事前解説 関曠野氏の世界的思想を島之内芸能文化協会が翻訳
ベーシック・インカムと大阪のおばちゃんの陣
大阪の陣は1614年と15年で、今年は400周年です。ベーシックインカムとは、ほぼ関係ないです。
人口の5%が6割の富を持つアメリカで恐慌激発するアホな人類。まず第一に、私たちの置かれている状況は不況ではなくて恐慌だわな。恐慌は資本主義の原理で起きます。第二にそのような原理矛盾を正せる方策は、ベーシック・インカム。・・・すべての国民に一律無条件に生涯にわたり一定の基本所得を支給すること。そしてもう一つは金融資本でなく国民大衆の政府への転換。そのため立ちあがれ、大阪のおばちゃん達。恐慌を防ぐ方法。結論から言いますと。政府は税金をやめる。そして通貨だけ発行する。税金の仕事がなくなるので小さい政府になる。国民に生活ギリギリに通貨を支給する。それだけです。こうすると金融機関と大資本の権力は非常に縮小され、政府は国民大衆の回復を経済より優先してしまうこともできます。貧乏が苦痛なのは慣れてる貧乏人でなく大資本なのです。
こんな簡単なことができないのは、「資本が金を競争で儲ける経済」だからです。国民も気付いてない。
社会主義ではありません。この新経済制度を動かすのは代議士・官僚でなく、地域国民の方法によります。
特にアホの人からベーシック・インカムは怠惰になると言う声が出ていますが、事業のチャンスも政治・社会・文化のチャンスも増えるし、怠惰な人(貧乏無力人)は良寛さんみたいな世間の平和な潤滑油になればよい。その分、3K職はサッカープロ並みの高級職になるでな(そうあるべき)。男性にとってこわいのは、女性が強くなることじゃ。収入が増えてアホぼんと結婚してくれん。だから、ベーシック・インカムはひそかな男性社会の大敵です。だからおばちゃん社会の大阪では案外早期に実現可能ではないか。
多国籍資本の大金融資本が自由に儲けて、世界の伝統を破壊する経済が、銀行主導経済なのです。この体制じゃ安倍さんも日本の財閥のおっさん達もさしあたりアメリカにぺこぺこせんと金が回ってこんのです。これじゃ集団自衛権に反対するのは難しいわな。なおTPPで日本のメーカーはまた向うにあるもんを輸出してしまい軋轢を繰り返すでしょうが。アメリカのアル中あほ親父を食わせているのは世界中のドル借金奴隷です。具体的にはマクドやUSJに行く連中ちゃうか。
金融権力国家アメリカが金兌換をやめたときから、ドルという借金証紙だけが世界の主役になりよった。ドル紙でケニアのバナナも買い占めよるから、ケニア人や日本人は老後の人生のためドルに対抗して笛太鼓か浄瑠璃でも習っておくとよい。自国のすぐれた伝統を発展させれば経済は一挙両得ですで。この点で中国・韓国は日本よりアホや。伊勢内宮のおかげ横丁はチープな江戸時代の街並みを再現して毎日満員になっとるわ。浪曲茶屋いうのがあって、出してるのがジャコごはんと最上等そうめんと漬物、音楽は浪曲や。スパゲティ食うよりええわ。近くのヤマハのリゾート・ネムの里は破たんした。東京は行くとこない。大阪はまだマスコミが黙っとるスリルある場所がある。
自国通貨を国民連帯で発行することです。今の選挙制度は金融資本主義の道具になっていますから、さしあたりは選挙に替えて立候補者の抽選制度でしょう。期間と費用は限りなくゼロになります。
恐慌だということになれば銀行の責任とばれるんで、不況だ不況だと言い張ってるさかい、どこの政府であろうが、やっている政策は何の効果もないんです。ケインズの一番つまらない側面、景気刺激策として一次的に赤字公共事業をやって……というような面だけが評価されている。
ケインズは孫たちの時代においては、人類は芸術や学問など文化的な活動に忙しいだろうと言っています。(いまいち当らんなあ、スマホに忙しいわ)。この管理社会、この抑圧、この差別、この競争を代償とした皮相な豊かさはもうたくさんだ! 人間らしい感性豊かな生活をしたい・・それは60年代、70年代、この時代は巨大な転機の時代でありました。そのとき我々はアホやったので銀行に勝たせてしもたのです。
70年代から全世界的に企業収益が低下し始め、今なおあかん。1980年以降、レーガンとサッチャーによって資本主義の停滞に対する富裕層の反撃がたくらまれた。福祉叩き、新自由主義とか市場原理主義とか。実際、福祉なんてのは貧乏人へのごまかしなんですけどな。あれは金持ちの贅沢を経済の刺激剤にして、庶民には富裕層のおこぼれが落ちるという、人に差をつけたいという欲求で動く経済でしたな。だがアメリカは最大の債務国に転落し、貧富の差が拡大し、さらにグローバル化によってアメリカ国内の産業は空洞化するという状況になりよった。結局あれこれバブルを起こして、住宅バブルでおおこけした。もうゾンビやと言われている。
恐慌と言う悶死に陥る状態に我々は巻き込まれている。今の資本主義は、銀行の資本主義で、産業の利潤の資本主義ではなくなってますさかい。資本主義とは、資本が貴重、常に不足気味だということです。どんどん一攫千金の素晴らしい投資の チャンスがあるのに、それに比して資本が乏しく、産業革命の時代には資本が不足していて、そのせいで資本家による労働者の搾取ということが起きました。それが基本的欲望はほとんど満たされてしまう状況でも続けとる。あんたも別に明日すき焼き食いたないやろ。無理に食わせとる。銀行資本主義は、アホ騙しの無駄なものを作る、贅沢品を作る、危険な兵器などを作る。これが20世紀の戦争と環境破壊の原因であります。資本が過剰になっているのに、資本が不足だった時代の制度が生き残っているのです。資本を「演出」しているのが銀行です。結婚と並んで人類の生んだ最苦痛の制度です。
そういう銀行をどのようにして解体するか。それを考えた人がダグラスという人で、ベーシック・インカムを提唱しました。ダグラスの考えはまだ甘いが、それは決して福祉対策ではありません。彼の主張は、銀行ルートによらず政府が国民に通貨を発行して、それでベーシック・インカムを支給することです。理由は消費なき拡大再生産を防げ、恐慌を防げるです。「うそやろ」ですって。まあ、聞いて下さい。
労働者は絶対に企業が生産したものを総体として買い取れない。労働者が生産したものの価格は労働者の所得をはるかに上回る。価格と所得の間、生産と消費の間にとんでもないギャップがある。マルクスの場合、これが搾取でそのこと自体が悪いと言う彼の神学があった。ダグラスはその搾取の自由(創業者利得)が経済発展段階には有効であり、その後分配されないことが悪いと考える。儲けたいから働く。儲けたら分配せよ。はじめから本気で奉仕のため真剣に働く人間が大半を占めてゆく状況がない社会主義は無理でした。徳川吉宗やレーニンはそういう世界にまれなトップでしたが、だんだん民衆からけむたがられた。シェクスピアの民衆はもっとずっこい。はじめから人のためには働かん。
古典派では、たとえば5億円の労働と5億円の材料設備で、15億円の価値が生まれ、5億円が資本家の利潤になると考えます。この価値は、マルクスでは「労働者が作ったので資本家は搾取している」と考えます。近代法で資本の所有者が所有権を得るのが正当化されるのがマルクスは「詐欺」だというのです。詐欺でしょう。そんなこと言えば大抵の理屈は詐欺ですが。別の考えでは、価値創造にヘゲモニーを持っている資本家がそのヘゲモニーゆえに利潤を受けるというのがあり、私の説です。会社でもヘゲモニーは地位ではなく別の能力から生まれます。たとえば、1億円の売り上げの会社で、開発担当者が10億円の発明をしたり、営業担当者が10億円の受注をとったりしたら、担当者でも経営のヘゲモニーを持ちえます。そして憎まれますな。
通常の近代経済学では、市場で15億円で売れる時だけ15億円の価値があり、労働は関係ない、市場に出している資本家が利潤を得ると考えます。これも明らかに詐欺です。5億と5億で作ったわしの家は、10億円で買う家より絶対住む価値があるのじゃ。そうならんかなあ。前提は、市場で売ることだけを目的に作っていることなのです。市場で売れない物にも重要な価値があることはアホでも明らかで、森林などそうやろ。そういう価値は市場経済では作れない。ざまあみろ。しかも今の市場は金融資本が金で維持している市場なのでますますそれ以外の価値がない。たとえば文楽はそういう価値がない。勝手に破産しろと地元の市長が言うくらいや。それやったらトキもイタセンパラも勝手に死ね。銀行は破産しても救済されますがな。
資本論では、個々の資本家は次の投資に充分な利潤が得られんさかい、その間銀行に預けるほかはなく、銀行はまた投資するほかないさかい、過剰生産恐慌が起こると考えています。マルクスは、「搾取が本質だから結局そうなる」のだとあおりますが、それは彼の正義心で貧乏人の革命(ケンカ)が目的だったからです。だが革命を起こしてもアホは経済のヘゲモニーは取れないのです。ソ連がやった資本の国有化でアホが経営できるわけなかったのです。GDPの大半いらんもんやった。
近代経済学でも、シュムペーターは5億円の利潤あっても、技術革新があればつぎの投資が待っていて足りないと考え、ドラッカーも利潤は搾取でなく投資に必要な分とし、ヴェブレンは、アホ金持ちにぜいたくか慈善に使わせばよいと考えました。ヴェブレンの考えは現在の貧富の差の拡大を皮肉に説明出来ますなあ。彼の代表作はたしか「有閑マダムの理論」です。しかし技術革新がなければ、金は余って使えず資本主義は困窮するのです。ところで、江戸時代の大坂は、金持ちが遊廓で散在して全国の貧農を救いました。あれはまた自分とこに還流することを知っとったさかいや。住友の伊庭貞剛は利潤で非営利の植林事業を起こしました。ただし住友林業は今は営利の材木・建築業やっとるんで、自然林涵養には熱心やないやろう。えっ、いらんこと言うなって。
そこで、ダグラスやケインズの場合は、使われない分を政治が配分すればよいという。この政治は政党にヘゲモニーを渡すか、国民が自分でつかむかですが、権力者はヘゲモニーのプロであり、国民は騙されるプロですから、配分は政治家によって都合よく行われ、国民に配分するふりをしてヘゲモニーの仲間いやボスの銀行と金持ちとに配分されますで、これではあかん。
そのうち1929年の大恐慌でダグラスの言うことは正しいということになった。ケインズは「文明の未来はダグラスかマルクスかによって決定されるだろう。マルクスは(ケンカ腰で)嫌いだ」と書いているそうです。ところがダグラスは大戦後には全く忘れられた人になってしまった。なんでやろか。
ダグラスの所得保証論は彼の信用社会化論の一環として出てくるものです。産業のオートメ化が失業を生み、豊かさの中の貧困というべき現実が生じている。大半の現代人は潜在的失業者やで。働ける人に収入がないということは人類の大矛盾です。買うことができず、その分が売れ残り無駄になり、これじゃ儲からない。人類がみな家庭なら当然分けあたえますけど、それを宗教もよう徹底できん。教団が貯めとる。
ところが相変わらず生産を演出して問題の解決を妨げるパワーが金融資本なんですな。金融資本は、企業には資本が足りない、労働者には所得が足りないから、という。貸して儲けるお前に言われとうない。経済学者でない技師のダグラスがこの矛盾「銀行が融資するというシステム」を否定したことが彼が黙殺された一因であります。経済学者というのはみな銀行機能を自明として認めている連中いや先生です。ダグラスの場合は、マルクスとは違って私企業を否定しません。全体として富が効率よく社会的に分配されるシステムを彼は考えたわけです。彼の場合は銀行が邪魔と見た。あたってるやおまへんか。
銀行制度は、1694年にイングランド銀行が創設され、国家が金貸しに借金するという形で始まった。マネーはあたかも国家の紙幣であるかのように見えますけれども、実際は銀行のためのマネーなんです。そこで私利私欲で動いている銀行がまるで公的機関のようなええ顔をするようになってしもうた。産業革命期になると企業はどんどん製造過程を機械化し設備投資する。これには銀行から融資を受けないとやっていけなんだ。
いまや銀行制度では預かっている預金の何倍ものお金を貸し出している。金融危機のデリバティブだとベースの50倍から80倍という例もあった。一旦不良債権になってしまうとメガバンクでも返せませんで。ええかげん詐欺とちゃうか。
経済は会計学で計算してます。その特徴は複式簿記です。Aさんが銀行に100万円預金し、そこにBさんがやってきて銀行から100万円借りたとする。銀行の帳簿にはBさんに100万円「貸したこと」が銀行の「資産」として帳簿に載る。なんと、無から新しい金を創り出しているのです。記帳一発で。それを会計士がよしよしと言いよる。簿記はすごい詐欺の発明やった。
Bさんに貸した金は、頭から銀行にとっては利子付きで戻ってくる資産になる。実際にはBさんは倒産する場合でもや。これが信用という実は詐欺でんな。銀行は権力の大きすぎるネズミ講や。人間社会のすごい洞察力のあった井原西鶴は小説で商売と詐欺とを区別しよらんと、経済学者からは批判されていますが、実は経済学者の方が単純なんやわ。
複式簿記では、借金はなんと、借方に現金という資産として表示される。この現金つまり通貨・貨幣は、返さねばならない借金の借用証書です。一方現金は自分のものであれば、本当の資産ですが、それでも通貨で持っている限りは、金銀や家や土地のような、本当に本当の資産ではない。最後に払うのはすわっとるアメリカの銀行屋や、ああこわー。
不動産屋が有りもせん物件を先に売ったら直ちに詐欺で御用じゃ。ところが銀行は後にも先にも有りもせんマネーを売ってる。会計や経済学ではその詐欺を部分準備制度と言って堂々と認めている。正しくは充分準備せん制度です。その結果銀行は人々の協力と結合から富が生まれる過程を、東大出雇って頭脳的に横領しながら、おこぼれをもらいたいアホからありがたがられている。どうしょうもない人類の文化じゃと今に分るで。
藤山寛美が高利貸し有難がったというのは、あれは演技でっせ。本気やない。しかし経済学者は金融に本気で感謝している人種、職業です。会計士・税理士・弁護士、みな銀行なかったらいらんわ。
しかも今日銀行信用は社会を組織するもっともどぎついムチであり、真の政府であります。お金の90パーセント以上は流通しとらん銀行マネーです。現代経済はズバッと言うと負債を返済する義務で動いている。もしも100パーセント返し「結構でんなあ」という状態になると、逆に経済は全面的にストップする。それだけは「もう結構でおます」。
銀行にとっては他人の負債が資産で、儲けの源泉である。だからえげつなく必要以上に貸す。銀行制度は、国民の有益なものに金を出さないことができる巧妙なシステムです。社会の利益でなく自分の利益。日本国家に莫大な負債があるということは銀行にとっては大変な資産なわけで、ますます強固な権力になる。すべての政治家がぺこぺこするわけで。もう代表選挙制度の政府ではこれはどうしょうもおまへん。政府は、現在の国民に代わって将来の国民(現代の国民の奴隷と人質です)にツケを回す。今の政治家は今の税金で経営する能力がない無能力者で、頼りは借金能力だけ。現代経済は本格的な奴隷制社会なんです。金の。金フェチや。金がマゾや。金が谷崎のナオミや。なごみやないで。
簡単な解決策としては、命捨てて奴隷の総反乱を起こし、国民が銀行を支配して、無利子で貸す手があるのみ。これがほんまの集団自衛権。無利子なら植林や治水事業・文化事業などもできます。銀行にとって儲かる事業よりもずっと国民に喜ばれる。大阪なら文楽より博打場か。
企業が搾取しても、国民平等に金が無利子で借れたら、国民はいつでも、自分達の事業を起こせるのです。直接の矛盾は搾取よりも銀行にある。逆に搾取がなくとも資金が得られなんだら、あんた事業は起こせませんで。資本論は労働者が会社を起こす方法についてはちっとも気付いてない。ダグラスはそれを飛躍させた。皆に金貸す政府。これはちょっとしたサーカス的発想でんな。木下さあ貸す言うて。公共の通貨として国民が発行する。自分らが出して自分らが作る。自分のことは自分でしましょう、子供でも分かる。
実は通貨は銀行が金儲けのために発行するほうが歴史的には短い。老害秀吉が朝鮮出兵で人気失墜した豊臣家は、淀殿おばちゃんが莫大な金銀を慶長大地震のあとの寺社復旧に使い、疲弊した畿内の民衆は雇用を得て経済復興しました。おばちゃんは人民の代表役をした。畿内は先進地域で雇用労働者が多かったので、早くから河内の守護は河川流域を耕しに来た真宗の寺内町と組んで広域土木事業の指揮をしてました。一揆と闘うのは互いに消耗するアホやと気付いた。畿内の繁栄を東国の家康は恐れました。しかし、そのあとの大阪の陣がいただけなんだ。なお、大阪の陣はケチケチ家康の不要失業者(造反テロリスト)切り捨て作戦でもありました。家康は収奪したものすごい財産を持ちながら、また平和を念願しながら、財産を循環させることに無知でした。片桐且元は「資産家の消費が国民全体の稼ぎになる方法」を指揮して豊臣人気を回復した世界最初のケインズ政治家でした。豊臣が天皇と組むことも考えていたらしいが、これを阻んで説得し家康の味方にしたのが、京都所司代板倉勝重や。しかしケチ徳川は天皇にも寺社にも武士にも法度を出して無抵抗にしましたので、あとは大坂の商人だけが潜在的批判勢力でした。その批判(おちょくり)の芸能が文楽ですねん。自分らは気楽に暮らして、武士には国守って切腹して偉い偉いとおだてとく。不況時には御用金を納めて買わせる。
リンカーンはグリーンバックという政府通貨を発行して北部は南北戦争を戦い抜くことができました。暗殺犯は銀行だという説があります。ケネデイも政府通貨発行計画をたてた時暗殺された。何が公共の利益かについてのしっかりした国民の合意があり、その合意を反映する政府があり、それをきちんと実行する財務当局があること、それが政府通貨の発行に不可欠な条件です。今の日本はそれ以前です。出来そうなのは橋下通したおばちゃんのいる大阪市や。東京は銀行の天下やさかい。
ダグラスは一国の商品の総価格は勤労者の総所得を上回るので購買力が足らんということを発見した。しかるに経済学は、生産は必ず所得になって消費されると「証明」していました。誰が消費する言うねん。
企業の生産費用も銀行からのローンです。賃金も銀行からのローンで払う。銀行の融資によって成立している企業の宿命です。しやから購買力にはなりません。企業自身も販売不振に苦しむ。ほんでまた銀行からの借金で埋める。設備投資などで負債は増える一方。そして生産さえ拡大していけば、労働者におこぼれが増える。経済成長というのは企業の宿命なんです。経済成長がストップするだけで直ちに不況が発生します。貿易もはけ口が輸出しかないから貿易するんで、貿易がええことやからではない。外国にあるもんを押しのけて嫌われる。
魅力的な新発明が次々あって、その獲得競争が起こり、今までのものが陳腐化することが、恐慌からの脱却の唯一の原動力です。いまだとスマホでしょうか。かつての石油化学や車や電化製品に比べてささやか。くだらん発明にも魅力を感じさす詐欺がマーケティングです。企業は苦し紛れに全くの浪費を宣伝して消費者をあおる。そのため莫大な研究開発もいる。教育も医療も宗教もみな儲けなければつぶれる産業になっています。一方で世界大思想・文学・美術全集とか名曲テープとかが、昔高かったのが古本屋で100円で売っているのに、人々はそういう人類の最高教養は無視し、カラオケやスマホに酔う。昔の日本の貴族には古今集でも読みゆっくり四季を楽しむというような安いぜいたくがあった。大企業でこき使われる職業人にそういう蓄積はない。停年過ぎたらもう屍です。文楽の大夫は90歳で現役やめても死ぬまで語っている。今当会では新内を稽古しています。みなはそんなもの知んないと言う。そういった文化を支援することが銀行ではできない。
ベーシック・インカムはダグラスは、国民配当という言葉を使っています。社会全員の結合と協力から富が生まれるんで、その全員への支給だということです。悪いことしないで存在している限り皆関係しているのです。アリの半数はぶらぶらしています。銀行によって格差が付けられる格差社会になる。格差はあなたがどこに生まれるかで決まる。競争主義の考えで富は個々人の能力の結果や成果であると仕込まれている。ダグラスは文化的伝統というものを強調します。設備や知識や技術は、個人のものでなく、共有の遺産や伝統である。これは共同体思想です。過去の何千という世代が蓄積したものを我々は享受しているのであり、すべての人間は人類のそうした偉大な遺産と環境の相続人である。だから競争で個人が独占するのは誤っていると考えます。金持ちは人を使うのがうまかった自分の手柄であると言います。それも思想ですがのう。権力者の。人間は権力がほしい動物ですさかいのう。人民の革命叫ぶ連中もそれがほしいんで。
日本古来の思想では、自然は驚くべき富を人類に与えながら何の見返りも要求していない神様です。日本人は生活の安定とともにこれを見習う方向に進んで行くべきである。作って売らねば即恐慌というような制度は誤っている。アメノコヤネノ命は祭りをして自然の神様たちを喜ばせた。余剰は祭りで使えば一番ええ。江戸時代の村の金持ちにそういうて出させた。そのための信仰でんがな。それが天皇でんがな。
日本でもベーシック・インカムという言葉は広まってきましたが、それは福祉制度のように思われている。ダグラスにおいては、経済理論的論拠があり、銀行権力から人間の自由を解放することです。福祉と思うからこれまでのベーシック・インカム議論は財源の問題でけ躓いてきました。所得税でやるとすると足りない。消費税でやったらとんでもない率の消費税になってしまう。実は税金なんかいらん制度でっせ。
昔から税金は権力者がほしいだけです。権力者に正しいことは課税することです。正と言う字は村に税金取りに行くと言う表意文字です。ナニワの仁徳天皇は必要とせなんだ。租税国家は福祉をしてやるという根拠で権力を拡大する保険事業的詐欺集団です。税金制度が政治家の仕事を作り、権力でおごらせているのです。選挙も詐欺です。政府の簡素化にはまず税金制度を廃止することです。そしたら政治家は抽選でよいのです。
社会に立脚するなら、財源の問題は一切心配する必要はないんです。通貨発行でやりますから。この通貨は返す必要がなく、ただ出すだけです。誰からも借りていませんから。税金は取る必要なくなる。と言うと、びっくりする人が多いが、常識はあてにならない見本です。これは国民の統計データを踏まえて万人に発行するのです。誤って出し過ぎるとインフレになりますが、まあその程度の弊害です。
立派なあるいは必要な社会的事業をしている人に寄付してやりたいと思っている国民の気持を、ベーシック・インカムは実現します。人に国民配当を行うと、その人の消費が生まれますから経済が回ります。そらまあ博打してごろ寝する奴もでるでしょう、そこは国民全体の勤労意志のレベルで許します。ヤクザや泥棒が減れば良い。それより安心して自分の事業ができる人々に期待するのです。いやいや企業に勤めなくても済みます。一人月10万円くらいでしょうか。貧乏でも芸術や学問や文化活動に携わる人たちがいっぱい出て、文化産業で世界に勝てます。紫式部たちがいたから世界最高の和紙文化が生まれました。良寛さんは托鉢で暮らし勉強のかたわら子供に教えました。先生さえよければ学校より寺子屋の方が民衆的です。松下村塾や適塾のほうが東大・京大よりよいのです。病院もそうです。往診がよい。よい先生が地域にたくさんいることが大事です。
仕方なく企業や官庁に就職し、有能で人を押しのけバリバリ働く人が環境を破壊し社会の存続を危うくしているのです。しまいに恐慌でつぶれるまでのさばり続ける大銀行とその特権仲間以外にどこも損になる所はないです。中国のような特権階層の横暴によるバブル経済はいまに必ず破綻します。分り切ってる。
ベーシック・インカムはその効果があがるように、地域経済の力で運営しなければなりません。統計資料などを充実させ、マスコミのあおり宣伝や権力者に妨げられない評価判断が必要です。今のように大企業がマーケット情報を独占するようではだめです。スーパーで魚をカット売りしているのは魚文化的にだめです。
日本人の本来誠実な性格として、国民自身の手で莫大な赤字国債を解消してゆくこともできます。日本人は組織の犠牲になってしまっているだけです。欧米の銀行のような冷酷な組織は日本人に向いていないのです。田舎から来た丁稚に一人前の店を持たせるまで家族として養った涙ぐましい経営が日本の本来の姿です。国民が自分の権力で銀行に通貨を支払えば過去の赤字国債は買い取れます。銀行は反対できません。国民の意思ですから。皆で防災家屋建てたら日本国民の世界的信用は一挙に上がります。国債など不要なのです。国債は権力者が国民多数をだます方法です。その証拠に政府は地上げ屋やサラ金に出資した泥棒強盗銀行を、強盗のボスの命令で税金で救済しています。
公共事業を地域の民間で今よりずっと適正にやる仕組みも可能です。地域は無駄な土木工事ばっかりやらされて銀行からの借金を増やしています。地域の信用機関を直接支援すべきです。おおむね堅実で住民とのつながりがずっと深い銀行に、たとえばバブル期の健全経営で有名になった尼崎信金と静岡銀行がありました。
さらに、地方分権で税金も明瞭になります。今の税金制度は不正の巣で、大企業や金持ちと会計士の脱税と、国の権力者間の分け前分捕り合戦ですから、それらを排したら減税もできます。すぐれた教育者や医師に通貨が優先配分されるのですから、そこへスタッフは率先してきます。だいたい勤労者から収奪した税金で国家を運営するという方法が現代権力の諸悪の源泉です。豊臣氏の財源は南蛮貿易と金山・銀山で、これはうまく金持ち業者を儲けさせて吸い取る方法でした。江戸時代の町人の大半は非課税でした。日本人はグローバル資本の奴隷にならないためには、日本の風土・伝統を見直す産業に回帰することが賢明です。
大坂の大商人は遊廓で遊女と散在し、世界一の芸能芝居産業文化をもたらし、その金は畿内の貧農に回りました。農村舞台は2千箇所あり、世界にないものです。身売りした田舎の娘が遊女になって高級教養を極め、身請けされて大商人の妾にもなって、田舎の親を養いその子供も商人になれました。大坂の遊廓制度は茶屋による芸能接待文化で、経済循環と福祉政策になっていました。宗教的規制がなく、戦後まで恋愛結婚もほとんどない日本では、恋愛はほとんど遊女との間のもので、結婚にしばられない自由恋愛でした。西洋では売春婦しかいません。春画も発達してない。しかし今日ではボーナスに春画や芝居の券を社員に配る会社はありませんし、祭りにも参加させません。私は休んで祭りに行きました。町の不良ががんばってました。大阪の枚岡神社の祭りは休んで行ける会社の社員で維持しています。祭りは友人を作れるチャンスです。
日本という国には明治維新以来の東京一極集中という一大害悪が生じました。江戸時代はそうでなかった。東京だけが日本でないグローバル都市になり地方は植民地化されてきました。ベーシック・インカムを実施する際には過去長年にわたり全国都市を収奪して来た東京都を支給の対象からはずすという自治体連合案を大阪がしたらええ。そうすれば、地方に基礎所得が保証されるんで、若年層がどっと地方に移動できる。大阪は地方の盟主になる。これが現代の大坂の陣です。2020年を目標にしたい。大阪のおばちゃんが主体になって、淀殿を押し立てて東京に対抗する。淀殿は藤山直美でどうか。大阪の生活保護問題も解消します。
大阪市民は一丸となって国税を踏み倒せばよいのです。働かない銀行と国を食わしてるのは国民のほうです。おばちゃんはそう言う。そうしたら市民は銀行から収奪されなくなります。全国がそれに続きます。大阪府民にはいくらでも課題があります。まず防災でしょう。こんな危険な地域はない。つぎに水資源でしょう。みなで大和川を掘り拡げて水上住宅を作れば、移転出来る。自家用ゴンドラで魚釣りして生活費安い。海や山の環境。医療。介護。教育。文化。みな銀行は金を出したがらない分野です。町内の信頼できるおばちゃんが毎回交替で地域議会に集まればできます。大阪のおばちゃんは議会と率直に本音で対決できます。修辞は通用せん。東京の官僚に保育園建設を考えてもらうことはなく、東京の政府は国しか出来ない仕事に専念すればよい。それが優秀な官僚を使う道です。これには物質利益でなく人々の心の正しい道と仁愛が必要です。道と仁の連合で、道仁連合と言う。
具体的には地域住民が地域のための会社を起こすことです。これは今は「合同会社法」によって割合簡単にできます。一事業単位500人で、1千万円くらい集めまして、それは寺社への寄付金より小さい。地域に来る若者に経営を依頼します。大規模店にできないような新しいサービスを工夫して、地域から金を吸い取り海外に脱税するマクドなど外資チエ―ンを妨害して撃退します。独居老人の家の空き室も借り、友人間での宿泊所などできます。おばちゃんの家・ゲストハウス「トマリ―ナ」「シャべり―ナ」。家に「おくどさん」をおき、イモやパンやピザを焼いて、「マクドさん」に対抗します。出張で高いリッツホテルに泊まる必要なんかありません。土産にタコ焼きだけ買って来てもらえばよいのです。あるいは貨幣をもらわず、おばちゃんの好みで温泉か落語や芝居のチケットでも貰えばその方が喜ぶ。サザエさん一家や寅さんはそういう友人宅に頼む旅行ばかりしています。U・S・Jには、点滴あんま鍼灸ランドで対抗し、急流すべりには温泉巡り、ハリポタに対し針医者梅安か座頭市で対抗し、「ハリウッド」に対して「はりうつど」で行けばよいのです。治安に良いとおばちゃんと町会長が賛成すれば区役所も税務者も警察も同意せざるを得ません。そういった次々事業をふやせば配当もできます。
支給もらったら働かなくなると言うのは大阪のおばちゃんの中では通用しません。大阪ではだんなはたいてい引きこもっているが、おばちゃんは毎日元気に交流に出かけている。文楽の客は8割がおばちゃん。旦那はついてくるだけ。全国の温泉で大声でしゃべりかけているのは大阪のおばちゃんだけ。安いもの見つけて自慢するのは大阪のおばちゃんだけ。おばちゃんは近鉄百貨店が230円の黒毛和牛スジ肉を160円に下げるのを待って買う。庶民大阪の歴史はおばちゃんが作ってきた。オバチャント・オブ・オオサカ。大阪おばちゃんのネットワークでベーシックインカムを実現しましょう。