関曠野さん、大阪・應典院講演「追記」

●  関曠野さんの大阪・應典院での講演の「追記」を仮アップいたします。この「追記」は講演録正式アップの時に掲載しようと思いましたが、内容の重要性から仮アップいたします。正式アップも近々いたしますので、もう少しお待ちください。(白崎)

 

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追記 -会場からの質問で考えたこと

関曠野(思想史)

 

 2016年の11月にはじめて大阪で講演をさせて頂きました。私の話を聴きに来てくださった関西の皆さんに改めて感謝申し上げます。さすが大阪というべきか、講演の後では会場から幾つも鋭く率直な質問があり、私もたいへん勉強になりました。そしてこの大阪での講演をきっかけに、今後は「政府通貨」と「ベーシックインカム」という言葉を止めて、その代わりに「国民通貨」および「(基本)国民配当」を使うことにしました。

 

その理由ですが、会場からの質問で、「政府通貨」と聞くと政府がある日号令を出して自分の預金や保険契約などがパーになるという過激なデノミのようなものをイメージする人が多いことが分かったからです。実際には、銀行券と国民通貨が共に流通する移行期間があるでしょう。しかしイメージだけが問題なのではない。私が安易に「政府通貨」という言葉を使ってきたことが、もともと問題だったのです。会場からのもうひとつの質問が、そのことを私に気付かせてくれました。それは「通貨は公共の利益のために超党派的かつ民主的に発行されるべきということは分かった。だがこれは、政府通貨とベーシックインカムは今後も実現できないということではないか」という質問でした。これは当然の疑問です。政府通貨ときけば、議会制国家の枠内で、政権与党が政権維持を目的に党派的に発行する通貨になってしまう。実際、今の自民党政権は経営危機の東電救済のために無利子で公金を融資しています。こういう悪質な党派的政府通貨はすでに実現しているのです。中国の人民元も一種の党派通貨でしょう。「政府通貨」という言葉がこうした党派通貨を容認するものと受け取られるようなら、この言葉は使うべきではありません。

 

このように議会と政党の国家体制は、通貨の公共的な発行と管理、それによるベーシックインカムの支給とは原理的に両立しえないのです。もともと議会制は銀行経済とそれを補完する租税国家を前提とし、徴収した税金に使途を審議するための制度です。だから議会からは、政権与党による党派通貨以上のものは出てきません。議会は銀行経済と一体である以上、脱銀行の通貨改革はできません。だからベーシックインカムも実現できません。租税国家には、全国民にまともなBIを支給できるほどの税収はないからです。それでも国家がBIの導入を検討すると言い出した場合は、それは福祉合理化が狙いです。今の経済危機の中で戦後の福祉国家は完全に破綻しています。だから財政難の国家としてはBIと引き換えに社会保障を全廃できれば大助かりです。今フィンランドが検討している案は、まさにそういうものです。

 

私は以前から通貨は議会や官庁から独立した国家信用局が経済統計を踏まえて発行することが望ましいと主張してきました。これは国民の国民による国民のための通貨です。だから「国民通貨」と呼ばれるべきです。そしてこの通貨の使途も公的民主的に協議され、社会の合意に基づいて決められる必要があります。さもなければ国民通貨とは言えません。だから通貨改革とBIを実現するには、やはり国家体制の転換が必要です。その場合、デモクラシーの老舗のスイス連邦がひとつのモデルになりうるでしょう。スイスでは議会の権力はカントンの自治権および国民投票制によって制約されています。そのうえその議会も、一定の得票があったすべての党は入閣するので、議会は世論が代表される場であり、与野党の政権争奪戦の場ではありません。こういう体制なら通貨の使途は厳しくチェックされ、国民通貨が党派通貨に堕する恐れはきわめて少ないでしょう。スイス連邦は議会制国家というよりカントン中心の地方自治体連合国家なのです。このことがスイスを経済的デモクラシーにも適した国にしています。

 

今日どこの国でも議会と政党の国家体制は崩壊の過程に入っています。議会政治は銀行経済を前提にしていて、銀行は果てしない経済成長なしには存続できない。だからゼロ成長で銀行が破綻した現在、議会政治は空回りするだけの茶番劇に堕しています。アメリカのトランプの当選は共和民主の二大政党制が死んだことを意味しています。また議会制発祥の地英国で、EU離脱という一大事が国民投票で決まったことの意義はどれほど強調されてもいい。また昨今EUで急伸している反EU反ヨーロ反移民の諸政党は政党のかたちをとってはいますが、議会に党員を送り込むことより自治体を押さえることを重視してきました。その結果。グローバリゼーションに切り捨てられた地方の庶民を代弁する勢力としてEUの政治を揺るがすに至っています。日本でも遠からず国政の焦点は、中央の国会から地方自治体に移っていくと私は見ています。日本でもローカリゼーションのうねりが生じるでしょう。そして通貨改革とBIがローカリゼーションの中心的な戦略になるでしょう。

 

 今私はベーシックインカムと言いましたが、今後はもうこれを使わず、代わりに「(基本)国民配当」というという言葉を使うつもりです。誰が「ベーシックインカム」を最初に使ったのか私は知らないのですが、この言葉には戦後の先進諸国のケインズ主義的福祉国家路線の匂いがします。だからフィンランドがやろうとしているような福祉合理化に、この言葉はよく馴染む。「所得」というのはエコノミストの用語で、ヘリコプターマネーを大衆にばらまいて有効需要を大量に創出という彼らの上からの発想にも馴染みます。それに「所得」というから、働いていないのになぜ所得があるのか、といった疑問異論を招きやすい。

 

ダグラスがBIと言わずに「国民配当」という言葉を使ったことには理由があります。彼の課題は福祉政策でもマクロ経済の管理でもなく、経済的デモクラシーの実現でした。そしてこのデモクラシーの根幹をなすのは、すべての国民の貨幣=購買力への権利です。ダグラスが言うように、富の生産は人類が車輪やバネを発明して以来蓄積してきた文明の遺産に依拠しています。だからすべての国民には文明の相続人として国民経済が許すかぎりの配当をもらう権利があります。資本の所有者にだけ株や債券といったかたちで特権的配当があって、庶民には雇用による所得があるだけという経済体制は、デモクラシーではなく近代的農奴制とでも呼ぶべきものでしょう。ですから一国の経済生活に参加しているすべての国民には一定の配当をもらう権利があるのです。これは道徳的理想や過激な政治的信条などではなくて、近代経済の現実に根差した国民の基本権です。この基本権を無視すれば、富の極度な偏在が円滑な経済循環を妨げ、1%のスーパーリッチと99%の一般国民に引き裂かれた経済社会は破滅に向かいます。このままでは遠からず銀行経済は全面停止状態に陥り、文明は崩壊します。その兆候はすでに出てきています。だから今こそ、すべての国民のお金への権利が承認されねばならない。われわれが必要としているのは、お上が恵んでくれる「所得」ではなく、配当への当然の権利なのです。

仮アップ 関曠野講演録 IN 應典院「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」(大阪)

 

2016年11月19日 於:大阪・應典院

 

「銀行は諸悪の根源 ― どうしたらおカネを『みんなのおカネ』にできるか」

講演者:関 曠野

 

この講演録は、関曠野さんがお話しされた内容に加筆・訂正していただいたものです。

 

主催:ベーシックインカム・実現を探る会、ベーシックインカム勉強会関西

 

 

 

 

「銀行は諸悪の根源~~どうしたらお金をみんなのお金にできるか」 

関曠野(思想史家)講演録 IN 應典院(大阪)

 

 

トランプパニックの意味

 

まず初めにアメリカでトランプが大統領に当選してしまったので世界的に大騒ぎになっていますね。柄の悪いドナルドダックみたいなおっさんが大統領になっちゃった。これは大変だというので、特にグローバリゼーションを推進してきた各国の体制エリートはパニック状態と言っていい。私自身はトランプの当選よりも彼の当選に対する世間の反応の方が気になります。

人間としてはトランプよりも前のブッシュの方がよっぽどでたらめだと思うんですよ。

しかしブッシュが当選した時にはパニックは起きなかった。なぜトランプの当選でこんなに世間が大騒ぎになっているのか。これはやはりね、トランプ自身の人物評価はどうであれ、トランプが当選したことの意味を世間が薄々解っているからだと思います。アメリカが主導してきた戦後の豊かな工業社会が終わろうとしている。いや、終わるというか崩壊しようとしている。その予感があって、トランプがその予感を象徴している。それだから世間がこういうパニック状態になっているのだと思うんです。けっしてこれはトランプという人間の素質の問題ではないと思います。

そういう意味で戦後が終わり新しい世界が始まろうとしている。その不安が今の世界を支配している。明らかに2017年以後世界はがらりと変わるだろうと思います。今の戦後の世界秩序がどのようにして生まれ、今後どのように変わっていくか、それが今回の講演のテーマですが、ともかく豊かな社会が成長の限界にぶつかって否応なしに終わらざるを得ない。これはトランプだろうがヒラリーだろうが安倍政権がいつまで続こうが、関係ない。終わらざるを得ないということですね。

 

自由貿易と軍事的覇権をやめる

 

そしてトランプ自身、まさに時代を反映した大変リアルなことを言っている。つまり自由貿易を止めると言っている。20世紀は戦争と革命の世紀といわれますが、これは皮相な見解です。この世紀は貿易の世紀でした。だが世界を動かしてきた自由貿易が終わろうとしている。これからのアメリカは保護主義、一国至上主義で行くとはっきり言っている。このトランプ原則はぶれないだろうと思います。それと自由貿易主義とワンセットになっていた同盟国の安全保障体制も見直し、同盟国に負担を要求するという。こういう形でアメリカはもう軍事的覇権を求めず、世界の警察官をやめると言っている。

この自由貿易とアメリカの軍事的覇権が戦後のいわゆるパックス・アメリカーナ、「アメリカの平和」の二本柱だった。2大原則だった。ところがこのアメリカ帝国をもうやめると言ってるわけです。これは大変なことです。驚天動地の変化といっていい。だからこそマスコミはこの問題を論評しないで、トランプが女性に失礼なことをしたとか、そういうことばかり騒いで、話をすり替えようとしています。トランプは確かに飲み屋で気炎を上げているような感じのおっさんですけれど、原則は原則でものすごくはっきりしている人です。それをマスコミは徹底的に無視している、それが庶民の怒りを買って彼の当選になったんではないだろうか。

 

右翼左翼図式からグローバルVSローカル図式へ

 

何はともあれトランプの人物評価は別にして、歴史的な転換が不可避に起きようとしています。私の言葉で言いますと、グローバリゼーションが終わってローカリゼーションの時代が始まろうとしている。世界を単一の市場として統合しようとするグローバリゼーションの動きが終わって、これからは国民経済が復活する、さらに国民経済の中でも地域経済が復活する。そういう時代が始まろうとしている。また我々自身が積極的にそういう時代の転換を促進しなければいけないと考えています。

それからもう一つ、トランプの当選がはっきり示したことがあります。右翼左翼という従来の政治パターンではまったく理解できない時代が始まりました。これは非常に重要です。トランプ当選は彼の勝利というより、ヒラリーと民主党の敗北という要素の方が強かったと言えるでしょう。トランプはそんなに評価しないけれども、ヒラリーと民主党はもっと嫌だという庶民の空気があったようです。その結果、アメリカでは民主党が代表する左翼、それからトランプを露骨に誹謗中傷したマスコミが信任を失った、失権したと私は思っています。これまで左翼とマスコミは「我々は人民の利益を代表している」と称してきた。それが庶民の信任を失った。おそらく今後左翼とマスコミは消滅に向かっていくでしょう。だからと言って右翼の時代が来るわけではありません。さっき言ったようにグローバルかローカルかが現代政治の焦点になってきています。これからはローカリゼーション、ローカリズムの時代が始まるということです。

 

なぜ、左翼は失権したか

 

では左翼はなぜ失権したのか。1960年代にマーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカの公民権運動を指導したことはご存知と思います。最後は暗殺されましたが。彼はなぜ黒人はいつまでも低い地位に留まっているのかという問題を考え抜きました。そして黒人には貧困な母子家庭が多い。その貧困な母子家庭が黒人の貧困を再生産しているという結論に達したんです。それで黒人の解放に本当に必要なのはそういう貧困な母子家庭を消滅させるベーシックインカム(以下BI)だと考えるようになった。これが彼らのいわば遺言だったと言えます。BIによる黒人の解放。特に女性の解放、母子家庭の貧困の解消。

ところがですね、アメリカ民主党はこのキング牧師の提言を全く無視しました。とにかく経済成長主義だったわけです。これからの経済はグローバル化で成長するということで、結局財界の別動隊となってグローバリゼーションの片棒を担いできたのがアメリカやヨーロッパの左翼です。ま、日本も似たようなもんだと思いますけれど。この財界協調路線がグローバリズムで痛めつけられた庶民の怒りを買った。経済成長主義ということでは左翼も右翼もない。左翼は実はエリートとグルなんじゃないかと庶民は疑い始めた。そうはいっても左翼っていうのは一応社会正義を代弁しているような顔をしなくちゃいけない。そこでアメリカ民主党に代表される左翼は、富と権力の公正な分配という問題を差別問題にすり替えたんです。富と権力の不公正な分配に対する抗議を差別の糾弾にすり替えたのです。それであちこちで差別現象と称されるものをほじくりだして騒ぎ立て、それで社会正義の代表者みたいな顔をする。それも言うにこと欠いてハリウッドで黒人俳優がオスカーをもらえないのは差別だとか、そんなことを言ってる。それにアメリカの庶民の堪忍袋の緒が切れたということがあると思います。

 

壊し屋、トランプ

 

だからトランプという人物自体は私はあまり問題にする気はないんです。アメリカの大統領というのはかなりマスコットの要素があってそんなに実権を持っているわけじゃない。ただ一つ違うのはブッシュでもクリントンでもオバマでも結局はアメリカのいわゆるディープステイトと言われる本当の奥の院の支配層のいうことを代弁しているだけでした。トランプはアメリカ帝国を壊そうとしている。これはやはりこれまでとは違うんじゃないか。ホワイトハウスの招き猫では済まないのではないか。そういう意味では人間のタイプは全く違うけれど、トランプはちょっとゴルバチョフに似た役割を果たすかもしれない。つまりトップダウンで体制を壊す。そういう人間になる可能性がある。それは別に革命思想を持っているということではなく、庶民層の怒りを代弁をしている限りにおいて、またアメリカ社会の停滞と混乱を何とかしなければと思っている一般のアメリカ人の気持ちを代弁している限りにおいて、トップダウンで体制を壊す人間が登場した。そういう見方もできると思います。 ただしトランプの任期中にアメリカ経済は連銀の誤魔化しに限界がきて最終的に崩壊する可能性がある。これは誰が大統領やったって打つ手がない問題ですが、それが全部トランプの無能のせいにされる、そういうスケープゴートにされる危険もありますね。その時になって「大統領なんてヒラリーにやらせておけばよかった」と後悔するかもしれません。

 

アウトサイダーのトランプ

 

トランプは何をやるかわからない危険人物のように思われていますけれど、私にいわせれば彼は大変わかりやすい単純な人ですよ。まずたたき上げの一匹狼の実業家です。だからエリートのサークルには属していないアウトサイダーです。もう一つ不動産屋ですから基本的に内需で食っている。だから国民の懐が温かくないと自分の商売も廻っていかないのでグローバリズムには反対なんです。経済を統計数字でしかみていないエリート層と違って、商売柄庶民の生活の実情を知っている。彼の政策も、周囲に色々わけのわからない連中をかき集めていますが、別に特定のイデオロギーがあるわけじゃない。要するに景気のよくなりそうなことなら何でもやる、見境なしにやるということです。非常に単純なんです。

しかもむちゃくちゃなこと言ってる。地球温暖化論議はアメリカの製造業をつぶそうとする中国の陰謀だなんて言っている。しかしですよ、トランプが本気で保護主義をやって世界貿易が縮小すれば、温室効果ガスの排出は劇的に減ります。温暖化について正確な科学的知識を自慢するインテリはここ何十年現実を一ミリも変えてこなかった。むしろ温暖化についてむちゃくちゃなことを言っているトランプの方がよほど温室効果ガスの排出を減らす可能性があります。政治家は学者じゃないんですから、これでいいんです。

 

経済戦争をしかけるトランプ

 

ただ景気を良くするためには何でもやるというので、かなり矛盾したことを言っている。企業の法人税を大幅に下げる。その一方で財政出動してインフラ公共事業をどんどんやるという。これ矛盾してますよね。じゃ、減税しながら財政出動するための財源はどうするんだ。この点では、トランプは外国との経済戦争である程度財源を作ろうとしているのではないか。そうすると関税などで増税なしに税収が増える。だから中国からの輸入品には45%の関税をかけると言っている。日本に対しても、ご存知のように在日米軍の駐留経費を日本に全部負担させようとしているし、ヨーロッパに対してもNATO関係の費用を全部ヨーロッパが持てと言っている。要求はこれに留まらないと思います。彼は破産するたびに借金を踏み倒してのし上がってきた男で、その政策を対外的にもやる可能性があると思います。日本はアメリカの国債を厖大に持っていて、毎年アメリカから8兆円の利子収入が入ってきている。トランプはひょっとしたらですが、日本が汚い商売をやって買ったアメリカ国債なんだから利子を払う必要がないとか、払っても1兆円に負けろとか言ってくる可能性があると思います。とにかく彼は外国との経済戦争は本気でやる気です。それ以外に財源の当てがありませんから。

 

「逆=黒船」へ

 

でもトランプのアメリカがそういう経済エゴに徹するのは私としては大歓迎です。おかげで日本もグローバリズムから脱却して経済的にも主権国家になり国民経済を立て直す、地域経済を再生させる。それ以外に選択肢がないということがはっきりしてくる。だからトランプのアメリカの自国中心主義は高く評価しています。とにかくこれで戦後日本が一貫して国家存立の前提にしてきた自由貿易とアメリカの覇権が消滅することになります。これからの日本はもう戦後の延長線上にはありません。トランプのアメリカという「逆=黒船」で、日本も鎖国ではないけれど、貿易をあてにしない内需中心経済への転換を迫られています。

 

お金とは、生産と消費を仲介するもの

 

今日のメモにあります本題に入ります。まずお金ということですけれどもね。お金は生産と消費を仲介するものです。つまり生産されたサービスや商品をお金があるから買えて消費するという単純な話ですね。お金は生産と消費を仲介する。だから貨幣というものは、消費を促進するためにあるのです。このことをしっかりと考えていけば世の中の仕組みが良く見え来ます。そして近代国家というのは根本においてお金の流れとして組織されています。国家というと我々はつい法律中心に考えていますけれど、法律というのは国家の骨格みたいなものです。国家の血液として循環しているのはお金なんです。だから国の実態はまずお金の流れとして解明すべきなのです。そのように解明していくと物事が良く見えてくる、何がどうなっているのかメカニズムがよくわかってくる。

 

銀行業に管理されているお金の流れ

 

そこで現状でのお金の流れですが、私企業である銀行がお金の流れをコントロールし、管理しています。日銀は資本金をもって設立された、株式も発行している私企業です。私企業が日本という国を取り仕切っている、内閣だの財務省の官僚だのはいわばその番頭に過ぎない。見かけだけの権力しかもっていない。日銀の正体は銀行業界のカルテルです。そして銀行業界が金の流れをコントロールしている以上、銀行が影の支配者として日本国家を取り仕切っているということです。

そしてこのお金の流れを血液循環に例えるならば、そこに極度の淀みや歪みが生じている。その結果お金の流れが滞って脳血栓や動脈瘤とかそれに近い現象が起きている。それが今のデフレなんですね。どうしたらお金の流れが再び順調に血液のように循環するようになるか。それが私が前から提起している問題で、BIもその一環です。BIは福祉じゃありません。お金の流れの淀みや歪を無くすための政策です。どうしてこのお金の流れに淀みや歪みが生じるのか。

 

C・H・ダグラスのA+B理論

 

20世紀初めにこの問題を最初に解明したのが英国のエンジニアのクリフォード・ヒュー・ダグラスという人です。私もこの人からお金の流れについての考え方を学びました。この人のことについては私も再三話しているので今日は延々と話すことはしませんけれども。

この人の重要な議論はA+B理論というものです。メモに書いてありますけれども。企業の帳簿を見てどういう風にお金が支出されているのか見てみましょう。そうすると従業員の賃金給与に支出されている部分Aがある。もう一つは生産のための原料と生産設備に関連して支出されている部分Bがある。原価償却とかそういう形で。そしてダグラスが発見したのは、どこの企業の帳簿でもA<Bだという事実でした。どの企業もAに比べると生産設備関係の支出Bの方が遥に大きい。しかしここには深刻な矛盾がある。企業が生産した商品を市場で売る際の価格は、このA+Bに銀行への利払いや利潤を上乗せしたものです。ところがそれを買う勤労者大衆にはAの所得しかない。しかも彼らだけが商品を買ってくれる消費者なのです。このように消費者の購買力という視点から見ると、企業が生産した商品の一部しか勤労者は買い取れない。すべてを買い取ることはできない。この基本的矛盾の結果、結局企業は売れ行き不振で生産過剰に苦しむ一方、勤労者の方は所得不足、必要なものさえ買えない所得不足に苦しむと。これは企業の会計構造それ自体に根差した問題です。企業の帳簿はあくまで効率的な生産のためのもので、消費には関係がないのです。ただしこのA<Bのギャップはタオルを作っている町工場のレベルなら大きな問題にはなりません。だが19世紀末以降、企業の機構が巨大化複雑化して、生産設備の刷新や研究開発に巨額の投資が必要になってくると、深刻な矛盾になってきます。

 

利払い銀行融資がマネーを歪める

 

さらに企業の機構が巨大化複雑化してくると、どんな企業でも銀行からの融資が必要になってくる。そうでなければやっていけない。トヨタクラスの巨大な多国籍企業だって銀行からの融資無しには回っていかない。そうなると銀行からの融資には利子を付けて返さなければいけない。利子というものは全く不生産的なものです。銀行は何も生産していない。生産に関係ない利子というもので儲けている。銀行は通貨の使用権に利子という価格を付けて売っているわけです。しかも利子はどんどん増えて、場合によったら複利で元本を上回るほどの額になる。こうして企業会計の中で銀行への利払いという不生産的なものが占める比率が大きくなっていきます。そうなると今お話したA<Bの矛盾に加えて銀行への利払いがお金の流れを歪めてしまう。この二つがお金の流れを淀ませ歪ませる根本原因です。

商品の価格には銀行への利払い分も上乗せされているので。ドイツのある研究によると商品価格の三分の一から約半分が銀行の利払い分だそうです。そういう形で経済の非生産的な部分が拡大していく。この二つの要因がやがて恐慌を発生させます。デフレになり、デフレはいずれ恐慌になります。

 

資本主義の矛盾をはぐらかすアメリカ

 

しかしここで疑問が生じてきます。ダグラスが論じたように現代経済の土台にそんな矛盾があるならば、なぜ資本主義は存続してきたのか。資本主義はあっという間に崩壊してしまったのではないか。実際英国人のダグラスは産業革命以来の資本主義の発展は宿命的な限界にぶつかったと見ていたのです。ところがアメリカがダグラスに対する答えを用意していました。第一次界大戦に参戦したのをきっかけに経済超大国にのし上がったアメリカは、ダグラスが指摘した矛盾をはぐらかすような新しいタイプの資本主義を作り上げた。それが20世紀の先進諸国を支配することになりました。

どういうことかというと、まずフォードシステムですね。自動車王ヘンリー・フォードは自動車の生産を徹底的に合理化して安く車を作れるようにし、労働者に自分たちが作ったT型フォードを買えるような高い賃金を払うことにした。これでA<Bの問題がはぐらかされたのです。第二に、勤労者大衆、消費者の所得不足の問題です。これには月賦販売方式で対処した。ローンというものを作りだして、普通の勤労者でも車や住宅のような高価なものを月賦で買えるようにした。このフォード・システムとローンによってA<Bのギャップという問題をはぐらかし先送りすることに成功した。これがアメリカの消費社会の特徴なんです。

 

石油という魔法が資本主義の矛盾を先送りに

 

 アメリカはこの問題をはぐらかしたり先送りしできた背景には、20世紀初めのアメリカは世界最大の産油国で、産業の一番の原動力である石油が安く豊富に買えたということがある。石油は英国の産業革命を可能にした石炭と比べても比較にならない優れたエネルギー源です。石油という魔法の資源のおかげでダグラスの指摘した矛盾を先送りできた。逆に言うと石油の価格が高騰してくるとアメリカの資本主義は行き詰る。実際それが石油ショック以来の状況です。

しかしご存知のように1930年代にアメリカは大恐慌に直撃され、労働者の4人に1人が失業という事態になります。してみればアメリカはダグラスが指摘した問題をはぐらかしただけで解決することはできなかったんですね。結局A<Bと銀行マネーの問題で格差が拡大した。階級、階層、職業別、地域格差が拡大していた。この富の分配の歪は他方では余り金によるバブルを惹き起こし、それが繁栄するアメリカという幻影を生みだしていた。そしてこの幻影が消えて景気が一気に悪くなると銀行に対する負債が重くのしかかってきて経済のブレーキになる。ということで大恐慌になった。お金の流れにおける脳血栓や動脈瘤がポックリ死をもたらした。

 

「自由貿易」で体制矛盾を輸出する

 

それでは、どうやってこの恐慌を打開するのか。これは富と権力の公正な分配という形で解決するしかない問題です。しかし当時のアメリカのエリートにはそれをやる気などない。そこでエリートが出した結論は、この矛盾を貿易による経済の拡大と成長で先送りにするということでした。英国のような植民地帝国のブロック経済を戦争で叩き潰し、アメリカの覇権の下でグローバルな自由貿易の国際秩序を作り出す。富と権力の歪んだ分配という問題はニューディールで多少手直ししただけで、そのままにしておく。そして矛盾のツケを外国に輸出することで問題を先送りにする。これが「自由貿易」という言葉が意味していることなんです。「自由貿易」とは、自国の経済の歪みや矛盾、体制の危機を他国に輸出することです。そういう形で外国に矛盾のツケを回し外国の富を貿易で奪って経済を成長させる。経済が成長すれば多少は富のかけらを勤労者大衆にも分配できるということでね、問題を先送りできる。他方で、戦間期、第一次大戦と第二次大戦の間の時期は貿易戦争の時代ですね。ダンピングとか、いわゆる隣人窮乏化政策がまかり通った。更にダンピングが高じて通貨戦争になる。自国の通貨を切り下げて輸出を有利にする。アメリカはこういう貿易戦争通貨戦争を予防できる国際秩序を作ろうとしました。

 

グローバル貿易VSブロック経済

 

この結果20世紀はアメリカが主導する貿易の世紀になりました。20世紀はアメリカの世紀であり、それはすなわち貿易の世紀であった。20世紀はよく革命と戦争の世紀だと言われますが、これは皮相な見解です。20世紀は実は貿易の世紀なんです。

第二次大戦の原因はふたつあります。ひとつは、一国資本主義の限界という問題。もう一つは完全雇用が先進諸国の最大の政策目標だったことです。一国資本主義の限界。現代企業の巨大な生産力にとっては、どんな大国であってもその市場は狭すぎ資源は少なすぎる。そこで日本とドイツは大英帝国型のブロック経済。植民地の資源と市場を持つ経済を作ろうとして戦争に訴えた。ドイツはレーベンスラウム、生存圏、日本は大東亜共栄圏という形でブロック経済を実現しようとした。アメリカはそれに対して世界全体が市場になるグローバル貿易を目指した。アメリ企業の巨大な生産力からすると、アメリカのような広大で資源に富む国でも狭すぎる。結局第二次大戦は、このアメリカのグローバル貿易主義がドイツと日本のブロック経済主義を叩き潰した戦争でした。

 

ブレトンウッズ体制という飴と鞭

 

そしてアメリカはまだ戦時中の1944年にアメリカのブレトンウッズという田舎町で連合国の関係者を集めて会議を開いて、世界の戦後の通貨貿易体制を構築します。第二次大戦後はこのブレトンウッズでアメリカが作り上げた通貨貿易体制が西側の先進諸国を支配します。これはメモにも書いてありますように、アメリカの戦略目標は、この通貨貿易体制によってふたたび恐慌や戦間期に起きたような通貨戦争貿易戦争が起きないようにすることでした。そのためにはどうしたかというと、ドルを金で裏付けて、そのドルを世界貿易の準備通貨決済通貨にする。金1オンスを35ドルと定める。その金で裏付けられたドルを基軸に世界各国の通貨の相場を定め固定相場にする。

だから例えば1ドルは360円として1970年代の始めまでこの相場は変わらなかった。そしてドルの価値を保証するために各国に輸出で稼いだドルは要求すれば金と交換しますよと約束する。そういう形でドルの流通を確実にする。こうしてアメリカの同盟国であればこのシステムに乗っかって世界中の資源と市場に自由にアクセスできますよと保証する。

他方でこの体制から逃げ出されちゃ困るので同盟国に米軍の基地を置く。安全保障体制と称して。だからアメリカが同盟国友好国に基地を展開しているのは冷戦でソ連と対抗するためというのは口実に過ぎなかった。本当は同盟国の主権を制限するため、同盟国の首に首輪をつけるためのものなのです。ヨーロッパや日本の米軍基地はそのためのものです。

だからこれは飴と鞭ですよね。アメリカの体制に従順に従っていればちゃんと資源と市場へのアクセスは保証される。だがアメリカの後見なしに主権を行使しようとすれば軍事基地を置かれているので圧力をかけられる。現に1950年代にエジプトのナセルがスエズ運河を国有化した時に英国とフランスはそれを阻止しようと現地に出兵しましたが、アメリカの圧力で結局撤兵せざるを得なかった。そういうことです。

 

変動相場制移行の意味が重要

 

ところがこのブレトンウッズ体制は、1971年のニクソン大統領声明で終焉します。ニクソンはドルと金の交換を停止すると宣言し、これ以後ドルは金の裏付けがないペーパードルになりました。ドル基軸の固定相場制の下で戦後の世界貿易はほとんどドル建て決済になりました。だから外貨としてドルを持っていない国は貿易に参加できない。そういう体制だったので、ドルがペーパードルになったからといってもドルを使うのを止めることはできない。それでは、ドルの価値は何で決めるかというと、その時その時の為替相場で決めようという変動相場制になるわけですね。この固定相場制が変動相場制に変わったことの意味をちゃんと理解している人が本当に少ない。経済学者でさえもわかっていないのが、たくさんいる。しかし実際今の世界の騒ぎは全部変動相場制が原因なんですよ。だから変動相場制が意味するものをきちんと押さえておく必要があります。

アメリカがドルと金の交換を停止した理由ですけれども、ひとつは日本やヨーロッパが戦災から復興してきて、競争力をつけてきたのでアメリカは当初のゆるぎない超大国ではなくなった。相対的にアメリカの地位が低下した、ゆるぎない大国ではなくなったということです。戦後は先進国の繁栄で、経済規模が巨大に拡大したものですからアメリカが保有する金を要求されたら金庫がすっからかんになってしまう。とくに重要なのは石油価格の問題でしょう。この頃までにアメリカの油田は枯渇しはじめていた。だが石油の需要は増える一方で、アメリカも膨大な石油を輸入せざるをえなくなった。この状況でドルと金を交換していたら、アメリカが保有する金はあっという間になくなってしまうでしょう。ニクソン声明はアメリカにとってはやむをえない政策の変更でした。

 

固定相場制の歴史的意義

 

とにかくこういう形で変動相場制になった。それで、変動相場制とは何なのかということなんですけどね。

しかしその前にブレトンウッズの固定相場制の歴史的な意義を考えてみてたいと思います。終戦直後から1970年までの時期の銀行の融資は、各国の戦災からの復興なり、各国経済の発展に貢献する社会的役割を期待されていたのです。単なるもうけ主義の融資じゃなくて社会と経済への貢献が期待されていた。その背景には大恐慌への反省もありました。銀行がもうけ主義の融資に走ったことが大恐慌の原因になったという反省もあって、社会的に責任ある融資ということが強調された。

融資には公共的責任があるとされた。自分勝手なギャンブル的融資はしちゃいかんと法的な規制が一杯あったわけです。銀行の社会的責任ということが1970年までは強調されていて、銀行もそれを無視することはできなかった。

 

変動相場制がカジノ資本主義を生む

 

それが変動性相場制になったらどうなるか。各国の通貨の価値は刻々変動する為替相場で決まる。つまりドルだの円だのポンドだのマルクだの、各国の通貨が株と同じものになるということですよ。そうなるとトヨタ、日産、ホンダのどの株を買ったら一番儲かるかというのと同じ発想で通貨が扱われる。通貨が純然たる金融資産になるということです。各国の国民経済がお金の流れとして組織されているということなど無視されてしまう。とにかく手持ちの金をうまく転がして金融資産をどんどん増やす。そういう姿勢で銀行が融資するようになる。そうなると資本市場はカジノに似たものになってしまう。通貨は金転がし。銀行と富裕層による投機の対象になる。どの株買ったら儲かるかと同じ調子で通貨が売られたり買われたりする。銀行は社会と経済の実態を無視して純粋に利子収入だけを目的に金を貸すようになる。

本来資本市場というものは、社会にとって必要な資金を供給するためにある。資金の需要と供給のバロメーターとしてある。それが社会の実体経済を無視してギャンブルの舞台にになるわけです。だから1970年代以降カジノ資本主義という、社会の実態に関係のない資本主義が発生してくる。そのカジノのおこぼれの金が我々庶民や小さな企業に多少回ってくる、そういう状況になる。銀行の社会的責任が一応強調された固定相場制が変動相場制に変わって、銀行がギャンブル業になってしまった。これが現代のさまざまな危機の根本的な原因です。

 

資本主義とは何か~生産の三要素

 

そこでちょっと視点を改めて資本主義とは何なのかを考えてみたいと思います。資本主義というのは難しく考えればえらく難しい問題になるけれど、簡単に考えるとえらい簡単な話なんです。今日はその簡単な方で行きます。

まず生産の三要素は、資本と土地と労働です。この三つの要素がないと生産は成立しません。資本というのは何かというと、お金のある人が生産のための道具や設備を買うとそれが資本になる。例えば印刷会社を始めようと思って印刷機を買ったらそれが資本になる。大工さんが金槌を買うのも資本です。土地というのは単なる地べたのことではなくて、農地になったりするし地下資源があったりする、いわば資源としての地球のことですね、これが土地です。それから労働はもちろん人間の労働ですけれども、人間は労働しながら生活しているわけで、いわば労働とは生活者としての人間のことです。(板書)

ですから例えば江戸時代の日本だって生産はこの三つによってやっていたわけです。

ただね、生産には資本が必要だからといって、そこからすぐに資本主義が生まれるわけではない。資本主義が生まれるためには、江戸時代の日本にはなかったような特殊な状況が必要なのです。それは、僅かな資金で大儲けできる一攫千金の機会がいくらでもあるような状況です。こうした状況があって、ちょっと何かを作ったりちょっと運んで売ったりするだけで、たちまち原資の何十倍もの金が入ってくるぼろもうけのチャンスがあったら、お金は資本として貴重になりますね。

 

資本主義の発生~資本の商品化

 

近代の初めにヨーロッパ人が新大陸アメリカを征服した段階でそういう状況が生じました。とにかくわずかな金で大儲けができる。そうなると資本はものすごく貴重になる。たとえばアメリカで奴隷を使って煙草を栽培し葉巻にしてヨーロッパに運んで売れば莫大な儲けになった。ちょっとでも資本があればそれでぼろ儲けできる。だからぼろ儲けを可能にする資金として資本自体が商品化されます。で、この資本の商品化をしているのが銀行なんです。17世紀の英国でイングランド銀行という形で最初の近代銀行が生まれました。英国がカリブ海の植民地のプランテーション経営などでぼろ儲けできる状況が生じた中で銀行が成立しているわけです。銀行はお金そのものを売っているのではなく、お金の使用権を売っています。そして、貨幣の使用権に利子という価格を付けて売っているのが銀行です。そうやって資本を販売している。市場で儲ける機会に比べて資本が少ないから、希少だから、資本に非常に貴重な価値があるから銀行の商売が成り立つ。だからぼろ儲けの話が少なくなったら、資本主義も銀行も消滅するはずなのです。そして現に消滅し始めている。それが世界経済の現状です。今の世界にぼろい儲け話は滅多にありません。

コツコツと地味な商売をやるしかない。現代経済の基調は否応なくそうした方向に変わってきています。

 

国際金融資本と主権国家の対立

 

ところがですよ、変動相場制の下では銀行主導で経済が純粋な商品としてのお金で動いているから、経済自体が金融化してくる。アメリカの場合、1980年代ぐらいまではGDPに金融業が占める比率は20%だったのが、今は40%を越えています。経済の半分近くが純粋に金融業界の取引額になっている現状です。そうなると金融資本というカジノ業界にとっては、先ほど言った生産の三要素のうちの土地と労働という存在が邪魔になってくる、儲けに対する制約になってくる。銀行の儲けというのは純粋に帳簿上の数字の問題です。だが土地と人間は現実の存在です。そこから軋轢や衝突が生じてくる。それも高度経済成長期によくあった、銀行が融資した開発業者のプロジェクトが地元住民の反対で潰れるといった次元のものならまだいい。現在この問題は、国際金融資本と国民全体の衝突にまでエスカレートしています。

国家は領土と人民によって成立しています。だからどんな国家でも土地と労働(人間)を代表せざるを得ません。そのために国家は資本にとって制約になってくる。国境などにお構いなく無制約に自由に動きたい金融資本には邪魔になってくる。しかし銀行という組織を成立させ、その営業利益を保証しているのはあくまでも国家が定めた法律なのです。国家の法律があるから銀行業が成立しているんです。にもかかわらず銀行には国家が邪魔になってくる。だから出来るだけ国家の制約を逃れようとする。それには当然国家の方からの反撃、特に国家を構成している人民からの反撃がある。また土地という要素も人々が資本の無制約な自由に反撃する根拠になる。地球は人類のかけがえのない住み処であり、資本の儲け話で使い捨てにされてはならないという声が高まってくる。

こういう形で国際金融資本と主権国家の対立がだんだん深まってきてます。この対立はレーガンの時代以どんどん深まって、現在極限に達していると言えるでしょう。以上申し上げたように、金融資本が主権国家すなわち人間と土地に対立してその無制限な自由を追求すること。それがグローバリゼーションという言葉が意味していることなんです。

 

資本の国際移動の自由とグローバリゼーション

 

そしてグローバリゼーションの発端はやはり変動相場制にあります。変動相場制で銀行の在り方が変わり経済と社会を支配し、土地と人民はその商売の邪魔になってきたので、なるべく無力化させようとする。だからグローバリゼーションは銀行主体の金融的な現象で、それに付随して社会の変化、企業の変化などがあるということです。ではグローバリゼーションはどのようなかたちで進行したのでしょうか。まず最初は。資本の国際移動の自由です。つまり円で儲けた金でマルクを買ってそれでさらに儲けて、その儲けた金でドルを買うとか、そういう自由な金転がしができなきゃ意味がないでしょう?金融カジノというのは。一国内でゴタゴタやっても意味がない。昔は資本は国家に規制されて勝手に国外に動かせなかったのです。たとえば戦後まもなくの日本で資本を海外に自由に持ち出せたら戦災からの復興など不可能になるから勝手に持ちだせなかった。昔の庶民は海外旅行なんてできなかったですね。

まず資本の国際移動の自由が拡大して、資本には国境がなくなると今度は全世界を舞台にお金のギャンブルをやる時代が始まった。とにかく金が自由に動くから、儲からなくなると一斉に逃げ出す。例えば90年代のアジア通貨危機では、東南アジアとか韓国に出ていたアメリカの資本がどうも本国の方が利上げで儲かりそうだと一斉に引き上げられ、アジア諸国の経済がガタガタになった。韓国はそれで破産状態になりました。

第二に、変動相場制の下で企業の多国籍化が急速に進行しました。いくら資本が全能といっても国民を入れ替えたり土地を動かしたりすることはできない。じゃあ資本の方が動いてしまえということで企業の多国籍化が進んだ。銀行はすでに国際化しているが、それに加えてモノづくりをやっている企業も生産拠点をどんどん例えばアメリカから中国に移す。そういう形で企業もなるべく国民と国境から自由になろうとする。

 

変動相場制が「変動人口制」を生む

 

一番最後に、これが一番大問題なのですが、変動相場制がついに変動人口制を生み出すに至ります。とにかく金融のグローバル化と企業の多国籍化は完了したから、次には生産の三要素のうちの人間の要素を徹底的に資本のコントロール下に置きたい。世界の人口を流民化、流動化させ、各国の人口をメガバンクと多国籍企業の都合のいい数に絶えず調整しようとする。これを私は「変動人口制」と呼んでいます。今世界では難民移民の問題が最大の政治の争点になっています。英国のEU離脱やアメリカのトランプ路線もそのきっかけになったのは移民でした。マスコミは移民とか難民とか言っていますが、これは変動人口制という問題なんです。とにかく国境も文化も無視して各国の人口の数をGDPの拡大に一番都合がいい形に調整しようとしているのです。

そのいい例がメルケルがトルコの難民キャンプからシリア難民をドイツに呼び込んだことです。以前にはメルケルは「このままではドイツはモスクだらけのイスラム国家になってしまう」と言っていました。「多文化主義は失敗した」と言ってたんです。ところが一転してシリア難民を呼び込んだ。この180度の転換の原因はおそらくドイツの銀行の危機です。ドイツが大恐慌の震源地になりそうだとかなり言われています。ドイツ経済は中韓両国並の輸出立国で実は脆弱なところがある。この脆弱さをユーロを梃にしたを金融マネーゲームで補ってきた面があります。ところがリーマンショック以来ドイツの銀行が抱えている金融派生商品やギリシャその他の国債がまとめて不良債権化した。金融で水膨れした経済が危ない。ドイツがこければEU自体もこける。そこで急遽難民移民で百万人くらい人口を増やせば、一時的にある程度消費が増えて、GDPが拡大する。それでGDPの予測数値を投資家に見せる。ドイツの銀行は危ないけれどまだ倒産しませんよ。ドイツはやっていけますよと投資家を説得する。このようなGDPの見かけのうえの数値稼ぎのためにシリア難民を呼び込んだ。おそらくこれがメルケルの豹変の真相です。

 

GDPのために利用される浮遊人口

 

シリアの内戦から逃れた人たちは隣国のレバノンやトルコの難民キャンプにいく。この段階では彼らは難民です。だがそこからメルケルの呼びかけに応じてヨーロッパに移動した人たちは流民というか、浮遊人口と呼ぶべき存在です。フローティング・ポピレーション。グローバリゼーションはここまできた。変動人口制で浮遊人口をあちこちに絶えず移動させてGDPの数字を一時的に改善する。それで投資家や金融業界を納得させる。まだうちのGDPは伸びますよと言って納得させる。移民を入れるのは財界が低賃金で働く奴隷労働者が欲しいからだという人がいます。しかし移民を労働力にするためには言葉や技術の習得とかに何年もかかるでしょう?今のグローバルな金融危機の中で各国のエリートにはそんな悠長なことを考えている余裕はありません。とにかく浮遊人口で自国の人口を増やして消費を拡大しGDPの数値を瞬間風速でいいから上げられればいい。当座の消費が増えればいい。そういうことです。GDPの数字は金融界が物事を考える際の唯一の尺度ですから。

 

右翼ではない反移民運動

 

ですからこういう政策に反対しているヨーロッパの反移民運動は人種主義の差別と偏見に基づく右翼的な運動なんかじゃないですよ。落ち着いた生活がしたい、安定し安心できる生活をしたいという庶民のごく普通の気持ちを代弁しているだけなのです。だからそういう意味で、英国のEU離脱とか、アメリカのトランプ当選は当然の民意の反映だと思っています。右翼の勝利などではありません。こうして変動相場制は、為替相場だけじゃなくてありとあらゆるものが絶えず目まぐるしく変動する世界を作りだしてしまった。目を覚ましてみたらアパートの隣室で外国人が騒いでいるとか、そういう社会が作りだされた。

さらに今の社会で餓死する人はめったにいないとしても、雇用が不安定になった。だから昔のプロレタリアートではなくて今はプレカリアート、不安定労働者という言葉が広まっていますね。結局今の社会の一番の問題は、社会の安定したパターンが崩れてきて将来を見通すことが困難になっていることでしょう。すべてが絶えずくるくる変わっていき明日は何が起きるか分からない。通常の人間の神経では耐えられないような社会が生まれてきた。これが現代社会の根本問題です。

 

経済の金融化の帰結~グローバリゼーション

 

ここまで1971年のニクソン声明以来の世界経済の金融化、グローバル化を説明してきました。そこでこの経済の金融化がもたらした三つの帰結をまとめてみます。

まず第一がグローバリゼーションですね。資本の国際移動の自由から始まり国際金融資本によって国の主権がどんどん形骸化していく。富がグローバル化の中でメガバンクとスーパーリッチに集中する。1%のメガリッチが後の99%の国民より多くの金融資産を持っている、富を持っているという状態が生まれます。銀行の課題は富を集中させてそれを投資することです。しかし現代の工業経済は以前から「成長の限界」という隘路にぶつかっています。だから銀行による富の集中だけが進行し、それが途方もない規模になっているのです。

 

経済の金融化の帰結~銀行負債という負の成長

 

第二に、銀行への負債が増えるだけの負の成長です。レーガンの時代以来、先進国は銀行からの借金で成長と繁栄の見かけを維持してきました。これは国債などで銀行への利払いが増える一方の負の成長です。そして今日の繁栄のために未来を質に入れている経済であり、その結果先進諸国では世代間格差が深刻化し、若い世代にツケが回っています。ローマクラブが「成長の限界」というレポートを出したのは1972年ですが、その当時から経済成長の限界は始まっていました。そのもっとも重要な指標になっているのは石油生産の逓減です。

有望な新油田も見つからないし、既存の油田は次第に枯渇していく。だから成長の限界は物理的必然というしかありません。しかし銀行業界だけはこの事実を絶対に認めることができません。経済が成長拡大するから企業、国家、家計は利子なんて余計なものを銀行に払う余裕があるわけで、低成長、ゼロ成長になれば利子を払えなくなる。成長が止まれば銀行商売の基盤がなくなる。だから成長の限界論など無視してあやしげな金融商品などを開発して、むしろ営業を強化する。そういう形で非生産的な銀行への負債が増えるだけの負の成長になる。これが80年代以降の特徴で、90年代のバブル破裂以後の日本なんかひどいものですね。企業も家計も銀行への借金で押しつぶされ、それがブレーキになって経済が動かない。こういう事態を負債デフレといいます。かつての1930年代の大恐慌の原因もこの負債デフレでした。今の世界経済の危機の原因もやはり負債デフレとして説明できます。

 

パンクした車のアクセルをふむような量的緩和

 

ただし今はお金の流れが滞留しているだけではなくて30年代大恐慌当時にはなかった富の異常な偏在、一極集中が起きています。スーパーリッチやメガバンクへ富の一極集中が起きている。これほど経済がひずんだことは世界史的にも前例がありません。この富の集中の原因はやはり、ニクソン声明で通貨が金の裏付けを失いペーパーマネーになったことでしょう。これで銀行は無からいくらでも実体のないお金を創造し、それを転がすカジノ商売に徹することができるようになった。しかしカジノだけでは経済は動かない。長期的には実体経済が成長してくれないと銀行も自滅します。しかし負債デフレでブレーキがかかって経済が止まっているのに銀行が経済を何とか動かそうとするのからおかしなことが起きる。それが皆さんも聞いたことがあるはずの量的緩和やマイナス金利なんです。量的緩和というのは、銀行が持っている債権とか資産を日銀がどんどん買い上げる。そのために日銀は新たに紙幣を大増刷してお金を無から作りだし、銀行はそれを受け取る。それをまた自分が日銀にもっている預金する。こういう紙幣の大増刷を量的緩和といっている。しかし銀行にいくら金をつぎ込んだって、このデフレで借り手はない。むしろ企業はみんな借金を返すのに必死になっている。これはパンクとガス欠で動かない車の運転席で懸命にアクセルを踏んでいるような馬鹿げた行為です。それでも増刷でお金の価値が目減りし減価するならば、企業、国家がかかえている負債が多少は軽くなるでしょう。しかし実体経済が失速しているのに紙幣を増刷するだけでデフレがインフレに逆転などということはありえません。結局量的緩和では、各銀行の日銀の口座の預金がやたらに増えただけでした。

 

マイナス金利から消費強制の減価貨幣へ

 

それでも悪あがきして日本やEUの銀行は今度はマイナス金利という窮余の策に手を出した。各銀行は日銀がつぎ込んできたお金を日銀にあるその預金口座に入れる。これには日銀が利子を払う。これを日銀に預けると逆に銀行が利子を取られるようにする。預けると損をするというのがマイナス金利です。こういうことをやる思惑はね、預金をして損をするくらいならリスキーな事業にも渋々貸し出しをするだろうという思惑です。だがこんなことまでやってもこの不景気の中でお金を借りようという人はなかなかいませんよ。だからマイナス金利をやってもお金の滞留は直らない。しかもマイナス金利をやればさらにお金の信用は低くなる。こんなことを続けていれば、お金はどんどん紙くずに近くなってくる。

銀行は成長の物理的限界にぶつかっているのだから、どうしようもない。量的緩和もマイナス金利も効果はなく経済の混乱と停滞を深めただけでした。そこで世界の金融エリートが今考えている奥の手は、経済全体をマイナス金利にすることです。今のデフレの中で庶民は将来が不安なので財布の紐を締め貯金を貯めこもうとする。だから銀行に預けたお金が時間と共にどんどん目減りするようにする。減価貨幣ということです。そうなると預金がさらに減る前にお金を使わざるをえなくなる。庶民に消費を強制できる。それで景気が回復する、というよりデフレで死にそうな銀行が生き延びることができる。しかしこんなことをやったら庶民は直ちに銀行から預金を下ろしてタンス預金にしてしまうでしょう。預けると損をする預金などやる人はいません。そうでなくても今どきの銀行は取り付け騒ぎを怖れています。リーマンショック以来、庶民の中でも銀行が国家の影の主権者であり諸悪の根源であること理解している人が増えています。またEUの一部の国では預金封鎖に似た事態も発生しています。大規模な取り付け騒ぎはありえないことではありません。

それは困るというので、EUではお金はすべてディジタルな電子マネーにして現金を廃止しようという動きが出てきています。現金を廃止してしまえば、もう取り付け騒ぎもタンス預金も不可能になる。EUには500ユーロという高額のお札、日本でいったら5万円かな、それをもう廃止しました。スウェーデンは現金の使用を制限するためにATMをどんどん撤去しています。スウェーデンは社会民主主義の優等生みたいに言われてきましたが、こういうあざといことをやっています。現金廃止の口実は脱税や犯罪組織による資金洗浄の予防ですが。本当の狙いは取り付け騒ぎの予防とできれば庶民の預金もマイナス金利にすることです。

 

経済の金融化の帰結~国家が銀行管理状態へ

 

第三に国家が銀行管理の状態になることです。先進諸国は70年代以降低成長になり国家の税収も伸びなくなった。しかし議会制民主主義国家では政治家は利権集団へのばらまきや福祉政策を止めるわけにはいかない。それで赤字国債を発行して借金で国を回していくことになった。本来国債の発行は税収不足を補うための臨時措置だったのですが、それがどの国でも恒常的なことになった。

国債を買うのは主に大手銀行です。低成長で儲からないので、国家への融資が銀行の主な仕事になってくる。国債が銀行の主要資産になる。銀行は、企業は倒産の恐れがあるけれど国家は倒産しないと考えたのです。国家は貸した金を必ず国民から税金という形で強制的に搾り取って返してくれる。国民全員を債務奴隷にしてでも負債を利子付で返済してくれる。皆さんの中にも銀行に一文も借金していない人がいるでしょうが、そういう人でも国民として銀行に借金して利払いを強いられています。それで増税されたり福祉を削られたりしている。国家が銀行管理の状態になっています。しかも国内のメガバンクだけじゃなくて国際金融資本全体がグルでやっている銀行管理です。この不景気の中で日本は消費税率を8%にあげました。消費税のアップはだいぶ前からIMF(国際通貨基金)が国際金融資本を代弁して日本に要請していたものです。あとOECDね。これが要請していた。増税は日本の財務省や日銀が考えたことではなくて国際金融資本の司令部からの指令なんです。だから日本の庶民生活の現状なんか無視して消費税を上げる。上げる目的は日本国民からさらに税金を搾り取って国債の価値を維持しよう銀行の経営を安定させようということです。 昔は不景気になると減税や財政出動というのが定石だった。それが今は、増税と緊縮財政が強行される。これは国家が銀行管理になり、国民ではなく銀行に奉仕しているからです。だからこの問題はね、安倍政権が悪いのどうのこうの言ってもどうしようもない。国際金融資本と日銀を潰さない限りこの状態は変わらない。政治家なんてどうでもいいんです。

 

ローカリゼーションの中心戦略は「社会信用論」

 

この調子でやっていくと銀行は破たんに破たんを重ね,いずれは経済の全面的崩壊が起きると思います。通貨が全面的に信用を失って経済がストップする、経済が心臓まひになる。そういう可能性がある。これは大変なことなんです。皆さんによく考えてもらいたい。1930年代の大恐慌は基本的に貧困と失業の問題でした。当時はまだアメリカだって農民なんかが多くてね、まだまだ素朴な社会だった。今は社会がはるかに高度に組織されている。皆さんのなかにも水道ガス電気なんかを銀行振り込みにしている人も多いと思います。スーパーだって在庫はもう秒単位でコンピューター管理して商品が流通している。こういう状況の中で通貨の流通がストップ状態になったら、これは経済危機というより文明の崩壊です。生活環境は大震災の津波直後の三陸海岸みたいになっちゃいます。水道ガス電気は止まるし、スーパー行っても棚が空だし、そういう社会になる。そういう銀行の破綻が原因の文明の崩壊は、何としても回避したいというなら、20世紀の始めにダグラスが提起した解決策を再評価する必要があるというのが私の長年の主張です。ダグラスが主張したのはお金の流れ方を根本的に変えること、通貨改革です。彼自身はこれをは社会信用論。ソーシャル・クレジットと呼びました。そして通貨改革は、ローカリゼーションの中心的な戦略になる。これまでお話ししたように、グローバリゼーションは銀行マネー経済の必然的な帰結です。銀行経済においては、お金はすでにお金があるところにさらに集中するのです。この流れを逆転させ、お金を分散させなければならない。BIは福祉ではなく、お金を個々人という究極の単位にまで分散させる方策です。政府通貨も、お金が滞りなく円滑に流れるようにして、経済全体に適切に分散させるための措置です。

先ほどお話しましたA<Bの問題。企業の生産過剰と庶民、消費者の所得不足という問題。これはBIで簡単に解決します。雇用によってしか所得が分配されないということが経済を極度に不安定にしているのです。所得は人間が生活するのに必要なものなのに、他方で雇用は企業の都合で決まるものですから。しかもいろいろ偶然な要素で所得が決定されている。それが問題なんです。そこでもう一度強調しますが、BIはお金の流れの淀み歪みを無くして円滑に循環させるための政策で、福祉政策じゃないですよ。そしてお金の流れが集中から分散に逆転すると、大企業、大都市が解体していきます。おそらくチェーン店といったものもなくなっていくでしょう。

 20世紀にはじめにダグラスがA<Bや銀行金融の問題を中心に経済を分析した背景には、この頃から企業や国家の機構の巨大化複雑化が始まったことがありました。それを逆転させる。おそらくBIが実現した社会では銀行による資本の集中がなくなるので、中小企業、地場産業、町工場、商店街の世界が復活することになるでしょう。

 

政府通貨発行による安定と均衡経済

 

それから政府が通貨発行権を銀行から取り戻し、経済統計に基づいて通貨を発行するといういわゆる政府通貨の問題です。国民経済計算という統計があるのですが、それで大体去年どれくらい日本経済が富を生産したかを把握できる。それによる所得分布も把握できる。それに基づいて社会が必要とする量の通貨を発行し流通させればいい。もしインフレになりそうであれば通貨の供給を減らす、デフレになりそうだったら増やすと、調整はいくらでもできます。これには銀行に利子を払う必要がない。利払いという無駄な支出、経済のブレーキになる支出がなくなる。更に利子を払うためにむりやり経済を成長させる必要もなくなる。つまり経済は成長ではなく安定と均衡及び生産と消費の円滑な循環を目標にすることができる。それを目標にすることができるということで、必然的にそうなるとは言ってませんよ。こういう脱成長ということは銀行経済には絶対に無理なんです。銀行は利子で儲けている以上、何が何でも経済が成長拡大してくれないと困る。その結果文明が崩壊しても知ったことではありません。しかもね、本来通貨というのは、私企業が勝手に自分の儲けをそろばんで弾いて発行しちゃいけないんですよ。通貨は、人間の生死にかかわる問題なんですから。

 

政府通貨発行による無税国家の実現

 

そして政府が国家維持のために税金を徴収する必要もなくなる。国家が銀行に通貨発行権を譲渡してしまったから国家維持のために別途税金を取る必要が生じているんです。政府が自ら通貨発行すれば銀行から国債を証文に借金する必要もないし国民から税金を取る必要もない。つまり基本的な教育、医療、福祉インフラなどは、政府がそれに必要な分だけ通貨を発行すればいいのです。統計に基づいて上限を設けて発行すればインフレにはならない。税金というのは本来いらないものなんです。なぜ日本人はみんな税金を払うのを当然だと思っているのでしょうか。江戸時代の年貢じゃないんですから。

悪い例かもしれないけど、ソ連には税金がなかったのです。ソ連においては労働は賦役みたいなもので、国民は労働で国家に貢献しているんだから別途に税金なんてとる必要がないとしていた。その代り働かないで家で引きこもりなんてやっていると警察に捕まりましたが。だから私は決してソ連のことは褒めていません。しかしソ連は、税金なしでも国家が回った例なんですよ。だからソ連みたいな一党独裁じゃなくて真に民主的な形で政府通貨を発行すればね。税金は基本的にいらなくなるんです。

もっとも例外的に臨時の徴税はあるかもしれません。例えば大阪で市特有のプロジェクトをなんかやりたい、そして市民はそれに賛成した場合です。そういう場合には目的が限定された市民税みたいなものを徴収する。これは一種のカンパですね。

もう一つは、資本転がし金転がしと土地転がしで懐にはいった不労所得。これには徹底的に課税する必要があります。田舎の田んぼだった物件が近くに鉄道の駅ができたので地価が100倍に上がった場合です。金転がし、資本転がし、投機で儲けたりした不労所得に対しても課税する必要がある。これは道徳的な理由で課税するんじゃないんです。そうした不労所得で儲けた金を蔓延らせておくと経済が歪んでくる。だから経済秩序を健全なものにしておくためには、金転がしと土地転がしで得た不労所得に対してだけは徹底的に課税する必要があります。そうすれば、お金の流れに淀みも歪みもなく、社会の隅々にまで行き渡るということです。

 

経済的「人権」保障を

 

現代社会では人権人権という言葉をよく聞くんですが、これは単に国家が市民に保障すべき法的な権利とみなされています。しかしですよ。人間の最も根本的な権利とはお金への権利です。だって文明社会ではお金がなければ生活できないわけですから。今の社会は。原始社会じゃない。だから最小限のお金への権利。所得を保証される権利、これこそが根本的な人権です。それがあってこそ社会に参加できるわけでしょう。人権はあまりにも法的に考えられすぎている。そして経済的人権保障のためにはやはり富と権力の公正な分配が必要だということです。そういう意味で、今どきの人権論には私は大変批判的です。経済的な問題を無視した抽象的な法律論が多すぎる。

 

大都市から地方にお金の流れを逆転させる

 

そういう形で政府通貨とBIによって銀行経済は終わる。経済的デモクラシーが始まる。金融化とグローバリゼーションは終わりローカリゼーションが始まる。そういう形で大都市が衰退し、解体し、国民経済、地域経済が復活する。もちろんこれは貿易による他国の富の略奪を必要としない内需中心の経済でもある。国民経済復活は即ち国家内の各地の地域経済の復活につながります。今の日本の地域に必要なのは企業の誘致や観光客の呼び込みではなく、所得保証による有効需要の創出です。たとえば島根県は日本一高齢化していて過疎でも苦しんでいる県です。でも島根県が何とか低空飛行でやっていけるのは、高齢者への年金がBIの代わりになっているからでしょう。夕張市がまだ息をしているのも高齢者の年金がBIになっているからでしょう。ということは、積極的にBIを実施すれば地方経済は一気に復活すると考えていい。逆にいえば、通貨改革で国内の資金の流れを逆転させなければ、地方は経済的な貧血や栄養失調で死んでいくでしょう。

BIは一国の毛細血管の隅々にまでマネーが行き渡ることを可能にします。そうすればほっといたって地域経済は復活する。だからこのお金の流れの問題は、地方自治体関係者にじっくり考えてもらいたい。結局国家はお金の流れとして組織されているということが分かっていれば、この話も分かるはずです。ところが分かっていない。相変わらずお金とは中央官庁にお願いして回してもらうものだと思っている。奴隷じゃないですかこれ。それで一生懸命ゆるキャラで宣伝とか中国人観光客を呼び込むとか、そんなことをやっている。ど田舎に空港を作ったりね。本当に地方自治体が考えていることは明治時代から変わっていません。政府通貨とBIで中央、大都市から地方にお金の流れを逆転させることができるのです。そして人の流れはお金の流れに従います。資本が地方に分散され、都会から地方に移住しても基礎所得の保障があるならば、深刻化している地方の人口の減少という問題も解決に向かうでしょう。

 

BIで社畜脱却を

 

さっき言ったようにそういう形で大企業が衰退し、町工場と商店街の世界が復活してくる。そのうえBIが支給されると、おそらく社畜サラリーマンをやる人が減るだろうとと思います。自営業を始める人が増えるでしょう。一生涯月10万でも保証されればそれに基づいて人生設計ができる。そうなると社畜サラリーマンなどをやっているより自営業をやるという人が増え、仲間を集めて中小企業を立ち上げるとか起業をやる人も増えるとでしょう。だからBIにはサラリーマン撲滅の効果があると思っております。BIが支給されるんだったら物価の安い地方にいこうということで、大都市から地方に移住する人も増える。特に地方で農業をやろうという人が一気に増えるでしょう。今だってそう考えている人が多いんですから。ただ地方に行ったら生活できるか分からないから動けないないわけで。しかし月10万円程度の所得が保障されるんだったら、当座は農民修業をやって10年もすれば農民として自立できるでしょう。だったら進学ローンでえらい借金を抱えて大学を出たのにフリーターになんて人生を送る必要はなくなる。

 

種子島鉄砲の重要な意味

 

  日本でも世界でも1970年代以来のグローバリゼーションの過程は、ローカリゼーションの過程に逆転しようとしています。この転換のきっかけは、リーマンショック以来の銀行経済の最終的破綻です。そして通貨改革でお金の流れを公的民主的にコントロールするようにすれば、国民経済、ローカルな地域経済が復活してきます。デモクラシーはこれまでもっぱら政治体制の在り方とされてきました。しかしデモクラシーは何よりも経済のデモクラシー、銀行に通貨発行権を横領させない経済体制のことでなければならない。しかもね、日本という国は歴史的に地方の底力によって支えられ発展してきた国なんですよ。

皆さんも種子島の鉄砲伝来の話は知っていると思います。16世紀の半ばに嵐で遭難した中国のジャンクが種子島に流れ着いた。それにポルトガル人の商人が二人乗っていて鉄砲を持っていた。それを種子島の領主が大金はたいて買い込んで、お抱えの鍛冶職人の金兵衛にその複製を作らせた。これがきっかけで戦国時代の日本に鉄砲が一挙に広まった。この話は皆さんもご存知でしょうが、ただ考えてください。こういっちゃ悪いけど種子島は今もへき地です。辺境の離島です。そこにちゃんと鍛冶屋がいて、それが見様見真似であっという間にヨーロッパの鉄砲の複製を作ってしまうほどの技術を持っていた。これすごいことですよ、考えてみると。これが日本という国のすごさなんです。どこの国でもね、都は栄えていても一歩都を外れたら何もないのが普通です。種子島のような離れ小島にも都に劣らない文化文明技術学問があったという、これが日本の底力です。じゃ何で種子島にそれほどの鍛冶屋がいてそれほどの技術や知識があったのか。種子島も戦国時代でやっぱり領国だったわけです。種子島時堯って言ったかな。若干16歳の領主がいて、これが大変知的にシャープな人で、鉄砲の価値をすぐに見抜いた。そこで当時の種子島にしてみれば大枚をはたいてポルトガル人から鉄砲を買った。しかもそれを撃って遊んでいたわけじゃなくて、すぐに鍛冶屋に複製を作らせた。領主である以上は一国一城の主として職人だの商人だのワンセットの体制が必要なんです。だからちゃんと腕のいい職人がいた。ただし僻地といいましたが、当時の種子島は東シナ海を舞台にした国際貿易の拠点であったし、昔から砂鉄が取れる所でね、製鉄が盛んだった。そういう事情もありましたけれど、やっぱりこの話はすごい。種子島から50年後には当時日本最大の工業都市だった泉州堺が鉄砲の産地になって、日本の鉄砲生産量はヨーロッパ全体をしのぐに至りました。何でこういうことが可能にだったのかというと、戦国時代で種子島もそれなりに領国だったことが大きいのではないか。戦国時代というと皆さんはNHKの大河ドラマなんかの影響でチャンバラばっかりやった時代と思うかもしれませんが、戦国時代はそういう文化文明学問技術が日本の国土の隅々にまで広がっていった時代なんです。だから各地に群雄割拠となり、争いが起きたわけです。このあたりが日本は他の多くの国とは違うのです。国の隅々にまで文化技術学問が行き渡った。更に江戸時代になると天下泰平で争いがなくなったので、更に各地方の独自の文化と経済の発展があった。近代日本はこの江戸時代の豊かな遺産なしにはありえませんでした。

 まだまだ多くの人が日本は明治維新で中央集権国家になって、そのおかげで近代化したと思っています。これは違います。近代化を可能にしたのはそれまでの地方の蓄積です。地方の底力です。例えばこの大阪にしたって1960年代まで経済指標は全て東京を上回っていました。そういう意味では、戦前の日本の順調な近代化を可能にしたのは地方経済の強さですよ。地方には人材も富もあった。東京は何をやってきたかというと地方の富と人材を吸い上げてきただけです。吸血鬼みたいなものです。東京はエリート官僚がいて、マスコミがあって、大学があるというだけのスカスカの都市です。ああいう都市は潰さなきゃいけません。

 

エネルギーと食糧の自給率を高める

 

とにかく今の日本は国土上の人口分布を均等化させていく必要があります。これにはもうBIが一番効き目がある。どんな地方、へき地、辺境の離島にまで文化文明技術学問が広まって蓄積があったことが日本のすごさなので、その点では今の東京の一極集中は日本の歴史から見るとまさに亡国の現象です。この流れを逆転させて、かつての種子島の鉄砲伝来のような。地方に中央に引けを取らない文化経済技術学問がある日本を再建しなければいけない。ついでに言いますが、最近中国の脅威がどうのこうのと国防論議が盛んですけれども、国防の基本はエネルギーと食糧の自給率の高さです。本当に国防を考えるなら、とにかくエネルギーと食糧の自給率を高めることです。これもまた政府通貨やBIによって政策として可能になります。戦前の日本は食糧は、もちろん、エネルギーもかなり自給していた。70%くらいは自給していた。どうしていたかというと林業をうまく使ったんですね。暖房もこたつだし、木炭をうまく使っていた。だから戦前では林業は主要産業だった。そういうことを考えなければいけない。石油をあてにしないで林業を復活させる。バスなんてみんな木炭バスにすればいいんですよ。木炭バスというのは木炭燃焼の時の水素が出る。それを利用しているからあれは水素エンジンです。原始的なものじゃない。理論的に言うと石油エンジンよりも木炭エンジンの方が高級なんです。

 

ケインズのバンコール通貨構想

 

先に申し上げたように20世紀は貿易の世紀でした。英国のEU離脱、アメリカのトランプ当選でそれが終わり、しかも欧米では移民問題が社会を混乱させ政治の焦点になってきている。移民問題といわれているのは実際には、金融資本が主導したグローバリゼーションが生み出した浮遊人口、変動人口制の問題です。だから欧米で起きている反移民の動きは、排外的人種主義による差別と偏見といった問題ではない。浮遊人口という異常な現象が問題なのです。なぜ国際的浮遊人口などという異常な現象が生じてきたのか。その原因を遡ると、1944年のブレトンウッズの国際会議に行き着きます。この会議で米英を中心に連合国は、戦後にどんな国際的通貨貿易体制を構築するか協議しました。そこで経済的軍事的覇権国になったアメリカが、英国のケインズが提出した国際通貨バンコールで決済される貿易体制という案を叩き潰したことが、現代世界の混迷の発端なのです。

戦後の通貨貿易体制を考えてみますとね、ドル基軸ですから、貿易でドルを稼いでドルを持っている、そういうドル保有国だけが世界貿易に参加できる。だから戦後のドル決済貿易は特権的な会員制クラブみたいなものです。日本はこの特権をひときわ享受した国です。だが南の貧しい後進国にはドルを稼げる可能性がない。これで世界貿易の会員制クラブから排除される。しかも足元をみられて徹底的に食い物にされたりする。私は、健全な国民経済のためには通貨の問題が決定的であることを強調してきました。世界貿易についても同じことが言えます。貿易においても公正な通貨ということが決定的に重要なのです。

ケインズはブレトンウッズでドル覇権体制を構築しようとするアメリカに反論し、全く別の方式を提案しました。その方式ではまず貿易決済用の通貨と国内通貨を分けます。貿易の決済にはバンコールという名前の通貨を計算単位として使う。それをできるだけ公正公平に運用するようにする。それで貿易でぼろ儲けする国と、大損する国、そういう国家間格差が出ないようにすることを提案したんです。これをアメリカが潰した。この提案を潰された心労からケインズは若死にしたと言われています。バンコールのことを詳しく説明する時間はありませんので、関心がある方は家に帰ってから「バンコール」でネットを検索してみてください。色々解説されています。今例えばザイールとラオスが相互に貿易してそれでお互いに経済発展しようとするとします。しかしザイールもラオスも貧しくて通貨の価値があまり信用できない。だからやっぱり世界一信用があるドルで仲介しないと貿易は難しい。ドルは一番安定して価値があるから。でもケインズのバンコールを使うと各国の合意で国際的に価値が保証されている通貨だからドルを持っていない国でも世界貿易に参加できる。商品を売ったけれども相手の国がドル不足で対価を払ってもらえずに倒産するとかそういう危険がなくなる。バンコールはドル以上に安定した信用できる通貨ですから。だからケインズの提案が通っていれば、なにも先進国市場への輸出に必死にならなくたって、南の国も様々な自主的な発展が可能だったはずです。

 

自給国民経済への転換

 

ガンジーは先進国型の工業化ではなく、紡ぎ車でインドの農村を発展させようとしました。村の経済を発展させようとした。しかしドル基軸の世界貿易体制の支配下では、ガンジーの理想は見果てぬ夢に終わってしまいました。インドだって必死になって工業製品を作らないと発展できないことになっている。しかしバンコールの体制があったらインド的発展ということも可能だったでしょう。もちろん中国だってそうです。今の中国は先進国の下請け工場になるために国土を徹底的に破壊しています。

20世紀という貿易の世紀は終わりました。しかし今更どの国も鎖国して貿易を止めるわけにはいかない。そういう意味ではバンコールの再評価が必要なのです。全ての国に公平に貿易の機会を保障し、共存共栄の貿易をやる。肝心なことは貿易を古典的な貿易に戻すことです。つまり自由貿易と称して富の分配の歪から生じた体制の危機を外国にツケとして回すんじゃなくて、国民経済を二次的に補完する貿易をやる。基本的に自給の国民経済があって、どうしても足りないものを貿易で補う。貿易が二次的な役割しか持たなかった古典的な貿易に戻す。それが大事なんです。しかしバンコールのような体制は簡単には実現しないかもしれない。その時日本としてどうしたらいいか。とにかく変動相場制の下で為替相場に振り回される貿易はやるべきではありません。そういう貿易は国民経済を攪乱させます。国民経済と貿易との間には仕切りがあるべきです。それならばナチスドイツの例に倣ってバーター貿易をやるという手もあります。日本の商品には世界的に需要がありますからね。それならバーター貿易をやればいい。とにかく貿易を純粋なギブアンドテイクの、双方に公平で恩恵があるものにしていく。現状の貿易はそんなものじゃないということですね。

 

脱アメリカニズムが日本の課題

 

あと二つだけ申し上げます。トランプの当選は覇権国アメリカ、ドルと軍事力で世界を支配したアメリカが終わろうとしている徴でしょう。19世紀には大英帝国が強大な覇権国であり経済大国だった。だが英国はその価値観を世界に押し付けることはなかった。むしろ世界と自国を区別して「光栄ある孤立」を誇っていました。しかしアメリカは違います。アメリカはアメリカ的価値、普遍性を信じていて、それを宣教師的に世界に広めようとした。だから単に政治的軍事的経済的な覇権で世界を統治しようとしただけではなく、いわゆるソフトパワーでアメリカ的な価値観や文化を世界に広げようとしてきた。そしてマイカーと電化製品に代表されるアメリカ的生生活様式も広めた。つまりアメリカは、世界をアメリカの色に染めあげる傾向があった国で、そのあたりが大英帝国とは違います。ですからアメリカの世紀が終わるということは、我々の文化価値観、生活様式においても脱アメリカが進むということでしょう。さまざまな面でアメリカニズムからの脱却することが今後の日本の課題になるはずです。

たとえばマイカー社会は広大な国土と豊富な原油というアメリカ独自の国情から生まれたもので、日本のような国でマイカー社会は正しい選択なのかどうか、議論になっていい。そういう意味ではわれわれは日本独自の風土や伝統を改めて再評価することが必要です。もちろん国粋主義ということではなく、日本人はどのように伝統に従って生きてきたのか、改めて考え直す必要がある。こうして日本人は日本の創造的な伝統に立ち返る。そういう時代が始まろうとしていると思います。

特に江戸時代の再評価が必要でしょうね。江戸時代に日本人はアメリカのエネルギーを浪費する消費社会とは正反対の社会、しかも高度に文明化されたを築き上げました。昨今は江戸時代は自治と分権の多様性に富んだ社会だったと再認識されてきています。今後も江戸時代の再評価が進むでしょう。江戸時代がすべてよかった、ユートピアだったなどと言いたいわけではありません。しかし明治維新と文明開化の影響で江戸時代を安直に否定的に評価してきたのは間違いだったと考える人がますます増えています。

 

外圧で変化する日本の国家体制

 

そしてトランプのアメリカはウッドロウ・ウイルソン大統領以来の国際主義、覇権主義、自由貿易主義から降りる。19世紀のモンロー主義に回帰する。これで日本を取り巻く国際社会の文脈が大きく変わります。この変化に対応して日本も変わっていかざるをえない。こういう外圧を受けるたびに、日本はそれを新たな発展の好機にしてきました。日本はそういう国なのです。日本は外圧でしか変わらない、革命が内部から起きないダメな国だという議論がかってありました。これは間違った見解だと思います。日本の支配層は伝統的に社会の安定ということを非常に重視するんですよ。そして体制が安定するためにはコンセンサス、社会的合意が必要です。日本の支配層はそういう社会的合意を確保するために絶えず体制の補正や修正をやり、いろいろ非公式な安全弁をつけておくことも多い。それで江戸時代は265年も続いた。戦後日本でも、自民党は財界べったりの政党ではあるけれど、一面社会民主主義的な政策もやってきた。だから長期政権を維持できた。今は露骨に経団連の御用政党になっていますが。とにかく支配層が合意を重視するので、日本は体制の激変なしに社会が徐々に進化していく。これが日本の独特の体質です。そして私としては、これはむしろ日本人の良識と賢明さの表れだと思っています。実際世界には、革命や内戦で何百万人も死んで結果として深い傷跡が残っただけという国がたくさんあります。日本に革命や大規模な内戦がなかったことはむしろ称賛すべきことです。内戦があったといっても、天下分け目の戦の関ケ原でもたった一日で終わってます。薩長なんてとんでもない奴らだったけれど、徳川幕府は引き際よく消えていき戊辰戦争を長引かせなかった。そういうことで日本は凄惨な内戦などしたことがない。

ただそれだけに、外圧があるたびに日本の国家体制は一変することになった。国際情勢は国内のようにコントロールできませんから。だから古代には大陸に隋、唐の帝国が成立した際にはその圧力の下で大化の改新をやって国家体制を整えた。それから17世紀には全世界にヨーロッパが海洋勢力として進出して植民地主義の脅威があった。それに対応するために外交的に鎖国をした。その後19世紀には黒船の圧力で開国し、欧米に倣って近代化した。さらに第二次世界大戦で敗北したので、アメリカの覇権体制の下で生き延びるためにアメリカナイズした。このように日本は大きな外圧を受ける度に国家体制を根本から変えてきました。これが日本の歴史的な特徴なんです。

 

復活しない国際主義・覇権主義・自由貿易主義

 

  世界はトランプ大統領が何をするかで騒いでいますが、彼は大したことはできないでしょう。アメリカ経済は負債の山に押しつぶされていて、量的緩和といった連銀のトリックが問題をさらに悪化させた。この現状にはスーパーマンでも対処できません。それにトランプはアメリカが絶頂期にあった1950年代、60年代への郷愁があるだけです。しかし彼がどうなろうと、アメリカの国際主義、覇権主義、自由貿易主義はもう復活することはないでしょう。それに感づいているから世界のエリート、グローバリストはパニックになっている。戦後日本の国家体制にとっては、この三つは公理みたいなものでした。それがなくなる。ですから2017年以降、日本は否応なく国家体制の転換と変革の時期に入らざるをえないでしょう。そしてアメリカの二大政党制の崩壊に見られるように、どこの国でも政党政治の時代は終わっています。これからは、地方自治体が体制転換の拠点になると私は見ています。ローカリゼーションの時代が始まっているからです。だからこそ皆さんには、ベーシックインカムと信用の社会化は、たんなる所得保障ということではなく、地方の再生、内需中心の国民経済復活のための戦略であることを訴えたいと思っています。

ちょうど時間になりました。ご清聴ありがとうございます。

スイス「通貨改革プラン」スイス憲法改正案

約一年後に国民投票予定の「スイス通貨改革プラン」のスイス改正憲法案を送ってくださった佐々木重人さんからの情報です。重要なものだと思いますので、ここにご紹介いたします。

「債務に拘束される」量的緩和政策ではなくて、公的な目的のために通貨発行をするということです。

これに関連する英語版HPは以下です。

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

また、佐々木さんのブログは以下です。

http://natural-world.info/blog-entry-2.html

佐々木さん、ご紹介ありがとうございました。

~~~~~~~~ 以下、はりつけ ~~~~~~~~~~~~

  • 連邦憲法は、以下のように改訂される

    第99条 貨幣政策と金融サービスの規制

    1 連邦は、経済に貨幣と金融サービスが提供されることを保証する。経済的自由の原則から逸脱する可能性がある。

    2 連邦だけが、硬貨、紙幣、帳幣の形で法貨を創造することができる。

    3 スイス国立銀行の法令に準拠している場合は、他の支払い手段の創造および使用が許可される。

    4 法律は、国全体の利益のために金融市場を規制するものとする。特に、以下を規制する。

    a. 金融サービス提供者の信託業務

    b. 金融サービスの契約条件の監督

    c. 金融商品の認可と監督

    d. 資本要件

    e. 自己勘定取引の制限

    5 金融サービス提供者は、顧客の取引口座を貸借対照表外に保有するものとする。金融サービス提供者が破産した場合、これらの勘定は破産財産に該当しない。

第99条a スイス国立銀行

1 スイス国立銀行は、独立した中央銀行として、国の全体的利益に役立つ貨幣政策を追求するものとする。マネーサプライを管理し、金融サービス提供者による支払い取引システムの機能と経済への信用供給の両方を保証する。

2 投資のための最低保有期間を設定することがある。

3 法的権限の下で、連邦政府または州を介して、または市民に直接配分することによって、新たに創造された貨幣を、対応する債務に拘束されず流通させるものとする。これは、銀行に長期融資を与えることができる。

4 スイス国立銀行は、収入から十分な通貨準備を創出するものとする。これらの準備の一部は金で保持されるものとする。

5 スイス国立銀行による純利益の最低3分の2は、州に割り当てられるものとする。

6 スイス国立銀行は、その任務の遂行において法律にのみ拘束される。

第197条 122段

第99条(貨幣政策および金融サービスの規制)および99条a(スイス国立銀行)の暫定規定。

1 新規則が発効した日に、取引勘定のすべての帳簿価額が法貨となることを実施規則は規定しなければならない。金融サービス提供者の対応する負債は、スイス国立銀行への負債となる。これにより、合理的な移行期間内に、この帳幣の交換から債務が決済されることが保証される。既存の与信契約は影響を受けない。

2 特に、移行段階では、スイス国立銀行は、資金不足や過剰がないことを保証するものとする。この間、金融機関への融資へのアクセスを容易にすることができる。

3 第99条および第99条aの施行後2年以内に適切な連邦法が採択されない場合は、連邦議会は1年以内に条例により必要な実施規則を発行するものとする。

アイスランド通貨改革レポート

昨年、テレグラフの紹介という形でご紹介しましたアイスランドの通貨改革プランのレポートをアイルランド、ダブリン在住の早川健治さんが翻訳してくださいました。これからの日本の状況を考えるためにも参考になると思います。ぜひ、お読みください。

「通貨改革 ―アイスランドのためのより優れた通貨制度―」

尚、このレポート翻訳では、政府通貨ないし公共通貨にあたるものとして「統治通貨」という訳語になっています。このあたりの用語の問題も今後、議論していくとよいでしょう。

(ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕)

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

以下のようなことを許してはなりません。「公金」で金融業界全体を救済することを誰が合意したのでしょうか?マネーゲームのつけを「消費増税」などで、もたざる99%の国民におしつけてはならないと思います。(文責、白崎)

~~~~~~~ 以下転載記事 ~~~~~~~~

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

 時事通信 11月10日(土)2時33分配信

金融庁は9日、リーマン・ショックのような国際金融危機を回避するため、預金保険機構による「特別融資」制度を創設する方針を固めた。経営破綻すれば金融システム不安につながるような大規模金融機関に対して、日銀の特別融資(日銀特融)と同様に無担保・無制限で貸し出し、危機の連鎖を断ち切る。銀行に限定していた公的資金の注入対象も保険、証券会社などに広げる。

金融庁は12日、金融審議会(首相の諮問機関)に新たな金融危機対応措置の原案として提示する。年末までに詳細を詰め、来年の通常国会にも関連法案を提出する。 

国際金融資本を鋭く批判するイタリア喜劇俳優べッぺ・グリッロの五つ星運動のブログ紹介

http://www.beppegrillo.it/japanese/2010/12/person-of-the-year-2010-movime.html

 

以下、そのブログから「銀行支配」という文章を転載します。

 

かつて議会があり、連邦政府があり、国とその将来について公的な討論がなされた。大して機能していなかったが、代表機関の国連もあった。これらすべては、記憶であり、民主主義的様相の灰で、過去の埃である。何も価値がなくなってしまった。他の組織は、人々にとって、WTO、BCE、IMFという神秘的なマークによって時代遅れになってしまった。私たちの運命は、彼らの手中にあるが、私たちはそれが誰によって操られているのか知らない。誰が目的を決めているのか知らない。誰も代表者を選んだわけでもないが、彼らに私達の生活は依存している。欧州中央銀行(BCE)は、政府に対して、脅しのレターを出すことができる。WTO は、自由経済で世界をむちゃくちゃにすることを決められる。 生産は多国籍企業がインドの子供か中国の労組のない権利のない労働者に任される。 何のグローバル競争について私達は話をしているのだろう。規則や権利が同等であれば競争は存在する。グローバルな搾取、産業化した先進諸国の給与の低下、前世代からの戦いで得た社会的、労組的成果の喪失について話したほうが正しいのではないか? いったい誰がすべてを決めたのか?WTOか。誰の名において?ギリシャはすぐにデフォルトにはならない。もし破綻したら、ギリシャの国債を有するフランスの銀行が倒産するから。 だから、まずその国有財産を売り、銀行を救済しなければならない。世界は銀行中心で社会政治についてはもう話題にもならない。EUはBCE、国連、WTOに取って代わられ、政府はIMFにとって代わられた。戦争自体が、リビア戦争で明らかになったように、もやは単に経済的目的しか持たず、もうイデオロギーや宗教、領土の戦争ではない。銀行は戦争に投資し、戦争が銀行に投資する。ホテルでは、身分証明書の代わりにクレジットカードを求められる。子供が生まれると、小児科医が決められる前に、財政赤字の分担分とともに納税番号が与えられる。政治家たちは、銀行家たちの給仕係で、私たちがその勘定を払うのだ。

【翻訳】リミニでの我がオスカー授賞式 マイケル・ハドソン

 イタリアの町、リーミニ(フェリーニの生まれ故郷で有名)で、ケインズ左派のマイケル・ハドソンらの通貨改革などの経済問題の話を2100人もの人が集まって聞いたというYouTubeの会場風景映像と、そのハドソンの報告をお伝えします。

 

原文:Our Very Own Oscar Night in Rimini By Michael Hudson 

 

  マイケル・ハドソン: 前証券エコノミスト。UMKC(ミズーリー大学カンザス校)の著名な研究教授。”Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire”(new ed., Pluto Press, 2002)他、著書多数。近刊予定 ”Hopeless: Barack Obama and the Politics of Illusion” (AK Press)に寄稿。(本稿は、2012年2月27日、website「カウンターパンチ」に掲載された[前日、アカデミー賞授賞式でオスカー像が授与されている]。

 

  私はちょうど、イタリアのリミニから帰った時だった、リミニでは、研究人生のなかでももっとも素晴らしい光景のひとつを経験した。カンザス大学ミズーリー校(UMKC)に関係する我々4人は、現代通貨論(MMT)について3日間にわたって講演するために招かれ、欧州が何故今日のような通貨危機にあるのを説明し、他の選択肢があること、99%に課せられた緊縮財政と1%による巨大な富の獲得が自然の力によるものではないことを説明した。

 

  ステファン・ケルトン(UMKCの経済学ブログNew Economic Perspectivesの次期代表・編集者)、犯罪学者・法学教授のビル・ブラック、投資銀行家のマーシャル・アウエルバッハと私は、フランスの経済学者アラン・パークスとともに、金曜日の夜、講堂となったバスケットボール場に踏み入った。2100人以上と伝えられた聴衆で満員の会場の中央通路をはるばると歩いた。聴衆が我々をファーストネームで呼びかけ、オスカー授賞式会場に入るようなものだった。彼らは全員が我々のブログを読んでいるとのことだった。ステファニーは、ビートルズがどんなに感じたが判ったと言った。スポーツイベントではなく知的イベントのための拍手が長く続いた。

 

  もちろん、対戦相手がそこにいなかったことが違いであった。多数の報道陣がいたが、優勢なユーロ・テクノクラート(欧州の経済政策を決定する金融ロビーイスト)は、緊縮策への可能な代替策の議論が少なければ少ないほど、彼らの横暴な金融支配を貫徹することがより容易になることを願っていた。

 

  我々の米国から(アランはフランスから)の飛行機代とリミニ海岸のフェデリコ・フェリーニ・グランド・ホテルの宿泊費集めのために、聴衆の全員が寄付をしてくれていた。会議は、パオロ・バルナルド記者が組織したものだが、彼はランダル・レイとともに現代通貨論(MMT)を学び、イタリアのマスコミ文化のなかに、何が欧州の生活状態を実際に決定づけているかの議論の必要があることに気づいた。その議論とは、この危機を、領地を拡大する新しい金融領主となる機会とすることを願う金融エリートの登場、赤字を賄うような中央銀行を持たず、公債所有者とネオリベラル[新自由主義]派から選ばれたユーロ官僚の世話になっている政府が売り払いつつある公的領域の民営化ということについである。

 

  パオロと多数の通訳・インターンのサポートスタッフは、米国では最近までほとんど聞くことのなかった金融・税理論へのアプローチを聞く機会を与えてくれた。ちょうど1週間前のワシントンポストは、現代金融論(MMT)をレビューする記事を掲載し、フィナンシャル・タイムズは長文の討論でフォローした。しかし、その理論は、主としてUMKC経済学部とバード大学レヴィー研究所(我々の大半がそれに関係しているが)でのものにとどまっている。

 

  我々の主張の主眼は、商業銀行がコンピューターのキーボード上で信用創造する――借主が利子付き借用証書に署名するのと引き換えに当座勘定信用を与える――のと同じように、政府も貨幣を創造することができるということである。銀行から借り入れる必要なくして、キーボードが行うと同じように、政府が財政支出を賄うためにほぼ自由に信用創造することである。

 

  もちろん政府が自由に信用創造するといっても、政府は(少なくとも原則として)、長期の成長と雇用を促進するために、それを支出することが違いである。それによって公的インフラに投資し、健康ケアその他の基礎的な経済的機能を調査・開発し、提供するのである。銀行のそれは、もっと短期枠のものであり、所定の担保物件の提供を条件に貸し付ける。銀行の貸付の約80%は、不動産担保の住宅ローンである。その他の貸付は、リバレッジド・バイアウト[買収先企業の資産を担保とした借入金による企業買収]と企業買収のためになされている。しかし、企業による最近の固定資本投下の大半は、内部留保から賄われている。

 

  残念ながら、企業利益の流れは、ますます金融セクターに向けられている。銀行への返済や違約金としてだけではなく、自社株の買戻しのためにである。その目的は、株価を維持し、それによって今日の金融化された企業が経営者に与えるストック・オプションの価値を維持するためである。株式市場――教科書の図表では、いまだに新しい投資資金を集めるものだと説明しているが――について言えば、高利のジャンク債のような信用をもとに企業を買収し、株を借金と交換する道具と化している。あたかもそれが事業を行うための必要経費であるかのように、利子の支払いが控除されるので、企業の所得税負担が低減されるのである。課税当局が放棄するものは、だらけの経済によって富を得る銀行と公債所有者への支払いのために利用されるのである。

 

  脱工業化経済、金融型経済の時代へようこそ! である。産業資本主義は、金融資本主義の諸段階の連続の時代に入ったのである。:バブル経済から、[企業の資産から負債を差し引いた場合にマイナスとなる]負の資産、担保権執行の時代、債務デフレ、緊縮財政、とくにPIIGS(ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン)をはじめとする欧州諸国の陥った債務支払いのための日雇い労働者身分のような段階へ、である。バルト諸国(ラトヴィア・エストニア・リトアニア)は既に余りにも深く債務に陥ったため、住民が外国で仕事を探し、借金を背負った不動産から逃れるために移住しつつある。2008年の銀行暴利の崩壊以来、同じことがアイスランドを見舞った。

 

  経済学者は何故、この現象を論述しないのか? その答えは、政治的イデオロギーと分析上の目隠しの組み合わせである。日曜の夕方に会議が終わるやいなや、例えば、ポール・クルーグマンの「ニューヨーク・タイム」のコラム「欧州を苦しめているのは何か?」(2月27日、月曜日)は、欧州問題を単に、自国通貨の切り下げができない各国の無能力のせいにした。彼は、問題を欧州の福祉支出、財政赤字をユーロ圏問題の原因とする共和党の路線を正当に批判したのだ。

 

  しかし彼は、EU憲章にガラクタ経済学者が書き込んだ結果として、赤字を通貨化[公債を引き受け]できないという、欧州中央銀行(UCB)に科せられた束縛の問題を説明から除外している。

  「もし[EU]周辺国がまだ独自通貨を持っていたならば、急いで競争力を回復するために自国通貨の切り下げという手段を使えるし、使うだろう。しかし、そうはしない。ということは、それらの国は長期の大量失業と緩慢で過酷なデフレの状態に置かれることを意味する。彼らの債務危機はおもに、この悲しい展望の副産物なのである。落ち込んだ経済が財政赤字につながり、デフレが債務負担を拡大するからである。」


  貨幣価値の下落は、輸入品価格を上昇させる一方で、労働力の価格を引き下げるだろう。外国通貨建ての債務負担は、通貨切り下げと調和させるなかで増大するだろう。それによって、政府が自国通貨建て債務を切り下げる法律を通さない限り、さらに問題を生み出すこととなる。これは、(米国がそうであるように)公債はつねに自国通貨建てで発行せよという、国債金融の第一義的指令を満足させるものとなる。

 

  1933年、フランクリン・ルーズベルトは、合衆国内の融資契約における「金約款」(銀行その他の債権者が債務者から同等価値の金で支払われることを可能にしていた)を撤廃した。しかし、クルーグマンは、いつもの新古典派的手法において、債務問題を無視している。

 

  とくに苦しんでいる国には、悪い選択肢しかない。デフレの痛みを味わうか、ユーロから離れるという大胆な選択肢しかない。それは、他のすべてが失敗に終わる(ギリシャはそれに近づいている)までは政治的に実行不能であろう。ドイツは、それ自身の緊縮政策を改定し、インフレを受け入れることによって助けることができようが、それはありえない。

 

  しかし、ユーロから撤退する国がユーロを苦しめているネオリベラリズム政策を維持するならば、ユーロから離れても、緊縮財政、担保権執行、債務デフレを回避するのに十分ではない。ユーロ後の欧州経済が中央銀行を有し、なお公的財政赤字を賄うことを拒否し、政府が商業銀行や公債所有者からの借金を強いるとしたら、どうだろうか? 政府が、経済に対してその成長力を提供することよりも財政をバランスさせるべきだと考えるとしたら、どうだろうか?

 

  アイルランドのように、政府が公的福祉支出を削減したり、損失を出した銀行を救済したり、赤字の銀行に政府のバランスシート上で賭けをさせるようになったら、どうだろうか? ついでに言えば、アイスランドができなかったように、政府が不動産担保ローンその他の債務を債務者の支払い能力までに減額しないとしたら、どうだろうか? その結果は、なお続く債務デフレ、財産への担保権執行、失業、そして国内の経済と雇用機会の縮減による国外移民の波となるだろう。

 

  それでは何がカギなのだろうか? 中央銀行が設立されたときにやるべきこととされたことを行うような中央銀行を持つことである。すなわち、政府の財政赤字を貨幣化[公債を買い取ること]して、経済成長と完全雇用のために最善の方法で、お金を経済に投入できるようにすることである。

 

  これがMMTのメッセージであり、我々5人がリミニの聴衆に説明するために招かれた意味であった。何人かの参加者がやってきて、はるばるスペイン、フランスから、そしてイタリア中からやってきたと説明した。新聞・ラジオ・テレビから多数の取材を受けたが、政治的にまずいとの理由で、主要メディアは我々を無視するよう指示されていたと聞かされた。

 

  それが、ネオリベラルの通貨緊縮策なのである。そのモットーはTINA(There Is No Alternative=選択肢はない)であり、事態をこのように維持したいのである。どれだけ多くの選択肢があるかの議論を封じ込めることができる限り、市民がその生活条件が縮小され、富が経済ピラミッドの頂点の1%に吸い上げられることに、市民の黙従が続くことが彼らの願いなのである。

 

  聴衆は、何よりもステファン・ケルトンからその説を聞きたがった。彼は、経済学について私がこれまでに聞いたなかで、もっとも明確な説明を提示した。MMTの論理のユークリッド的な提示である。映像を見て欲しい。最後には、コンサートのように感じた。

 

  本当の中央銀行がどのように緊縮を回避し、雇用を後退させるのではなく促進するかについての経済上の説明を聞くために会場を埋めた聴衆の規模は、国民を洗脳しようという政府の企みがうまくいっていないことを示すものであった。政府のそれは、ハーバード大学経済学部101番教室に、はるかに及んでいない。ハーバードの学生は、間接債務、金利などの不労所得でのただ飯食い、そして寄生的金融の分析を除外した経済の図式絵を描く非現実的な異世界に抗議して、退場したのである。

亀井さんが「日銀は政府から国債引き受けを」と発言!

亀井さんが「日銀は政府から国債引き受けを」と発言!これを評価してBIの財源に。

「3月にはいって、国民新党の亀井金融相が、『日銀は政府から国債引き受けを』と発言している。これは政府通貨発行のことで、政府通貨を財源にすれば、BIへの足掛かりをつくることができる。亀井氏は、おそらくリフレ的発想の可能性があるが、「政府通貨」発行に言及したことは大いに評価したい」(白)

http://www.asahi.com/business/update/0301/TKY201003010190.html

講演「生きるための経済」補遺ーー「会計」から「信用の管理」へ (関曠野)

この十一月に地元有志のお招きで東京都町田市で社会信用論について講演する機会があった。事前に幾つも質問が来たりしてベーシック・インカムや通貨改革に世の関心が急速に高まっていることを感じさせられる講演会になった。そして講演の後の質疑応答も演者の私自身の勉強になるようなものが多かった。しかしその中に一つ、私が戸惑ってしまった質問があった。会場の奥の方にいた若い男性から「政府通貨を所得保証その他公共の利益のために発行することは分かるが、その金自体の出所はどこにあるのか」と訊かれたのである。私はその場で質問の意味がよく分からず、その人を納得させるに足る明快な答えはできなかったように思う。そして後で質問を再考して彼が言いたかったことが分かって、社会信用論についての自分の説明不足に気づいた。

要するにこの人は通貨の問題を「会計」の観点から考えていたのである。政府通貨の発行を財政的な「支出」とみなすならば、左の「支出」の欄に対応して右に「収入」の欄がなければおかしい。三月に東京で講演した際にも、会場から似たような質問が出た。「話を聴いていると、政府通貨が個人と企業にどんどん供給されて、しかも回収されないように見える。インフレになるのでは」という質問である。これも政府による通貨の供給を会計の視点で「支出」と捉えている質問といえる。

しかし社会信用論においては、収入や支出という言葉は意味をなさない。会計とは結局損得勘定のことである。だが社会信用論における信用の社会化や基礎所得の保証は損得には関係のないことである。ゆえに政府通貨は会計や財政の視点で管理されるものではなく、それを個人や企業に供給することは「支出」ではない。このことを改めて説明しよう。

経済とは簡単に言えば「生産されたモノやサービスが消費されること」である。そして社会信用論においては、通貨と信用は生産されたものが消費される過程を順調に進行させる潤滑油のようなものになる。ダグラス少佐は、そのための交換手段にすぎない通貨を切符に喩えている。人々が電車を利用するためには切符を発行する必要がある。そして乗客が目的地についたら切符は回収され廃棄される。切符それ自体には何の価値もない。通貨もそれと同じで、生産されたモノの消費を促進すること以外には何の価値もない。人々が貨幣の価値をフェティッシュ的に信じ込むようになる原因は、銀行のせいで通貨(所得や資金など)が絶えずひどく不足する経済状況が作りだされているからである。そこから生産と消費ではなくマネーそれ自体が経済を動かしているという錯覚が生じる。もっとも現代の銀行経済においては、これは錯覚とは言えないのだが。

政府通貨は、個人と企業にその必要に見合う交換の手段を与えて生産と消費の過程を円滑にする目的で供給される。その企業に対する融資の在り方は、電力会社による電力の供給に似たものである。電力会社は、夏にはエアコンや高校野球のテレビ観戦による需要増大を見越して電力の供給を増やし、夜には人々が電気を消すので供給を減らす。このように電力は常に調整しながら供給されているので発電量の過剰や不足はまず起こらない。政府通貨もそれと同じで、国は国民経済の分析と予測に基づいて、生産のために必要と思われる量の通貨を企業に無利子で融資する。これは電力需要の予測や気象庁の天気予報に似た作業だから、政党や官僚の特殊利害などが混じってはならないものである。それゆえに政府から独立した公的機関である国家信用局が通貨と信用を管理することが望ましいだろう。

他方では、国は個人に対する基礎所得保証および販売部門に対する無利子融資で消費を支え、生産と消費を均衡させる(社会信用論の目的はこの均衡の実現であり、生産と消費の果てしない拡大=経済成長ではない)。そして消費者が商品を買った時点から通貨の回収が始まる。販売部門と企業は、その利益で先に融資された資金を政府に返済しなければならない。だがこの返済は借金の取立てではない。これは、先に供給した通貨を回収して、通貨の過剰供給でインフレが発生することを防ぐための措置なのである。だから速やかに返済できない企業が出てきても、返済条件の再交渉はいくらでも可能な筈である。

今日の世界には、実体経済(生産+消費)と銀行マネー経済という二つの経済がある。これに対し社会信用論が実施された世界では実体経済しかなく、通貨は生産と消費の過程を円滑に進行させる切符や潤滑油のようなものにすぎない。そこでは生産されたものが消費されるサイクルに即して通貨は発行され回収される。こうして国民経済の次元では、日銀のバランスシートに代表される会計は信用の管理に取って代わられる。収入と支出という言葉はもう意味をなさないのである。

リチャード・クックの『Credit as a Public Utility』の字幕原稿公開です!

アメリカの社会信用運動の活動家・理論家のリチャード・クックの重要なビデオ字幕原稿が翻訳公開となりました。

これから、字幕つけの作業も順次すすめますが、重要なものなので、まず、原稿の公開となります。

今回の翻訳をすすめてくださったのは、反ロスチャイルド同盟のサイトの安部芳裕さんやその翻訳チームの方々です。本当にありがとうございました。

以下から読むことができます。

http://rothschild.ehoh.net/material/animation_07.html