ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか。  ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

元外交官で評論家の天木直人さんが、ご自身のメールマガジン(2013年5月29日第390号)で「ベーシックインカム論者はいまこそ対案を提示すべきではないか」という文章を書いておられた。それに応答する形で今回のメルマガを書いてみよう。

天木さんは、斉藤美奈子氏の東京新聞コラムを引用する形で、最近の生活保護法改悪(改正?)とマイナンバー制度導入に反対する対案をベーシックインカム論者は提起すべきではないか?と問いかけている。これに対する答えは、ある意味、ベーシックインカム論者には明確だろう。すなわち「無条件・個人単位」の「普遍的・万人への」所得保証こそが、温情主義(パターナリズム)や煩雑な制度と差別的スティグマにからめとられている生活保護制度への対抗案だということだ。

しかし、これでは、天木さんの本当の問いかけに答えたことにはならない。天木さんは、メルマガの最後を「少なくとも政治にその意思さえあれば」と書いて締めくくっている。

天木さんの言いたいことは、ベーシックインカム論者は、政治的に実現可能な対案を示せといっているのだ。無条件・個人単位のベーシックインカムが既成の社会保障制度に比較してよりましな制度だということは重々承知だ!そんなことはわかっているから、どうしたら、それが実現するのか、いいかげんにプランを示せ!ということだろう。

まさに、このメルマガのタイトル「ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか?」が問題なのだ。

政治的意志ということで想起されるのが、ユーロ金融危機で揺れる欧州で台頭する既成政党とは一線を画す勢力のことだろう。野末編集長が何度もとりあげてきた海賊党やイタリアの五つ星運動などだ。これらの運動のスローガンや政策プランの中にはいっているのがベーシックインカムである(五つ星運動が、無条件の所得保証かどうかは明確ではないが)。上記の運動の特徴は、議会主義や政党政治を批判して人民の直接民主主義による政治改革を行おうということにある。また、その手段としてインターネットの大規模な活用ということも掲げられている。このこととベーシックインカムはどのように関連するのか。

関曠野さん(思想史)が、以前から強調しているように、近代租税国家と税の分配装置としての政党政治は、共に不即不離の関係にあって同時進行で解体過程にあるということだ。右肩上がりの経済成長の限界と共に税収も伸びず、その税収の大半を国債など負債の利払いに追われる近代国家とその延長にある福祉国家の欠陥を超越すべく、欧州の新興政治勢力は台頭してきたとみるべきだろう。ここにベーシックインカムが政策として盛り込まれる必然性があり、加えて、ベーシックインカム運動は通貨改革を伴う政府通貨発行へと行き着かなければならない。だが、ここで立ち止まろう。再度言う、それならば、その政治的意志はどこからどのように生まれてくるのか。

ポイントは、やはり、直接民主主義だ。これも、いままでのメルマガで紹介してきたが、スイスにおけるベーシックインカム制度化の国民投票実現への署名活動である。国民投票が憲法に明記されているスイスならではの動きだが、これこそがベーシックインカム実現のための政治的意志表現の重要なヒントとなる。

残念ながら、現行日本国憲法には、国民直接投票の規定がない(厳密には、憲法改正条項があるが)。そこで、考えられるのが、住民投票条例だ。原発問題と同様に各地方から続々とベーシックインカム住民投票条例運動が巻き起こること。またこれにリンクして全国知事会が過去に提起してきた日銀による国債の「直接」引き受け(政府通貨発行)政策圧力が中央政府に加わること、この二つこそが政治的意志の転換点だ。だが、再々度、ここで立ちどまることを余儀なくされる。どのようにしたら、上記のような状況が生まれてくるのか?

この状況が生じてくるためには、現在のまやかし量的緩和政策であるアベノミクスが失墜することに(これには、欧州やアメリカの経済的危機も加わる)よる一段の経済的混乱がなければならないだろう。そして、その萌芽はすでにあるともいえる。たとえば、7月の参議院選挙をめぐる自民党の地方県連と中央本部との対立だ。この対立は沖縄の普天間基地移設問題と福島の原発政策をめぐるものである。この対立の内容にはここではふれないが、日米安保エネルギー体制の揺らぎと言っておこう。中央と地方の対立、それも「沖縄と福島」という場が近未来の政治混沌への示唆となる。

ベーシックインカムと通貨改革の政治的意志は、さらなる政治的・経済的混沌を待って、表現されるだろう。天木さんが以前から提案されているインターネット政党も同じ位相で実現すると考える。インターネット政党は、「政党」という名前を借りてはいるが、それは、徹底した、既成政党政治と儀式化・既得権益化した議会政治への否定からはじまる。すなわち政党を否定する「政党」なのだから。

私の天木さんへの最終回答は、「まだ、少し、待とう!」ということだ。

地方と中央の格差と対立がさらに深まる時、そして、グローバリゼーションの化けの皮がはがれる時、過去の新自由主義論や幻想福祉国家論などのヤワな政策を吹き飛ばす、本格的なベーシックインカムと通貨改革を政策提言として含む政治的動きが生まれてくることを期待する。私もそこに参画する事を最後に記して天木さんへのお返事としたい。