関曠野さん講演「生きるための経済」についての質問とお答え

下記は、2009年3月8日「生きるための経済」の講演録に関する質問とお答えですが、これは、当日のフロアの皆さんからの質問をベースにしてはいますが、全面的に関さんが質疑応答部分を書き直して手を加えたものです。

質問にお答えするにあたって ―― 関曠野

三月の私の講演ですが、これは1930年代の大恐慌より深刻と思われる現在の経済危機の中で忘れられた思想家クリフォード・ヒュー・ダグラスの思想を日本の公衆に紹介することを目的にしていました。ですから伝道者よろしくダグラスの思想を至高の真理とか完璧な理論として宣伝したつもりはありません。ドグマへの盲従とか理論崇拝はもう沢山です。ダグラスの思想や理論はあくまでも考えるヒントです。それにエンジニア出身だったダグラスの考え方はもともと実用主義的(プラグマティック)で、知的エリートがすべてをコントロールするといった知性主義的なものではありませんでした。

ただ紹介といっても講演で話したことの中で二つのことは私には譲れない主張です。それは

  1. 政府通貨を発行して、銀行マネー(利子付き負債)で動く経済から脱却する必要、
  2. その政府通貨で全国民に一律無条件に基礎所得(BI)を保証する必要

です。そしてこの二つは以前からさまざまな人たちがダグラスの思想とは無関係に提唱していて、むしろそんなに目新しくない議論なのです。先に自民党内で政府通貨発行の話が持ち上がりましたが、そのきっかけは国連の顧問もしている今のアメリカでは例外的に良識派の経済学者ジョセフ・スティーグリッツが日本政府に「政府通貨の発行でデフレ、財政危機脱却を」と助言したことでした。そして講演で話したように政府通貨発行の例は史上にいくらでもあり、その殆どが大成功でした。

政府が銀行に通貨発行権を与えてわざわざ利子と負債を抱え込んでいることの方がおかしいのです。またベーシック・インカム(BI)も1990年代以来急速に人口に膾炙した言葉になってきています。またアメリカのアラスカ州では不十分なものながら全州民を対象にBIが1976年から実施されています。ダグラスの思想を知らない人たちの間で彼と同じ思想がいわばテンデンバラバラな形で浮上してきている訳です。だからこの人たちの間では政府通貨発行とBIはダグラスにおけるように結びついていません。しかしBIを実現しようとすると財源の問題にぶつかる。政府通貨なしに基礎所得保証を実施できるとは考えられません。他方で、政府通貨の場合、問題は国民がそれを信認するかどうかです。信用できない政府が発行した信用できない通貨と思われたら通貨として流通しません。しかし自分の所得を保証してくれる通貨だったら誰でも喜んで受け取るでしょう。政府通貨の信認のためには、それでBIを保証することに勝る方策はありません。こうして政府通貨とBIは政策的には双子のようなものです。このことを洞察していたダグラスはやはり優れた経済思想家だと思います。

そういう訳で

  1. 政府通貨を発行して、それでBIを保証すべきこと、
  2. その場合、財源の問題は心配する必要がないこと

この二点を理解して頂けたなら私の講演の目的は達成されたと考えています。この政策をことさら社会信用論と銘打つかどうかは、どうでもいいことです。肝心なのはレッテルではなく中身です。

社会信用論には政府通貨、国民配当(BI)、正当価格という三つの基本的政策があります。私の見るところでは、この三つの政策としての比重は、政府通貨が六割、BIが三割、そして正当価格が一割です。というのも、政府通貨が実現すれば経済の基本的問題は解決されるうえBIの実施が容易になるからです。

だからBIの実現を求める人は、政府通貨発行に向けた活発なキャンペーンをやる必要があります。それに較べ正当価格は不可欠な政策とは考えません。しかし実行できるなら望ましい政策ではある。例えば今、デフレの中でスーパーの間で必死の値引き競争が展開されています。ところが消費者はこの先にさらに値引きがあると見込んで必要最小限の買い物だけして財布の紐を締めてします。だから値引き競争は一時的にスーパーの収益を支えても長期的にはデフレをさらに悪化させるし現にそうなっています。これが正当価格のように全小売業種での全商品に対する一律で同じ割合の期限付きの値引きだったら、消費者は割引期間中に欲しいものを買っておこうとするでしょう。デフレ状況では正当価格はきわめて有効なはずです。

社会信用論はかっての「資本主義か社会主義か」といった図式とは次元が異なるものなので、そこに誤解が生じる余地があります。ダグラスの思想には国家主義やソ連型計画経済の要素があるのではないかという質問がありましたが、これもやはり誤解だと思います。まず考えて頂きたいのは、社会信用論においては通貨の発行と管理は一種の公益事業であり、ゆえに公的な管理が必要になるということです。管理されるのはマネーの流れだけです。それ以外の経済生活には国は一切干渉しません。そして通貨は政権担当者の利害や思惑などに全く関係なく、生産と消費をできるだけ均衡させるという具体的で普遍的な目標に従って管理されます。例えば日銀も調査統計局が三ヶ月毎に日本経済に関するデータを収集し、その分析や予測に基づいて金融政策を立てています。だからといって日銀がソ連型計画経済をやっていると言う人はいないでしょう。社会信用論の場合は、日銀が銀行業界の利益のためにやっていることを国民全体の公共の利益のためにやるということです。喩えるなら、車の流れを捌くために警官が交差点で交通整理をやっているとします。これを国家権力の社会に対する介入や統制だと言う人はいるでしょうか。また自治体が上下水道を管理していることを強権の行使だと言う人はいるでしょうか。

また国家主義という誤解の一因は、私が国民経済計算に言及したせいで、経済状況のきわめて正確なデータを国家の専門家が入手して彼らの知識を駆使すれば富の生産と通貨の供給を完全に一致させることができるとダグラスが説いたかのように受け取られたことにあるのかも知れません。もちろん神ならぬ人間にそんな奇跡は起こせません。要点は、銀行マネーという障害がなくなれば生産と消費をできるだけ均衡させようと努力することが可能になるということです。

そして経済をマクロの視点で捉えようとすること自体が国家主義だと言うなら、これは話が別です。二十世紀初めには経済学は未だに(認識論的には)個人主義的なものでした。そしてダグラスは初めて経済をマクロの視点で捉え分析した人で、おそらく彼の影響でケインズがマクロ経済学を創始し、その結果今日ではGDPといった言葉は世の常識になっている訳です。マクロの視点に反感をもつ人は、国家主義というより経済を社会的現象とみなすこと自体に反対なのです。つまりそういう人は、小さく単純で住民はすべて自営業者であるような牧歌的な共同体を経済のモデルにしているのです。そういう共同体なら経済はミクロの視点だけで理解できます。ただマクロの視点に反対の人は、現代経済をそういう小さな牧歌的共同体をモデルにして正しく理解できることを証明する必要があります。「価格」は論じても「物価」は問題にしなくていいことを証明しなければなりません。

ところでBIに対する強い反対論として予想されるのは「そんなことをやると止めどないインフレになる」という論です。講演でも会場から「社会信用論では通貨は供給されるばかりで回収されないように見える(これはインフレになるのでは)」という質問がありました。この問題は検討しておく必要があります。

政府通貨は多くの実例があり、その大半が大成功を収めています。しかしBIは本格的に実施されたことがありません。だから政府通貨でBIを保証した場合「絶対にインフレは起きない」と事前に断言することはできません。ただ通貨の回収がないというのは多分私の説明不足による誤解だと思います。まず注意して頂きたいのは、ダグラスに従えば近代企業経済においては勤労者/消費者は恒常的な所得不足に苦しむことです。この見解が正しいなら、BIを庶民に支給することがインフレ効果をもつことはありえません。そして庶民の所得(賃金+BI)は商品の購入で小売部門に移り、融資された資金の返済の形で小売部門と企業を経由して国立銀行に戻ります。こうして国立銀行による融資およびBIの支給という形で生成したマネーは、消費と資金の返済によって消滅します。

このマネーの流通サイクルでインフレが生じるとしたら、それは需要ギャップの算定を誤り、必要以上に商品の価格を大きく割引き、その割引き分を小売部門に補償した場合でしょう。だから信頼できる国民経済計算の方式を確立することが課題になりますが、計算を誤った場合でもひどいインフレが生じるとは思えません。

それと通貨が回収されないという印象を与えたのは、私が国立銀行と企業の関係に話を限定し税金という問題をカッコに入れたせいかも知れません。税金はもっとも強力な通貨回収のメカニズムです。ただ私としては、徴税はできるかぎり国立銀行の利子収入に置き換えることが望ましいと考えています。ですから何かの事情で富の生産が落ち込み、だぶついた通貨がインフレ要因になったので通貨の回収が必要になった場合には、国立銀行の利子率と正当価格の割引率を引き上げればいいのではないか。政府通貨とBIによって暴走インフレが起きるなどということは考えられません。暴走インフレが起きるとすれば、それは何かの事情で自国通貨の価値が暴落して原油や食料の価格が暴騰した場合でしょう。これは世界の通貨貿易体制にも改革が必要ということで、BIとは別の問題です。

しかし愚かな人民が愚かな政府を選び、その政府が政府通貨を利権のバラマキに使い、選挙での人気取り政策でBIの支給額をやたらに上げたりすれば、ひどいインフレが発生する恐れがあります。これは経済制度自体ではなく、デモクラシーと政府の質というやはり別の問題です。それからBIとインフレということでは、先に言及したアラスカ州の例は研究する価値があるかも知れません。現在この州は州民に一人年約二十万円を支給しています。BIと言えるほどの額ではありませんが、小さな州としてはかなりの総額になります。このアラスカ・パーマネント・ファンドが州の経済にどんな影響を及ぼしたかは研究の余地がありそうです。そして私の結論を言うなら、BIを実施した場合、デフレの危険は根絶される一方、生産された富と通貨供給量の多少のズレによってごく緩やかなインフレが生じる可能性はあるということです。ごく緩やかなインフレはさほど有害なものとは思えません。

講演ではこの国の地方自治体の財政危機について触れる余裕がありませんでした。1930年代の恐慌の当時は先進国でも国家はまだ福祉国家、市民サービス国家ではなかったので、倒産や失業はどれほど深刻でも、国や自治体の破産は考えられませんでした。しかし今の恐慌は、負債デフレによる国や自治体の破産という前代未聞の事態を惹き起こそうとしています。そうなると世界はどこも夕張やカリフォルニアみたいになって、福祉や社会保障の切捨て、基本的な市民サービスの切り詰め、公共料金の急上昇によってまともな市民生活は不可能になります。

自治体財政の危機は、とりわけ日本において深刻です。この国の中央(官僚と政権与党)は1985年のいわゆる日米プラザ合意以降、輸出ドライブを抑制して内需を拡大せよというアメリカの意を受けて地方に地方債の起債によるバブル的公共事業をやらせた。そしてバブル崩壊後にはーおそらく不良債権で窮地に陥った大手銀行を間接的に救済するためにーまたまた地方に地方債による公共事業を強要した。その結果、前から産業の空洞化、人口の高齢化であえいでいた地方は、さらに借金の山に押し潰されることになりました。ただ地方のこうした疲弊は、好調な輸出が経済を名目的には成長させていたお蔭で、いわば粉飾決算により覆い隠されてきました。それが今度の危機で輸出も激減したためメッキが剥げ、以前からのどん底状態が露呈した訳です。

GDPの縮小の度合いでは、日本が受けた打撃は金融危機の震源地のアメリカよりひどい。これはトヨタやソニーの輸出が落ち込んだせいではありません。2007年の国連統計によると、ドイツ、中国、韓国では輸出がGDPに占める比率はいずれも40%台であるのに対して、日本ではその比率は17.6%にすぎません。日本は貿易立国というのは勘違いで、日本経済の輸出依存度はきわめて低いのです。だから今の日本経済の問題は、内需型経済なのに地方の疲弊が原因でその内需が壊滅していることです。国と自治体の財政危機は結局、政府通貨の発行によってしか解決されえないでしょう。そして内需拡大のためにはBIに勝る方策はありません。

最後に、社会信用論には公共通貨、BI、正当価格という三つの基本原則があるだけで、その応用となると国の歴史、国情、制度に即して多種多様であることを強調しておきたいと思います。例えば政府通貨にしても、融資の公共性を誰がどのように認定するのか。国会の多数決で決めていいのか。それとも自治体が融資案を国にあげ、それを国家の三権に新たに加わる機関である国家信用局が審査する方がいいのではなど、いろいろ考えられる訳です。しかしいずれにせよ、政府通貨なしにはBIの実現は不可能であることを再度強調しておきたいと思います。

以下、質問とお答え

公共通貨を発行してBIを給付すると、より浪費・消費経済を加速させてしまうのではないでしょうか?

【答】 生産の目的は消費です。それ以外に生産の目的はあるでしょうか。しかしこのことと近年の「消費ブーム社会」は別の事柄です。1970年代以来先進国の企業は市場の飽和による過剰生産に苦しんできました。そこでマスメディアや広告会社をフルに動員して過剰に生産された商品を民衆に押し付け消費させてきた。フランスのボードリア-ルが論じたような「消費が精神的労働であり、しかも重労働」であるような社会が生じた訳です。だから消費社会を生んだのは民衆の欲望ではなく、銀行マネーで動く経済においては絶えざる生産の拡大が企業には至上命令になるという現実です。しかし信用が社会化され生産を無理に拡大しなくても民衆の基礎所得が保証される社会においては、生産の拡大は至上命令ではなくなるでしょう。企業はもう銀行に利子付き負債を返す必要がなく、所得に余裕のある消費者を相手にある程度利潤を確保すればいいだけなのですから。しかしこれは、社会信用論が実施されれば自動的に低消費社会が誕生するということではありません。ポイントは、もう銀行マネーに生き方、働き方を強制されることがないので、民衆が経済のあり方を選ぶことができるということです。生産と消費が均衡するレベルを選ぶ。そして人間はもともと無限の消費の欲望などもっていないので、衣食住プラスアルファの基本的欲望が充足されれば後は余暇をたっぷり楽しめる経済を人々が選ぶ可能性は大きいのではないでしょうか。

トンガのような小国で貿易で外貨に依存しているような国ではBIは無理ではないか?

【答】 トンガのことはネットで調べてみましたが、人口10万のミニ国家なのに食料の大半を輸入し、先進国の援助、観光収入、海外への出稼ぎ者からの仕送りでその代金を相殺している現状のようですね。BIは先進国しか実現できないものではなく、僅かな所得の増加が大きな効果をもつ南の貧しい国でこそ有意義という議論もあるようです。ナミビアではキリスト教会が小さな村でBIを実験的に実施してみたところ、かなりの成果があったそうです。しかしトンガの場合、BI実施の前提になる国民経済、国内の経済循環というものが成立していないようです。とくに豊かでなくてもいいから、まず経済的にある程度自立することが必要でしょう。政府通貨の裏付けになるのは一国の富を生産する能力ですから。

労働と所得を切り離すと、働かない人間が増えるのではないでしょうか?

【答】 人間は「パンのみにて生きるにあらず」で社会的評価や人との交流を求めるものだと思うのです。BIがあればこれ幸いと家に籠もってダルマさんになってしまう人の方が珍しいのではないでしょうか。また私の考えでは、いつの時代でも人口中の本格的な怠け者の比率は変わらないのではないか。だから今の競争社会でも人にたかって食っている怠け者が一定数いる訳です(これはいわゆる「引きこもり」の人のことではありません)。「怠け者が増える」という説に関しては、かなりの額の年金をもらっている高齢者の生活実態を社会学的に調査してみたらどうでしょうか。家でゴロゴロして奥さんに粗大ゴミなどと言われている人もいますが、これは好きで怠けているのではないでしょう。それからビジネスではなく芸術や学問、ボランティア活動などに専念する人たちが増えることは環境保護になります。私が気になっているのは、むしろBIによって3K労働をやる人が減る可能性です。3K労働などなくなった方がいいかも知れませんが、中には社会の存続のためにどうしても誰かがやらざるをえないものがあります。これをどうするかは大問題です。

国民の側が、ある種の企業・産業を発展させたい場合、そのことをどのように国立銀行に反映するのでしょうか。

【答】 これは上記のコメントで触れましたように、どのような形で事業の公共性を認識し政府通貨による融資を決定するかという問題ですね。これは草の根市民集会による討論と決定からスイスのような人民発議権や国会での審議までさまざまな形と手順が考えられるでしょう。つまりこれは社会信用論というよりデモクラシーの望ましい有り方の問題だということです。

国立銀行から企業などに融資するシステムは、国による一元化された管理社会になる恐れはないか。また、「社会信用論」全体の仕組みが、国家管理を強めるのではないか?

【答】 これについては上記のコメントですでに答えたと思います。国立銀行は通貨を一種の公益事業として管理するだけです。管理の基準になるのは経済統計で特定の党派の利害やイデオロギーではありません。もし悪質な政府が国立銀行を私物化するとしたら、それは通貨ではなくデモクラシーの質の問題です。ついでに言えば、今の経済は銀行(日銀)によって一元的に管理されています。

BI論者のほとんどが貨幣を論じていないが、それは、なぜでしょう。

【答】 やはり欧米でもBIの研究者は福祉国家論からBIに関心をもった人が多いせいだと思います。それだけ最初にBIを提唱したダグラスが忘れられていたということでしょうね。

障害者福祉などの現物給付の制度などは、BIが導入されたときにどうなるのでしょうか。BIと現物給付などは両立するのでしょうか。

【答】 BIと福祉は論理的に違うものであることをメールマガジンに書きましたので、「ベーシック・インカムは福祉なのか」という拙文を読んで頂きたいと思います。

http://bijp.net/mailnews/article/84

国民配当という名称だが、なぜ「国民」なのか?

【答】 これはダグラスがそういう言葉を使っているというだけの話で、名称は社会配当でも市民配当でも構わないと思います。

BIの実行単位は、「国単位」か「地方自治体単位」なのかそれとも「世界単位」なのか?

【答】 社会信用論は、銀行資本が私物化している通貨システムを市民の公共の利益のためのシステムに作り変えるものです。そしてどの国でも銀行資本は銀行の利益の立場から国民経済に通貨を供給する中央銀行、つまり銀行のナショナルなカルテルに代表されており、銀行券もナショナルな通貨として発行されています。社会信用論はこの見かけだけの公共性を本当の公共性に変形させます。ですからBIもナショナルな政府通貨によって支給され、政府通貨の価値を裏付けるものは国の実体経済の実力ということになります。もし現に世界通貨を管理している世界中央銀行が存在していたら、BIも世界通貨で支給されるでしょうが、そんなものはありません(ちなみにドルの世界貿易の準備通貨としての地位が危うくなる中で、国際金融資本の内部には、この際、国際金融資本の出先というべきIMF,世界銀行、スイスのバーゼルのBIS(国際決済銀行)などを世界通貨を操る世界中央銀行に作り変えようとする動きがあるようです。各国の中央銀行の場合はまだナショナルな制度であるかのように装いますが、世界中央銀行ならば人民の世論に全く影響されない銀行資本のグローバルな独裁が実現してしまいます。こんな動きは絶対に許してはなりません)。

適正価格の仕組みですが、一般的な需給ギャップで25%値引きするというプランですが、これは、すべての製品に対して行うのでしょうか。ものすごく売れている製品などは別の扱いのような気もするのですが?

【答】 正当価格の課題はマクロの観点から生産と消費のギャップを埋めることです。個々の商品の売れ行きが問題なのではありません。ですから売れ筋の商品が他の商品と一律にディスカウントされたら、それはさらにどんどん売れて需要ギャップを縮小させることになるでしょう。

ベーシック・インカムを支給し続ければ、インフレになるのではないか。インフレにしないためにばら撒いた貨幣(国民配当)をどのように回収するのかということが、いまひとつ、よくわからなかった。

【答】 これについては上記のコメントですでに答えたように思います。BIをやるとインフレになるのではと言う人は、近代の企業経済においては勤労者/消費者の恒常的な所得不足が生じるという社会信用論の根本的決定的な認識を軽視しているのではないでしょうか。この所得不足があるから庶民に対するBIの支給はインフレ効果をもたないのです。

ダグラスの意図からすると国民経済計算を行って全てのモノやサービスに正当価格を決めるということになるのであろうか。ダグラスの想定しているのは市場経済なのか価格統制経済なのかと疑問に思う。正当価格は、「価格統制」になるのではないか?

【答】 価格統制とは政府が市場における需要と供給など無視して特定の商品に関して価格の上限や下限を決定し、それに違反すると処罰されるものです。正当価格は名称で誤解されますが、需要ギャップに即した商品価格の割引率のことです。価格自体を決めるものではなく、また割引分は後で補償されます。この割引は政府によって処罰規定まで設けて小売部門に強制さるべきものなのでしょうか。私としては政府が流通大手に一律割引を要請し、業界がその要請に応じるならば効果は充分にあるだろうと思います。強制や課税が経済の問題を解決することはありません。調整coordinationが肝心なのです。ダグラスの方策は市場経済からその動脈硬化や貧血の原因を除去します。そして私利や利潤も否定されていません。しかし市場とは何よりも消費を目的とした生産を実現するものであるという基本的事実が忘れられてはならないのです。

BIは外国人には支給されないのですか。

【答】 これについては原則的に日本に国籍があることがBI受給の条件になると思います。これは排外的民族主義には何の関係もありません。BIは福祉でも定額給付金のような線香花火的な景気刺激策でもなく、BI支給の根拠は市民権です(生活保護の根拠になっている現行憲法第25条ではありません)。社会信用論は経済を根本から民主化する試みであり、ゆえにBIという所得への権利は政府通貨が公共の利益に即して使われているかどうかを監視し議論する市民としての責任と義務を伴うのです。これが外国人には支給されない主な理由です。しかし外国人でも永住者や長期滞在者にはその社会と文化への貢献を根拠にBIを支給することが検討されてもいいと思います。そして日本がBIを実現して恐慌を克服すれば、どの国でも人民は政府に同じ政策を要求するに違いありません。世界的に模倣されるような実例を示すことが真の国際貢献になる筈です。

BIは貧困を解消すると思いますが、所得格差にはどう関係するのでしょうか。

【答】 所得格差が問題になるのは、それが極端なものになって経済を破壊し恐慌に行き着く時です。レーガン革命以降の先進国では人口の数%のスーパーリッチが国の富の60%以上を所有する一方、中産階級は低所得層に、低所得層は窮民になるという格差の絶望的な拡大が生じました。そしてスーパーリッチの富は非生産的な投機に使われ、経済はギャンブル化して極度に不安定なものになりました。社会信用論はこういう経済の金融化、資本の異常な集中を解消し経済を安定させます。その結果として、慎ましく暮らしているが将来への不安はなく何の不自由もしていないという層が人口の大部分を占めるようになるでしょう。

BIより生活保護の拡充や最低賃金のかさ上げを目指すべきという意見もあるようですが。

【答】 先に述べたようにBIと福祉は論理的に別のものです。生活保護の拡充はBIの代わりになるものではありません。また最低賃金のかさ上げは大企業には影響がなく、ぎりぎりの採算で操業している零細企業を苦しめるものです。そういう企業は従業員の採用を控えるでしょうから失業が増え、とくに若者にとって低賃金でもキャリアの入り口になる雇用が失われる恐れがあります。

基本的必要は誰が定義するのですか。

【答】 この質問には勘違いがあると思います。BIは誰かが基本的必要を定義し、それに基づいて支給されるといったものではありません。BIは一律無条件に経済的に余裕がある人にも支給されるし、個々人はそれを好きなように使っていいのです。ただBI論議とは別にですが、最近は絶対的貧困の解消という問題意識から、人間の基本的必要についての考察なしには効果的な政策は立てられないという議論があるようです。この議論に関心がある方は、WIKIPEDIAの「BASIC NEEDS」の項目を参照してください。

http://en.wikipedia.org/wiki/Basic_needs

BIを一律に支給することは社会の多様性を損ないませんか?

【答】 例えば衣食住を現物で支給したら軍隊みたいな画一的な社会が生まれるでしょう。しかしマネーがマネーたる所以は、それが何に対してでも多角的に使える交換の手段であることです。そして所得に余裕があれば、カップヌードルと100円ショップの画一的な貧乏から脱却することができるでしょう。それとも貧富の差も社会の多様性として評価すべきだという御意見なのでしょうか。

思想関係の雑誌でBIは新自由主義が推奨している政策という議論を見かけたのですが。

【答】 これは新自由主義のミルトン・フリードマンが「資本主義と自由」の中で負の所得税を提唱したことを指しているものと思われます。負の所得税とは、国が国民の基準年収を例えば二百万に定めて年収がそれに満たない人には逆に所得を補填するという制度です。これはBIと違ってはっきりと福祉国家論の延長で出てきたものです。新自由主義は、福祉予算を直接受益者に渡してしまえば福祉関係の官僚制を維持する費用を節約できると主張する。「小さな国家」の一環としての小さく安上がりな福祉国家ということです。福祉論なのでBIとは無関係な議論です。

今の日本経済に存在する需要ギャップについては、政府の見解では51兆円、ある大学教授の算定では500兆円と、まるで数字が食い違っています。正確な数値を得るためにはどうしたらいいのでしょうか。

【答】 政府や日銀が発表する数字は世論や株価の操作を意図した大本営発表で信頼できません。失業率など「失業」の定義次第でいくらでも変わります。レーガン時代以来先進国の政府はいろいろ統計の取り方をいじってきています。ですからアメリカには SHADOW GOVERNMENT STATISTICS という民間のサイトがあって、政府の統計数字の嘘を暴くことを専門にしているくらいです。他方で学者や民間のエコノミストが出す数字も利害や立場が絡んで必ずしも信頼できません。私の素人考えですが、皮肉にも国際金融資本の手先みたいなIMF,世界銀行、 BISなどの数字が比較的信頼できるのではないでしょうか。しかし個人がIMFに日本の需要ギャップについて問い合わせても答えてはくれないでしょう。現状ではいろいろな統計数字を見比べて自分で信頼できる度合いを判断するしかなさそうです。政府は相手にしないで良心的で有能な学者や民間エコノミストを見つけるしかありません。

SHADOW GOVERNMENT STATISTICS

現在の銀行中心の通貨システムから信用が社会化されBIが支給されるシステムへの段階的な移行は具体的にはどういう形をとるのでしょうか。

【答】 論理的な手順としてですが、まず何党の政権であってもとにかく政府を突き上げて政府通貨の発行に踏み切らせます。そうなると「BIをやる財源がない」という口実がなくなるので、人民の下からの圧力で政府通貨によるBIの保証を実現させます。それと同時に銀行業務から信用創造の機能を段階的に剥奪していくことになると思います。その結果、今の日本銀行券は徐々に日本国財務省券に入れ替わっていきます。

政府通貨の発行で800兆円以上という国の巨額の負債をチャラにできるという話でしたが、そのあたりをもう少し詳しく話して頂けませんか。

【答】 あえて極端な話をします。政府通貨は紙幣として発行されBIの支給などに使われますが、それ以外に電子マネーとしても発行されるとします。そこで膨大な国債をもっている諸銀行に設けてある政府の口座にそれをコンピューターで振り込めば、800兆円以上という日本国の負債は1秒間で消えてしまいます。この行為に技術的な問題はありません。これが可能になる条件は、国民が政府通貨を通貨として信認しているかどうかだけです。そして国民が信認している通貨で貸したカネを返してもらえたのだから銀行が文句をつける筋合いはありません。なぜこんな簡単なことができないのでしょうか。なぜ財政赤字を理由に弱者に対する社会保障が切り詰められたり、消費税増税が議論されたりするのでしょうか。マネーとは即ち銀行マネー(利子付き負債)という固定観念に大半の人々が呪縛されていること以外にその理由はありません。

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