「成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道」番外編~最低賃金制度論議からみえてくる福祉国家的現金給付の貧困 ~ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

 

衆院選挙がらみの政策論議で、最低賃金制度廃止を求める議論があった。内容は雇用を増やすために最低賃金制を廃止して、そのために所得が減少した場合には負の所得税などの現金給付で補填するというものだ。そして、負の所得税の給付水準は、現行の生活保護費支給額が高すぎるということで、それ以下の金額水準を専門家に決めさせるということが加わっていた。一見すると高尚な議論にもみえるが、なんのことはない、緊縮財政のための方便としてお涙ちょうだい的な現金給付システムがくっつけられているだけのことだ。同じことが給付付税額控除にもある。また、過去にワークシェアリングも単なる賃下げワークシェアとして提案されてしまったことが、これまた同じ現象だ。そもそも議論の枠組みとなっている社会保障制度・福祉国家自体が「お涙ちょうだい」なのだ。

第二次大戦後の福祉国家の枠組みをつくったと言われるヴェバリッジ報告(1941年)をみると、右肩上がりの生産と労働者の生産意欲を失わせないために福祉としての保険や児童手当があるにすぎない。間違ってはいけない、個人の尊厳のために福祉があるわけではないのだ。加えて、その右肩あがりの福祉国家の財政はどうなっているのだろう。平成23年度一般会計予算(二次補正後)をみると、歳入における租税関係の収入は、全体予算の43.2%(409,270億円)しかなく、歳出のうち国債元利返済分が全体の22.8%(215,491億円)を占めている。大雑把に言えば、収入の半分が借金の返済に消えてしまうのだ。こんな窮屈な予算を政府・政治家たちは、予算編成だ!などといって偉そうにチマチマと分配行為をしているにすぎない。そんなチマチマさが冒頭に述べた貧困な現金給付政策の原因なのだ。

政府の予算と言っても政府が現金を創っているわけではない。日銀と市中銀行の貸し出しが現金を「利子つき負債」として創ることによりお金全体の動きが創られている。通貨発行権は中央銀行システムに握られているのだ。中央銀行システムに福祉国家はハイジャックされ、国債利払いなどで国民の税金も吸い取られてしまい、その下僕としての政治家と官僚が緊縮財政を国民に強いている。こんな状況では、負の所得税だろうがベーシックインカムだろうが緊縮財政の方便として利用される悪政になるだけである。このどん詰まりの福祉国家とそこに寄生する銀行マネーシステムを一新して通貨発行権を人民主権の政府が取り戻すことなしに、私有財産権としての普遍的なベーシックインカム(万人の所得保証)も永遠にありえないだろう。

 

(付記:今回は短文なので機会を改めて論じたいが、最低賃金制度も、資金にゆとりのある大企業に有利な制度で中小事業者にはきつい制度だ。銀行マネーシステムを廃止し本格的な普遍所得保証があれば、硬直した最低賃金制度とは違う地平も見えてくるはずなのだ。)