「仁和寺講演追記・イスラム銀行について」 関曠野(思想史)

講演で私はイスラム銀行のことを話しましたが、イスラム銀行が車住宅などの個人ローンをどのようにやっているかには言及しませんでした。これを補足説明しておきます。 車や住宅の場合、融資希望者に代わってまず銀行がそれを買ってしまいます。それに多少価格を上乗せして希望者に売り,債務者はそれを長期分割払いで返済します。これは利子のように見えますが、まず利子を払ってしまい複利で増えることもない。価格の上乗せは融資手数料とみなすべきでしょう。

イスラムの個人ローンでは債務者が死んだり不治の病になった場合には債務は帳消しになります。また債務の保証人の必要はなく家族の連帯責任もありません。融資のリスクは債務者ではなくすべて銀行が負うというのがシャリ ア(イスラム法)の原則です。だから返済期限も明確でないことがあります。

では進学ローンのような無形のものにはどうするか。この点では、日本や欧米とイスラムでは教育観がまるで異なることに注意する必要があります。日本や欧米では大学教育は基本的に資本主義的な労務管理であり、それが学歴差別や学歴信仰の原因になります。例えば、奨学金の制度は、30年代大恐慌に際して新卒の若者が労働市場に大勢入ってきて失業問題がさらに深刻になることを防ぐために若者を大学に囲い込んでおくというローズヴェルト大統領のニューディール政策の産物でした。そしてアメリカが恐慌を大戦の軍需ブームで乗り切った後は、大卒の学歴は豊かな消費社会に都会のホワイトカラーとして参入するための入場券になりました。しかしイスラム社会にはこのような労務管理としての大学教育やそれに伴う学歴信仰はありません。

この社会では古典的な学問観が生きつづけています。イスラムの価値観では貧しい家庭の子弟の向学心を借金漬けにして金儲けの種にすることは言語道断なことです。そしてイスラム社会には学問は社会の共同財産とする立場から貧家の子弟に学資を無利子で貸す慈善団体がいろいろあるようです。銀行は融資希望者と面談のうえそうした団体との仲介役をやります。

銀行自身が融資することもあります。その場合は、日本の講に似たTAKEFULというシャリアの概念が使われます。卒業して社会人になった債務者は奨学基金に返済し、それは基金の資本の補填に充てられます。 既卒者と進学希望者の共済組合のようなもので、もちろん無利子融資です。

ただイスラムの進学ローンでは進学の動機、目的、学習プランなどが面談で厳しく審査されます。社会に貢献する専門家の養成につながる進学であることが融資の条件になります。そしてイスラムでは大学教育も基本的に実用教育とみなされるので、科学技術系の学部学科への進学が優先されるようです。