成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道 (2) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

前回のメルマガで紹介した『BEYOND GROWTH』(『持続可能な発展の経済学』みすず書房、ハーマン・E・デイリー著)には、ユニークな経済思想家にして放射性物質の崩壊研究などで業績をあげた化学者のフレデリック・ソディの紹介がある。ソディという人は、いまの日本の状況において予言的な人物といえる。ソディは、アイソトープの存在を予言して原子構造の近代理論へも重要な貢献をする。しかし、彼は、原子力エネルギーの破壊性に警告を発しその破壊性から世界を守るためには経済社会の変革が必要であると考え、経済研究に向かったという人物である。原子力と経済社会、これは3・11以後の思考で、最も必要とされる視線だろう。ソディは、経済学には、熱力学の法則(エントロピー論)が決定的に重要だということを指摘すると同時にきわめて示唆的なことを論じている。「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」という貨幣論と資本主義論にかかわることだ。ソディは、社会信用論のダグラスとは、違う場所から「利子つき負債」の問題性に気がついていたのだ。

私は「負債は永遠に増加できるが富は増加できない」ということとエントロピー論にみちびかれながら、経済成長と原発の関連について考えてみようと思う。そこで関連するいくつかの歴史的・経済的事実を列挙しておこう。

①日本経済の借金(負債)は、GDPのおよそ2倍の1000兆円近くにもなるという。この巨大な負債は、国債によりまかなわれているのだが、国債は永遠の昔から発行されてきたわけではない。1970年代前半は、ドルと金の交換を停止したニクソンショックではじまったようなものだが、この影響で世界的なインフレ状況におちいっていたところにオイルショックが勃発する。1973年の第四次中東戦争により原油価格が値上がりして、74年には、戦後初のマイナス成長となる。トイレットペーパー騒動などの物不足パニックがおきるのもこのころだ。次の年の75年には、オイルショック不況で3.5兆円の税収不足が予測されたため、政府は赤字補てんを目的とした「特例国債(赤字国債)」を発行した。75年の赤字国債発行がその後の国債の大量発行、すなわち「負債の増大」への道を開くこととなる。注目点は、この国債発行の発端がオイルというエネルギー問題にあったということだ。

②日本の原子力発電の運転開始が次々とはじまったのは、やはり、1970年代になってからである。70年代に20基(年平均2基)80年代以降も年1.5基のペースですすめられた。この増加の仕方は、90年代半ばまで直線的増加をしている。90年代以降も増加ペースはかなり鈍るが微増という形で連続増加してきた(3・11以前は)。科学史家の吉岡斉は、増加する原発建設数を「石油危機などの社会的動きと無関係にすすめられてきたという事実」と表現しているが(『新版・原子力の社会史』朝日新聞出版)、やはり70年代以降の原発増設は、内外のエネルギー問題を反映していると考える方が自然で、政府が「エネルギー安全保障」と表現してきた政策の一環に原発推進政策があったことは間違いないところではないだろうか。

③この原子力発電の設置を主導してきたのは通産省(経済産業省)であり、吉岡は、前掲書で、このプロセスを「社会主義計画経済を彷彿させる」と表現している。実際、国家プロジェクトとしての原発には、多額の国家予算・税金が投入されている。原子力開発費には、国の予算の電源開発促進対策特別会計【電源特会】(電源特会は2006年度まで。この後はエネルギー特会に一本化)と一般会計(エネルギー対策費)のふたつがあり、立地対策費も含めると電源特会の70%(ピーク時の2002年度の総額は4927億円)、一般会計エネルギー対策費の97%(ピーク時の1986年の総額は1747億円)が原子力関連予算として使われている。加えて原子力発電においては、発電後に行う「バックエンド事業」(放射性廃棄物の処理、再処理を含む核燃料サイクル事業など)が膨大な費用を生む。政府審議会の不十分な計算でも18.8兆円もの費用が発生する(本当は、これだけでは、足りなくて2倍から数倍になる計算)。この費用負担は、電気料金に加算され消費者の負担となる構造である(以上の分析は、『再生可能エネルギーの政治経済学』大島堅一著、東洋経済新報社、から学んだ)。

④東京電力の大株主の状況(平成23年3月31日現在)は、上位10株主の多くが銀行などの金融機関である。たとえば、筆頭は、日本トラスティ・サービス信託銀行、以下には、第一生命、日本生命、日本マスタートラスト信託銀行、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行、などが並んでいる。

⑤ちなみに、①にあげた国債を買っているのは、郵貯22・8%、一般銀行13.4%、一般保険・年金13.5%、日銀8.2%(2010年3月末時点での国債残高771兆円において)という銀行などの金融機関である。

⑥熱力学の法則によれば、(閉じた系では)エネルギーの総量は増えも減りもしないが(熱力学第一法則・エネルギー保存の法則)、そのかたちは質も含めて変化していく。そして不可逆にエネルギーの質が劣化して拡散する向きにしか流れない(熱力学第二法則・エントロピー増大の法則)。この理論によれば、下級のエントロピーの大きい熱から上級のエントロピーの小さい電力を取り出すことは困難で、損失が避けられない、したがって、発電効率はけっして良いものではなくて火力発電で約6割、原子力発電で7割近くの熱が、電気に変えられずに廃熱として捨てられる(以上のことは、『反原発出前します』高木仁三郎著・七つ森書館および『エントロピーと工業社会の選択』河宮信郎著・海鳴社から学んだ)。

以上、箇条書きしてきたこのメモのような羅列は何を意味しているのか?ソディの「負債の増大」ということと関連付けて考えてみると「ある」ことがわかってくる。化石燃料(オイル)というものに浮かんできた経済成長は、オイルの供給が不安定(割高)になることで、国家の税収をおびやかし、国の借金【負債】を増やす結果となった。しかし、その借金の山が経済成長という妄想を支えてきた。オイルの不安定さを回避するというお題目で増設を続けてきた原子力発電所は、実は、国家の財政で賄われてきた。ここには税金に加えて国の借金【負債】が加わっている。また、原子力発電は、放射性廃棄物という別の形の【負債】を生み出し、その処理費用(バックエンド)は、電気料金という形で国民に転嫁されている。また原子力発電は、廃熱という【負債】を生み出し環境を汚染する。加えて、3・11の原発事故は、原発自体が巨大な危険【負債】であることを国民に知らしめた。

その原発を資金的に支え(大株主)「利子つき【負債】」として資金貸付をおこなっているのが銀行である。銀行は、そもそも、国家の借金(国債)をも買い取り、国家を借金サイクルに従属させている。そして国家の借金の一部が原発にもながれるという銀行利潤につながる負のサイクルが完成するのだ。ここで、重要なのは、銀行マネーが、負債のサイクルを回してそのサイクルを増大させていることである。この負のサイクルは、二重になっていて、国家と経済成長というサイクルと環境負債の増大というサイクルがからみあっている。そして、そのふたつのサイクルの結節点に原発があるのだ。

いささか抽象的で申し訳ない。上記には、国家・銀行・原発(エネルギー産業)の構造悪トライアングルがあり、この課題を分析することなく、ベーシックインカムの議論だけをしていてもむなしい空理空論の蓄積が残るだけだろう。次回からは、箇条書きにあげたひとつひとつについて議論を深めたいと思う。

(この稿続く)

成長を超えて~~ベーシックインカム・通貨改革と脱原発への道(1) ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

まず、最初にお断りしておくが「実現を探る会」総体が「脱原発」かどうかは、会員全体でこのことに特化して議論したことがないので、「わからない」と申し上げておく。このメルマガの連載は、あくまでも私個人の見解であり、現在の私の行動指針でもある。また、今回のメルマガは、本論への予告編である。

私個人は、1970年代の後半から、一貫して「反原発・脱原発」の考えをもってきた。その理由は、単純明快なことで、よく原発の議論のなかでいわれる「便所なきマンション」ということだった。放射性廃棄物の捨て場所がない(処理できない)ものを稼働させておくことの反論理・反生態学的な原発への反感が基本だったと思う。

さて、私の立場を明らかにした上で、本題に入ろう。

ここのところ福島第1原子力発電所事故後のひとつの山場ともいえる議論が連日続いている。言うまでもないが、私の生まれた福井県にある大飯原発の再稼働をめぐる議論である。ここでの議論はひとつのステレオタイプを生み出している。それは再稼働させたい勢力に顕著であり、かならず恫喝をともなっている。

たとえば、4月25日の「産経ニュース、京都大学原子炉実験所教授・山名元 原発ゼロは危険な「社会実験」だ」という論説である。ここでの議論は、「原発を動かさないでゼロにすることは、日本経済を沈没させてしまう、沈没を阻止するには原発を動かせ」ということにつきる。ステレオタイプの恫喝といったのは、まさにこういうことなのだ。原発がないと食えなくなるぞ!と吠えている。しかし、本当にそうだろうか。もちろん、このメルマガの読者なら「ベーシックインカムがあるからだいじょうぶだ」と反論するかもしれない。

私は、その結論を持ち出してくる前に、その根拠をつめて議論してみたいのだ。いまや、ベーシックインカムという制度を単独で議論している段階はとっくに過ぎ去ってしまった。(3・11以降、特に!)現在の社会・政治状況のなかでベーシックインカムや通貨改革をどのように志向していくのかを考えなければならない。

話を原発がないと経済がたちゆかない、経済成長しない~~という議論に戻そう。ここに含まれている根本思想は「経済成長は善なるもの(必要不可欠なもの)」ということだ。しかし、ベーシックインカム派や政府通貨論者のなかにもこういう思想は根深くある。「ベーシックインカム導入で経済も成長する!」「政府通貨で経済大成長!」という言説を耳にしたことはないだろうか?

経済成長を議論するときに、私たち庶民には、いまひとつピンとこないが、かならず登場する指標にGDP(国内総生産)とかGNP(国民総生産)とかいう用語がある。GDPが何%伸びたとかいう報道もよく聞く。どうも、これらは経済成長や経済的豊かさの指標らしい。しかし、この指標はほんとうに経済成長とかいうものをあらわしているのだろうか。メルマガのタイトルにつけた『成長を超えて~~BEYOND GROWTH』ハーマン・E・デイリー著という本がある(邦訳は『持続可能な発展の経済学』みすず書房)。このなかで、デイリーがこう述べている、(すこし長いがそのまま引用しよう)

「国民経済計算は成長の費用を反映できないような仕方で設計されている。たとえば、結果的に生じた防衛的支出は、曲解して、さらなる成長として計算される。われわれが生活するのに頼っているのは所得なのか資本なのか、利子なのか元本なのかをGNPはあきらかにしない、という指摘はいまとなっては陳腐だ。化石燃料、鉱物、森林および土壌の減耗償却は資本の消費だが、GNPはいまもなお、そうした持続不可能な消費を、持続可能な産出物の生産(真の所得)とまったく区別せずに扱っている。しかし、われわれはプラスの資本(富)の蓄積を取り崩してしまうだけでなく、有害廃棄物の堆積および使用済み核のかたちでマイナスの資本(有害物)も蓄積している。生産された財が蓄積されたらいつでもそれが「経済成長」であると無頓着に語ることは(中略)並はずれた偏見を表すことだ」(P57)

この文章を読んで気がついた。いま、福島のセシウムの除染で年間1ミリシーベルト以下にすることが可能だとして、その費用は23兆円もかかるという試算を聞いたことがある。この23兆円は、GDPの中に計算されるのだろうか。されるとして、それを「経済成長」と言われて納得できるだろうか?みなさんはどうだろう。デイリーによれば、それは、きわめて怪しいことだということになる。否、デイリーにいわれなくても汚染された大地を取り戻す作業が(可能性も低いのに)「経済成長」なんていわれると詐欺にあったような気分になるではないか。「経済成長」の中身なんてそんなものである。いまの日本は本当に経済成長しているのか、また、経済成長なんてもう終焉しているのではないか、経済成長を続けていくことなんて可能なのか、こういうことをふまえながら同時にベーシックインカムや通貨改革そして脱原発について考えていきたい。(この稿続く)

【翻訳】リミニでの我がオスカー授賞式 マイケル・ハドソン

 イタリアの町、リーミニ(フェリーニの生まれ故郷で有名)で、ケインズ左派のマイケル・ハドソンらの通貨改革などの経済問題の話を2100人もの人が集まって聞いたというYouTubeの会場風景映像と、そのハドソンの報告をお伝えします。

 

原文:Our Very Own Oscar Night in Rimini By Michael Hudson 

 

  マイケル・ハドソン: 前証券エコノミスト。UMKC(ミズーリー大学カンザス校)の著名な研究教授。”Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire”(new ed., Pluto Press, 2002)他、著書多数。近刊予定 ”Hopeless: Barack Obama and the Politics of Illusion” (AK Press)に寄稿。(本稿は、2012年2月27日、website「カウンターパンチ」に掲載された[前日、アカデミー賞授賞式でオスカー像が授与されている]。

 

  私はちょうど、イタリアのリミニから帰った時だった、リミニでは、研究人生のなかでももっとも素晴らしい光景のひとつを経験した。カンザス大学ミズーリー校(UMKC)に関係する我々4人は、現代通貨論(MMT)について3日間にわたって講演するために招かれ、欧州が何故今日のような通貨危機にあるのを説明し、他の選択肢があること、99%に課せられた緊縮財政と1%による巨大な富の獲得が自然の力によるものではないことを説明した。

 

  ステファン・ケルトン(UMKCの経済学ブログNew Economic Perspectivesの次期代表・編集者)、犯罪学者・法学教授のビル・ブラック、投資銀行家のマーシャル・アウエルバッハと私は、フランスの経済学者アラン・パークスとともに、金曜日の夜、講堂となったバスケットボール場に踏み入った。2100人以上と伝えられた聴衆で満員の会場の中央通路をはるばると歩いた。聴衆が我々をファーストネームで呼びかけ、オスカー授賞式会場に入るようなものだった。彼らは全員が我々のブログを読んでいるとのことだった。ステファニーは、ビートルズがどんなに感じたが判ったと言った。スポーツイベントではなく知的イベントのための拍手が長く続いた。

 

  もちろん、対戦相手がそこにいなかったことが違いであった。多数の報道陣がいたが、優勢なユーロ・テクノクラート(欧州の経済政策を決定する金融ロビーイスト)は、緊縮策への可能な代替策の議論が少なければ少ないほど、彼らの横暴な金融支配を貫徹することがより容易になることを願っていた。

 

  我々の米国から(アランはフランスから)の飛行機代とリミニ海岸のフェデリコ・フェリーニ・グランド・ホテルの宿泊費集めのために、聴衆の全員が寄付をしてくれていた。会議は、パオロ・バルナルド記者が組織したものだが、彼はランダル・レイとともに現代通貨論(MMT)を学び、イタリアのマスコミ文化のなかに、何が欧州の生活状態を実際に決定づけているかの議論の必要があることに気づいた。その議論とは、この危機を、領地を拡大する新しい金融領主となる機会とすることを願う金融エリートの登場、赤字を賄うような中央銀行を持たず、公債所有者とネオリベラル[新自由主義]派から選ばれたユーロ官僚の世話になっている政府が売り払いつつある公的領域の民営化ということについである。

 

  パオロと多数の通訳・インターンのサポートスタッフは、米国では最近までほとんど聞くことのなかった金融・税理論へのアプローチを聞く機会を与えてくれた。ちょうど1週間前のワシントンポストは、現代金融論(MMT)をレビューする記事を掲載し、フィナンシャル・タイムズは長文の討論でフォローした。しかし、その理論は、主としてUMKC経済学部とバード大学レヴィー研究所(我々の大半がそれに関係しているが)でのものにとどまっている。

 

  我々の主張の主眼は、商業銀行がコンピューターのキーボード上で信用創造する――借主が利子付き借用証書に署名するのと引き換えに当座勘定信用を与える――のと同じように、政府も貨幣を創造することができるということである。銀行から借り入れる必要なくして、キーボードが行うと同じように、政府が財政支出を賄うためにほぼ自由に信用創造することである。

 

  もちろん政府が自由に信用創造するといっても、政府は(少なくとも原則として)、長期の成長と雇用を促進するために、それを支出することが違いである。それによって公的インフラに投資し、健康ケアその他の基礎的な経済的機能を調査・開発し、提供するのである。銀行のそれは、もっと短期枠のものであり、所定の担保物件の提供を条件に貸し付ける。銀行の貸付の約80%は、不動産担保の住宅ローンである。その他の貸付は、リバレッジド・バイアウト[買収先企業の資産を担保とした借入金による企業買収]と企業買収のためになされている。しかし、企業による最近の固定資本投下の大半は、内部留保から賄われている。

 

  残念ながら、企業利益の流れは、ますます金融セクターに向けられている。銀行への返済や違約金としてだけではなく、自社株の買戻しのためにである。その目的は、株価を維持し、それによって今日の金融化された企業が経営者に与えるストック・オプションの価値を維持するためである。株式市場――教科書の図表では、いまだに新しい投資資金を集めるものだと説明しているが――について言えば、高利のジャンク債のような信用をもとに企業を買収し、株を借金と交換する道具と化している。あたかもそれが事業を行うための必要経費であるかのように、利子の支払いが控除されるので、企業の所得税負担が低減されるのである。課税当局が放棄するものは、だらけの経済によって富を得る銀行と公債所有者への支払いのために利用されるのである。

 

  脱工業化経済、金融型経済の時代へようこそ! である。産業資本主義は、金融資本主義の諸段階の連続の時代に入ったのである。:バブル経済から、[企業の資産から負債を差し引いた場合にマイナスとなる]負の資産、担保権執行の時代、債務デフレ、緊縮財政、とくにPIIGS(ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン)をはじめとする欧州諸国の陥った債務支払いのための日雇い労働者身分のような段階へ、である。バルト諸国(ラトヴィア・エストニア・リトアニア)は既に余りにも深く債務に陥ったため、住民が外国で仕事を探し、借金を背負った不動産から逃れるために移住しつつある。2008年の銀行暴利の崩壊以来、同じことがアイスランドを見舞った。

 

  経済学者は何故、この現象を論述しないのか? その答えは、政治的イデオロギーと分析上の目隠しの組み合わせである。日曜の夕方に会議が終わるやいなや、例えば、ポール・クルーグマンの「ニューヨーク・タイム」のコラム「欧州を苦しめているのは何か?」(2月27日、月曜日)は、欧州問題を単に、自国通貨の切り下げができない各国の無能力のせいにした。彼は、問題を欧州の福祉支出、財政赤字をユーロ圏問題の原因とする共和党の路線を正当に批判したのだ。

 

  しかし彼は、EU憲章にガラクタ経済学者が書き込んだ結果として、赤字を通貨化[公債を引き受け]できないという、欧州中央銀行(UCB)に科せられた束縛の問題を説明から除外している。

  「もし[EU]周辺国がまだ独自通貨を持っていたならば、急いで競争力を回復するために自国通貨の切り下げという手段を使えるし、使うだろう。しかし、そうはしない。ということは、それらの国は長期の大量失業と緩慢で過酷なデフレの状態に置かれることを意味する。彼らの債務危機はおもに、この悲しい展望の副産物なのである。落ち込んだ経済が財政赤字につながり、デフレが債務負担を拡大するからである。」


  貨幣価値の下落は、輸入品価格を上昇させる一方で、労働力の価格を引き下げるだろう。外国通貨建ての債務負担は、通貨切り下げと調和させるなかで増大するだろう。それによって、政府が自国通貨建て債務を切り下げる法律を通さない限り、さらに問題を生み出すこととなる。これは、(米国がそうであるように)公債はつねに自国通貨建てで発行せよという、国債金融の第一義的指令を満足させるものとなる。

 

  1933年、フランクリン・ルーズベルトは、合衆国内の融資契約における「金約款」(銀行その他の債権者が債務者から同等価値の金で支払われることを可能にしていた)を撤廃した。しかし、クルーグマンは、いつもの新古典派的手法において、債務問題を無視している。

 

  とくに苦しんでいる国には、悪い選択肢しかない。デフレの痛みを味わうか、ユーロから離れるという大胆な選択肢しかない。それは、他のすべてが失敗に終わる(ギリシャはそれに近づいている)までは政治的に実行不能であろう。ドイツは、それ自身の緊縮政策を改定し、インフレを受け入れることによって助けることができようが、それはありえない。

 

  しかし、ユーロから撤退する国がユーロを苦しめているネオリベラリズム政策を維持するならば、ユーロから離れても、緊縮財政、担保権執行、債務デフレを回避するのに十分ではない。ユーロ後の欧州経済が中央銀行を有し、なお公的財政赤字を賄うことを拒否し、政府が商業銀行や公債所有者からの借金を強いるとしたら、どうだろうか? 政府が、経済に対してその成長力を提供することよりも財政をバランスさせるべきだと考えるとしたら、どうだろうか?

 

  アイルランドのように、政府が公的福祉支出を削減したり、損失を出した銀行を救済したり、赤字の銀行に政府のバランスシート上で賭けをさせるようになったら、どうだろうか? ついでに言えば、アイスランドができなかったように、政府が不動産担保ローンその他の債務を債務者の支払い能力までに減額しないとしたら、どうだろうか? その結果は、なお続く債務デフレ、財産への担保権執行、失業、そして国内の経済と雇用機会の縮減による国外移民の波となるだろう。

 

  それでは何がカギなのだろうか? 中央銀行が設立されたときにやるべきこととされたことを行うような中央銀行を持つことである。すなわち、政府の財政赤字を貨幣化[公債を買い取ること]して、経済成長と完全雇用のために最善の方法で、お金を経済に投入できるようにすることである。

 

  これがMMTのメッセージであり、我々5人がリミニの聴衆に説明するために招かれた意味であった。何人かの参加者がやってきて、はるばるスペイン、フランスから、そしてイタリア中からやってきたと説明した。新聞・ラジオ・テレビから多数の取材を受けたが、政治的にまずいとの理由で、主要メディアは我々を無視するよう指示されていたと聞かされた。

 

  それが、ネオリベラルの通貨緊縮策なのである。そのモットーはTINA(There Is No Alternative=選択肢はない)であり、事態をこのように維持したいのである。どれだけ多くの選択肢があるかの議論を封じ込めることができる限り、市民がその生活条件が縮小され、富が経済ピラミッドの頂点の1%に吸い上げられることに、市民の黙従が続くことが彼らの願いなのである。

 

  聴衆は、何よりもステファン・ケルトンからその説を聞きたがった。彼は、経済学について私がこれまでに聞いたなかで、もっとも明確な説明を提示した。MMTの論理のユークリッド的な提示である。映像を見て欲しい。最後には、コンサートのように感じた。

 

  本当の中央銀行がどのように緊縮を回避し、雇用を後退させるのではなく促進するかについての経済上の説明を聞くために会場を埋めた聴衆の規模は、国民を洗脳しようという政府の企みがうまくいっていないことを示すものであった。政府のそれは、ハーバード大学経済学部101番教室に、はるかに及んでいない。ハーバードの学生は、間接債務、金利などの不労所得でのただ飯食い、そして寄生的金融の分析を除外した経済の図式絵を描く非現実的な異世界に抗議して、退場したのである。

橋下徹大阪市長のベーシックインカムを分析・評価する ベーシックインカムメールニュース編集長 野末雅寛

橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会が「船中八策」でベーシックインカム(BI)を検討していることを表明したことが大きな反響を読んでいます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120213-00000000-san-pol

また、橋下氏がTwitterでも踏み込んで発言していることもあり、現時点でBIについて考えていることが見えてきましたので、分析・評価してみます。

http://blogos.com/article/31892/

http://blogos.com/article/32052/

評価できる点は、補助金を業界団体という供給サイドから、住民という需要サイドに振り向けることがBIだとしている点です。私たちの資源を法人から個人へと移すことになるわけです。そして橋下氏が指摘するように、役所の権限や仕事を減らすことにもつながるでしょう。莫大な財源が眠るとされる特別会計にメスを入れてBIの財源とする財源論が一部で支持されていますが、それとも重なるところがあるでしょう。

しかし、他方でTPPに賛成し、成長戦略という名のもとに供給サイドに補助金を振り向ける可能性も見られ、両者は矛盾しているように見えます。TPPに賛成しては、海外から安い商品とサービス、労働力が流入してしまい、せっかくBIで需要を底上げした分を損なってしまいます。

さらに、負の所得税とBIを抱き合わせで提案している点が疑問です。負の所得税はミルトン・フリードマンが提唱した考え方で、福祉を全て民営化して、その分を一定収入以下の人に、所得額に反比例して現金支給する方が効率的であるとする考え方です。これは、すべての個人に購買力を与えて需要を底上げするというBIの考え方とは矛盾します。BIそれ自体は、弱者への生活支援を目的とする福祉とは何の関係もなく、それ故に負の所得税とも何の関係もありません。

確かに、橋下氏は福祉の財源を削減して、それをBIに充当しようとするツイートも書いていますので、負の所得税への志向性もあるのでしょう。しかし、両者は根本的に考え方が異なりますので、両者を混濁している点に疑問が残ります。

詰まるところ、流行りモノに飛びつくばかりで、橋下氏が何を目指しているのかよく分からないように見えます。私たちの資源を個人に移すというBIの原点に立ち返って、そこから全体の構想を練っていただきたいと願います。そこに立ち返れば、中央省庁や大企業に資源を集中させてきたこれまでの我が国の体制を転換することにつながり、BIは脱原発や地方分権を推進する上での大きな力になることでしょう。

 

追記:ヤフー「みんなの政治」でも取り上げてもらいました

Yahoo!みんなの政治 - 無条件で最低生活保障「ベーシック・インカム」とは

 

だいじょうぶかな!? 橋下大阪市長のベーシックインカム ベーシックインカム・実現を探る会 代表 白崎一裕

 

堀江貴文氏(ホリエモン)のときもそうだったが、著名人がベーシックインカム(以下BI)を論じるとたちまちネットを中心に盛り上がるのが、BIの常だ。今回も橋下氏という人気政治家の「船中八策」なる政策プランにBIがとりあげられて、話題になっている。さて、中身はどうなんだろうか?

 

 

1、橋下BI論は従来議論の延長線上
橋下氏の政策原理は、行政スリム化を中心とした緊縮財政の延長にある。これは、シンプルな社会政策BIと相性がいい。また、堀江さんをはじめ、いままでのBI論もこのことは主張してきたところだ。年金・生活保護・失業保険などなどを統合するスッキリした現金給付としてのBI、それらにかかわる行政コストを削減するBI、行政の補助金などの行政サービス供給側の論理ではなくて、需要者(消費者、ユーザー)側に直接へ直接BI~~~。こういうことは、橋下さんの行政批判・公務員批判と合体して力をもつだろう。

 


2、行政批判が公を破壊する可能性
これまでの行政の無駄や補助金ズブズブの公共事業などは批判されるべきで、行政があたかも「公」の顔をしてふるまってきた構造は、大阪にかぎらず確かに問題なのだ。だが、その行政を批判することで「公そのもの」まで、BI導入を口実に葬り去るのは感心しない。公とは、地方や国家などの共同体が存続していくための事柄すべてであり、その中身は、みんなの公論で決めていくものだ。昔は、国家そのものが公だった国家主義の時代もあった。しかし、現在は公論で公のあり方を決めていく。たとえば、世界版の公論の結果による国際人権法からすれば、公のひとつに「国家の義務は、市民ひとりひとりの人権擁護」ということがあげられる。

 

 

3、BIで無駄な役所の仕事を一掃できるのか?
公論で公の仕事を決めていくとなると、かならずしも、BIがあれば役所の仕事がどんどん少なくなるか?というとそうではないだろう。民主党が導入した子ども手当の議論のときにも、手当(現金給付)よりも、保育園の増設・充実(現物給付)を優先させるべきだ、という議論があった。そこでも示されたように、公の仕事に含まれる多様な社会サービスは、BI(現金給付)と共に必要で、そこになんらかの予算措置が必要になる。橋下さんが主張するNPOなども単なる行政の下請け機関ではないとすると、そこに予算手当は必要になる。また、重度重複障がい者の電動車いすなどは300万円するものもある、こういう社会サービス的なものをBIだけで賄うのは不可能だ。

 


4、BI支給金額8万円の根拠
BI支給金額で議論される月額ひとりあたり8万円という金額の根拠は、これを算出した小沢修司さん(京都府立大学)によれば「月額8万円の根拠としたのは生活保護のうち生活扶助部分であり、教育扶助や住宅扶助、医療扶助などは除いている。それは、教育、住宅、医療など社会サービスの充実はBI実現とは別途図らなければならない~~」(「日本の科学者」2010年5月号)となっている。ここにあるように住宅などのベーシックニーズにかかわる社会サービスは、BIと両輪のように必要だということだ。

 


5、政治・行政の無駄はどこにあるのか?
橋下さんの主張は、公の顔をしてわがもの顔にふるまってきた行政批判としては、正しい面もあるが、けっこうみみっちい批判でもある。根本的な日本の無駄は、通貨制度そのものに内在していることを橋下氏は無視している。

 

たとえば、最近、日銀は、インフレ目標として資産買い入れ10兆円上乗せして65兆円とした。日銀は買いオペとして国債購入をすすめるというが、そもそもデフレ下の日本では、市中銀行にお金がだぶついていたのだ。そこで、地方銀行などは、だぶついたお金で国債などを購入して儲けていた。地銀の資産全体に占める有価証券の比率は26.8%で、そのうちの国債などの比率は45.9%もある。日銀の政策は、こういう無駄金を増殖させる資金供給をしているにすぎない。また、2002年の本四連絡橋の収支は、本来ならば、622億円の黒字のはずなのに、金利負担が1087億円もあったために465億円の赤字になっている(『シルビオ・ゲゼル入門』廣田裕之著)。この金利はどこへ支払ったのか?

 

橋下氏は、上記のような無駄金こそ問題にすべきで、そのためには、「通貨改革」が必須となるのだ。この「通貨改革」で政府紙幣を発行しなければ、BIと社会サービスの巨大な財源もでてくることはありえない。BIなどの財源は、せこい「増税」路線では、とうてい賄いきれないのだ。

 


6、橋下さんは、アメリカのノースダコタ銀行やスイスの広域地域通貨「WIR」を視察にいくべき。
「通貨改革」の見本が上記だ。もともと農民が設立した州立銀行ノースダコタ銀行の運営や地域通貨銀行として「WIR銀行」までも有する協同組合通貨のWIRなどは、まさに無駄を省いたみんなの幸福のための「公共財としてのお金」のあり方のモデルとなるだろう。


7、BIは、福祉国家の枠組みで考えない。
橋下氏の行政批判は、いまだ、過去の福祉国家批判の枠組みで考えているように思える。福祉国家改良原理としてBIを持ち出しているわけだ。その証拠に橋下氏は、BIをセーフティーネットと主張している。しかし、BIは、そもそも福祉国家とは別物として制度化すべきだろう。その原理は、ダグラスの社会信用論のように過剰生産と過少消費のギャップを埋めるということやヒレア・ベロックのように強制奴隷労働からの解放を求めて万人を有産者にする分配主義に求められるべきだ。加えて、高度福祉国家を支えてきた成長経済が終焉を迎えていることも付け加えておこう。「競争」が大好きな橋下さんだが、ピークオイルなどの課題、ポスト工業化社会の課題などは、ガンバル「競争」で克服できるような代物ではない。

 

8、「維新の会」で「船中八策」の矛盾
この名称問題を、どうでもいいと思う人もいるだろうが、けっこう今回の本質かもしれないので、メモしておこう。ミーハーな坂本龍馬ファンとしては、船中八策というのは、龍馬単独の作文かどうかはさておいても、龍馬が幕府後の新しい政治のプランを書いたものとして注目の文書だ。

 

龍馬の師匠筋にあたる勝海舟が「王政復古は薩長の『私』、大政奉還こそが『公』」と薩長に批判的なように、龍馬自身ものちの明治維新をつくりあげた薩長武力討幕勢力には批判的だった。船中八策には、まずは、みんなが議論する議会をつくるようなことが書かれている。龍馬周辺では、京都に議事堂をつくるプランがあったようだ。このように「維新」を実行した薩長軍事クーデター勢力と龍馬の「船中八策」は、実は、相容れない思想なのだ。NHK大河ドラマの福山雅治「龍馬」は「みんなが幸せになる国」を語るではないか。橋下さんもみんなが幸せになるような議論をしながら、みんなで決めていくこと(自治)を考えているのだろうか。もちろん!BIは、みんなのものである。

2月18日(土)開催 「ベーシック・インカムを要求しよう」運動@歌舞伎町談義

下記、急遽ですがお知らせいたします。若い方の活動にエールを送ります。また、後日、この談義の内容をご報告頂く予定です。

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法政大学社会学部4年の鈴木樹です。今回は企画中の「ベーシック・インカムを要求しよう」運動に伴うベーシック・インカム談義なるものの案内をさせていただきます。

「ベーシック・インカムを要求しよう」運動は、理論研究にしても政策研究にしても、デモや街頭活動にしても連帯できたらと考え、コアになる運動組織ができればいいなと思い考案しました。もう一つはベーシック・インカムが原発問題に見られるような生活を政治に握られるといったような自体から抜け出す可能性を感じたからです。いろいろな可能性を延長させるBIをぜひとも、全面的な運動として盛り上げていきたいというのが私の狙いです。

そしてこれもまた突然なのですが、2月18日(土)の十九時半から新宿の歌舞伎町の中華料理屋さんでBI談義をし今後の計画について話したいと思っております。興味だけでもある方はぜひご参加お願いします。

鈴木 樹

suzuki.tatsuki@gmail.com(@は半角に変換してください)

ヤニック・ヴァンデルボール教授との歓談

ベーシックインカム・実現を探る会の代表白崎一裕は、1月28日(土)公開講演「危機の時代におけるベーシック・インカム」において登壇したヤニック・ヴァンデルボールさん(ルーヴァンカトリック大学教授)と、いつも翻訳でお世話になっている鈴木武志さんとで、歓談のひとときを持ちました。

40前後の若い研究者で、意気投合する所がありました。次回ミュンヘンで開催されるBIENにも招待を受けました。今後の連携につなげていくことができればと思います。

 

 

 

危機の時代におけるベーシック・インカム

http://www.mfj.gr.jp/agenda/2012/01/28/index_ja.php

 

Yannick VANDERBORGHT

Professor of Political Science, Louvain University

(ルーバン大学政治学教授 BIEN ニュースレター編集長)

http://www.uclouvain.be/11690.html

【翻訳】カナダ市民が中央銀行を提訴

中央銀行と通貨のあり方を根底的に問い直すニュースがカナダで報じられましたので、翻訳してお伝えします。

カナダ市民が中央銀行を提訴

カナダ銀行・財務省を被告とする訴訟

プレスリリース(トロント、2011年12月20日)カナダ市民2人と経済シンクタンクがカナダ連邦裁判所で国際金融権力と対決へ

 これらの市民は、カナダ中央銀行をカナダ人の利益のために使用し、国際金融組織の支配から離脱させるという宣言を要求している。国際金融組織の利益と指令は、カナダ人の利益とカナダ憲法の最高法規性よりも上位に置かれている、という。

  憲法学者・弁護士のロッコ・ギャラッティは2011年11月12日、ウィリアム・クレーム、アン・エメット、通貨・経済改革委員会(COMER)の代理として、連邦裁判所に提訴した。カナダ中央銀行に、その法定任務と責任を行使させることによって、その本来の目的のための使用に復帰させるためである。その任務には、地方・連邦政府の「人的資本」支出(教育、健康その他の社会サービス)やインフラ整備のための、利子なし貸し出しを行う[つまり政府が利子なし通貨を発行する]ことが含まれる。

  この訴訟はまた、「税額控除」の企業その他の納税者への振替の前の国の歳入を計算しない、または真実の歳入総額を明らかにしないで持ち越す、という会計方法における政府の財政上の虚偽をも争うものである。

  原告は、1974年以来、カナダ中央銀行と通貨・金融政策は、カナダ中央銀行法に反して、海外の民間銀行と私的利益によって支配されるという現実に、徐々にではあるが確実に滑り落ちてきたと主張している。

  原告はまた、国際決済銀行(BIS)、金融安定フォーラム(FSF)と国際通貨基金(IMF)はすべて、ある意識的な意図をもって設立されたと主張する。その意図とは、貧しい国々を貧しいままにとどめ、今ではすべての国にまで拡大した貧困状態をそのままにしておくことであり。そして、これらの国々において上記の国際金融機関は、金融を支配することにより、カナダのように国の政府と憲法の優位性を乗り越えることに成功したとしている。

  原告によれば、BISとFSFの後継者である金融安定理事会(FSB)の会議、その議事録、討議、審議は秘密とされ、議会・行政当局でも入手不能であるばかりか説明責任もなく、カナダの公衆へも同じ状態になっている。カナダ中央銀行の政策がこれらの会議によって発せられるにもかかわらず、である。これらの機関は、本質的に私的で、外国組織でありながら、カナダの銀行システムと社会・経済政策を支配しているのである。

  原告は、被告(行政当局者)は、程度の違いはあるものの無意識的・意識的に、これらの国際機関とともに密かに、カナダ中央銀行法とカナダの金融・通貨政策、社会・経済政策の独立性の無力化に関与すること、銀行・金融システムという手段によって議会によるカナダの統治を無視することを認識し意図している、という。 (以下、翻訳略)

原文

Canadians Challenge Central Bank In Court

 

文責:ベーシックインカム・実現を探る会
訳者:鈴木武志

ベーシックインカム海外情報翻訳プロジェクト参加者募集設立趣意書

ベーシックインカム海外情報翻訳プロジェクト参加者募集設立趣意書

コーディネーター:ベーシックインカム 実現を探る会 野末雅寛

ねらい
・ネットの情報空間をベーシックインカムの情報で充実させること
・近年のネット言論の影響力の増大をふまえ、ネット言論においてベーシックインカム支持の世論形成を目指す
・翻訳者同士の情報交換、質問のやり取り、交流を深める

翻訳プロジェクトの要項
・訳者のサイト(著作権は訳者に存するが、無償ボランティアベースとし、文責は訳者が負うものとする)
・プロジェクトメンバーがサイトやブログを持っている場合は、そのサイトを紹介する
・自分のブログを持たない場合は、ベーシックインカム・実現を探る会HPで掲載する
・ベーシックインカム実現を探る会HPで、翻訳済み(リンク先だけ)・翻訳予定リストを掲載する

参加資格
・上記の要項を了承できる方
・インターネット通信環境にあり、パソコンで文字入力ができる方
・ベーシックインカムに関心がある方(賛否は問いません)
・お互いのメンバーを尊重でき、コミュニケーションを尊ぶことができる方

翻訳内容は下記を予定しています。

プロジェクトの進行
1.翻訳参加希望者は、記入事項をメールに記載の上、下記アドレスに希望申請を提出してください。
info@bijp.net(@は半角入力しなおしをお願いします)
氏名
メールアドレス
住所
携帯電話番号等の緊急時の連絡先
翻訳可能言語
興味を持った翻訳予定記事
参加希望者申請フォーム
2.申請者は、確認後参加者間のコミュニケーションを図るメーリングリストに登録します
3.メーリングリスト内で自己紹介していただいた時点で、プロジェクト参加を承認します。

【翻訳】市民ベーシックインカムと社会の発展:クァチンガ・ヴェーリョ地区におけるNPOヘシヴィタスの活動に関する一研究

 

 

市民ベーシックインカムと社会の発展:クァチンガ・ヴェーリョ地区におけるNPOヘシヴィタスの活動に関する一研究
フランシスコ・フェルナンデス・ラデイラ
[ アントニオ・カルロス大統領総合大学地理学学士、ジュイース・ヂ・フォーラ連邦大学国家・社会学専門士(Licenciado em Geografia – UNIPAC(Universidade Presidente Antônio Carlos) Especialista em: Brasil, Estado e Sociedade – UFJF(Universidade Federal de Juiz de Fora) http://www.consciencia.org/author/franciscoladeira]

原文

http://www.artigocientifico.tebas.kinghost.net/uploads/artc_1312743026_72.pdf




要約本論文では、サンパウロの非政府組織ヘシビタスの手によるクァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムについて述べる。このプロジェクトは、2008年10 月以降毎月30レアルのベーシックインカムを、サンパウロ大都市圏モジー・ダス・クルーゼズ市郊外のクァチンガ・ヴェーリョ地区の住民に支給するというもの である。住民の私生活及びコミュニティの一般的日常生活における本実験の主要な結果を概説する。

キーワード:ベーシックインカム;ヘシヴィタス;クァチンガ・ヴェーリョ;第三セクター






序論

社会的不平等の撲滅は、現代社会における主要課題の一つである。

 世界銀行の調査によると、約14億人(世界人口のおよそ25%)が貧困ライン以下にある1

更に、国際連合食糧農業機関(FAO)の報告でも、12億3千万人が栄養失調と食糧不足の状況下にあると指摘されている。
このような現実を前にして、社会的格差を最小にする、効果的かつ実際的な手法を提示することが不可欠となってきている。
貧困撲滅のために用いることのできる主な手法について議論する際、この問題への最善の処方箋の一つとして所得の再分配というアイデアがあることについては、事実上、異論を唱える人はいない。しかし、適切かつ効果的な所得分配政策を推進するには、どの方法が最善であるかについては、いまだに合意に達していない。
従来の所得移転の仕組みでは、数々の給付に対する見返りに何かを必要とすることや、特定の人々を対象とすることから、短期間かつ断片的な成果しか得ることができない2

そのため、所与の目的の達成し、かつ、全市民をもれなくカバーする、他の政治的手法を探求することが重要となってくる。
この観点から、無条件・無差別のベーシックインカム制度を確立すべきという見解が、ここ数十年の間有力になりつつある。
フィリップ・ヴァン・パリースとヤニク・ヴァンデルホルヒト(2006)は、ベーシックインカムを「政治共同体によって全ての構成員に対して、個別に、所得証明や補償要件なしに支払われる所得(VANDERBORGHT; VAN PARIJS, 2006, p. 35)」と定義している。
スプリシー(2006)によると、ベーシック・インカムは、出自・人種・性別・年齢・婚姻状況はもちろん、社会経済的地位さえも関係なく、あらゆる人に与えられた権利であり、各人の生活上の必要を満たすのに十分な収入を通じて、国が保持する富に参加する権利であるとされる。
色眼鏡で見ると、この手法は一見シンプルであり、一定の社会集団に属する全ての個人に対して最低限の額を支払うことが可能だというのは、非現実的どころかナイーブ・理想主義以外の何物でもないとさえ思われるかもしれない。
しかし、その議論の妥当性3、何より実際の証拠により、人道的観点からだけではなく実用的観点からも市民基本所得に正当性があることが証明されている。
そこで、本論文では、サンパウロの非政府組織ヘシビタスによって発展を遂げたカチンガ・ヴェーリョ共同体の事例を採り上げる。このプロジェクトは、2008年10月以降毎月30レアルのベーシック・インカムを、サンパウロ大都市圏内モジー・ダス・クルーゼズ市郊外のクァチンガ・ヴェーリョ村落の住民に支給するというものである。時系列に沿って、住民の私生活及び共同体内の一般的日常生活に関する本実験における主な結果(ラテンアメリカにおける先駆事例である)4について紹介していく。



ヘシヴィタス

ヘシヴィタス—市民権再活性化研究所—は、2006年10月7日5、生物学者ブルーナ・アウグスト・ペレイラ(現最高経営責任者)とマルクス・ヴィニシウス・ブランカグリオーネ・ドス・サントス(現財政責任者兼プロジェクト全般調整役)の主導により設立された。その設立目的は、「…人間としての基本的な権利・義務の無条件の行使を促進・保証する生産的活動を通じての市民権の完全な実現」(SANTOS NETO, 2010, p. 04)である。

 
役員は無報酬、ボランティアを旨として活動する。特定の政党との関係を持たず、いかなる政府の部局からも助成金の類いは得ていない。運営費用は、コンソーシアムのメンバーの個人資産によって賄われる。

 
ヘシヴィタスでは、この活動に関連するクァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムの他にも9つの事業を計画、うち6つ(「無料図書館・無料おもちゃ館」、 「バスケットボール教育・普及基地」、「森のトレイル」、「ジュニアン:陸上競技プロジェクト」、「パラナピアカーバの歴史遺産の修復と保全」及び 「NGOテレビ」)が実施中であり、更に3つ(「全ての人に映画を in クバタン」、「第三セクターによるベーシックインカムの恒久基金」及び「第三セクターによるベーシックインカム:パラナカピアカーバ・コンソーシアム 6が導入過程にある

2004年法律第10835号

ブラジルは、地球上で最も市民への金銭給付に熱心な国の一つである。しかし、政府が推進するここ数年の社会政策が最下層の人々の利益となるためのものであり、悲惨な状況で生活する人々の相当数減少させたにも関わらず、国内から貧困を撲滅するためにやるべき多くのことが未だ多く残っている7


重大な社会問題あるものの、ブラジルはベーシック・インカムを法制化した世界で唯一の国となっている。
2004年1月8日、当時のルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、ベーシック・インカムの法制化を謳う法律第10835号を裁可した。エドゥアルド・スプリシー上院議員が立案したこの法律によると、全てのブラジル市民又は最低5年間国内に居住する外国人は、必要最低限の生活を可能な限り保障するのに適切な額の手当を受け取ることとなる。「(本法に関連する)支給額の決定や制度の導入については、当局の執行基準に従い、最も必要性の高いものから優先的に、全ての人が(ベーシック・インカムを)支給されるまで、段階的に行われる。」(SUPLICY, 2006, p. 115)。


スプリシー(2006)によると、連邦政府によるボルサ・ファミリア政策8は、ブラジル政府がベーシック・インカムを採用する方向へと進むための第一歩である。レイチ (2010)にとっては、「現在は(ボルサ・ファミリアのような社会政策を通じて)条件付きの選別的所得移転が行われているが、その原資は、普遍的かつ無条件で実施されるベーシック・インカムの支払いのための恒久的な基金へと再構成が可能である」(LEITE, 2010, p. 213)ということになる。


しかし一方で、サントス・ネート(2010a)は、前提条件が付けられている上に部分的な給付である
ボルサ・ファミリアを、無条件・無差別のベーシック・インカム実施の第一段階と理解するのは間違っていると考えている。
一部では、2005年から発効する予定であった法律第10835号がいまだ国内で施行されていないことこそが重大事であるとの議論もある。

第三セクターによるベーシック・インカム — クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアム

一方、ヘシヴィタスは、動きの遅い当局と対照的に、2008年10月から、モジー・ダス・クルーゼズ市郊外、クァチンガ・ヴェーリョ地区の住民77名(当初の参加は27名)に対して毎月30レアルの基本手当の給付を開始した。
クァチンガ・ヴェーリョ地区はおよそ100人の住民を有し、そのほとんどが劣悪な条件のもとに暮らしていた。「
それは、主にサンパウロ市に提供する野菜のグリーンベルトとなっている農村地域である。 [...]地域社会は、社会インフラ、教育、基本的な保健衛生の欠如に苦しんでいる(SANTOS NETO,2009, p. 196)」。「地区内は、みすぼらしい小屋や石造りの家ばかりであった」 (SCHLEE, 2010, p. 257)。


教育指標は恐ろしく低い。住民の12.5%が文盲、28.1%が小学4年で学業を終え、初等教育修了率は25%、中等教育を終えるのは
34.4%に過ぎない。高等教育に至っては皆無である。


地域の世帯の平均所得は最低賃金に等しい9。男性の大部分は農家であるか、大農場や周辺の農園の番人として働いている。一方女性は、清掃員や乳母の仕事を時折行うだけ。パートタイムで働く
青年も。「人数はそう多くないにも関わらず、退職者が家計を維持し、月収の大部分が退職者年金であることが通例となっている」(BRANCAGLIONE DOS SANTOS; PEREIRA, 2011, p. 49)。

 
ヘシビタスのメンバーによると、クァチンガ・ヴェーリョがベーシック・インカムの先行実験場として選ばれたのは、「[...]住民数は少ないが、生活困窮者の数の多い、小規模な地域だからである[...]」(RECIVITAS, 2010, p. 157)。


2008年10月19日、クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムが実施すべき事業の方向性を決定するための初めての会合が開かれた。このとき出席したのは約50名であり、うち27名(全部で6家族10)がすでに実験への参加登録をしていた。


実験前には、ベーシック・インカム受給権を望む人に課せられる唯一の条件は、実験地に居住していることとされていた。ゆえに、誰が月額30レアルを受け取ることになるかについては、クァチンガ・ヴェーリョの住民自治会に委ねられることになった11


当初は、住民の多くが、クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムに対して拒否感を示していた。ヘシヴィタスが、本当に真面目な集団なのか、信頼に足るのかを疑っていたので、いくつかの家族はすぐには実験に参加しなかった。ベーシック・インカムが選挙キャンペーンの一環としてのものであり、貰ったお金と引き換えにどこかの候補者に投票しなければならないと信じていたのだ。また、ブルーナとマルクス・ヴィニシウスが非合法な活動から生じた金銭を地域に回そうとしているという疑念も巡っていた。


しかし、10月25日(初回の会合からわずか6日後)には、27名の登録者に第一回目のベーシック・インカムの支払が実現した。


地域住民の方針に従い、ヘシヴィタスは、ベーシック・インカムについて、特定の支給日や支給場所を決めることはない。支給は、通常月初め又は前月の末日に、受給者一人一人に対して手渡しで行われることになる。
始めの月の支払には、ヘシヴィタスの創設者である
ブルーナとマルクス・ヴィニシウス自身の財産が用いられた。続く数ヶ月の間には、創設者によってプロジェクトが広範に報道された後、新しい協力者がコンソーシアムへと参加してきた12

実験結果

  クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムについての報告書によると、実験当初は満足出来る結果が得られた。「支給の後すぐ、実験参加者の生活に大きな変化があらわれた」 (HOHLMANN, 2010, p. 247)。直接かつ無条件の支給であるため、人々は、受領した金銭をどう使うか熟考した上で行動する。「一般的に、住民が記したRBC[ベーシック・インカム]の最も頻繁な用途は、食品や衣類、次に新学年開始時の学用品、そして交通費であった」(SANTOS NETO, 2009, p. 200)13
  

 

ささやかな額ながら、月額30レアルが別途支給されることにより、クァチンガ・ヴェーリョの住民は、より栄養価の高い食事や、借金の返済、経済力の向上、土地家屋の回収や、子供や孫の為に貯金口座を開設することが可能となった (LEITE, 2010)。


ドイツの世界村落ベーシック・インカム研究所に寄稿された記事
[http://www.grundeinkommen.de/14/04/2010/globales-dorf-grundeinkommen.html]において、クリシュトフ・シュレー(2010)は、クァチンガ・ヴェーリョでのベーシック・インカム導入後、多くの家庭が、住居の拡充、学費の支払が可能となり、たくさんの子供が初めて靴を持つようになったと記した。


住民の健康状態にも明らかな改善がみられた。最低所得は、疾病の予防と治療を提供したのだ。ある女性は、「
[...]甲状腺に問題があることが発見され、RBC[ベーシック・インカム]によって(治療を開始し、)必要な薬を買うことができた[...]」(BRANCAGLIONE DOS SANTOS; PEREIRA, 2011, p. 56)。


同様の状況は、ベーシック・インカムの一部を医療機関受診と薬品購入に使っているある家族(父親は失業中で散発的にしか仕事をしていない)でも見られる。別の一団の家族にとっては、毎月確実に支給される最低限の収入は、
母親や息子に薬品を買うための担保として示すことができる。「薬局は、彼らの所得が保証されていることを認識しており、『ツケ払い』での販売を開始した。つまり、彼らに経済的信用を与えた始めたのだ。」(BRANCAGLIONE DOS SANTOS; PEREIRA, 2011, p. 57)。

 

ブルーナ・アウグスト・ペレイラは、ベンジャミン・ホールマンによって引用されたように、住民間の人間関係がこの上なく素晴らしいことと、地域に参加しているという自信や誇りといった感情が出現してきたことを重要視する。「クァチンガ・ヴェーリョはベーシック・インカムの導入以来大きく変化した。相互協力と協調のもとで人が互いに接するようになったのだ」(PEREIRA apud HOHLMANN, 2010, p. 248)。

 

一方、ベーシック・インカムの適用に反対するアナリスト達は、このように受領者に何の形の代償も求めないタイプの社会政策は、怠惰と放浪生活を助長することになると主張している。

 

しかし、「(クァチンガ・ヴェーリョの)住民の日常においては、就業状態の傾向にベーシック・インカムに起因する変化は全く見られなかった」(SANTOS NETO, 2009, p. 201)。

 

「逆に、収入を生産的な活動を実施するために使用したり、貯蓄をしたり、就職活動にまで用いているということは、正反対の効果があることの証拠である」(RECIVITAS, 2009, p. 167)。

 

「参加者一人当たり(月額)30レアルは、『モグリの仕事』をやめるきっかけを作った。[...]ベーシック・インカムは仕事を続け、家の建設を始める機会を与えた」(HOHLMANN, 2010, p. 247)。他にも、既に鶏小屋を作り、他の住民に対し卵を販売している住民もいる」(HOHLMANN, 2010, p. 247)

 

同様の状況は、繁殖用かつ後日の食肉用としての二組のつがいの豚と子豚を購入した、ある退職者の夫婦の例でも確認された。
 

 

ブルーナ・ペレイラとヴィニシウス・ブランカグリオーネ・ドス・サントス(2011)は、ベーシック・インカムのおかげで職探しのために初めて公共交通機関を利用することができたケースを指摘している。


ここから推論されるのは、スブリシー(2006)の論の通り、ベーシック・インカムが求職活動を促進することであって、決してその逆ではない。最低賃金収入を
補償するような所得分配政策は、受益者が職を探そうとする意欲を減退させる。「それは、働いて得られる額が、働かなかった場合の額より少なくなってしまうからだ」(SUPLICY, 2006, p. 73,74)。しかし、最低限の収入が確実に入ってくることは、労働者の自尊心を高め、就職活動を奨励し、後々の生産性に関わる条件を整えることができるのである14

 

ベーシック・インカムの支給と並行して、ヘシヴィタスは無料図書館と無料おもちゃ館と名付けられた事業を進めている。これは、お役所的でない無条件の貸し出しシステムのもとで主導される。全てのクァチンガ・ヴェーリョの住民は、本やおもちゃを借り、好きな時に返却できる。引換証や書類の提示は一切必要ない。

 

「利用の際に本やおもちゃを返却する決定権が与えられたとき、すなわち、やりたいようにやるのを妨げるものが一切ないとき、公共財の持つ価値を意識する機会が与えられる」(RECIVITAS, 2010, p. 74)

 

ヘシヴィタスのメンバーによると、通常考えれらる予想に反して、使用者が本や他の物品を借りる際にいかなる形の補償も求めなくても、そのことが無料図書館や無料おもちゃ館の収蔵物の紛失や損傷を助長するようなことはなかった。
 

 

無料図書館や無料おもちゃ館で採用された方法論は、正義や公共財の概念の普及に貢献しているが、それ以上に、人は一般的に信用に値すること、正直な行動をとらせるために強制的な仕組みは不要であることを証明している。

 

社会的、経済的メリットに加え、クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムはまた、地域住民によって継続されるべき人の連帯のモデルとなっている。ヘシビタスの例から始まり、ある農家は、隣村に配るための過剰分の収穫を予定しはじめた。ブルーナ・アウグスト・ペレイラとマルクス・ヴィニシウス・ブランカグリオーネ(2011)は、何人かの子供が、無料図書館や無料おもちゃ館に通った後、本を蔵書として寄附することを決めたことを報告した。
また、図書館へ足繁く通っていた娘の影響を受けたある母親の場合も、成人向け中学・高校過程の学校に在籍することになり、学業(第7学年で中断した)に戻ることができるようになった。

 

ベーシック・インカムの現実的な実現可能性をきちんと検証したレポートを報告するには、2年は明らかに相対的に短期間である。また、30レアルという金額は、個々の生存を保証するには余りにも少ない。「クァチンガ・ヴェーリョでの[...]実験のみに基づくRBCについてのどのような結論も、非常に小さい地域しか対象にしておらず[...]、根拠としては非常に危うい」(SANTOS NETO, 2009, p. 200)

 

更には、クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムが実施したような社会活動では、全国でベーシック・インカムの導入を主張することはできない。モジー・ダス・クルーゼス市郊外のコミュニティで実施されたプロジェクトの他の地域への高い移植可能性を考慮したとしても、全てのブラジル市民に無条件で最低限の所得を与えることは、連邦法の目的であり、連邦政府当局によって実践されなければならないと考えることが肝要である。
ヘシヴィタスの創設者自身が認識しているように、ベーシック・インカムは
クァチンガ・ヴェーリョの地域社会が直面する全ての問題の最終的な解決策を提示しているわけではない。

RBCの導入後、最低限の保証しかしていないことに関連する困難な問題が残っており、更に多額のRBCの必要性を確信した。50レアル前後というのは、完全に困難をなくすことはできないとしても、日々発生する困難を和らげることができるレベルとして仮定した金額であった。この点では我々は理想的であったと言える。単なる物品や、尊厳のある生活をする資金源を維持でき、基本的な安心を保証するのに必要なサービスの基本パッケージに過ぎないものと比べられるものではない (BRANCAGLIONE DOS SANTOS; PEREIRA, 2011, p. 50-51)

 

しかし、この仕事の過程で見られたように、クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムによって報告された結果は、説得力があり、明るい先行きを示すものであった。「30レアルは少なく思えるが、何も持たない者にとってそれは多く、または十分な、あるいは全てだと思える金額であり、(ベーシック・インカム社会実験参加登録者)の(77)人という人数は、人間そのものにではなく、数字にだけ価値を置く人にとっては非常に少ないものとなるのだ」(BRANCAGLIONE DOS SANTOS; PEREIRA, 2009, p. 35)。エドゥアルド・スプリシー上院議員が国会で読んだ文章によると、「クァチンガ・ヴェーリョは小さな地区であるように見えますが、この活動が実例として行われたことの持つ力は、間違いなく巨大であり、他の人々や地域を目覚めさせるものであります」。

結論

 

フィリップ・ヴァン・パリースは、19世紀の奴隷制度の廃止、20世紀の普通選挙の導入という人類の最近の偉大な進歩と同様に、ベーシック・インカムは、今世紀における偉大な成果となるであろうと主張した。
 

 

無条件かつ普遍的なベーシック・インカムは、単に社会に利益をもたらすもの以上に、各人の有する基本的かつ不可分な権利である。

 

無条件のベーシック・インカム制度の制定を堅固にする議論には、左右両方の政治的スペクトルからの支持を得ている。より公正でバランスのとれた社会を望む者から成る左翼からも、自由市場と経済成長を守ろうとする者で公正される右翼からも正当化され得る。

 

左翼にとってベーシック・インカムは、資本家の支配を覆すための道具であり、最低限の尊厳をもって生活できる可能性を全ての地域のメンバーに保証することができる手段である。

 

一方、右翼にとってのベーシック・インカムは、経済活動を保つための機構として重要なものである。職の有無に関わらず全ての市民に最小限の報酬を保証することは、生産活動や消費活動の継続の確保には不可欠である。それは更に、市場における無条件での信用付与の拡大や、自由な企業家精神の発展を容易にするものである。

 

このように、ベーシック・インカムは新しい社会主義の前駆的なパラダイムたり得るだけでなく、資本主義システムの永続性を保証することのできる活動でもあるのだ。
 

 

クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムの活動を通じてヘシヴィタスが得た経験からは、第三セクターであってもよりフェアな現実を育んで行くのに需要な役割を果たすことができることを証明している。本例はまた、公権力の支援をあてにしなくても、組織化された市民団体が主導して社会の変革に貢献できることを示している。

 

更に一般論として、市民団体には、その社会政策が、連邦政府の政策としてのみ実施されるだけでなく、州の政策としても制度化されるよう当局に対して圧力をかけていく必要がある。社会政策については、たまたま権力を占有しているだけの政治団体の裁量に従うままではいけない。国家の最優先事項として一貫して継続的なものであるという位置付けを得る必要があるのだ。

 

ベーシック・インカムは、社会発展のための必要条件であって、十分条件ではない。全ての社会関係が商業的な論理で支配されている資本主義体制のもとでは、金銭的な収入は、一人の人間が最低限の尊厳と生活上必要なものを得るための必須条件となっているのは明らかである。

 

しかし、重要なのは、発展という概念が、単なる経済的な側面を越えることができると考えることである。つまり、保健医療サービスや質の高い教育へのアクセス権のような、人間としてあるための完全な市民権を保証することが必要なのである。人間を強制し、疎外する労働という束縛から全ての人を解放する。要するに、全ての人が自分の才能と潜在能力を最高に発揮できる、本当に自由な社会を提供することになるのである。



脚注

1 世界銀行の算出方法によると、「貧困ライン」は一人当たり日額1.25米ドル以下と定義されている。

2 全ての人に自動的に支給されない助成金制度へのアクセスには、恥の感覚や臆病や無知によって、多くの潜在的受益者が手続を始めたり最後まで手続を完了することができない恐れのあるような、複雑な官僚的手続を必要とする。よって、無条件かつ官僚的でない簡素な所得分配という仕組みは、より安価、確実かつ効率的に
管理が可能となる。

3 様々な天然資源は全ての人類の遺産であることを前提とすると、全ての人が自然の豊かさの恩恵を受けるべきという論には説得力がある。グローティウス(1625)によると、地球は人間という種の共有財産である。シャルリエ(1848)にとっては、「[...]全ての人間には、神が造り出した天然資源を、自分が必要とするものを賄うことができるだけ、享受する権利がある。それ故に土地の私有は正義と両立しない。国家が最終的には唯一の土地の所有者となるべきだ」
(CHARLIER, 1848 apud VANDERBORGHT; VAN PARIJS, 2006, p. 46,47)。経済的な観点からも、ベーシック・インカム導入の必要性を支持する考え方を正当化できる。ミルトン・フリードマンは、1970年代に出版された記事の中で、貧しい人々に対して「大概は逆効果で、貧困を軽減するどころかそれを永続させることにしか役立たない、出費の多い官僚的な社会プログラムの迷宮に金を出し続けるより、年間の収入を保証する方が」余程良いと主張した(FRIEDMAN, 1971, p. 503)。更には、貧困者に直接的に支払う方が「[...]官僚の指図を受けることなく、自由市場での消費活動を自分自身の意思で決定できるので」より好ましいと述べた。

4 ベーシック・インカムが実際に適用された、2つの例について採り上げ、詳述することは重要である。1970年代、米国アラスカ州政府は、
アラスカでの石油資源探査の権利代の50%を別途積立て、アラスカ恒久基金を設立した。集められた資金は、債券、株式及び不動産事業に投資された。1980年代以降、投資結果の剰余金は、住民に分配されることになった。2007年を例にとると、全ての州民が一人当たり1,564米ドルを受け取った。「当然のことながら、1980年代以降全ての住民がGDPの約6%を毎年受領する権利があることは、アラスカを、合衆国内で最大の社会的平等が体現された州とした (LADEIRA, 2010)」。もう一つのベーシック・インカムの成功例はナミビアである。ナミビア・ベーシック・インカム給付連合と名付けられた社会実験では、2008年1月から、100ナミビア・ドル(月額12.5米ドルに等しい)を約1000人のOmitara村の住民に支給した。

5 法的な登記は
同年11月22日

6 2010年10月現在のデータ。


7 連邦政府によると、1,620万人のブラジル人が極貧状態にある。

8 
2003年、連邦政府によって制定されたボルサ・ファミリアは、貧困及び極貧の状態にある世帯の利益となることを目的とした、条件付きの直接的所得移転政策である。現在、一人当たり月収137レアル以下の世帯に対して給付されている。

9 この最低賃金は、幾度もボルサ・ファミリアの給付として充当された。

10 現在、14家族がベーシック・インカムの支給を受けている。

11 後に、近隣住民や、
クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムの第一回会合に出席した者も、毎月ベーシック・インカムを受領することとなった。

12 クァチンガ・ヴェーリョ・コンソーシアムは
1年間で終える予定であったが、ベーシック・インカムを賄うための恒久的な基金へ移行するまで、その存在期間は必要なだけ何度も延長される。

13 「実験参加者への直接の聞き取り調査によると、ベーシック・インカムの用途として、約28%が食糧、26%が衣服、14%が子供の学用品、10%が交通費、8%が医薬品、6%が建設資材であることが明らかとなった」(HOHLMANN, 2010, p. 247).

14 ベーシック・インカムは、失業や失業ぎりぎりの状態と戦うための重要なツールである。いかなる対価的な条件もなく全ての市民に毎月収入を給付することは、労働組合の集団としての力を高め、
特に労働条件の改善と労働時間の短縮を使用者に対して要求する際、労働者の交渉力を増大させる。ベーシック・インカムが確立されれば、労働者は、物理的又は倫理的な危険を伴ういかなるタイプの仕事も拒否できる十分な手段を持つことになる。自分の能力により適した活動に巡り会う機会を期待することも可能となる。「保証された、生存を確実にするのに十分な収入が得られる限り、労働者は提示されている雇用条件を受け入れるか否かを決定する、大きな交渉力を有することになる」 (SUPLICY, 2006, p. 98)。

参考文献

原文
http://www.artigocientifico.tebas.kinghost.net/uploads/artc_1312743026_72.pdf
 の REFERÊNCIAS を参照のこと。

【翻訳】ナミビアのベーシックインカム先行的社会実験についての論文

 

BIG CoalitionのPetrus氏の許可のもと、ナミビアのベーシックインカムについて論文を、干場康行さんが翻訳しました。下記、原文のリンク先と、日本語翻訳です。必ずしも正確な翻訳ではありませんが、文意は通じていると思います。もし誤りなどありましたら、ご指摘頂きますよう、よろしくお願いします。

 

英語原文

Pilot Project(Basic Income Grant Coalition - Namibia)

 

 

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先行的社会実験(パイロット・プロジェクト) 

 

 2008年1月から2009年12月まで、ベーシック・インカム給付連合(BIG連合)は、世界的に初めてとなるベーシック・インカム給付の先行的社会実験を、ナミビア Otjivero - Omitaraで実施した。 実験終了後は、国家としてのベーシック・インカム給付開始まで、実験参加者に対し、給付を途切れさせない目的でつなぎ手当が支給されている。

 

 

社会実験の来歴と背景 

 2006年末、ナミビアで先行的社会実験(パイロット・プロジェクト)を開始し、更なる一歩を踏み出すことがBI給付運動には必要であるという考え方が、BIG連合内部で強くなってきていた。その背景には、先行的社会実験の実施が、BI給付が現実に機能すること、そして、貧困緩和や経済発展に対して予想されるようなプラスの効果が実際にあることを実例として示せることがある。この考え方は、カメータ司教が中心となって、アパルトヘイト時代の英語媒介学校[英語を媒介語として授業で用いる学校]や非白人居住区の診療所のような具体例から(または神学的な「予言」から)ヒントを得たものだ。事実、つい最近の同様な例として、治療行動キャンペーン・「国境なき医師団」・ケープタウン州政府によって実施された社会実験がある。抗レトロウイルス(ARV)療法の提供は有効であるが発展途上国では実用的ではないと言われていた時に、彼らは、ケープタウンのある黒人居住区で治療プロジェクトを一斉に開始したのである。この先行的社会実験は成功し、間もなく、発展途上国でのARV療法展開に対する見解が改められることとなった。

 

BIG連合は、政府がこの種の金銭支給を責任をもって実施するよう働きかけることが最終目的である一方、自分たちの役割は模範を示すことである主張している。BIG連合は、ベーシック・インカムを、ある一つのコミュニティで行うための募金を集めた。そして、貧困者の救済や、貧困の低減や経済成長の観点から所得保証制度が何を引き起こすかを報告するといった実際的な活動を通じ、所得の再分配が正当であることの実例とすることとした。

 

BIG共同体は、2006年末、BIGの先行的社会実験の実施を決定した。開始は2008年。発展途上国での無条件かつ普遍的な所得保証の具体的な実験であり、この種の実験としては初めてのものであった。

BIG共同体は、所得保証制度が現実に機能すること、それが所期の効果を有することを実証するため、ナミビアのOtjivero - Omitara 入植地(人口約1,000人、ウィントフーク[首都]の東約100 kmに位置)において、期間限定(2008年1月から2009年12月の2年間)でBI給付を実施した。BIG先行的社会実験には、BI給付の際の推奨事項に沿って、その主張する以下の原則を遵守することが求められた。

 

・全ての人に給付されること、

・現金の受給資格であること、

・一種の所得保証制度であること、

・公平な再分配が行われるような制度であること。

 

複数の個人やキリスト教の信徒団体に寄附が行われ、国際レベルの支援も得られることとなった (世界にパンを、世界ルーテル連盟、 福音宣教連合、ラインラント福音教会、ヴェストファーレン福音教会、フリードリヒ・エベルト財団 等)。募金は、共同体の持つ様々なネットワークや関係者によって支えられていた。

 

 

社会実験の事業概要 

2008年1月、ベーシック・インカム給付 (BIG)先行的社会実験が、ウィントフーク[首都]の東約100 kmにある Otjivero - Omitara 地区で開始された。60歳以下の全ての住人は、一人一月辺り100ナミビアドルが、何の条件も課されずに給付される。給付金は、2007年7月の時点で当地での生活している者として登録された全ての人に、社会的・経済的状態に関係なく与えられる。

 

 

調査方法: 

BIG先行的社会実験の効果及び影響の評価は、継続的に行われた。調査は、ナミビア共和国福音ルーテル教会(ELCRN)の社会開発担当クラウディア博士/牧師とダーク・ハーマン博士/牧師、労働資源調査研究所のヘルベルト・ヤウフ氏とヒルマ・シンドンドーラ-モーテ氏、そして、献身的かつ熟練した臨時調査員の助力を得て実施された。国際的に著名な専門家による、高い知名度を持つ外部諮問グループが調査全体に関わった。その国際専門家チームは、調査方法の評価や、データや計算結果の確認だけでなく、Otjiveroでの実験参加者への面談を行うために、二度ナミビアを訪れた。これにより、調査結果の学術的・科学的水準が担保された。諮問グループのメンバーは以下の通りである。

 

・ ニコリ・ナトラス教授(エイズと社会調査ユニット・ユニット長、南アフリカ・ケープタウン大学 (UCT)経済学部教授)

・マイク・サムソン教授(南アフリカ・経済政策調査ユニット(EPRI)・ユニット長、米国・ウィリアムズ・カレッジ教授)

・ ガイ・スタンディング教授(英国・バース大学経済保障学教授、オーストラリア・モナッシュ大学労働経済学教授)

 

調査には、4つの互いに重複しない方法が用いられた。一つ目が、2007年11月のベースライン調査[事前状況把握調査]。次が、2008年7月と11月のパネル調査[対象固定調査]。三番目が、地域内の情報提供者からの情報収集。四番目が、Otjiveroに住む一人ひとりの生活に関する詳細な事例研究である。

 

 

実験結果: 

12ヶ月間のBIG実施後の主要な実験の結果は、以下の通りである。

 

・BIG導入前の実験地、Otjivero-Omitaraは、失業と飢餓と貧困の町であった。住民のほとんどは、他に行くところがないという理由でそこに住み続けており、生活は欠乏状態によって決定され、未来への希望はほとんどなかった。

 

・BIG導入は住民の希望に火をともした。地域社会は、住民を結集し、BIGの賢い遣い方について住民へ助言するため、メンバー18人からなる委員会を自ら立ち上げ、これに応えた。このことは、BIGの導入が、コミュニティの住民を団結させ、その自治能力の拡大を効果的に促進することができることを示唆している。

 

・BIGが特定の一地域に導入されたため、著しい規模での実験地への人口流入が発生した。困窮した家人が、例え自分たちが助成金は貰えなくても、BIGに魅了されて実験地内へ移住したのだ。このことは、特定の地域や町や家庭内への人口流入を回避するためには、BIGが全国一斉に導入される必要があることを示している。

 

・実験地への人口流入は、本研究のデータに影響を及ぼした。一人当たりのBIGによる収入は、2008年1月には89ナミビア・ドル/月であったのが、2008年11月には67ナミビア・ドル/月にまで落ち込んだ。そこで我々は、人口流入の影響を考慮しつつ、BIGの与える効果の分析を行うこととなった。

 

・BIG導入以降、貧困世帯は顕著に減少した。2007 年11月には住民の76%が食糧貧困ライン以下にあったが、BIG導入後1年以内に37%まで減少した。特に、人口流入の影響を受けなかった家庭では、その率は16%に達する。このことは、BIGの全国での導入が、ナミビアの貧困水準に劇的な効果を及ぼすであろうことを示している。

 

・BIG導入は、経済活動の増大をもたらした。利益獲得活動に従事した人の割合(15歳以上)は44%から55%に増加した。個人事業はもちろん、支払や儲けや家計の足しとするためにも、受給者が仕事を増やすことを可能にしたのだ。金銭給付は、特に、受給者が煉瓦作りやパン製造や洋裁のような小さな商売を自分で始めるような生産的な活動によって実働収益を増やすことを可能にした。また、家計の購買力を増大させ、地域の市場を作り出した。このような結果は、BIGが怠惰と依存をもたらすという批判者の主張と矛盾している。

 

・BIGは、子供の栄養失調の大幅な減少という成果をもたらした。WHOの測定方法によるデータを用いると、子供の年齢別標準体重については、標準体重未満の割合は2007年11月は42%であったが、2008年6月は17%、2008年11月には10%と、たった6ヶ月間で目覚ましく改善していた。

 

・BIG導入前は、貧困と交通手段の欠如が、エイズ感染者である住民の抗レトロウイルス療法(ARV療法)の利用を妨げていた。BIGは、滋養物の購入や薬物治療へ通うことを可能にした。更にこれは、住民がゴバビス[Gobabis、オマヘケ州の州都]まで通わなければならないことを考慮して、政府の決定により、ARV療法が実験地で受けられるまでなった。

 

・BIG導入前は、学校へ通うべき子供のほぼ半数がきちんと学校へ通えていなかった。進学率は40%であり、ドロップアウト率も高かった。多くの親が学費を支払うことができなかった。BIG導入後は、以前の倍以上の親(90%)が学費を払い、今ではほとんどの子供が制服を着るようになっている。経済的理由による不登校は42%減少したが、この減少率は実験地への人口流入による影響がなければ更に上昇していた筈である。学校からのドロップアウト率は、2007年11月の40%から2008年6月には5%にまで減少し、2008年11月にはほぼ0%となった。

 

・BIG導入後、住民は地域診療所を以前より定期的に利用するようになった。現在、住民は1受診当たり4ナミビア・ドルを支払い、診療所の収入は、一月当たり250ナミビア・ドルから5倍の約1,300ナミビア・ドルまで増加した。

 

・BIGは、各家庭の借入金の減少に寄与し、借入金の平均額は、2007年11月から2008年11月の間に1,215から772ナミビア・ドルに減少した。同時期、大家畜・小家畜・家禽の所有拡大を反映し、貯蓄の増加がみられた。

 

・BIGは犯罪の顕著な減少に寄与した。現地警察署の報告によると、全犯罪発生率は42%減少、うち家畜の窃盗が43%、他の窃盗がほぼ20%であった。

 

・BIG導入は、生存のための女性の男性への依存度を下げた。BIGによって女性は、自分の性生活を制御する手段を手に入れ、生存との引き換えに行わなければならないセックスの苦痛から、ある程度解放されたのである。

 

・BIGがアルコール依存症の増加をもたらすという批判は当たらないことが、経験上の証拠から言える。コミュニティの委員会は、アルコール依存症の増加の抑制を図っており、現地の酒店の経営者との間には、BI支給日にアルコールの販売を行わない旨、合意に至っている。

 

・BIGは、貧困を抑制し、貧困層の経済成長を促進する、社会防衛の一形態である。それは、ナミビアが国家目標として約束した千年紀発展目標の達成に、一つの政策として大いに寄与するであろう。

 

・ナミビア全土でBIGを導入するための費用は十分にある。純費用は120万から160万ナミビア・ドルであり、GDPの2.2?3%である。このような全国的な現金支給の場合の原資調達には、様々な方法がある。一つは、所得税の増加に連動して付加価値税を適切に調整する方法である。これであれば、全ての中低所得世帯が得をする。他の調達方法には、国家予算の優先順位付けの見直しと、天然資源への特別課税の導入がある。

 

・ある計量経済学的分析によると、ナミビアの担税力[租税負担能力]は、国家歳入を30%上回ることが分かった。現在の税の捕捉率は25%以下なので、ナミビアの税収増加の余地を考えると、BIGにかかる純費用を大幅に上回ることになる。

 

・ 全国的なBIGでは、数種の機関が長期給付金を支給することになる。

 

 

社会実験後の展開 

BIG連合は、Otjivero-Omitaraでの先行的社会実験での目覚ましい結果にも関わらず、ナミビア政府が未だに全国的なBIGの導入についてはっきりした態度を示さないことについて、失望とともに言及した。実験の結果は、BIGには、貧困と戦い、社会発展を促進し、地域経済発展の起爆剤となる効果があることを示した。BIGの与えたインパクトは、正に壮観であった。貧困水準や子供の栄養失調の割合は、登校率や診療所の利用の向上に伴って劇的に下降した。経済活動も同様に、犯罪発生率が下降する中、大幅に増加した。

 

BIG連合は、Omitaraでの実験結果を受け、全国的なBIGの実施にはナミビアの全ての地域のためになると確信している。それは有益かつ実施は可能であり、ゆえに、実施するか否かはひとえに政治的な意思の問題である。貧困者の困窮状態を軽減し、彼らが貧困から脱却して働くことができるようにする直接的な手段として、全国的なBIGは、かつてないほど必要とされている!

 

全国的な実施が遅れが、全ての貧困者、特にOtjivero-Omitaraの貧困者に損害を与えている。2年間の実施の後、BIG先行社会実験は予定終了時期の2009年12月を迎えた。BIG連合としては、住民が2年前のBIG導入前まで経験していた非人道的な貧困レベルへ逆戻りするのを傍観することはできない。よって、全国的なBIGの実施を要求する間、 家計を維持するための「つなぎ手当」を当面の間用いていくことになる。これは解決策ではなく、あくまで「一時しのぎ」であり、BIGの代替物ではない。「つなぎ手当」は実験参加者に限って支給され、その個人・コミュニティへの助成額双方に関する制限について周知されている。今後1年から2年の間に政府が全国でBIGを導入し、つなぎ手当が不要になることを期待している。

 

当面の間、社会実験に参加した全ての人に対して、80ナミビア・ドルの「つなぎ手当」が支給され、各人の郵便貯金口座に振り込まれている。ベーシック・インカムとしてはおよそ足りない額なので、我々は、この社会実験に参加し、このような目覚ましい成功をおさめた人々のために、実際に開発による利益を得るための支援を行おうと考えている。実験の参加者は、我々BIG連合だけでなく、来村し、数々の変化や新たな希望を目撃することとなった政治家、記者、テレビレポーターなど、ありとあらゆる種類の数多くの訪問者に刺激を与えてきた。更に、この実験は世界中で報道され、社会発展の新手法についての世界的な議論の対象の一つとなっている。実際ナミビアは、Otjivero-Omitaraの人々のお陰で世界に知られているのだ。彼らは、人権的なアプローチ、平等の哲学、神学的な尊厳に基づく限り、ほんの少しのお金が何を為し得るかを世界に対し示した。我々BI連合は、今回の実証経験と、肯定的な実例の存在が、他の人々に対し、当然に彼らが権利を有するものを要求するための後押しになることを心から望んでいる。すなわち、「全ての人にBIGを」!

 

 

©2011, Claudia & Dirk Haarmann - BIG Coalition

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