つながりといのちを斬り捨てるBIには、NO!

「“しょうがい”って、どう書くんだっけ?」2010年1月初旬。生活保護の申請に同行したAさん(30歳)の質問に一瞬絶句した。申請を短時間に終わらせようと福祉事務所から聞かれそうな家族状況をメモして貰っていた時だった。

彼はきょうだいに障がい者がいたが「障害」という字が書けなかった。淡々と語る彼の生い立ちは寂しさに満ちていた。彼の家族は父の疾病で生活保護を受給していた。だが母は失踪。後に父の年金受給とともに、きょうだいの障害者年金もあったため生活保護は辞退させられた。(保護費には年金は上乗せされないにも関わらず…)

中学は不登校、定時制高校も直ぐに中退した。家出して建築現場の日雇いで働いた。路上生活に至る2009年末、直前に稼いだ金をパチンコですってしまったと正直に話してくれた。

Aさんは居宅保護を希望していたが、福祉事務所からは食事や就活費用などの現物支給のみの緊急一時保護センターと言われた。申請時にはセンターも無料低額宿泊所も満杯なため、ネットカフェ保護となった。その後、緊急一時保護センターに入れたと福祉事務所の担当者から聞いたが、彼の行方はいま、分からない。

震災を経て1年半たった今、彼はどうしてるだろうか…。誰かに支援されて屋根のある暮らしをしているだろうか…。

貧困を解決するのは金銭そのものより、金銭を活用する力や、より良い支援を引き出す当人の力ではないだろうか。それを私は“つながりをつくる力”と呼びたい。つながりには、人とのつながりだけでなく支援制度とアクセスするスキルも含んでいる。

いま維新の会と橋下市長は、もっとも“つながり”を必要とする底辺の人々を支えるシステムを次々に弾圧している。同じ橋下市長の口からBIが良いなどと言われても、それは私が求めていたBIとは真逆のBIであり、いのちを斬り捨てるBIでしかない!

いま生活保護への凄まじいネガティブキャンペーンが日本中を駆け巡っている。生活保護だけでなく、介護も保育も既に社会の責任から、家族責任へと実態も制度内容も移行している。今こそ、本当はBIを巡る、もっと地に足がついた議論が必要だ。特に維新の会がBIを船中八策にあげた今、BI推進者、特にメディアに影響力を持っている研究者や論客はしっかりとした批判をして欲しい。

私が身銭を切って出版し、実現を探る会が毎週メルマガを発行しても、草の根運動家の私たちにマスメディアは発言するチャンスを与えないのだから…。

維新の会のBI推進で、BIには暗雲が垂れ込めた。脱原発だけが取り柄だった維新の会は、私や関西の仲間たちの予想通り、大飯原発再稼働を容認し、脱原発の看板を半年ちょっとで降ろしてしまった。

脱原発を達成するには、過疎の疲弊をもたらした経済構造の変革が必要で、BIはその切り札となる。ただもちろんバラマキ的なBIではなく、白崎一裕さんの論考のような通貨改革とのセットでのBIなのだが、そういった議論にはなかなかなっていかない。今は、原発を再稼働させないための身体を張った運動だけで精一杯であるが、いずれBIと脱原発の議論が活性化していくことを願ってやまない。

 

白崎朝子

ケアワーカー。著書『介護労働を生きる』『ベーシックインカムとジェンダー』(編著者)共に、現代書館刊。

現在、『福島原発告訴団』への支援ならびに『福島女子のゆるゆる保養合宿』コーディネーター。

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