スコットランドの独立問題について   関 曠野

  独立の是非を問うスコットランドの住民投票は歴史や政治の視角からもいろいろ興味深い問題を提起していますが、「探る会」のニュースでは経済の側面に話をかぎることにします。9月18日の住民投票はかなりの差で独立にはノーの結果になりました。だがこれはもちろん連合王国の現状を是認してのノーではありません。今の英国は、ロンドンのシティ(金融街)、ロンドンに移住した世界各国のスーパーリッチ、ロンドンの英国議会の政界貴族には天国、庶民には地獄のような国です。この9月から売春とドラッグの売り上げをGDP統計にカウントしているような国です。EUでもっとも貧富の差が大きいこの国で、スコットランドの庶民は困窮しています。ブルーカラーの街グラスゴーでは乳幼児死亡率がきわめて高いため、男性の平均寿命が54歳という有様です。これはおそらく母親の栄養不足が原因でしょう。


  しかし実のところ、投票の結果はたいした問題ではありません。むしろこういう国家の存在理由を問う投票が実施されたこと自体が重要な意味をもっています。日本でも欧米でも先進諸国では目下、議会制国家の崩壊が進行していますが、今回の投票はこの崩壊の波が議会制誕生の地である英国にも及んだことを示すものです。この投票を契機に、英国は容易に収拾できない混乱に陥るでしょう。


  投票の結果がノーになったのは殆ど当然のことでした。自治政府の政権与党であるスコットランド国民党は、投票の実施を決めたものの、どうみても独立に本気ではありませんでした。独立しても英女王を元首に戴き、通貨はイングランド銀行が管理する英ポンドを使い続けるなど独立をサボタージュするような政策を掲げていました。また経済についても、庶民には北欧型社会民主主義、企業には大減税というツジツマが合わないことを約束し、財政は「北海油田があるから大丈夫」などといい加減なことを言っていました。それに独立した場合の新しい国名も決めていませんでした。


  国民党の狙いは、中央を独立のポーズで脅して自治権でさらなる譲歩を引き出し、地元でその利権を固めることにあったようです。ですから投票で賛成反対が伯仲という事態になって党の幹部は内心ではかなり慌てていたのではないでしょうか。それが、やはり事態に慌てた中央政界の保守、労働、自由民主という主要政党がそろってスコットランドのための予算を増やすことを公約し、しかも投票結果はノーになったのだから、国民党はまんまと目的を達成したことになります。党首のアレックス・サモンドは投票結果に責任をとって近く辞任するそうですが、これもそのうちカリスマとして復活するための茶番でしょう。「改革」「希望と変化」など漠然とした甘い言葉を振りまき有権者を自分の栄達のダシにするのは今時の議会政治屋のお馴染みの手口です。国民党の場合は、それが「独立」だった訳です。しかしサモンドは「してやったり」と思っているかもしれないが、実は国民党は英国を混乱させるパンドラの箱を開けてしまいました。早くも英国の他の地域から「スコットランドだけに公共支出のための予算を増やすのはえこひいきだ」と不満の声が上がっています。


  古代にはイングランドはローマ帝国領でしたが、スコットランドはしぶとく抵抗してローマに服しませんでした。中世以来イングランドが常にフランスに対抗意識を燃やしてきたのに対しスコットランドは北欧諸国に親近感を抱いてきました。そして1707年の連合は対等な合意によるものではなく、財力にものをいわせたイングランドによる事実上の併合でした。しかしこういう歴史があったにせよ、現在の亀裂を生じさせたのは、やはり保守党のサッチャーの政策です。

 

  戦後の英国は階級社会の古い体質もあって工業国としては没落し1970年代には先進国なのにIMFの緊急融資を受けるという屈辱を味わいました。そこでサッチャーは残された大英帝国の唯一の遺産である金融業による英国の再興を図り、その代償として地方の産業を切り捨てました。この金融立国のツケは集中的に質実剛健で実業本位のスコットランドに回り、その製造業は大きな打撃を蒙りました。


  しかしスコットランドの世論が明確に独立を求めるようになったのは、それに続く労働党政権の時代です。スコットランド出身のブレアとブラウンが相次いで首相になりましたが、彼らはサッチャーの金融立国路線を継承しただけではなく、イラクに派兵するなどアメリカのエリートに密接に協力しました。その結果、長らく労働党の牙城だったスコットランドではこの長い歴史をもつ左翼政党に対する不信感が高まりました。この労働党の変質は、「右翼・左翼」という言葉に意味があった時代が終焉したことをはっきり示すものでした。


  ではなぜ左翼は死んだのか。その要因は二つあります。一つは、経済が低成長に転じたポスト工業化の時代に左翼の社会的地盤だった労働組合が弱体化して利権集団としての交渉力を失ったことです。そして左翼がこければ右翼という言葉も無意味になり、左右対立の構図によって成立している議会制国家は空洞化します。「議会と政党の制度は産業革命が胎動し始めた18世紀の英国で生まれた。その課題は工業化が次々に生み出す新しい富の分配をめぐる争いを取引によって解決することだった。議会主義の本質は有力な利権集団間の取引である。(中略)だが成長の終焉と共に議会政治は取引する材料を失い崩壊し始める」(注)。


  左翼の死のもう一つの要因は、ソ連崩壊の衝撃です。左右を問わず、現代人には国家は法的で理念的なもの、経済は物質的なものという精神と物質の二元論で国家を考える傾向があります。そこから市場は盲目の欲望で動くから国家がそれを理性でコントロールすべきだという発想が出てくる。こういう国家観の元祖は、市場を「精神の動物界」と呼んだヘーゲルです。このヘーゲルの国家観は、キリスト教神学における聖と俗の区別を近代国家に当てはめた馬鹿げたものです。しかし左翼はこのキリスト教的な国家観を信奉し、真理を把握している知的エリートが国家の力で市場をコントロールすれば理想の社会が生まれると信じてきました。そしてソ連はこういう国家観が徹底的に実現された例だったので、その崩壊は社会民主主義者をふくめて左翼に致命的な打撃となりました。


  その結果、英国労働党の場合は、俗なる市場万歳、盲目の欲望を効率よく充たす新自由主義万歳になった訳です。つまり彼らは左翼の国家観を上下さかしまにひっくり返しただけで、二元論的な国家観を反省することはなかった。近代国家は何よりも経済のシステムであり、人々の権利や義務や責任も経済と切り離して論じうるものではありません。そして近代国家の主権の核心は、通貨を発行し管理する権利であり、それに較べれば法的で形式的な主権は二次的なものです。ユーロによる通貨統合で通貨発行権を銀行の下僕のEU官僚に譲渡してしまった南欧諸国の現状を見てください。これらの国は法的形式的主権は保持していますが、それは債務奴隷になることに同意する権利にすぎません。


  このように国家観が間違っていたから、労働党は国家が通貨発行権を銀行業界に譲渡していることが現代国家の根本問題であることにも気付きませんでした。この譲渡ゆえに私企業である銀行が影の、そして真の主権者になっており、租税国家はそれを補完する銀行経済のサブシステムにすぎないのです。その結果、旧ソ連には一党独裁と指令経済があったように、いわゆる自由民主主義諸国では99%の一般国民を犠牲にして1%の富裕層を潤す銀行独裁がまかり通っています、政府は富者のための社会主義、中央銀行は富者のための計画経済を実施しています。日本のアベノミクスもそうしたものです。この銀行主権の下では、中央銀行、財務官僚、議会政治家が三位一体の支配体制を構成しています。そして銀行が主権者である以上、選挙でどの党に投票しても何も変わりません。


  スコットランド人が求めたのは、実際にはこの銀行主権からの独立、英国を支配するロンドンという国際金融センターからの独立でした。各国の銀行業界は中央銀行という形でカルテルをつくっています。そして各国の中央銀行は連携して国際金融カルテルをつくっており、IMFなどはその代弁者です。このカルテルは映画やアニメに出てくる世界征服の陰謀を企む秘密結社そこのけで、各国の中央銀行、財務官庁、政府と議会はそれが送り込んだ占領軍のようなものです。スコットランド人はこのグローバルな金融資本による占領に抵抗しているという意味で愛国的な”ナショナリスト”です。しかし労働党からスコットランド国民党に支持政党を変えただけでは独立は達成できませんでした。所詮、議会政治屋は占領から利権を得ている人種だからです。だが住民投票を契機とした今後の英国の混乱の中で、人々は英国と世界の現状について認識を深めていくでしょう。議会政治の枠内で右翼左翼で争っていた時代は終わり、現代世界の争点はグローバルかローカルか、金融グローバリズムと地域に根ざす民衆のローカルなデモクラシーの争いであることに気付くでしょう。このローカルなデモクラシーはまた、人々に法的形式的な権利を保証するだけでなく、経済生活に参加する権利を具体的に保証する経済のデモクラシーでもあるべきです。デモクラシーは原理としては権力の分散を意味しています。ですから首相や大統領への権力の集中をデモクラシーと呼ぶ欺瞞とは手を切り、国民投票制などの直接民主主義や地方主権の拡大による権力の分散も人々の課題になるでしょう。


  現在、日本や欧米各国の政府はどこでもグローバル金融資本の司令部の指示で動いています。だからスコットランドの出来事は日本人にとっても人事ではありません。90年代に日本でバブルが破裂した際に政府はマネーゲームに走って破綻した銀行を国民の血税で救済しました。これ以来、与党が民主であれ自民であれ、政府はこの司令部の指示に従い、事実上破産している銀行の救済に狂奔しています。安倍政権による通貨の大増刷や消費税の増税も、溺死寸前の銀行を浮かせるための政策です。消費税の増税はIMFの要請によるもので、負債がGDPの2・5倍という日本国家を財政的に維持する費用をできるだけ国民に負担させて日本国債に対する投資家の不安を和らげ、銀行が国債ビジネスを今後も続けられるようにするためのものです。デフレの中で消費税を増税すれば経済がさらに低迷することは子供でも分る。だがIMFがそれでも増税を要請するほど銀行の経営は危うくなっている。「銀行栄えて国滅ぶ」が世界経済の現状であり、そして通貨発行権を握る影の主権者である銀行に逆らえる者はいません。


   また主婦の労働力化と移民の導入もOECDが以前から日本に要請していたもので、銀行が管理するマネーフローの外にいる人間を減らし彼らを課税対象にするための政策です。またアベノミクスによる通貨の大増刷は、インフレを経済成長の代用品にしようとするものです。インフレで通貨が減価すれば国家、企業、銀行自身が抱える負債の重さが減り、銀行と富裕層が保有する株など金融資産の名目価値が水膨れする。しかしこれは一般勤労国民には賃金給与が低迷したままでの物価の上昇という塗炭の苦しみになります。通貨の大増刷も結局、ゾンビ銀行を維持する費用を国民に負担させるもので、通貨価値の減価という形での国民の所得と貯蓄に対する間接的な課税といえます。      

   2008年のリーマンショック以来、アメリカの連銀は量的緩和(通貨の大増刷)で破綻したメガバンクを延命させようとしてきました。これはすでにパンクしたタイヤになんとかポンプで空気を入れようとするような措置でした。そしてこれは連銀というより国際金融カルテルが決定した政策であり、ドルの過剰供給の影響は世界の殆どすべての銀行業界に及びました。 しかし失敗した企業は破産して退場ということが市場経済の原則であるはずです。だからマネーゲームで失敗した銀行はすべて破産させればよかったのです。だが各国の中央銀行と政府は二人三脚で市場原理に逆らい、ここ5年にわたり利子ゼロの資金をつぎ込んでゾンビ銀行を救済しようとしてきました。 だから経済の現状を市場原理主義として批判する人は問題を勘違いしています。これは銀行の本性とはいえ、銀行の独占経済がかってない規模で市場原理の働きを阻止してきたのです。そして量的緩和は、景気を上向かせるどころか,99%の一般勤労国民と1%の富裕層との格差を決定的に拡大しました。


  しかし市場原理にいかに逆らっても、長期的にはこの異常な政策に対して市場から是正の圧力がかかります。この10月に連銀が量的緩和を打ち切り、おそらく利上げにも踏み切ることは、そうした圧力の例です。しかし連銀の方向転換は是正に終わらず、破局につながる可能性があります。これによって量的緩和が市場に逆らって作り出してきた株や国債など資本市場の虚構の相場が一挙に崩壊するかもしれない、一挙にではなくても、市場を封殺してきたことに対する反動は大きなものになるでしょう。そして経済が再びリーマンショック状態になっても、連銀と政府にはもう打つ手はありません。またもや量的緩和という訳にはいかない。 こうして銀行と国家の制度としての機能が全面的に停止するゼロの瞬間が近づいてきます。そして今後英国が陥るであろう混乱は、このゼロの瞬間を部分的に先取りするものになると思われます。  

 
(注) 農文協のブックレット「規制改革会議の農業改革」に所載の拙稿「なぜ議会制国家は崩れ去りつつあるのか」より引用。同書15頁。                                                                                               

連載・お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方

●  「お金リテラシー入門 ~~ お金にふりまわされないものの見方・考え方」

いま、白崎が、上記のタイトルで隔月刊誌「くらしと教育をつなぐWe」(フェミックス)に連載しています。

連載の意図は、もちろん、ベーシックインカムや通貨改革を考えるための根本を考えてみようということです。「実現をさぐる会」のHPの読者からこんな感想がよせられます。

「どうも、関曠野さんの話は、面白いんだけれど、よくわからん。特に、通貨(お金)や金融の話がぴんとこない」というような感想です。私も、小さな集まりで、通貨やベーシックインカムのことをご説明させていただく機会がありますが、「何度聞いても、わからない」というご感想をいただきます。本屋さんには、経済や金融の本があふれているのに、これはなぜだろう?と考えます。もしかしたら、本質的なことを、わざと難しくてわからなくしているんじゃないか?と。私も、経済や金融の専門家でも何でもありませんが、自分が疑問におもったことを読者のみなさんと共に考えるような文章なら、すこしは、この世界の風通しがよくなるのではないか、と考えて連載をはじめてみました。ご興味のある方は、ぜひ、お目通しいただければと思います。

連載一回We 2014年4/5月号「マネーが動かす原発マフィア」

二回6/7月号「銀行がつくる借金(負債)のお話」

三回8/9月号「信用創造のお話」

四回10/11月号(予定)「信用創造のお話②」

 

ということで続けていきます。

We のHPは以下です。

http://www.femix.co.jp/

よろしくお願いいたします。

2014年11月3日(月)午後  シンポジウム「ベーシックインカムとその実現方法」

事前解説   関曠野氏の世界的思想を島之内芸能文化協会が翻訳

ベーシック・インカムと大阪のおばちゃんの陣

大阪の陣は1614年と15年で、今年は400周年です。ベーシックインカムとは、ほぼ関係ないです。

人口の5%が6割の富を持つアメリカで恐慌激発するアホな人類。まず第一に、私たちの置かれている状況は不況ではなくて恐慌だわな。恐慌は資本主義の原理で起きます。第二にそのような原理矛盾を正せる方策は、ベーシック・インカム。・・・すべての国民に一律無条件に生涯にわたり一定の基本所得を支給すること。そしてもう一つは金融資本でなく国民大衆の政府への転換。そのため立ちあがれ、大阪のおばちゃん達。恐慌を防ぐ方法。結論から言いますと。政府は税金をやめる。そして通貨だけ発行する。税金の仕事がなくなるので小さい政府になる。国民に生活ギリギリに通貨を支給する。それだけです。こうすると金融機関と大資本の権力は非常に縮小され、政府は国民大衆の回復を経済より優先してしまうこともできます。貧乏が苦痛なのは慣れてる貧乏人でなく大資本なのです。

こんな簡単なことができないのは、「資本が金を競争で儲ける経済」だからです。国民も気付いてない。

社会主義ではありません。この新経済制度を動かすのは代議士・官僚でなく、地域国民の方法によります。

特にアホの人からベーシック・インカムは怠惰になると言う声が出ていますが、事業のチャンスも政治・社会・文化のチャンスも増えるし、怠惰な人(貧乏無力人)は良寛さんみたいな世間の平和な潤滑油になればよい。その分、3K職はサッカープロ並みの高級職になるでな(そうあるべき)。男性にとってこわいのは、女性が強くなることじゃ。収入が増えてアホぼんと結婚してくれん。だから、ベーシック・インカムはひそかな男性社会の大敵です。だからおばちゃん社会の大阪では案外早期に実現可能ではないか。

多国籍資本の大金融資本が自由に儲けて、世界の伝統を破壊する経済が、銀行主導経済なのです。この体制じゃ安倍さんも日本の財閥のおっさん達もさしあたりアメリカにぺこぺこせんと金が回ってこんのです。これじゃ集団自衛権に反対するのは難しいわな。なおTPPで日本のメーカーはまた向うにあるもんを輸出してしまい軋轢を繰り返すでしょうが。アメリカのアル中あほ親父を食わせているのは世界中のドル借金奴隷です。具体的にはマクドやUSJに行く連中ちゃうか。

金融権力国家アメリカが金兌換をやめたときから、ドルという借金証紙だけが世界の主役になりよった。ドル紙でケニアのバナナも買い占めよるから、ケニア人や日本人は老後の人生のためドルに対抗して笛太鼓か浄瑠璃でも習っておくとよい。自国のすぐれた伝統を発展させれば経済は一挙両得ですで。この点で中国・韓国は日本よりアホや。伊勢内宮のおかげ横丁はチープな江戸時代の街並みを再現して毎日満員になっとるわ。浪曲茶屋いうのがあって、出してるのがジャコごはんと最上等そうめんと漬物、音楽は浪曲や。スパゲティ食うよりええわ。近くのヤマハのリゾート・ネムの里は破たんした。東京は行くとこない。大阪はまだマスコミが黙っとるスリルある場所がある。

自国通貨を国民連帯で発行することです。今の選挙制度は金融資本主義の道具になっていますから、さしあたりは選挙に替えて立候補者の抽選制度でしょう。期間と費用は限りなくゼロになります。

恐慌だということになれば銀行の責任とばれるんで、不況だ不況だと言い張ってるさかい、どこの政府であろうが、やっている政策は何の効果もないんです。ケインズの一番つまらない側面、景気刺激策として一次的に赤字公共事業をやって……というような面だけが評価されている。

ケインズは孫たちの時代においては、人類は芸術や学問など文化的な活動に忙しいだろうと言っています。(いまいち当らんなあ、スマホに忙しいわ)。この管理社会、この抑圧、この差別、この競争を代償とした皮相な豊かさはもうたくさんだ! 人間らしい感性豊かな生活をしたい・・それは60年代、70年代、この時代は巨大な転機の時代でありました。そのとき我々はアホやったので銀行に勝たせてしもたのです。

70年代から全世界的に企業収益が低下し始め、今なおあかん。1980年以降、レーガンとサッチャーによって資本主義の停滞に対する富裕層の反撃がたくらまれた。福祉叩き、新自由主義とか市場原理主義とか。実際、福祉なんてのは貧乏人へのごまかしなんですけどな。あれは金持ちの贅沢を経済の刺激剤にして、庶民には富裕層のおこぼれが落ちるという、人に差をつけたいという欲求で動く経済でしたな。だがアメリカは最大の債務国に転落し、貧富の差が拡大し、さらにグローバル化によってアメリカ国内の産業は空洞化するという状況になりよった。結局あれこれバブルを起こして、住宅バブルでおおこけした。もうゾンビやと言われている。

恐慌と言う悶死に陥る状態に我々は巻き込まれている。今の資本主義は、銀行の資本主義で、産業の利潤の資本主義ではなくなってますさかい。資本主義とは、資本が貴重、常に不足気味だということです。どんどん一攫千金の素晴らしい投資の チャンスがあるのに、それに比して資本が乏しく、産業革命の時代には資本が不足していて、そのせいで資本家による労働者の搾取ということが起きました。それが基本的欲望はほとんど満たされてしまう状況でも続けとる。あんたも別に明日すき焼き食いたないやろ。無理に食わせとる。銀行資本主義は、アホ騙しの無駄なものを作る、贅沢品を作る、危険な兵器などを作る。これが20世紀の戦争と環境破壊の原因であります。資本が過剰になっているのに、資本が不足だった時代の制度が生き残っているのです。資本を「演出」しているのが銀行です。結婚と並んで人類の生んだ最苦痛の制度です。

そういう銀行をどのようにして解体するか。それを考えた人がダグラスという人で、ベーシック・インカムを提唱しました。ダグラスの考えはまだ甘いが、それは決して福祉対策ではありません。彼の主張は、銀行ルートによらず政府が国民に通貨を発行して、それでベーシック・インカムを支給することです。理由は消費なき拡大再生産を防げ、恐慌を防げるです。「うそやろ」ですって。まあ、聞いて下さい。

労働者は絶対に企業が生産したものを総体として買い取れない。労働者が生産したものの価格は労働者の所得をはるかに上回る。価格と所得の間、生産と消費の間にとんでもないギャップがある。マルクスの場合、これが搾取でそのこと自体が悪いと言う彼の神学があった。ダグラスはその搾取の自由(創業者利得)が経済発展段階には有効であり、その後分配されないことが悪いと考える。儲けたいから働く。儲けたら分配せよ。はじめから本気で奉仕のため真剣に働く人間が大半を占めてゆく状況がない社会主義は無理でした。徳川吉宗やレーニンはそういう世界にまれなトップでしたが、だんだん民衆からけむたがられた。シェクスピアの民衆はもっとずっこい。はじめから人のためには働かん。

古典派では、たとえば5億円の労働と5億円の材料設備で、15億円の価値が生まれ、5億円が資本家の利潤になると考えます。この価値は、マルクスでは「労働者が作ったので資本家は搾取している」と考えます。近代法で資本の所有者が所有権を得るのが正当化されるのがマルクスは「詐欺」だというのです。詐欺でしょう。そんなこと言えば大抵の理屈は詐欺ですが。別の考えでは、価値創造にヘゲモニーを持っている資本家がそのヘゲモニーゆえに利潤を受けるというのがあり、私の説です。会社でもヘゲモニーは地位ではなく別の能力から生まれます。たとえば、1億円の売り上げの会社で、開発担当者が10億円の発明をしたり、営業担当者が10億円の受注をとったりしたら、担当者でも経営のヘゲモニーを持ちえます。そして憎まれますな。

通常の近代経済学では、市場で15億円で売れる時だけ15億円の価値があり、労働は関係ない、市場に出している資本家が利潤を得ると考えます。これも明らかに詐欺です。5億と5億で作ったわしの家は、10億円で買う家より絶対住む価値があるのじゃ。そうならんかなあ。前提は、市場で売ることだけを目的に作っていることなのです。市場で売れない物にも重要な価値があることはアホでも明らかで、森林などそうやろ。そういう価値は市場経済では作れない。ざまあみろ。しかも今の市場は金融資本が金で維持している市場なのでますますそれ以外の価値がない。たとえば文楽はそういう価値がない。勝手に破産しろと地元の市長が言うくらいや。それやったらトキもイタセンパラも勝手に死ね。銀行は破産しても救済されますがな。

資本論では、個々の資本家は次の投資に充分な利潤が得られんさかい、その間銀行に預けるほかはなく、銀行はまた投資するほかないさかい、過剰生産恐慌が起こると考えています。マルクスは、「搾取が本質だから結局そうなる」のだとあおりますが、それは彼の正義心で貧乏人の革命(ケンカ)が目的だったからです。だが革命を起こしてもアホは経済のヘゲモニーは取れないのです。ソ連がやった資本の国有化でアホが経営できるわけなかったのです。GDPの大半いらんもんやった。

近代経済学でも、シュムペーターは5億円の利潤あっても、技術革新があればつぎの投資が待っていて足りないと考え、ドラッカーも利潤は搾取でなく投資に必要な分とし、ヴェブレンは、アホ金持ちにぜいたくか慈善に使わせばよいと考えました。ヴェブレンの考えは現在の貧富の差の拡大を皮肉に説明出来ますなあ。彼の代表作はたしか「有閑マダムの理論」です。しかし技術革新がなければ、金は余って使えず資本主義は困窮するのです。ところで、江戸時代の大坂は、金持ちが遊廓で散在して全国の貧農を救いました。あれはまた自分とこに還流することを知っとったさかいや。住友の伊庭貞剛は利潤で非営利の植林事業を起こしました。ただし住友林業は今は営利の材木・建築業やっとるんで、自然林涵養には熱心やないやろう。えっ、いらんこと言うなって。

そこで、ダグラスやケインズの場合は、使われない分を政治が配分すればよいという。この政治は政党にヘゲモニーを渡すか、国民が自分でつかむかですが、権力者はヘゲモニーのプロであり、国民は騙されるプロですから、配分は政治家によって都合よく行われ、国民に配分するふりをしてヘゲモニーの仲間いやボスの銀行と金持ちとに配分されますで、これではあかん。

そのうち1929年の大恐慌でダグラスの言うことは正しいということになった。ケインズは「文明の未来はダグラスかマルクスかによって決定されるだろう。マルクスは(ケンカ腰で)嫌いだ」と書いているそうです。ところがダグラスは大戦後には全く忘れられた人になってしまった。なんでやろか。

ダグラスの所得保証論は彼の信用社会化論の一環として出てくるものです。産業のオートメ化が失業を生み、豊かさの中の貧困というべき現実が生じている。大半の現代人は潜在的失業者やで。働ける人に収入がないということは人類の大矛盾です。買うことができず、その分が売れ残り無駄になり、これじゃ儲からない。人類がみな家庭なら当然分けあたえますけど、それを宗教もよう徹底できん。教団が貯めとる。

ところが相変わらず生産を演出して問題の解決を妨げるパワーが金融資本なんですな。金融資本は、企業には資本が足りない、労働者には所得が足りないから、という。貸して儲けるお前に言われとうない。経済学者でない技師のダグラスがこの矛盾「銀行が融資するというシステム」を否定したことが彼が黙殺された一因であります。経済学者というのはみな銀行機能を自明として認めている連中いや先生です。ダグラスの場合は、マルクスとは違って私企業を否定しません。全体として富が効率よく社会的に分配されるシステムを彼は考えたわけです。彼の場合は銀行が邪魔と見た。あたってるやおまへんか。

銀行制度は、1694年にイングランド銀行が創設され、国家が金貸しに借金するという形で始まった。マネーはあたかも国家の紙幣であるかのように見えますけれども、実際は銀行のためのマネーなんです。そこで私利私欲で動いている銀行がまるで公的機関のようなええ顔をするようになってしもうた。産業革命期になると企業はどんどん製造過程を機械化し設備投資する。これには銀行から融資を受けないとやっていけなんだ。

いまや銀行制度では預かっている預金の何倍ものお金を貸し出している。金融危機のデリバティブだとベースの50倍から80倍という例もあった。一旦不良債権になってしまうとメガバンクでも返せませんで。ええかげん詐欺とちゃうか。

経済は会計学で計算してます。その特徴は複式簿記です。Aさんが銀行に100万円預金し、そこにBさんがやってきて銀行から100万円借りたとする。銀行の帳簿にはBさんに100万円「貸したこと」が銀行の「資産」として帳簿に載る。なんと、無から新しい金を創り出しているのです。記帳一発で。それを会計士がよしよしと言いよる。簿記はすごい詐欺の発明やった。

Bさんに貸した金は、頭から銀行にとっては利子付きで戻ってくる資産になる。実際にはBさんは倒産する場合でもや。これが信用という実は詐欺でんな。銀行は権力の大きすぎるネズミ講や。人間社会のすごい洞察力のあった井原西鶴は小説で商売と詐欺とを区別しよらんと、経済学者からは批判されていますが、実は経済学者の方が単純なんやわ。

複式簿記では、借金はなんと、借方に現金という資産として表示される。この現金つまり通貨・貨幣は、返さねばならない借金の借用証書です。一方現金は自分のものであれば、本当の資産ですが、それでも通貨で持っている限りは、金銀や家や土地のような、本当に本当の資産ではない。最後に払うのはすわっとるアメリカの銀行屋や、ああこわー。

不動産屋が有りもせん物件を先に売ったら直ちに詐欺で御用じゃ。ところが銀行は後にも先にも有りもせんマネーを売ってる。会計や経済学ではその詐欺を部分準備制度と言って堂々と認めている。正しくは充分準備せん制度です。その結果銀行は人々の協力と結合から富が生まれる過程を、東大出雇って頭脳的に横領しながら、おこぼれをもらいたいアホからありがたがられている。どうしょうもない人類の文化じゃと今に分るで。

藤山寛美が高利貸し有難がったというのは、あれは演技でっせ。本気やない。しかし経済学者は金融に本気で感謝している人種、職業です。会計士・税理士・弁護士、みな銀行なかったらいらんわ。

しかも今日銀行信用は社会を組織するもっともどぎついムチであり、真の政府であります。お金の90パーセント以上は流通しとらん銀行マネーです。現代経済はズバッと言うと負債を返済する義務で動いている。もしも100パーセント返し「結構でんなあ」という状態になると、逆に経済は全面的にストップする。それだけは「もう結構でおます」。

銀行にとっては他人の負債が資産で、儲けの源泉である。だからえげつなく必要以上に貸す。銀行制度は、国民の有益なものに金を出さないことができる巧妙なシステムです。社会の利益でなく自分の利益。日本国家に莫大な負債があるということは銀行にとっては大変な資産なわけで、ますます強固な権力になる。すべての政治家がぺこぺこするわけで。もう代表選挙制度の政府ではこれはどうしょうもおまへん。政府は、現在の国民に代わって将来の国民(現代の国民の奴隷と人質です)にツケを回す。今の政治家は今の税金で経営する能力がない無能力者で、頼りは借金能力だけ。現代経済は本格的な奴隷制社会なんです。金の。金フェチや。金がマゾや。金が谷崎のナオミや。なごみやないで。

簡単な解決策としては、命捨てて奴隷の総反乱を起こし、国民が銀行を支配して、無利子で貸す手があるのみ。これがほんまの集団自衛権。無利子なら植林や治水事業・文化事業などもできます。銀行にとって儲かる事業よりもずっと国民に喜ばれる。大阪なら文楽より博打場か。

企業が搾取しても、国民平等に金が無利子で借れたら、国民はいつでも、自分達の事業を起こせるのです。直接の矛盾は搾取よりも銀行にある。逆に搾取がなくとも資金が得られなんだら、あんた事業は起こせませんで。資本論は労働者が会社を起こす方法についてはちっとも気付いてない。ダグラスはそれを飛躍させた。皆に金貸す政府。これはちょっとしたサーカス的発想でんな。木下さあ貸す言うて。公共の通貨として国民が発行する。自分らが出して自分らが作る。自分のことは自分でしましょう、子供でも分かる。

実は通貨は銀行が金儲けのために発行するほうが歴史的には短い。老害秀吉が朝鮮出兵で人気失墜した豊臣家は、淀殿おばちゃんが莫大な金銀を慶長大地震のあとの寺社復旧に使い、疲弊した畿内の民衆は雇用を得て経済復興しました。おばちゃんは人民の代表役をした。畿内は先進地域で雇用労働者が多かったので、早くから河内の守護は河川流域を耕しに来た真宗の寺内町と組んで広域土木事業の指揮をしてました。一揆と闘うのは互いに消耗するアホやと気付いた。畿内の繁栄を東国の家康は恐れました。しかし、そのあとの大阪の陣がいただけなんだ。なお、大阪の陣はケチケチ家康の不要失業者(造反テロリスト)切り捨て作戦でもありました。家康は収奪したものすごい財産を持ちながら、また平和を念願しながら、財産を循環させることに無知でした。片桐且元は「資産家の消費が国民全体の稼ぎになる方法」を指揮して豊臣人気を回復した世界最初のケインズ政治家でした。豊臣が天皇と組むことも考えていたらしいが、これを阻んで説得し家康の味方にしたのが、京都所司代板倉勝重や。しかしケチ徳川は天皇にも寺社にも武士にも法度を出して無抵抗にしましたので、あとは大坂の商人だけが潜在的批判勢力でした。その批判(おちょくり)の芸能が文楽ですねん。自分らは気楽に暮らして、武士には国守って切腹して偉い偉いとおだてとく。不況時には御用金を納めて買わせる。

リンカーンはグリーンバックという政府通貨を発行して北部は南北戦争を戦い抜くことができました。暗殺犯は銀行だという説があります。ケネデイも政府通貨発行計画をたてた時暗殺された。何が公共の利益かについてのしっかりした国民の合意があり、その合意を反映する政府があり、それをきちんと実行する財務当局があること、それが政府通貨の発行に不可欠な条件です。今の日本はそれ以前です。出来そうなのは橋下通したおばちゃんのいる大阪市や。東京は銀行の天下やさかい。

ダグラスは一国の商品の総価格は勤労者の総所得を上回るので購買力が足らんということを発見した。しかるに経済学は、生産は必ず所得になって消費されると「証明」していました。誰が消費する言うねん。

企業の生産費用も銀行からのローンです。賃金も銀行からのローンで払う。銀行の融資によって成立している企業の宿命です。しやから購買力にはなりません。企業自身も販売不振に苦しむ。ほんでまた銀行からの借金で埋める。設備投資などで負債は増える一方。そして生産さえ拡大していけば、労働者におこぼれが増える。経済成長というのは企業の宿命なんです。経済成長がストップするだけで直ちに不況が発生します。貿易もはけ口が輸出しかないから貿易するんで、貿易がええことやからではない。外国にあるもんを押しのけて嫌われる。

魅力的な新発明が次々あって、その獲得競争が起こり、今までのものが陳腐化することが、恐慌からの脱却の唯一の原動力です。いまだとスマホでしょうか。かつての石油化学や車や電化製品に比べてささやか。くだらん発明にも魅力を感じさす詐欺がマーケティングです。企業は苦し紛れに全くの浪費を宣伝して消費者をあおる。そのため莫大な研究開発もいる。教育も医療も宗教もみな儲けなければつぶれる産業になっています。一方で世界大思想・文学・美術全集とか名曲テープとかが、昔高かったのが古本屋で100円で売っているのに、人々はそういう人類の最高教養は無視し、カラオケやスマホに酔う。昔の日本の貴族には古今集でも読みゆっくり四季を楽しむというような安いぜいたくがあった。大企業でこき使われる職業人にそういう蓄積はない。停年過ぎたらもう屍です。文楽の大夫は90歳で現役やめても死ぬまで語っている。今当会では新内を稽古しています。みなはそんなもの知んないと言う。そういった文化を支援することが銀行ではできない。

ベーシック・インカムはダグラスは、国民配当という言葉を使っています。社会全員の結合と協力から富が生まれるんで、その全員への支給だということです。悪いことしないで存在している限り皆関係しているのです。アリの半数はぶらぶらしています。銀行によって格差が付けられる格差社会になる。格差はあなたがどこに生まれるかで決まる。競争主義の考えで富は個々人の能力の結果や成果であると仕込まれている。ダグラスは文化的伝統というものを強調します。設備や知識や技術は、個人のものでなく、共有の遺産や伝統である。これは共同体思想です。過去の何千という世代が蓄積したものを我々は享受しているのであり、すべての人間は人類のそうした偉大な遺産と環境の相続人である。だから競争で個人が独占するのは誤っていると考えます。金持ちは人を使うのがうまかった自分の手柄であると言います。それも思想ですがのう。権力者の。人間は権力がほしい動物ですさかいのう。人民の革命叫ぶ連中もそれがほしいんで。

日本古来の思想では、自然は驚くべき富を人類に与えながら何の見返りも要求していない神様です。日本人は生活の安定とともにこれを見習う方向に進んで行くべきである。作って売らねば即恐慌というような制度は誤っている。アメノコヤネノ命は祭りをして自然の神様たちを喜ばせた。余剰は祭りで使えば一番ええ。江戸時代の村の金持ちにそういうて出させた。そのための信仰でんがな。それが天皇でんがな。

日本でもベーシック・インカムという言葉は広まってきましたが、それは福祉制度のように思われている。ダグラスにおいては、経済理論的論拠があり、銀行権力から人間の自由を解放することです。福祉と思うからこれまでのベーシック・インカム議論は財源の問題でけ躓いてきました。所得税でやるとすると足りない。消費税でやったらとんでもない率の消費税になってしまう。実は税金なんかいらん制度でっせ。

昔から税金は権力者がほしいだけです。権力者に正しいことは課税することです。正と言う字は村に税金取りに行くと言う表意文字です。ナニワの仁徳天皇は必要とせなんだ。租税国家は福祉をしてやるという根拠で権力を拡大する保険事業的詐欺集団です。税金制度が政治家の仕事を作り、権力でおごらせているのです。選挙も詐欺です。政府の簡素化にはまず税金制度を廃止することです。そしたら政治家は抽選でよいのです。

社会に立脚するなら、財源の問題は一切心配する必要はないんです。通貨発行でやりますから。この通貨は返す必要がなく、ただ出すだけです。誰からも借りていませんから。税金は取る必要なくなる。と言うと、びっくりする人が多いが、常識はあてにならない見本です。これは国民の統計データを踏まえて万人に発行するのです。誤って出し過ぎるとインフレになりますが、まあその程度の弊害です。

立派なあるいは必要な社会的事業をしている人に寄付してやりたいと思っている国民の気持を、ベーシック・インカムは実現します。人に国民配当を行うと、その人の消費が生まれますから経済が回ります。そらまあ博打してごろ寝する奴もでるでしょう、そこは国民全体の勤労意志のレベルで許します。ヤクザや泥棒が減れば良い。それより安心して自分の事業ができる人々に期待するのです。いやいや企業に勤めなくても済みます。一人月10万円くらいでしょうか。貧乏でも芸術や学問や文化活動に携わる人たちがいっぱい出て、文化産業で世界に勝てます。紫式部たちがいたから世界最高の和紙文化が生まれました。良寛さんは托鉢で暮らし勉強のかたわら子供に教えました。先生さえよければ学校より寺子屋の方が民衆的です。松下村塾や適塾のほうが東大・京大よりよいのです。病院もそうです。往診がよい。よい先生が地域にたくさんいることが大事です。

仕方なく企業や官庁に就職し、有能で人を押しのけバリバリ働く人が環境を破壊し社会の存続を危うくしているのです。しまいに恐慌でつぶれるまでのさばり続ける大銀行とその特権仲間以外にどこも損になる所はないです。中国のような特権階層の横暴によるバブル経済はいまに必ず破綻します。分り切ってる。

ベーシック・インカムはその効果があがるように、地域経済の力で運営しなければなりません。統計資料などを充実させ、マスコミのあおり宣伝や権力者に妨げられない評価判断が必要です。今のように大企業がマーケット情報を独占するようではだめです。スーパーで魚をカット売りしているのは魚文化的にだめです。

日本人の本来誠実な性格として、国民自身の手で莫大な赤字国債を解消してゆくこともできます。日本人は組織の犠牲になってしまっているだけです。欧米の銀行のような冷酷な組織は日本人に向いていないのです。田舎から来た丁稚に一人前の店を持たせるまで家族として養った涙ぐましい経営が日本の本来の姿です。国民が自分の権力で銀行に通貨を支払えば過去の赤字国債は買い取れます。銀行は反対できません。国民の意思ですから。皆で防災家屋建てたら日本国民の世界的信用は一挙に上がります。国債など不要なのです。国債は権力者が国民多数をだます方法です。その証拠に政府は地上げ屋やサラ金に出資した泥棒強盗銀行を、強盗のボスの命令で税金で救済しています。

公共事業を地域の民間で今よりずっと適正にやる仕組みも可能です。地域は無駄な土木工事ばっかりやらされて銀行からの借金を増やしています。地域の信用機関を直接支援すべきです。おおむね堅実で住民とのつながりがずっと深い銀行に、たとえばバブル期の健全経営で有名になった尼崎信金と静岡銀行がありました。

さらに、地方分権で税金も明瞭になります。今の税金制度は不正の巣で、大企業や金持ちと会計士の脱税と、国の権力者間の分け前分捕り合戦ですから、それらを排したら減税もできます。すぐれた教育者や医師に通貨が優先配分されるのですから、そこへスタッフは率先してきます。だいたい勤労者から収奪した税金で国家を運営するという方法が現代権力の諸悪の源泉です。豊臣氏の財源は南蛮貿易と金山・銀山で、これはうまく金持ち業者を儲けさせて吸い取る方法でした。江戸時代の町人の大半は非課税でした。日本人はグローバル資本の奴隷にならないためには、日本の風土・伝統を見直す産業に回帰することが賢明です。

大坂の大商人は遊廓で遊女と散在し、世界一の芸能芝居産業文化をもたらし、その金は畿内の貧農に回りました。農村舞台は2千箇所あり、世界にないものです。身売りした田舎の娘が遊女になって高級教養を極め、身請けされて大商人の妾にもなって、田舎の親を養いその子供も商人になれました。大坂の遊廓制度は茶屋による芸能接待文化で、経済循環と福祉政策になっていました。宗教的規制がなく、戦後まで恋愛結婚もほとんどない日本では、恋愛はほとんど遊女との間のもので、結婚にしばられない自由恋愛でした。西洋では売春婦しかいません。春画も発達してない。しかし今日ではボーナスに春画や芝居の券を社員に配る会社はありませんし、祭りにも参加させません。私は休んで祭りに行きました。町の不良ががんばってました。大阪の枚岡神社の祭りは休んで行ける会社の社員で維持しています。祭りは友人を作れるチャンスです。

日本という国には明治維新以来の東京一極集中という一大害悪が生じました。江戸時代はそうでなかった。東京だけが日本でないグローバル都市になり地方は植民地化されてきました。ベーシック・インカムを実施する際には過去長年にわたり全国都市を収奪して来た東京都を支給の対象からはずすという自治体連合案を大阪がしたらええ。そうすれば、地方に基礎所得が保証されるんで、若年層がどっと地方に移動できる。大阪は地方の盟主になる。これが現代の大坂の陣です。2020年を目標にしたい。大阪のおばちゃんが主体になって、淀殿を押し立てて東京に対抗する。淀殿は藤山直美でどうか。大阪の生活保護問題も解消します。

大阪市民は一丸となって国税を踏み倒せばよいのです。働かない銀行と国を食わしてるのは国民のほうです。おばちゃんはそう言う。そうしたら市民は銀行から収奪されなくなります。全国がそれに続きます。大阪府民にはいくらでも課題があります。まず防災でしょう。こんな危険な地域はない。つぎに水資源でしょう。みなで大和川を掘り拡げて水上住宅を作れば、移転出来る。自家用ゴンドラで魚釣りして生活費安い。海や山の環境。医療。介護。教育。文化。みな銀行は金を出したがらない分野です。町内の信頼できるおばちゃんが毎回交替で地域議会に集まればできます。大阪のおばちゃんは議会と率直に本音で対決できます。修辞は通用せん。東京の官僚に保育園建設を考えてもらうことはなく、東京の政府は国しか出来ない仕事に専念すればよい。それが優秀な官僚を使う道です。これには物質利益でなく人々の心の正しい道と仁愛が必要です。道と仁の連合で、道仁連合と言う。

具体的には地域住民が地域のための会社を起こすことです。これは今は「合同会社法」によって割合簡単にできます。一事業単位500人で、1千万円くらい集めまして、それは寺社への寄付金より小さい。地域に来る若者に経営を依頼します。大規模店にできないような新しいサービスを工夫して、地域から金を吸い取り海外に脱税するマクドなど外資チエ―ンを妨害して撃退します。独居老人の家の空き室も借り、友人間での宿泊所などできます。おばちゃんの家・ゲストハウス「トマリ―ナ」「シャべり―ナ」。家に「おくどさん」をおき、イモやパンやピザを焼いて、「マクドさん」に対抗します。出張で高いリッツホテルに泊まる必要なんかありません。土産にタコ焼きだけ買って来てもらえばよいのです。あるいは貨幣をもらわず、おばちゃんの好みで温泉か落語や芝居のチケットでも貰えばその方が喜ぶ。サザエさん一家や寅さんはそういう友人宅に頼む旅行ばかりしています。U・S・Jには、点滴あんま鍼灸ランドで対抗し、急流すべりには温泉巡り、ハリポタに対し針医者梅安か座頭市で対抗し、「ハリウッド」に対して「はりうつど」で行けばよいのです。治安に良いとおばちゃんと町会長が賛成すれば区役所も税務者も警察も同意せざるを得ません。そういった次々事業をふやせば配当もできます。

支給もらったら働かなくなると言うのは大阪のおばちゃんの中では通用しません。大阪ではだんなはたいてい引きこもっているが、おばちゃんは毎日元気に交流に出かけている。文楽の客は8割がおばちゃん。旦那はついてくるだけ。全国の温泉で大声でしゃべりかけているのは大阪のおばちゃんだけ。安いもの見つけて自慢するのは大阪のおばちゃんだけ。おばちゃんは近鉄百貨店が230円の黒毛和牛スジ肉を160円に下げるのを待って買う。庶民大阪の歴史はおばちゃんが作ってきた。オバチャント・オブ・オオサカ。大阪おばちゃんのネットワークでベーシックインカムを実現しましょう。

スイスの通貨改革運動の紹介

下記にスイスの通貨改革運動の記事がありました。イギリスなどの通貨改革運動の影響下にあるようです。これが、先般のBI国民投票運動と重なっているのかもしれませんが、まだ、よく分かりません。運動は、国民発議(スイス国民投票)として行うようです。通貨改革の理論についての解説が関連のサイトに掲載されていますが、それが実際の運動場面でどのようになっているか、今後も調べてみます。運動の情報は、ドイツ語のサイトに詳しいようなので、このHPでも可能な限り翻訳していこうと思います。これから、この動きは注目です!(白崎)

http://www.vollgeld-initiative.ch/english/

「仁和寺講演追記・イスラム銀行について」 関曠野(思想史)

講演で私はイスラム銀行のことを話しましたが、イスラム銀行が車住宅などの個人ローンをどのようにやっているかには言及しませんでした。これを補足説明しておきます。 車や住宅の場合、融資希望者に代わってまず銀行がそれを買ってしまいます。それに多少価格を上乗せして希望者に売り,債務者はそれを長期分割払いで返済します。これは利子のように見えますが、まず利子を払ってしまい複利で増えることもない。価格の上乗せは融資手数料とみなすべきでしょう。

イスラムの個人ローンでは債務者が死んだり不治の病になった場合には債務は帳消しになります。また債務の保証人の必要はなく家族の連帯責任もありません。融資のリスクは債務者ではなくすべて銀行が負うというのがシャリ ア(イスラム法)の原則です。だから返済期限も明確でないことがあります。

では進学ローンのような無形のものにはどうするか。この点では、日本や欧米とイスラムでは教育観がまるで異なることに注意する必要があります。日本や欧米では大学教育は基本的に資本主義的な労務管理であり、それが学歴差別や学歴信仰の原因になります。例えば、奨学金の制度は、30年代大恐慌に際して新卒の若者が労働市場に大勢入ってきて失業問題がさらに深刻になることを防ぐために若者を大学に囲い込んでおくというローズヴェルト大統領のニューディール政策の産物でした。そしてアメリカが恐慌を大戦の軍需ブームで乗り切った後は、大卒の学歴は豊かな消費社会に都会のホワイトカラーとして参入するための入場券になりました。しかしイスラム社会にはこのような労務管理としての大学教育やそれに伴う学歴信仰はありません。

この社会では古典的な学問観が生きつづけています。イスラムの価値観では貧しい家庭の子弟の向学心を借金漬けにして金儲けの種にすることは言語道断なことです。そしてイスラム社会には学問は社会の共同財産とする立場から貧家の子弟に学資を無利子で貸す慈善団体がいろいろあるようです。銀行は融資希望者と面談のうえそうした団体との仲介役をやります。

銀行自身が融資することもあります。その場合は、日本の講に似たTAKEFULというシャリアの概念が使われます。卒業して社会人になった債務者は奨学基金に返済し、それは基金の資本の補填に充てられます。 既卒者と進学希望者の共済組合のようなもので、もちろん無利子融資です。

ただイスラムの進学ローンでは進学の動機、目的、学習プランなどが面談で厳しく審査されます。社会に貢献する専門家の養成につながる進学であることが融資の条件になります。そしてイスラムでは大学教育も基本的に実用教育とみなされるので、科学技術系の学部学科への進学が優先されるようです。

ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか。  ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

元外交官で評論家の天木直人さんが、ご自身のメールマガジン(2013年5月29日第390号)で「ベーシックインカム論者はいまこそ対案を提示すべきではないか」という文章を書いておられた。それに応答する形で今回のメルマガを書いてみよう。

天木さんは、斉藤美奈子氏の東京新聞コラムを引用する形で、最近の生活保護法改悪(改正?)とマイナンバー制度導入に反対する対案をベーシックインカム論者は提起すべきではないか?と問いかけている。これに対する答えは、ある意味、ベーシックインカム論者には明確だろう。すなわち「無条件・個人単位」の「普遍的・万人への」所得保証こそが、温情主義(パターナリズム)や煩雑な制度と差別的スティグマにからめとられている生活保護制度への対抗案だということだ。

しかし、これでは、天木さんの本当の問いかけに答えたことにはならない。天木さんは、メルマガの最後を「少なくとも政治にその意思さえあれば」と書いて締めくくっている。

天木さんの言いたいことは、ベーシックインカム論者は、政治的に実現可能な対案を示せといっているのだ。無条件・個人単位のベーシックインカムが既成の社会保障制度に比較してよりましな制度だということは重々承知だ!そんなことはわかっているから、どうしたら、それが実現するのか、いいかげんにプランを示せ!ということだろう。

まさに、このメルマガのタイトル「ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか?」が問題なのだ。

政治的意志ということで想起されるのが、ユーロ金融危機で揺れる欧州で台頭する既成政党とは一線を画す勢力のことだろう。野末編集長が何度もとりあげてきた海賊党やイタリアの五つ星運動などだ。これらの運動のスローガンや政策プランの中にはいっているのがベーシックインカムである(五つ星運動が、無条件の所得保証かどうかは明確ではないが)。上記の運動の特徴は、議会主義や政党政治を批判して人民の直接民主主義による政治改革を行おうということにある。また、その手段としてインターネットの大規模な活用ということも掲げられている。このこととベーシックインカムはどのように関連するのか。

関曠野さん(思想史)が、以前から強調しているように、近代租税国家と税の分配装置としての政党政治は、共に不即不離の関係にあって同時進行で解体過程にあるということだ。右肩上がりの経済成長の限界と共に税収も伸びず、その税収の大半を国債など負債の利払いに追われる近代国家とその延長にある福祉国家の欠陥を超越すべく、欧州の新興政治勢力は台頭してきたとみるべきだろう。ここにベーシックインカムが政策として盛り込まれる必然性があり、加えて、ベーシックインカム運動は通貨改革を伴う政府通貨発行へと行き着かなければならない。だが、ここで立ち止まろう。再度言う、それならば、その政治的意志はどこからどのように生まれてくるのか。

ポイントは、やはり、直接民主主義だ。これも、いままでのメルマガで紹介してきたが、スイスにおけるベーシックインカム制度化の国民投票実現への署名活動である。国民投票が憲法に明記されているスイスならではの動きだが、これこそがベーシックインカム実現のための政治的意志表現の重要なヒントとなる。

残念ながら、現行日本国憲法には、国民直接投票の規定がない(厳密には、憲法改正条項があるが)。そこで、考えられるのが、住民投票条例だ。原発問題と同様に各地方から続々とベーシックインカム住民投票条例運動が巻き起こること。またこれにリンクして全国知事会が過去に提起してきた日銀による国債の「直接」引き受け(政府通貨発行)政策圧力が中央政府に加わること、この二つこそが政治的意志の転換点だ。だが、再々度、ここで立ちどまることを余儀なくされる。どのようにしたら、上記のような状況が生まれてくるのか?

この状況が生じてくるためには、現在のまやかし量的緩和政策であるアベノミクスが失墜することに(これには、欧州やアメリカの経済的危機も加わる)よる一段の経済的混乱がなければならないだろう。そして、その萌芽はすでにあるともいえる。たとえば、7月の参議院選挙をめぐる自民党の地方県連と中央本部との対立だ。この対立は沖縄の普天間基地移設問題と福島の原発政策をめぐるものである。この対立の内容にはここではふれないが、日米安保エネルギー体制の揺らぎと言っておこう。中央と地方の対立、それも「沖縄と福島」という場が近未来の政治混沌への示唆となる。

ベーシックインカムと通貨改革の政治的意志は、さらなる政治的・経済的混沌を待って、表現されるだろう。天木さんが以前から提案されているインターネット政党も同じ位相で実現すると考える。インターネット政党は、「政党」という名前を借りてはいるが、それは、徹底した、既成政党政治と儀式化・既得権益化した議会政治への否定からはじまる。すなわち政党を否定する「政党」なのだから。

私の天木さんへの最終回答は、「まだ、少し、待とう!」ということだ。

地方と中央の格差と対立がさらに深まる時、そして、グローバリゼーションの化けの皮がはがれる時、過去の新自由主義論や幻想福祉国家論などのヤワな政策を吹き飛ばす、本格的なベーシックインカムと通貨改革を政策提言として含む政治的動きが生まれてくることを期待する。私もそこに参画する事を最後に記して天木さんへのお返事としたい。

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

以下のようなことを許してはなりません。「公金」で金融業界全体を救済することを誰が合意したのでしょうか?マネーゲームのつけを「消費増税」などで、もたざる99%の国民におしつけてはならないと思います。(文責、白崎)

~~~~~~~ 以下転載記事 ~~~~~~~~

金融庁、預保版「特融」創設=無担保・無制限で危機回避―保険・証券にも公的資金

 時事通信 11月10日(土)2時33分配信

金融庁は9日、リーマン・ショックのような国際金融危機を回避するため、預金保険機構による「特別融資」制度を創設する方針を固めた。経営破綻すれば金融システム不安につながるような大規模金融機関に対して、日銀の特別融資(日銀特融)と同様に無担保・無制限で貸し出し、危機の連鎖を断ち切る。銀行に限定していた公的資金の注入対象も保険、証券会社などに広げる。

金融庁は12日、金融審議会(首相の諮問機関)に新たな金融危機対応措置の原案として提示する。年末までに詳細を詰め、来年の通常国会にも関連法案を提出する。 

成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (4) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

原発再稼働問題でも原発建設予定地での推進派と反対派の対立でも原発推進派から必ずでてくる科白が「原発がないと地域の経済が立ち行かない」というものだ。長い間、原発は地域を潤す特効薬として宣伝され政治の道具として使われてきた。そうであるならば、原発のかわりに、原発を受け入れている地方にベーシックインカムを支給して原発がとまっても何ら経済的に問題はないということを証明しようという発言がでてくるのは当然だ。twitterで映画監督の鎌仲ひとみさんがそんな風によびかけていた。正論だと思う。

正論には違いないがその実現のためには通貨改革を含めて相当な下準備がいるだろう。実現はそう簡単なことではない。そもそも、わたしたちには、いつの間にか東京を中心とする大都会は富んでいて、地方は限りなく貧しいという思考が刷り込まれている。確かに現実は「貧しい」のだ。ただ、それが永遠の昔からの常態であったような錯覚に陥っている。まずは、ここの思考の塊をほぐすことからはじめてみよう。

現在、知事選挙で話題の山口県には、上関原子力発電所建設計画問題がある。この原発を誘致しようとしている上関町とはどんな町なのだろうか。町の高齢化率は約50%(全国平均が20%)。ここ40年間で人口が6割減っている(1970年には8308人だった人口は2010年で3332人になっている)。これに関しては、朝日新聞(山口地方版)2011年3月8日に「交付金見込み17%増 上関予算案」という見出しの次のような記事がある。少し長いが全文引用する。

『上関町の2011年度一般会計当初予算案が7日、3月定例議会に提案された。上関原発建設計画に伴う国の原発立地地域特別交付金10億3800万円の歳入を見込み、総額は前年度比17・2%増の43億9496万円。「総合文化センター」と「ふるさと市場」(いずれも仮称)を年内に着工するほか、今年度に続いて全町民に2万円の振興券を配る。  総合文化センターは公民館と図書館、多目的ホールのある施設で、総事業費は約13億円。併設するふるさと市場には直売所や飲食店、航路待合所などを設け、総事業費約4億円を見込む。ともに上関町室津の埋め立て地に建設し、12年秋に完成する予定。室津小学校跡地に建設中の温浴施設「上関海峡温泉」と合わせ、11年度当初予算案に占める3施設の事業費は約11億2700万円。うち10億3800万円を特別交付金でまかなう。特別交付金は09~13年度に計25億円見込まれる。

町民3558人(1日現在)に2万円の「花咲く海の町振興券」を交付する事業は今年度初めて取り組み、経済効果があったとして新年度も約7400万円を予算化した。中電の寄付金などで運用する「ささえあい基金」を充てる。

一般会計当初予算の総額は09年度比で34・2%増、08年度比で40・5%増。歳入に占める町税(2億4233万円)の割合は5・5%しかない。「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表は「身の丈を度外視した予算。ハコモノばかり造って、将来は運営費がかさんで大変なことになる。よその原発立地町村の教訓を踏んでいない」と指摘する。(渡辺純子)』

(上記、人口推移および新聞記事の存在は、『原発廃炉に向けて』エントロピー学会編所収の「上関原発の建設中止の行方」三輪大輔著より学んだ)

なんと、中国電力の寄付金をもとに現金給付まで計画されているではないか。これこそお涙ちょうだい的「偽」ベーシックインカム!そして、予算総額はどんどん増えているが、歳入に占める町税の割合は微々たるものだ。この摩訶不思議な財政の背景に、原発立地困難地区対策として政策立案された「電源三法」(発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法)があることはよく知られている。基本的な三法の仕組みは以下のようなことだ。

全国の電力会社(9電力会社と沖縄)から販売電力量に応じて一定額(1000kwにつき85円)の電源開発促進税を徴収し、それを電源開発促進対策特別会計の予算とし、その予算を電源立地促進のための多種類の交付金・補助金・委託金、特に発電所を立地する自治体(周辺市町村も含む)への「電源立地促進対策交付金」という「迷惑料金」にあてるというものだ。しかし、引用した記事のなかで山戸さんが言っているように「電源三法」制度は一時的な雇用・財政効果しかもたらさず、立地自治体には常に増設の圧力がかかり、麻薬的な作用を地域に強いるという批判は様々な論者からなされている(交付期間の終了により、財政規模が激減してしまうので、別の安定的な財源措置が必要になる)。また、法人住民税についても、進出企業の本社が他の自治体にある場合、従業員数に応じて比例配分される。そのため、電力会社本社が大都市にあり発電所が地方にあるような場合、法人住民税の多くは本社のある大都市に吸い上げられてしまう(たとえば、立地市町村に100人の従業員がいて、大都市本社など他の市町村に9900人の従業員がいれば、法人住民税の法人税割の99%は大都市に吸い上げられる)。

(電源三法、法人住民税のことは『新版・原子力の社会史』吉岡斉著および『脱原発の経済学』熊本一規著から学んだ)

冒頭に述べた地方はかぎりなく「貧しい」という刷り込みとも関連するがこのように地方が中央からの原発関連の予算配分にもたれて生きる構造、そして中央が地方から財・物・人が吸い尽くされてしまう構造はどのように生まれてきたのか?もちろん、この構造は、原発問題にかぎらず日本の近現代史における「中央VS地方」という構造に重なっているわけだ。

その歴史的原因は明治維新にある。典型的な例としても、また、福島原発が生まれてきた背景としても「東北」を例にそのことを考えてみたい。

東北地区は、幕末、東北諸藩が奥羽列藩同盟を結び薩長連合軍に対抗した。明治維新政府樹立後は、この東北同盟各藩は「朝敵」の汚名を着せられ弾圧政策にさらされる(それは白河以北一山百文という差別的な言葉によくあらわれている)。会津藩・盛岡藩など、減俸・転封を命ぜられた。これらの政策により東北地区は独自の近代化が遅れ「辺境」の地においやられてきたといってよい。この後、明治政府は、中央集権化政策のために官選知事を派遣して中央のコントロールのきく地方支配を貫徹しようとする。有名な県令・三島 通庸(みしま みちつね)はその典型的人物である。三島は、山形、福島などで地方隷属化の政策を断行し自由民権運動など抵抗勢力には厳しい弾圧を加えた。また、三島は、「土木県令」とあだ名されるように中央政府に都合のよい土木開発を行いその財源として地方への重税を課している。ゆがんだ「国土計画」の象徴が三島だ。三島のような人間像は、現在の東京電力の幹部にも受け継がれているといってよい。

このような流れと対極にある人物が盛岡藩出身の政治家、小田 為綱(おだ ためつな)である。小田は私擬憲法の「憲法草稿評林」の作成者として知られている。私は憲法思想と共に、彼が東北地区の地域実情にあった国土プラン「三陸開拓案」を明治政府に提案した人物としてその思想を評価すべきだと思う。小田のプランは現在からみても地方の地方による地方のためのものだといえよう。小田は、東北地区の農業開拓のために明治になって失職した士族を帰農させることを考えていた。この帰農プランの具体的な予算案もつくり、帰農者の生活資金などには鋳銭工場をつくりその利益をあてること、また、不足分は、富裕層からの借金なども考えていた。加えて地方独自の産業育成のための「陸羽銀行」(地方銀行)の設立や地方の人材育成のための「陸羽大学」(地方立大学)の開学も計画した(哲学・政治・農業・理化、医学、文学などの12学部の総合大学)。残念ながらこれらの提案はことごく明治政府によって無視されてしまう。

3・11以後の現在から未来を考えるとき、この小田為綱の思想から学ぶことは多いに意味がある。真の地方主権ということを考えていかない限りベーシックインカムも通貨改革もそのラディカルな実現は達成されないだろう。(この稿続く)

国際金融資本を鋭く批判するイタリア喜劇俳優べッぺ・グリッロの五つ星運動のブログ紹介

http://www.beppegrillo.it/japanese/2010/12/person-of-the-year-2010-movime.html

 

以下、そのブログから「銀行支配」という文章を転載します。

 

かつて議会があり、連邦政府があり、国とその将来について公的な討論がなされた。大して機能していなかったが、代表機関の国連もあった。これらすべては、記憶であり、民主主義的様相の灰で、過去の埃である。何も価値がなくなってしまった。他の組織は、人々にとって、WTO、BCE、IMFという神秘的なマークによって時代遅れになってしまった。私たちの運命は、彼らの手中にあるが、私たちはそれが誰によって操られているのか知らない。誰が目的を決めているのか知らない。誰も代表者を選んだわけでもないが、彼らに私達の生活は依存している。欧州中央銀行(BCE)は、政府に対して、脅しのレターを出すことができる。WTO は、自由経済で世界をむちゃくちゃにすることを決められる。 生産は多国籍企業がインドの子供か中国の労組のない権利のない労働者に任される。 何のグローバル競争について私達は話をしているのだろう。規則や権利が同等であれば競争は存在する。グローバルな搾取、産業化した先進諸国の給与の低下、前世代からの戦いで得た社会的、労組的成果の喪失について話したほうが正しいのではないか? いったい誰がすべてを決めたのか?WTOか。誰の名において?ギリシャはすぐにデフォルトにはならない。もし破綻したら、ギリシャの国債を有するフランスの銀行が倒産するから。 だから、まずその国有財産を売り、銀行を救済しなければならない。世界は銀行中心で社会政治についてはもう話題にもならない。EUはBCE、国連、WTOに取って代わられ、政府はIMFにとって代わられた。戦争自体が、リビア戦争で明らかになったように、もやは単に経済的目的しか持たず、もうイデオロギーや宗教、領土の戦争ではない。銀行は戦争に投資し、戦争が銀行に投資する。ホテルでは、身分証明書の代わりにクレジットカードを求められる。子供が生まれると、小児科医が決められる前に、財政赤字の分担分とともに納税番号が与えられる。政治家たちは、銀行家たちの給仕係で、私たちがその勘定を払うのだ。

【翻訳】リミニでの我がオスカー授賞式 マイケル・ハドソン

 イタリアの町、リーミニ(フェリーニの生まれ故郷で有名)で、ケインズ左派のマイケル・ハドソンらの通貨改革などの経済問題の話を2100人もの人が集まって聞いたというYouTubeの会場風景映像と、そのハドソンの報告をお伝えします。

 

原文:Our Very Own Oscar Night in Rimini By Michael Hudson 

 

  マイケル・ハドソン: 前証券エコノミスト。UMKC(ミズーリー大学カンザス校)の著名な研究教授。”Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire”(new ed., Pluto Press, 2002)他、著書多数。近刊予定 ”Hopeless: Barack Obama and the Politics of Illusion” (AK Press)に寄稿。(本稿は、2012年2月27日、website「カウンターパンチ」に掲載された[前日、アカデミー賞授賞式でオスカー像が授与されている]。

 

  私はちょうど、イタリアのリミニから帰った時だった、リミニでは、研究人生のなかでももっとも素晴らしい光景のひとつを経験した。カンザス大学ミズーリー校(UMKC)に関係する我々4人は、現代通貨論(MMT)について3日間にわたって講演するために招かれ、欧州が何故今日のような通貨危機にあるのを説明し、他の選択肢があること、99%に課せられた緊縮財政と1%による巨大な富の獲得が自然の力によるものではないことを説明した。

 

  ステファン・ケルトン(UMKCの経済学ブログNew Economic Perspectivesの次期代表・編集者)、犯罪学者・法学教授のビル・ブラック、投資銀行家のマーシャル・アウエルバッハと私は、フランスの経済学者アラン・パークスとともに、金曜日の夜、講堂となったバスケットボール場に踏み入った。2100人以上と伝えられた聴衆で満員の会場の中央通路をはるばると歩いた。聴衆が我々をファーストネームで呼びかけ、オスカー授賞式会場に入るようなものだった。彼らは全員が我々のブログを読んでいるとのことだった。ステファニーは、ビートルズがどんなに感じたが判ったと言った。スポーツイベントではなく知的イベントのための拍手が長く続いた。

 

  もちろん、対戦相手がそこにいなかったことが違いであった。多数の報道陣がいたが、優勢なユーロ・テクノクラート(欧州の経済政策を決定する金融ロビーイスト)は、緊縮策への可能な代替策の議論が少なければ少ないほど、彼らの横暴な金融支配を貫徹することがより容易になることを願っていた。

 

  我々の米国から(アランはフランスから)の飛行機代とリミニ海岸のフェデリコ・フェリーニ・グランド・ホテルの宿泊費集めのために、聴衆の全員が寄付をしてくれていた。会議は、パオロ・バルナルド記者が組織したものだが、彼はランダル・レイとともに現代通貨論(MMT)を学び、イタリアのマスコミ文化のなかに、何が欧州の生活状態を実際に決定づけているかの議論の必要があることに気づいた。その議論とは、この危機を、領地を拡大する新しい金融領主となる機会とすることを願う金融エリートの登場、赤字を賄うような中央銀行を持たず、公債所有者とネオリベラル[新自由主義]派から選ばれたユーロ官僚の世話になっている政府が売り払いつつある公的領域の民営化ということについである。

 

  パオロと多数の通訳・インターンのサポートスタッフは、米国では最近までほとんど聞くことのなかった金融・税理論へのアプローチを聞く機会を与えてくれた。ちょうど1週間前のワシントンポストは、現代金融論(MMT)をレビューする記事を掲載し、フィナンシャル・タイムズは長文の討論でフォローした。しかし、その理論は、主としてUMKC経済学部とバード大学レヴィー研究所(我々の大半がそれに関係しているが)でのものにとどまっている。

 

  我々の主張の主眼は、商業銀行がコンピューターのキーボード上で信用創造する――借主が利子付き借用証書に署名するのと引き換えに当座勘定信用を与える――のと同じように、政府も貨幣を創造することができるということである。銀行から借り入れる必要なくして、キーボードが行うと同じように、政府が財政支出を賄うためにほぼ自由に信用創造することである。

 

  もちろん政府が自由に信用創造するといっても、政府は(少なくとも原則として)、長期の成長と雇用を促進するために、それを支出することが違いである。それによって公的インフラに投資し、健康ケアその他の基礎的な経済的機能を調査・開発し、提供するのである。銀行のそれは、もっと短期枠のものであり、所定の担保物件の提供を条件に貸し付ける。銀行の貸付の約80%は、不動産担保の住宅ローンである。その他の貸付は、リバレッジド・バイアウト[買収先企業の資産を担保とした借入金による企業買収]と企業買収のためになされている。しかし、企業による最近の固定資本投下の大半は、内部留保から賄われている。

 

  残念ながら、企業利益の流れは、ますます金融セクターに向けられている。銀行への返済や違約金としてだけではなく、自社株の買戻しのためにである。その目的は、株価を維持し、それによって今日の金融化された企業が経営者に与えるストック・オプションの価値を維持するためである。株式市場――教科書の図表では、いまだに新しい投資資金を集めるものだと説明しているが――について言えば、高利のジャンク債のような信用をもとに企業を買収し、株を借金と交換する道具と化している。あたかもそれが事業を行うための必要経費であるかのように、利子の支払いが控除されるので、企業の所得税負担が低減されるのである。課税当局が放棄するものは、だらけの経済によって富を得る銀行と公債所有者への支払いのために利用されるのである。

 

  脱工業化経済、金融型経済の時代へようこそ! である。産業資本主義は、金融資本主義の諸段階の連続の時代に入ったのである。:バブル経済から、[企業の資産から負債を差し引いた場合にマイナスとなる]負の資産、担保権執行の時代、債務デフレ、緊縮財政、とくにPIIGS(ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン)をはじめとする欧州諸国の陥った債務支払いのための日雇い労働者身分のような段階へ、である。バルト諸国(ラトヴィア・エストニア・リトアニア)は既に余りにも深く債務に陥ったため、住民が外国で仕事を探し、借金を背負った不動産から逃れるために移住しつつある。2008年の銀行暴利の崩壊以来、同じことがアイスランドを見舞った。

 

  経済学者は何故、この現象を論述しないのか? その答えは、政治的イデオロギーと分析上の目隠しの組み合わせである。日曜の夕方に会議が終わるやいなや、例えば、ポール・クルーグマンの「ニューヨーク・タイム」のコラム「欧州を苦しめているのは何か?」(2月27日、月曜日)は、欧州問題を単に、自国通貨の切り下げができない各国の無能力のせいにした。彼は、問題を欧州の福祉支出、財政赤字をユーロ圏問題の原因とする共和党の路線を正当に批判したのだ。

 

  しかし彼は、EU憲章にガラクタ経済学者が書き込んだ結果として、赤字を通貨化[公債を引き受け]できないという、欧州中央銀行(UCB)に科せられた束縛の問題を説明から除外している。

  「もし[EU]周辺国がまだ独自通貨を持っていたならば、急いで競争力を回復するために自国通貨の切り下げという手段を使えるし、使うだろう。しかし、そうはしない。ということは、それらの国は長期の大量失業と緩慢で過酷なデフレの状態に置かれることを意味する。彼らの債務危機はおもに、この悲しい展望の副産物なのである。落ち込んだ経済が財政赤字につながり、デフレが債務負担を拡大するからである。」


  貨幣価値の下落は、輸入品価格を上昇させる一方で、労働力の価格を引き下げるだろう。外国通貨建ての債務負担は、通貨切り下げと調和させるなかで増大するだろう。それによって、政府が自国通貨建て債務を切り下げる法律を通さない限り、さらに問題を生み出すこととなる。これは、(米国がそうであるように)公債はつねに自国通貨建てで発行せよという、国債金融の第一義的指令を満足させるものとなる。

 

  1933年、フランクリン・ルーズベルトは、合衆国内の融資契約における「金約款」(銀行その他の債権者が債務者から同等価値の金で支払われることを可能にしていた)を撤廃した。しかし、クルーグマンは、いつもの新古典派的手法において、債務問題を無視している。

 

  とくに苦しんでいる国には、悪い選択肢しかない。デフレの痛みを味わうか、ユーロから離れるという大胆な選択肢しかない。それは、他のすべてが失敗に終わる(ギリシャはそれに近づいている)までは政治的に実行不能であろう。ドイツは、それ自身の緊縮政策を改定し、インフレを受け入れることによって助けることができようが、それはありえない。

 

  しかし、ユーロから撤退する国がユーロを苦しめているネオリベラリズム政策を維持するならば、ユーロから離れても、緊縮財政、担保権執行、債務デフレを回避するのに十分ではない。ユーロ後の欧州経済が中央銀行を有し、なお公的財政赤字を賄うことを拒否し、政府が商業銀行や公債所有者からの借金を強いるとしたら、どうだろうか? 政府が、経済に対してその成長力を提供することよりも財政をバランスさせるべきだと考えるとしたら、どうだろうか?

 

  アイルランドのように、政府が公的福祉支出を削減したり、損失を出した銀行を救済したり、赤字の銀行に政府のバランスシート上で賭けをさせるようになったら、どうだろうか? ついでに言えば、アイスランドができなかったように、政府が不動産担保ローンその他の債務を債務者の支払い能力までに減額しないとしたら、どうだろうか? その結果は、なお続く債務デフレ、財産への担保権執行、失業、そして国内の経済と雇用機会の縮減による国外移民の波となるだろう。

 

  それでは何がカギなのだろうか? 中央銀行が設立されたときにやるべきこととされたことを行うような中央銀行を持つことである。すなわち、政府の財政赤字を貨幣化[公債を買い取ること]して、経済成長と完全雇用のために最善の方法で、お金を経済に投入できるようにすることである。

 

  これがMMTのメッセージであり、我々5人がリミニの聴衆に説明するために招かれた意味であった。何人かの参加者がやってきて、はるばるスペイン、フランスから、そしてイタリア中からやってきたと説明した。新聞・ラジオ・テレビから多数の取材を受けたが、政治的にまずいとの理由で、主要メディアは我々を無視するよう指示されていたと聞かされた。

 

  それが、ネオリベラルの通貨緊縮策なのである。そのモットーはTINA(There Is No Alternative=選択肢はない)であり、事態をこのように維持したいのである。どれだけ多くの選択肢があるかの議論を封じ込めることができる限り、市民がその生活条件が縮小され、富が経済ピラミッドの頂点の1%に吸い上げられることに、市民の黙従が続くことが彼らの願いなのである。

 

  聴衆は、何よりもステファン・ケルトンからその説を聞きたがった。彼は、経済学について私がこれまでに聞いたなかで、もっとも明確な説明を提示した。MMTの論理のユークリッド的な提示である。映像を見て欲しい。最後には、コンサートのように感じた。

 

  本当の中央銀行がどのように緊縮を回避し、雇用を後退させるのではなく促進するかについての経済上の説明を聞くために会場を埋めた聴衆の規模は、国民を洗脳しようという政府の企みがうまくいっていないことを示すものであった。政府のそれは、ハーバード大学経済学部101番教室に、はるかに及んでいない。ハーバードの学生は、間接債務、金利などの不労所得でのただ飯食い、そして寄生的金融の分析を除外した経済の図式絵を描く非現実的な異世界に抗議して、退場したのである。