アイスランドの政府通貨プラン、注目記事です!

2008年金融危機後の政治経済改革が注目されてきたアイスランドで、ついに政府通貨政策が提案されました。与党の政策プランなので実現する可能性が高いと思われます。国民投票に通貨改革案がかけられているスイスよりも早く実行されるかもしれません。以下、イギリスのテレグラフ誌に掲載された記事をサインイン前の部分のみ翻訳して掲載いたします。ご参考にしてください。

元記事

Iceland looks at ending boom and bust with radical money plan- Telegraph

http://bit.ly/1aBYOgh

テレグラフ誌 2015年3月31日

アイスランドは画期的な通貨改革プランで超不安定な経済を終わりにしようと考えている

アイスランド政府は民間銀行の信用創造のはたらきを停止して中央銀行にその機能を取り戻す提案をおこなった。

(以下本文)

アイスランド政府は、民間市中銀行におけるお金の信用創造のはたらきを停止し、中央銀行の下でのみ信用創造を行うという画期的な通貨政策を提案している。

現代金融政策の歴史において転換点となるであろう上記の提案は、中道与党「Progress Party」所属議員の「Frosti Sigurjonsson」氏によって書かれた「アイスランドのためのより良き通貨政策」と題されているレポートの中にある。「レポートの成果は、来るべき通貨政策と信用創造に関しての議論に重要な貢献をするだろう」とSigmundur David Gunnlaugsson アイスランド首相は言っている。

首相によって委託されたそのレポートは、2008年を最後に多くの金融危機を起こしてきた通貨制度に終止符をうつことを目的としている。

四人の中央銀行総裁が行った調査研究によれば、アイスランドは、1875年以来20回以上の異なるタイプの金融危機を経験してきた、そして、それは平均して15年ごとに起きる6回の深刻で複合的な金融危機を伴ってきた。

Sigurjonsson 氏は、過去におきた金融危機は過度な経済の回転により通貨が膨張して引き起こされた、と述べている。

また、彼は、中央銀行は、高価で無駄の多い国家介入そして銀行崩壊の危険な兆候、および誇張されたリスクを負う憶測に拍車をかけるインフレを放置した信用膨張を封じ込めることができなかった、と主張している。

他国の近代市場経済と同様にアイスランドにおいては、中央銀行は紙幣とコインのコントロールをおこなうが、マネー全体の信用をコントロールするわけではない。そして、マネーの大部分は信用創造において市中(民間)銀行貸し出しとして瞬時につくられる。

中央銀行は、通貨政策手段として、マネーサプライに影響を与えられるのみである。これに対して、「政府通貨政策」とよばれる下では、国家の中央銀行はマネーの唯一の創造者になる。

Sigurjonsson氏は、次のように提案する。

「重要なことは、信用創造の権力は、新しくつくられたマネーがどのように使われるかということを決める権力とは区別したままにしておかなければならないということである。」そして「国家予算審議と同様に、議会は、新しい政府通貨の割り当てについて政府提案を議論することとなるだろう。」

こうして民間銀行は、会計計算の運営および借り手と貸し手の間の仲介者としての機能をはたすことになる。実業家でエコノミストでもあるSigurjonsson氏は、2014年5月に立ち上げられた、アイスランド家庭の債務救済プログラムの立役者の一人でもあり、2008年金融危機以前に、インフレに連動しローン契約をしたことによって家計が逼迫している多くのアイスランド人の救済を目的にもしていた。

北欧の小国アイスランドは3大銀行の崩壊の要因となったアメリカのリーマンブラザーズ投資銀行の破綻によって手ひどい打撃を受けた。当時、アイスランドは、この25年間において、疲弊した経済を救済するためにIMFに救済の申し立てをしたヨーロッパにおいて最初の国となった。

そのアイスランドのGDPは、経済がふたたび再興する以前は、2009年の5.1%から2010年の3.1%まで下がることとなった。(以上、文責、白崎)

年金に代わる高齢者の生活保障の仕組み:関曠野(思想史)

今日の若い世代のもっとも切実な関心は、年金制度がまったく破綻しているという問題です。先の仁和寺の講演でも会場から「国民年金保険料を払い続けるかどうか迷っている。関さんはどう考えるか」という質問がありました。ベーシックインカムをめぐる議論はこの問題に今より深く立ち入り、若い世代のかかえる不安に応える必要があります。とにかく年金というネズミ講の破綻は明白です。しかも現状は、経済危機で苦しんでいる若い世代が今も高度成長期の恩恵に浴している高齢世代を支えるというとんでもない世代間搾取になっています。そして給与生活者の若者には源泉徴収なので保険料納付を拒否する自由もありません。

講演で私は、定年制を産業主義的な制度として廃止したうえでベーシックインカムにプラスして老年基金を設けるという案に触れました。しかしこの案の具体的な中身については論じる時間がありませんでした。そこで以下、この老年基金についての私の構想を説明しますから、皆さんがこれから年金の問題で討論する際のたたき台にしてください。

まず定年制は廃止して多くの人が生涯現役で働けるように労働環境をスローなものにすることに重点を置きます。農業関係者などは今でも生涯現役が普通なのですから、これは無理な話ではありません。しかし歳をとるとやはり体力能力が低下し病気がちになることも事実です。ですから60歳以上の人には何らかの生活保障の措置が必要でしょう。そして私の構想は、この措置を「負の所得税」方式で実施し、高齢者に政府通貨を支給するというものです。

なぜこの方式をとり、例えば高齢者には二倍のBIを支給するといったことをしないのか。その理由は、

  1. BIはあくまで生産と消費を均衡させるための通貨政策であり、福祉政策ではない
  2. BIの大幅な増額はインフレを発生させる恐れがあり、そのうえ定年制を廃止する主旨に矛盾する
  3. また高齢者の所得と健康状態にはかなり個人差があるということを考慮する必要がある
ーということです。

この方式をどのように実施するか。まず60歳以上の高齢者の基準生活費を法律で決め、BIと所得を合わせてもこの基準に達しない場合に差額を政府通貨で補填します。そしてこの基準は国や県ではなく市町村が条例で定めることにします。ただし基準は地域毎に違っても、基準生活費を算定する方式は基本的にほぼ全国一律であるべきでしょう。

その理由は、

  1. 市町村の方が地域の高齢者の生活実態を具体的に把握できる
  2. 県単位で基準を設けると物価の安い地域に高齢者が大勢移住して地域の人口構成比に歪がでる恐れがある
ーということです。

この方式の結果、例えば横浜市と鳥取市の基準が異なったとしても、この差は地域の家賃などの物価や食費などを反映したものですから、不公平なことにはなりません。こうしてある市の基準が月20万で、そこに住む高齢者の所得がBIの8万と軽作業による月収が6万だった場合、差額の6万が市から支給されることになります。

それから最後に付け加えますが、高齢者には働かない自由、60代になったら働かないで趣味やボランティアの世界で生きるという選択も認められるべきです。これは経済ではなく文化や社会への高齢者ならではの貢献になるでしょう。ただしそういう人は自治体への所得申告がないのでBI以外の所得補助は難しいと思います

以上の私の構想をたたき台に活発な議論が始まることを期待しています。

ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか。  ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

元外交官で評論家の天木直人さんが、ご自身のメールマガジン(2013年5月29日第390号)で「ベーシックインカム論者はいまこそ対案を提示すべきではないか」という文章を書いておられた。それに応答する形で今回のメルマガを書いてみよう。

天木さんは、斉藤美奈子氏の東京新聞コラムを引用する形で、最近の生活保護法改悪(改正?)とマイナンバー制度導入に反対する対案をベーシックインカム論者は提起すべきではないか?と問いかけている。これに対する答えは、ある意味、ベーシックインカム論者には明確だろう。すなわち「無条件・個人単位」の「普遍的・万人への」所得保証こそが、温情主義(パターナリズム)や煩雑な制度と差別的スティグマにからめとられている生活保護制度への対抗案だということだ。

しかし、これでは、天木さんの本当の問いかけに答えたことにはならない。天木さんは、メルマガの最後を「少なくとも政治にその意思さえあれば」と書いて締めくくっている。

天木さんの言いたいことは、ベーシックインカム論者は、政治的に実現可能な対案を示せといっているのだ。無条件・個人単位のベーシックインカムが既成の社会保障制度に比較してよりましな制度だということは重々承知だ!そんなことはわかっているから、どうしたら、それが実現するのか、いいかげんにプランを示せ!ということだろう。

まさに、このメルマガのタイトル「ベーシックインカムはいかなる政治的意志により実現されるか?」が問題なのだ。

政治的意志ということで想起されるのが、ユーロ金融危機で揺れる欧州で台頭する既成政党とは一線を画す勢力のことだろう。野末編集長が何度もとりあげてきた海賊党やイタリアの五つ星運動などだ。これらの運動のスローガンや政策プランの中にはいっているのがベーシックインカムである(五つ星運動が、無条件の所得保証かどうかは明確ではないが)。上記の運動の特徴は、議会主義や政党政治を批判して人民の直接民主主義による政治改革を行おうということにある。また、その手段としてインターネットの大規模な活用ということも掲げられている。このこととベーシックインカムはどのように関連するのか。

関曠野さん(思想史)が、以前から強調しているように、近代租税国家と税の分配装置としての政党政治は、共に不即不離の関係にあって同時進行で解体過程にあるということだ。右肩上がりの経済成長の限界と共に税収も伸びず、その税収の大半を国債など負債の利払いに追われる近代国家とその延長にある福祉国家の欠陥を超越すべく、欧州の新興政治勢力は台頭してきたとみるべきだろう。ここにベーシックインカムが政策として盛り込まれる必然性があり、加えて、ベーシックインカム運動は通貨改革を伴う政府通貨発行へと行き着かなければならない。だが、ここで立ち止まろう。再度言う、それならば、その政治的意志はどこからどのように生まれてくるのか。

ポイントは、やはり、直接民主主義だ。これも、いままでのメルマガで紹介してきたが、スイスにおけるベーシックインカム制度化の国民投票実現への署名活動である。国民投票が憲法に明記されているスイスならではの動きだが、これこそがベーシックインカム実現のための政治的意志表現の重要なヒントとなる。

残念ながら、現行日本国憲法には、国民直接投票の規定がない(厳密には、憲法改正条項があるが)。そこで、考えられるのが、住民投票条例だ。原発問題と同様に各地方から続々とベーシックインカム住民投票条例運動が巻き起こること。またこれにリンクして全国知事会が過去に提起してきた日銀による国債の「直接」引き受け(政府通貨発行)政策圧力が中央政府に加わること、この二つこそが政治的意志の転換点だ。だが、再々度、ここで立ちどまることを余儀なくされる。どのようにしたら、上記のような状況が生まれてくるのか?

この状況が生じてくるためには、現在のまやかし量的緩和政策であるアベノミクスが失墜することに(これには、欧州やアメリカの経済的危機も加わる)よる一段の経済的混乱がなければならないだろう。そして、その萌芽はすでにあるともいえる。たとえば、7月の参議院選挙をめぐる自民党の地方県連と中央本部との対立だ。この対立は沖縄の普天間基地移設問題と福島の原発政策をめぐるものである。この対立の内容にはここではふれないが、日米安保エネルギー体制の揺らぎと言っておこう。中央と地方の対立、それも「沖縄と福島」という場が近未来の政治混沌への示唆となる。

ベーシックインカムと通貨改革の政治的意志は、さらなる政治的・経済的混沌を待って、表現されるだろう。天木さんが以前から提案されているインターネット政党も同じ位相で実現すると考える。インターネット政党は、「政党」という名前を借りてはいるが、それは、徹底した、既成政党政治と儀式化・既得権益化した議会政治への否定からはじまる。すなわち政党を否定する「政党」なのだから。

私の天木さんへの最終回答は、「まだ、少し、待とう!」ということだ。

地方と中央の格差と対立がさらに深まる時、そして、グローバリゼーションの化けの皮がはがれる時、過去の新自由主義論や幻想福祉国家論などのヤワな政策を吹き飛ばす、本格的なベーシックインカムと通貨改革を政策提言として含む政治的動きが生まれてくることを期待する。私もそこに参画する事を最後に記して天木さんへのお返事としたい。

「高島こども手当」について:高島市市議会議員 熊谷もも

私は政策として”こども1人あたり月に1万円相当の地域通貨を「高島こども手当」として支給することを提案します”、”脱原発・脱被曝が当たり前”を含む”ももの八策”を掲げて、先日の高島市議会議員選挙に私と同じように小さなこどもを抱えたママスタッフたちとともに挑み、第七位で当選いたしました。選挙活動では「36才3児の母としての立場、視点から誰もが住み良い暮らしのために、政治と暮らしをもっと身近なものにするために」と街宣車で回り、「高島こども手当」についても街頭演説を高島市内各地で行いました。

私は以前から、ベーシックインカムを日本銀行券ではなくて、地域通貨で実施すれば、地域にお金が回り、地域が元気になるのではないかと考えていました。「高島こども手当」は一見すると、子育て政策のようですが、地域の活性化政策の意味合いがあります。高島市には市町村合併に際して、地域通貨アイカが存在しています。アイカののぼりも地域の商店街ではためいており、地域通貨アイカは市民には知られたポピュラーな存在です。

ですから、地域通貨という言葉は一般的には馴じみが薄い言葉だとは思いますが、ここ高島市ではすでに馴じみがあります。

総予算額はいくらになるのか、そして、財源の裏付けがあるのかなど様々な課題はありますが、一つひとつ解決して、実現を目指していくつもりです。

また高島市は地場産業として、農業だけではなく、林業・材木業、そして繊維工業があります。衣食住の全てをまかなうことも可能な自治体なのです。人口の規模も5万人。十分に地域通貨で生活することも可能である、と私は見ています。ですが、高島市はその他の地方自治体と同じく高齢者が人口の多くを占め、若者の仕事がなく、若者は仕事のために都会に出て、お盆や正月を除いて、町は静まりかえっています。

畑や田んぼが目の前にあるのに、繊維工業があるのに、造り酒蔵も高島市内に5軒もあり、醤油やお酢の醸造元もあるのに、琵琶湖の湖魚が採れるのに、空き家がいっぱいあるのに、なぜ「仕事がない」のでしょうか?なぜ「儲からない」のでしょうか? なぜお金、日本銀行券の有る無しに振り回されなければならないのでしょうか。

私はこの素晴らしい高島市に盆暮れ正月だけでなく、若者が帰って来る、そして仕事があって、幸せに暮らしていける高島市にしていくことを目指しています。

熊谷 もも

ベーシックインカム・実現を探る会 主任研究員 平成25年2月より高島市市議会議員

お金に関する絵本を描き続け、2009年末『ベーシックインカムがわかる本Q&A入門編』2010年『銀行がナイショにしてるお金のひみつ』を著す。三人の乳幼児を抱える生活の中、広域瓦礫処理問題など高島市の問題に関わりながら、高島市政に同じ世代・境遇の声を届けることを決意。

http://momo-takashima.jimdo.com/

https://twitter.com/momo4ende

「成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道」番外編~最低賃金制度論議からみえてくる福祉国家的現金給付の貧困 ~ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

 

衆院選挙がらみの政策論議で、最低賃金制度廃止を求める議論があった。内容は雇用を増やすために最低賃金制を廃止して、そのために所得が減少した場合には負の所得税などの現金給付で補填するというものだ。そして、負の所得税の給付水準は、現行の生活保護費支給額が高すぎるということで、それ以下の金額水準を専門家に決めさせるということが加わっていた。一見すると高尚な議論にもみえるが、なんのことはない、緊縮財政のための方便としてお涙ちょうだい的な現金給付システムがくっつけられているだけのことだ。同じことが給付付税額控除にもある。また、過去にワークシェアリングも単なる賃下げワークシェアとして提案されてしまったことが、これまた同じ現象だ。そもそも議論の枠組みとなっている社会保障制度・福祉国家自体が「お涙ちょうだい」なのだ。

第二次大戦後の福祉国家の枠組みをつくったと言われるヴェバリッジ報告(1941年)をみると、右肩上がりの生産と労働者の生産意欲を失わせないために福祉としての保険や児童手当があるにすぎない。間違ってはいけない、個人の尊厳のために福祉があるわけではないのだ。加えて、その右肩あがりの福祉国家の財政はどうなっているのだろう。平成23年度一般会計予算(二次補正後)をみると、歳入における租税関係の収入は、全体予算の43.2%(409,270億円)しかなく、歳出のうち国債元利返済分が全体の22.8%(215,491億円)を占めている。大雑把に言えば、収入の半分が借金の返済に消えてしまうのだ。こんな窮屈な予算を政府・政治家たちは、予算編成だ!などといって偉そうにチマチマと分配行為をしているにすぎない。そんなチマチマさが冒頭に述べた貧困な現金給付政策の原因なのだ。

政府の予算と言っても政府が現金を創っているわけではない。日銀と市中銀行の貸し出しが現金を「利子つき負債」として創ることによりお金全体の動きが創られている。通貨発行権は中央銀行システムに握られているのだ。中央銀行システムに福祉国家はハイジャックされ、国債利払いなどで国民の税金も吸い取られてしまい、その下僕としての政治家と官僚が緊縮財政を国民に強いている。こんな状況では、負の所得税だろうがベーシックインカムだろうが緊縮財政の方便として利用される悪政になるだけである。このどん詰まりの福祉国家とそこに寄生する銀行マネーシステムを一新して通貨発行権を人民主権の政府が取り戻すことなしに、私有財産権としての普遍的なベーシックインカム(万人の所得保証)も永遠にありえないだろう。

 

(付記:今回は短文なので機会を改めて論じたいが、最低賃金制度も、資金にゆとりのある大企業に有利な制度で中小事業者にはきつい制度だ。銀行マネーシステムを廃止し本格的な普遍所得保証があれば、硬直した最低賃金制度とは違う地平も見えてくるはずなのだ。)

成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (5) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

  • ベーシックインカム・私有財産権・田中正造の思想

     

    脱原発の世論の流れは決定的のように思えるが、そこに落とし穴はないのだろうか。危惧されるのは、過去に何度も繰り返されてきた「食うためには仕方がない」という理屈である。現実に、現在でも原発を推進・維持しようとする人たちは、日本の経済が空洞化するとか、雇用が守れないだとか主張しているわけだ。過去の地方の反原発運動でも、やはり、「食うためには仕方がない」という理屈が反原発派をおいつめてきた。

     

    そのひとつの例が、私有財産権をもとにした原発阻止の運動である。原発立地計画が持ち上がった時、その土地の地権者・漁業権者が私有財産権を盾に抵抗した場合は、原発立地計画が挫折するが、ひとたび、地権者・漁業権者が土地などを手放し売却してしまうと、電力会社の立地計画と政府による許認可を見直させるのが困難となるという。この場合の私有財産権は、自分の所有物なのだからどのように使おうとも自分の勝手だ、という論理で「他人に迷惑をかけなければ何をしても自由」という自由主義の論理でもある。この自由主義の論理が無制限な経済成長を生み出し、その動因のひとつが原発でもあった。しかし私有財産権については、欧州に特有な国家権力等の侵害を許さないものとしての歴史的背景があるはずだ。また、聞くところによると、欧州では、私権にあたる漁業権は存在しないともいう。

     

    私は、ベーシックインカムは、私有財産権の一部だと考えているが、上記の事柄から、日本の近現代史を中心にして私有財産権なるものを再考してみる必要性を感じている。もちろん、ここにコモンズ(入会権)を導入する人たちもいるだろう。共有地・共同の論理には一定の価値を認めるものではあるが、先に述べた反原発運動の歴史的経緯からいけば、それが有効に機能しなかったという反省もあるのではないか。そして、欠落していたのは、まずは個の論理とそれを公につなぐ回路なのではないだろうか。この仮説を田中正造の思想をみることで考えてみよう。

     

    足尾鉱毒事件追及をしていた正造議員の鉱毒問題追及の論理は、明治憲法27条に規定されている「所有権不可侵」の原理を根拠にしてのものだった。まさに私有財産権の擁護だったわけだ。しかし、この論理では、古河足尾銅山側の営業権も「所有権」となり論理的弱点があるということになる。正造は、そこで、租税の多寡による「公益」論ということをもちだしてくるのだが本論の主題とはずれるので、今は「公益」論にふれない。では、正造は「所有権」を手放してしまったのだろうか。私はそうは考えない。谷中の人々と共に生きることを決意した晩年の正造は、ふたたび、この「所有権」を新しい形で持ち出してきている。「~~耕せバ天理です。谷中人民の口二入らぬともよろし。~~只天然天与の食料ハ人類及動物の口二入りて一日の生命を長ふせバ天理なり。~~」この文章を紹介している小松裕は、谷中の人々が収穫してそれを所有することは目的ではなく、土地が本来もっている生産力を生かすこと、無にしないことが本来の目的だと正造は主張していると解説を加えている。ただ、小松は正造が私的所有物ではなくて天来の共有財産として分かち合うことに力点をおいているが、それには異論がある。

     

    正造が「天来のムラの自治権」を政治の原点として考え、また、治水など自然原理を利用した河川管理の在り方に研究を深めていたことを合わせて考えると、「耕せば天理」の意味とは、自然をみずからのものとして「所有」し大切にケアする「義務の」ことを表現しているのではないかと考える(この部分は、小松の指摘する「土地が本来持っている生産力を生かすこと無にしないこと」に近い)。上記には、自分のものだから勝手につかってしまってもかまわないという自由主義的な私有財産権とは異なる「私有財産権」思想が表現されている。当然、国家や企業にたやすく売り渡す財産権も、そして経済成長への道も、ここからは遠い。なぜなら耕せば「天」理なのだから。(小松裕の文章は『田中正造の近代』現代企画室、p592より引用)課題は、天理としての私有財産権と万人が労働市場から自由になる分配思想およびケアの思想との関係をどのように考えるか?だが、それは別の機会に考えてみたい。

     

    (この稿続く)

成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (4) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

原発再稼働問題でも原発建設予定地での推進派と反対派の対立でも原発推進派から必ずでてくる科白が「原発がないと地域の経済が立ち行かない」というものだ。長い間、原発は地域を潤す特効薬として宣伝され政治の道具として使われてきた。そうであるならば、原発のかわりに、原発を受け入れている地方にベーシックインカムを支給して原発がとまっても何ら経済的に問題はないということを証明しようという発言がでてくるのは当然だ。twitterで映画監督の鎌仲ひとみさんがそんな風によびかけていた。正論だと思う。

正論には違いないがその実現のためには通貨改革を含めて相当な下準備がいるだろう。実現はそう簡単なことではない。そもそも、わたしたちには、いつの間にか東京を中心とする大都会は富んでいて、地方は限りなく貧しいという思考が刷り込まれている。確かに現実は「貧しい」のだ。ただ、それが永遠の昔からの常態であったような錯覚に陥っている。まずは、ここの思考の塊をほぐすことからはじめてみよう。

現在、知事選挙で話題の山口県には、上関原子力発電所建設計画問題がある。この原発を誘致しようとしている上関町とはどんな町なのだろうか。町の高齢化率は約50%(全国平均が20%)。ここ40年間で人口が6割減っている(1970年には8308人だった人口は2010年で3332人になっている)。これに関しては、朝日新聞(山口地方版)2011年3月8日に「交付金見込み17%増 上関予算案」という見出しの次のような記事がある。少し長いが全文引用する。

『上関町の2011年度一般会計当初予算案が7日、3月定例議会に提案された。上関原発建設計画に伴う国の原発立地地域特別交付金10億3800万円の歳入を見込み、総額は前年度比17・2%増の43億9496万円。「総合文化センター」と「ふるさと市場」(いずれも仮称)を年内に着工するほか、今年度に続いて全町民に2万円の振興券を配る。  総合文化センターは公民館と図書館、多目的ホールのある施設で、総事業費は約13億円。併設するふるさと市場には直売所や飲食店、航路待合所などを設け、総事業費約4億円を見込む。ともに上関町室津の埋め立て地に建設し、12年秋に完成する予定。室津小学校跡地に建設中の温浴施設「上関海峡温泉」と合わせ、11年度当初予算案に占める3施設の事業費は約11億2700万円。うち10億3800万円を特別交付金でまかなう。特別交付金は09~13年度に計25億円見込まれる。

町民3558人(1日現在)に2万円の「花咲く海の町振興券」を交付する事業は今年度初めて取り組み、経済効果があったとして新年度も約7400万円を予算化した。中電の寄付金などで運用する「ささえあい基金」を充てる。

一般会計当初予算の総額は09年度比で34・2%増、08年度比で40・5%増。歳入に占める町税(2億4233万円)の割合は5・5%しかない。「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表は「身の丈を度外視した予算。ハコモノばかり造って、将来は運営費がかさんで大変なことになる。よその原発立地町村の教訓を踏んでいない」と指摘する。(渡辺純子)』

(上記、人口推移および新聞記事の存在は、『原発廃炉に向けて』エントロピー学会編所収の「上関原発の建設中止の行方」三輪大輔著より学んだ)

なんと、中国電力の寄付金をもとに現金給付まで計画されているではないか。これこそお涙ちょうだい的「偽」ベーシックインカム!そして、予算総額はどんどん増えているが、歳入に占める町税の割合は微々たるものだ。この摩訶不思議な財政の背景に、原発立地困難地区対策として政策立案された「電源三法」(発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法)があることはよく知られている。基本的な三法の仕組みは以下のようなことだ。

全国の電力会社(9電力会社と沖縄)から販売電力量に応じて一定額(1000kwにつき85円)の電源開発促進税を徴収し、それを電源開発促進対策特別会計の予算とし、その予算を電源立地促進のための多種類の交付金・補助金・委託金、特に発電所を立地する自治体(周辺市町村も含む)への「電源立地促進対策交付金」という「迷惑料金」にあてるというものだ。しかし、引用した記事のなかで山戸さんが言っているように「電源三法」制度は一時的な雇用・財政効果しかもたらさず、立地自治体には常に増設の圧力がかかり、麻薬的な作用を地域に強いるという批判は様々な論者からなされている(交付期間の終了により、財政規模が激減してしまうので、別の安定的な財源措置が必要になる)。また、法人住民税についても、進出企業の本社が他の自治体にある場合、従業員数に応じて比例配分される。そのため、電力会社本社が大都市にあり発電所が地方にあるような場合、法人住民税の多くは本社のある大都市に吸い上げられてしまう(たとえば、立地市町村に100人の従業員がいて、大都市本社など他の市町村に9900人の従業員がいれば、法人住民税の法人税割の99%は大都市に吸い上げられる)。

(電源三法、法人住民税のことは『新版・原子力の社会史』吉岡斉著および『脱原発の経済学』熊本一規著から学んだ)

冒頭に述べた地方はかぎりなく「貧しい」という刷り込みとも関連するがこのように地方が中央からの原発関連の予算配分にもたれて生きる構造、そして中央が地方から財・物・人が吸い尽くされてしまう構造はどのように生まれてきたのか?もちろん、この構造は、原発問題にかぎらず日本の近現代史における「中央VS地方」という構造に重なっているわけだ。

その歴史的原因は明治維新にある。典型的な例としても、また、福島原発が生まれてきた背景としても「東北」を例にそのことを考えてみたい。

東北地区は、幕末、東北諸藩が奥羽列藩同盟を結び薩長連合軍に対抗した。明治維新政府樹立後は、この東北同盟各藩は「朝敵」の汚名を着せられ弾圧政策にさらされる(それは白河以北一山百文という差別的な言葉によくあらわれている)。会津藩・盛岡藩など、減俸・転封を命ぜられた。これらの政策により東北地区は独自の近代化が遅れ「辺境」の地においやられてきたといってよい。この後、明治政府は、中央集権化政策のために官選知事を派遣して中央のコントロールのきく地方支配を貫徹しようとする。有名な県令・三島 通庸(みしま みちつね)はその典型的人物である。三島は、山形、福島などで地方隷属化の政策を断行し自由民権運動など抵抗勢力には厳しい弾圧を加えた。また、三島は、「土木県令」とあだ名されるように中央政府に都合のよい土木開発を行いその財源として地方への重税を課している。ゆがんだ「国土計画」の象徴が三島だ。三島のような人間像は、現在の東京電力の幹部にも受け継がれているといってよい。

このような流れと対極にある人物が盛岡藩出身の政治家、小田 為綱(おだ ためつな)である。小田は私擬憲法の「憲法草稿評林」の作成者として知られている。私は憲法思想と共に、彼が東北地区の地域実情にあった国土プラン「三陸開拓案」を明治政府に提案した人物としてその思想を評価すべきだと思う。小田のプランは現在からみても地方の地方による地方のためのものだといえよう。小田は、東北地区の農業開拓のために明治になって失職した士族を帰農させることを考えていた。この帰農プランの具体的な予算案もつくり、帰農者の生活資金などには鋳銭工場をつくりその利益をあてること、また、不足分は、富裕層からの借金なども考えていた。加えて地方独自の産業育成のための「陸羽銀行」(地方銀行)の設立や地方の人材育成のための「陸羽大学」(地方立大学)の開学も計画した(哲学・政治・農業・理化、医学、文学などの12学部の総合大学)。残念ながらこれらの提案はことごく明治政府によって無視されてしまう。

3・11以後の現在から未来を考えるとき、この小田為綱の思想から学ぶことは多いに意味がある。真の地方主権ということを考えていかない限りベーシックインカムも通貨改革もそのラディカルな実現は達成されないだろう。(この稿続く)

BIメールニュースNo.120  2011.10.22発行 バックナンバー

BIメールニュースNo.120  2011.10.29発行

【1】ビル・トッテン氏「復興は信用創造でなく政府貨幣で」と提案

【2】誰でも分かる政府通貨(公共通貨)入門

 

【1】ビル・トッテン氏「復興は信用創造でなく政府貨幣で」と提案

従来から、銀行の信用創造機能を批判していたビル・トッテン氏が、震災復興をめぐり改めて、政府貨幣での復興を提案しました。

題名:No.971 復興は信用創造でなく政府貨幣で http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1196492_629.html

下記のように、銀行の信用創造機能の問題点を簡明に指摘しており、政府貨幣での震災復興が望ましいことを分かりやすく伝えています。

手元にない(準備金として実際に持っていない)お金を貸し出して、それから金利を得られるという銀行の特権は、市場原理によってもたらされたものではなく、「部分準備銀行制度」という名のもとに、政府の法律によって支えられている仕組みであり、政府がこれを撤回するしか、この社会全体に対する不公平を取り除くことはできない。

ビル・トッテン氏のコラム(Our World) http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/index.html

ビル・トッテン氏が経営する会社 http://www.ashisuto.co.jp/index.html

【2】誰でも分かる政府通貨(公共通貨)入門

震災復興のため、増税議論が盛り上がっています。しかし震災地域だけでなく便乗解雇や連鎖倒産も相次いでおり、低所得者層の負担は増すばかりです。

ベーシックインカムの実現には政府(公共)通貨が必須ですが、なかなかその理念や仕組みが理解できないという声を聞きます。

そこで、政府通貨を勉強したい仲間有志で勉強会を企画しました。ぜひご参加ください。

  • 11月23日(水・祝日)13:30~16:30

  • 経堂地区会館・2階第3会議室 http://mobile.enjoytokyo.jp/東京都世田谷区経堂3-37-13 電話…03-3428-9237(小田急線急行経堂駅北口徒歩8分)

  • 講師…白崎一裕さん(ベーシックインカム・実現を探る会代表)●参加費…500~1000円

  • 主催…ベーシックインカム井戸端会議&小田急線ベーシックインカムシスターズ&ベーシックインカムを考える会

  • 申し込み・連絡先…astrumanimus(あっと)yahoo.co.jp→あっとを@に変えてメールください。

※白崎一裕さんは栃木から新幹線できてくださいます。余裕のある方はカンパお願い致します。

☆お知らせ☆当日は、11月上旬発売の現代書館刊『ベーシックインカムとジェンダー…生きづらさからの解放に向けて』(1800円+税)も販売致します。

執筆者…堅田香緒里・白崎朝子・野村史子・屋嘉比ふみ子・桐田史恵・佐々木彩・瀬山紀子・ミナ汰・吉岡多佳子・楽ゆう

BIメールニュースNo.08.  2011.1.29発行 バックナンバー

BIメールニュースNo.083  2011.1.29発行

【1】もし電子書籍ができたら

ベーシックインカム・実現を探る会 主任研究員  古山 明男

【2】市民が主体のベーシックインカム井戸端会議(仮称)

【3】BIニュース  ワシントン州議会、ワシントン投資信託(WIT)を設立する法案を提出

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私たち「ベーシックインカム・実現を探る会」は、政治的に中立の立場で、「すべての個人への無条件な所得の保証」というベーシックインカムを実現につなげる提言を発信します。

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【1】もし電子書籍ができたら

ベーシックインカム・実現を探る会 主任研究員  古山 明男

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ベーシック・インカム(以下BI)が必要になるもっとも大きな要因は、科学技術の進歩であると思う。

最近の身近な技術革新の中に、考えさせられる例がある。電子書籍である。電子書籍が普及すると、雑誌や書籍が情報化され、「本を買う」ことは「内容をダウンロードする」ことになる。すべての本が電子化することはないだろうが、かなりの本が置き換わるだろう。

消費者にとってはありがたい。本は安くなるであろう。本の品切れもなくなるし、置き場所に困ることもなくなる。 しかし、電子書籍化で失業者がでる。印刷業界の仕事はかなり減るだろう。製本業界は大打撃を受けるだろう。製紙業にもかなりの影響がでるだろう。書店も減るであろう。

電子書籍機器の製造・販売、システムの維持などで増える雇用もある。しかし、失われる雇用の方が大きいだろう。電子書籍は、現在の電器メーカーと情報産業がちょっと手を広げるだけですむからである。 支払われる人件費の総額は減る。出版界全体としての売上げも減るし、GDPも減る。

技術が進歩したために、人間の労働が不要になり、失業者が出る。これは、産業革命以来の問題である。多くの人が、技術の進歩と機械の発達に疑問の目を向けた。しかし、機械に目をとられ、所得=賃金であることは疑われてこなかった。

資源を浪費しないことと、人間を貶めない労働で生産をできるのはよいことではないか。それが科学技術の成果である。しかし、いかなる社会体制であれ、人間が賃金によってしか収入を得られないなら、人間の仕事を減らす機械は、人間の敵になるであろう。生活できない人がたくさんできる。その問題を解決するのがBIである。科学技術と人間が共存するには、BIが必要である。

だれでも生活できるように完全雇用を目指すというのが、従来の考え方である。完全雇用を実現するため社会主義国は企業を国有化したが、非効率で自発性のない労働がはびこり、国全体が倒産した。資本主義国は、効率追求を優先させるが、失業者をたくさん生み出し、完全雇用には程遠い。

BIは文明史的な意義を持っている。技術の進歩によって解放された労働力を、自由にいかなる領域に振り向けることも可能になるからである。BIによってはじめて、我々は科学技術の果実を、社会にもたらすことができるであろう。

<古山明男 氏 プロフィール>

古山教育研究所を主宰 http://www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym/

ブログ「変えよう!日本の学校システム」は多くの支持を受けています。 http://educa.cocolog-nifty.com/blog/

2009年7月12日の当会主催の勉強会で「ベーシック・インカムのある社会」を講演。講演録 http://bijp.net/transcript/article/91http://bijp.net/transcript/article/98

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【2】BIニュース  ワシントン州議会、ワシントン投資信託(WIT)を設立する法案を提出 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ワシントン州議会は1月18日に、上下院両院で、農業や教育、コミュニティや経済の発展、住宅、そして企業の成長を促進することを主旨とする、ワシントン投資信託(Washington Investment Trust, WIT)を設立する法案が提出されました。 http://tinyurl.com/499lbwqhttp://tinyurl.com/4qcjok7
HOUSE BILL 1320(下院で提出された法案、PDFファイル) http://apps.leg.wa.gov/documents/billdocs/2011-12/Pdf/Bills/House%20Bills/1320.pdfSENATE BILL 5238(上院で提出された法案、PDFファイル) http://apps.leg.wa.gov/documents/billdocs/2011-12/Pdf/Bills/Senate%20Bills/5238.pdf
もしこの法案が可決されれば、従来バンク・オブ・アメリカから預託されていた基金を、州独自で保証することになり、この内容は、イリノイ、バージニア、メリーランド、ハワイ、マサチューセッツ、フロリダ、ミシガン、オレゴン、カリフォルニア等の各州で研究・提案されている州立銀行に関する法案と似ています。

下記の記事に、ワシントン州がノースダコタ銀行の総裁に、州立銀行の機能について問い合わせていた主旨がありましたが、素早く法案提出へと動いた形になっています。今後も、この動向に注目していきたいと思います。

http://trans-aid.jp/viewer/?id=13453http://www.huffingtonpost.com/2010/02/16/bank-of-north-dakotasocia_n_463522.html

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BIメールニュースNo.082  2011.1.22発行 バックナンバー

BIメールニュースNo.082  2011.1.22発行

【1】ケア(依存労働)を支えるベーシックインカム(BI)がなければ法と正義も空虚な存在!?

ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

【2】BIニュース  イランのベーシックインカムの続報

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【1】ケア(依存労働)を支えるベーシックインカム(BI)がなければ法と正義も空虚な存在!?

ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

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前回は、「POSSE」所収の萱野論文に対する批判ということで書きだしていたが、自然法とベーシックインカムの問題を考えるなかで、エヴァ・フェダ―・キティ著『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』(白澤社発行・現代書館発売)にふれたので、すこし萱野批判からは脱線するが継続して考えよう。キティは、『正義論』のロールズの批判を中心に論理を展開している。ロールズの論理の中心にある人間像というのは、自由で平等で責任ある選択のできる人間ということだが、その一見、まっとうに思える「自由」「平等」についてキティは、彼女の提案する「依存労働」という概念から「その『自由』『平等』って欺瞞じゃないですか?」という異議申し立てをしているのだ(このキティの指摘は、従来の自然法概念を拡張するものだ)。 人間は、みな「脆弱で傷つきやすい」存在であり、そのことが、人々の道徳的意識・義務の意識に強い影響を与え、その義務が社会や政治のありように大きく影響するという。そして、どのような社会も、子ども、病気や障がいのある人、介護が必要な高齢者などをケアする人がいなければ、まともな社会ではいられないともいう。キティは、ケアされる人を「依存者」ケアする人を「依存労働者」として規定して、ロールズらのとなえてきた「自由で平等で責任ある選択のできる人間」から両者とも排除されてきたではないかと指摘している。特に「依存者を世話する仕事・いとなみ」(dependency work)をする「依存労働者」の隠ぺい・無関心・道徳価値の引き下げが、「依存労働者」を搾取される存在にしてきたと強調する。「依存労働者」については、以下の注目される分析がされている。1、良いケアを受けたいとする「依存者」のニーズと「依存労働者」に対して支払われる市場からの報酬の不均衡、すなわち、市場では依存労働は十分に供給できない。2、依存労働は、女性にかたよって労働分配され、また、従順で愛情形成を促すような性的ふるまいを女性に強制してきたこと。3、「依存労働」が貧困女性や有色女性に強制されてきたことと、白人中産階級は、「依存労働」を担うことを理由に「有償労働」から排除されてきたこと。

上記のキティの分析のうちBIがらみで重要なのは、「依存労働」が「市場ではまかなえない」ということだ。そして「依存者」や「依存労働者」が尊重されない社会は、ケアの社会に対する必然的存在からみて持続可能な社会ではないのである。だとすれば、市場になじまない「依存労働者」をBIによって支え、そして、あらゆるケアの行為をBIによって支えることが、公正な社会の最低条件だということになる。

「依存者」や「依存労働者」を排除し隠ぺいすることなく、「自由で平等で責任ある主体」の欺瞞をあばいた先にある法と正義のありかたを求めること(ケア領域を排除した自由で平等な主体はありえないということ)。そして「依存者」や「依存労働者」が尊厳ある存在として生存できること。この二つの社会の基底部分に対してBIは必然的に必要なものなのだ。しかし、銀行マネーがおおいつくす世界経済には、世界全体のGDPの10倍もの負債が存在するとまでいわれている。こういう負債を生み出すマネーゲームを放置しておきながら、社会にとってなくてはならないケアの領域を支えるBIを「財源がないからユートピアだ」というのは「犯罪的言説」ではないだろうか?みんな、もっと怒っていいのだ。年末の関曠野さん講演会の冒頭の発言にもあった「BIの政治化」ということを熟慮して、BIを実現する運動をしたたかに・しなやかに持続していこうではないか。

<白崎一裕 氏 プロフィール>(第三土曜日執筆)ベーシックインカム・実現を探る会 代表。「とちぎ教科書裁判通信」 http://kazuhihi.blog39.fc2.com/

BS11動画映像 田中康夫 vs 白崎一裕 対談 http://bijp.net/data/article/182

12分レクチャー:白崎一裕「ベーシックインカムまるわかり」 http://bijp.net/data/article/145

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【2】BIニュース  イランのベーシックインカムの続報

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昨年来お知らせしているイランのベーシックインカムについて続報です。

昨年12月19日に、ついに「補助金合理化法」が実施され、価格抑制を目的としていた燃料や生活必需品への政府補助金を段階的に削減し、この補助金カット分を、すべての国民に、所得制限なく一人当たり月約40ドル給付されることが実施されました。

世界各紙で賛否を問わず、イラン史上最も大きな経済計画であることが共通して報じられており、ベーシックインカムというだけでなく、補助金漬けで浪費されていたエネルギー消費を抑えようというエコ的な価値観への転換という意義もあるようです。 http://www.energyjl.com/2011_folder/January/11new0105_11.html

また、補助金が充当された安いガソリンの密輸を防ぐ目的があったり、アフマディネジャド大統領の支持基盤である地方では物価が低いため、その支持基盤の強化という目的もあったりして、イラン独自の背景もあります。

燃料価格高騰を囃す記事もあるようですが、引き続き補助金が充当されるガソリンがあったり、車を複数台保有してガソリン使用量が多くなると補助金が充当されないガソリンを使用しなければならないなど、様々が配慮がなされているためか、トラブルもなく穏やかなスタートとなったようです。 http://www.middle-east-online.com/english/?id=43538

エコノミスト誌が大型記事を掲載していますが、批判的に捉えており、インフレ懸念などこの補助金改革で想定される問題点を指摘するにととまらず、独裁体制に言及するなど踏み込んだ批判をしています。 http://www.economist.com/node/17900396?story_id=17900396&fsrc=rss

まだ不明な点もありますので、引き続きこのニュースを紹介していきたいと思います。

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BIメールニュースへの寄稿を中断するにあたって  関曠野

このほど私はベーシック・インカムについては当分語らないとに決め、このメルマガへの寄稿も中断することにした。これまで連載に付き合って下さった読者諸兄姉に感謝したい。中断の理由は、今の世界恐慌がさらに深刻化し、政府通貨による基礎所得保証という政策が抽象的理論的可能性ではなく、実際的で切実に必要なものとして世に認知される状況を待ちたいということである。そしてこの政策の実現に対する唯一にして最大の障害である議会制と政党政治に対し人々が完全に幻滅するまでは、余計なことは言わないということである。

日本でも海外でもBIはやはり福祉国家論の延長線上で論じられていることが多いように見える。そこから福祉と同じく所得税や消費税などによる税収がBIの財源とされる。こういう立場は現代の租税国家が恐慌にも関わらず今後とも存続可能であることを前提にしている。だが私からみると、我々が目下直面しているのはこの租税国家自体の解体の危機なのである。

では近代の租税国家とは何か。この国家は絶えざる経済成長を前提にして設計された国家である。国家は市民から強制的に徴税するが、税収は経済発展の条件を整備するために使われるので、経済成長が市民の福利や福祉をさらに充実させることになり結局徴税は市民にとってプラスになるという理屈で税制は正当化される。もし国家予算に比して税収が不足した場合には国家は銀行に国債を買ってもらって赤字を補填するが、これは臨時的例外的な措置であり、もちろん将来の経済成長を前提にしなければ国債の発行はできない。国や自治体が私企業のように事業の拡大を目指してなどいないのに銀行に借金して利子を払うのはおかしいだろう。だから国債の発行は財政上の一時的な困難に対処するためのあくまで臨時的例外的な措置なのである。

ところが1970年代以降の経済の低成長の中で先進諸国では国債による財政赤字の補填が常態になってしまった。成長を前提にした国家体制から転換できなかったからである。そのうえ90年代のバブル崩壊後の日本などは愚かにも国家主導の経済成長を意図して土建型公共事業バラマキ財政をやったため国家の銀行に対する負債は爆発的に増大した。これは自民党が成長型国家を維持するため、そしてバブル破裂で破産状態になった大手銀行を救済するための政策だったと言える。

そして負債に喘ぐ先進諸国の租税国家に対する止めの一撃となったのが、リーマン・ショックを契機にした銀行マネーの世界的な崩壊である。各国の政治家は銀行の利子経済の崩壊は経済そのものの崩壊を意味すると思い込み、国民の公金で事実上すでに破産しているゾンビ銀行を支えようとした。その結果銀行の危機と国家の危機は完全に一体化してしまった。今や各国の政府は銀行のエージェントにすぎない。例えばEUが財政的に破綻したギリシャやアイルランドに対して行った支援なるものは、両国の国民のためのものでなく、両国に貸し込んでいる独仏その他の大手銀行を助けるためのもので、この支援の結果両国の国民は孫の代まで銀行の債務奴隷として生き働くことになる。そして両国の政府がEUの大手銀行を債権者として納得させるために打ち出した過酷な増税や緊縮財政は経済をさらに冷え込ませる。しかもギリシャとアイルランドから搾り取ったマネーは結局ゾンビ銀行を立て直すことはできない。70年代以来の低成長に代わって今は金融資本の破綻から生じた底知れないブラック・ホールがあるのだ。

いずれ国の税収のすべてが国債を買った銀行への利払いに充てられる日が来れば、そこで議会制民主主義は終焉することになる。国家予算というものは無くなり、国家はもう市民に何のサービスもせず、銀行への上納金を市民から取り立てることだけがその役割になる。もちろんこの極限状態に到る以前に租税国家は解体し始めるし、現に解体しつつある。

では税金とは一体何なのか。現代経済は銀行マネーで動いており、銀行は私企業としての利益しか眼中にないので、その融資が社会にどんな影響を及ぼそうがお構いなしである。これでは社会は大混乱に陥るので、公共性を名分に掲げ社会を多少とも安定させることで銀行マネーの支配を補完する副次的な通貨流通のシステムが必要になる。これが租税なのである。だから順調な経済成長で銀行マネーが安泰な時期には福祉国家が拡大するが、銀行マネーが揺らげば福祉や社会保障どころではないことになる。そして租税国家は銀行マネーのサブシステムである以上、破産した銀行の救済に税金が投入されるのはある意味で”当然”なのである。

それゆえに租税国家の危機を打開するためには、銀行マネーに代わる通貨体制を構築するしかない。増税や緊縮財政はこの国家の自滅を促進するだけである。そして利子付き負債としてのマネーに取って代わるのは、政府が公共の福利のために国民経済計算上の客観的根拠に基づいて無利子で発行する政府通貨である。連載で述べたように、これについては、日本とドイツが政府通貨によって30年代大恐慌から速やかに脱却できたという歴史的先例がある。

しかしここで議会制と政党政治が政府通貨の発行に対する唯一で最大の障害として現れてくる。議会制は租税国家に適合した制度であり、そして会計としての国家財政を前提に税の取り方と使い方をめぐる党派争いで政治家たちが野心を満足させることが政党政治の存在理由である。しかるに国民経済の客観的な必要に基づいて通貨が供給されるようになると国家財政の財源という問題は消えてしまい、政党は存在する理由がなくなる。そこで必要とされるのは弁舌巧みな野心家ではなく良心的で賢明な通貨管理のプロである。こうした改革に対してはどの政党も死に物狂いで抵抗するだろう。

それでも万が一議会制の枠内で政府通貨が発行されたら何が起きるか。政府通貨は選挙で勝った党派が経済を私物化しその支配を永続させるために使われるだろう。中国の人民元はそういう共産党の独裁の道具としての党派マネーであり、党のパワーゲームのための通貨はウオール街のマネーゲームに劣らず歪んだ自己破壊的な経済を生み出している。

政府通貨が信認される根拠は政府の権威というより、その発行と使途の公共性についての全人民の合意である。だから政府通貨の発行に際しては、国家予算の編成の徹底的な民主化が必要になる。この民主化はそれほど難しくない。中央銀行と並んで中央の政府を廃止すればよいのである。具体的に言えば、国家を自治体の連合体として再組織し、各自治体が市民が参加して編制した予算案を国家信用局に提出し、信用局が国民経済全体の視点からそれらを調整し統合すればよいのである。この場合、信用局の主な課題はインフレの予防である。

そして一度政府通貨が発行されたならば、生産と消費を均衡させ経済を安定させるために、政府通貨によるベーシック・インカムの保証は不可欠な政策になるだろう。

私は12月27日に東京で「ベーシック・インカムについて考える」と題した講演をすることになっているのだが、ここでは主に租税国家の解体を問題にし、ベーシック・インカムは「まずBIありき」ではなく最後の結論として出てくるものであることを強調したいと思っている。そしてこれ以後当分はBIについて語らないつもりである。