ゴキブリでもわかるというのは、ゴキブリをバカにしているからではない。ゴキブリは人類が進化の過程で登場するはるか以前から、たくましく、地球上のあらゆる生態系に入り込み人間の作り出した都市空間も利用して生きている。ゴキブリたちからすれば、人間の浅はかな政治経済制度などお笑いものだろう。そんなゴキブリたちにも深く納得してもらうのが本稿の目的である。
日本経済新聞の朝刊で、哲学者の萱野稔人さんが、連続してベーシックインカムに批判的な論を展開している。大きな批判点は、財源が不明確で、広く一律にベーシックインカムを支給するよりも、福祉制度などで困っているところに重点的に配分したほうが合理的で有効である~~ということにつきる。この批判は、大部分のベーシックインカム論者にはあてはまる。たいていのベーシックインカム論は、財政難の国家体制の中、税金で福祉制度のリストラによりベーシックインカムの財源を出していこうとするものだからである。そして、現物給付を含めた福祉制度の持続性とベーシックインカムの制度設計を打ち出せていない。これでは、論客の萱野さんにバッサリやられてしまう。ゴキブリだって
「まあ、ベーシックインカムなんて無理!無理!」と言うだろう。
だが、「実現を探る会」で主張されている、通貨改革による国民通貨(公共通貨ないし政府通貨)発行とそれによる国民配当(ベーシックインカム)となれば全く違う展開になる。
そもそもの問題点は税財源論のベーシックインカムを批判する萱野さん自身が、国家の財源は「税」しかないと誤解しているからだ。本当は、国家の財源のポイントは「通貨発行権」というものにある。読んで字のごとく、お金を創る権利だ。これがあれば怖いものはない。
通貨発行権の具体例を考えるには、断末魔の悲鳴をあげているアベノミクス(量的緩和政策)がとても良い反面教師となっている。日銀は通貨発行権という権力をもっている、だから、アベノミクスでも、年間80兆円もの大量の資金を国債を買うことで市場に供給した。でも、2%のインフレにも何にもならなかった。それで、このお金はどこへいったのか?それは、日銀にある一般の銀行(市中銀行)がもっている「当座預金」というところへどんどんたまっていっちゃったんだ。2017年7月12日現在で日銀当座預金は、359兆円もある(アベノミクス前の2013年2月は43兆円)。たとえば、この359兆円は、金融用語で「ブタ積み」と言う役立たずのお金だから、これを直接ひとりひとりの国民に配った方(国民配当)が合理的なデフレ対策になるというものだ。なぜなら、ブタ積み預金が、有効なひとりひとりの暮らしの消費のお金になるんだから。もちろん、このムダ金を介護現場などの困っているところに配分したってかまわない。使い道は、「まっとうな」政治の在り方が決めていくことになるだろう。
ただ、通貨発行権は、これだけではない。さっきの日銀が国債を買って流したお金は日銀当座預金に溜まったといった。これに、日銀は一万円などの現金も印刷しているから、これらをあわせてベースマネー(お金のパン種みたいなもの)という。このベースマネーの一部である日銀当座預金は、一般の銀行(市中銀行)のものだから、銀行は、このお金を使って、企業や家庭に融資して利ザヤを稼ぐということになっている。銀行が貸したお金は、ほとんどが、銀行預金となるから貸し出しを増やせば増やすほど預金がふえていくことになる(信用創造という)。この「預金」は引き出したりカードで使えるから、現金と全く同じで「預金通貨」と言われている。これもお金なのだ。となると、一般の銀行も「通貨発行権」をもっていることになる。この預金通貨の総体をマネーストックとかマネーサプライとかいうが、この全体の額は2017年6月で1301兆円もある。
(ただし、アベノミクスは、この銀行貸し出しはほとんど増えなかった。だから、ブタ積みになったというわけ)
ここで、おさらい。「通貨発行権」は、「中央銀行=日銀」と「市中銀行(一般の銀行)」の二つがもっているが、この両方の権利でざっくり1000兆円以上のお金が生み出されるということになる(国民通貨の発行)。これを使うと、国民配当(ベーシックインカム)や他の福祉財源は、しっかり確保されるわけだ。それに、リーマンショックのときのデリバティブなんていう錬金術的金融工学をつかったときには、さっきのベースマネーの100倍ぐらいのあぶく銭を創り出したなんていう話もある。お金はあるところにはあるもんだ。
ただ、注意点がひとつ。国の富の総量をきちんとチェックしてお金を創らないとインフレっていうお金の価値がなくなっていくやっかいなことになるから、無限にお金を創ることはできない。みんなの富を適正に分配するのがお金の本当の役割だからね。
ここは、無限に増えていくほどのパワーをもっているゴキブリたちにも理解してもらえると思う。増えすぎたら餌がなくなっちゃうから。
こんなところで、今回は、「通貨発行権」が大切!ということを、萱野さんをネタに
考えた。深くは、「実現を探る会」の関曠野さんの講演録などを参考にしてください。
(2017年7月13日)
2017.07.13 | Trackback(0)
フィンランドのベーシックインカム報道について
ベーシックインカム・実現を探る会代表 白崎一裕
ここ2~3日の間に、ネット上で「フィンランドでベーシックカム導入!」という記事が英文や日本語などで紹介され話題になりましたが、後に「誤報」と伝わりました。
http://www.basicincome.org/news/2015/12/finland-basic-income-experiment-what-we-know/
たとえば、非正規雇用の増大などによる労働市場の変化、公的支出の増大、福祉制度の煩雑さや官僚化等々、日本も含めて世界的規模で問題になっている課題に対してなんとかしようという問題意識です。
今後のスケジュールとしては、他国のベーシックインカムの試験的導入などの調査などもまとめて2016年春に政府に提出して、そこから制度設計を2016年後半にかけて試行し、その制度実験を2017年にスタートする予定らしいです。
2015.12.10 | Trackback(0)
2012.11.10 | Trackback(0)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120213-00000000-san-pol
また、橋下氏がTwitterでも踏み込んで発言していることもあり、現時点でBIについて考えていることが見えてきましたので、分析・評価してみます。
http://blogos.com/article/31892/
http://blogos.com/article/32052/
評価できる点は、補助金を業界団体という供給サイドから、住民という需要サイドに振り向けることがBIだとしている点です。私たちの資源を法人から個人へと移すことになるわけです。そして橋下氏が指摘するように、役所の権限や仕事を減らすことにもつながるでしょう。莫大な財源が眠るとされる特別会計にメスを入れてBIの財源とする財源論が一部で支持されていますが、それとも重なるところがあるでしょう。
しかし、他方でTPPに賛成し、成長戦略という名のもとに供給サイドに補助金を振り向ける可能性も見られ、両者は矛盾しているように見えます。TPPに賛成しては、海外から安い商品とサービス、労働力が流入してしまい、せっかくBIで需要を底上げした分を損なってしまいます。
さらに、負の所得税とBIを抱き合わせで提案している点が疑問です。負の所得税はミルトン・フリードマンが提唱した考え方で、福祉を全て民営化して、その分を一定収入以下の人に、所得額に反比例して現金支給する方が効率的であるとする考え方です。これは、すべての個人に購買力を与えて需要を底上げするというBIの考え方とは矛盾します。BIそれ自体は、弱者への生活支援を目的とする福祉とは何の関係もなく、それ故に負の所得税とも何の関係もありません。
確かに、橋下氏は福祉の財源を削減して、それをBIに充当しようとするツイートも書いていますので、負の所得税への志向性もあるのでしょう。しかし、両者は根本的に考え方が異なりますので、両者を混濁している点に疑問が残ります。
詰まるところ、流行りモノに飛びつくばかりで、橋下氏が何を目指しているのかよく分からないように見えます。私たちの資源を個人に移すというBIの原点に立ち返って、そこから全体の構想を練っていただきたいと願います。そこに立ち返れば、中央省庁や大企業に資源を集中させてきたこれまでの我が国の体制を転換することにつながり、BIは脱原発や地方分権を推進する上での大きな力になることでしょう。
追記:ヤフー「みんなの政治」でも取り上げてもらいました
Yahoo!みんなの政治 - 無条件で最低生活保障「ベーシック・インカム」とは
2012.02.24 | Trackback(0)
堀江貴文氏(ホリエモン)のときもそうだったが、著名人がベーシックインカム(以下BI)を論じるとたちまちネットを中心に盛り上がるのが、BIの常だ。今回も橋下氏という人気政治家の「船中八策」なる政策プランにBIがとりあげられて、話題になっている。さて、中身はどうなんだろうか?
1、橋下BI論は従来議論の延長線上
橋下氏の政策原理は、行政スリム化を中心とした緊縮財政の延長にある。これは、シンプルな社会政策BIと相性がいい。また、堀江さんをはじめ、いままでのBI論もこのことは主張してきたところだ。年金・生活保護・失業保険などなどを統合するスッキリした現金給付としてのBI、それらにかかわる行政コストを削減するBI、行政の補助金などの行政サービス供給側の論理ではなくて、需要者(消費者、ユーザー)側に直接へ直接BI~~~。こういうことは、橋下さんの行政批判・公務員批判と合体して力をもつだろう。
2、行政批判が公を破壊する可能性
これまでの行政の無駄や補助金ズブズブの公共事業などは批判されるべきで、行政があたかも「公」の顔をしてふるまってきた構造は、大阪にかぎらず確かに問題なのだ。だが、その行政を批判することで「公そのもの」まで、BI導入を口実に葬り去るのは感心しない。公とは、地方や国家などの共同体が存続していくための事柄すべてであり、その中身は、みんなの公論で決めていくものだ。昔は、国家そのものが公だった国家主義の時代もあった。しかし、現在は公論で公のあり方を決めていく。たとえば、世界版の公論の結果による国際人権法からすれば、公のひとつに「国家の義務は、市民ひとりひとりの人権擁護」ということがあげられる。
3、BIで無駄な役所の仕事を一掃できるのか?
公論で公の仕事を決めていくとなると、かならずしも、BIがあれば役所の仕事がどんどん少なくなるか?というとそうではないだろう。民主党が導入した子ども手当の議論のときにも、手当(現金給付)よりも、保育園の増設・充実(現物給付)を優先させるべきだ、という議論があった。そこでも示されたように、公の仕事に含まれる多様な社会サービスは、BI(現金給付)と共に必要で、そこになんらかの予算措置が必要になる。橋下さんが主張するNPOなども単なる行政の下請け機関ではないとすると、そこに予算手当は必要になる。また、重度重複障がい者の電動車いすなどは300万円するものもある、こういう社会サービス的なものをBIだけで賄うのは不可能だ。
4、BI支給金額8万円の根拠
BI支給金額で議論される月額ひとりあたり8万円という金額の根拠は、これを算出した小沢修司さん(京都府立大学)によれば「月額8万円の根拠としたのは生活保護のうち生活扶助部分であり、教育扶助や住宅扶助、医療扶助などは除いている。それは、教育、住宅、医療など社会サービスの充実はBI実現とは別途図らなければならない~~」(「日本の科学者」2010年5月号)となっている。ここにあるように住宅などのベーシックニーズにかかわる社会サービスは、BIと両輪のように必要だということだ。
5、政治・行政の無駄はどこにあるのか?
橋下さんの主張は、公の顔をしてわがもの顔にふるまってきた行政批判としては、正しい面もあるが、けっこうみみっちい批判でもある。根本的な日本の無駄は、通貨制度そのものに内在していることを橋下氏は無視している。
たとえば、最近、日銀は、インフレ目標として資産買い入れ10兆円上乗せして65兆円とした。日銀は買いオペとして国債購入をすすめるというが、そもそもデフレ下の日本では、市中銀行にお金がだぶついていたのだ。そこで、地方銀行などは、だぶついたお金で国債などを購入して儲けていた。地銀の資産全体に占める有価証券の比率は26.8%で、そのうちの国債などの比率は45.9%もある。日銀の政策は、こういう無駄金を増殖させる資金供給をしているにすぎない。また、2002年の本四連絡橋の収支は、本来ならば、622億円の黒字のはずなのに、金利負担が1087億円もあったために465億円の赤字になっている(『シルビオ・ゲゼル入門』廣田裕之著)。この金利はどこへ支払ったのか?
橋下氏は、上記のような無駄金こそ問題にすべきで、そのためには、「通貨改革」が必須となるのだ。この「通貨改革」で政府紙幣を発行しなければ、BIと社会サービスの巨大な財源もでてくることはありえない。BIなどの財源は、せこい「増税」路線では、とうてい賄いきれないのだ。
6、橋下さんは、アメリカのノースダコタ銀行やスイスの広域地域通貨「WIR」を視察にいくべき。
「通貨改革」の見本が上記だ。もともと農民が設立した州立銀行ノースダコタ銀行の運営や地域通貨銀行として「WIR銀行」までも有する協同組合通貨のWIRなどは、まさに無駄を省いたみんなの幸福のための「公共財としてのお金」のあり方のモデルとなるだろう。
7、BIは、福祉国家の枠組みで考えない。
橋下氏の行政批判は、いまだ、過去の福祉国家批判の枠組みで考えているように思える。福祉国家改良原理としてBIを持ち出しているわけだ。その証拠に橋下氏は、BIをセーフティーネットと主張している。しかし、BIは、そもそも福祉国家とは別物として制度化すべきだろう。その原理は、ダグラスの社会信用論のように過剰生産と過少消費のギャップを埋めるということやヒレア・ベロックのように強制奴隷労働からの解放を求めて万人を有産者にする分配主義に求められるべきだ。加えて、高度福祉国家を支えてきた成長経済が終焉を迎えていることも付け加えておこう。「競争」が大好きな橋下さんだが、ピークオイルなどの課題、ポスト工業化社会の課題などは、ガンバル「競争」で克服できるような代物ではない。
8、「維新の会」で「船中八策」の矛盾
この名称問題を、どうでもいいと思う人もいるだろうが、けっこう今回の本質かもしれないので、メモしておこう。ミーハーな坂本龍馬ファンとしては、船中八策というのは、龍馬単独の作文かどうかはさておいても、龍馬が幕府後の新しい政治のプランを書いたものとして注目の文書だ。
龍馬の師匠筋にあたる勝海舟が「王政復古は薩長の『私』、大政奉還こそが『公』」と薩長に批判的なように、龍馬自身ものちの明治維新をつくりあげた薩長武力討幕勢力には批判的だった。船中八策には、まずは、みんなが議論する議会をつくるようなことが書かれている。龍馬周辺では、京都に議事堂をつくるプランがあったようだ。このように「維新」を実行した薩長軍事クーデター勢力と龍馬の「船中八策」は、実は、相容れない思想なのだ。NHK大河ドラマの福山雅治「龍馬」は「みんなが幸せになる国」を語るではないか。橋下さんもみんなが幸せになるような議論をしながら、みんなで決めていくこと(自治)を考えているのだろうか。もちろん!BIは、みんなのものである。
2012.02.24 | Trackback(0)
以下は、産経新聞の記事である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110807-00000069-san-soci
この記事によれば、原発から30キロ圏内と圏外での義援金の配分に住民の不満が高まっているというものだ。このことを桜井市長が「市民の一体感はまだ未熟だった」と言われるのはよく理解できる。が、しかし、市長の思いとは別に震災・原発事故と日常生活を根底から脅かされている一般市民にとっては、暮らしを支えるお金の問題は深刻なものだ。
その「条件」をめぐって不満がでてくることに私は同情する。本来、対立しなくてもすむところに、国などの対応のまずさから余計なストレスが生じているのだ。
ここは、まず、震災所得保障要求院内集会でも述べたように、無条件・個人単位の震災ベーシックインカムを実施しよう。個人単位で月に15万円が支給されれば、将来への不安も一時的に解消されるのではないだろうか。そして、その上に住宅手当・原発事故避難補償金などの各種、震災復興・福祉支援を構築していくのだ。義援金は、過去最高の額を集めたとはいっても、一律に配分してしまえばたいした金額にはならない。義援金もベーシックインカム支給の上での地域インフラ整備などに充てた方が合理的である。
このことを、ぜひ、行政・国に考えていただきたい。
再度、言おう。庶民の足のひっぱりあいを生ませている根本原因は「政策の無策」にある。
(文責 白崎一裕)
2011.08.08 | Trackback(0)
では、なぜ、「個人単位」なのか?そのことの意味を再考してみたい。
「個人化」は、女性の就業に不利にならない制度ということで、「性や家族形態に中立な」制度に近くなったともいえるだろう。また、家族内の世帯主への権限の集中などの「家族内の不平等・不自由」からの脱却をも促すだろう。
BIは、この「個人化」を究極にまで推し進めて、女性でも男性でも、大人も子どもも高齢者も、障害のある人もない人も、病気の人も健康な人も、すべての個人に対しての支給を主張している。
この「個人化」の基礎にあるのは、基本的人権としての所得保証という考えである。基本的人権は、あくまでも、この世に生をうけた、すべての「個人」に対して保障されている。しかし、その基本的人権に基づいて市民が法の下で自由・平等とはいっても、その自由を行使し平等を享受するためには、それを支える経済的・物質的根拠が必要だ。たとえば、基本的人権のひとつに、思想・信条の自由がある。ここにAさんという労働者がいるとする。Aさんは、自分の労働現場で、その労働現場の不正を内部告発しようとしている。しかし、生計の手段を雇用主に握られているAさんは、生活のために・食うために、自分の思想・信条を押し通して内部告発することが困難な状況にある。こういうときに、基本的人権が法の下に保障されているとはいっても、そこには、欺瞞があるのでないだろうか。
あるいは、誰でも自由に平等に教育を受ける権利というものがある。これも、教育を受ける権利があるとはいっても、学資や教材費の負担の問題、親の資産などの差により、実質的には、万人の教育への権利が保障されているとはいえない。ここにも欺瞞がある。
再定義しよう。
法と経済は融合され、法の支配のもとに経済もおかれなければならない。その中核にあるのがBIなのだ。
以上が、BIが「個人単位」での支給となる本質的な理由なのである。
2010.07.04 | Trackback(0)