナルドダックみたいなおっさんが大統領になっちゃった。これは大変だというので、特にグローバリゼーションを推進してきた各国の体制エリートはパニック状態と言っていい。私自身はトランプの当選よりも彼の当選に対する世間の反応の方が気になります。

人間としてはトランプよりも前のブッシュの方がよっぽどでたらめだと思うんですよ。

しかしブッシュが当選した時にはパニックは起きなかった。なぜトランプの当選でこんなに世間が大騒ぎになっているのか。これはやはりね、トランプ自身の人物評価はどうであれ、トランプが当選したことの意味を世間が薄々解っているからだと思います。アメリカが主導してきた戦後の豊かな工業社会が終わろうとしている。いや、終わるというか崩壊しようとしている。その予感があって、トランプがその予感を象徴している。それだから世間がこういうパニック状態になっているのだと思うんです。けっしてこれはトランプという人間の素質の問題ではないと思います。

そういう意味で戦後が終わり新しい世界が始まろうとしている。その不安が今の世界を支配している。明らかに2017年以後世界はがらりと変わるだろうと思います。今の戦後の世界秩序がどのようにして生まれ、今後どのように変わっていくか、それが今回の講演のテーマですが、ともかく豊かな社会が成長の限界にぶつかって否応なしに終わらざるを得ない。これはトランプだろうがヒラリーだろうが安倍政権がいつまで続こうが、関係ない。終わらざるを得ないということですね。

 

自由貿易と軍事的覇権をやめる

 

そしてトランプ自身、まさに時代を反映した大変リアルなことを言っている。つまり自由貿易を止めると言っている。20世紀は戦争と革命の世紀といわれますが、これは皮相な見解です。この世紀は貿易の世紀でした。だが世界を動かしてきた自由貿易が終わろうとしている。これからのアメリカは保護主義、一国至上主義で行くとはっきり言っている。このトランプ原則はぶれないだろうと思います。それと自由貿易主義とワンセットになっていた同盟国の安全保障体制も見直し、同盟国に負担を要求するという。こういう形でアメリカはもう軍事的覇権を求めず、世界の警察官をやめると言っている。

この自由貿易とアメリカの軍事的覇権が戦後のいわゆるパックス・アメリカーナ、「アメリカの平和」の二本柱だった。2大原則だった。ところがこのアメリカ帝国をもうやめると言ってるわけです。これは大変なことです。驚天動地の変化といっていい。だからこそマスコミはこの問題を論評しないで、トランプが女性に失礼なことをしたとか、そういうことばかり騒いで、話をすり替えようとしています。トランプは確かに飲み屋で気炎を上げているような感じのおっさんですけれど、原則は原則でものすごくはっきりしている人です。それをマスコミは徹底的に無視している、それが庶民の怒りを買って彼の当選になったんではないだろうか。

 

右翼左翼図式からグローバルVSローカル図式へ

 

何はともあれトランプの人物評価は別にして、歴史的な転換が不可避に起きようとしています。私の言葉で言いますと、グローバリゼーションが終わってローカリゼーションの時代が始まろうとしている。世界を単一の市場として統合しようとするグローバリゼーションの動きが終わって、これからは国民経済が復活する、さらに国民経済の中でも地域経済が復活する。そういう時代が始まろうとしている。また我々自身が積極的にそういう時代の転換を促進しなければいけないと考えています。

それからもう一つ、トランプの当選がはっきり示したことがあります。右翼左翼という従来の政治パターンではまったく理解できない時代が始まりました。これは非常に重要です。トランプ当選は彼の勝利というより、ヒラリーと民主党の敗北という要素の方が強かったと言えるでしょう。トランプはそんなに評価しないけれども、ヒラリーと民主党はもっと嫌だという庶民の空気があったようです。その結果、アメリカでは民主党が代表する左翼、それからトランプを露骨に誹謗中傷したマスコミが信任を失った、失権したと私は思っています。これまで左翼とマスコミは「我々は人民の利益を代表している」と称してきた。それが庶民の信任を失った。おそらく今後左翼とマスコミは消滅に向かっていくでしょう。だからと言って右翼の時代が来るわけではありません。さっき言ったようにグローバルかローカルかが現代政治の焦点になってきています。これからはローカリゼーション、ローカリズムの時代が始まるということです。

 

なぜ、左翼は失権したか

 

では左翼はなぜ失権したのか。1960年代にマーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカの公民権運動を指導したことはご存知と思います。最後は暗殺されましたが。彼はなぜ黒人はいつまでも低い地位に留まっているのかという問題を考え抜きました。そして黒人には貧困な母子家庭が多い。その貧困な母子家庭が黒人の貧困を再生産しているという結論に達したんです。それで黒人の解放に本当に必要なのはそういう貧困な母子家庭を消滅させるベーシックインカム(以下BI)だと考えるようになった。これが彼らのいわば遺言だったと言えます。BIによる黒人の解放。特に女性の解放、母子家庭の貧困の解消。

ところがですね、アメリカ民主党はこのキング牧師の提言を全く無視しました。とにかく経済成長主義だったわけです。これからの経済はグローバル化で成長するということで、結局財界の別動隊となってグローバリゼーションの片棒を担いできたのがアメリカやヨーロッパの左翼です。ま、日本も似たようなもんだと思いますけれど。この財界協調路線がグローバリズムで痛めつけられた庶民の怒りを買った。経済成長主義ということでは左翼も右翼もない。左翼は実はエリートとグルなんじゃないかと庶民は疑い始めた。そうはいっても左翼っていうのは一応社会正義を代弁しているような顔をしなくちゃいけない。そこでアメリカ民主党に代表される左翼は、富と権力の公正な分配という問題を差別問題にすり替えたんです。富と権力の不公正な分配に対する抗議を差別の糾弾にすり替えたのです。それであちこちで差別現象と称されるものをほじくりだして騒ぎ立て、それで社会正義の代表者みたいな顔をする。それも言うにこと欠いてハリウッドで黒人俳優がオスカーをもらえないのは差別だとか、そんなことを言ってる。それにアメリカの庶民の堪忍袋の緒が切れたということがあると思います。

 

壊し屋、トランプ

 

だからトランプという人物自体は私はあまり問題にする気はないんです。アメリカの大統領というのはかなりマスコットの要素があってそんなに実権を持っているわけじゃない。ただ一つ違うのはブッシュでもクリントンでもオバマでも結局はアメリカのいわゆるディープステイトと言われる本当の奥の院の支配層のいうことを代弁しているだけでした。トランプはアメリカ帝国を壊そうとしている。これはやはりこれまでとは違うんじゃないか。ホワイトハウスの招き猫では済まないのではないか。そういう意味では人間のタイプは全く違うけれど、トランプはちょっとゴルバチョフに似た役割を果たすかもしれない。つまりトップダウンで体制を壊す。そういう人間になる可能性がある。それは別に革命思想を持っているということではなく、庶民層の怒りを代弁をしている限りにおいて、またアメリカ社会の停滞と混乱を何とかしなければと思っている一般のアメリカ人の気持ちを代弁している限りにおいて、トップダウンで体制を壊す人間が登場した。そういう見方もできると思います。 ただしトランプの任期中にアメリカ経済は連銀の誤魔化しに限界がきて最終的に崩壊する可能性がある。これは誰が大統領やったって打つ手がない問題ですが、それが全部トランプの無能のせいにされる、そういうスケープゴートにされる危険もありますね。その時になって「大統領なんてヒラリーにやらせておけばよかった」と後悔するかもしれません。

 

アウトサイダーのトランプ

 

トランプは何をやるかわからない危険人物のように思われていますけれど、私にいわせれば彼は大変わかりやすい単純な人ですよ。まずたたき上げの一匹狼の実業家です。だからエリートのサークルには属していないアウトサイダーです。もう一つ不動産屋ですから基本的に内需で食っている。だから国民の懐が温かくないと自分の商売も廻っていかないのでグローバリズムには反対なんです。経済を統計数字でしかみていないエリート層と違って、商売柄庶民の生活の実情を知っている。彼の政策も、周囲に色々わけのわからない連中をかき集めていますが、別に特定のイデオロギーがあるわけじゃない。要するに景気のよくなりそうなことなら何でもやる、見境なしにやるということです。非常に単純なんです。

しかもむちゃくちゃなこと言ってる。地球温暖化論議はアメリカの製造業をつぶそうとする中国の陰謀だなんて言っている。しかしですよ、トランプが本気で保護主義をやって世界貿易が縮小すれば、温室効果ガスの排出は劇的に減ります。温暖化について正確な科学的知識を自慢するインテリはここ何十年現実を一ミリも変えてこなかった。むしろ温暖化についてむちゃくちゃなことを言っているトランプの方がよほど温室効果ガスの排出を減らす可能性があります。政治家は学者じゃないんですから、これでいいんです。

 

経済戦争をしかけるトランプ

 

ただ景気を良くするためには何でもやるというので、かなり矛盾したことを言っている。企業の法人税を大幅に下げる。その一方で財政出動してインフラ公共事業をどんどんやるという。これ矛盾してますよね。じゃ、減税しながら財政出動するための財源はどうするんだ。この点では、トランプは外国との経済戦争である程度財源を作ろうとしているのではないか。そうすると関税などで増税なしに税収が増える。だから中国からの輸入品には45%の関税をかけると言っている。日本に対しても、ご存知のように在日米軍の駐留経費を日本に全部負担させようとしているし、ヨーロッパに対してもNATO関係の費用を全部ヨーロッパが持てと言っている。要求はこれに留まらないと思います。彼は破産するたびに借金を踏み倒してのし上がってきた男で、その政策を対外的にもやる可能性があると思います。日本はアメリカの国債を厖大に持っていて、毎年アメリカから8兆円の利子収入が入ってきている。トランプはひょっとしたらですが、日本が汚い商売をやって買ったアメリカ国債なんだから利子を払う必要がないとか、払っても1兆円に負けろとか言ってくる可能性があると思います。とにかく彼は外国との経済戦争は本気でやる気です。それ以外に財源の当てがありませんから。

 

「逆=黒船」へ

 

でもトランプのアメリカがそういう経済エゴに徹するのは私としては大歓迎です。おかげで日本もグローバリズムから脱却して経済的にも主権国家になり国民経済を立て直す、地域経済を再生させる。それ以外に選択肢がないということがはっきりしてくる。だからトランプのアメリカの自国中心主義は高く評価しています。とにかくこれで戦後日本が一貫して国家存立の前提にしてきた自由貿易とアメリカの覇権が消滅することになります。これからの日本はもう戦後の延長線上にはありません。トランプのアメリカという「逆=黒船」で、日本も鎖国ではないけれど、貿易をあてにしない内需中心経済への転換を迫られています。

 

お金とは、生産と消費を仲介するもの

 

今日のメモにあります本題に入ります。まずお金ということですけれどもね。お金は生産と消費を仲介するものです。つまり生産されたサービスや商品をお金があるから買えて消費するという単純な話ですね。お金は生産と消費を仲介する。だから貨幣というものは、消費を促進するためにあるのです。このことをしっかりと考えていけば世の中の仕組みが良く見え来ます。そして近代国家というのは根本においてお金の流れとして組織されています。国家というと我々はつい法律中心に考えていますけれど、法律というのは国家の骨格みたいなものです。国家の血液として循環しているのはお金なんです。だから国の実態はまずお金の流れとして解明すべきなのです。そのように解明していくと物事が良く見えてくる、何がどうなっているのかメカニズムがよくわかってくる。

 

銀行業に管理されているお金の流れ

 

そこで現状でのお金の流れですが、私企業である銀行がお金の流れをコントロールし、管理しています。日銀は資本金をもって設立された、株式も発行している私企業です。私企業が日本という国を取り仕切っている、内閣だの財務省の官僚だのはいわばその番頭に過ぎない。見かけだけの権力しかもっていない。日銀の正体は銀行業界のカルテルです。そして銀行業界が金の流れをコントロールしている以上、銀行が影の支配者として日本国家を取り仕切っているということです。

そしてこのお金の流れを血液循環に例えるならば、そこに極度の淀みや歪みが生じている。その結果お金の流れが滞って脳血栓や動脈瘤とかそれに近い現象が起きている。それが今のデフレなんですね。どうしたらお金の流れが再び順調に血液のように循環するようになるか。それが私が前から提起している問題で、BIもその一環です。BIは福祉じゃありません。お金の流れの淀みや歪を無くすための政策です。どうしてこのお金の流れに淀みや歪みが生じるのか。

 

C・H・ダグラスのA+B理論

 

20世紀初めにこの問題を最初に解明したのが英国のエンジニアのクリフォード・ヒュー・ダグラスという人です。私もこの人からお金の流れについての考え方を学びました。この人のことについては私も再三話しているので今日は延々と話すことはしませんけれども。

この人の重要な議論はA+B理論というものです。メモに書いてありますけれども。企業の帳簿を見てどういう風にお金が支出されているのか見てみましょう。そうすると従業員の賃金給与に支出されている部分Aがある。もう一つは生産のための原料と生産設備に関連して支出されている部分Bがある。原価償却とかそういう形で。そしてダグラスが発見したのは、どこの企業の帳簿でもA<Bだという事実でした。どの企業もAに比べると生産設備関係の支出Bの方が遥に大きい。しかしここには深刻な矛盾がある。企業が生産した商品を市場で売る際の価格は、このA+Bに銀行への利払いや利潤を上乗せしたものです。ところがそれを買う勤労者大衆にはAの所得しかない。しかも彼らだけが商品を買ってくれる消費者なのです。このように消費者の購買力という視点から見ると、企業が生産した商品の一部しか勤労者は買い取れない。すべてを買い取ることはできない。この基本的矛盾の結果、結局企業は売れ行き不振で生産過剰に苦しむ一方、勤労者の方は所得不足、必要なものさえ買えない所得不足に苦しむと。これは企業の会計構造それ自体に根差した問題です。企業の帳簿はあくまで効率的な生産のためのもので、消費には関係がないのです。ただしこのA<Bのギャップはタオルを作っている町工場のレベルなら大きな問題にはなりません。だが19世紀末以降、企業の機構が巨大化複雑化して、生産設備の刷新や研究開発に巨額の投資が必要になってくると、深刻な矛盾になってきます。

 

利払い銀行融資がマネーを歪める

 

さらに企業の機構が巨大化複雑化してくると、どんな企業でも銀行からの融資が必要になってくる。そうでなければやっていけない。トヨタクラスの巨大な多国籍企業だって銀行からの融資無しには回っていかない。そうなると銀行からの融資には利子を付けて返さなければいけない。利子というものは全く不生産的なものです。銀行は何も生産していない。生産に関係ない利子というもので儲けている。銀行は通貨の使用権に利子という価格を付けて売っているわけです。しかも利子はどんどん増えて、場合によったら複利で元本を上回るほどの額になる。こうして企業会計の中で銀行への利払いという不生産的なものが占める比率が大きくなっていきます。そうなると今お話したA<Bの矛盾に加えて銀行への利払いがお金の流れを歪めてしまう。この二つがお金の流れを淀ませ歪ませる根本原因です。

商品の価格には銀行への利払い分も上乗せされているので。ドイツのある研究によると商品価格の三分の一から約半分が銀行の利払い分だそうです。そういう形で経済の非生産的な部分が拡大していく。この二つの要因がやがて恐慌を発生させます。デフレになり、デフレはいずれ恐慌になります。

 

資本主義の矛盾をはぐらかすアメリカ

 

しかしここで疑問が生じてきます。ダグラスが論じたように現代経済の土台にそんな矛盾があるならば、なぜ資本主義は存続してきたのか。資本主義はあっという間に崩壊してしまったのではないか。実際英国人のダグラスは産業革命以来の資本主義の発展は宿命的な限界にぶつかったと見ていたのです。ところがアメリカがダグラスに対する答えを用意していました。第一次界大戦に参戦したのをきっかけに経済超大国にのし上がったアメリカは、ダグラスが指摘した矛盾をはぐらかすような新しいタイプの資本主義を作り上げた。それが20世紀の先進諸国を支配することになりました。

どういうことかというと、まずフォードシステムですね。自動車王ヘンリー・フォードは自動車の生産を徹底的に合理化して安く車を作れるようにし、労働者に自分たちが作ったT型フォードを買えるような高い賃金を払うことにした。これでA<Bの問題がはぐらかされたのです。第二に、勤労者大衆、消費者の所得不足の問題です。これには月賦販売方式で対処した。ローンというものを作りだして、普通の勤労者でも車や住宅のような高価なものを月賦で買えるようにした。このフォード・システムとローンによってA<Bのギャップという問題をはぐらかし先送りすることに成功した。これがアメリカの消費社会の特徴なんです。

 

石油という魔法が資本主義の矛盾を先送りに

 

 アメリカはこの問題をはぐらかしたり先送りしできた背景には、20世紀初めのアメリカは世界最大の産油国で、産業の一番の原動力である石油が安く豊富に買えたということがある。石油は英国の産業革命を可能にした石炭と比べても比較にならない優れたエネルギー源です。石油という魔法の資源のおかげでダグラスの指摘した矛盾を先送りできた。逆に言うと石油の価格が高騰してくるとアメリカの資本主義は行き詰る。実際それが石油ショック以来の状況です。

しかしご存知のように1930年代にアメリカは大恐慌に直撃され、労働者の4人に1人が失業という事態になります。してみればアメリカはダグラスが指摘した問題をはぐらかしただけで解決することはできなかったんですね。結局A<Bと銀行マネーの問題で格差が拡大した。階級、階層、職業別、地域格差が拡大していた。この富の分配の歪は他方では余り金によるバブルを惹き起こし、それが繁栄するアメリカという幻影を生みだしていた。そしてこの幻影が消えて景気が一気に悪くなると銀行に対する負債が重くのしかかってきて経済のブレーキになる。ということで大恐慌になった。お金の流れにおける脳血栓や動脈瘤がポックリ死をもたらした。

 

「自由貿易」で体制矛盾を輸出する

 

それでは、どうやってこの恐慌を打開するのか。これは富と権力の公正な分配という形で解決するしかない問題です。しかし当時のアメリカのエリートにはそれをやる気などない。そこでエリートが出した結論は、この矛盾を貿易による経済の拡大と成長で先送りにするということでした。英国のような植民地帝国のブロック経済を戦争で叩き潰し、アメリカの覇権の下でグローバルな自由貿易の国際秩序を作り出す。富と権力の歪んだ分配という問題はニューディールで多少手直ししただけで、そのままにしておく。そして矛盾のツケを外国に輸出することで問題を先送りにする。これが「自由貿易」という言葉が意味していることなんです。「自由貿易」とは、自国の経済の歪みや矛盾、体制の危機を他国に輸出することです。そういう形で外国に矛盾のツケを回し外国の富を貿易で奪って経済を成長させる。経済が成長すれば多少は富のかけらを勤労者大衆にも分配できるということでね、問題を先送りできる。他方で、戦間期、第一次大戦と第二次大戦の間の時期は貿易戦争の時代ですね。ダンピングとか、いわゆる隣人窮乏化政策がまかり通った。更にダンピングが高じて通貨戦争になる。自国の通貨を切り下げて輸出を有利にする。アメリカはこういう貿易戦争通貨戦争を予防できる国際秩序を作ろうとしました。

 

グローバル貿易VSブロック経済

 

この結果20世紀はアメリカが主導する貿易の世紀になりました。20世紀はアメリカの世紀であり、それはすなわち貿易の世紀であった。20世紀はよく革命と戦争の世紀だと言われますが、これは皮相な見解です。20世紀は実は貿易の世紀なんです。

第二次大戦の原因はふたつあります。ひとつは、一国資本主義の限界という問題。もう一つは完全雇用が先進諸国の最大の政策目標だったことです。一国資本主義の限界。現代企業の巨大な生産力にとっては、どんな大国であってもその市場は狭すぎ資源は少なすぎる。そこで日本とドイツは大英帝国型のブロック経済。植民地の資源と市場を持つ経済を作ろうとして戦争に訴えた。ドイツはレーベンスラウム、生存圏、日本は大東亜共栄圏という形でブロック経済を実現しようとした。アメリカはそれに対して世界全体が市場になるグローバル貿易を目指した。アメリ企業の巨大な生産力からすると、アメリカのような広大で資源に富む国でも狭すぎる。結局第二次大戦は、このアメリカのグローバル貿易主義がドイツと日本のブロック経済主義を叩き潰した戦争でした。

 

ブレトンウッズ体制という飴と鞭

 

そしてアメリカはまだ戦時中の1944年にアメリカのブレトンウッズという田舎町で連合国の関係者を集めて会議を開いて、世界の戦後の通貨貿易体制を構築します。第二次大戦後はこのブレトンウッズでアメリカが作り上げた通貨貿易体制が西側の先進諸国を支配します。これはメモにも書いてありますように、アメリカの戦略目標は、この通貨貿易体制によってふたたび恐慌や戦間期に起きたような通貨戦争貿易戦争が起きないようにすることでした。そのためにはどうしたかというと、ドルを金で裏付けて、そのドルを世界貿易の準備通貨決済通貨にする。金1オンスを35ドルと定める。その金で裏付けられたドルを基軸に世界各国の通貨の相場を定め固定相場にする。

だから例えば1ドルは360円として1970年代の始めまでこの相場は変わらなかった。そしてドルの価値を保証するために各国に輸出で稼いだドルは要求すれば金と交換しますよと約束する。そういう形でドルの流通を確実にする。こうしてアメリカの同盟国であればこのシステムに乗っかって世界中の資源と市場に自由にアクセスできますよと保証する。

他方でこの体制から逃げ出されちゃ困るので同盟国に米軍の基地を置く。安全保障体制と称して。だからアメリカが同盟国友好国に基地を展開しているのは冷戦でソ連と対抗するためというのは口実に過ぎなかった。本当は同盟国の主権を制限するため、同盟国の首に首輪をつけるためのものなのです。ヨーロッパや日本の米軍基地はそのためのものです。

だからこれは飴と鞭ですよね。アメリカの体制に従順に従っていればちゃんと資源と市場へのアクセスは保証される。だがアメリカの後見なしに主権を行使しようとすれば軍事基地を置かれているので圧力をかけられる。現に1950年代にエジプトのナセルがスエズ運河を国有化した時に英国とフランスはそれを阻止しようと現地に出兵しましたが、アメリカの圧力で結局撤兵せざるを得なかった。そういうことです。

 

変動相場制移行の意味が重要

 

ところがこのブレトンウッズ体制は、1971年のニクソン大統領声明で終焉します。ニクソンはドルと金の交換を停止すると宣言し、これ以後ドルは金の裏付けがないペーパードルになりました。ドル基軸の固定相場制の下で戦後の世界貿易はほとんどドル建て決済になりました。だから外貨としてドルを持っていない国は貿易に参加できない。そういう体制だったので、ドルがペーパードルになったからといってもドルを使うのを止めることはできない。それでは、ドルの価値は何で決めるかというと、その時その時の為替相場で決めようという変動相場制になるわけですね。この固定相場制が変動相場制に変わったことの意味をちゃんと理解している人が本当に少ない。経済学者でさえもわかっていないのが、たくさんいる。しかし実際今の世界の騒ぎは全部変動相場制が原因なんですよ。だから変動相場制が意味するものをきちんと押さえておく必要があります。

アメリカがドルと金の交換を停止した理由ですけれども、ひとつは日本やヨーロッパが戦災から復興してきて、競争力をつけてきたのでアメリカは当初のゆるぎない超大国ではなくなった。相対的にアメリカの地位が低下した、ゆるぎない大国ではなくなったということです。戦後は先進国の繁栄で、経済規模が巨大に拡大したものですからアメリカが保有する金を要求されたら金庫がすっからかんになってしまう。とくに重要なのは石油価格の問題でしょう。この頃までにアメリカの油田は枯渇しはじめていた。だが石油の需要は増える一方で、アメリカも膨大な石油を輸入せざるをえなくなった。この状況でドルと金を交換していたら、アメリカが保有する金はあっという間になくなってしまうでしょう。ニクソン声明はアメリカにとってはやむをえない政策の変更でした。

 

固定相場制の歴史的意義

 

とにかくこういう形で変動相場制になった。それで、変動相場制とは何なのかということなんですけどね。

しかしその前にブレトンウッズの固定相場制の歴史的な意義を考えてみてたいと思います。終戦直後から1970年までの時期の銀行の融資は、各国の戦災からの復興なり、各国経済の発展に貢献する社会的役割を期待されていたのです。単なるもうけ主義の融資じゃなくて社会と経済への貢献が期待されていた。その背景には大恐慌への反省もありました。銀行がもうけ主義の融資に走ったことが大恐慌の原因になったという反省もあって、社会的に責任ある融資ということが強調された。

融資には公共的責任があるとされた。自分勝手なギャンブル的融資はしちゃいかんと法的な規制が一杯あったわけです。銀行の社会的責任ということが1970年までは強調されていて、銀行もそれを無視することはできなかった。

 

変動相場制がカジノ資本主義を生む

 

それが変動性相場制になったらどうなるか。各国の通貨の価値は刻々変動する為替相場で決まる。つまりドルだの円だのポンドだのマルクだの、各国の通貨が株と同じものになるということですよ。そうなるとトヨタ、日産、ホンダのどの株を買ったら一番儲かるかというのと同じ発想で通貨が扱われる。通貨が純然たる金融資産になるということです。各国の国民経済がお金の流れとして組織されているということなど無視されてしまう。とにかく手持ちの金をうまく転がして金融資産をどんどん増やす。そういう姿勢で銀行が融資するようになる。そうなると資本市場はカジノに似たものになってしまう。通貨は金転がし。銀行と富裕層による投機の対象になる。どの株買ったら儲かるかと同じ調子で通貨が売られたり買われたりする。銀行は社会と経済の実態を無視して純粋に利子収入だけを目的に金を貸すようになる。

本来資本市場というものは、社会にとって必要な資金を供給するためにある。資金の需要と供給のバロメーターとしてある。それが社会の実体経済を無視してギャンブルの舞台にになるわけです。だから1970年代以降カジノ資本主義という、社会の実態に関係のない資本主義が発生してくる。そのカジノのおこぼれの金が我々庶民や小さな企業に多少回ってくる、そういう状況になる。銀行の社会的責任が一応強調された固定相場制が変動相場制に変わって、銀行がギャンブル業になってしまった。これが現代のさまざまな危機の根本的な原因です。

 

資本主義とは何か~生産の三要素

 

そこでちょっと視点を改めて資本主義とは何なのかを考えてみたいと思います。資本主義というのは難しく考えればえらく難しい問題になるけれど、簡単に考えるとえらい簡単な話なんです。今日はその簡単な方で行きます。

まず生産の三要素は、資本と土地と労働です。この三つの要素がないと生産は成立しません。資本というのは何かというと、お金のある人が生産のための道具や設備を買うとそれが資本になる。例えば印刷会社を始めようと思って印刷機を買ったらそれが資本になる。大工さんが金槌を買うのも資本です。土地というのは単なる地べたのことではなくて、農地になったりするし地下資源があったりする、いわば資源としての地球のことですね、これが土地です。それから労働はもちろん人間の労働ですけれども、人間は労働しながら生活しているわけで、いわば労働とは生活者としての人間のことです。(板書)

ですから例えば江戸時代の日本だって生産はこの三つによってやっていたわけです。

ただね、生産には資本が必要だからといって、そこからすぐに資本主義が生まれるわけではない。資本主義が生まれるためには、江戸時代の日本にはなかったような特殊な状況が必要なのです。それは、僅かな資金で大儲けできる一攫千金の機会がいくらでもあるような状況です。こうした状況があって、ちょっと何かを作ったりちょっと運んで売ったりするだけで、たちまち原資の何十倍もの金が入ってくるぼろもうけのチャンスがあったら、お金は資本として貴重になりますね。

 

資本主義の発生~資本の商品化

 

近代の初めにヨーロッパ人が新大陸アメリカを征服した段階でそういう状況が生じました。とにかくわずかな金で大儲けができる。そうなると資本はものすごく貴重になる。たとえばアメリカで奴隷を使って煙草を栽培し葉巻にしてヨーロッパに運んで売れば莫大な儲けになった。ちょっとでも資本があればそれでぼろ儲けできる。だからぼろ儲けを可能にする資金として資本自体が商品化されます。で、この資本の商品化をしているのが銀行なんです。17世紀の英国でイングランド銀行という形で最初の近代銀行が生まれました。英国がカリブ海の植民地のプランテーション経営などでぼろ儲けできる状況が生じた中で銀行が成立しているわけです。銀行はお金そのものを売っているのではなく、お金の使用権を売っています。そして、貨幣の使用権に利子という価格を付けて売っているのが銀行です。そうやって資本を販売している。市場で儲ける機会に比べて資本が少ないから、希少だから、資本に非常に貴重な価値があるから銀行の商売が成り立つ。だからぼろ儲けの話が少なくなったら、資本主義も銀行も消滅するはずなのです。そして現に消滅し始めている。それが世界経済の現状です。今の世界にぼろい儲け話は滅多にありません。

コツコツと地味な商売をやるしかない。現代経済の基調は否応なくそうした方向に変わってきています。

 

国際金融資本と主権国家の対立

 

ところがですよ、変動相場制の下では銀行主導で経済が純粋な商品としてのお金で動いているから、経済自体が金融化してくる。アメリカの場合、1980年代ぐらいまではGDPに金融業が占める比率は20%だったのが、今は40%を越えています。経済の半分近くが純粋に金融業界の取引額になっている現状です。そうなると金融資本というカジノ業界にとっては、先ほど言った生産の三要素のうちの土地と労働という存在が邪魔になってくる、儲けに対する制約になってくる。銀行の儲けというのは純粋に帳簿上の数字の問題です。だが土地と人間は現実の存在です。そこから軋轢や衝突が生じてくる。それも高度経済成長期によくあった、銀行が融資した開発業者のプロジェクトが地元住民の反対で潰れるといった次元のものならまだいい。現在この問題は、国際金融資本と国民全体の衝突にまでエスカレートしています。

国家は領土と人民によって成立しています。だからどんな国家でも土地と労働(人間)を代表せざるを得ません。そのために国家は資本にとって制約になってくる。国境などにお構いなく無制約に自由に動きたい金融資本には邪魔になってくる。しかし銀行という組織を成立させ、その営業利益を保証しているのはあくまでも国家が定めた法律なのです。国家の法律があるから銀行業が成立しているんです。にもかかわらず銀行には国家が邪魔になってくる。だから出来るだけ国家の制約を逃れようとする。それには当然国家の方からの反撃、特に国家を構成している人民からの反撃がある。また土地という要素も人々が資本の無制約な自由に反撃する根拠になる。地球は人類のかけがえのない住み処であり、資本の儲け話で使い捨てにされてはならないという声が高まってくる。

こういう形で国際金融資本と主権国家の対立がだんだん深まってきてます。この対立はレーガンの時代以どんどん深まって、現在極限に達していると言えるでしょう。以上申し上げたように、金融資本が主権国家すなわち人間と土地に対立してその無制限な自由を追求すること。それがグローバリゼーションという言葉が意味していることなんです。

 

資本の国際移動の自由とグローバリゼーション

 

そしてグローバリゼーションの発端はやはり変動相場制にあります。変動相場制で銀行の在り方が変わり経済と社会を支配し、土地と人民はその商売の邪魔になってきたので、なるべく無力化させようとする。だからグローバリゼーションは銀行主体の金融的な現象で、それに付随して社会の変化、企業の変化などがあるということです。ではグローバリゼーションはどのようなかたちで進行したのでしょうか。まず最初は。資本の国際移動の自由です。つまり円で儲けた金でマルクを買ってそれでさらに儲けて、その儲けた金でドルを買うとか、そういう自由な金転がしができなきゃ意味がないでしょう?金融カジノというのは。一国内でゴタゴタやっても意味がない。昔は資本は国家に規制されて勝手に国外に動かせなかったのです。たとえば戦後まもなくの日本で資本を海外に自由に持ち出せたら戦災からの復興など不可能になるから勝手に持ちだせなかった。昔の庶民は海外旅行なんてできなかったですね。

まず資本の国際移動の自由が拡大して、資本には国境がなくなると今度は全世界を舞台にお金のギャンブルをやる時代が始まった。とにかく金が自由に動くから、儲からなくなると一斉に逃げ出す。例えば90年代のアジア通貨危機では、東南アジアとか韓国に出ていたアメリカの資本がどうも本国の方が利上げで儲かりそうだと一斉に引き上げられ、アジア諸国の経済がガタガタになった。韓国はそれで破産状態になりました。

第二に、変動相場制の下で企業の多国籍化が急速に進行しました。いくら資本が全能といっても国民を入れ替えたり土地を動かしたりすることはできない。じゃあ資本の方が動いてしまえということで企業の多国籍化が進んだ。銀行はすでに国際化しているが、それに加えてモノづくりをやっている企業も生産拠点をどんどん例えばアメリカから中国に移す。そういう形で企業もなるべく国民と国境から自由になろうとする。

 

変動相場制が「変動人口制」を生む

 

一番最後に、これが一番大問題なのですが、変動相場制がついに変動人口制を生み出すに至ります。とにかく金融のグローバル化と企業の多国籍化は完了したから、次には生産の三要素のうちの人間の要素を徹底的に資本のコントロール下に置きたい。世界の人口を流民化、流動化させ、各国の人口をメガバンクと多国籍企業の都合のいい数に絶えず調整しようとする。これを私は「変動人口制」と呼んでいます。今世界では難民移民の問題が最大の政治の争点になっています。英国のEU離脱やアメリカのトランプ路線もそのきっかけになったのは移民でした。マスコミは移民とか難民とか言っていますが、これは変動人口制という問題なんです。とにかく国境も文化も無視して各国の人口の数をGDPの拡大に一番都合がいい形に調整しようとしているのです。

そのいい例がメルケルがトルコの難民キャンプからシリア難民をドイツに呼び込んだことです。以前にはメルケルは「このままではドイツはモスクだらけのイスラム国家になってしまう」と言っていました。「多文化主義は失敗した」と言ってたんです。ところが一転してシリア難民を呼び込んだ。この180度の転換の原因はおそらくドイツの銀行の危機です。ドイツが大恐慌の震源地になりそうだとかなり言われています。ドイツ経済は中韓両国並の輸出立国で実は脆弱なところがある。この脆弱さをユーロを梃にしたを金融マネーゲームで補ってきた面があります。ところがリーマンショック以来ドイツの銀行が抱えている金融派生商品やギリシャその他の国債がまとめて不良債権化した。金融で水膨れした経済が危ない。ドイツがこければEU自体もこける。そこで急遽難民移民で百万人くらい人口を増やせば、一時的にある程度消費が増えて、GDPが拡大する。それでGDPの予測数値を投資家に見せる。ドイツの銀行は危ないけれどまだ倒産しませんよ。ドイツはやっていけますよと投資家を説得する。このようなGDPの見かけのうえの数値稼ぎのためにシリア難民を呼び込んだ。おそらくこれがメルケルの豹変の真相です。

 

GDPのために利用される浮遊人口

 

シリアの内戦から逃れた人たちは隣国のレバノンやトルコの難民キャンプにいく。この段階では彼らは難民です。だがそこからメルケルの呼びかけに応じてヨーロッパに移動した人たちは流民というか、浮遊人口と呼ぶべき存在です。フローティング・ポピレーション。グローバリゼーションはここまできた。変動人口制で浮遊人口をあちこちに絶えず移動させてGDPの数字を一時的に改善する。それで投資家や金融業界を納得させる。まだうちのGDPは伸びますよと言って納得させる。移民を入れるのは財界が低賃金で働く奴隷労働者が欲しいからだという人がいます。しかし移民を労働力にするためには言葉や技術の習得とかに何年もかかるでしょう?今のグローバルな金融危機の中で各国のエリートにはそんな悠長なことを考えている余裕はありません。とにかく浮遊人口で自国の人口を増やして消費を拡大しGDPの数値を瞬間風速でいいから上げられればいい。当座の消費が増えればいい。そういうことです。GDPの数字は金融界が物事を考える際の唯一の尺度ですから。

 

右翼ではない反移民運動

 

ですからこういう政策に反対しているヨーロッパの反移民運動は人種主義の差別と偏見に基づく右翼的な運動なんかじゃないですよ。落ち着いた生活がしたい、安定し安心できる生活をしたいという庶民のごく普通の気持ちを代弁しているだけなのです。だからそういう意味で、英国のEU離脱とか、アメリカのトランプ当選は当然の民意の反映だと思っています。右翼の勝利などではありません。こうして変動相場制は、為替相場だけじゃなくてありとあらゆるものが絶えず目まぐるしく変動する世界を作りだしてしまった。目を覚ましてみたらアパートの隣室で外国人が騒いでいるとか、そういう社会が作りだされた。

さらに今の社会で餓死する人はめったにいないとしても、雇用が不安定になった。だから昔のプロレタリアートではなくて今はプレカリアート、不安定労働者という言葉が広まっていますね。結局今の社会の一番の問題は、社会の安定したパターンが崩れてきて将来を見通すことが困難になっていることでしょう。すべてが絶えずくるくる変わっていき明日は何が起きるか分からない。通常の人間の神経では耐えられないような社会が生まれてきた。これが現代社会の根本問題です。

 

経済の金融化の帰結~グローバリゼーション

 

ここまで1971年のニクソン声明以来の世界経済の金融化、グローバル化を説明してきました。そこでこの経済の金融化がもたらした三つの帰結をまとめてみます。

まず第一がグローバリゼーションですね。資本の国際移動の自由から始まり国際金融資本によって国の主権がどんどん形骸化していく。富がグローバル化の中でメガバンクとスーパーリッチに集中する。1%のメガリッチが後の99%の国民より多くの金融資産を持っている、富を持っているという状態が生まれます。銀行の課題は富を集中させてそれを投資することです。しかし現代の工業経済は以前から「成長の限界」という隘路にぶつかっています。だから銀行による富の集中だけが進行し、それが途方もない規模になっているのです。

 

経済の金融化の帰結~銀行負債という負の成長

 

第二に、銀行への負債が増えるだけの負の成長です。レーガンの時代以来、先進国は銀行からの借金で成長と繁栄の見かけを維持してきました。これは国債などで銀行への利払いが増える一方の負の成長です。そして今日の繁栄のために未来を質に入れている経済であり、その結果先進諸国では世代間格差が深刻化し、若い世代にツケが回っています。ローマクラブが「成長の限界」というレポートを出したのは1972年ですが、その当時から経済成長の限界は始まっていました。そのもっとも重要な指標になっているのは石油生産の逓減です。

有望な新油田も見つからないし、既存の油田は次第に枯渇していく。だから成長の限界は物理的必然というしかありません。しかし銀行業界だけはこの事実を絶対に認めることができません。経済が成長拡大するから企業、国家、家計は利子なんて余計なものを銀行に払う余裕があるわけで、低成長、ゼロ成長になれば利子を払えなくなる。成長が止まれば銀行商売の基盤がなくなる。だから成長の限界論など無視してあやしげな金融商品などを開発して、むしろ営業を強化する。そういう形で非生産的な銀行への負債が増えるだけの負の成長になる。これが80年代以降の特徴で、90年代のバブル破裂以後の日本なんかひどいものですね。企業も家計も銀行への借金で押しつぶされ、それがブレーキになって経済が動かない。こういう事態を負債デフレといいます。かつての1930年代の大恐慌の原因もこの負債デフレでした。今の世界経済の危機の原因もやはり負債デフレとして説明できます。

 

パンクした車のアクセルをふむような量的緩和

 

ただし今はお金の流れが滞留しているだけではなくて30年代大恐慌当時にはなかった富の異常な偏在、一極集中が起きています。スーパーリッチやメガバンクへ富の一極集中が起きている。これほど経済がひずんだことは世界史的にも前例がありません。この富の集中の原因はやはり、ニクソン声明で通貨が金の裏付けを失いペーパーマネーになったことでしょう。これで銀行は無からいくらでも実体のないお金を創造し、それを転がすカジノ商売に徹することができるようになった。しかしカジノだけでは経済は動かない。長期的には実体経済が成長してくれないと銀行も自滅します。しかし負債デフレでブレーキがかかって経済が止まっているのに銀行が経済を何とか動かそうとするのからおかしなことが起きる。それが皆さんも聞いたことがあるはずの量的緩和やマイナス金利なんです。量的緩和というのは、銀行が持っている債権とか資産を日銀がどんどん買い上げる。そのために日銀は新たに紙幣を大増刷してお金を無から作りだし、銀行はそれを受け取る。それをまた自分が日銀にもっている預金する。こういう紙幣の大増刷を量的緩和といっている。しかし銀行にいくら金をつぎ込んだって、このデフレで借り手はない。むしろ企業はみんな借金を返すのに必死になっている。これはパンクとガス欠で動かない車の運転席で懸命にアクセルを踏んでいるような馬鹿げた行為です。それでも増刷でお金の価値が目減りし減価するならば、企業、国家がかかえている負債が多少は軽くなるでしょう。しかし実体経済が失速しているのに紙幣を増刷するだけでデフレがインフレに逆転などということはありえません。結局量的緩和では、各銀行の日銀の口座の預金がやたらに増えただけでした。

 

マイナス金利から消費強制の減価貨幣へ

 

それでも悪あがきして日本やEUの銀行は今度はマイナス金利という窮余の策に手を出した。各銀行は日銀がつぎ込んできたお金を日銀にあるその預金口座に入れる。これには日銀が利子を払う。これを日銀に預けると逆に銀行が利子を取られるようにする。預けると損をするというのがマイナス金利です。こういうことをやる思惑はね、預金をして損をするくらいならリスキーな事業にも渋々貸し出しをするだろうという思惑です。だがこんなことまでやってもこの不景気の中でお金を借りようという人はなかなかいませんよ。だからマイナス金利をやってもお金の滞留は直らない。しかもマイナス金利をやればさらにお金の信用は低くなる。こんなことを続けていれば、お金はどんどん紙くずに近くなってくる。

銀行は成長の物理的限界にぶつかっているのだから、どうしようもない。量的緩和もマイナス金利も効果はなく経済の混乱と停滞を深めただけでした。そこで世界の金融エリートが今考えている奥の手は、経済全体をマイナス金利にすることです。今のデフレの中で庶民は将来が不安なので財布の紐を締め貯金を貯めこもうとする。だから銀行に預けたお金が時間と共にどんどん目減りするようにする。減価貨幣ということです。そうなると預金がさらに減る前にお金を使わざるをえなくなる。庶民に消費を強制できる。それで景気が回復する、というよりデフレで死にそうな銀行が生き延びることができる。しかしこんなことをやったら庶民は直ちに銀行から預金を下ろしてタンス預金にしてしまうでしょう。預けると損をする預金などやる人はいません。そうでなくても今どきの銀行は取り付け騒ぎを怖れています。リーマンショック以来、庶民の中でも銀行が国家の影の主権者であり諸悪の根源であること理解している人が増えています。またEUの一部の国では預金封鎖に似た事態も発生しています。大規模な取り付け騒ぎはありえないことではありません。

それは困るというので、EUではお金はすべてディジタルな電子マネーにして現金を廃止しようという動きが出てきています。現金を廃止してしまえば、もう取り付け騒ぎもタンス預金も不可能になる。EUには500ユーロという高額のお札、日本でいったら5万円かな、それをもう廃止しました。スウェーデンは現金の使用を制限するためにATMをどんどん撤去しています。スウェーデンは社会民主主義の優等生みたいに言われてきましたが、こういうあざといことをやっています。現金廃止の口実は脱税や犯罪組織による資金洗浄の予防ですが。本当の狙いは取り付け騒ぎの予防とできれば庶民の預金もマイナス金利にすることです。

 

経済の金融化の帰結~国家が銀行管理状態へ

 

第三に国家が銀行管理の状態になることです。先進諸国は70年代以降低成長になり国家の税収も伸びなくなった。しかし議会制民主主義国家では政治家は利権集団へのばらまきや福祉政策を止めるわけにはいかない。それで赤字国債を発行して借金で国を回していくことになった。本来国債の発行は税収不足を補うための臨時措置だったのですが、それがどの国でも恒常的なことになった。

国債を買うのは主に大手銀行です。低成長で儲からないので、国家への融資が銀行の主な仕事になってくる。国債が銀行の主要資産になる。銀行は、企業は倒産の恐れがあるけれど国家は倒産しないと考えたのです。国家は貸した金を必ず国民から税金という形で強制的に搾り取って返してくれる。国民全員を債務奴隷にしてでも負債を利子付で返済してくれる。皆さんの中にも銀行に一文も借金していない人がいるでしょうが、そういう人でも国民として銀行に借金して利払いを強いられています。それで増税されたり福祉を削られたりしている。国家が銀行管理の状態になっています。しかも国内のメガバンクだけじゃなくて国際金融資本全体がグルでやっている銀行管理です。この不景気の中で日本は消費税率を8%にあげました。消費税のアップはだいぶ前からIMF(国際通貨基金)が国際金融資本を代弁して日本に要請していたものです。あとOECDね。これが要請していた。増税は日本の財務省や日銀が考えたことではなくて国際金融資本の司令部からの指令なんです。だから日本の庶民生活の現状なんか無視して消費税を上げる。上げる目的は日本国民からさらに税金を搾り取って国債の価値を維持しよう銀行の経営を安定させようということです。 昔は不景気になると減税や財政出動というのが定石だった。それが今は、増税と緊縮財政が強行される。これは国家が銀行管理になり、国民ではなく銀行に奉仕しているからです。だからこの問題はね、安倍政権が悪いのどうのこうの言ってもどうしようもない。国際金融資本と日銀を潰さない限りこの状態は変わらない。政治家なんてどうでもいいんです。

 

ローカリゼーションの中心戦略は「社会信用論」

 

この調子でやっていくと銀行は破たんに破たんを重ね,いずれは経済の全面的崩壊が起きると思います。通貨が全面的に信用を失って経済がストップする、経済が心臓まひになる。そういう可能性がある。これは大変なことなんです。皆さんによく考えてもらいたい。1930年代の大恐慌は基本的に貧困と失業の問題でした。当時はまだアメリカだって農民なんかが多くてね、まだまだ素朴な社会だった。今は社会がはるかに高度に組織されている。皆さんのなかにも水道ガス電気なんかを銀行振り込みにしている人も多いと思います。スーパーだって在庫はもう秒単位でコンピューター管理して商品が流通している。こういう状況の中で通貨の流通がストップ状態になったら、これは経済危機というより文明の崩壊です。生活環境は大震災の津波直後の三陸海岸みたいになっちゃいます。水道ガス電気は止まるし、スーパー行っても棚が空だし、そういう社会になる。そういう銀行の破綻が原因の文明の崩壊は、何としても回避したいというなら、20世紀の始めにダグラスが提起した解決策を再評価する必要があるというのが私の長年の主張です。ダグラスが主張したのはお金の流れ方を根本的に変えること、通貨改革です。彼自身はこれをは社会信用論。ソーシャル・クレジットと呼びました。そして通貨改革は、ローカリゼーションの中心的な戦略になる。これまでお話ししたように、グローバリゼーションは銀行マネー経済の必然的な帰結です。銀行経済においては、お金はすでにお金があるところにさらに集中するのです。この流れを逆転させ、お金を分散させなければならない。BIは福祉ではなく、お金を個々人という究極の単位にまで分散させる方策です。政府通貨も、お金が滞りなく円滑に流れるようにして、経済全体に適切に分散させるための措置です。

先ほどお話しましたA<Bの問題。企業の生産過剰と庶民、消費者の所得不足という問題。これはBIで簡単に解決します。雇用によってしか所得が分配されないということが経済を極度に不安定にしているのです。所得は人間が生活するのに必要なものなのに、他方で雇用は企業の都合で決まるものですから。しかもいろいろ偶然な要素で所得が決定されている。それが問題なんです。そこでもう一度強調しますが、BIはお金の流れの淀み歪みを無くして円滑に循環させるための政策で、福祉政策じゃないですよ。そしてお金の流れが集中から分散に逆転すると、大企業、大都市が解体していきます。おそらくチェーン店といったものもなくなっていくでしょう。

 20世紀にはじめにダグラスがA<Bや銀行金融の問題を中心に経済を分析した背景には、この頃から企業や国家の機構の巨大化複雑化が始まったことがありました。それを逆転させる。おそらくBIが実現した社会では銀行による資本の集中がなくなるので、中小企業、地場産業、町工場、商店街の世界が復活することになるでしょう。

 

政府通貨発行による安定と均衡経済

 

それから政府が通貨発行権を銀行から取り戻し、経済統計に基づいて通貨を発行するといういわゆる政府通貨の問題です。国民経済計算という統計があるのですが、それで大体去年どれくらい日本経済が富を生産したかを把握できる。それによる所得分布も把握できる。それに基づいて社会が必要とする量の通貨を発行し流通させればいい。もしインフレになりそうであれば通貨の供給を減らす、デフレになりそうだったら増やすと、調整はいくらでもできます。これには銀行に利子を払う必要がない。利払いという無駄な支出、経済のブレーキになる支出がなくなる。更に利子を払うためにむりやり経済を成長させる必要もなくなる。つまり経済は成長ではなく安定と均衡及び生産と消費の円滑な循環を目標にすることができる。それを目標にすることができるということで、必然的にそうなるとは言ってませんよ。こういう脱成長ということは銀行経済には絶対に無理なんです。銀行は利子で儲けている以上、何が何でも経済が成長拡大してくれないと困る。その結果文明が崩壊しても知ったことではありません。しかもね、本来通貨というのは、私企業が勝手に自分の儲けをそろばんで弾いて発行しちゃいけないんですよ。通貨は、人間の生死にかかわる問題なんですから。

 

政府通貨発行による無税国家の実現

 

そして政府が国家維持のために税金を徴収する必要もなくなる。国家が銀行に通貨発行権を譲渡してしまったから国家維持のために別途税金を取る必要が生じているんです。政府が自ら通貨発行すれば銀行から国債を証文に借金する必要もないし国民から税金を取る必要もない。つまり基本的な教育、医療、福祉インフラなどは、政府がそれに必要な分だけ通貨を発行すればいいのです。統計に基づいて上限を設けて発行すればインフレにはならない。税金というのは本来いらないものなんです。なぜ日本人はみんな税金を払うのを当然だと思っているのでしょうか。江戸時代の年貢じゃないんですから。

悪い例かもしれないけど、ソ連には税金がなかったのです。ソ連においては労働は賦役みたいなもので、国民は労働で国家に貢献しているんだから別途に税金なんてとる必要がないとしていた。その代り働かないで家で引きこもりなんてやっていると警察に捕まりましたが。だから私は決してソ連のことは褒めていません。しかしソ連は、税金なしでも国家が回った例なんですよ。だからソ連みたいな一党独裁じゃなくて真に民主的な形で政府通貨を発行すればね。税金は基本的にいらなくなるんです。

もっとも例外的に臨時の徴税はあるかもしれません。例えば大阪で市特有のプロジェクトをなんかやりたい、そして市民はそれに賛成した場合です。そういう場合には目的が限定された市民税みたいなものを徴収する。これは一種のカンパですね。

もう一つは、資本転がし金転がしと土地転がしで懐にはいった不労所得。これには徹底的に課税する必要があります。田舎の田んぼだった物件が近くに鉄道の駅ができたので地価が100倍に上がった場合です。金転がし、資本転がし、投機で儲けたりした不労所得に対しても課税する必要がある。これは道徳的な理由で課税するんじゃないんです。そうした不労所得で儲けた金を蔓延らせておくと経済が歪んでくる。だから経済秩序を健全なものにしておくためには、金転がしと土地転がしで得た不労所得に対してだけは徹底的に課税する必要があります。そうすれば、お金の流れに淀みも歪みもなく、社会の隅々にまで行き渡るということです。

 

経済的「人権」保障を

 

現代社会では人権人権という言葉をよく聞くんですが、これは単に国家が市民に保障すべき法的な権利とみなされています。しかしですよ。人間の最も根本的な権利とはお金への権利です。だって文明社会ではお金がなければ生活できないわけですから。今の社会は。原始社会じゃない。だから最小限のお金への権利。所得を保証される権利、これこそが根本的な人権です。それがあってこそ社会に参加できるわけでしょう。人権はあまりにも法的に考えられすぎている。そして経済的人権保障のためにはやはり富と権力の公正な分配が必要だということです。そういう意味で、今どきの人権論には私は大変批判的です。経済的な問題を無視した抽象的な法律論が多すぎる。

 

大都市から地方にお金の流れを逆転させる

 

そういう形で政府通貨とBIによって銀行経済は終わる。経済的デモクラシーが始まる。金融化とグローバリゼーションは終わりローカリゼーションが始まる。そういう形で大都市が衰退し、解体し、国民経済、地域経済が復活する。もちろんこれは貿易による他国の富の略奪を必要としない内需中心の経済でもある。国民経済復活は即ち国家内の各地の地域経済の復活につながります。今の日本の地域に必要なのは企業の誘致や観光客の呼び込みではなく、所得保証による有効需要の創出です。たとえば島根県は日本一高齢化していて過疎でも苦しんでいる県です。でも島根県が何とか低空飛行でやっていけるのは、高齢者への年金がBIの代わりになっているからでしょう。夕張市がまだ息をしているのも高齢者の年金がBIになっているからでしょう。ということは、積極的にBIを実施すれば地方経済は一気に復活すると考えていい。逆にいえば、通貨改革で国内の資金の流れを逆転させなければ、地方は経済的な貧血や栄養失調で死んでいくでしょう。

BIは一国の毛細血管の隅々にまでマネーが行き渡ることを可能にします。そうすればほっといたって地域経済は復活する。だからこのお金の流れの問題は、地方自治体関係者にじっくり考えてもらいたい。結局国家はお金の流れとして組織されているということが分かっていれば、この話も分かるはずです。ところが分かっていない。相変わらずお金とは中央官庁にお願いして回してもらうものだと思っている。奴隷じゃないですかこれ。それで一生懸命ゆるキャラで宣伝とか中国人観光客を呼び込むとか、そんなことをやっている。ど田舎に空港を作ったりね。本当に地方自治体が考えていることは明治時代から変わっていません。政府通貨とBIで中央、大都市から地方にお金の流れを逆転させることができるのです。そして人の流れはお金の流れに従います。資本が地方に分散され、都会から地方に移住しても基礎所得の保障があるならば、深刻化している地方の人口の減少という問題も解決に向かうでしょう。

 

BIで社畜脱却を

 

さっき言ったようにそういう形で大企業が衰退し、町工場と商店街の世界が復活してくる。そのうえBIが支給されると、おそらく社畜サラリーマンをやる人が減るだろうとと思います。自営業を始める人が増えるでしょう。一生涯月10万でも保証されればそれに基づいて人生設計ができる。そうなると社畜サラリーマンなどをやっているより自営業をやるという人が増え、仲間を集めて中小企業を立ち上げるとか起業をやる人も増えるとでしょう。だからBIにはサラリーマン撲滅の効果があると思っております。BIが支給されるんだったら物価の安い地方にいこうということで、大都市から地方に移住する人も増える。特に地方で農業をやろうという人が一気に増えるでしょう。今だってそう考えている人が多いんですから。ただ地方に行ったら生活できるか分からないから動けないないわけで。しかし月10万円程度の所得が保障されるんだったら、当座は農民修業をやって10年もすれば農民として自立できるでしょう。だったら進学ローンでえらい借金を抱えて大学を出たのにフリーターになんて人生を送る必要はなくなる。

 

種子島鉄砲の重要な意味

 

  日本でも世界でも1970年代以来のグローバリゼーションの過程は、ローカリゼーションの過程に逆転しようとしています。この転換のきっかけは、リーマンショック以来の銀行経済の最終的破綻です。そして通貨改革でお金の流れを公的民主的にコントロールするようにすれば、国民経済、ローカルな地域経済が復活してきます。デモクラシーはこれまでもっぱら政治体制の在り方とされてきました。しかしデモクラシーは何よりも経済のデモクラシー、銀行に通貨発行権を横領させない経済体制のことでなければならない。しかもね、日本という国は歴史的に地方の底力によって支えられ発展してきた国なんですよ。

皆さんも種子島の鉄砲伝来の話は知っていると思います。16世紀の半ばに嵐で遭難した中国のジャンクが種子島に流れ着いた。それにポルトガル人の商人が二人乗っていて鉄砲を持っていた。それを種子島の領主が大金はたいて買い込んで、お抱えの鍛冶職人の金兵衛にその複製を作らせた。これがきっかけで戦国時代の日本に鉄砲が一挙に広まった。この話は皆さんもご存知でしょうが、ただ考えてください。こういっちゃ悪いけど種子島は今もへき地です。辺境の離島です。そこにちゃんと鍛冶屋がいて、それが見様見真似であっという間にヨーロッパの鉄砲の複製を作ってしまうほどの技術を持っていた。これすごいことですよ、考えてみると。これが日本という国のすごさなんです。どこの国でもね、都は栄えていても一歩都を外れたら何もないのが普通です。種子島のような離れ小島にも都に劣らない文化文明技術学問があったという、これが日本の底力です。じゃ何で種子島にそれほどの鍛冶屋がいてそれほどの技術や知識があったのか。種子島も戦国時代でやっぱり領国だったわけです。種子島時堯って言ったかな。若干16歳の領主がいて、これが大変知的にシャープな人で、鉄砲の価値をすぐに見抜いた。そこで当時の種子島にしてみれば大枚をはたいてポルトガル人から鉄砲を買った。しかもそれを撃って遊んでいたわけじゃなくて、すぐに鍛冶屋に複製を作らせた。領主である以上は一国一城の主として職人だの商人だのワンセットの体制が必要なんです。だからちゃんと腕のいい職人がいた。ただし僻地といいましたが、当時の種子島は東シナ海を舞台にした国際貿易の拠点であったし、昔から砂鉄が取れる所でね、製鉄が盛んだった。そういう事情もありましたけれど、やっぱりこの話はすごい。種子島から50年後には当時日本最大の工業都市だった泉州堺が鉄砲の産地になって、日本の鉄砲生産量はヨーロッパ全体をしのぐに至りました。何でこういうことが可能にだったのかというと、戦国時代で種子島もそれなりに領国だったことが大きいのではないか。戦国時代というと皆さんはNHKの大河ドラマなんかの影響でチャンバラばっかりやった時代と思うかもしれませんが、戦国時代はそういう文化文明学問技術が日本の国土の隅々にまで広がっていった時代なんです。だから各地に群雄割拠となり、争いが起きたわけです。このあたりが日本は他の多くの国とは違うのです。国の隅々にまで文化技術学問が行き渡った。更に江戸時代になると天下泰平で争いがなくなったので、更に各地方の独自の文化と経済の発展があった。近代日本はこの江戸時代の豊かな遺産なしにはありえませんでした。

 まだまだ多くの人が日本は明治維新で中央集権国家になって、そのおかげで近代化したと思っています。これは違います。近代化を可能にしたのはそれまでの地方の蓄積です。地方の底力です。例えばこの大阪にしたって1960年代まで経済指標は全て東京を上回っていました。そういう意味では、戦前の日本の順調な近代化を可能にしたのは地方経済の強さですよ。地方には人材も富もあった。東京は何をやってきたかというと地方の富と人材を吸い上げてきただけです。吸血鬼みたいなものです。東京はエリート官僚がいて、マスコミがあって、大学があるというだけのスカスカの都市です。ああいう都市は潰さなきゃいけません。

 

エネルギーと食糧の自給率を高める

 

とにかく今の日本は国土上の人口分布を均等化させていく必要があります。これにはもうBIが一番効き目がある。どんな地方、へき地、辺境の離島にまで文化文明技術学問が広まって蓄積があったことが日本のすごさなので、その点では今の東京の一極集中は日本の歴史から見るとまさに亡国の現象です。この流れを逆転させて、かつての種子島の鉄砲伝来のような。地方に中央に引けを取らない文化経済技術学問がある日本を再建しなければいけない。ついでに言いますが、最近中国の脅威がどうのこうのと国防論議が盛んですけれども、国防の基本はエネルギーと食糧の自給率の高さです。本当に国防を考えるなら、とにかくエネルギーと食糧の自給率を高めることです。これもまた政府通貨やBIによって政策として可能になります。戦前の日本は食糧は、もちろん、エネルギーもかなり自給していた。70%くらいは自給していた。どうしていたかというと林業をうまく使ったんですね。暖房もこたつだし、木炭をうまく使っていた。だから戦前では林業は主要産業だった。そういうことを考えなければいけない。石油をあてにしないで林業を復活させる。バスなんてみんな木炭バスにすればいいんですよ。木炭バスというのは木炭燃焼の時の水素が出る。それを利用しているからあれは水素エンジンです。原始的なものじゃない。理論的に言うと石油エンジンよりも木炭エンジンの方が高級なんです。

 

ケインズのバンコール通貨構想

 

先に申し上げたように20世紀は貿易の世紀でした。英国のEU離脱、アメリカのトランプ当選でそれが終わり、しかも欧米では移民問題が社会を混乱させ政治の焦点になってきている。移民問題といわれているのは実際には、金融資本が主導したグローバリゼーションが生み出した浮遊人口、変動人口制の問題です。だから欧米で起きている反移民の動きは、排外的人種主義による差別と偏見といった問題ではない。浮遊人口という異常な現象が問題なのです。なぜ国際的浮遊人口などという異常な現象が生じてきたのか。その原因を遡ると、1944年のブレトンウッズの国際会議に行き着きます。この会議で米英を中心に連合国は、戦後にどんな国際的通貨貿易体制を構築するか協議しました。そこで経済的軍事的覇権国になったアメリカが、英国のケインズが提出した国際通貨バンコールで決済される貿易体制という案を叩き潰したことが、現代世界の混迷の発端なのです。

戦後の通貨貿易体制を考えてみますとね、ドル基軸ですから、貿易でドルを稼いでドルを持っている、そういうドル保有国だけが世界貿易に参加できる。だから戦後のドル決済貿易は特権的な会員制クラブみたいなものです。日本はこの特権をひときわ享受した国です。だが南の貧しい後進国にはドルを稼げる可能性がない。これで世界貿易の会員制クラブから排除される。しかも足元をみられて徹底的に食い物にされたりする。私は、健全な国民経済のためには通貨の問題が決定的であることを強調してきました。世界貿易についても同じことが言えます。貿易においても公正な通貨ということが決定的に重要なのです。

ケインズはブレトンウッズでドル覇権体制を構築しようとするアメリカに反論し、全く別の方式を提案しました。その方式ではまず貿易決済用の通貨と国内通貨を分けます。貿易の決済にはバンコールという名前の通貨を計算単位として使う。それをできるだけ公正公平に運用するようにする。それで貿易でぼろ儲けする国と、大損する国、そういう国家間格差が出ないようにすることを提案したんです。これをアメリカが潰した。この提案を潰された心労からケインズは若死にしたと言われています。バンコールのことを詳しく説明する時間はありませんので、関心がある方は家に帰ってから「バンコール」でネットを検索してみてください。色々解説されています。今例えばザイールとラオスが相互に貿易してそれでお互いに経済発展しようとするとします。しかしザイールもラオスも貧しくて通貨の価値があまり信用できない。だからやっぱり世界一信用があるドルで仲介しないと貿易は難しい。ドルは一番安定して価値があるから。でもケインズのバンコールを使うと各国の合意で国際的に価値が保証されている通貨だからドルを持っていない国でも世界貿易に参加できる。商品を売ったけれども相手の国がドル不足で対価を払ってもらえずに倒産するとかそういう危険がなくなる。バンコールはドル以上に安定した信用できる通貨ですから。だからケインズの提案が通っていれば、なにも先進国市場への輸出に必死にならなくたって、南の国も様々な自主的な発展が可能だったはずです。

 

自給国民経済への転換

 

ガンジーは先進国型の工業化ではなく、紡ぎ車でインドの農村を発展させようとしました。村の経済を発展させようとした。しかしドル基軸の世界貿易体制の支配下では、ガンジーの理想は見果てぬ夢に終わってしまいました。インドだって必死になって工業製品を作らないと発展できないことになっている。しかしバンコールの体制があったらインド的発展ということも可能だったでしょう。もちろん中国だってそうです。今の中国は先進国の下請け工場になるために国土を徹底的に破壊しています。

20世紀という貿易の世紀は終わりました。しかし今更どの国も鎖国して貿易を止めるわけにはいかない。そういう意味ではバンコールの再評価が必要なのです。全ての国に公平に貿易の機会を保障し、共存共栄の貿易をやる。肝心なことは貿易を古典的な貿易に戻すことです。つまり自由貿易と称して富の分配の歪から生じた体制の危機を外国にツケとして回すんじゃなくて、国民経済を二次的に補完する貿易をやる。基本的に自給の国民経済があって、どうしても足りないものを貿易で補う。貿易が二次的な役割しか持たなかった古典的な貿易に戻す。それが大事なんです。しかしバンコールのような体制は簡単には実現しないかもしれない。その時日本としてどうしたらいいか。とにかく変動相場制の下で為替相場に振り回される貿易はやるべきではありません。そういう貿易は国民経済を攪乱させます。国民経済と貿易との間には仕切りがあるべきです。それならばナチスドイツの例に倣ってバーター貿易をやるという手もあります。日本の商品には世界的に需要がありますからね。それならバーター貿易をやればいい。とにかく貿易を純粋なギブアンドテイクの、双方に公平で恩恵があるものにしていく。現状の貿易はそんなものじゃないということですね。

 

脱アメリカニズムが日本の課題

 

あと二つだけ申し上げます。トランプの当選は覇権国アメリカ、ドルと軍事力で世界を支配したアメリカが終わろうとしている徴でしょう。19世紀には大英帝国が強大な覇権国であり経済大国だった。だが英国はその価値観を世界に押し付けることはなかった。むしろ世界と自国を区別して「光栄ある孤立」を誇っていました。しかしアメリカは違います。アメリカはアメリカ的価値、普遍性を信じていて、それを宣教師的に世界に広めようとした。だから単に政治的軍事的経済的な覇権で世界を統治しようとしただけではなく、いわゆるソフトパワーでアメリカ的な価値観や文化を世界に広げようとしてきた。そしてマイカーと電化製品に代表されるアメリカ的生生活様式も広めた。つまりアメリカは、世界をアメリカの色に染めあげる傾向があった国で、そのあたりが大英帝国とは違います。ですからアメリカの世紀が終わるということは、我々の文化価値観、生活様式においても脱アメリカが進むということでしょう。さまざまな面でアメリカニズムからの脱却することが今後の日本の課題になるはずです。

たとえばマイカー社会は広大な国土と豊富な原油というアメリカ独自の国情から生まれたもので、日本のような国でマイカー社会は正しい選択なのかどうか、議論になっていい。そういう意味ではわれわれは日本独自の風土や伝統を改めて再評価することが必要です。もちろん国粋主義ということではなく、日本人はどのように伝統に従って生きてきたのか、改めて考え直す必要がある。こうして日本人は日本の創造的な伝統に立ち返る。そういう時代が始まろうとしていると思います。

特に江戸時代の再評価が必要でしょうね。江戸時代に日本人はアメリカのエネルギーを浪費する消費社会とは正反対の社会、しかも高度に文明化されたを築き上げました。昨今は江戸時代は自治と分権の多様性に富んだ社会だったと再認識されてきています。今後も江戸時代の再評価が進むでしょう。江戸時代がすべてよかった、ユートピアだったなどと言いたいわけではありません。しかし明治維新と文明開化の影響で江戸時代を安直に否定的に評価してきたのは間違いだったと考える人がますます増えています。

 

外圧で変化する日本の国家体制

 

そしてトランプのアメリカはウッドロウ・ウイルソン大統領以来の国際主義、覇権主義、自由貿易主義から降りる。19世紀のモンロー主義に回帰する。これで日本を取り巻く国際社会の文脈が大きく変わります。この変化に対応して日本も変わっていかざるをえない。こういう外圧を受けるたびに、日本はそれを新たな発展の好機にしてきました。日本はそういう国なのです。日本は外圧でしか変わらない、革命が内部から起きないダメな国だという議論がかってありました。これは間違った見解だと思います。日本の支配層は伝統的に社会の安定ということを非常に重視するんですよ。そして体制が安定するためにはコンセンサス、社会的合意が必要です。日本の支配層はそういう社会的合意を確保するために絶えず体制の補正や修正をやり、いろいろ非公式な安全弁をつけておくことも多い。それで江戸時代は265年も続いた。戦後日本でも、自民党は財界べったりの政党ではあるけれど、一面社会民主主義的な政策もやってきた。だから長期政権を維持できた。今は露骨に経団連の御用政党になっていますが。とにかく支配層が合意を重視するので、日本は体制の激変なしに社会が徐々に進化していく。これが日本の独特の体質です。そして私としては、これはむしろ日本人の良識と賢明さの表れだと思っています。実際世界には、革命や内戦で何百万人も死んで結果として深い傷跡が残っただけという国がたくさんあります。日本に革命や大規模な内戦がなかったことはむしろ称賛すべきことです。内戦があったといっても、天下分け目の戦の関ケ原でもたった一日で終わってます。薩長なんてとんでもない奴らだったけれど、徳川幕府は引き際よく消えていき戊辰戦争を長引かせなかった。そういうことで日本は凄惨な内戦などしたことがない。

ただそれだけに、外圧があるたびに日本の国家体制は一変することになった。国際情勢は国内のようにコントロールできませんから。だから古代には大陸に隋、唐の帝国が成立した際にはその圧力の下で大化の改新をやって国家体制を整えた。それから17世紀には全世界にヨーロッパが海洋勢力として進出して植民地主義の脅威があった。それに対応するために外交的に鎖国をした。その後19世紀には黒船の圧力で開国し、欧米に倣って近代化した。さらに第二次世界大戦で敗北したので、アメリカの覇権体制の下で生き延びるためにアメリカナイズした。このように日本は大きな外圧を受ける度に国家体制を根本から変えてきました。これが日本の歴史的な特徴なんです。

 

復活しない国際主義・覇権主義・自由貿易主義

 

  世界はトランプ大統領が何をするかで騒いでいますが、彼は大したことはできないでしょう。アメリカ経済は負債の山に押しつぶされていて、量的緩和といった連銀のトリックが問題をさらに悪化させた。この現状にはスーパーマンでも対処できません。それにトランプはアメリカが絶頂期にあった1950年代、60年代への郷愁があるだけです。しかし彼がどうなろうと、アメリカの国際主義、覇権主義、自由貿易主義はもう復活することはないでしょう。それに感づいているから世界のエリート、グローバリストはパニックになっている。戦後日本の国家体制にとっては、この三つは公理みたいなものでした。それがなくなる。ですから2017年以降、日本は否応なく国家体制の転換と変革の時期に入らざるをえないでしょう。そしてアメリカの二大政党制の崩壊に見られるように、どこの国でも政党政治の時代は終わっています。これからは、地方自治体が体制転換の拠点になると私は見ています。ローカリゼーションの時代が始まっているからです。だからこそ皆さんには、ベーシックインカムと信用の社会化は、たんなる所得保障ということではなく、地方の再生、内需中心の国民経済復活のための戦略であることを訴えたいと思っています。

ちょうど時間になりました。ご清聴ありがとうございます。

スイス「通貨改革プラン」スイス憲法改正案

約一年後に国民投票予定の「スイス通貨改革プラン」のスイス改正憲法案を送ってくださった佐々木重人さんからの情報です。重要なものだと思いますので、ここにご紹介いたします。

「債務に拘束される」量的緩和政策ではなくて、公的な目的のために通貨発行をするということです。

これに関連する英語版HPは以下です。

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

また、佐々木さんのブログは以下です。

http://natural-world.info/blog-entry-2.html

佐々木さん、ご紹介ありがとうございました。

~~~~~~~~ 以下、はりつけ ~~~~~~~~~~~~

  • 連邦憲法は、以下のように改訂される

    第99条 貨幣政策と金融サービスの規制

    1 連邦は、経済に貨幣と金融サービスが提供されることを保証する。経済的自由の原則から逸脱する可能性がある。

    2 連邦だけが、硬貨、紙幣、帳幣の形で法貨を創造することができる。

    3 スイス国立銀行の法令に準拠している場合は、他の支払い手段の創造および使用が許可される。

    4 法律は、国全体の利益のために金融市場を規制するものとする。特に、以下を規制する。

    a. 金融サービス提供者の信託業務

    b. 金融サービスの契約条件の監督

    c. 金融商品の認可と監督

    d. 資本要件

    e. 自己勘定取引の制限

    5 金融サービス提供者は、顧客の取引口座を貸借対照表外に保有するものとする。金融サービス提供者が破産した場合、これらの勘定は破産財産に該当しない。

第99条a スイス国立銀行

1 スイス国立銀行は、独立した中央銀行として、国の全体的利益に役立つ貨幣政策を追求するものとする。マネーサプライを管理し、金融サービス提供者による支払い取引システムの機能と経済への信用供給の両方を保証する。

2 投資のための最低保有期間を設定することがある。

3 法的権限の下で、連邦政府または州を介して、または市民に直接配分することによって、新たに創造された貨幣を、対応する債務に拘束されず流通させるものとする。これは、銀行に長期融資を与えることができる。

4 スイス国立銀行は、収入から十分な通貨準備を創出するものとする。これらの準備の一部は金で保持されるものとする。

5 スイス国立銀行による純利益の最低3分の2は、州に割り当てられるものとする。

6 スイス国立銀行は、その任務の遂行において法律にのみ拘束される。

第197条 122段

第99条(貨幣政策および金融サービスの規制)および99条a(スイス国立銀行)の暫定規定。

1 新規則が発効した日に、取引勘定のすべての帳簿価額が法貨となることを実施規則は規定しなければならない。金融サービス提供者の対応する負債は、スイス国立銀行への負債となる。これにより、合理的な移行期間内に、この帳幣の交換から債務が決済されることが保証される。既存の与信契約は影響を受けない。

2 特に、移行段階では、スイス国立銀行は、資金不足や過剰がないことを保証するものとする。この間、金融機関への融資へのアクセスを容易にすることができる。

3 第99条および第99条aの施行後2年以内に適切な連邦法が採択されない場合は、連邦議会は1年以内に条例により必要な実施規則を発行するものとする。

アイスランドはいかにして銀行マフィアを打ち負かしたのか

ベーシックインカム・実現を探る会 代表の白崎一裕です。

ある人に教えていただき、以下の、ブログをみました。これは、アイスランド大統領の金融危機後のカナダCBC放送のインタビュービデオです。ブログ主が翻訳してくれていますが、とても、興味深いものです。

 

ご参考までに以下にURLをはりつけます。

 

アイスランドはいかにして銀行マフィアを打ち負かしたのか

How Iceland defeated the Anglo-American Bankster Mafia

 

http://bougainvillea330.blog.fc2.com/blog-date-201507.html

 

また、ミゲル・マルケスさんというポルトガル人の映像作家がドキュメンタリー映画「アイスランド無血革命:鍋とフライパン革命」を作成され、その翻訳字幕もこのブログ主の方がつけられているようです。この内容も、アイスランドの政治と通貨改革などを考える際に貴重なものなので、以下にはりつけます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=BZxR1VbTVkg

 

 

ブログ主の方の感想などもはいり、分割翻訳されていてわかりにくいかもしれませんが、スクロールダウンすると内容がわかります。税金で、銀行を救済することの馬鹿馬鹿しさや、小国の民主主義の意味などが語られますし、イギリスなどの金融マフィア諸国のひどさについても語られます。ただ、これは、2011年とすこし前のインタビューのようです。

アイスランドの政府通貨プラン、注目記事です!

2008年金融危機後の政治経済改革が注目されてきたアイスランドで、ついに政府通貨政策が提案されました。与党の政策プランなので実現する可能性が高いと思われます。国民投票に通貨改革案がかけられているスイスよりも早く実行されるかもしれません。以下、イギリスのテレグラフ誌に掲載された記事をサインイン前の部分のみ翻訳して掲載いたします。ご参考にしてください。

元記事

Iceland looks at ending boom and bust with radical money plan- Telegraph

http://bit.ly/1aBYOgh

テレグラフ誌 2015年3月31日

アイスランドは画期的な通貨改革プランで超不安定な経済を終わりにしようと考えている

アイスランド政府は民間銀行の信用創造のはたらきを停止して中央銀行にその機能を取り戻す提案をおこなった。

(以下本文)

アイスランド政府は、民間市中銀行におけるお金の信用創造のはたらきを停止し、中央銀行の下でのみ信用創造を行うという画期的な通貨政策を提案している。

現代金融政策の歴史において転換点となるであろう上記の提案は、中道与党「Progress Party」所属議員の「Frosti Sigurjonsson」氏によって書かれた「アイスランドのためのより良き通貨政策」と題されているレポートの中にある。「レポートの成果は、来るべき通貨政策と信用創造に関しての議論に重要な貢献をするだろう」とSigmundur David Gunnlaugsson アイスランド首相は言っている。

首相によって委託されたそのレポートは、2008年を最後に多くの金融危機を起こしてきた通貨制度に終止符をうつことを目的としている。

四人の中央銀行総裁が行った調査研究によれば、アイスランドは、1875年以来20回以上の異なるタイプの金融危機を経験してきた、そして、それは平均して15年ごとに起きる6回の深刻で複合的な金融危機を伴ってきた。

Sigurjonsson 氏は、過去におきた金融危機は過度な経済の回転により通貨が膨張して引き起こされた、と述べている。

また、彼は、中央銀行は、高価で無駄の多い国家介入そして銀行崩壊の危険な兆候、および誇張されたリスクを負う憶測に拍車をかけるインフレを放置した信用膨張を封じ込めることができなかった、と主張している。

他国の近代市場経済と同様にアイスランドにおいては、中央銀行は紙幣とコインのコントロールをおこなうが、マネー全体の信用をコントロールするわけではない。そして、マネーの大部分は信用創造において市中(民間)銀行貸し出しとして瞬時につくられる。

中央銀行は、通貨政策手段として、マネーサプライに影響を与えられるのみである。これに対して、「政府通貨政策」とよばれる下では、国家の中央銀行はマネーの唯一の創造者になる。

Sigurjonsson氏は、次のように提案する。

「重要なことは、信用創造の権力は、新しくつくられたマネーがどのように使われるかということを決める権力とは区別したままにしておかなければならないということである。」そして「国家予算審議と同様に、議会は、新しい政府通貨の割り当てについて政府提案を議論することとなるだろう。」

こうして民間銀行は、会計計算の運営および借り手と貸し手の間の仲介者としての機能をはたすことになる。実業家でエコノミストでもあるSigurjonsson氏は、2014年5月に立ち上げられた、アイスランド家庭の債務救済プログラムの立役者の一人でもあり、2008年金融危機以前に、インフレに連動しローン契約をしたことによって家計が逼迫している多くのアイスランド人の救済を目的にもしていた。

北欧の小国アイスランドは3大銀行の崩壊の要因となったアメリカのリーマンブラザーズ投資銀行の破綻によって手ひどい打撃を受けた。当時、アイスランドは、この25年間において、疲弊した経済を救済するためにIMFに救済の申し立てをしたヨーロッパにおいて最初の国となった。

そのアイスランドのGDPは、経済がふたたび再興する以前は、2009年の5.1%から2010年の3.1%まで下がることとなった。(以上、文責、白崎)

社会信用論入門サイト(再掲)ルイ・エヴァン関連など

以前にも、当会のHPにアップされた、社会信用論・ダグラス入門関係のサイトですが、検索しづらくなっていることもあり、新たに再度、新情報も加えて以下にご紹介いたします。以下はカナダでダグラスの思想を広めたカトリックの宗教者ルイ.エヴァンの主著「この豊かさの時代にIN THIS AGE OF PLENTY」のサイトです。カトリックの色彩が強いですが、社会信用論自体についてはダグラスよりはるかに噛み砕いて解かり易く説明しています。

http://www.michaeljournal.org/plenty.htm

上記のサイトの日本語訳を途中までされた方のサイトです。以下です。

http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/index4.html

また、他のルイ・エヴァンの文章の翻訳は、以下のサイトで読むことができます。

http://rothschild.ehoh.net/material/41.html

(まだ、未訳のものは、順次、「実現を探る会」でも翻訳作業をすすめたいと思います。)

スコットランドの独立問題について   関 曠野

  独立の是非を問うスコットランドの住民投票は歴史や政治の視角からもいろいろ興味深い問題を提起していますが、「探る会」のニュースでは経済の側面に話をかぎることにします。9月18日の住民投票はかなりの差で独立にはノーの結果になりました。だがこれはもちろん連合王国の現状を是認してのノーではありません。今の英国は、ロンドンのシティ(金融街)、ロンドンに移住した世界各国のスーパーリッチ、ロンドンの英国議会の政界貴族には天国、庶民には地獄のような国です。この9月から売春とドラッグの売り上げをGDP統計にカウントしているような国です。EUでもっとも貧富の差が大きいこの国で、スコットランドの庶民は困窮しています。ブルーカラーの街グラスゴーでは乳幼児死亡率がきわめて高いため、男性の平均寿命が54歳という有様です。これはおそらく母親の栄養不足が原因でしょう。


  しかし実のところ、投票の結果はたいした問題ではありません。むしろこういう国家の存在理由を問う投票が実施されたこと自体が重要な意味をもっています。日本でも欧米でも先進諸国では目下、議会制国家の崩壊が進行していますが、今回の投票はこの崩壊の波が議会制誕生の地である英国にも及んだことを示すものです。この投票を契機に、英国は容易に収拾できない混乱に陥るでしょう。


  投票の結果がノーになったのは殆ど当然のことでした。自治政府の政権与党であるスコットランド国民党は、投票の実施を決めたものの、どうみても独立に本気ではありませんでした。独立しても英女王を元首に戴き、通貨はイングランド銀行が管理する英ポンドを使い続けるなど独立をサボタージュするような政策を掲げていました。また経済についても、庶民には北欧型社会民主主義、企業には大減税というツジツマが合わないことを約束し、財政は「北海油田があるから大丈夫」などといい加減なことを言っていました。それに独立した場合の新しい国名も決めていませんでした。


  国民党の狙いは、中央を独立のポーズで脅して自治権でさらなる譲歩を引き出し、地元でその利権を固めることにあったようです。ですから投票で賛成反対が伯仲という事態になって党の幹部は内心ではかなり慌てていたのではないでしょうか。それが、やはり事態に慌てた中央政界の保守、労働、自由民主という主要政党がそろってスコットランドのための予算を増やすことを公約し、しかも投票結果はノーになったのだから、国民党はまんまと目的を達成したことになります。党首のアレックス・サモンドは投票結果に責任をとって近く辞任するそうですが、これもそのうちカリスマとして復活するための茶番でしょう。「改革」「希望と変化」など漠然とした甘い言葉を振りまき有権者を自分の栄達のダシにするのは今時の議会政治屋のお馴染みの手口です。国民党の場合は、それが「独立」だった訳です。しかしサモンドは「してやったり」と思っているかもしれないが、実は国民党は英国を混乱させるパンドラの箱を開けてしまいました。早くも英国の他の地域から「スコットランドだけに公共支出のための予算を増やすのはえこひいきだ」と不満の声が上がっています。


  古代にはイングランドはローマ帝国領でしたが、スコットランドはしぶとく抵抗してローマに服しませんでした。中世以来イングランドが常にフランスに対抗意識を燃やしてきたのに対しスコットランドは北欧諸国に親近感を抱いてきました。そして1707年の連合は対等な合意によるものではなく、財力にものをいわせたイングランドによる事実上の併合でした。しかしこういう歴史があったにせよ、現在の亀裂を生じさせたのは、やはり保守党のサッチャーの政策です。

 

  戦後の英国は階級社会の古い体質もあって工業国としては没落し1970年代には先進国なのにIMFの緊急融資を受けるという屈辱を味わいました。そこでサッチャーは残された大英帝国の唯一の遺産である金融業による英国の再興を図り、その代償として地方の産業を切り捨てました。この金融立国のツケは集中的に質実剛健で実業本位のスコットランドに回り、その製造業は大きな打撃を蒙りました。


  しかしスコットランドの世論が明確に独立を求めるようになったのは、それに続く労働党政権の時代です。スコットランド出身のブレアとブラウンが相次いで首相になりましたが、彼らはサッチャーの金融立国路線を継承しただけではなく、イラクに派兵するなどアメリカのエリートに密接に協力しました。その結果、長らく労働党の牙城だったスコットランドではこの長い歴史をもつ左翼政党に対する不信感が高まりました。この労働党の変質は、「右翼・左翼」という言葉に意味があった時代が終焉したことをはっきり示すものでした。


  ではなぜ左翼は死んだのか。その要因は二つあります。一つは、経済が低成長に転じたポスト工業化の時代に左翼の社会的地盤だった労働組合が弱体化して利権集団としての交渉力を失ったことです。そして左翼がこければ右翼という言葉も無意味になり、左右対立の構図によって成立している議会制国家は空洞化します。「議会と政党の制度は産業革命が胎動し始めた18世紀の英国で生まれた。その課題は工業化が次々に生み出す新しい富の分配をめぐる争いを取引によって解決することだった。議会主義の本質は有力な利権集団間の取引である。(中略)だが成長の終焉と共に議会政治は取引する材料を失い崩壊し始める」(注)。


  左翼の死のもう一つの要因は、ソ連崩壊の衝撃です。左右を問わず、現代人には国家は法的で理念的なもの、経済は物質的なものという精神と物質の二元論で国家を考える傾向があります。そこから市場は盲目の欲望で動くから国家がそれを理性でコントロールすべきだという発想が出てくる。こういう国家観の元祖は、市場を「精神の動物界」と呼んだヘーゲルです。このヘーゲルの国家観は、キリスト教神学における聖と俗の区別を近代国家に当てはめた馬鹿げたものです。しかし左翼はこのキリスト教的な国家観を信奉し、真理を把握している知的エリートが国家の力で市場をコントロールすれば理想の社会が生まれると信じてきました。そしてソ連はこういう国家観が徹底的に実現された例だったので、その崩壊は社会民主主義者をふくめて左翼に致命的な打撃となりました。


  その結果、英国労働党の場合は、俗なる市場万歳、盲目の欲望を効率よく充たす新自由主義万歳になった訳です。つまり彼らは左翼の国家観を上下さかしまにひっくり返しただけで、二元論的な国家観を反省することはなかった。近代国家は何よりも経済のシステムであり、人々の権利や義務や責任も経済と切り離して論じうるものではありません。そして近代国家の主権の核心は、通貨を発行し管理する権利であり、それに較べれば法的で形式的な主権は二次的なものです。ユーロによる通貨統合で通貨発行権を銀行の下僕のEU官僚に譲渡してしまった南欧諸国の現状を見てください。これらの国は法的形式的主権は保持していますが、それは債務奴隷になることに同意する権利にすぎません。


  このように国家観が間違っていたから、労働党は国家が通貨発行権を銀行業界に譲渡していることが現代国家の根本問題であることにも気付きませんでした。この譲渡ゆえに私企業である銀行が影の、そして真の主権者になっており、租税国家はそれを補完する銀行経済のサブシステムにすぎないのです。その結果、旧ソ連には一党独裁と指令経済があったように、いわゆる自由民主主義諸国では99%の一般国民を犠牲にして1%の富裕層を潤す銀行独裁がまかり通っています、政府は富者のための社会主義、中央銀行は富者のための計画経済を実施しています。日本のアベノミクスもそうしたものです。この銀行主権の下では、中央銀行、財務官僚、議会政治家が三位一体の支配体制を構成しています。そして銀行が主権者である以上、選挙でどの党に投票しても何も変わりません。


  スコットランド人が求めたのは、実際にはこの銀行主権からの独立、英国を支配するロンドンという国際金融センターからの独立でした。各国の銀行業界は中央銀行という形でカルテルをつくっています。そして各国の中央銀行は連携して国際金融カルテルをつくっており、IMFなどはその代弁者です。このカルテルは映画やアニメに出てくる世界征服の陰謀を企む秘密結社そこのけで、各国の中央銀行、財務官庁、政府と議会はそれが送り込んだ占領軍のようなものです。スコットランド人はこのグローバルな金融資本による占領に抵抗しているという意味で愛国的な”ナショナリスト”です。しかし労働党からスコットランド国民党に支持政党を変えただけでは独立は達成できませんでした。所詮、議会政治屋は占領から利権を得ている人種だからです。だが住民投票を契機とした今後の英国の混乱の中で、人々は英国と世界の現状について認識を深めていくでしょう。議会政治の枠内で右翼左翼で争っていた時代は終わり、現代世界の争点はグローバルかローカルか、金融グローバリズムと地域に根ざす民衆のローカルなデモクラシーの争いであることに気付くでしょう。このローカルなデモクラシーはまた、人々に法的形式的な権利を保証するだけでなく、経済生活に参加する権利を具体的に保証する経済のデモクラシーでもあるべきです。デモクラシーは原理としては権力の分散を意味しています。ですから首相や大統領への権力の集中をデモクラシーと呼ぶ欺瞞とは手を切り、国民投票制などの直接民主主義や地方主権の拡大による権力の分散も人々の課題になるでしょう。


  現在、日本や欧米各国の政府はどこでもグローバル金融資本の司令部の指示で動いています。だからスコットランドの出来事は日本人にとっても人事ではありません。90年代に日本でバブルが破裂した際に政府はマネーゲームに走って破綻した銀行を国民の血税で救済しました。これ以来、与党が民主であれ自民であれ、政府はこの司令部の指示に従い、事実上破産している銀行の救済に狂奔しています。安倍政権による通貨の大増刷や消費税の増税も、溺死寸前の銀行を浮かせるための政策です。消費税の増税はIMFの要請によるもので、負債がGDPの2・5倍という日本国家を財政的に維持する費用をできるだけ国民に負担させて日本国債に対する投資家の不安を和らげ、銀行が国債ビジネスを今後も続けられるようにするためのものです。デフレの中で消費税を増税すれば経済がさらに低迷することは子供でも分る。だがIMFがそれでも増税を要請するほど銀行の経営は危うくなっている。「銀行栄えて国滅ぶ」が世界経済の現状であり、そして通貨発行権を握る影の主権者である銀行に逆らえる者はいません。


   また主婦の労働力化と移民の導入もOECDが以前から日本に要請していたもので、銀行が管理するマネーフローの外にいる人間を減らし彼らを課税対象にするための政策です。またアベノミクスによる通貨の大増刷は、インフレを経済成長の代用品にしようとするものです。インフレで通貨が減価すれば国家、企業、銀行自身が抱える負債の重さが減り、銀行と富裕層が保有する株など金融資産の名目価値が水膨れする。しかしこれは一般勤労国民には賃金給与が低迷したままでの物価の上昇という塗炭の苦しみになります。通貨の大増刷も結局、ゾンビ銀行を維持する費用を国民に負担させるもので、通貨価値の減価という形での国民の所得と貯蓄に対する間接的な課税といえます。      

   2008年のリーマンショック以来、アメリカの連銀は量的緩和(通貨の大増刷)で破綻したメガバンクを延命させようとしてきました。これはすでにパンクしたタイヤになんとかポンプで空気を入れようとするような措置でした。そしてこれは連銀というより国際金融カルテルが決定した政策であり、ドルの過剰供給の影響は世界の殆どすべての銀行業界に及びました。 しかし失敗した企業は破産して退場ということが市場経済の原則であるはずです。だからマネーゲームで失敗した銀行はすべて破産させればよかったのです。だが各国の中央銀行と政府は二人三脚で市場原理に逆らい、ここ5年にわたり利子ゼロの資金をつぎ込んでゾンビ銀行を救済しようとしてきました。 だから経済の現状を市場原理主義として批判する人は問題を勘違いしています。これは銀行の本性とはいえ、銀行の独占経済がかってない規模で市場原理の働きを阻止してきたのです。そして量的緩和は、景気を上向かせるどころか,99%の一般勤労国民と1%の富裕層との格差を決定的に拡大しました。


  しかし市場原理にいかに逆らっても、長期的にはこの異常な政策に対して市場から是正の圧力がかかります。この10月に連銀が量的緩和を打ち切り、おそらく利上げにも踏み切ることは、そうした圧力の例です。しかし連銀の方向転換は是正に終わらず、破局につながる可能性があります。これによって量的緩和が市場に逆らって作り出してきた株や国債など資本市場の虚構の相場が一挙に崩壊するかもしれない、一挙にではなくても、市場を封殺してきたことに対する反動は大きなものになるでしょう。そして経済が再びリーマンショック状態になっても、連銀と政府にはもう打つ手はありません。またもや量的緩和という訳にはいかない。 こうして銀行と国家の制度としての機能が全面的に停止するゼロの瞬間が近づいてきます。そして今後英国が陥るであろう混乱は、このゼロの瞬間を部分的に先取りするものになると思われます。  

 
(注) 農文協のブックレット「規制改革会議の農業改革」に所載の拙稿「なぜ議会制国家は崩れ去りつつあるのか」より引用。同書15頁。                                                                                               

連載・お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方

●  「お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方」

いま、白崎が、上記のタイトルで隔月刊誌「くらしと教育をつなぐWe」(フェミックス)に連載しています。

連載の意図は、もちろん、ベーシックインカムや通貨改革を考えるための根本を考えてみようということです。「実現をさぐる会」のHPの読者からこんな感想がよせられます。

「どうも、関曠野さんの話は、面白いんだけれど、よくわからん。特に、通貨(お金)や金融の話がぴんとこない」というような感想です。私も、小さな集まりで、通貨やベーシックインカムのことをご説明させていただく機会がありますが、「何度聞いても、わからない」というご感想をいただきます。本屋さんには、経済や金融の本があふれているのに、これはなぜだろう?と考えます。もしかしたら、本質的なことを、わざと難しくてわからなくしているんじゃないか?と。私も、経済や金融の専門家でも何でもありませんが、自分が疑問におもったことを読者のみなさんと共に考えるような文章なら、すこしは、この世界の風通しがよくなるのではないか、と考えて連載をはじめてみました。ご興味のある方は、ぜひ、お目通しいただければと思います。

連載一回We 2014年4/5月号「マネーが動かす原発マフィア」

二回6/7月号「銀行がつくる借金(負債)のお話」

三回8/9月号「信用創造のお話」

四回10/11月号(予定)「信用創造のお話②」

 

ということで続けていきます。

We のHPは以下です。

http://www.femix.co.jp/

よろしくお願いいたします。