前回のメルマガで紹介した『BEYOND GROWTH』(『持続可能な発展の経済学』みすず書房、ハーマン・E・デイリー著)には、ユニークな経済思想家にして放射性物質の崩壊研究などで業績をあげた化学者のフレデリック・ソディの紹介がある。ソディという人は、いまの日本の状況において予言的な人物といえる。ソディは、アイソトープの存在を予言して原子構造の近代理論へも重要な貢献をする。しかし、彼は、原子力エネルギーの破壊性に警告を発しその破壊性から世界を守るためには経済社会の変革が必要であると考え、経済研究に向かったという人物である。原子力と経済社会、これは3・11以後の思考で、最も必要とされる視線だろう。ソディは、経済学には、熱力学の法則(エントロピー論)が決定的に重要だということを指摘すると同時にきわめて示唆的なことを論じている。「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」という貨幣論と資本主義論にかかわることだ。ソディは、社会信用論のダグラスとは、違う場所から「利子つき負債」の問題性に気がついていたのだ。
私は「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」ということとエントロピー論にみちびかれながら、経済成長と原発の関連について考えてみようと思う。そこで関連するいくつかの歴史的・経済的事実を列挙しておこう。
①日本経済の借金(負債)は、GDPのおよそ2倍の1000兆円近くにもなるという。この巨大な負債は、国債によりまかなわれているのだが、国債は永遠の昔から発行されてきたわけではない。1970年代前半は、ドルと金の交換を停止したニクソンショックではじまったようなものだが、この影響で世界的なインフレ状況におちいっていたところにオイルショックが勃発する。1973年の第四次中東戦争により原油価格が値上がりして、74年には、戦後初のマイナス成長となる。トイレットペーパー騒動などの物不足パニックがおきるのもこのころだ。次の年の75年には、オイルショック不況で3.5兆円の税収不足が予測されたため、政府は赤字補てんを目的とした「特例国債(赤字国債)」を発行した。75年の赤字国債発行がその後の国債の大量発行、すなわち「負債の増大」への道を開くこととなる。注目点は、この国債発行の発端がオイルというエネルギー問題にあったということだ。
②日本の原子力発電の運転開始が次々とはじまったのは、やはり、1970年代になってからである。70年代に20基(年平均2基)80年代以降も年1.5基のペースですすめられた。この増加の仕方は、90年代半ばまで直線的増加をしている。90年代以降も増加ペースはかなり鈍るが微増という形で連続増加してきた(3・11以前は)。科学史家の吉岡斉は、増加する原発建設数を「石油危機などの社会的動きと無関係にすすめられてきたという事実」と表現しているが(『新版・原子力の社会史』朝日新聞出版)、やはり70年代以降の原発増設は、内外のエネルギー問題を反映していると考える方が自然で、政府が「エネルギー安全保障」と表現してきた政策の一環に原発推進政策があったことは間違いないところではないだろうか。
③この原子力発電の設置を主導してきたのは通産省(経済産業省)であり、吉岡は、前掲書で、このプロセスを「社会主義計画経済を彷彿させる」と表現している。実際、国家プロジェクトとしての原発には、多額の国家予算・税金が投入されている。原子力開発費には、国の予算の電源開発促進対策特別会計【電源特会】(電源特会は2006年度まで。この後はエネルギー特会に一本化)と一般会計(エネルギー対策費)のふたつがあり、立地対策費も含めると電源特会の70%(ピーク時の2002年度の総額は4927億円)、一般会計エネルギー対策費の97%(ピーク時の1986年の総額は1747億円)が原子力関連予算として使われている。加えて原子力発電においては、発電後に行う「バックエンド事業」(放射性廃棄物の処理、再処理を含む核燃料サイクル事業など)が膨大な費用を生む。政府審議会の不十分な計算でも18.8兆円もの費用が発生する(本当は、これだけでは、足りなくて2倍から数倍になる計算)。この費用負担は、電気料金に加算され消費者の負担となる構造である(以上の分析は、『再生可能エネルギーの政治経済学』大島堅一著、東洋経済新報社、から学んだ)。
④東京電力の大株主の状況(平成23年3月31日現在)は、上位10株主の多くが銀行などの金融機関である。たとえば、筆頭は、日本トラスティ・サービス信託銀行、以下には、第一生命、日本生命、日本マスタートラスト信託銀行、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行、などが並んでいる。
⑤ちなみに、①にあげた国債を買っているのは、郵貯22・8%、一般銀行13.4%、一般保険・年金13.5%、日銀8.2%(2010年3月末時点での国債残高771兆円において)という銀行などの金融機関である。
⑥熱力学の法則によれば、(閉じた系では)エネルギーの総量は増えも減りもしないが(熱力学第一法則・エネルギー保存の法則)、そのかたちは質も含めて変化していく。そして不可逆にエネルギーの質が劣化して拡散する向きにしか流れない(熱力学第二法則・エントロピー増大の法則)。この理論によれば、下級のエントロピーの大きい熱から上級のエントロピーの小さい電力を取り出すことは困難で、損失が避けられない、したがって、発電効率はけっして良いものではなくて火力発電で約6割、原子力発電で7割近くの熱が、電気に変えられずに廃熱として捨てられる(以上のことは、『反原発出前します』高木仁三郎著・七つ森書館および『エントロピーと工業社会の選択』河宮信郎著・海鳴社から学んだ)。
以上、箇条書きしてきたこのメモのような羅列は何を意味しているのか?ソディの「負債の増大」ということと関連付けて考えてみると「ある」ことがわかってくる。化石燃料(オイル)というものに浮かんできた経済成長は、オイルの供給が不安定(割高)になることで、国家の税収をおびやかし、国の借金【負債】を増やす結果となった。しかし、その借金の山が経済成長という妄想を支えてきた。オイルの不安定さを回避するというお題目で増設を続けてきた原子力発電所は、実は、国家の財政で賄われてきた。ここには税金に加えて国の借金【負債】が加わっている。また、原子力発電は、放射性廃棄物という別の形の【負債】を生み出し、その処理費用(バックエンド)は、電気料金という形で国民に転嫁されている。また原子力発電は、廃熱という【負債】を生み出し環境を汚染する。加えて、3・11の原発事故は、原発自体が巨大な危険【負債】であることを国民に知らしめた。
その原発を資金的に支え(大株主)「利子つき【負債】」として資金貸付をおこなっているのが銀行である。銀行は、そもそも、国家の借金(国債)をも買い取り、国家を借金サイクルに従属させている。そして国家の借金の一部が原発にもながれるという銀行利潤につながる負のサイクルが完成するのだ。ここで、重要なのは、銀行マネーが、負債のサイクルを回してそのサイクルを増大させていることである。この負のサイクルは、二重になっていて、国家と経済成長というサイクルと環境負債の増大というサイクルがからみあっている。そして、そのふたつのサイクルの結節点に原発があるのだ。
いささか抽象的で申し訳ない。上記には、国家・銀行・原発(エネルギー産業)の構造悪トライアングルがあり、この課題を分析することなく、ベーシックインカムの議論だけをしていてもむなしい空理空論の蓄積が残るだけだろう。次回からは、箇条書きにあげたひとつひとつについて議論を深めたいと思う。
(この稿続く)