成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (3)  ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

前回は、国家・銀行・原発(エネルギー産業)の構造悪トライアングル分析についての予備作業のようなメルマガだったが、今回は、その構造悪トライアングルを抜け出していく方法を考えてみよう。

社会信用論のC・H・ダグラスは、その著書『CREDIT-POWER  AND  DEMOCRACY』のなかで、政策・生産活動に関する決定が銀行の信用管理により私的に運用されているといい、信用の管理を「民主化」しない限りは、本当のデモクラシーにはならないという趣旨のことを繰り返し述べている。この分析は、エネルギー問題を考える際にも同時に考えておくべき視点である。国家・銀行・原発の構造悪をたたくためには、エネルギーデモクラシーと銀行信用の民主化も同時並行的に進めていく必要性があるということなのだ。まず民主化のはじめの一歩は、九電力会社体制ともいわれる電力の一元的地域独占体制の地域・地方への分散化からだろう。エネルギーと通貨の地方主権。まずは、ここから始めよ、ということだ。

さて、みなさんは、地方公営企業法という法律をご存じだろうか。その法律の冒頭は以下の条文により構成されている。

(この法律の目的)第一条  この法律は、地方公共団体の経営する企業の組織、財務及びこれに従事する職員の身分取扱いその他企業の経営の根本基準並びに企業の経営に関する事務を処理する地方自治法 の規定による一部事務組合及び広域連合に関する特例を定め、地方自治の発達に資することを目的とする。

(この法律の適用を受ける企業の範囲)第二条  この法律は、地方公共団体の経営する企業のうち次に掲げる事業(これらに附帯する事業を含む。以下「地方公営企業」という。)に適用する。

一  水道事業(簡易水道事業を除く。)

二  工業用水道事業

三  軌道事業

四  自動車運送事業

五  鉄道事業

六  電気事業

七  ガス事業

上記に「電気事業」や「ガス事業」とあることに注目していただきたい。この法律を基にして、日本全国には「公営水力発電所」というものがある。たとえば、日本で唯一の「市営」水力発電所をもつ石川県金沢市の例だ。以下がそのURL資料である。

「犀川の恵み、4万戸分 金沢、全国唯一の市営水力発電所 」(北國新聞 2012年5月27日)

「金沢市企業局ホームページ」

金沢市街地を流れる犀川を利用した発電事業は1900年(明治33年)にまでさかのぼることができるが、金沢市営第一号発電所は、1966年(昭和41年)運転開始の上寺津発電所であり、最大出力は1万6200KW。他に犀川と内川にあわせて5か所の市営水力発電事業をおこなっている。上寺津以外は、最大出力が1万KW以下で、ダム方式を採用しているとはいえ、小水力「公営」発電所といえるだろう。これらは、資料URLにあるように年間1億4千万kw時で、約一般家庭4万戸分(市内家庭電力の20%)をまかなっている。問題は、この発電の行方だ。これらの電気は、地元の北陸電力に売電されて供給されてきた経緯がある。この売電費用が極端に安値であり「地域独占」電力会社に有利な構造になっていることが最近の新聞記事でも指摘されている。(「東電に安値で売電 1都4県水力発電」2012年4月2日  東京新聞・などの新聞記事参照。この記事では、以下のように指摘されている。【水力発電所を運営する東京、神奈川、群馬、栃木、山梨の一都四県が、東京電力に随意契約で安く売電していたことが分かった。経済産業省などの試算では、仮に特定規模電気事業者(PPS)も交えた競争入札を実施し、直近の市場取引価格で売っていれば、最大で年間百十七億円も増収になっていた。東電に格安の電気を提供し、もうけさせてきたとも言え、住民から批判が出そうだ。】)

金沢市の公営発電所を最初に知るきっかけとなった『原発の経済学』(室田武著 朝日文庫)によれば、やや古い数字だが1991年3月現在の金沢市は1kw時あたり10円55銭で売電し、市民はそれを約25円で買い戻している。上記、東京新聞のコメントにもあるように、こんなアホな話はない。これでは九電力体制が儲かるだけではないか。ただ、この構造は変わる兆しをみせている。ひとつは、電力供給需要の自由化であり、もうひとつは、再生可能エネルギー固定買い取り制度(FIT)の実施だ。FITの原案では、中小水力の買い取り価格は1kw時あたり25.2円~35.7円(期間20年)となっている(ただ、ひとつの課題があり、この制度適用は、新規発電事業に有利で、既設の発電事業には適用されないというプランになっていることだ、ここは既設発電事業にもFITが適用されるようにプランの変更がぜひとも必要だ)。この売電収益をひっ迫する地方自治体の財源としてぜひとも使うべきである。

エネルギー収益を地方市民の暮らしのために使う発想は、実は再生エネルギー先進国ではすでにおこなっているところがある。たとえば、再生エネルギーが盛んなドイツ・バーデン・ベルデンベルグ州では、自治体法のなかに、地方自治体は「基本生活保障」のための事業をおこなうことができると定められていて、この法律を根拠に地域での自然エネルギー供給事業を地方自治体がおこなっている。(三菱UFJリサーチ&コンサルティングレポート「エネルギー自治に向けて地域でなすべきこと」より)

また、カナダ(オンタリオ州)では、グリーンエネルギー法が可決され、先住民コミュニティへの生活支援の意味を伴った価格優遇制度や地域雇用の創出など、自然エネルギーの成果を地域経済へ生かす試みがなされている。(『自然エネルギー白書2012』環境エネルギー政策研究所編より)

これらの先駆的事例をさらに進めて日本のエネルギー地方主権を質的に高めるべきだ。その際にモデルになるのは、やはり、社会信用論の成功事例ともいるアメリカ、ノースダコタ州立銀行だろう。ノースダコタ銀行の詳細については、「実現を探る会」のHPに掲載されている関曠野さんの講演録にその解説があるので参考にしていただきたい。ノースダコタ銀行は、地方にある「中央銀行」の働きをもち、地方の公益にかなう事業に低利で融資しており、まさに「信用の民主化」を実践しているといえる。その銀行収益は州の予算に組み込まれており、これが州民への還元にもなる。結果として全米最低の失業率(約4%)、銀行倒産なしなど健全な地域経済をもたらしている。これと同じ発想をエネルギー自治にももちこむのだ。売電費用をベーシックインカム的に地方市民に配当してもいいだろう。アラスカ・パーマネントファンドが、原油収益からの配当として州民にベーシックインカム的に支給しているわけだから、自然エネルギー収益が住民に直接還元されてもなんら不自然ではない。

信用とエネルギーの民主化・社会化!これこそが、脱原発への道なのだ。次回は、このエネルギーの地産地消ともいえる動きと地方銀行の関係、地方と中央の格差と原発立地・再稼働問題などを継続して考えてみたい(この稿続く)。

成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (2) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

前回のメルマガで紹介した『BEYOND GROWTH』(『持続可能な発展の経済学』みすず書房、ハーマン・E・デイリー著)には、ユニークな経済思想家にして放射性物質の崩壊研究などで業績をあげた化学者のフレデリック・ソディの紹介がある。ソディという人は、いまの日本の状況において予言的な人物といえる。ソディは、アイソトープの存在を予言して原子構造の近代理論へも重要な貢献をする。しかし、彼は、原子力エネルギーの破壊性に警告を発しその破壊性から世界を守るためには経済社会の変革が必要であると考え、経済研究に向かったという人物である。原子力と経済社会、これは3・11以後の思考で、最も必要とされる視線だろう。ソディは、経済学には、熱力学の法則(エントロピー論)が決定的に重要だということを指摘すると同時にきわめて示唆的なことを論じている。「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」という貨幣論と資本主義論にかかわることだ。ソディは、社会信用論のダグラスとは、違う場所から「利子つき負債」の問題性に気がついていたのだ。

私は「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」ということとエントロピー論にみちびかれながら、経済成長と原発の関連について考えてみようと思う。そこで関連するいくつかの歴史的・経済的事実を列挙しておこう。

①日本経済の借金(負債)は、GDPのおよそ2倍の1000兆円近くにもなるという。この巨大な負債は、国債によりまかなわれているのだが、国債は永遠の昔から発行されてきたわけではない。1970年代前半は、ドルと金の交換を停止したニクソンショックではじまったようなものだが、この影響で世界的なインフレ状況におちいっていたところにオイルショックが勃発する。1973年の第四次中東戦争により原油価格が値上がりして、74年には、戦後初のマイナス成長となる。トイレットペーパー騒動などの物不足パニックがおきるのもこのころだ。次の年の75年には、オイルショック不況で3.5兆円の税収不足が予測されたため、政府は赤字補てんを目的とした「特例国債(赤字国債)」を発行した。75年の赤字国債発行がその後の国債の大量発行、すなわち「負債の増大」への道を開くこととなる。注目点は、この国債発行の発端がオイルというエネルギー問題にあったということだ。

②日本の原子力発電の運転開始が次々とはじまったのは、やはり、1970年代になってからである。70年代に20基(年平均2基)80年代以降も年1.5基のペースですすめられた。この増加の仕方は、90年代半ばまで直線的増加をしている。90年代以降も増加ペースはかなり鈍るが微増という形で連続増加してきた(3・11以前は)。科学史家の吉岡斉は、増加する原発建設数を「石油危機などの社会的動きと無関係にすすめられてきたという事実」と表現しているが(『新版・原子力の社会史』朝日新聞出版)、やはり70年代以降の原発増設は、内外のエネルギー問題を反映していると考える方が自然で、政府が「エネルギー安全保障」と表現してきた政策の一環に原発推進政策があったことは間違いないところではないだろうか。

③この原子力発電の設置を主導してきたのは通産省(経済産業省)であり、吉岡は、前掲書で、このプロセスを「社会主義計画経済を彷彿させる」と表現している。実際、国家プロジェクトとしての原発には、多額の国家予算・税金が投入されている。原子力開発費には、国の予算の電源開発促進対策特別会計【電源特会】(電源特会は2006年度まで。この後はエネルギー特会に一本化)と一般会計(エネルギー対策費)のふたつがあり、立地対策費も含めると電源特会の70%(ピーク時の2002年度の総額は4927億円)、一般会計エネルギー対策費の97%(ピーク時の1986年の総額は1747億円)が原子力関連予算として使われている。加えて原子力発電においては、発電後に行う「バックエンド事業」(放射性廃棄物の処理、再処理を含む核燃料サイクル事業など)が膨大な費用を生む。政府審議会の不十分な計算でも18.8兆円もの費用が発生する(本当は、これだけでは、足りなくて2倍から数倍になる計算)。この費用負担は、電気料金に加算され消費者の負担となる構造である(以上の分析は、『再生可能エネルギーの政治経済学』大島堅一著、東洋経済新報社、から学んだ)。

④東京電力の大株主の状況(平成23年3月31日現在)は、上位10株主の多くが銀行などの金融機関である。たとえば、筆頭は、日本トラスティ・サービス信託銀行、以下には、第一生命、日本生命、日本マスタートラスト信託銀行、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行、などが並んでいる。

⑤ちなみに、①にあげた国債を買っているのは、郵貯22・8%、一般銀行13.4%、一般保険・年金13.5%、日銀8.2%(2010年3月末時点での国債残高771兆円において)という銀行などの金融機関である。

⑥熱力学の法則によれば、(閉じた系では)エネルギーの総量は増えも減りもしないが(熱力学第一法則・エネルギー保存の法則)、そのかたちは質も含めて変化していく。そして不可逆にエネルギーの質が劣化して拡散する向きにしか流れない(熱力学第二法則・エントロピー増大の法則)。この理論によれば、下級のエントロピーの大きい熱から上級のエントロピーの小さい電力を取り出すことは困難で、損失が避けられない、したがって、発電効率はけっして良いものではなくて火力発電で約6割、原子力発電で7割近くの熱が、電気に変えられずに廃熱として捨てられる(以上のことは、『反原発出前します』高木仁三郎著・七つ森書館および『エントロピーと工業社会の選択』河宮信郎著・海鳴社から学んだ)。

以上、箇条書きしてきたこのメモのような羅列は何を意味しているのか?ソディの「負債の増大」ということと関連付けて考えてみると「ある」ことがわかってくる。化石燃料(オイル)というものに浮かんできた経済成長は、オイルの供給が不安定(割高)になることで、国家の税収をおびやかし、国の借金【負債】を増やす結果となった。しかし、その借金の山が経済成長という妄想を支えてきた。オイルの不安定さを回避するというお題目で増設を続けてきた原子力発電所は、実は、国家の財政で賄われてきた。ここには税金に加えて国の借金【負債】が加わっている。また、原子力発電は、放射性廃棄物という別の形の【負債】を生み出し、その処理費用(バックエンド)は、電気料金という形で国民に転嫁されている。また原子力発電は、廃熱という【負債】を生み出し環境を汚染する。加えて、3・11の原発事故は、原発自体が巨大な危険【負債】であることを国民に知らしめた。

その原発を資金的に支え(大株主)「利子つき【負債】」として資金貸付をおこなっているのが銀行である。銀行は、そもそも、国家の借金(国債)をも買い取り、国家を借金サイクルに従属させている。そして国家の借金の一部が原発にもながれるという銀行利潤につながる負のサイクルが完成するのだ。ここで、重要なのは、銀行マネーが、負債のサイクルを回してそのサイクルを増大させていることである。この負のサイクルは、二重になっていて、国家と経済成長というサイクルと環境負債の増大というサイクルがからみあっている。そして、そのふたつのサイクルの結節点に原発があるのだ。

いささか抽象的で申し訳ない。上記には、国家・銀行・原発(エネルギー産業)の構造悪トライアングルがあり、この課題を分析することなく、ベーシックインカムの議論だけをしていてもむなしい空理空論の蓄積が残るだけだろう。次回からは、箇条書きにあげたひとつひとつについて議論を深めたいと思う。

(この稿続く)