成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (5) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

  • ベーシックインカム・私有財産権・田中正造の思想

     

    脱原発の世論の流れは決定的のように思えるが、そこに落とし穴はないのだろうか。危惧されるのは、過去に何度も繰り返されてきた「食うためには仕方がない」という理屈である。現実に、現在でも原発を推進・維持しようとする人たちは、日本の経済が空洞化するとか、雇用が守れないだとか主張しているわけだ。過去の地方の反原発運動でも、やはり、「食うためには仕方がない」という理屈が反原発派をおいつめてきた。

     

    そのひとつの例が、私有財産権をもとにした原発阻止の運動である。原発立地計画が持ち上がった時、その土地の地権者・漁業権者が私有財産権を盾に抵抗した場合は、原発立地計画が挫折するが、ひとたび、地権者・漁業権者が土地などを手放し売却してしまうと、電力会社の立地計画と政府による許認可を見直させるのが困難となるという。この場合の私有財産権は、自分の所有物なのだからどのように使おうとも自分の勝手だ、という論理で「他人に迷惑をかけなければ何をしても自由」という自由主義の論理でもある。この自由主義の論理が無制限な経済成長を生み出し、その動因のひとつが原発でもあった。しかし私有財産権については、欧州に特有な国家権力等の侵害を許さないものとしての歴史的背景があるはずだ。また、聞くところによると、欧州では、私権にあたる漁業権は存在しないともいう。

     

    私は、ベーシックインカムは、私有財産権の一部だと考えているが、上記の事柄から、日本の近現代史を中心にして私有財産権なるものを再考してみる必要性を感じている。もちろん、ここにコモンズ(入会権)を導入する人たちもいるだろう。共有地・共同の論理には一定の価値を認めるものではあるが、先に述べた反原発運動の歴史的経緯からいけば、それが有効に機能しなかったという反省もあるのではないか。そして、欠落していたのは、まずは個の論理とそれを公につなぐ回路なのではないだろうか。この仮説を田中正造の思想をみることで考えてみよう。

     

    足尾鉱毒事件追及をしていた正造議員の鉱毒問題追及の論理は、明治憲法27条に規定されている「所有権不可侵」の原理を根拠にしてのものだった。まさに私有財産権の擁護だったわけだ。しかし、この論理では、古河足尾銅山側の営業権も「所有権」となり論理的弱点があるということになる。正造は、そこで、租税の多寡による「公益」論ということをもちだしてくるのだが本論の主題とはずれるので、今は「公益」論にふれない。では、正造は「所有権」を手放してしまったのだろうか。私はそうは考えない。谷中の人々と共に生きることを決意した晩年の正造は、ふたたび、この「所有権」を新しい形で持ち出してきている。「~~耕せバ天理です。谷中人民の口二入らぬともよろし。~~只天然天与の食料ハ人類及動物の口二入りて一日の生命を長ふせバ天理なり。~~」この文章を紹介している小松裕は、谷中の人々が収穫してそれを所有することは目的ではなく、土地が本来もっている生産力を生かすこと、無にしないことが本来の目的だと正造は主張していると解説を加えている。ただ、小松は正造が私的所有物ではなくて天来の共有財産として分かち合うことに力点をおいているが、それには異論がある。

     

    正造が「天来のムラの自治権」を政治の原点として考え、また、治水など自然原理を利用した河川管理の在り方に研究を深めていたことを合わせて考えると、「耕せば天理」の意味とは、自然をみずからのものとして「所有」し大切にケアする「義務の」ことを表現しているのではないかと考える(この部分は、小松の指摘する「土地が本来持っている生産力を生かすこと無にしないこと」に近い)。上記には、自分のものだから勝手につかってしまってもかまわないという自由主義的な私有財産権とは異なる「私有財産権」思想が表現されている。当然、国家や企業にたやすく売り渡す財産権も、そして経済成長への道も、ここからは遠い。なぜなら耕せば「天」理なのだから。(小松裕の文章は『田中正造の近代』現代企画室、p592より引用)課題は、天理としての私有財産権と万人が労働市場から自由になる分配思想およびケアの思想との関係をどのように考えるか?だが、それは別の機会に考えてみたい。

     

    (この稿続く)