スコットランドの独立問題について   関 曠野

  独立の是非を問うスコットランドの住民投票は歴史や政治の視角からもいろいろ興味深い問題を提起していますが、「探る会」のニュースでは経済の側面に話をかぎることにします。9月18日の住民投票はかなりの差で独立にはノーの結果になりました。だがこれはもちろん連合王国の現状を是認してのノーではありません。今の英国は、ロンドンのシティ(金融街)、ロンドンに移住した世界各国のスーパーリッチ、ロンドンの英国議会の政界貴族には天国、庶民には地獄のような国です。この9月から売春とドラッグの売り上げをGDP統計にカウントしているような国です。EUでもっとも貧富の差が大きいこの国で、スコットランドの庶民は困窮しています。ブルーカラーの街グラスゴーでは乳幼児死亡率がきわめて高いため、男性の平均寿命が54歳という有様です。これはおそらく母親の栄養不足が原因でしょう。


  しかし実のところ、投票の結果はたいした問題ではありません。むしろこういう国家の存在理由を問う投票が実施されたこと自体が重要な意味をもっています。日本でも欧米でも先進諸国では目下、議会制国家の崩壊が進行していますが、今回の投票はこの崩壊の波が議会制誕生の地である英国にも及んだことを示すものです。この投票を契機に、英国は容易に収拾できない混乱に陥るでしょう。


  投票の結果がノーになったのは殆ど当然のことでした。自治政府の政権与党であるスコットランド国民党は、投票の実施を決めたものの、どうみても独立に本気ではありませんでした。独立しても英女王を元首に戴き、通貨はイングランド銀行が管理する英ポンドを使い続けるなど独立をサボタージュするような政策を掲げていました。また経済についても、庶民には北欧型社会民主主義、企業には大減税というツジツマが合わないことを約束し、財政は「北海油田があるから大丈夫」などといい加減なことを言っていました。それに独立した場合の新しい国名も決めていませんでした。


  国民党の狙いは、中央を独立のポーズで脅して自治権でさらなる譲歩を引き出し、地元でその利権を固めることにあったようです。ですから投票で賛成反対が伯仲という事態になって党の幹部は内心ではかなり慌てていたのではないでしょうか。それが、やはり事態に慌てた中央政界の保守、労働、自由民主という主要政党がそろってスコットランドのための予算を増やすことを公約し、しかも投票結果はノーになったのだから、国民党はまんまと目的を達成したことになります。党首のアレックス・サモンドは投票結果に責任をとって近く辞任するそうですが、これもそのうちカリスマとして復活するための茶番でしょう。「改革」「希望と変化」など漠然とした甘い言葉を振りまき有権者を自分の栄達のダシにするのは今時の議会政治屋のお馴染みの手口です。国民党の場合は、それが「独立」だった訳です。しかしサモンドは「してやったり」と思っているかもしれないが、実は国民党は英国を混乱させるパンドラの箱を開けてしまいました。早くも英国の他の地域から「スコットランドだけに公共支出のための予算を増やすのはえこひいきだ」と不満の声が上がっています。


  古代にはイングランドはローマ帝国領でしたが、スコットランドはしぶとく抵抗してローマに服しませんでした。中世以来イングランドが常にフランスに対抗意識を燃やしてきたのに対しスコットランドは北欧諸国に親近感を抱いてきました。そして1707年の連合は対等な合意によるものではなく、財力にものをいわせたイングランドによる事実上の併合でした。しかしこういう歴史があったにせよ、現在の亀裂を生じさせたのは、やはり保守党のサッチャーの政策です。

 

  戦後の英国は階級社会の古い体質もあって工業国としては没落し1970年代には先進国なのにIMFの緊急融資を受けるという屈辱を味わいました。そこでサッチャーは残された大英帝国の唯一の遺産である金融業による英国の再興を図り、その代償として地方の産業を切り捨てました。この金融立国のツケは集中的に質実剛健で実業本位のスコットランドに回り、その製造業は大きな打撃を蒙りました。


  しかしスコットランドの世論が明確に独立を求めるようになったのは、それに続く労働党政権の時代です。スコットランド出身のブレアとブラウンが相次いで首相になりましたが、彼らはサッチャーの金融立国路線を継承しただけではなく、イラクに派兵するなどアメリカのエリートに密接に協力しました。その結果、長らく労働党の牙城だったスコットランドではこの長い歴史をもつ左翼政党に対する不信感が高まりました。この労働党の変質は、「右翼・左翼」という言葉に意味があった時代が終焉したことをはっきり示すものでした。


  ではなぜ左翼は死んだのか。その要因は二つあります。一つは、経済が低成長に転じたポスト工業化の時代に左翼の社会的地盤だった労働組合が弱体化して利権集団としての交渉力を失ったことです。そして左翼がこければ右翼という言葉も無意味になり、左右対立の構図によって成立している議会制国家は空洞化します。「議会と政党の制度は産業革命が胎動し始めた18世紀の英国で生まれた。その課題は工業化が次々に生み出す新しい富の分配をめぐる争いを取引によって解決することだった。議会主義の本質は有力な利権集団間の取引である。(中略)だが成長の終焉と共に議会政治は取引する材料を失い崩壊し始める」(注)。


  左翼の死のもう一つの要因は、ソ連崩壊の衝撃です。左右を問わず、現代人には国家は法的で理念的なもの、経済は物質的なものという精神と物質の二元論で国家を考える傾向があります。そこから市場は盲目の欲望で動くから国家がそれを理性でコントロールすべきだという発想が出てくる。こういう国家観の元祖は、市場を「精神の動物界」と呼んだヘーゲルです。このヘーゲルの国家観は、キリスト教神学における聖と俗の区別を近代国家に当てはめた馬鹿げたものです。しかし左翼はこのキリスト教的な国家観を信奉し、真理を把握している知的エリートが国家の力で市場をコントロールすれば理想の社会が生まれると信じてきました。そしてソ連はこういう国家観が徹底的に実現された例だったので、その崩壊は社会民主主義者をふくめて左翼に致命的な打撃となりました。


  その結果、英国労働党の場合は、俗なる市場万歳、盲目の欲望を効率よく充たす新自由主義万歳になった訳です。つまり彼らは左翼の国家観を上下さかしまにひっくり返しただけで、二元論的な国家観を反省することはなかった。近代国家は何よりも経済のシステムであり、人々の権利や義務や責任も経済と切り離して論じうるものではありません。そして近代国家の主権の核心は、通貨を発行し管理する権利であり、それに較べれば法的で形式的な主権は二次的なものです。ユーロによる通貨統合で通貨発行権を銀行の下僕のEU官僚に譲渡してしまった南欧諸国の現状を見てください。これらの国は法的形式的主権は保持していますが、それは債務奴隷になることに同意する権利にすぎません。


  このように国家観が間違っていたから、労働党は国家が通貨発行権を銀行業界に譲渡していることが現代国家の根本問題であることにも気付きませんでした。この譲渡ゆえに私企業である銀行が影の、そして真の主権者になっており、租税国家はそれを補完する銀行経済のサブシステムにすぎないのです。その結果、旧ソ連には一党独裁と指令経済があったように、いわゆる自由民主主義諸国では99%の一般国民を犠牲にして1%の富裕層を潤す銀行独裁がまかり通っています、政府は富者のための社会主義、中央銀行は富者のための計画経済を実施しています。日本のアベノミクスもそうしたものです。この銀行主権の下では、中央銀行、財務官僚、議会政治家が三位一体の支配体制を構成しています。そして銀行が主権者である以上、選挙でどの党に投票しても何も変わりません。


  スコットランド人が求めたのは、実際にはこの銀行主権からの独立、英国を支配するロンドンという国際金融センターからの独立でした。各国の銀行業界は中央銀行という形でカルテルをつくっています。そして各国の中央銀行は連携して国際金融カルテルをつくっており、IMFなどはその代弁者です。このカルテルは映画やアニメに出てくる世界征服の陰謀を企む秘密結社そこのけで、各国の中央銀行、財務官庁、政府と議会はそれが送り込んだ占領軍のようなものです。スコットランド人はこのグローバルな金融資本による占領に抵抗しているという意味で愛国的な”ナショナリスト”です。しかし労働党からスコットランド国民党に支持政党を変えただけでは独立は達成できませんでした。所詮、議会政治屋は占領から利権を得ている人種だからです。だが住民投票を契機とした今後の英国の混乱の中で、人々は英国と世界の現状について認識を深めていくでしょう。議会政治の枠内で右翼左翼で争っていた時代は終わり、現代世界の争点はグローバルかローカルか、金融グローバリズムと地域に根ざす民衆のローカルなデモクラシーの争いであることに気付くでしょう。このローカルなデモクラシーはまた、人々に法的形式的な権利を保証するだけでなく、経済生活に参加する権利を具体的に保証する経済のデモクラシーでもあるべきです。デモクラシーは原理としては権力の分散を意味しています。ですから首相や大統領への権力の集中をデモクラシーと呼ぶ欺瞞とは手を切り、国民投票制などの直接民主主義や地方主権の拡大による権力の分散も人々の課題になるでしょう。


  現在、日本や欧米各国の政府はどこでもグローバル金融資本の司令部の指示で動いています。だからスコットランドの出来事は日本人にとっても人事ではありません。90年代に日本でバブルが破裂した際に政府はマネーゲームに走って破綻した銀行を国民の血税で救済しました。これ以来、与党が民主であれ自民であれ、政府はこの司令部の指示に従い、事実上破産している銀行の救済に狂奔しています。安倍政権による通貨の大増刷や消費税の増税も、溺死寸前の銀行を浮かせるための政策です。消費税の増税はIMFの要請によるもので、負債がGDPの2・5倍という日本国家を財政的に維持する費用をできるだけ国民に負担させて日本国債に対する投資家の不安を和らげ、銀行が国債ビジネスを今後も続けられるようにするためのものです。デフレの中で消費税を増税すれば経済がさらに低迷することは子供でも分る。だがIMFがそれでも増税を要請するほど銀行の経営は危うくなっている。「銀行栄えて国滅ぶ」が世界経済の現状であり、そして通貨発行権を握る影の主権者である銀行に逆らえる者はいません。


   また主婦の労働力化と移民の導入もOECDが以前から日本に要請していたもので、銀行が管理するマネーフローの外にいる人間を減らし彼らを課税対象にするための政策です。またアベノミクスによる通貨の大増刷は、インフレを経済成長の代用品にしようとするものです。インフレで通貨が減価すれば国家、企業、銀行自身が抱える負債の重さが減り、銀行と富裕層が保有する株など金融資産の名目価値が水膨れする。しかしこれは一般勤労国民には賃金給与が低迷したままでの物価の上昇という塗炭の苦しみになります。通貨の大増刷も結局、ゾンビ銀行を維持する費用を国民に負担させるもので、通貨価値の減価という形での国民の所得と貯蓄に対する間接的な課税といえます。      

   2008年のリーマンショック以来、アメリカの連銀は量的緩和(通貨の大増刷)で破綻したメガバンクを延命させようとしてきました。これはすでにパンクしたタイヤになんとかポンプで空気を入れようとするような措置でした。そしてこれは連銀というより国際金融カルテルが決定した政策であり、ドルの過剰供給の影響は世界の殆どすべての銀行業界に及びました。 しかし失敗した企業は破産して退場ということが市場経済の原則であるはずです。だからマネーゲームで失敗した銀行はすべて破産させればよかったのです。だが各国の中央銀行と政府は二人三脚で市場原理に逆らい、ここ5年にわたり利子ゼロの資金をつぎ込んでゾンビ銀行を救済しようとしてきました。 だから経済の現状を市場原理主義として批判する人は問題を勘違いしています。これは銀行の本性とはいえ、銀行の独占経済がかってない規模で市場原理の働きを阻止してきたのです。そして量的緩和は、景気を上向かせるどころか,99%の一般勤労国民と1%の富裕層との格差を決定的に拡大しました。


  しかし市場原理にいかに逆らっても、長期的にはこの異常な政策に対して市場から是正の圧力がかかります。この10月に連銀が量的緩和を打ち切り、おそらく利上げにも踏み切ることは、そうした圧力の例です。しかし連銀の方向転換は是正に終わらず、破局につながる可能性があります。これによって量的緩和が市場に逆らって作り出してきた株や国債など資本市場の虚構の相場が一挙に崩壊するかもしれない、一挙にではなくても、市場を封殺してきたことに対する反動は大きなものになるでしょう。そして経済が再びリーマンショック状態になっても、連銀と政府にはもう打つ手はありません。またもや量的緩和という訳にはいかない。 こうして銀行と国家の制度としての機能が全面的に停止するゼロの瞬間が近づいてきます。そして今後英国が陥るであろう混乱は、このゼロの瞬間を部分的に先取りするものになると思われます。  

 
(注) 農文協のブックレット「規制改革会議の農業改革」に所載の拙稿「なぜ議会制国家は崩れ去りつつあるのか」より引用。同書15頁。