スイス「通貨改革プラン」スイス憲法改正案

約一年後に国民投票予定の「スイス通貨改革プラン」のスイス改正憲法案を送ってくださった佐々木重人さんからの情報です。重要なものだと思いますので、ここにご紹介いたします。

「債務に拘束される」量的緩和政策ではなくて、公的な目的のために通貨発行をするということです。

これに関連する英語版HPは以下です。

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

また、佐々木さんのブログは以下です。

http://natural-world.info/blog-entry-2.html

佐々木さん、ご紹介ありがとうございました。

~~~~~~~~ 以下、はりつけ ~~~~~~~~~~~~

  • 連邦憲法は、以下のように改訂される

    第99条 貨幣政策と金融サービスの規制

    1 連邦は、経済に貨幣と金融サービスが提供されることを保証する。経済的自由の原則から逸脱する可能性がある。

    2 連邦だけが、硬貨、紙幣、帳幣の形で法貨を創造することができる。

    3 スイス国立銀行の法令に準拠している場合は、他の支払い手段の創造および使用が許可される。

    4 法律は、国全体の利益のために金融市場を規制するものとする。特に、以下を規制する。

    a. 金融サービス提供者の信託業務

    b. 金融サービスの契約条件の監督

    c. 金融商品の認可と監督

    d. 資本要件

    e. 自己勘定取引の制限

    5 金融サービス提供者は、顧客の取引口座を貸借対照表外に保有するものとする。金融サービス提供者が破産した場合、これらの勘定は破産財産に該当しない。

第99条a スイス国立銀行

1 スイス国立銀行は、独立した中央銀行として、国の全体的利益に役立つ貨幣政策を追求するものとする。マネーサプライを管理し、金融サービス提供者による支払い取引システムの機能と経済への信用供給の両方を保証する。

2 投資のための最低保有期間を設定することがある。

3 法的権限の下で、連邦政府または州を介して、または市民に直接配分することによって、新たに創造された貨幣を、対応する債務に拘束されず流通させるものとする。これは、銀行に長期融資を与えることができる。

4 スイス国立銀行は、収入から十分な通貨準備を創出するものとする。これらの準備の一部は金で保持されるものとする。

5 スイス国立銀行による純利益の最低3分の2は、州に割り当てられるものとする。

6 スイス国立銀行は、その任務の遂行において法律にのみ拘束される。

第197条 122段

第99条(貨幣政策および金融サービスの規制)および99条a(スイス国立銀行)の暫定規定。

1 新規則が発効した日に、取引勘定のすべての帳簿価額が法貨となることを実施規則は規定しなければならない。金融サービス提供者の対応する負債は、スイス国立銀行への負債となる。これにより、合理的な移行期間内に、この帳幣の交換から債務が決済されることが保証される。既存の与信契約は影響を受けない。

2 特に、移行段階では、スイス国立銀行は、資金不足や過剰がないことを保証するものとする。この間、金融機関への融資へのアクセスを容易にすることができる。

3 第99条および第99条aの施行後2年以内に適切な連邦法が採択されない場合は、連邦議会は1年以内に条例により必要な実施規則を発行するものとする。

アイスランド通貨改革レポート

昨年、テレグラフの紹介という形でご紹介しましたアイスランドの通貨改革プランのレポートをアイルランド、ダブリン在住の早川健治さんが翻訳してくださいました。これからの日本の状況を考えるためにも参考になると思います。ぜひ、お読みください。

「通貨改革 ―アイスランドのためのより優れた通貨制度―」

尚、このレポート翻訳では、政府通貨ないし公共通貨にあたるものとして「統治通貨」という訳語になっています。このあたりの用語の問題も今後、議論していくとよいでしょう。

(ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕)

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

以下のようなことを許してはなりません。「公金」で金融業界全体を救済することを誰が合意したのでしょうか?マネーゲームのつけを「消費増税」などで、もたざる99%の国民におしつけてはならないと思います。(文責、白崎)

~~~~~~~ 以下転載記事 ~~~~~~~~

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

 時事通信 11月10日(土)2時33分配信

金融庁は9日、リーマン・ショックのような国際金融危機を回避するため、預金保険機構による「特別融資」制度を創設する方針を固めた。経営破綻すれば金融システム不安につながるような大規模金融機関に対して、日銀の特別融資(日銀特融)と同様に無担保・無制限で貸し出し、危機の連鎖を断ち切る。銀行に限定していた公的資金の注入対象も保険、証券会社などに広げる。

金融庁は12日、金融審議会(首相の諮問機関)に新たな金融危機対応措置の原案として提示する。年末までに詳細を詰め、来年の通常国会にも関連法案を提出する。 

国際金融資本を鋭く批判するイタリア喜劇俳優べッぺ・グリッロの五つ星運動のブログ紹介

http://www.beppegrillo.it/japanese/2010/12/person-of-the-year-2010-movime.html

 

以下、そのブログから「銀行支配」という文章を転載します。

 

かつて議会があり、連邦政府があり、国とその将来について公的な討論がなされた。大して機能していなかったが、代表機関の国連もあった。これらすべては、記憶であり、民主主義的様相の灰で、過去の埃である。何も価値がなくなってしまった。他の組織は、人々にとって、WTO、BCE、IMFという神秘的なマークによって時代遅れになってしまった。私たちの運命は、彼らの手中にあるが、私たちはそれが誰によって操られているのか知らない。誰が目的を決めているのか知らない。誰も代表者を選んだわけでもないが、彼らに私達の生活は依存している。欧州中央銀行(BCE)は、政府に対して、脅しのレターを出すことができる。WTO は、自由経済で世界をむちゃくちゃにすることを決められる。 生産は多国籍企業がインドの子供か中国の労組のない権利のない労働者に任される。 何のグローバル競争について私達は話をしているのだろう。規則や権利が同等であれば競争は存在する。グローバルな搾取、産業化した先進諸国の給与の低下、前世代からの戦いで得た社会的、労組的成果の喪失について話したほうが正しいのではないか? いったい誰がすべてを決めたのか?WTOか。誰の名において?ギリシャはすぐにデフォルトにはならない。もし破綻したら、ギリシャの国債を有するフランスの銀行が倒産するから。 だから、まずその国有財産を売り、銀行を救済しなければならない。世界は銀行中心で社会政治についてはもう話題にもならない。EUはBCE、国連、WTOに取って代わられ、政府はIMFにとって代わられた。戦争自体が、リビア戦争で明らかになったように、もやは単に経済的目的しか持たず、もうイデオロギーや宗教、領土の戦争ではない。銀行は戦争に投資し、戦争が銀行に投資する。ホテルでは、身分証明書の代わりにクレジットカードを求められる。子供が生まれると、小児科医が決められる前に、財政赤字の分担分とともに納税番号が与えられる。政治家たちは、銀行家たちの給仕係で、私たちがその勘定を払うのだ。

【翻訳】リミニでの我がオスカー授賞式 マイケル・ハドソン

 イタリアの町、リーミニ(フェリーニの生まれ故郷で有名)で、ケインズ左派のマイケル・ハドソンらの通貨改革などの経済問題の話を2100人もの人が集まって聞いたというYouTubeの会場風景映像と、そのハドソンの報告をお伝えします。

 

原文:Our Very Own Oscar Night in Rimini By Michael Hudson 

 

  マイケル・ハドソン: 前証券エコノミスト。UMKC(ミズーリー大学カンザス校)の著名な研究教授。”Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire”(new ed., Pluto Press, 2002)他、著書多数。近刊予定 ”Hopeless: Barack Obama and the Politics of Illusion” (AK Press)に寄稿。(本稿は、2012年2月27日、website「カウンターパンチ」に掲載された[前日、アカデミー賞授賞式でオスカー像が授与されている]。

 

  私はちょうど、イタリアのリミニから帰った時だった、リミニでは、研究人生のなかでももっとも素晴らしい光景のひとつを経験した。カンザス大学ミズーリー校(UMKC)に関係する我々4人は、現代通貨論(MMT)について3日間にわたって講演するために招かれ、欧州が何故今日のような通貨危機にあるのを説明し、他の選択肢があること、99%に課せられた緊縮財政と1%による巨大な富の獲得が自然の力によるものではないことを説明した。

 

  ステファン・ケルトン(UMKCの経済学ブログNew Economic Perspectivesの次期代表・編集者)、犯罪学者・法学教授のビル・ブラック、投資銀行家のマーシャル・アウエルバッハと私は、フランスの経済学者アラン・パークスとともに、金曜日の夜、講堂となったバスケットボール場に踏み入った。2100人以上と伝えられた聴衆で満員の会場の中央通路をはるばると歩いた。聴衆が我々をファーストネームで呼びかけ、オスカー授賞式会場に入るようなものだった。彼らは全員が我々のブログを読んでいるとのことだった。ステファニーは、ビートルズがどんなに感じたが判ったと言った。スポーツイベントではなく知的イベントのための拍手が長く続いた。

 

  もちろん、対戦相手がそこにいなかったことが違いであった。多数の報道陣がいたが、優勢なユーロ・テクノクラート(欧州の経済政策を決定する金融ロビーイスト)は、緊縮策への可能な代替策の議論が少なければ少ないほど、彼らの横暴な金融支配を貫徹することがより容易になることを願っていた。

 

  我々の米国から(アランはフランスから)の飛行機代とリミニ海岸のフェデリコ・フェリーニ・グランド・ホテルの宿泊費集めのために、聴衆の全員が寄付をしてくれていた。会議は、パオロ・バルナルド記者が組織したものだが、彼はランダル・レイとともに現代通貨論(MMT)を学び、イタリアのマスコミ文化のなかに、何が欧州の生活状態を実際に決定づけているかの議論の必要があることに気づいた。その議論とは、この危機を、領地を拡大する新しい金融領主となる機会とすることを願う金融エリートの登場、赤字を賄うような中央銀行を持たず、公債所有者とネオリベラル[新自由主義]派から選ばれたユーロ官僚の世話になっている政府が売り払いつつある公的領域の民営化ということについである。

 

  パオロと多数の通訳・インターンのサポートスタッフは、米国では最近までほとんど聞くことのなかった金融・税理論へのアプローチを聞く機会を与えてくれた。ちょうど1週間前のワシントンポストは、現代金融論(MMT)をレビューする記事を掲載し、フィナンシャル・タイムズは長文の討論でフォローした。しかし、その理論は、主としてUMKC経済学部とバード大学レヴィー研究所(我々の大半がそれに関係しているが)でのものにとどまっている。

 

  我々の主張の主眼は、商業銀行がコンピューターのキーボード上で信用創造する――借主が利子付き借用証書に署名するのと引き換えに当座勘定信用を与える――のと同じように、政府も貨幣を創造することができるということである。銀行から借り入れる必要なくして、キーボードが行うと同じように、政府が財政支出を賄うためにほぼ自由に信用創造することである。

 

  もちろん政府が自由に信用創造するといっても、政府は(少なくとも原則として)、長期の成長と雇用を促進するために、それを支出することが違いである。それによって公的インフラに投資し、健康ケアその他の基礎的な経済的機能を調査・開発し、提供するのである。銀行のそれは、もっと短期枠のものであり、所定の担保物件の提供を条件に貸し付ける。銀行の貸付の約80%は、不動産担保の住宅ローンである。その他の貸付は、リバレッジド・バイアウト[買収先企業の資産を担保とした借入金による企業買収]と企業買収のためになされている。しかし、企業による最近の固定資本投下の大半は、内部留保から賄われている。

 

  残念ながら、企業利益の流れは、ますます金融セクターに向けられている。銀行への返済や違約金としてだけではなく、自社株の買戻しのためにである。その目的は、株価を維持し、それによって今日の金融化された企業が経営者に与えるストック・オプションの価値を維持するためである。株式市場――教科書の図表では、いまだに新しい投資資金を集めるものだと説明しているが――について言えば、高利のジャンク債のような信用をもとに企業を買収し、株を借金と交換する道具と化している。あたかもそれが事業を行うための必要経費であるかのように、利子の支払いが控除されるので、企業の所得税負担が低減されるのである。課税当局が放棄するものは、だらけの経済によって富を得る銀行と公債所有者への支払いのために利用されるのである。

 

  脱工業化経済、金融型経済の時代へようこそ! である。産業資本主義は、金融資本主義の諸段階の連続の時代に入ったのである。:バブル経済から、[企業の資産から負債を差し引いた場合にマイナスとなる]負の資産、担保権執行の時代、債務デフレ、緊縮財政、とくにPIIGS(ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン)をはじめとする欧州諸国の陥った債務支払いのための日雇い労働者身分のような段階へ、である。バルト諸国(ラトヴィア・エストニア・リトアニア)は既に余りにも深く債務に陥ったため、住民が外国で仕事を探し、借金を背負った不動産から逃れるために移住しつつある。2008年の銀行暴利の崩壊以来、同じことがアイスランドを見舞った。

 

  経済学者は何故、この現象を論述しないのか? その答えは、政治的イデオロギーと分析上の目隠しの組み合わせである。日曜の夕方に会議が終わるやいなや、例えば、ポール・クルーグマンの「ニューヨーク・タイム」のコラム「欧州を苦しめているのは何か?」(2月27日、月曜日)は、欧州問題を単に、自国通貨の切り下げができない各国の無能力のせいにした。彼は、問題を欧州の福祉支出、財政赤字をユーロ圏問題の原因とする共和党の路線を正当に批判したのだ。

 

  しかし彼は、EU憲章にガラクタ経済学者が書き込んだ結果として、赤字を通貨化[公債を引き受け]できないという、欧州中央銀行(UCB)に科せられた束縛の問題を説明から除外している。

  「もし[EU]周辺国がまだ独自通貨を持っていたならば、急いで競争力を回復するために自国通貨の切り下げという手段を使えるし、使うだろう。しかし、そうはしない。ということは、それらの国は長期の大量失業と緩慢で過酷なデフレの状態に置かれることを意味する。彼らの債務危機はおもに、この悲しい展望の副産物なのである。落ち込んだ経済が財政赤字につながり、デフレが債務負担を拡大するからである。」


  貨幣価値の下落は、輸入品価格を上昇させる一方で、労働力の価格を引き下げるだろう。外国通貨建ての債務負担は、通貨切り下げと調和させるなかで増大するだろう。それによって、政府が自国通貨建て債務を切り下げる法律を通さない限り、さらに問題を生み出すこととなる。これは、(米国がそうであるように)公債はつねに自国通貨建てで発行せよという、国債金融の第一義的指令を満足させるものとなる。

 

  1933年、フランクリン・ルーズベルトは、合衆国内の融資契約における「金約款」(銀行その他の債権者が債務者から同等価値の金で支払われることを可能にしていた)を撤廃した。しかし、クルーグマンは、いつもの新古典派的手法において、債務問題を無視している。

 

  とくに苦しんでいる国には、悪い選択肢しかない。デフレの痛みを味わうか、ユーロから離れるという大胆な選択肢しかない。それは、他のすべてが失敗に終わる(ギリシャはそれに近づいている)までは政治的に実行不能であろう。ドイツは、それ自身の緊縮政策を改定し、インフレを受け入れることによって助けることができようが、それはありえない。

 

  しかし、ユーロから撤退する国がユーロを苦しめているネオリベラリズム政策を維持するならば、ユーロから離れても、緊縮財政、担保権執行、債務デフレを回避するのに十分ではない。ユーロ後の欧州経済が中央銀行を有し、なお公的財政赤字を賄うことを拒否し、政府が商業銀行や公債所有者からの借金を強いるとしたら、どうだろうか? 政府が、経済に対してその成長力を提供することよりも財政をバランスさせるべきだと考えるとしたら、どうだろうか?

 

  アイルランドのように、政府が公的福祉支出を削減したり、損失を出した銀行を救済したり、赤字の銀行に政府のバランスシート上で賭けをさせるようになったら、どうだろうか? ついでに言えば、アイスランドができなかったように、政府が不動産担保ローンその他の債務を債務者の支払い能力までに減額しないとしたら、どうだろうか? その結果は、なお続く債務デフレ、財産への担保権執行、失業、そして国内の経済と雇用機会の縮減による国外移民の波となるだろう。

 

  それでは何がカギなのだろうか? 中央銀行が設立されたときにやるべきこととされたことを行うような中央銀行を持つことである。すなわち、政府の財政赤字を貨幣化[公債を買い取ること]して、経済成長と完全雇用のために最善の方法で、お金を経済に投入できるようにすることである。

 

  これがMMTのメッセージであり、我々5人がリミニの聴衆に説明するために招かれた意味であった。何人かの参加者がやってきて、はるばるスペイン、フランスから、そしてイタリア中からやってきたと説明した。新聞・ラジオ・テレビから多数の取材を受けたが、政治的にまずいとの理由で、主要メディアは我々を無視するよう指示されていたと聞かされた。

 

  それが、ネオリベラルの通貨緊縮策なのである。そのモットーはTINA(There Is No Alternative=選択肢はない)であり、事態をこのように維持したいのである。どれだけ多くの選択肢があるかの議論を封じ込めることができる限り、市民がその生活条件が縮小され、富が経済ピラミッドの頂点の1%に吸い上げられることに、市民の黙従が続くことが彼らの願いなのである。

 

  聴衆は、何よりもステファン・ケルトンからその説を聞きたがった。彼は、経済学について私がこれまでに聞いたなかで、もっとも明確な説明を提示した。MMTの論理のユークリッド的な提示である。映像を見て欲しい。最後には、コンサートのように感じた。

 

  本当の中央銀行がどのように緊縮を回避し、雇用を後退させるのではなく促進するかについての経済上の説明を聞くために会場を埋めた聴衆の規模は、国民を洗脳しようという政府の企みがうまくいっていないことを示すものであった。政府のそれは、ハーバード大学経済学部101番教室に、はるかに及んでいない。ハーバードの学生は、間接債務、金利などの不労所得でのただ飯食い、そして寄生的金融の分析を除外した経済の図式絵を描く非現実的な異世界に抗議して、退場したのである。

亀井さんが「日銀は政府から国債引き受けを」と発言!

亀井さんが「日銀は政府から国債引き受けを」と発言!これを評価してBIの財源に。

「3月にはいって、国民新党の亀井金融相が、『日銀は政府から国債引き受けを』と発言している。これは政府通貨発行のことで、政府通貨を財源にすれば、BIへの足掛かりをつくることができる。亀井氏は、おそらくリフレ的発想の可能性があるが、「政府通貨」発行に言及したことは大いに評価したい」(白)

http://www.asahi.com/business/update/0301/TKY201003010190.html

講演「生きるための経済」補遺ーー「会計」から「信用の管理」へ (関曠野)

この十一月に地元有志のお招きで東京都町田市で社会信用論について講演する機会があった。事前に幾つも質問が来たりしてベーシック・インカムや通貨改革に世の関心が急速に高まっていることを感じさせられる講演会になった。そして講演の後の質疑応答も演者の私自身の勉強になるようなものが多かった。しかしその中に一つ、私が戸惑ってしまった質問があった。会場の奥の方にいた若い男性から「政府通貨を所得保証その他公共の利益のために発行することは分かるが、その金自体の出所はどこにあるのか」と訊かれたのである。私はその場で質問の意味がよく分からず、その人を納得させるに足る明快な答えはできなかったように思う。そして後で質問を再考して彼が言いたかったことが分かって、社会信用論についての自分の説明不足に気づいた。

要するにこの人は通貨の問題を「会計」の観点から考えていたのである。政府通貨の発行を財政的な「支出」とみなすならば、左の「支出」の欄に対応して右に「収入」の欄がなければおかしい。三月に東京で講演した際にも、会場から似たような質問が出た。「話を聴いていると、政府通貨が個人と企業にどんどん供給されて、しかも回収されないように見える。インフレになるのでは」という質問である。これも政府による通貨の供給を会計の視点で「支出」と捉えている質問といえる。

しかし社会信用論においては、収入や支出という言葉は意味をなさない。会計とは結局損得勘定のことである。だが社会信用論における信用の社会化や基礎所得の保証は損得には関係のないことである。ゆえに政府通貨は会計や財政の視点で管理されるものではなく、それを個人や企業に供給することは「支出」ではない。このことを改めて説明しよう。

経済とは簡単に言えば「生産されたモノやサービスが消費されること」である。そして社会信用論においては、通貨と信用は生産されたものが消費される過程を順調に進行させる潤滑油のようなものになる。ダグラス少佐は、そのための交換手段にすぎない通貨を切符に喩えている。人々が電車を利用するためには切符を発行する必要がある。そして乗客が目的地についたら切符は回収され廃棄される。切符それ自体には何の価値もない。通貨もそれと同じで、生産されたモノの消費を促進すること以外には何の価値もない。人々が貨幣の価値をフェティッシュ的に信じ込むようになる原因は、銀行のせいで通貨(所得や資金など)が絶えずひどく不足する経済状況が作りだされているからである。そこから生産と消費ではなくマネーそれ自体が経済を動かしているという錯覚が生じる。もっとも現代の銀行経済においては、これは錯覚とは言えないのだが。

政府通貨は、個人と企業にその必要に見合う交換の手段を与えて生産と消費の過程を円滑にする目的で供給される。その企業に対する融資の在り方は、電力会社による電力の供給に似たものである。電力会社は、夏にはエアコンや高校野球のテレビ観戦による需要増大を見越して電力の供給を増やし、夜には人々が電気を消すので供給を減らす。このように電力は常に調整しながら供給されているので発電量の過剰や不足はまず起こらない。政府通貨もそれと同じで、国は国民経済の分析と予測に基づいて、生産のために必要と思われる量の通貨を企業に無利子で融資する。これは電力需要の予測や気象庁の天気予報に似た作業だから、政党や官僚の特殊利害などが混じってはならないものである。それゆえに政府から独立した公的機関である国家信用局が通貨と信用を管理することが望ましいだろう。

他方では、国は個人に対する基礎所得保証および販売部門に対する無利子融資で消費を支え、生産と消費を均衡させる(社会信用論の目的はこの均衡の実現であり、生産と消費の果てしない拡大=経済成長ではない)。そして消費者が商品を買った時点から通貨の回収が始まる。販売部門と企業は、その利益で先に融資された資金を政府に返済しなければならない。だがこの返済は借金の取立てではない。これは、先に供給した通貨を回収して、通貨の過剰供給でインフレが発生することを防ぐための措置なのである。だから速やかに返済できない企業が出てきても、返済条件の再交渉はいくらでも可能な筈である。

今日の世界には、実体経済(生産+消費)と銀行マネー経済という二つの経済がある。これに対し社会信用論が実施された世界では実体経済しかなく、通貨は生産と消費の過程を円滑に進行させる切符や潤滑油のようなものにすぎない。そこでは生産されたものが消費されるサイクルに即して通貨は発行され回収される。こうして国民経済の次元では、日銀のバランスシートに代表される会計は信用の管理に取って代わられる。収入と支出という言葉はもう意味をなさないのである。

リチャード・クックの『Credit as a Public Utility』の字幕原稿公開です!

アメリカの社会信用運動の活動家・理論家のリチャード・クックの重要なビデオ字幕原稿が翻訳公開となりました。

これから、字幕つけの作業も順次すすめますが、重要なものなので、まず、原稿の公開となります。

今回の翻訳をすすめてくださったのは、反ロスチャイルド同盟のサイトの安部芳裕さんやその翻訳チームの方々です。本当にありがとうございました。

以下から読むことができます。

http://rothschild.ehoh.net/material/animation_07.html

 

参考になります。ビル・トッテン氏のコラム

ビル・トッテン氏は、その講演で次のように主張しています。

(以下のサイト上からの(3)の一部を引用)

このような日本の財政・税体系の問題点の指摘は重要だと考えます。この視点とベーシックインカムの論理が合体する必要性があると思います。(白崎)

「2つ目は、日本政府は増税をすることなく、巨額の負債を返済することができる。私の試算を見てほしい※33。

日本政府の国家債務の78%は、借金を返済するためのものである。日本の国家や国民のために使われているのは政府の債務の22%だけなのである。

さらに、1968年から国民が支払ってきた税金の29%は、政府の借金のために使われた。国家や国民のために使われたのは税金の71%だった。

また、日本政府は民間銀行が作るお金の約89%を毎年借り、そのうち75%を、再び民間銀行へ借金返済として支払っている。

日本政府が巨額の公的債務を積み上げたのは、政府自身がお金を作らずに民間銀行にお金を作ることを許しているからなのである。

ーーーーーーーーーー 以下(略)」

ビル・トッテン氏のコラムのURLは以下のとおりです。

 

講演録

 

私が考えるカジノ経済の弊害(1)~(4)

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188505_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188506_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188507_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188508_629.html

上記講演に対する質問と回答(1)~(4)

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188658_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188742_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188792_629.html

http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1188895_629.html

簡単な「お金」の歴史

1、「お金」の起源

マネー(お金)という言葉は、ラテン語のmoneta に由来します。最初のローマのコインは、紀元前344年に女神ジュノー神殿で鋳造されました。コイン以前には、牛や豚の歯や貝殻のようなさまざまなものがつかわれました。

歴史上のお金の大部分は貴金属からつくられるコインの形であつかわれるものでした。それゆえに、お金は、それ自身が価値あるものでした。近代的なお金の単位の多くは、貴金属の量を起源とするものを再現したものです。たとえば、一ポンドは、銀のローマンポンド(12オンス)がもとになっています。

2、イギリスにおける銀行業務のはじまり

イギリスにおいて、近代的な銀行はチャールズ1世の時代の1640年にはじまりました。チャールズ1世は(彼が王でもある)スコットランドに対抗するために召集した軍人たちに支払う給料のために、商人や貴族が安全な保管場所としてロンドン塔に保管していた金塊を差し押さえました。

第二次ビショップ戦争は、すぐに終息し、議会のもつ課税権は復活しました。金塊は、再び、持主のもとへもどったのです。

1642年、王と議会のさらなる内戦が勃発しました。ロンドンは議会の根拠地であり、王国内では安全な都市でした。王と議会の双方に金塊を差し押さえらないようにするために、人びとは、街の金細工師の手に金をあずけました。そのことが彼らの金の安全を保障する方法となったのです。

3、金細工士、最初の銀行家たち

この金の引き換えにおいて、預け主は、約束証書としての受領書をうけとりました。これらの受領書、すなわち、最初の銀行券、は、いったんそれらの信用が確立されると、大変な評判となりました。 なにせ、金は重くて扱いにくいものですから、すぐに、これらの受領書は紙幣として使用し始められました。誰もが、金を預けていることにより100%保障されているこの受領書を、よろこんで受け取るようになりました。

金細工師たちは、一部の人たちしか、受領書を預けられた金と引きかえないことに気がつきました、引き換えられた以外の部分の金を元手にして、彼らは保有する金の量以上の受領書(紙幣)をきわめて密かに発行することを始めました。この新しく創造された紙幣(マネー)は、こうして金利付きで貸し出しを希望する人々に貸し出されました。これは、かなり法的に怪しい行為だったのですが、それは、けっして司法の裁きをうけなかったのです。

4、イングランド銀行

こうして、1694年に、何もない、まさに無から創造されたお金(マネー)の発行は、効果的にイングランド銀行の創立を正当化しました。ただ、それは、設立された最初の銀行ではありませんでした(クッツが1690年に創立していました)。しかし、お金の創造の本質は、銀行がお金の供給をし続ける役割の中心となることだったのです。

1694年当時、イギリスは、いまだ、大部分が農業国家でした。大半の人々は、自ら作物を育て食糧を得、自ら家をたて、燃料のまきをあつめ、泉から水をくみ、しばしば、衣服をつくっていました。お金は必要なかったのです、現在の大部分の人々にとって今日そうであるようにーーーー。しかし、国家が戦争に向かうとき、さらに多くのお金が必要となりました。

当時の王であるウィリアム三世は、フランスと戦争をしたために資金が必要となっていました。 王の徴税の権限と正当性は限界にきていました。それで、もっともすばやく、簡単な方法で王の必要性をみたすことは借金することだったのです。六つのロンドンの金細工師協会は(この協会は、ウイリアム・パターソンという人物によりひきいられていた)8%の金利で金において120万ポンドを王に貸し付ける条件で、最初の共同出資銀行の設立を王の権限で与えられました。これが国債のはじまりだったのです!

より重要なことは、どんなふうにでも、かれらは、私的な貸し付けに紙幣で120万ポンドを創造する権限が与えられていたということなのです。この紙幣は、理論上は、金によってその価値が裏付けられていました。しかし、金は、王に貸し出されていたままだったのです。それが意味するものは、120万ポンドの二倍以上が貸し出されているということなのです!!

このことは、一般大衆には、隠されたままだったので、その正当性について、けっして裁判所の審理をうけることはありませんでした。今日も、銀行は、上記のような活動をベールに覆い隠したままにしておきたいのです。(続く)

文責 白崎一裕